日本全体が"アイヒマン"!? : 神の愛の在り処を求める人々が新たな"第三帝国"の暴走を止める
2020.12.20(liverty web)
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《本記事のポイント》
- 監視技術の提供は、ナチス第三帝国時代の密告者と同じ
- 旧ソ連でプロパガンダに言いくるめられなかった人々を守ったものとは
- 神の愛の在り処を探究する人々が新たな"第三帝国"の暴走を止める
香港で周庭(アグネス・チョウ)氏や黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏、リンゴ日報の黎智英(ジミー・ライ)氏が香港国家安全維持法違反の罪で逮捕された。それに対して明確な言葉で非難をしたのは、アメリカなどの政府高官に限られていた。
歴史と重ね合わせてみると、彼らの逮捕はナチス・ドイツがアウシュビッツという強制収容所で大量殺戮を行う前段階にあった「水晶の夜事件」に匹敵するかもしれない。
この事件は1938年11月、パリ駐在のドイツ大使館員が17歳のユダヤ人によって殺害されたことをきっかけに、ドイツ全土にあるほとんどのシナゴーグとユダヤ人商店が焼き討ちに遭ったというものである。この"暴動"と、ホロコーストという歴史的虐殺までは、一直線につながっていた。
罪をねつ造してでも、「見せしめ」として活動家らを逮捕する中国。そこに世界中から非難が集まらなければ、中国は、次はどこまで踏み込んでいけるかを試し続けることになる。香港での暴挙は一直線に台湾、尖閣、沖縄の侵略につながるかもしれない。
監視技術の提供は、ナチス第三帝国時代の密告者と同じ
香港などで起きている悲劇を黙認し、傍観することは、中国をエスカレートさせるという意味で「加担」に等しい。
12年間続いた第三帝国の支配は、市民の加担なくして可能とはならなかった。数多くの市民がユダヤ人家族や障碍者たちの居場所を密告したために、彼らは拘束され殺害された。ユダヤ人を殺害する任務を負った特殊部隊のアインザッツグルッペン以上に、普通の警察官が協力したために、あれだけの数のユダヤ人が殺害されたのである。
現代において、企業が監視技術などの最先端技術を提供したりすることも、当時の「密告者」と同じ役割を果たすことになるため、悪への加担にほかならない。そのことを思うと、中国で収益を上げようとする日本企業、なかでもソニーのように監視カメラの技術が新疆ウイグル自治区の監視に使われているケースなどは看過できない。
また政策が後手に回り輸出規制が十分でないために、日本の大学や研究機関の技術が中国に流出したり、留学生の持ち帰る技術が中国市民の弾圧に使われたりすることになれば、それもまた現代の"第三帝国"の存続に力を貸していることになる。
旧ソ連でプロパガンダに言いくるめられなかった人々を守ったものとは
そうした人々は、政治哲学者のハンナ・アレントが「何も考えることができなかった」と評した官僚のアイヒマンと、程度の違いはあれども同類になっている。
では知らず知らずのうちに全体主義国家に加担する現代のアイヒマンが生まれるのを防ぐには何が必要なのか。
アメリカで宗教的自由のために戦うある弁護士の発言が参考になる。ケリー・シャケルフォード氏は、信教の自由権を保護するための訴訟を専門とする法律事務所(First Liberty Institute)のプレジデントで、この種の訴訟に31年間携わってきた人物である。
同氏は12月8日付エポック・タイムズ紙に掲載されたインタビューの中で、次のように述べて信教の自由の大切さについて語った。
「アメリカ建国の父は、宗教的自由の条項を修正憲法第1条にすえました。この修正条項は『第一の自由』と呼ばれていますが、それには理由があります。彼らは、宗教的自由を失えば他のすべての自由が失われると理解していたからです。
全体主義的国家は、政府より高い権威にある者に忠誠を誓うことを国民に許しません。でももし神を尊崇し、死後に起きることを話せなくなったり、どのような人生を生きるべきかについて語ることができなくなったりしたら、政治家を批判できなくなるのは時間の問題です。
私が講演でお話をすると、スピーチ後に、チェコスロバキアやルーマニアなどの方々が来て『私の国では十字架などの宗教的なシンボルが取り去られた後に、政治的自由がすべて失われてしまったのです』と語ってくださることが多くあります。
