以下に掲げるのは、産経新聞文化部より依頼されて寄稿した、ウォルター・シャイデル著『暴力と不平等の人類史』の書評です。
この書は、トマ・ピケティ『21世紀の資本』、ダグラス・マレー『西洋の自死』などと並んで、現代の世界状況に対する極めて重要な問題を提起しています。
字数の関係もあって、意を尽くしていませんが、いずれこの書に関しては、もう少し詳しく批評を展開したいと思っています。
本文六百頁に及ぶ大著。
著者は、ジニ係数と資産や所得の総額に対する割合とを用いて、人類史上経済的な不平等がどんな時に抑えられたかを浩瀚かつ克明に調べ上げる。
その結果「四人の騎士」と称して、戦争、革命、国家の破綻、疫病(ペストの流行)の四つが不平等を軽減したという結論を得る。
しかも古代アテナイを例外として、前近代における戦争や革命は、平等化に大して貢献しなかったと説く。
二度の世界大戦とロシア革命や中国革命だけが不平等を抑える大きな力を示したというのだ。
しかしこれらの力もそう長くは続かなかった。
近代以後の戦争や革命が恐るべき犠牲や破壊を伴ったことは自明だから、著者は、平等の達成と膨大な死や破壊とは後者が前者の条件をなすと言っているに等しい。
雑駁に言えば、平等化の実現とは、みんなが豊かになったのではなく、みんなで貧しくなったことを意味する。ということは、裏を返せば、曲がりなりにも「平和な秩序」が保たれている時期には、資産や所得の格差は一貫して増大していたことになる。
著者の筆致はあくまで冷静で、いろいろなケースに慎重な配慮を巡らしてはいるが、論理的にはどうしてもそうならざるを得ない。
そしてこの指摘は、自由貿易や金融資本の自由化が進み、グローバル化が行きつくところまで行った今日、私たちに明確な思い当たり感を与える。
グローバル化が進むのは平和な時期に限られるからだ。
事実、アメリカに代表される極端な富の集中という現実がグローバリズムによってもたらされたことは、否定しようがないのである。
読者の中にはかつてトマ・ピケティが『21世紀の資本』を著して、資本収益率が経済成長率を上回る場合には常に貧富の格差が開くと説いた事実を思い起こす人も多いだろう。
これも踏まえて議論すべきは、巨大な暴力なしに「一%対九九%」問題を解決する道はありうるかという一点なのだ。
著者シャイデルは多くの社会改良案を紹介しつつ、それらに懐疑的な眼差しを注ぐ。
筆者もこの懐疑に暗澹たる気持ちと共に共感する。
ちなみに日本の場合には、「騎士」の仲間に「大災害」を加えてもらうべきだろう。