いま日本の公教育で、真っ先に為すべきことは二つあります。
一つは、教師の過重負担をなくすこと、もう一つは、全国の小中学校にエアコンを設置することです。
日本の小、中学校の先生の労働時間は世界でも突出して長く、小学校教諭の33%、中学校教諭の57%が残業時間80時間を超えています。
これは「過労死ライン」を上回っています。
先生の多忙というと、平教員の忙しさをイメージしがちですが(それももちろんあるのですが)、なかでも多忙を極めるのは、副校長、教頭で、調査報告書の作成、休んだ教諭のフォロー、会計業務などあまりの激務に疲れ果て、教諭への降格を願い出るケースが跡を絶ちません。
小中学校教師の忙しさは今に始まったことではなく、昔から部活の顧問として土日・夏休み返上で駆り出されるとか、テストの採点は家に持ち帰って深夜までとか、年間いくつもある学校行事の指導とか、たいして意味のない研修会への参加強制とか、問題生徒の管理監督やいじめ防止への配慮などなど、とにかく息つく暇もないようです。
ところが、世間の視線は意外とこうした実態に対して冷ややかで無関心です。それはなぜでしょうか。
第一に、教師は公務員で、給与もそこそこ高く安定しているという点が挙げられます。
世の中にはもっと貧しい人やきつい仕事に耐えている人がいる、贅沢な悩みだといったルサンチマンに根差すまなざしを受けやすいのですね。
ことにデフレ下の今日では、こうした声が高まっていると思われます。
しかしある職業が所得面や雇用面で安定しているという事実と、その職に固有のきつさがあるという問題とは別です。
教師のきつさとは、授業をこなすという本業のほかに、生活指導や文書作成などの一般事務や部活動顧問など、本来の職務ではない仕事で埋め尽くされることからくるストレスなのです。
いわば多種の肉体労働と神経労働がどっと重なってきて、それを毎日捌かなくてはならないところに、このストレスの原因があります。
第二に、教師という職業に対する世間の期待過剰があります。
どの親にとってもかけがえのない子どもの教育と生活をあずかるのですから、教師が大切な仕事であることは確かです。
しかし教師も能力や包容力に限界のあるただの人間です。
何もかも教師に背負わせて、ちょっと学校で問題が起きると、担任の責任、校長の責任と大げさに騒ぎ立てる風潮を改めなくてはなりません。
大事なことは、今の学校に何ができて何ができないか、一人の教師の職分と管轄範囲はどれくらいかということをはっきりさせて、その認識をみんなができるだけ共有することです。
ちなみに、教員志望者は年々減少の一途をたどっています。
また教員志望者の中でさえ、こんなに忙しい日本の教員にはなりたくないと思う人が6割を超えているというデータもあります。
小中学校の教師の残業時間が他の職業に比べて一番多いというのも、統計上明らかになっています。
しかも、1971年に決められた給特法という悪法がいまだに改正されていません。
これは、教師の場合は地方方公務員の基本給に4%を上積みするというものです。
月給25万円の教師なら、プラス1万円ということですね。
過労死ラインを超えるほど残業しても、残業手当はまったくつかず、1万円もらえるだけです。
もう半世紀近くもこの状態で、事態は悪化するばかりなのです。
これでは教員志望者が激減するのも当然ですね。
すると教員の質も低下します。
これも当然です。
この事実を差し置いて、日本の教育がどうのこうのと高みに立った議論するのは、意味がありません。
ではどうして日本の小中学校教師はこんなに忙しいのでしょうか。
最大の理由は、国が教育にお金をかけていないからです。
日本の公教育支出は、GDPの3.5%で、OECD諸国の中で、6年連続で最低なのです。
日本人の多くは、教育が大事だ、教育が大事だと口癖のように言います。
でも、もし本当に教育が大事だと考えているなら、まずはこの恐ろしく貧困な教育投資の実態を何とかしなければなりません。
そして投資をどこに差し向けるか。
もちろん、まずは人材投資です。
教師の数を増やすだけではなく、前述のような教師本来の仕事ではない部分を担える人材を雇用して、先生が余裕をもって本業に専念できるような環境を整備すること。
物理的な意味での環境整備も非常に大切です。
前にも書きましたが、公立小中学校のエアコン設置率はようやく五割弱です。
それも地域間格差が激しく、首都東京は100%ですが、暑いはずの九州では二割に満たない自治体もたくさんあります。
今年の猛暑は夏休み前からやってきました。
来年もその次も、近年の気候変動を考えれば、ずっと続くでしょう。
大人たちが冷暖房の効いたオフィスで仕事をしているのに、子どもたちに毎日こんなかわいそうな目に遭わせてよいのでしょうか。
文科省は二流官庁ですから、予算が十分に取れない苦しさもあるでしょう。
緊縮財政にひたすら固執している財務官僚は、日本の将来を担う世代のことなどに関心がなく、文科省の管轄事項を、それが火急の課題ではないという理由で、無意識に蔑んでいるのだと思います。
いま公立の小中学校教育に投資するとしたらどこにお金を使うべきか。
小3から英語教育を、など、百害あって一利なしの施策にではありません。
基礎学力を徹底させるために、ゆとりある人的物的環境を整えることに集中させるべきなのです。
*参考:由紀草一の一読三陳
https://blog.goo.ne.jp/y-soichi_2011
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教育勅語や軍人勅諭を大切だと公言して憚らぬ、文科相や防衛相の登場に危機感を抱く。安倍首相の予てからの復古主義的教育観が、第四次改造内閣の閣僚メンバーの意識にも色濃く反映された証左だ。自己責任論やボランティアのオンパレードの中、個人より全体を優先重視する社会的風潮も顕著で、文科相が就任当初の発言に於いて、教育勅語の良いところは今後の道徳教育に生かすべきだと述べ、物議を醸した。さて、幼少期から個性重視の私的志向に馴染んで来た子供達は、近年、強まる復古調の教育観とは、真逆の相容れぬ存在でもある。そうした中、宮城県の工業高校1年の男子生徒(15)が、担任教諭からの厳しい指導に耐え切れず、今年8月、自宅で自殺した。父親は、「入学当初から軍隊のようなクラスだと感じていた。」と言う。このケースも、生徒の生育環境文化と昨今の学校教育に求められている公的なるものへの恭順涵養が、齟齬を来している現れとも取れよう。安田純平氏の人質救出解放後、氏への自己責任論を背景としたバッシングが喧しい。政府も安田氏の執った行為などには、都合良く勝手に為した私的問題として解釈し、無碍に扱おうとしている。こうした政府の御都合主義が、ブレ捲る学校教育の混乱を惹起する背景にある。
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