前回に引き続きます。今回は横手市にある某氏の住宅の門と「湯沢酒造会館、四同舎」の内外をもう少し紹介しましょう。
横手興生病院の近くに、やはり白井晟一氏の設計の個人住宅があります。
これがその門の建物です。
屋根に注目してみましょう。屋根は銅板葺きでその妻側は普通であれば平板な破風なのですが、この建物の妻側は丸みを帯びた破風となっています。こんなところにも白井晟一のこだわりを見ることが出来ます。
さて、私たちが次に向かったのは湯沢市秋ノ宮にある「稲住温泉」です。
ここは今はリニューアル工事のさなかで、現場内には立ち入ることは出来ませんでした。それでも敷地の外からは工事中であることが確認できました。次の写真です。
稲住温泉 浮雲です。ここの外壁も張り替えられベランダも元のように復元が完了しておりました。
工事は今年中に終えそうなので、来春のオープンが待ち望まれるところです。
さて、先日紹介した「湯沢酒造会館」について、もう少し紹介したい部分があります。
玄関ホールは吹き抜けになっておりそこの階段の踏板については前回述べましたが、きょうは階段の手すりの件です。
手すりの材質は木材でした。しかもそれは集成材だったのです。
今でこそ集成材は一般に使われていますが、当時に集成材を造るという発想はどの建築にもなかったように思います。
今でこそ手すりの塗装がところどころ剥げ落ち、その材質が集成材であることは注意を凝らせば見て取れますが、当時にすれば画期的なものであったに違いありません。
1回の玄関ホールの奥には畳敷きの和室があります。
この部屋の正面奥の左側には上部が丸くくり抜かれた出入り口が見えます。
この出入り口の奥は水屋となっていて、この部屋で宴会などや会合があった時には隣の水屋からお酒などを運ぶようなっていたとの事です。
この部屋で特徴的なのは、和室に見かける床の間がない事です。
その代わり左右の鴨居をつなぐ丸い柱状のものがあります。
白井氏は、この横長の丸い柱状のものの奥側を床の間と見立てたのかもしれないと感じました。
格式ばった床の間を白井氏はあえて設けなかった設計と考えれば、白井氏の建物に対する哲学を感じることが出来ます。
それともう一つ紹介しておきましょう。次のものです。
煙突の上部に注目していただきます。
丸い穴が見えますね。煙抜きの穴です。
こんなところにも意匠として丸穴を付けるとは、いかにも白井晟一らしい遊び心が感じられました。
これは一階の窓の部分です。丸い穴の開いた面格子の上には雨除けを兼ねた庇状の物があります。
なんとこの庇は天然の御影石でした。しかもその仕上げは墓石のような磨きではなくザラザラしております。
前回の「横手興生病院」の回でも触れましたように、ここにも白井氏特有の意匠が見られます。
追記
この建物は外壁はタイル張りでした。普通はタイルの表面は汚れを防ぐなどの目的のため、滑らかになっているのですがここのタイルは平滑さがないのです。
階段室の吹き抜けにも外壁と同じタイルが使われています。
ここを案内してくれました地元のS氏によると、タイルの見える面にが均一性がない事を指摘され、もしかしてわざと裏表を逆にして使ったものかも知れないと言っておりました。
2階ホールの壁面と梁に付いても触れておきましょう。
次の画像を見ていただきましょう。
壁面はラワン材の縦張りで、同じものを使った大きな扉が印象的でした。
扉の高さは3メートルはあると思われます。その扉厚は90ミリぐらいもあったでしょうか。
この扉の重量を支えるのは、床と梁のビボットヒンジでした。
しかも感心したのは上のヒンジは打ちっ放しのコンクリートの梁にコンクリートを打ち込むときにあらかじめ型枠に位置決めしてから、コンクリートを打ったのでした。
建造にあたっての技術の確かさがここにも表れています。
ちなみに、この建物の施工は清水建設、東北支店が行ったとの事です。
今で言えば「安藤忠雄」設計の建築が大手建設会社の「安藤忠雄専門チーム」により施工されるのと同じようなものだな、と思われます。
