船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

日本の将来---4.変化への対応例(3)

2013-12-25 | 日本の将来
前回の「3)深夜の自動オペレーション」から続く。

4)次期システム開発の体制つくり
「紺屋の白袴」に陥ったシステム部門の改善は、深夜オペレーションの無人化だけではなかった。最も大きな改善が必要だったのは、システム開発の方法だった。

SE(システム・エンジニア)の育成
今から40年も昔の当時、システム開発担当者の第一要件は、プログラミングができることだった。実際にシステム開発に所属する社員の学歴を見ると、大卒と高卒、専門はさまざまだったが、共通事項はプログラマミングができることだった。そこには、SEとプログラマーの区別もなく、プログラマー=SEとの誤解があった。

そこで、SEに必要な要件として、プログラミングだけではなく、次の3つの能力を身に付けるように指導した。プログラミングは技能の問題、次の3つは応用力の問題、前者は学校教育で十分、後者は学校ではなく実務で身に付ける能力である。

a.コンサルタントとしての能力
 現状分析と実行可能な解決法を提案すること
 コンピューターの利用部門が何をシステム化したいのかを聞き出すことが大切である。このため、SEの要件として、インタビュー(聞き取り=ヒアリング)の能力を重視した。人に接するのは苦手、画面に向き合うのは得意、それではプログラマーは務まるがSEは務まらない。
 また、インタビューの相手は、社内の業務担当者だけでなく、時には関係会社の人々とのインタビューもある。特に、外注先の人々に対する横柄な口のきき方は論外、しかるべき礼儀をわきまえるように指導した。

b.エキスパートとしての能力
 ハード、ソフト、データ通信、それぞれの技術とコストに精通すること
 技術的な知識だけでなく、ハードやソフトの実勢価格、システムの規模と開発コスト、期待メリットを推定できるコスト感覚をSEに求めた。CheapnessとEconomyの違いを理解するエンジニアを育てたかった。【参照:3)利益管理、グローバル工場---機能の階層(6)(2012-03-11)】

c.業務改善の旗振り役としての能力
 業務改善の阻害要因を一つずつ合理的に克服すること
 業務システムの開発は、単に手作業の機械化ではない。システム=体系=ルールであり、新システムは仕事のやり方を改善するために開発する。したがって、SEは業務改善を利用部門に浸透させる旗振り役である。この能力は、関係者に対する説得力と熱意でもある。

以上、a、b、cの実地訓練は、クリーン・コンピューター作戦に続く次期工場システムの開発で実践した。

SEにとっては、プログラミング言語の知識・経験は必須であるが、プログラミングだけがSEの仕事ではない。そこで、SEからプログラミング作業を切り離した。

SEの最も大切な仕事はシステムの設計である。その設計内容をシステム仕様書として、概要設計書、ファイル関連図、コード表、プログラム説明書などに展開する。このうち、プログラム説明書をプログラマーに渡して、プログラムの作成を依頼する。

プログラム説明書にもとづいて作成するプログラムは、だれがどこで作っても同じである。当時は、プログラムの外注はまれであったが、外注に耐えるしっかりとしたシステム仕様書づくりをSEの目標にした。

プログラマーの育成
プログラミング作業を担当するプログラマーの希望者を社内で募集、アメリカのプログラマー適性検査(日本語版)で7人の候補者を選び、電算室に異動した。なぜか7名はすべて女性だった。もちろん、クリーン・コンピューター作戦の一環として、教育はコンピューター・メーカーの入門コースから上級コースへと進み、社内の実機訓練を交えてプログラマーを育成した。幸い、非常に優秀なプログラマーが育ち、システム開発とメンテナンスの効率が著しく向上した。

優秀なプログラマーは、SEの質の向上にも貢献した。たとえば「あの人のプログラム説明書は甘い」とか「変更が多い」とか、さまざまな意見が女性プログラマーから出るのでSEもそれなりに努力した。

これはクリーン・コンピューターを終えた後の話だが、SEの質の向上でシステム仕様書の内容も充実し、プログラミングの外注が可能になった。今日では当り前の話だが、プログラミングの外注により電算室のシステム開発能力はさらに向上した。あれから40年、歳月は一瞬のうちに過ぎ去り、日本のオフショア(Offshore=海外の)外注先は、東南アジア諸国からアフリカに広がった。(ただし、筆者はアフリカ、たとえばルワンダの開発現場を見たことがない)

技術管理課の設置
システム開発を効率的に進めるために、技術管理課を新設し、次の5つの項目を目標にした。

1.システム開発手順の標準化と品質管理
2.データベース管理ソフトなど、新しい技術の評価と導入
3.外部教育やセミナーによる計画的な社員教育
4.プログラマーへの仕事の割当てと作業管理
5.データ通信網の管理とオンライン化の促進(O/L画面やバーコードでデータの即時処理)

ここで特記すべきことは、この頃から電話回線を管理する社内の縄張りが変化し始めた。従来は、電話回線の契約と社内電話機の配置は総務部門の管轄だった。しかし、電話回線による通話(電話機)とデータ通信(コンピューターやワークステーション)が複合するにつれて、総務部にもコンピューターの知識が必要になり始めた。同時に、社内の電話交換機も電磁式から電子式に変化し始めた。

ここで、話題はクリーン・コンピューターから離れるが、IT(Information Technology:情報技術)について筆者の見聞を紹介する。

70~80年代のアメリカでは、多くの企業はシステム部をIS(Information Systems Department=情報システム部)と呼んでいた。しかし、90年代半ばにはシステム部門名がISからIS&T(IS & Technology)に変わり始め、いつの間にか、IS&TからITが派生した。それは、次のような時代の変化を反映している。

80年代:大型汎用コンピューターを使ってコボル(言語)の大型システムを開発・・・名刺の部門名=IS
90年代:クライアント/サーバー型システムにより大型システムをダウン・サイジングした時代・・・IS部門はデータ通信技術の知識と実績を強化した。技術(Technology)を強調するため、部門名のISにT(Technology)を付加・・・名刺の部門名=IS&T
2000年代:IS&Tからいつの間にかITと言葉が派生・・・ITとIS&Tの違いはよく分からない。
【参照:5)90年代のアメリカ、日本の将来---2.日本と欧米との比較(2)(2013-08-10)】

次回、「5)社内外との人事交流」に続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする