日本史に遺るUFO・宇宙人の痕跡――土偶、古事記、江戸の文献
2018.09.25(liverty web)
日本史に遺るUFO・宇宙人の痕跡――土偶、古事記、江戸の文献
《本記事のポイント》
- 遮光器土偶は「宇宙人の目撃情報」!?
- 「古事記」に出てくる神が乗るUFO!?
- 江戸時代のUFO目撃情報とアブダクション体験談
劇場版アニメ映画「宇宙の法―黎明編―」(製作総指揮・原案は大川隆法・幸福の科学総裁)
が10月12日に日米同時公開となる。
主人公は、それぞれの夢を追いながら学生生活を送る5人の大学生。しかし彼らには、「宇宙人の侵略を防ぐ」というもう1つの顔があった。そんなある時、仲間の1人が消息を絶つ。残された4人はその行方を捜し、3億3千年前の地球にタイムジャンプする――。
本作は、「人類の誕生と宇宙人との関わり」という壮大なテーマを描く。
「宇宙人が人類の歴史に深く関わっている」という説は、昔からしばしば唱えられてきた。世界中にその痕跡らしきものがあり、ナスカの地上絵などは有名だ。
そんなUFO・宇宙人の痕跡だが、実はこの日本にも数多く存在している。
(1) 遮光器土偶は「宇宙人の目撃情報」!?
遮光器土偶(Wikipediaより)
日本各地に遺る縄文時代の土偶。中でも、ひときわ異様な姿で有名なのが、青森県亀ヶ岡で発掘された遮光器土偶だ。三戸郡南部村小向、弘前市十腰内遺跡からも、似たような岩偶が見つかっている。
この大きな目や、縄文人とは思えない不思議な服装は、何をモチーフにしたものなのか。謎は多い。
しかし1968年、スイスの実業家であるエーリッヒ・フォン・デニケンは、この遮光器土偶を、宇宙人をかたどったものとして紹介している。確かに大きなアーモンド型の目は、目撃情報の相次ぐグレイ型宇宙人を彷彿とさせ、その服装は宇宙服のようだ。
その風貌の意味を、象徴学などを駆使して無理やり説明するより、「そういうものを見た」と考えた方がシンプルかもしれない。
(2) 「古事記」に出てくる神が乗るUFO!?
時系列的には有史以前を描いている「古事記」の神代篇。そこには、「天鳥船」という神でもあり飛行船でもある存在が登場し、他の神を乗せて飛行している。この「天鳥船」に関しても、「UFOではないか」とする説は昔から絶えない。
「空飛ぶ船なんて、空想の産物」と考える人もいるだろうが、そうとも言い切れない。
「古事記」の時代よりも、さらに前の歴史を記したとされる「竹内文書」という古文書がある。一般的には「偽書」とされるが、古いものであるのは確かだ。そこに、こんな記述がある。
「天皇が天空浮船に乗って、登り行く(到着した)ところを『羽根』と名づける」
この記述を頼りに、全国の「羽根」という地名を探ってみると、驚くべき事実が浮かび上がるという。
石川県の「羽根」、富山県の「呉羽山」「羽根」「小羽」、岐阜県荻原町の「羽根」、愛知県岡崎市の「羽根」……。これらの地点を線で結ぶと、日本海側から太平洋側までを貫く、真っ直ぐな直線になるのだ。
それだけではない。その直線は、東経137度11度に沿った、きれいな南北の線になっている。
世界や国内にも、遺跡が“東西"に並ぶ「レイライン」と呼ばれるものは存在する。ただ、「東西のライン」であれば、まだ太陽や星を使った方角の測定で、引けないこともない(それでも高度な技術だが)。
しかし、「南北のライン」となるとわけが違う。太陽や星から方角を測定するのとは別に、時間を正確に計る技術が必要となる。精密な時計が開発されたのは18世紀。人類が経度を正確に計る技術を得たのは、それからだと言われてきた。
もしこの「羽根ライン」が意図的に引かれたとすれば、近代以降に開発された高度な技術が超古代に存在したか、「空から日本列島を見下ろせるUFO」がいた可能性もある。
(3) 江戸時代に目撃された「うつろ舟」はUFO?
