先日の記事の続きです。
前回投稿したものより、今回はもう少し内容に立ち入ってみたいと思います。
まずはこの戯曲の簡単なあらすじから紹介しましょう。
登場人物は以下の3人です。
フィンランド人の原子物理学者ニールス・ボーア、彼の妻のマルグレーテ、ボーアのかっての門下生であったドイツの原子物理学者のハイゼンベルク、の3人です。
時は1941年、場所はフィンランドの首都のコペンハーゲンに在ったニールス・ボーアの邸宅です。
1941年頃と言えばヨーロッパではナチスドイツが近隣諸国に侵略してファシズムの嵐が吹き荒れていたころです。
ナチスドイツの監視下に置かれていたボーアのもとへ、かっての弟子のハイゼンベルクが訪ねてきます。その時はボーアはナチスの監視下に置かれている身、そしてハイゼンベルクはナチスの庇護のもとで原子物理学を研究している立場でした。
ハイゼンベルクがボーアを訪ねたのは何が目的であったのか?そしてボーアとハイゼンベルクがコペンハーゲンで交わした会話とはいったいどのような内容だったのか?
図らずも敵と味方に分かれてしまっている師と弟子が交わした会話は何を意味するのか?
戯曲はその謎に迫ろうと進められて行きます。時間の設定は1941年なのですが、登場人物の3人はすでに死んでしまっているという設定で、彼らの時代の後の事象は彼らにはわかっているということになっています。
即ち、アメリカが原子爆弾の開発に成功して、実際にヒロシマとナガサキにそれが投下されて甚大な死者がでたことをこの3人は理解しているのです。
それらの内容が背景にあって、この会話劇は進行していきます。
ウラン235の原子核が分裂するときに膨大なエネルギーが放出されるという原理を研究していたハイゼンベルクはそれを兵器に応用した爆弾、即ち原子爆弾の製造原理を研究していたものと考えられます。
ドイツ国家に敵対していたボーアは連合国側の陣営に身を置く研究者でしたが、やはり連合国の原爆の開発に協力していたものと考えられます。
原子爆弾の開発の端緒となる両陣営の原子物理学者が二人で会って、いったい何を話題にして、どんな腹の探り合いをしたのか?
劇はその過程を、3人の会話の中から探り出そうとしていきます。
劇の中で二人の学者によって交わされる難解な原子物理学や量子力学の用語や、それらを考察してゆく両雄の思惟の変化が途切れなく推移していきます。
まったくもって難解な戯曲です。
ここまでこの戯曲についての感想を書いてきましたが、疲れてきました。
この続きはいずれまた、という事にしたいと思います。
前回投稿したものより、今回はもう少し内容に立ち入ってみたいと思います。
まずはこの戯曲の簡単なあらすじから紹介しましょう。
登場人物は以下の3人です。
フィンランド人の原子物理学者ニールス・ボーア、彼の妻のマルグレーテ、ボーアのかっての門下生であったドイツの原子物理学者のハイゼンベルク、の3人です。
時は1941年、場所はフィンランドの首都のコペンハーゲンに在ったニールス・ボーアの邸宅です。
1941年頃と言えばヨーロッパではナチスドイツが近隣諸国に侵略してファシズムの嵐が吹き荒れていたころです。
ナチスドイツの監視下に置かれていたボーアのもとへ、かっての弟子のハイゼンベルクが訪ねてきます。その時はボーアはナチスの監視下に置かれている身、そしてハイゼンベルクはナチスの庇護のもとで原子物理学を研究している立場でした。
ハイゼンベルクがボーアを訪ねたのは何が目的であったのか?そしてボーアとハイゼンベルクがコペンハーゲンで交わした会話とはいったいどのような内容だったのか?
図らずも敵と味方に分かれてしまっている師と弟子が交わした会話は何を意味するのか?
戯曲はその謎に迫ろうと進められて行きます。時間の設定は1941年なのですが、登場人物の3人はすでに死んでしまっているという設定で、彼らの時代の後の事象は彼らにはわかっているということになっています。
即ち、アメリカが原子爆弾の開発に成功して、実際にヒロシマとナガサキにそれが投下されて甚大な死者がでたことをこの3人は理解しているのです。
それらの内容が背景にあって、この会話劇は進行していきます。
ウラン235の原子核が分裂するときに膨大なエネルギーが放出されるという原理を研究していたハイゼンベルクはそれを兵器に応用した爆弾、即ち原子爆弾の製造原理を研究していたものと考えられます。
ドイツ国家に敵対していたボーアは連合国側の陣営に身を置く研究者でしたが、やはり連合国の原爆の開発に協力していたものと考えられます。
原子爆弾の開発の端緒となる両陣営の原子物理学者が二人で会って、いったい何を話題にして、どんな腹の探り合いをしたのか?
劇はその過程を、3人の会話の中から探り出そうとしていきます。
劇の中で二人の学者によって交わされる難解な原子物理学や量子力学の用語や、それらを考察してゆく両雄の思惟の変化が途切れなく推移していきます。
まったくもって難解な戯曲です。
ここまでこの戯曲についての感想を書いてきましたが、疲れてきました。
この続きはいずれまた、という事にしたいと思います。
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