季節外れの話題で申し訳ありません。
詩人の大岡信さんが40年近くも前に編んだ『小倉百人一首』(1980年・世界文化社)が書棚にあったので、たまたま読んだのですが、これ、すごくいいですよ。さすがは一流の詩的センスと深い教養の持ち主と感心することしきりでした。
百人一首って、日本人ならかなり耳になじんでいますよね。でもその一つ一つの意味や歌心、背景などをしっかり考えてみた人はあまりいないんじゃないでしょうか。
実際、百人一首の歌は、すぐ意味の通ずる歌もあれば、こちらに教養がないせいか、ちょっと見には何を歌っているのかわからない歌などが混在しています。しかも、指示的な意味が通ずるからと言って、その奥に歌い手の複雑な心の屈折があるということにまではなかなか思い及びません。
ところが今度大岡さんの本を通読して、ああ、そういう歌心が隠されていたのか、とか、えっ、そうだったのかといった発見がいくつもあったのです。
この本を読むと、歌の意味を原典の「注釈」や「大意」に求めて辿るのとはずいぶん違った印象を受けます。詠んだ人の思い、趣向、機知、切実さ、場面、状況などにぐっと近づける感じがしてくるのですね。
これには編集上のちょっとした秘密があります。
1ページに一首を取り上げ、その下に大岡さん自らの手になる現代詩の形での訳。その左に短い解説と批評が載っています。そうして、ところどころに見開きで、小野小町、在原業平、紀貫之、和泉式部ら、有名歌人たちの評伝が綴られているのです。
大岡さん自身の述懐によれば、幼いころから親しんではいたものの、箱入り百人一首などに付属している釈文がみな「……であることよ」式の無味乾燥な散文であることにずっと不満を抱いていたそうです。なるほどそういう執着がこのユニークな試みに彼を誘ったのかと、深く納得するものがありました。
たくさん紹介したいのですが、紙数の都合もありますから、数首に限りましょう。
わたの原八十島かけてこぎ出ぬと
人には告げよ海人のつり舟
参議篁
(訳)大海原に横たわるあまたの島を経めぐって
はてに配流の身を横たえるため
この篁(たかむら)は舟に乗り揺られて去ったと
告げてくれ海人のつり舟よ
都に残るあの人にだけは
遣唐使拒否をめぐる争いに敗れて隠岐に配流される時の歌だそうです。
何となく読んでしまうと、旅の別れをさらりと歌っているように聞こえます。少なくとも私自身はそう思っていました。
が、じつは、「八十島」と「人」の二語に歌心の鍵があります。瀬戸内海のいくつもの島を経て、関門海峡を通り、山陰地方西部の沿岸を経てはるばる隠岐までたどり着かなくてはならない。地の果てに追いやられる思いだったことでしょう。いやがうえにも募る心細さを、せめて妻(おそらく)にだけはわかってほしい、この思いを伝えてくれと、途中まで篁を乗せてすぐ帰ってしまうつり舟に向かって、切々と呼びかけているわけです。
ちなみにこの時代、「人」とは、多くの場合特定の親しい人や愛する人、つまり「背」や「妹」と同じ意味を表していました。
忘らるる身をば思はずちかひてし
人の命のをしくもあるかな
右近
(訳)私はいいのです 忘れられてしまおうと
わが身のことは いいのです
でもあなた あれほどに変らぬ愛を
お誓いになったあなたのおいのち それが
ひとごとならず心にかかってなりません
この訳はちょっと演歌調で素直に受け取れるようですが、むしろ怨歌というべきかもしれません。きれいごとを並べて皮肉っているとも取れると大岡さんは解説しています。
しかもさらにその先があります。「ちかひてし」までの三句切れとすると、その場合は、「あんなに誓っておきながら破るなんてきっと天罰が下るでしょう、あなたが命を落としてしまわれるのが惜しまれますこと」という意味になるそうな。げに女心の複雑さ恐ろしさよ。
有馬山猪名(いな)のささ原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする
大弐三位
(訳)私があなたに「否」などと申したでしょうか
有馬山 猪名のささ原 風ふきわたれば
ささ原はそよぎ それよそれよと頷きます
そうでしょう この私が
なんであなたを忘れたりするものでしょうか
作者は紫式部の娘だそうです。男が自分の無沙汰を棚に上げて、私をお忘れかと詠ったのに対して、やはり少しばかり皮肉を込めて、しかし先の歌よりはやんわりと繊細な調子で返した歌です。
「猪名」と「否」、風で笹が「そよ」とささやく音と「そうよ、そうよ、忘れるはずがないわよね」という作者への相槌とをかけたとても技巧的な歌です。けれども、そうした技巧の用い方そのものに、この女性の何とも優しい人柄が現われているように感じられます。これも、そんな複雑なからくりがあるのかと驚きました。返しを受け取った男はたまらなくなって会いに行った、と思いたい。
夜もすがらもの思ふころは明けやらで
閨(ねや)のひまさへつれなかりけり
俊恵法師
(訳)夜ごとわたしはまんじりともせず
つれない人を待ちつづける
物思いに更ける夜の なんという長さ
早く白んでくれればいいのに
ああ戸の隙間よ そなただけでも白んで…
この歌の「閨のひま」という言葉ですが、戸の隙間とは気づきませんでした。「がらんとした寝間の空間が寂しさをいっそうかき立てる」と、何となく解釈して済ませていたのです。
ところが、室内より早く明るくなるはずの「戸の隙間」さえ白んでくれようとしない、なんて恨めしい事態だと、その「わび」の心を強調しているのですね。細かい対象をわざわざ取り上げて歌いこむことによって、誰もが詠う「わびしさ」一般から抜きんでたユニークな味を出しているわけです。
作者は男性ですが、人を待っているのですから、女性の立場に立って詠んだ歌です。でも、主情を表出するのではなく、客観的なものにあえて目を馳せた男性的な技巧と言えるかもしれません。
見せばやな雄島の海人の袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず
殷富門院大輔
(訳)見せてあげたいこの袖を あの方に
雄島の磯で濡れそぼっている漁夫の袖さえ
どれほど濡れても色まで変りはしないのに
わたしの袖は濡れに濡れて
紅に変ってしまった 血の涙いろに
「色は変はらず」の部分、濡れつくして袖の色が褪せたのだと思っていたのですが、じつは逆で、血の涙で赤く染まってしまったのでした。ずいぶん激しい歌いっぷりです。
でも「血の涙」というのは当時の常套句だったそうなので、特にこの歌の独創というわけではありません。
大岡さんはむしろ誇張が目立つと評しています。つまり歌会などで、一つみんなをあっと言わせてやろうというけれんみが強い歌だということなのでしょうね。
いかがですか。平安時代に作られた歌の多くは歌会の題詠でフィクションなのですが、いずれにしても歌は歌。そこに作者の真情が込められていないはずはありません。もやもやした思いに工夫と装いを凝らしてエイッと突き出す。ちょうど、シェフが腕によりをかけてこしらえた料理のようなものです。つくられて初めてその鮮やかさが目を射る。
古代人が歌文学にこめた深い魂のありかとその精力のすごさを手軽に味わうために、みなさんもぜひ大岡版百人一首を手に取ってみてください。