天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

香月康男美術館来訪記 その1

2022-06-14 11:00:09 | エッセイ

うちの孫の、アゲハ、最初の狩猟成果です。
器用に、あみを振ります。
この前から、オニヤンマが獲りたい、獲りたいといってましたが、真夏じゃないとだめだよと、じじ(昆虫博士)は言ってましたが、目の前に留まるのを見つけ、孫と現認し、率直に謝罪しました。私にとって、孫と一緒に、オニヤンマの、ホバリングを観たのは、中幸福くらいです。
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山口県の宿泊施設振興に係る、県民割のクーポンが利用できるのは、当初、本年三月末であり、それで完了するものと、考えていました。
しかしながら、私たちにとって、うれしいことに、当該クーポンの給付が延長となり、段階的に、5月末までに延長され、このたび、6月末までに再度延伸されたようです。
私は、引退後、待っていたような闘病生活に入って以来、さすがに、うっくつする日も続き、移動に負担がかかりにくい、県内に、容易に旅行ができるのは、私たち夫婦にとって、まことに喜ばしい事です。
また、その利用が、昨年一昨年と続いた、ゴー・ツー・トラベルのキャンペーンが、ともすれば高級(?)旅館利用に、偏っていたのに対し、安直で、気の置けないホテルまで、利用が拡大されたのは、県民全体にとっても、喜ばしい、ことです。
妻に任せれば、様々な興味深い優良旅館を見つけてくれるのですが、私、今、食味障害があるので、何を食っても、あまり、快、不快もない。
無味でないのが、幸せくらいです。
もともと、旅館など、形式的には、かんずめになるので、本来、あまり好きではない。
超高級リゾートなどであれば、それなりに内部見学で工夫が見え、興味深いかも知れないが、コロナファシズム隆盛の、このご時世に、そんなものがあるとは思えない。
やはり、私にとっては、それぞれの地区地区の歴史や文化など、出歩くたびに、個人的な見聞や、腑に落ちること、好奇心を満足させる方が、望ましい。
ということなら、時には、県外にも出たいのですが、バカな隣県、広島県は、6月以降、県外クーポンを利用するのに、無意味なPCR検査、ワクチン接種証明を義務付けると、言っています。
広島県民がバカで、性格が悪いのではない、要は、岸田文雄がバカなのです。
これは、広島だけかと思えば、どうも、中四国、九州と、ガイドラインになったようです。
観光業者たちにとっては、現場の対応は地獄みたいなものか知れないが(電話してみてそう思った。)、生きていくことは、本当につらいことです。

それにつけても、重ねてバカな話ですね。
バカにも、意地悪をする、クソ意地があるということでしょう。
最近、広島に行くのも、嫌で、億劫になり、選挙区だけで、広島に帰ったこともないであろう、岸田文雄に決して会わないのは、小幸福ですが。
従前は、広島市というところは、「仁義なき戦い」という映画で見たように、理不尽で、暴力的な人ばかり住んでいる(笑い)(そちらの方がわかりやすく望ましい。)と、勝手に予断していました。
 しかし、決して、そうではない。広島県民の大多数は、岸田文雄の理不尽な、コロナファシズムに対しても、年末から始まった反観光キャンペーンにも、地元観光に対する反動政策にも、黙って耐えた。
 これは、よんどころない事情で、昨年来、ずっと広島市に通っていた私には、よくわかります。
 殊に、宮島観光など、ようやく景気が回復するだろう時期・過程で、岸田氏に水を差されて、こちらが、気の毒になるようにみて取れました。
 あれをみていれば、歴史ある宮島にわたる意欲も何も、なえてしまう。
 今後は、以前宮島で出会った、下衆な中国人たちが、いずれ今後、闊歩するのでしょう。
 以前、さる温泉旅館で、中国人観光客を優遇し、今まで日本国民に許していた、日帰り観光客の入湯を、予告なしに断ったので、そのことに対し、抗議もしました。
 当然、コロナ以前の出来事です。
 頑迷な、フロントのデブ親父は、頑として受け付けませんでした(腹いせに抗議する私をハゲ、と心の中でののしるのはあんたの勝手)。
嫌な、苦い思い出です。
 そのホテルですが、実名は挙げませが、営業はしているようだが、今も、その無礼な付けを払っているもかもしれない。私の知ったことじゃないが。

