昨日(2月11日)は「建国記念の日」という国民の祝日であった。この記念日は「国民の祝日に関する法律」により定められている16日ある祝日の一つである。「建国記念の日」はかっては紀元節と言った。紀元節は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた戦前の祝日であった。
以前にはこの祝日を記念する行事のニュースが必ず報道されていたように思うが、近年ではその報道に接することがないように感じられる。建国を記念する「保守派」の方々が記念集会を開いたり、右翼の方々が街宣車などで活動している報道に接することがあった。しかし、お隣の国の春節の人出のニュースがあっても日本の「建国記念の日」のニュースがないのはどうしたことかと思ってしまう。
そもそも「建国を記念する」行事が少なくなったのか、あるいは「建国を記念する」こと自体の意味が薄らいでしまい、ニュースとして価値の低いものになってしまったのか。そのいづれであるのかはわからない。しかし全国各地にある著名な神社では「建国記念の日」にちなんだ祭祀が行われているらしい。
さて、大概の国には建国の日を祝う日がある。一例を挙げれば、アメリカでは7月4日がイギリスから独立を果たした「独立記念日」なのでこの日が建国記念日となっている。
<閑話休題>
映画監督のオリバー・ストーンは『7月4日に生まれて』という作品を作った。これは7月4日に生まれたアメリカ人の青年が愛国心にかられベトナム戦争に参戦し、その後ベトナム帰還兵としてアメリカという国とどう関わったのかを問うている作品である。
さて、アメリカの「建国記念日」が独立を果たしたという歴史的事実に基づいているのに対して我が国の「建国の日」は「神武天皇の即位日」という神話がその基礎にある。古事記や日本書紀に書かれている「国産み神話」や「国譲り神話」は神話なので事実ではないとされる。しかしその神話の中の論理は日本国家にとっては大きな問題になることがあった。明治政府は近代国家創生の過程で「神話」の中の論理を国家の基底に据えたのである。すなわち、神武天皇の正当な後継者として天皇を国家の礎に奉ったのである。明治政府のこの政策は単なる政策にとどまらず、その後の日本国家を「神国日本」として昇華させる働きをした。「神国日本」が日本国民に強いた所業につてここでは詳しくは述べないが、「紀元節」が一つの働きをしていたことは否めないことであろう。
先にも述べたように「建国記念の日」は昨今では単なる休日に過ぎない位置しか与えられていないようだが、その昔は国の創設に関わる重要な日であったのである。かっての「紀元節」にちなみ、こんなことを考えてみたのである。
表題の画像はこれにちなみ私が最近読んでいる書籍である。明治政府は伊勢派の神道を「国家神道」としたが、神道のもうひとつの勢力「出雲派」とのせめぎ合いはなかなか面白い。特に平田篤胤が確立した「平田神学」は注目に値する。私の高校の校歌に次の一節がある。『篤胤信淵、ふたつの巨霊、生まれし〇〇の土こそ薫れ (以下略)』
神道は戦後では忘れ去れれた感があるが、日本国民が元旦に「初詣」に出かけることなどを見ても、なかなか侮れないものがあると感じているのである。
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