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《本記事のポイント》
- 犯罪加害者の子供であるという十字架
- 善と悪の綱引きの中で生きる人生
- その人がそこにいてくれるだけでありがたいという存在
1997年に放送されたテレビドラマのほか、映画版も大ヒットを記録してきた人気警察ドラマ「踊る大捜査線」。同シリーズの中心人物のひとりで、柳葉敏郎が演じる室井慎次を主人公に描いた映画2部作の後編である。
警察を辞めて故郷の秋田に戻り、事件被害者・加害者家族の支援をしたいという思いから、タカとリクという2人の少年を引き取り、暮らしていた室井。
しかし、彼の家のそばで他殺死体が発見され、さらにかつて湾岸署を占拠した猟奇殺人犯・日向真奈美の娘だという少女・日向杏が現れたことから、穏やかな日常は徐々に変化していく。
挫折を抱えながら生きてきた室井が、罪滅ぼしに苦闘する果てに、人々の心の中で生き続ける"愛の記憶"となるまでが感動的に描かれている。
犯罪加害者の子供であるという十字架
本作の中心テーマの一つは、犯罪者の家族という十字架を背負って生きることになった子供たちの運命である。劇中では、様々な差別に遭遇し、理不尽な仕打ちのトラウマに子供たちが立ち向かう姿が描かれており、思わず涙せずにはいられない。
退職した刑事である室井は、引き取った子供たちに寄り添いながら、運命に流されることなく、まっすぐな道を歩むべきことを無言のうちに背中で示していく。
そこには、数多くの犯罪者を追い詰めながら味わってきた人間の弱さへの切実な思いが込められており、その悲哀を柳葉敏郎が全身全霊で演じている。
宗教的に見ると、今回の映画のように苛酷な親子の縁も、生まれる前に計画してきた人生の問題集であることが多いという。大川隆法・幸福の科学総裁は著書『地獄の法』の中で次のように指摘している。
「実存主義的な考えはほぼ間違いです。『偶然に投げ出されて、親を選べないで、こんなところに生まれた』という被害妄想になっている方もいるかもしれないけれども、生まれてくる先は知って生まれてきているので、もし困難なところを選んで生まれているなら、修行課題が何らかあるはずなのです。それは知ってほしいというふうに思います」
たとえどのような環境の中に生まれてきたとしても、人間は自らの意志と努力によって、自らの人生を形作ることができる。犯罪者を裁く警察官としての人生に終止符を打ち、子供たちの人生の再建のために生きることに喜びを見出していく室井は、この人生の真実を自らが体現しようと苦闘しているのだ。
善と悪の綱引きの中で生きる人生
この映画のもう一つの見所は、連続猟奇殺人事件の犯人の娘として生まれた杏(福本莉子)が、母親の呪縛に苦しみながら、室井の導きによって、"人生の舵"を自らの手に取り戻していく姿である。
杏は繰り返し母親から、「憎しむことこそが人生だ。害を加えられる前に、害を加えることこそが、正しい生き方なのだ」と教え込まれる。
そして母親の憎しみの対象である室井を苦しめるべく、室井のもとに送りこまれてきたことが次第に明らかにされる。
その邪悪ともいえる計画を真正面から受け止め、杏に正しい道を歩ませようと向き合う室井の姿が実に感動的だ。
室井には、もはや守るべき地位も肩書きも残されてはいない。彼の胸中にあるのは、かつて自分が犯してきた様々な過ちを償いたいという純粋な贖罪の心だけなのだ。
その無私無我な室井の心に触れ、杏が徐々に正気を取り戻していく姿は、様々な犯罪に手を染める若者たちが相次いでいる昨今、とても清々しい気持ちにさせられる。
その人がそこにいてくれるだけでありがたいという存在
映画のラストでは、室井と関わりのあった人々が、心にその姿を思い浮かべ、自らの人生を悔い改め、軌道修正し、それぞれに自らの信じる道を歩んでいく様が描かれている。
それは、室井慎次という地味で寡黙な存在が、人々にとってかけがえのない"心の拠り所"だったということの証明でもあろう。
こうした、存在そのものが愛であるかのような精神的境地を「存在の愛」と呼ぶが、この境地について、大川隆法総裁は著書『成功の法』の中で次のように語っている。
「『その人が、このようなことをしたから、愛なのだ。愛を与えたのだ』ということではなく、その人が同時代にいてくれるだけで愛となるような境地です。そういう、愛の権化、愛の象徴のようになっていく境地、愛の塊となっていく境地があるのです」
このような「存在の愛」は、如来や救世主と呼ばれる偉人の境地だとされているが、「それぞれの人が、小さな社会において、小さな家庭において、存在の愛となることは可能」であるとして、大川総裁は次のように指摘している。
「『ほんとうに、いてくれるだけでありがたい。よくぞ、こんな人がいてくれたものだ』『この人と出会えてよかった』『この人と一緒に生活ができてよかった』『この人と一緒に仕事ができてよかった』というように、狭い意味であっても、『存在の愛』という段階はありうると言えましょう。私は、みなさんに、この『存在の愛』という姿にまでなっていただきたいと思います」(同書より)
人々の心の中で生き続ける"愛の記憶"へと昇華していく、室井慎次の魂の苦闘を描いた本作品は、正しさを求めて生きていく一途な信念そのものが、大きな恵みと導きとなって、後々まで引き継がれていくのだという真実に改めて気づかせてくれる。