 広島市において、例えば、市内を運転していても、ことさらに粗暴な運転者がいるわけでもない。
 しかしながら、市内商店街は着実に、明らかに衰退している。
 広島市民にとっては、随分、理不尽な話です。
 私が定宿にしていた、伝統ある老朽化ホテルも、この3月末で廃業しました。
 ようよう三月初旬、そのことを、フロントの心ある女性が私に教えてくれました。
 今になって急に言われてもこっちも困るが、という、私の本音ですが。
 それ以降、もう広島市には泊まらない。
 その廃業原因を「コロナによる、客数減による」、と言っており、半官半民のホテルだったので、思い切ったことを言ったな、と、私には思われたところです。
 ここは、市内の一番の優良地に立ったホテルで、お人よしの私とすれば、広島県民の迷惑を鑑み、中国資本に買われなければよいがなと、本気で思っています。

 それはそうとして、広島の政治勢力は、非常に嫌なところで、広島市の高教組、労組、反核、反原発組織はまことに下衆な団体です。
 岩国米軍基地に反対するため、岩国基地の騒音にいちゃもんをつけたり、中電の、原発余剰電力など、広島市民くらいしか受益はないのに、安心安全な、地点から、山口県の原発予定地決定になんくせをつけたり、そのバカげたパヨク性と、反動性に定評があります。
 それ以前に、私には、許せない思い出があります。
 2011年の3.11,東北大震災の際にも、自然災害によって、2万人弱の自国同胞が理不尽にもなくなり、その被害の直後、地震の被害状況も、住民の苦衷、苦悩もわからない時期に、「原発があるからこんなことがあった」と、コメントをだし、彼らは、その、人でなしぶりを、存分に発揮したの
です。(科学兵器と、科学技術を、同意に論じる、彼らの低能ぶりを私は、決して許しませんが。)
 さすがに、人とも思えない、その所業に、私も心底怒りを覚え、要は、自然災害も、核兵器も、原発もおしなべて政治的に利用しようとする、腐った政治主義と、退廃した人間的な不道徳性に怒りを覚え、SNSを通じコメントを出し続けました(東京パヨクに遮られ無力ではあった。)。
 終いには、「もしあなたが人間であれば、私は人間ではない。もし、私が人間であれば、あなた方は人間ではない」、シベリア抑留で練り上げられた、石原吉郎の、無理解者、敵対者の「人間性」へ対する厳しい拒否を思い出したわけです。
 もっとも、この石原吉郎の場合は、強制収容所で、人民抑圧を繰り返す、ソビエトスターリニズムの役人と協力者に対してですが。
 それを言えば、この人たちは、もともと、ソビエトスターリニズム、極左中国毛沢東主義、いわゆる、個々の人間の家族尊重や、併せ持つ社会的親和性の存在を打ち消し、党への奉仕を強要し、その親族によって人前でつるし上げ、粛正するような恐ろしい共産主義イデオロギーの、いわば戦後共産主義の鬼っ子たちのシンパなので、さもあろう、ということです。
 すでに、日本人であろうということを、拒否しているのかも知れない。
 今も、ウイグル、チベットで、中国がまったく同じ、民族浄化を繰り返すことを、彼らは支持します(政治団体として何のコメントもしないということはそういうことだ。)。
 さすがに恥ずかしいのか、顔をよそに背けていますが、加担していることは、発言すらしないことをみれば明白です。
 要は、こんな人たちを、日本人と認定するのは間違っているということです。
 グローバリズムの手先、そして、破綻した、世界同時革命、世界永久革命の手先なのです。

 「非核三原則は、(広島パヨクのタブーなので)国民が考えなくていい」、と、日本人を無権利者・無能力者として判断し、とことん、バカにした、要は、国民の政治参加と、政治理念表明を、侮り虚仮した、いわゆる本来的な意味で、民主主義を否定した、岸田文雄と、まことに相性が良いわけです。
 内閣不信任案は、この時、提出すべきだったのです。
それを理解できない、立憲などのパヨク勢力はバカなもんだが、彼らは、同様に、国民を、常時、バカにしているので、何をいわれているのか、理解もできないのでしょう。

 自分たちにとって迷惑施設は、他県に押し付け、父祖の代の「原爆被害」体験を盾に取り、隣接県を脅迫する。
 もう飽きた。うちの、義父は、兵士大衆の一人として、原爆投下直後に、広島県に、その救援と、後片付けに、命を懸けて、従事した。人は命令だけで、その責務に従事するわけではない、それが、同胞としての責務であり、当然と思ったわけです。
 私の仄聞した限りでは、広島刑務所の囚人たちも、あと片付け(すなわち死者を回収し葬ることです。)、に従事し、服役者ではありながら、人間として、何と尊い姿と、感謝されたやに、聞きています。

