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《本記事のポイント》
- 青春時代を輝かせる純粋な友情の尊さ
- ひたむきに打ち込む努力の大切さ
- 社会を成り立たせている人々の努力の集積
本作品は、愛媛県松山市の美しい海を舞台にボート競技にかける女子高校生たちの友情と汗を通じて、努力する生き方の尊さを描いた清々しい青春映画。敷村良子による同名小説をアニメーション映画化。過去にも1998年に実写映画化されてロングランを遂げ、2005年にもテレビドラマ化されている。
学校をあげてボートのクラスマッチを行っている三津東高校。誰もが全力で競技に挑むなか、2年生の村上悦子はひとり冷めた表情だ。才能もないのに頑張ったって仕方ない……そう気づいてからの悦子は、勝負をあきらめてばかりいる。
そんなある日、悦子のクラスに高橋梨衣奈という転入生がやってきた。クラスマッチのボートに感動した梨衣奈は、悦子と幼なじみの佐伯姫を巻き込み、廃部状態だったボート部の復活に奔走する。
同学年の兵頭妙子と井本真優美が入部し5人になると、名義貸しのつもりだった悦子も渋々、初の大会に出場することに。だが、試合当日、理想と現実の差に打ちのめされてしまった。
全員がゴールをあきらめかけた瞬間、悦子がオールを再び握りしめる。「私、もっと上手くなりたい」という悦子の言葉で、5人の気持ちは一つになり、練習に明け暮れる青春の日々が幕を開けていく。
青春時代を輝かせる純粋な友情の尊さ
本作の見所の一つは、やる気のない怠惰な日々を過ごしていた悦子が、仲間たちとの友情によって、真剣にボートに打ち込む日々へと生き方を変えていくところだ。
青春期には、ある友人との出会いによって人生が大きく変わることがある。このことについて、大川隆法総裁は著書『勇気の法』の中で次のように指摘している。
「二千六百年前に釈迦は、『愚かな人を友とするな』『悪い友と交わってはならない』ということを繰り返し説いています。そして、『愚かな人、悪い友と一緒にいるぐらいなら、犀の角の如く、ただ独り歩め』『自分より優れた人を友とせよ。真理の道を歩む者を友とせよ。そのような友を得ることができなければ、犀の角の如く、ただ独り歩め』ということを、よく語っています」
昨今では、闇バイトなどで人生を台無しにする若者が相次いでいる。これなどは“悪い友"と交わって人生を狂わせた典型だろう。
かけがえのない友人とともに情熱をかけて打ち込むことで、共に向上の道を歩み、協力して一つのことを成し遂げる充実感や爽快感を味わうことは青春の特権の一つだろう。その醍醐味を描いた本作は、改めて真実の友情の大切さを思い出させてくれる。
ひたむきに打ち込む努力の大切さ
主人公の悦子はボートの練習に打ち込みながらも、自分の体力不足の自覚をきっかけに、「こんなことをして何になるのか」という迷いに囚われ、部活に出ることができなくなるところまで追い詰められていく。
誰しも、遊びや娯楽への欲望を抑え、勉学やスポーツに情熱をかけて打ち込むことに疑問を感じたり、「ばかばかしい、何になるのか」と感じた経験は一度ならずあるのではないだろうか。
この「努力すること」の意味について、大川総裁は著書『青春の原点』のなかで次のように指摘している。
「『将来のために何かを蓄える。将来のために努力する』という考え方 は、やはり、霊的な考え方の第一歩なのです。これができるかどうかが分かれ目です。こういう考え方ができない人は、この世限りの人生、この世のみで完全燃焼する人生、『この世で楽しまなくて、どうするか』という考え方のほうに、やはり染まっていくでしょう。ただし、これは、堕落につながっていく考え方であることを知らなくてはなりません。そういう人が増えれば増えるほど、世の中は、堕落に満ち、悪くなっていきます。『自分一人ならよいだろう』と思っても、同じような仲間が増えてくると、世の中はもっとひどくなっていくのです」
たとえ直接的に得られるものが少なかったとしても、ひたむきに努力する姿は、やはり美しい。それは、魂が輝いている姿であろうし、その輝きは見る者を感動させ、一途に向上することの大切さを改めて教えてくれる。
青春映画というジャンルの素晴らしさは、このひたむきに努力することの美しさを描くところにもあるだろうし、本作はその典型的な作品の一つと言ってもよいだろう。
社会を成り立たせている人々の努力の集積
本作で描かれているボート競技の醍醐味は、漕ぎ手が一体となり、心を合わせて全力を振り絞ることで、高い速力を生み出すところにある。主人公の悦子も、チーム5人が一体になればなるほど、ボートがまるで生き物のように力を得て、スピードを増していくところに惹かれていく。
団体競技に特有な、チームワークの生み出す素晴らしい躍動の経験は、その後の人生でも、社会への貢献や、そのための勤勉さの基礎となるものと言えるだろう。
大川総裁は、著書『青春の原点』に収録された法話「努力の意味」のなかで、「多くの人の努力を通して、自分の現在ただいまの生活が成り立っている」ことに関して次のように指摘している。
「『自分が一日を生きるために、いったい、どれだけの人の手がかかっているか』と、根本から考えると、おそらく、万の単位を遥かに超える人たちの力が加わっているはずです。それだけ大勢の人の努力と汗があって、きょう一日、自分が生かされているはずなのです。『自分の力で生きている』と思っている人もいるでしょうが、自分一人でできることは、ほんとうに少ないのです。『他の人の力とまったく関係なく、1日を生きてごらんなさい』と言われたら、とても生きられるものではありません」
実際に仲間との努力を通じて、自分一人では成し遂げられない物事に挑戦した経験は、人々の努力によって社会が成り立っているという真実を理解するための、かけがえのない実体験ともなるだろう。
山と海に囲まれた愛媛県松山市の美しい自然のなかで、仲間との友情をはぐくみ、共に向上しつつ、協力して大きく成長しようと挑戦するひたむきな女子高校生たちを描いた本作は、今、青春のただ中にある人たちにとって、改めて友情と努力の意味とは何かを考えるヒントとなるのではないだろうか。