作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85651/
以下、公式HPからあらすじのコピペです。
=====ここから。
ある日、ジョージアの小さな村に住む48歳のエテロは、ブラックベリー摘みの最中、美しい声でさえずるブラッグバード(黒ツグミ)に吸い寄せられるように、崖から足を踏み外し転落してしまう。何とかひとりで崖から這い上がったエテロは臨死体験をした。それは、村人たちが自分の遺体を川から引き揚げるところを目撃する、というもの。
自分の店に戻り手当てをしていると、いつものように配達員のムルマンが仕入れ品を持ってやって来た。商品を棚に並べるムルマンの首筋、腕、顔…その姿をじっと見つめるエテロ。彼女はそのまま人生で初めて男性と肉体関係を持つ。そして、その時を境に彼女の運命が変わり始める…!
エテロのもとに訪れた、ささやかで大きな変化…彼女は果たしてどんな将来を選択するのだろうか?
=====ここまで。
ジョージア映画。
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毎年、元日は劇場に行くことが多いのだけれど、今年は元日に公開されている映画であんましそそられるものがなく、かといって、9連休ずっと家に籠っているのもカビが生えそうな気がしたので、3日公開の本作を見に行ってまいりました。なんと、満席、、、。
◆ガッカリ・その1
映画開始早々、中年女性エテロが初老男性ムルマンを誘うようにして始まるセックスシーンが展開されて、戸惑った。セックスシーンだから引いたのではなく、何というか、展開がちょっと唐突な印象を受けたから、、、。
いやね、、、私、本作の予告編を何度か見て面白そうかな、と思ったのだよね。チラシも見てはいたけど、あらすじは全然読んでいなかったのヨ。予告編だと、独身中年女性が、自律した意思の下に、自身の人生を豊かに生きている、、、みたいな印象だったから、そのつもりで見に行ったわけ。そしたら、いきなりオッサンとのセックスシーンで、ありぃ~~??となった次第。
しかもさ。コトが終わった後、エテロは自分の性器に触れ、血のついた指先を見て「48歳にして処女を失った、、、」みたいなことを感慨深げに呟くんだよね。……え、、、それって、エテロにとっては、男性経験の有無が重大事案ってことだったの? と感じられて、思いっきり出ばなをくじかれた気分になってしまったのだった、、、ごーん。
セックス経験の有無については、本作でもエテロがさんざん周囲の女たちから「男に愛されたことないなんて可哀相」といった文脈で揶揄されるのだが、エテロは「私は愛なんて言葉に騙されない!」とバッチリ反撃しており、それは私もまったく同感なので、心の中で拍手していた。
ただ、一応断っておくと、やはり女性にとって、セックス経験の有無は、残念ながら人格形成に多少なりとも影響はするというのが、私の経験上の持論(偏見ともいう)である。もちろん、ここでいうセックス経験というのは「売春系やワンナイト系のものは除く」で、性加害によるものは論外、という前提での話だが。この話は別の記事でも少し触れた気がするが、ちゃんと書くと長くなるので、ここでは割愛する。
とはいえ、この歳になって、私はセックスなんか別になくてもよかったな、、、とも正直感じているので、エテロが割と重めに自身の処女性について認識していた様子なのが、ちょっとガッカリだったってのはある。そんなものを超越した所に居てほしかったというか。
……結局は性愛ナシで女の人生は語れないってことになるみたいで、何かイヤなんだよな。
◆ガッカリ・その2
でもまあ、ムルマンとの真面目な不倫恋愛(?)は、不倫ではあっても見ていて微笑ましいし、ムルマンのエテロへの思いはどうやらホンモノっぽい。というか、本作では(というか、エテロにとってはと言っても良いだろう)、相手がムルマンであることの重要度は高くないし、そうであれば、ムルマンの本気度の価値も低くなる。
エテロはエテロで、ムルマンとの情事に溺れることもなく、それはそれで楽しみつつ自身を保っているので、終盤までは好意的に見ていたのだヨ。
特に、ムルマンが「誰も知らない所へ行って一緒に暮らそう。オレも働くし、君も掃除婦か何かで働けばいい!」と言って来たときに、「この歳で今さら誰かと一緒に暮らして掃除なんかしたくない! 私は私のやりたいことをやりたいようにやって生きていくんだ!」みたいに宣言したときは、素晴らしい!と思った。
ただ、あんだけしょっちゅうセックスしていて、避妊もしていなさそうだし、エテロは妊娠しないのか??と心配になっていた。
その後、パンツに黒い下り物が着いているのを発見して、子宮癌だと察したエテロ。……ここで、ちょっとイヤな予感がしたのだが、多分、杞憂だろうと思って見ていたら、その予感が当たってしまったのだった。
そう、エテロは、子宮癌ではなく、妊娠していたのであった、、、というオチ。めでたいけど、私は妊娠を話の重要なファクターで使うのは基本的に好きじゃないし、本作の場合、エテロは、女性が古い価値規範から解放された自由を体現する存在として描かれて来たのに、結局は妊娠に帰着って、女は産むか産まないかから解放されないみたいな終い方で消化不良というか、またまたガッカリだったのよね。
ラスト、胎児の超音波写真を見て号泣するエテロなんだが、この号泣の真意をどう捉えればよいのかが、正直分からない。まあ、私がエテロだったら、将来不安しかないので、不安の号泣になるだろうけど。実際、監督はどういうつもりだったのだろうか、、、。しかも、涙の後に、ちょっと笑みを浮かべる感じもあり、もしやこれは妊娠=ハッピー!ってことなわけ??? と、混乱した。
ジョージアの国内事情は知らないが、48歳で妊娠、しかもシングルマザーで育てるって、ほとんど無謀だと思うんだけど、どーなの?? それでも、幸せだと捉えなければいけないのか?
ちなみに、ネットで感想を拾い読みしたら、割とハッピーエンディングで捉えているものが多く、驚愕した。HPやパンフにも有名人のコメントがいくつか載っているが、特にこのオチに対するネガティブなコメントはなく(アタリマエかもだが)、パンフ内の監督インタビューでも言及はないし、コラムなどでも触れていない。
このラストこそ、本作において大問題だと思うのに、どうしてこうも受け止めが概ね幸せモードなのか? あのラストに違和感を唱えるコメントが一つや二つあっても良さそうなもんだけど。これも、ある種の同調圧力なのかねぇ?
中年での処女喪失といい、妊娠といい、女の自由な生き方を描くのにそんなにセックスや出産って大事なん???と声を大にして疑問を呈したい! 女自身が男以上に囚われ過ぎなんやないの?? そこからの解放を描いている映画だと思って見に行ったのになぁ。
ブラックベリージャムを作るシーンをもっと見たかった。
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