 しかし、彼らは、東京の反核、脱原発運動の支持者と同様で、自己利害と、無考えのパヨク性だけで動いている。
 要は、彼らの活動は、戦後の由緒ある、どうしようもない、パヨクバカの、系譜をひくものなのです。
 したがって、芸術でも、「主題に反核がないものは文学的価値がない」、などと、恥知らずのスターリニズム芸術論を繰り返し、戦後のまともな思想家に、ひんしゅくを買い、批判され続けたところです。
 広島出身のわがサークルの先輩も、直接体験抜きに原民喜など何の意味もない、と言っていました(「失礼」)、彼は、学校をさぼって、あの「ヒバゴン」を探しに行った人ですが。

 ところで、最近では、中国政府の傘下、上海電力が、岸田首相の未必の故意(陰から意識的に優遇するということです。)により、山口県岩国市、由宇地区に、米軍ベースの監視のための、太陽光発電用地という名で、大規模土地を取得し、山口県にも、その悪影響を伸ばしています。囲障の中で何が行われているか、まったくわからない。
 そもそも、非常に非効率で、コストも高い、電力をなぜ、電気事業者は買い取らなくてはならないのか?
 私たちは中国の奴隷なのか?
 なぜ、国力を低下させる、非効率な再買電などを、政治家の都合でしなくてはならないのか?
 私は単純にそう思います。
 自国のライフラインを他国に売り渡す、オーストラリアでもどこでも既に行った歴史的誤謬を無批判で繰り返す、日本国政府に不信感を抱きます。

 防府市の航空自衛隊の近くにも、民間企業から中国が広大な土地を取得したという事実もあり、それを看過し、こちらは、黙示の承認(他県のことだから俺のけつに火はつかないだろう。中国はうるせーからな。)でしょう、何の手も打たない、岸田首相に、批判が集まっています。
 せめて、岩国地区は、防衛大臣岸信夫氏の地盤でもあり、山口県民のために、どうにかして、手を打って欲しいと思われます。
 山口県民は、本音では、林芳正とその追随者(利害関係者)を加え、岸田文夫と手を切りたいのです。

閑話休題、
 私の大学の同窓に、中村ウサギという人がいます。
 確か、本年62歳であり、私たち最後の政治の世代とは、少し、離れた年代(私より三歳下)の人です。
 私の受験時に、英文学科の偏差値は異様に高く、全国の英語好きのお嬢様たちが、本気で目指していたようです。ほかには、種ともこさんなどがいます(彼女の「出町柳」という歌には思わず、涙が出る。)。
 英文科の男どもの方は、うちのサークルに数名居たのですが、大したことはありません。
 彼女も、同志社出身者の御多分に漏れず、少し変わった人ですね。
 同様に変人の、外務省のラスプーチン佐藤優(彼女よりさらに3歳下だそうです。)と神学論争をしていましたが(著書から見れば、どうも創価学会擁護であるらしい佐藤優に興味がないので、買ってまで読みません。)、彼女は、マルクス主義と、同志社プロテスタントを安易につなげる、佐藤を批判していましたが、彼女は、案外まじめな信仰者なのかも知れません。
 しかし、彼女には、異様なラディカリズムがあり、どうも多分に意識的に、観念の力で、自分を抑え、自分の枠組み(良家の子女としての)を解体し、終いには自分の「人間的な」枠を壊そうとする強い指向があり、興味深いので、しばらく、彼女の本に付き合ったことがあります。
 様々な、経験、職歴を経て、現在は、難病と闘っているようです。
 その中のキャッチコピーに、「行き当たりばったり人性」というのがあり、私においても、最近感じるのは、そういえばそうだな、と思うようになりました。
 すなわち、私が、何が言いたいかというと、今回のブログも、とりとめなく、もっと長くなりそうなので、当面、「行き当たりばったりブログその1」、として終了します、ということになってしまいます。



日々是れ戦い

2022-05-31 21:37:51 | エッセイ

 画伯は、野草を描くのも好きなようで、左手は、素描「つゆ草」(水を張ったコップに入れているだけで成長します。)、右側は、溝蕎麦(溝蕎麦:ミゾソバ:油絵)二つとも、田んぼの畔に生えるような野草です。画伯は、こんな平凡なしかし自立した花が好きだったのでしょう。マチエールは、おなじみの、黒と茶の二重だと思われます。
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 この五月末、10年ぶりくらいに、長門市の香月泰男美術館に行きました。
 その内容については、再度、稿を改めたいと思います。
 画伯の主な画業は、シベリアシリーズとして、山口県立博物館に遺贈され、ここは、彼が愛した郷里(大津郡三隅村:現在は長門市三隅)に遺族の希望で作られた、公立の美術館です。
 田舎にある美術館は、展望台からの借景を含め、田植えどきの緑が本当に美しい。
 しかしながら、外壁に、シベリアシリーズのモチーフ(ラーゲリに運ばれる兵士の貌の群像)がデザインされ、うちの妻は、かつて、美術館に入るのを拒否した。当然、私には異論があった。
 シベリアシリーズは、山口県立美術館に遺贈されてここにはないと、理を説いても伝わらない。私だけで行くこととした。

