夕陽丘の地名について
天王寺地区西部の汎称地名だった
口縄坂にいく途中に・・・百済山 称念寺 角に
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命名の地と刻んである。夕陽岡となっている。
石碑
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★空蝉の 殻は何処に 朽ちぬとも 我魂やどる かた岡ぞこれ
藤原家隆 この句を詠んだ10日後に永眠
ネットで見てみた➡︎コピー
● 夕陽丘(ゆうひがおか)は、大阪府大阪市天王寺区西部の汎称地名であり、夕陽丘町を中心とした、上町台地西側の地域をさす。具体的には生玉町、生玉寺町、夕陽丘町、伶人町、逢阪(1丁目)、下寺町の地域一帯あたりを指し、「夕陽丘風致地区」に指定されており、緑風景が維持されている。広域的には東側の生玉前町、上汐(4~6丁目)、六万体町、南側の逢阪2丁目あたりも含まれる。
上町筋よりも東の上町台地東側(上本町、北山町、四天王寺、小宮町辺り)にも「夕陽丘」と名の付く施設は幾らか存在するが、これらの地区は夕陽丘地区には通常は含めない。
かつては夕日岡(ゆうひのおか)とも呼ばれていた。
●歴史的
1236年(嘉禎2年)に歌人・藤原家隆が、浄土教の教えである「日想観」を修するためにこの地に移り住んで終の地とし、住居として『夕陽庵』(せきようあん)を設けたことが夕陽丘の地名の由来とされる。また、家隆は
ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入り日をおがみつるかも
の歌を詠み残している。
かつては大阪湾に落ちる夕日を眺める絶好の地であり、大江神社、新清水寺、四天王寺西門辺りが有名だった。現在の夕陽丘町と六万体町には「天王寺寺町」、生玉町と生玉寺町には東側に「生玉中寺町」、西側に「生玉寺町」といった寺町が形成された。
●地理的には
上町台地の西側、北は千日前通、南は国道25号線(逢坂)、東は谷町筋、西は松屋町筋に囲まれている。前述の通り風致地区に指定されており、大学・高校も複数所在、神社・仏教寺院も多く、幹線道路から少し中に入ると概ね閑静な住宅街である。
天王寺七坂と呼ばれる七つの坂(真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂)は当地にある。
✳️口縄坂の謂れ
結構勾配があ
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こんな石標が
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夕陽丘女学校跡となっている
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★口縄坂は
天王寺区下寺町2丁目から夕陽丘町にかけて東西にのびている坂で、東側(夕陽丘町)の標高が高くなっており、途中は石畳の階段になっている。前後の道はそのまま西側は松屋町筋、東側は谷町筋(地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅付近)につながっている。
「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされている。
坂を上から見下ろす
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下から見上げる
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雰囲気のある石畳の道ですね〜〜
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口縄坂を降り切った寺院の日当たりの良い処に
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チョットほのぼのタイムでした!
夕陽丘一帯
天王寺地区西部の汎称地名だった
口縄坂にいく途中に・・・百済山 称念寺 角に
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命名の地と刻んである。夕陽岡となっている。
石碑
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★空蝉の 殻は何処に 朽ちぬとも 我魂やどる かた岡ぞこれ
藤原家隆 この句を詠んだ10日後に永眠
ネットで見てみた➡︎コピー
● 夕陽丘(ゆうひがおか)は、大阪府大阪市天王寺区西部の汎称地名であり、夕陽丘町を中心とした、上町台地西側の地域をさす。具体的には生玉町、生玉寺町、夕陽丘町、伶人町、逢阪(1丁目)、下寺町の地域一帯あたりを指し、「夕陽丘風致地区」に指定されており、緑風景が維持されている。広域的には東側の生玉前町、上汐(4~6丁目)、六万体町、南側の逢阪2丁目あたりも含まれる。
上町筋よりも東の上町台地東側(上本町、北山町、四天王寺、小宮町辺り)にも「夕陽丘」と名の付く施設は幾らか存在するが、これらの地区は夕陽丘地区には通常は含めない。
かつては夕日岡(ゆうひのおか)とも呼ばれていた。
●歴史的
1236年(嘉禎2年)に歌人・藤原家隆が、浄土教の教えである「日想観」を修するためにこの地に移り住んで終の地とし、住居として『夕陽庵』(せきようあん)を設けたことが夕陽丘の地名の由来とされる。また、家隆は
ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入り日をおがみつるかも
の歌を詠み残している。
かつては大阪湾に落ちる夕日を眺める絶好の地であり、大江神社、新清水寺、四天王寺西門辺りが有名だった。現在の夕陽丘町と六万体町には「天王寺寺町」、生玉町と生玉寺町には東側に「生玉中寺町」、西側に「生玉寺町」といった寺町が形成された。
●地理的には
上町台地の西側、北は千日前通、南は国道25号線(逢坂)、東は谷町筋、西は松屋町筋に囲まれている。前述の通り風致地区に指定されており、大学・高校も複数所在、神社・仏教寺院も多く、幹線道路から少し中に入ると概ね閑静な住宅街である。
天王寺七坂と呼ばれる七つの坂(真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂)は当地にある。
✳️口縄坂の謂れ
結構勾配があ
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こんな石標が
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夕陽丘女学校跡となっている
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★口縄坂は
天王寺区下寺町2丁目から夕陽丘町にかけて東西にのびている坂で、東側(夕陽丘町)の標高が高くなっており、途中は石畳の階段になっている。前後の道はそのまま西側は松屋町筋、東側は谷町筋(地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅付近)につながっている。
「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされている。
坂を上から見下ろす
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下から見上げる
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雰囲気のある石畳の道ですね〜〜
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口縄坂を降り切った寺院の日当たりの良い処に
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チョットほのぼのタイムでした!
夕陽丘一帯
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