その時ふとこの家の中で、一つだけ気がかりなものがあったのを思い出した。
それは隣の6畳を隔てた奥の間に貼られた12カ月分の1枚物カレンダーだ。
古い10年前のもので、上部は咲き乱れる菜の花畑と、その向こうには残雪の山並が見える写真
だ。
すっかり色褪せて元の色が良く判らないくらいだが傷みはない。
もう役目は終えているが、取り外すことはできない何か特別に大切にされるわけがあるような
気がする。
そもそもこの家にあるものは、全てきっちりと管理されている。
ずぼらに放置され、何となくそこに存るというものはない。
隅々までこの家の主の、行き届いた神経のようなものを感じるのだ。
だからその1枚の古いカレンダーも、未だにそこに貼られている以上、必ず何等かの理由がある
に違いない。
日が経つにつれ、そのことがどうにも気になって仕方がない。
これまで他人のことには無関心だった自分が、たまたま一緒に暮らすことになったからといって、
こんなにその人に関るささいなことが気になるのは驚きだ。
次第にその驚きの訳を知らねばならないと思い始めた。
尋ねれば「気に入っているから」の一言の説明ですむ、何ということもない話しに違いないが、
何故か気安く聞くことができない。
その意識が逆に説明されない訳を膨らませる。
「つまり俺は暇なんだなあ」
退屈は少こしも感じないのに、実はかなり退屈しているのかも知れない。