 観覧を終わって、絵葉書を選んでいると、おばちゃんたちが、なだれ込んできた。
 しかし、いわゆる、女性団体の猛々しさも、過度のけたたましさもない。
 平日なので、忙しい人たちではないのだろう。
 窓口とのやり取りで、香月画伯の教え子の団体であることが判明した。
 画伯はシベリアからの復員後、1947(昭和22年)下関高等女学校に復籍し、翌年深川高等女学校に赴任しているので、憶測すれば、当時の彼女たちの推定年齢は15歳として、現在、サバ読みして、85歳くらいである。
 活力は不断にあるので、仲間たちの車いすを、ちゃっちゃと、手早く用意する。
 皆おしゃれで、元気がいい。
 久しぶりの、郷里での会合なのだろう。
 香月画伯はハンサムだったので、当時、美術教師として、大人気であったろう。
 彼女たちの内面では、あこがれの君だったかもしれない。
 いわゆる、新制高校前の、お嬢様たちのグループである。
 コロナ性うつ病の私とすれば、彼女たちは、うらやましい限りである。
 彼女たちは、残年数を数える努力などしていないかも知れない。
 「いいなあ」、と心底思った。
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 今回のブログは、スーパーの、一部レジババアとの、神経戦を扱います。
 最初に、よいおばあさんたちとの出会いを書けたので、うれしく思います。
 教養ある、したがって自省心があり、自己の感情に抑制のきく、おしゃれなおばあさん(きわめて優良に人間的な)女性たちを、私はとても好きです。
 若い娘も、昔ほど好きではないので、若くても、あたまの悪い、傲慢な彼女たちにも、あまり興味がなくなりました。
 それこそ、ロス・マクドナルド(邦訳:魔のプール)の、リュー・アーチャーではないですが、年を取れば、年齢の近い女性に惹かれるんです。

 私の男としての業の故でしょうか。

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 昨年三月末に完全退職(?)して以来、晴れてプータローの環境となった。
 嬉しいことに、意に反する、生活のための苦闘が、当面ないので(要は贅沢さえしなければどうにかやっていけるということだ。)、それは、小幸福である。
 ユーチューブ動画などを覗くと、女性により、年金・遺族年金などで足りず、アルバイト、投稿の放映料(報奨金)(?)を足しに、かつかつやっているという、投稿がいくつもある。
 生活費に補填するため、止むを得ず、ユーチューバー(投稿者)に転身したという。
彼女たちが扱うのは、こちとらも周知の、平凡で少ない種類の、決して上質でもない食材ではあるが、長年の家事スキルと教養で、手際よく夕食を作り上げる。
どうもその光景は、意味もなく反復される日常生活のように、視ているものを、沈静化させるような効果があり、こんなことでも、ひとは癒されるのかと、私には興味深いところでもある。
その過程で、彼女たちの個食の原因、離別、死別、夫婦、家族間のトラブルなり、彼女の抱える後悔や、屈託、ルサンチマン(怨念)などが、問わず語りで説明されていくわけである。
 こんな女性たちの生き方もある。
 多種多様を誇っているわけではない。生きるために、生活のために苦闘している。
 一方、男による、投稿は、身につまされ、なまなましく、慰藉にもなりにくいところがある。
 ときに、人によっては、男のきびしい状況をうれしがる人がいれば別だが、同性の私がみていて、非常にきつい場合もある。
 本人がどう思っているかは別にして、男の孤独と孤立は、奈落のように、際限がないような気がすることもある。
 その意味で、私の、ブログを読んでいただく人には、改めてお礼を申し上げなくてはならない。
 また、ブログの更新をしばらく怠っていることにも、お詫び申し上げます。

 「一遍くらいわらってみなさいよ」、妻によく言われることである。
 確かにそうだ、前向きな男として、苦しい時は笑って見せればいい、しかし、笑えない。
 ひとのせいにするわけではないが、私見とすれば、私の慢性うつの常態は、これは、どうも、コロナファシズムに因することだ。

 最近、日々、起きるたびに、毎日のルーティンワークに、イライラする。
 友人の妻が、「うちの夫は一日中テレビの前でじっとしている」という。彼女にとってそれが、とても嫌なのだ、おそらく。
 彼の気持ちはよくわかる。
しかし、妻の気持ちはもっとよくわかる(という気がする。)。
再度、しかし、皆がそんな、思いやりある妻と、恵まれた環境にいるわけでない。
 一般的に、男どもは、生活のために苦闘しているし、家族の中で、その役割を懸命に果たそうとはしている。
 おれが食わせてやっているという、前提も、主張ももう駄目なのだ。
 しかし、男としてのその努力は、常に足りない。
 自分が思うほど他者は評価しないし、寛容ではない。

