先日、当方が主宰している映画鑑賞会「シネクラブ黄昏」で、上映作品が比較的早く終わったので、そのあとの談話に花が咲きました。映画の感想にとどまらず、話がいろいろな方面に広がったのです。
上映作品は、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』のフェリーニが監督した部分、「悪魔の首飾り」でした(この会では、毎回上映者を変えて、その人が思い入れのあるDVDを持ってくることになっています)。
フェリーニのローマに対する執着は相当なものなので、談話の中で上映者が「ローマやパリなど、首都をテーマにした作品はたくさんあるが、東京をテーマにした映画はほとんどない。面白い町なのだから、だれか作ってほしい」という見解を述べました。
そう言えば確かにそうです。私は少し考えてから、次のような意味のことを述べました。
それは、結局、東京に住んでいる人たちが東京を愛していないからではないか。東京という町は、浅草、日本橋など、江戸のコアの部分から、近代化に伴ってどんどん無原則にスプロールしていった。東北地方からは東東京に住民がなだれ込み、西からは西東京に住民がなだれ込んだ。その結果、へそのないメガロポリスに発展した代わりに、その圏内に池袋、新宿、渋谷、品川、吉祥寺、北千住など、いくつかの「部分都市」が誕生した。これらの「部分都市」の住民は、それぞれの町に対する愛着を持っているだろうが、東京全体に対して愛着感情を抱いているとは思えない。かつての江戸住民は落語などに表現されているように、江戸の町に対する愛着を確実に持っていたが、急速な近代化の過程で江戸情緒的な雰囲気は次々に壊されてしまった……。
すると、上映者の方が私の言葉に呼応して、「そう言えば、外国人観光客が東京に来ても、東京の伝統的部分に感心するんじゃなくて、自動販売機がどこにもあるとか、高速道路が一般市街地の上をまたいで通っているとかを面白がってるんですよね」と。
また誰かが、「やっぱり石造りの建築は何百年の歴史を持つけど、木や紙でできている日本建築はすぐ建て替えられますよね。地震も多いし。その代わり、パリなんかでは、電気・ガス・水道などの近代的インフラを古いアパルトマンに整備したりメンテナンスするのがたいへんで、故障しても修理してくれないのが当たり前なんですね」と。
これに付け加えて後から考えたことですが、やっぱり、「都市」というものの成り立ちが、ヨーロッパと日本ではまるで違います。よく言われることですが、ヨーロッパの都市はもともと城壁で囲まれていたので、市民には農村との間に確固たる境界の意識がありました。いわゆる「ポリス」ですね。都市住民の結束と愛着が強いのも歴史的な由来があると言えるでしょう。
これに対して、日本の都市は、ニワトリかタマゴかみたいな関係で発展してきていて、市が立てばそこに人が集まってくる。お寺があればそこを中心に商業地ができる。海運に適していれば港を作る。城下町にしても、町に城壁があるわけではありません。何となくそこに社会資本が集積していったというのが実情です。
おまけにあらゆる情報や流通機能が集中する現在の東京のようなメガロポリスになってしまっては、まことに便利このうえないとは言えても、いまさらそこに愛着のような情緒的なものを育てようとしても無理ではないでしょうか。
話を少し広げてみましょう。
私は日本滅亡の危機を常に訴えているナショナリストですが、「愛国心」という言葉が好きではない。かなり嫌いなほうに属する言葉です。愛国心が必要だとか、愛国心教育を、などと書いたことは一度もありません。そういう主張に意味を認めないのです。
それはネトウヨと名指されることを避けているからではありませんし、サヨク的な心情に呪縛されているからでもありません。
『倫理の起源』という本に詳しく書いたのですが、この言葉は、そもそも概念があいまいです。
「国を愛する」とは? 巨大な社会システムと化したこの「共同幻想」に対して、女を愛するように熱い私情を差し向ける? どのようにすればいいのでしょうか。
ふつう、この言葉を好んで使う人々は、深い考えもなしに、日本人として国を愛するのは当然だろうとか、身近な人々への愛や郷土愛からだんだんその気持ちを広げていって国への愛にまで到達すればよいなどと漠然と思っているようです。
しかし、日本のような巨大な近代国家は、残念ながらそういう私情を受け入れてくれるほど単純には出来ていません。私情と巨大な近代国家との間には、連続性が認められないと言い換えてもよい。
これは、次のような例を考えればすぐわかります。
国家がやむをえず戦争を始めてしまった。大量の兵士が必要です。兵士たちには愛する妻子がいる。長く住んできた郷土にも愛着を持っている。しかし、戦場に赴くには、人や土地と別離しなくてはなりません。戦争を遂行する国家を憎むわけではないし、「おくにのために」喜んで戦う決意も人後に落ちない。