詳細に描かれた「うつろ舟」の絵。
江戸時代には、UFOの目撃情報も存在する。
享和3(1803)年、現在の茨城県である常陸国に奇妙な舟が流れ着き、江戸っ子たちを驚かせた。その目撃談を記した資料が、「南総里見八犬伝」の作者で知られる滝沢馬琴の随筆集をはじめ、約10件も存在する。
いわゆる「うつろ舟」と呼ばれるこの舟は、直径5メートル、高さ3メートルで、上部に窓がついている。そこには若い女性が乗っており、背丈は180センチもあり、顔は青白く、眉毛と髪が赤黒いという。
史料の多くには舟の詳細な絵も描かれているが、どう見ても、近年も目撃されているUFOそのものなのだ。
ただ、それらの史料に書かれていた目撃場所がどれも実在しなかった。そのため、「異国への恐れが生み出した創作ではないか」とも言われていた。
しかし2014年、忍者の情報収集の記録として残された紙に、同様の話が記されているのが発見された。そしてそこに書かれた目撃場所が、伊能忠敬が作製した地図に書かれた実在の地名と一致したのだ。その場所はちょうど、神栖市波崎舎利浜にあたる。
それでもこの伝説、妄想と言い切れるだろうか。
(4) 江戸時代の「アブダクション体験」!?
「仙境異聞」を記した平田篤胤(Wikipediaより)
「宇宙人に連れ去られた」という「アブダクション」の体験談は国内外でも数多い。懐疑派からすれば、「そういうテレビばかり見ているから、同じような夢をみる」くらいにしか思えないかもしれない。
しかし江戸時代にも、どう見てもアブダクション体験談と思われる文献が存在する。国学者の平田篤胤が著した『仙境異聞』に記された、天狗のもとで修行をしてきたという寅吉少年の体験談だ。
その中にある「小さな壷に入って山に連れていかれる」といった証言などは、まさにUFOによるアブダクションそのものだ。
さらに寅吉少年が、天狗に連れられて宇宙を探訪する体験談もある。その内容は、江戸時代に分かりえるはずのないものばかりだ。
例えば寅吉少年は、天狗と共に空に上る時に「耳が『グン』と鳴るのを感じる」と語っている。これも、ジェット機で離陸するときに気圧で耳がつまる現象を彷彿とさせる。「『グン』と鳴る」となれば、相当のスピードで上昇したということか。
また「非常に高く昇ると、雨が降ったり風が吹いたりすることもなく、天気はたいへん穏やか」という証言もある。これは、雲の上に出た時の風景そのものだ。
また「(世界には)須弥山という山があると書物には記されていますが、実際はない(中略)この大地は丸いものだろうと思われます」という証言もある。地球が球体であることを、江戸時代に一少年が喝破しているのだ。
また寅吉少年は月にも近づき、「俗に“兎が餅を搗いている"というところには、二つ三つ穴があいていました」と証言している。これも、クレーターのことを語っているようだ。
また他の星にも行った体験談もあり、「近くに寄るほど大きくぼうっとした気に見え、その中を通り抜けた(中略)星は気が凝結したものかと思われました」と語られている。星の多くが、水素やヘリウムなどのガスで構成されていることが分かったのは、ずっと後世になってからだ。
こうした証言も、果たして単なる妄想・偶然なのだろうか。
高度な天文学もなく、UFO・宇宙人のイメージを普及させる「UFO番組」も存在しない。そんな時代に、現在も目撃されるUFO・宇宙人の姿や、高度な航行技術がなければ分からないような情報が記録されていることは、そうした存在の信憑性を高めることになるのではないか。
戦後になって有名になったように言われるUFOだが、人類は太古の昔から、UFO・宇宙人を知っていたのかもしれない。(馬場光太郎)
【関連サイト】
映画『宇宙の法―黎明編―』 予告編
映画「宇宙の法―黎明編―」公式サイト
http://laws-of-universe.hspicturesstudio.jp/