 事情があって、かつて、私も、五年間くらい自炊したことがある。
 料理本も、料理ネット放送もあまり役に立たない。
 参考になったのは、かつて観た、妻の料理手順だけである。
 自分でやってみて身についた。
 もちろん、一流を目指さないからである。
 教養というものは、こういうものだと、素直に思った。

 田舎ならではの事情で、うちは、結婚は早かったし、妻が理系で、フルタイムで忙しい仕事はしていたが、こどもたちの自立が早かったので、夫婦二人だけの生活は結構長い。
 当時、近所のスーパーなどへの買いものは、妻の仕事もあって私がほとんど行っていた。
 それこそ、パリでの貧困時代のヘミングウェイがいう、自分はセーヌ左岸第一のポアロねぎの目利きである、ではないが(アリス・B・トクラス自伝)、JA下松売店の葉物野菜の目利きは私に任せて欲しい(笑い)。
 しかし、合理的に買い物すること(すなわち当面不必要なものを決して買わないこと)には、多大な時間と努力を要した。
 要は、家族で食するおかずの構想力と、計画性、不時の必要、その応用ができないものは、買い物をすべきではなかったのだ。
 それは、今でもそう思う。

 閑話休題、私は、普段、市内二箇所の、アルクというスーパーを利用する。
 なぜ、利用するかについては、いろいろ理由があるが、通常、それ以外に、行くことはない。
 うちの近所には、イーオングループというスーパーがある。
 店舗の場所によって、施設に発電パネルを設置する、あそこである。

 そこには決して行かない。
 中国系の商品が多く、自社系列の商品しか置いていない、からである。
 その徹底は見事なものだ。
 しかし、客に、商品選択の自由をあたえない、というのは、商人として、見下げはてた行為である。

 私が行くアルクというスーパーは、へきすう地(失礼)、山間等、周辺地に、サンマートという、小規模スーパーを展開している。
 かつて、山登りをしていた時に、たまたま、そこに立ち寄ったら、アルクとまったく同様な商品を、その目玉商品をまったく同様な価格で販売している。
 商人が、どのような商品を、どのような価格で売るかは、勝手である。
 しかし、その地区に在住する、経済的弱者、すなわち、老人たち、あるいは運転免許を持たぬものにとって、どれだけ、この商店施設が有益であるかは、よく理解できた。ここは、へきすう地のライフラインなのだ。
 スーパーの地域密着型というけれども、その実現はむつかしい。
 採算の採れない地区では、移動販売車を派遣した方が、はるかに合理的である。
 このスーパー展開は、これは私企業として、善の仕事である。
 どれだけの人間が恩恵を受けているか、いわゆる、不自由な自己の、選択の自由を拡大し、その恩恵を受けているかは、計り知れない。

 閑話休題、私は、中央部にあるアルクと、少し、離れたところにある、別支店と、交互におとづれる。
 それぞれ、私にとってメリットがある。
 一方の駐車場が、売り場にやや近い。利用料無料のキャッシュディスペンサーがある。コピーサービスが使い易い。商品種類が多い。様々な理由がある。
 なかんずく、キャッシュディスペンサーについては、地元の性悪の地銀山口銀行が、手数料無料の機械を次々廃止してしまった。したがって、当該機械の存在は、今では、この地区で、非常に貴重なものである。
 また、二店あれば、客としても商品価格も比較しやすい。
 顧客にとって非常に合理的なのだ。

 しかし、片方の店舗(生野屋という別支店)については、従前(かれこれ10年くらい前から)何度も嫌な思いをしている。
 要は、二店のレジカウンターサービスのおばちゃんの顧客対応の差が厳としてあるのだ。
 中央店の、レジカウンターの対応は、とても良い。親切で、人による配慮を試みる。
 どちらの店舗も、スタッフは「笑顔で応対」という、ネームプレートを下げている。
 中央店で、今まで、嫌な思いをしたことはあまりない。
 いらっしゃいませ、という言葉を欠かされたこともない。
 世の中にはいろいろな人間がいるもので、中央店で歌うようにレジを打つ(おばちゃん)を私は知っている。それが、彼女の天職なのか、愉しいのだろうな、とこちらも想像する。
 生野屋の店舗にも、客に対し丁寧な扱いを好む、レジのおばちゃんを何人も知っている。

