湊川隧道は 明治34年(1901)近代土木技術を用いた日本最初の河川トンネル「全長600m、幅7.3m、高さ7.6m」です
何年か前に隧道内で行われたミニコンサートの紹介された番組を見て 一度訪れたいと思いながら
忘れかけていたところ 山友から年に一度の通り抜けのお誘いをうけました。
待ちに待った11日(土木の日) トンネルの通り抜け前にハイキング。
神鉄新開地9-07==9-15鵯越 イヤガ谷川・・・イヤガ谷東尾根支尾根・・・イヤガ谷東尾根
・・・関電巡視路 ・・・烏原貯水池・・・立ケ畑ダム(昼)10-45~11-25)・・・湊川親水公園・・・熊野橋・・・東山商店街・・・熊野橋・・・
湊川隧道 12-45・・・13-30新湊川流水路・・・13-45長田橋/(通り抜け終了)・・・地下鉄長田
烏原貯水池
湊川親水公園から熊の橋へ川べりを進む
新湊川トンネルを建設するため、湊川隧道の両抗門口は 消滅することになりましたが、新湊川トンネルの両抗門口に湊川隧道の扁額を再使用し、坑門も
復元されました
いよいよ隧道へ。 資料を見ながら、湊川隧道保存友の会の方の隧道の工法や歴史を伝える説明も聞きながら進みます。
坑口の扁額の拓本
度重なる湊川の氾濫、湊川の堤防が東西交通の 障害になっていたことから湊川付け替えの必要性が提唱されていましたが 大工事のため難しかった。
明治29年(1896)8月。台風による猛雨によって湊川の堤防が100mにわたり決壊し、福原町、仲町などに濁流が押し寄せ、死者38名、負傷者57名、多数の家屋も流失・浸水するなどの大きな被害となりました
水害が発生した翌年の明治30年(1897年)5月。豪商や実業家らが発起人となって「湊川改修株式会社」が設立され、湊川の付替え事業はいよいよ動き始めます。
会下山の下にトンネルを通す案が決定。
明治34年(1901)近代土木技術を用いた日本最初の河川トンネル「全長600m、幅7.3m、高さ7.6m」が湊川隧道して誕生した。
平成7年阪神淡路大震災により 隧道内部の一部で煉瓦の剥離、亀裂などが発生しました。
平成12年新湊川トンネルが完成したことに伴い河川トンネルとしての役目をおえました。
役割を終えた湊川隧道は、系譜的価値、技術的価値、意匠的価値について高い評価がなされ、
連絡通路や照明設備の設置など、新たな展開に向け、保存と活用のための整備がおこなわれました。
毎月1回のミニコンサート、11月には「土木の日」の通り抜け、1月17日には「1.17鎮魂と希望の灯」などの行事を実施しています。
イギリス式の煉瓦積み
保存会の方の説明を聞く
震災で煉瓦の剥離、亀裂の発生したところをモルタルでおおわれている
新湊川トンネルにつながりました
現代のような土木技術のない当時はすべて ツルハシやノミなど使った手掘り工事。 工事の苦労がしのばれます。
煉瓦や石を積み上げて建設されたトンネル内は芸術作品のようでした。
あの空間で聞こえる音を聴きたくて 次回のミニコンサートに行きたいと思います
。
何年か前に隧道内で行われたミニコンサートの紹介された番組を見て 一度訪れたいと思いながら
忘れかけていたところ 山友から年に一度の通り抜けのお誘いをうけました。
待ちに待った11日(土木の日) トンネルの通り抜け前にハイキング。
神鉄新開地9-07==9-15鵯越 イヤガ谷川・・・イヤガ谷東尾根支尾根・・・イヤガ谷東尾根
・・・関電巡視路 ・・・烏原貯水池・・・立ケ畑ダム(昼)10-45~11-25)・・・湊川親水公園・・・熊野橋・・・東山商店街・・・熊野橋・・・
湊川隧道 12-45・・・13-30新湊川流水路・・・13-45長田橋/(通り抜け終了)・・・地下鉄長田
烏原貯水池
湊川親水公園から熊の橋へ川べりを進む
新湊川トンネルを建設するため、湊川隧道の両抗門口は 消滅することになりましたが、新湊川トンネルの両抗門口に湊川隧道の扁額を再使用し、坑門も
復元されました
いよいよ隧道へ。 資料を見ながら、湊川隧道保存友の会の方の隧道の工法や歴史を伝える説明も聞きながら進みます。
坑口の扁額の拓本
度重なる湊川の氾濫、湊川の堤防が東西交通の 障害になっていたことから湊川付け替えの必要性が提唱されていましたが 大工事のため難しかった。
明治29年(1896)8月。台風による猛雨によって湊川の堤防が100mにわたり決壊し、福原町、仲町などに濁流が押し寄せ、死者38名、負傷者57名、多数の家屋も流失・浸水するなどの大きな被害となりました
水害が発生した翌年の明治30年(1897年)5月。豪商や実業家らが発起人となって「湊川改修株式会社」が設立され、湊川の付替え事業はいよいよ動き始めます。
会下山の下にトンネルを通す案が決定。
明治34年(1901)近代土木技術を用いた日本最初の河川トンネル「全長600m、幅7.3m、高さ7.6m」が湊川隧道して誕生した。
平成7年阪神淡路大震災により 隧道内部の一部で煉瓦の剥離、亀裂などが発生しました。
平成12年新湊川トンネルが完成したことに伴い河川トンネルとしての役目をおえました。
役割を終えた湊川隧道は、系譜的価値、技術的価値、意匠的価値について高い評価がなされ、
連絡通路や照明設備の設置など、新たな展開に向け、保存と活用のための整備がおこなわれました。
毎月1回のミニコンサート、11月には「土木の日」の通り抜け、1月17日には「1.17鎮魂と希望の灯」などの行事を実施しています。
イギリス式の煉瓦積み
保存会の方の説明を聞く
震災で煉瓦の剥離、亀裂の発生したところをモルタルでおおわれている
新湊川トンネルにつながりました
現代のような土木技術のない当時はすべて ツルハシやノミなど使った手掘り工事。 工事の苦労がしのばれます。
煉瓦や石を積み上げて建設されたトンネル内は芸術作品のようでした。
あの空間で聞こえる音を聴きたくて 次回のミニコンサートに行きたいと思います