こうした人々は進んで私たちの活動に寄付を申し出てくれました。彼らは宗教的だからというよりも、宗教的自由を失うとすべての自由を失ってしまうということを理解しているからです。
旧ソ連で革命家として立ち上がった人々は、ソルジェニーツィン氏などに代表されるように、宗教的な人々でした。彼らがプロパガンダに洗脳されなかったのは、忠誠を誓う対象が政府ではなく神であり、政府の行う邪悪なことを『善いこと』だと言うことができなかったからです。
宗教的自由が豊かに存在する時には、政府が抑圧的体制に陥らないことを建国の父たちは知っていたので、アメリカの修正憲法の最初に信教の自由が定められたのです」
「『神の似姿』として創られた中国国民を無視できません」
そんな精神に基づいて建国されたアメリカでは、現在もその精神を受け継いでいる政府高官がいる。例えば、マイク・ポンペオ国務長官やサム・ブラウンバック宗教自由大使などは、中国に信教の自由を守らせるべきだと、積極的に提言している。
2020年7月に行われた"反中"スピーチの質疑応答で、司会者が「米外交問題評議会のリチャード・ハース氏はポンペオ長官の中国への対応を見ていると、中国共産党政府と国民との二つが存在するかのようで、そのやり方は失敗する外交のやり方に見えると疑念を呈しています」と水を向けると、ポンペオ氏はこう語った。
「私は、中国が一党独裁国家で、中国共産党と対話しなければならないということはわきまえています。しかし中国の国民は、神の似姿として創られ、自由な思考ができる理性が備わった人間です。彼らの声を無視するアプローチは、間違ったものだと思いますし、私たち自身のことも中国国民のことも、不名誉に扱うことになると考えます」
要するに中国国民の中にも、旧ソ連の反体制派のように、邪悪なものを善なるものだと言いくるめることができない人々がいるはずである。そんな「神の似姿」として創られた人々を、国際政治の場で正当に扱うことが、国家として進むべき道であると言ったのである。
ポンペオ氏は国務長官として中国の問題を指摘し、矢継ぎ早に政策を打ち続けているが、「宗教的自由こそ自由の基だ」と理解しているからこそ、宥和的な態度ではなく、決然とした姿勢を崩さずにいられるのであろう。海の向こうだからといって、香港やウイグルなどの人権弾圧に対して、思考停止する日本の"アイヒマン"たちとは対照的だ。
為政者や国民が、信教の自由の重要性を理解していない国では、迎合、妥協、日和見、不正行為への沈黙、無関心、弾圧への間接的加担などが日常茶飯事となる。
神の愛の在り処を探究する人々が新たな"第三帝国"の暴走を止める
古代ギリシアの哲学者プラトンは、イデア(理想)を見ることができない人は政治家にはふさわしくないと考えた。つまり善悪・正邪・美醜を区別できない者は、理想とは何かが分からない故に、政治を任せても、人々を導けないと考えたのである。
宗教的に言えば、神を信じる人々のように、神の愛や、その理想を探究することができなければ、鉄のカーテンの向こう側で閉じ込められている同胞たちに同悲同苦の気持ちを持つことができないということになる。大川隆法・幸福の科学総裁が著書『自由の革命』で述べたように、全体主義とは「人々を愛する神仏の心を無視した国家の暴走」なのだから、神仏の愛の在り処が分からなければ、その暴走は止められない。むしろポンペオ氏のように、それを感じ取ることのできる政治家こそが、全体主義との対決において求められている。
第三帝国時代のおぞましい虐殺は、全世界がその悪事を知り、さまざまな形で圧力をかけ続けていたら、起きずに済んだかもしれない。
現在もまた、当時と同じかそれ以上の邪悪さが世界を覆い始めている。100年後の歴史の教科書をもし読む機会があったとしたら、私たちの誰もが、「あの時、あの瞬間、歴史の歯車を変えることができたらどれだけよかったのに」と、後悔する──そんな時代に突入しつつある。
だからこそもう一度、考えてみたい。どうしたら日本が国として、アイヒマンにならなくて済むのか、を。今、悪を前にして沈黙し無意識に加担し、未来世において後悔する前に。
(長華子)
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