 要は、あらゆる窓口において、私たち日本人は、人間的な付き合いを求める。
 そして、どうもそれは、日本人だけではないと思われる。
 英語のイディオムに、「クイックバック・セールスマン」という用法があるという。
 契約(販売)がおわりしだい、無駄話もせずに逃走する合理的思考セールスマンは、嫌われ、次がないという。
 西欧も同様に、商売に、人間的な付き合いを重んじる。
 ロシアは知らない、しかし、共産主義国家、中国では、いかにもありそうな話ではないか。自分以外はすべて敵という、国家では、こんな話はいくらもあるだろう。
 あの、お笑い、北京オリンピックをみていれば、思い上がった中国人の利己主義と、他国民に対する、理由のない優越と反感が、隙さえあれば、ずるを決め込むその国民性が、私たちによく理解できたではないか。
 中国は、異質な国家である。

 要は、言葉を惜しみ、愛想(?)すらもないようなサービスに、本来、日本人は慣れていないのだ。
「思いやりと察し」という言葉は、そのものの発露であり、画一性をすべてに押し付けるグローバリズムに正反対の、日本国の誇るべき伝統文化ではないか。
 コロナ下で、常時不快の状態で、口数も惜しむようなじじいにも、そのレジ対応の良さは伝わる。
 何度もいうが、マスクの常時着用で、被害者意識と伝わらない思いに、苦り切った親父にも、きちんと伝わるのだ。

 私は、晩年の仕事場で、窓口を担当したが、来客者に対し、常時、いらっしゃいませ、くらいは言った。
 サービス業で、至極当たり前のことである。

 しかし、コロナ下で、日本国民のこの良習がどんどん失われる。
 人を見ればコロナと思えという、相互不信と、いわれのない、他人に対する偏見や敵意は、悪意と、利己主義の容易な温床となる。
 マスク越しに、くぐもった声で、プレート越しにやり取りをしていると、話が伝わらず、それに対する、スタッフの配慮がないと、終いには、我慢できず、客が切れる。

 片一方の、アルク生野屋店には、それが欠落している。
 あるとき、最初から一言も言わない、レジのおばさんに、とうとう私は切れてしまった。
 「なぜ、いらしゃいませ、と言わないのか」、と注意した。
 そのババアは、「ちゃんと言った」と言い張り、私を質の悪いクレイマーをみるように、にらみつけた。
 「客に、聞こえなかったら、何の意味もないだろうが」と、私は言ったが、ババアは引き下がらない。
 仕方がないので、「聞こえなかったら、何度も注意するよ」、と、その場を収め、引き下がった。
 そのババアは、しばらく、私の顔を憎々しげに見送った。
 なかなか、ガッツのある、ババアである。
 私は夫婦げんかで負けたことはないと、自慢しそうな女である。
 お前の亭主の貌が見たい、こちらも捨て台詞でも言いたいような雰囲気である。

 次に、行った時も常習者のほかのババアが、まったく、同じことを繰り返したので、止むを得ず、まったく、同じ注意をした。
 なかなか、彼らは、目の前で行われるショーをみて、教訓に学ぶとか、客の意見を職場でフィードバックするつもりはないらしい。
 そうなれば、次は、精神消耗戦である。
 また、別の日に、レジに並んでも、同じババアが何も言わないので、「あいさつ!」というと、しぶしぶ、「いらっしゃいませ」と言った。
 「よし!」と褒めてやった。
 まさしく、ポンチ画である。
 もう一人、以前から、質の悪い窓口がいたので、「私は、アルクの中央店でこんなあしらいを受けたことはない」、と言ったら、「うちはそんな悪い対応はありません」と居直る。
 さがった方が負けである。
 こんな女の生き方もある。

 仕方がないので、このまま、今後は、レジの悪いおばさんを選んで、百年戦争を繰り返そうと、思っていた。
 現場のまずい対応のつけを、直ちに上司に苦情を言うのは、本来、私は嫌いである。

 しかし、あるとき、繁忙時の際に、レジに立つ、男の店員に出会った。
 この男は、パートタイムではないだろう、しかし、最初から最後まで、見事に何も言わない、ひょっとしたら、これが、窓口主任かも知れない。
ようやく、ことの一件が、腑に落ちた。
 こりゃダメだ、と思った。
 この腐った男が、傘下のおばはんに注意できるはずはない。
 逆に、対応のいいおばさんは、自己の良い資質と自分個人の人間性と、経験則で、愚かな正社員主任のそのうえを、モラルの向上を実現していたのだ。
 私は、自分の仕事に手を抜く人間は、大嫌いである。
 自分次第で、どうでも解決できることについて、改善の努力をしない人間は、心底クズだと思う。
 ちょっと前の話になるが、橋爪大三郎が、中国にゼミ旅行に行った際、中国のエレベータガールは、勤務中に、機械の操作もせずに、ゲーム機を使いまくり遊んでいるという。それを指摘すれば、逆上する。
 どうも、つまらない、権力者とコネがあるのだ。

