昨日、本日の新聞やテレビの番組は元号が変わることに関する番組ばかりである。これほど見事に同じ目線で番組や紙面が編成されているとは不思議なことと思う。
敗戦を迎えたとき、これほどまでの「天皇制の大衆への浸透」を誰が予想しただろうか。
「天皇制」を存続させようと判断した連合国でさえこれは予想がつかなかったのではないだろうか。その意味でも連合国がわが国に突きつけた終戦の条件、すなわち天皇を戦犯として扱わないと言う方針と「平和憲法」を日本の国是としたことは今の日本を見ればその選択が誤りでなかったことが見て取れる。
令和に移行することを祝うイベントが各地で行われているのだが、その中には大阪での道頓堀へのダイビングがあったことが報道されていた。これは単なる「馬鹿騒ぎ」なのだが、眉をひそめる前に「お祝いには馬鹿騒ぎは付き物」と考えれば納得も行く。
いずれ「祭りのあと」の静けさがやってくる。そのときの静けさの中で何が変わらなかったのかを考える思慮を私たちは持ち合わせているだろうか。
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