しかし事実として、人や土地との別離は避けがたい。つまりそこには越えられない切断線があり、それが彼の身体を引き裂くのです。
要するに愛という私情は、国への忠誠と根源的に矛盾するのです。このことは平和時でも言えて、企業社会や公共体での活動に精を出せば出すほど、家族への愛や倫理を実践することが困難になります。古くて新しい問題です。
愛国心という言葉を安易に使わないようにすることにして、ではどのように考えればよいでしょうか。
これは、ナショナリズムというカタカナ語を、私たちの頭や心の中でどう処理すればいいかという問題にかかわっています。
ナショナリズムという用語は多義的です。『大辞林』を引いてみましょう。
《一つの文化的共同体(国家・民族など)が自己の統一・発展、他からの独立をめざす思想または運動。国家・民族の置かれている歴史的位置を反映して、国家主義、民族主義、国民主義などと訳される。》
他の辞書やウィキだと、「国粋主義」も入れているようですが、これはあからさまな排外主義のニュアンスが強いので、外した方がいいでしょう。
ここでは、三つ目の「国民主義」を採用します。国民生活の安寧、豊かさ、幸福を第一に考える――私も先にナショナリストだと名乗りましたが、こういう意味合いでナショナリズムという言葉を理解すべきと確信しています。
で、こう理解すれば、すべての国民の安寧や豊かさを目指すという理念がそこに含まれますから、ナショナリズムに反対する日本人は、いないはずです。もちろん反日サヨク、コスモポリタン的リベラリスト、国家によって人権が保障されていることを自覚しない人権真理教信者、グローバリスト、ネオリベ、リバタリアンなどがうようよいますから、現実には、この理念はなかなか実現できないわけですが。
さて国民主義としてのナショナリズムを少しでも発展させることにとっての必要条件とは何でしょうか。
それはもとより「愛国心」というような感情的な概念ではありません。こんなに複雑化して、どこにその実在性があるのかわからなくなった超抽象的な幻想の存在に対して、「愛」などを差し向けることは不可能です。大方の日本国民も、そういう実感を持っているだろうと思います。国家の実在性(政府の実在性ではありません)が希薄にしか感じられなくなったということは、逆に言えば、人々の生活が極度に個人化・バラバラ化してしまったということでもあります。そうした社会構造上の事情があるところで、愛国心が必要だと百万回叫んでも、それは、戦争をなくしましょうと百万回叫ぶのと同じで、何の効果も生みません。
では、ナショナリズムを少しでも活かす必要条件とは。
第一に、国家の危機は当然、国民生活の危機としてあらわれますから、その危機の本質とは何か、危機を作りだしている主犯格は誰かを冷厳に見極める認識力が必要とされます。
第二に、その認識の力を少しでも活用させようとする意志の力が必要です。
第三に、その意志を共有して運動に発展させるための実践力(政治力、組織力)が必要です。
第四に、こうした運動は理解されないのが常ですから、挫折を経験してもめげない持続力が必要です。
目下の対象である国家に対処するには、こうした理性的な姿勢があくまでも要求されます。
教科書的な言い方になってしまいましたが、いまの日本国民には、さまざまな歴史的・社会的・民族的事情から、この四つがはなはだしく欠落しているように思えてなりません。
中央政府がどんなひどい過ちを犯していても、大多数の国民はそれを認識しようとしません。
また自分たちが政府からどんなに不当な仕打ちを受けていても、ほとんどの国民は、声をあげずに我慢しています。
もっとひどいことに、その政府を積極的に支持する国民がわんさかいます。
要するに、権力依存の習慣が染みついてしまっていて、主体的に考えよう、何かしようという気概をすっかりなくしているのです。
いまの日本はポンコツ車のようなものです。ポンコツ車を何とか修理してまともな状態に戻すには、何が必要でしょうか。
その車を愛してみても始まらないでしょう。むしろ、どういう高度な技術が要るのかという、機能的な対応こそが求められているのです。
初めに、東京都民は東京を愛していない、それが東京をテーマにした良い映画ができない理由だ、そしてそこには都市成立に関わるそれなりの歴史的事情があると述べました。日本全体に関しても同じことが言えます。
元気・やる気・公共精神を喪失した日本人。事態に悲憤慷慨する前に、なぜ日本人がそうなってしまったのか、そこに焦点を合わせて、多方面から考察することが先決です。
菅義偉という何もわかってない人が総理の座についたひどい政局劇の直後に、言っても無駄かもしれないと思いつつ、ごく基本的なことを書きました。
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社会批判小説ですがロマンスもありますよ。
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