 イデオロギーというものは、そこまで、人間を退廃し、堕落させる。
 おなじ給料をもらい、参加する組織の中で、努力する人間と、努力をしない人間を同等に扱うのは、共産主義と同様である。
 どうも、世の中には矯正できない人間はいくらもいるということである。
 他店できちんと対応しているのに、自己店で改革できないのは、その店のモラルと、やる気のなさの表れである。
 私は、買い物客として、経営店舗に侮られるつもりはない。
 私が、買い物に来るたび、なぜ、不快な思いをしなければならない。
 それこそ生きているだけで、私たち大衆の大多数は、不快な思いをし、それに耐えながら生きぬいているというのに。
 どうも、これは、政府のコロナ対策の不備が、遠因なのは確かだろう。
 しかし、私は、10年以上、窓口のババアの理不尽に耐えてきた。
 自分本位で考え、老人などの弱者をあなどり、人間としての親切心も配慮にもかけ、言葉も尽くさない無礼に耐えてきた、弱者のため注意しようとも思った。
 今更、引き下がるつもりはない。
 善処を要求する。
 なぜ、現場が、社是のように現場が対応しない。
「笑顔で対応」その通りではないか。

 次に、アルク中央店、アルク生野屋店に共通する悪癖がある。
 場内放送が不適切ということだ。
 「○○主任、〇番に」、場内呼び出しをそこでやめる。
 これは、良くない、客の方が、私たちも、こんなに粗略に扱われているのか、とおもう。
 丁寧語がなぜ使えない。どれだけ、時間がかかる。
 仕事上の対等なチームで、粗略な言葉のやり取りは、必ず、人間関係に悪い結果をもたらす。
 是非、改めるべきだ。
 せっかく、良いスーパーに立ち寄っても、悪い印象など抱くのは、お互いに損失である。

 というように、私の怒りと、日々の戦いは、今日も続く。
 コロナという、悪状況は、悪循環を何度も繰り返す。
 岸田首相、ワクチンが医療事故を繰り返すとなぜ言えない。
 小学生になぜ、医療事故が起きる。ワクチン接種から始まった以上、原因はワクチンに決まっているではないか。
 いい加減、あなたの優柔不断で、アメリカ、中国、韓国など、他国民随順、国民不在の政策に飽いたが、最期に、岸田よいい加減にしろ、おれはお前を決して許さないという、結論となる。
 
 閑話休題、アルク両店は、現場の改善を行って欲しい。
 現場の自浄努力を期待する。
 私は、イーオングループに行くつもりはない。在日経済人の推奨する、ペイペイを使う気もまったくない。
 地域に貢献する、企業を支援したい。





わが闘病記(広島大学病院に入院して)その4

2022-03-31 13:57:28 | 時事・風俗・情況
 泊りがけの通院から帰ってくると、テーブルの上に、ぱっとしない色の折鶴が、二つおいてある。
 どうしたんだと、妻に尋ねたら、うちの孫(6歳)が、「じじのために」、どうも、じじの病気の、快癒のため、保育園で、先生に教わり、教わり、とうとう、折り上げたそうだ。

 私は、生来の不器用で、幼稚園の工作にも、なかなか、ついていけなかった。
 やっこさんは折れたが、鶴はとうとう、最後まで折れなかった。
 皆に侮られただろうし、できの良いこどもとして、先生にかわいがられたこともない。
 ましては、他人のために、鶴を折るなど、生まれてから、したこともない。
 このたび、孫が、折ってくれた、鶴を見て、こどもを持って本当に良かった、と、心から思った。

 うちのうえの孫は、結構むつかしい男である。
 ジジイによく似ている。自分の気の向かないことは、決してやらない。
 それは、保育園の先生に、使そうされたことなのかもしれない。男児にとって、好きな先生は、やっぱり、特別であるから。
 しかし、じじが、一度も、実行できなかったことを、彼は、やすやすと、飛び越えた。
 また、他者に無償の施しができた、私から見れば、それは、偉大な達成である(じじバカと思う人は笑って欲しい。)。

