退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

울지 말고 꽃을 보라

2014-09-19 06:50:17 | 韓で遊ぶ

初雪が降る理由
以前に人々は誰でも初雪が降るのを待っていた。立冬を過ぎて寒くなってくるといつ初雪が降るかとときめく胸をどうしようもなかった。そうしていて、ある日の朝何気なく窓を開けた時、庭にいっぱいに初雪が降っていると自分でも知らないうちに「わ、雪が降った。」と言って歓声を上げる。単に初雪が降ったという理由だけで皆騒ぐ気持ちを抑えられない。わけもなく心がときめいて朝ごはんも食べたのか食べないのかして家を出た。わけもなく顔が穏やかになって、会う人ごとにうれしくて美しい顔だった。
それだけか、初雪が降る日に会おうと約束した人は互いに会いたい人の顔を思い浮かべて約束の場所に行こうと一日中奔走した。1年間待った約束がちゃんと守れるのか胸がどきどきして、約束の場所に先に行って座っている人の姿を見るとそれだけでも手に負えないほどの愛の感動の味だった。そうでありながらも、初雪の降る日に愛する人に合わせてくれる初雪に対する感謝を忘れなかった。
このように初雪は待つことの対象であり歓声と感謝の対象だった。しかし、今はそうではない。今は昨日、初雪が降ったと歓声を上げる人をほとんど見なくなった。歓声どころかなぜ降らなかった雪が降って人を面倒にさせるのかと、うんざりする人がほとんどだ。
「今日、車でいけるのか、どうだ。」
「いずれにしても、通勤の途中で、交通が大混乱しているだろうし、、、」
大部分の人たちはこんな考えをするだけ、初雪の美しさとまぶしさと喜びと静けさに対する何の関心も表さない。木の枝にこんもりと雪の花が咲いても、その雪の花の上に白い透き通った日差しがさしても無関心だ。雪に覆われた雪岳の壮観な姿になっても寒渓嶺(カンゲリョン)と彌矢嶺(ミシリョン)に交通が途絶えたと言う知らせに関心を傾ける。
まして、初雪の日に会おうと約束する人はもはや一人も探すことができない。会いたい人がいたら、その瞬間に携帯電話で電話をすればいい世の中に、初雪が降る時に会おうという約束のようなものはもはやこっけいなことだ。
初雪はもうこれ以上地上に降りたくなかった。誰も懇切に待ってくれる人のいない地球にこれ以上降る必要がないと考えた。
しかし、初雪は今年もまた降ってしまった。それは地球のあるところ、ソウルと言うところに暮らす一人の少年のためだった。
少年はソウルでも貧しい町内に暮らす少年だった。少年は弟たちのために初雪が降ると雪だるまを作ってやった。
「兄さん、なぜ雪だるまを作ってくれないの。」
「雪が降れば作れるよ。」
「雪はいつ降るの。」
「冬に降るさ。お前はまだ、そんなことも知らないのか。」
「冬はいつ来るの。」
「秋が過ぎればくるさ。」
「そうか、なら秋が過ぎたら雪だるまを必ず作ってくれるんでしょ。」
「もちろん。」
「約束。」
少年は6歳の弟と指切りして約束をしては初雪が降るのを懇切に待っていた。
今年も初雪が降るのはまさにその少年のためだ。その少年のために世の中はもう一度純白に輝く。
コメント
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