すずめのどんぐり

オットひとり ムスメ(はぼ)が小6、 ムスコ(ぐり)が小1。絵日記でしたが、さぼり中。

日野原重明 瀬戸内寂聴 『いのち、生ききる』

2011年07月23日 | 本 漫画 映画
なすびのグラタン、 黄色いトマト、 鶏ハム、 オクラ

畑野菜とお中元のみで構成されております 黄色いミニトマト (品種忘れた) くだものみたいでおいしいです

おコメは いつ新米をもらっても すぐに食べはじめられるように、 できるだけ もらわないように 最小ストックでまわしています (しかし 農家がわも 古米処分にかかってて 圧力をかけてくるので これが口で言うほど カンタンじゃないんだわ



日野原 「私は、 人間が成長するには、 外の環境としてのからだの環境、 それと心の環境、 そして魂、 の3つが関連しあっているのだと思っています。

 ボディは身体、 マインドは知能、 そして魂、 スピリットですね。 人間が年をとってほんとうにいきいきしているかどうかは、 その3つがいろいろな形で関わりあっている。
 
 肉体というのは聖書にもあるように土の器で、 われわれは一人残らず、 土に還るわけです。 土に還るのは間違いないけれど、 生きている間私たちはそこにどんな水を入れていくのかが問われます。

 良い水でしたら、 器が形をなくしても、 こぼれた水は大地に沁み込みます。 その水のおかげでみずみずしい若芽が生えてくる。 そんなふうに、 なくなった人の魂は次のジェネレーションに受け継がれていくのではないでしょうか。」



ニンプで育児してると 自分ってつくづく 「道」 なんだなあとおもうことが よくあります。


洞窟のようなまっくらな子宮のなかから 羊水にのってくらい道をどんぶらこと流されて生まれ、 そのあとも 自分で道を切り開くまでは だいたい親の敷いた道を ときにトンネルになって庇護されたり 外界を仰ぎ見たりしながら あゆんでいきますよね。


親は道を敷くことはできるけど こどもがそこを素直に歩くかどうかは また別モンダイですが


すずかけの実

親としては せめてマイロードをあゆんでるあいだは 回廊にキレイな絵をかけ うつくしい音楽を流しておいてやりたいもんですが、 そうすると いざ 道が途切れたら 切り立った崖の上 下は荒波だっぷ~ん だったりして


道が砂のように掻き消されてしまっても そこを通っていた者に なにか残してやりたい、 とおもってしまうのが道ごころなのかもしれません。

わたしは 残してやれるのは 「魂」のかよう「知能」 = 知性、 なんじゃないかなとおもっています。


「良い水」 を 直接若芽にだばだばふりかけるのではなく、 道が良い水で しっとりと露を含んでむずみずしくあることが大事なのではないかとおもいます。

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