横手興生病院の近くに、やはり白井晟一氏の設計の個人住宅があります。
これがその門の建物です。
屋根に注目してみましょう。屋根は銅板葺きでその妻側は普通であれば平板な破風なのですが、この建物の妻側は丸みを帯びた破風となっています。こんなところにも白井晟一のこだわりを見ることが出来ます。
さて、私たちが次に向かったのは湯沢市秋ノ宮にある「稲住温泉」です。
ここは今はリニューアル工事のさなかで、現場内には立ち入ることは出来ませんでした。それでも敷地の外からは工事中であることが確認できました。次の写真です。
稲住温泉 浮雲です。ここの外壁も張り替えられベランダも元のように復元が完了しておりました。
工事は今年中に終えそうなので、来春のオープンが待ち望まれるところです。
さて、先日紹介した「湯沢酒造会館」について、もう少し紹介したい部分があります。
玄関ホールは吹き抜けになっておりそこの階段の踏板については前回述べましたが、きょうは階段の手すりの件です。
手すりの材質は木材でした。しかもそれは集成材だったのです。
今でこそ集成材は一般に使われていますが、当時に集成材を造るという発想はどの建築にもなかったように思います。
今でこそ手すりの塗装がところどころ剥げ落ち、その材質が集成材であることは注意を凝らせば見て取れますが、当時にすれば画期的なものであったに違いありません。
1回の玄関ホールの奥には畳敷きの和室があります。
この部屋の正面奥の左側には上部が丸くくり抜かれた出入り口が見えます。
この出入り口の奥は水屋となっていて、この部屋で宴会などや会合があった時には隣の水屋からお酒などを運ぶようなっていたとの事です。
この部屋で特徴的なのは、和室に見かける床の間がない事です。
その代わり左右の鴨居をつなぐ丸い柱状のものがあります。
白井氏は、この横長の丸い柱状のものの奥側を床の間と見立てたのかもしれないと感じました。
格式ばった床の間を白井氏はあえて設けなかった設計と考えれば、白井氏の建物に対する哲学を感じることが出来ます。
それともう一つ紹介しておきましょう。次のものです。
煙突の上部に注目していただきます。
丸い穴が見えますね。煙抜きの穴です。
こんなところにも意匠として丸穴を付けるとは、いかにも白井晟一らしい遊び心が感じられました。
これは一階の窓の部分です。丸い穴の開いた面格子の上には雨除けを兼ねた庇状の物があります。
なんとこの庇は天然の御影石でした。しかもその仕上げは墓石のような磨きではなくザラザラしております。
前回の「横手興生病院」の回でも触れましたように、ここにも白井氏特有の意匠が見られます。
追記
この建物は外壁はタイル張りでした。普通はタイルの表面は汚れを防ぐなどの目的のため、滑らかになっているのですがここのタイルは平滑さがないのです。
階段室の吹き抜けにも外壁と同じタイルが使われています。
ここを案内してくれました地元のS氏によると、タイルの見える面にが均一性がない事を指摘され、もしかしてわざと裏表を逆にして使ったものかも知れないと言っておりました。
2階ホールの壁面と梁に付いても触れておきましょう。
次の画像を見ていただきましょう。
壁面はラワン材の縦張りで、同じものを使った大きな扉が印象的でした。
扉の高さは3メートルはあると思われます。その扉厚は90ミリぐらいもあったでしょうか。
この扉の重量を支えるのは、床と梁のビボットヒンジでした。
しかも感心したのは上のヒンジは打ちっ放しのコンクリートの梁にコンクリートを打ち込むときにあらかじめ型枠に位置決めしてから、コンクリートを打ったのでした。
建造にあたっての技術の確かさがここにも表れています。
ちなみに、この建物の施工は清水建設、東北支店が行ったとの事です。
今で言えば「安藤忠雄」設計の建築が大手建設会社の「安藤忠雄専門チーム」により施工されるのと同じようなものだな、と思われます。
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