映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ストーカー(2002年)

2015-01-08 | マイケル・ヴァルタン



 写真の現像サービスカウンターに勤める冴えないおっさんサイは、長年、現像を請け負っていたある家族に理想を抱き、自らをその家族の一員として妄想に耽る日々、、、。

 が、その憧れの家族に、とんでもない秘密があることを知ったサイは、怒りを膨らませ、同時に職場を解雇されたことで自暴自棄となり、膨らませた怒りを爆発させてしまう。

 これのどこがストーカー・・・?

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 とんでもない邦題がついた外国映画は一杯あるけれど、これもその一つ。配給会社の担当者は、ホントにこの作品を見て、この邦題に決めたのか、大いに疑問。

 ロビン・ウィリアムズ演じる主人公サイは、もう、とてもとても孤独な中年男なのです。彼の部屋の無機質なことと言ったら、あれを見ただけで泣けてくる。不幸なことに、彼は独りを楽しめる心の豊かさを持ち合わせていなかった、、、。これは、本作では描かれていないが、恐らくは彼の生い立ちにその理由がありそう(ラスト近くで何となくそれを暗示するシーンがあります)。

 で、彼は自分の理想の家族を顧客の中に見つけます。それが、美男美女の夫婦に一人息子の3人家族であるリッチなヨーキン家。が、この夫、浮気していたのである。それも、サイが写真を現像して発覚するという次第、、、。

 折悪く、長年、サイがヨーキン家の写真の現像を「注文枚数+自分用1枚」と水増ししていたことがボスにバレて、あえなくクビ(自分用のが積もりに積もって何百枚に。その分タダで稼働させていたわけだから、店には大損害、ってことだわね)。

 精神のバランスを崩したサイは、破れかぶれで、浮気夫とその愛人にとんでもない手法(詳細はちょっと書きたくない)で制裁を加えます。この時、最大の屈辱を味わう夫を演じていたのが、ヴァルタンな訳ですが、、、。こんな形で、彼の全裸を拝むことになろうとは。嗚呼、、、。

 サイは、ストーカーではなく、妄想癖のあるただの寂しいおっさんです。こんな邦題をつけるので、最初は、ヨーキン家の妻に執着していくのか、と思って見てしまいました。でも、ゼンゼン違う。

 サイが、留守中のヨーキン家に侵入するシーンがあります。なんと、ここで、サイはトイレで用足しまでします。そして、シャンパンだかワインだかを飲みながらテレビを見ているところへヨーキン一家が帰宅するのです。見ている方としては、ドキドキするシーンです。・・・が、ヨーキン一家は「Oh、サイ! 来てたの!?」などと言って彼を受け入れる訳ですが、当然、これは彼の妄想だったのです。つまり、ここがサイの理想の究極ですね。

 、、、彼は、ヨーキン家の一員になりたかった。というか、それはムリだと分かっていたから、せめて、ヨーキン家の息子の伯父になりたかった(これはラストの写真が、まんま、それを表しています)。

 なのに、夫は浮気なんかしやがって! オレの理想の家族壊しやがって! ってことで、ああいう暴挙に出たんだろうけど、ちょっとやり過ぎちゃいました。あれは紛れもない犯罪。無職になって、もう、失うもののない心境になってしまっていたのだろうな、とは思うけれども、、、。

 正直、ロビン・ウィリアムズご本人とサイがダブって仕方ありませんでした。役を演じていないときの、彼のやたらハイテンションな様子は、これまで時々テレビで見てきましたが、あのテンションは見ていて「ちょっとヤバいなあ」と感じるものがありました。同じことを感じた人は少なくないと思います。あんなにハイに針が振れてしまえば、人間、バランスをとらないといけない生き物ですから、今度は逆に大きく針が振れざるを得ません。

 そして、本作では、役の上でではありますが、その、大きく逆に振れた姿を私たちの前にはからずも晒すこととなってしまいました。きっと、私生活上でああいう状態になることはしばしばだったと思われ、、、なんだか見ていていたたまれなくなりました。

 結局、孤独、というか独りをある程度楽しめる人間、ってのは、自分をそこそこ好きな人間なんでしょう。でないと、自分と向き合うことを強制される時間を苦痛なく過ごせるはずはありません。もちろん、その孤独の度合いもありますし。サイは、自分を愛せなかったし、だから、人も寄ってこない、余計に孤独が身に沁みる、でも苦痛過ぎて自分と向き合うことを拒絶し妄想の世界に逃げる、そして、余計に自分を愛せない、という悪循環です。

 その遠因は、恐らくは性的虐待を受けていたと思しきその生い立ちにあるのだと思います。やはり、虐待を受けていた人は、自分を愛することが難しい。自己否定感に苛まれるのはムリないことです。

 ただ、彼が本当に不幸だったのは、その後、現在に至るまで、自分を愛せる存在だと思える、自己肯定感を抱ける人との出会いに恵まれなかったことですね。恋人でも、友人でも、職場の人でも、とにかく誰でも良かったんだけれど、「you、いるだけで良し!!」と体現してくれる人との出会いがあれば、、、。

 でも、本当は、そういう出会いは、自分が他者を愛さないと恵まれないモノなんでしょうけれどね。サイは、人を愛することが怖かったのかも知れない。

 あんまり、誰かを「可哀想」というのは好きじゃないけれども、サイに限っては、ほかに当てはまる言葉が見当たりません。可哀想です、サイは。

 ・・・しかし、線が細いと思っていたヴァルタンの裸体(モザイク入り)は、結構、たくましかった、、、。ま、マッチョでなかったので良かったですが。やっぱり彼はどこを切り取っても美しい・・・(嘆息)。



人を愛することは自分を愛すること。




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