 私には、彼に、施す、金も財産も、手間をかける残年数もあまりない。
 今後も、彼らは、易々と、私のできなかったことを、乗り越えていくかも知れない。

 私は偏屈かつ貧困なので、彼らに、大きなギフトはできなかった。
 しかし、後は、私の余生を使って、彼らが、悩まずにすむよう、日本国の環境整備に、努力しようと思う。
 バカじゃないの、と、うちの妻はいう。
 しかし、迂遠なところから、他者のために、私たちの社会のために闘うことを、私は心がけている。
 利口なやつは笑えばいい、しかし、それが、義を通す、偏屈ジジの生き方なのだ、というしかない。
*************************************
 病気の病状は生きているというのは、事実である。
 こちとらも生きているからである。
 生きているからには、不快も、あれば、小幸福もある。
健康というのも、そもそも、小幸福なのか、大幸福なのか、人によって、位置づけが違うかもしれない。
 しかし、それが、ありがたいことであることは、小だろうと大だろうと、当人にとって、それは確かである。

 昨年の、9月から、検査入院を経て、10月から通勤治療を受け、ほぼ、半年、経過した。
 私の病気の特性により、私は、定期的(隔週二週)で、化学療法を受け続けていた。
 もともと、頑健だったのか(?)、治療の副作用(副反応ではない。)には耐えられている。

 それは、自分で、この程度の副作用など、皆が耐えている程度に比べれば何ほどなのか、考えたからだ。
 ひと月半にわたった、検査入院の際に、いろいろな患者さんの実態を観たからだ。
 重度の患者さんも、数多く見た。当初、皆、放射線治療かと思ったが、ほとんどが、化学療法の患者さんだった。
 皆、厳しい、つらい、闘病人性だった。
 こんなことを、本来、縁なきものが、恣意的に、他人に、強いるものではない。
 ましては、一般論を、人に、押し付けるものでもない。

 個人的な事情を言えば、当初から、化学療法を通算10回くらい続けていた。
 その重みを、実感したのは、化学療法の反動と負担が、だんだん、私にとって、大きいものとなってきたからだ。
 私の病状は、今後、動脈、リンパ腺からの転移は、少ないだろうと言われていた。
 したがって、私の化学療法とは、化学療法が使える患部の進行の阻止と、縮小した患部を、関連部分臓器などと一緒に、摘出することを、第一義としている。
 しかし、患者さんとすれば、化学療法による、副作用には、習熟したが、決して愉快なものではない、このたびの、ように、急に、発熱すれば、やはり、困る。
 しかし、二週間に一回のペースの治療だが、それを外せば、ほぼ、発症前の生活の質を保てている。

 患者さんは保守的なものである。
 現状維持を好み、別の、療法の良さをすぐには理解できない。

 唯一、患者さんと治療者の両者で、治療法が合致する大きな理由といえば、生存残年数の問題になるだろう。
 ただし、術後の生存年数は、無手術と、手術後と、それほど差がない、ということだった(私の調べた範囲である。)。
 そうなれば、患者さんとすれば、逡巡するのである。
 私は、先の発症のときから、自分で自分の未来をいろいろシミュレートしてみた。
 所詮、それは、シミュレートでしかないが、考えるだけは考えた。
 今の私にとっては、残年数自体よりは、残年数の生活の質(いわゆるQOL)しか、関心を惹かれない。
 初回入院のとき、いろいろ考え、ひとまず、私の死後の世話はつけたので、実のところ、後は、お他人様のこと、と思っている。

 前に書いたように、私に先立って、うちの妻も大けがをした。
 その後、後遺症が残らず、私たちは安堵した。
 しかし、私たちが思うよりは、ひどいけがだったらしく、寒い時は、ことさら、調子が悪いらしく、予想できない、症状が出て来る。お気の毒なことである。
 そうなれば、自分がかわいい。
 まずは、自分が健康でなければ、どうしようもない、と思うのだ。
 なかなか、亭主の介護など、望めない。

 私の場合はちょっと違う。
 化学療法を外せば、ほぼ、私は、常人のように動ける。
 そうなれば、私が動くしかない。

 そのような経緯で、お互いの意見の決定的な亀裂は、お互いに避けたのだが、それ病棟の待合室で、夫婦のやり取りを聞いていると、患者さんの妻の言い分に、さすがにこっちが切れそうになる。
 きれいな夫婦愛など、みじんもない。妻は、露骨に、自己利害と自己都合を全面的に押し出す。
 今の段階で、争うのは嫌だろうから(立場の強弱は明らかなので)、そのうち、人目を愧じ、男は黙る。

 女は、ひいたら負けの個所では、人前だろうと何だろうと、決してひかない。
 結論として、看護師が、「あなたのためを思ってもことだから」、なだめるが、「しようがないわね、しっかりしなさいよ」と言外で語っているのは、ありありである。

 ということで、患者さんにも、経済的にも、親族的にも、また、病魔とも闘う、解決すべき事はいろいろあるのだ。

 激烈な、間断のない痛みというのは、判断というか、選択の余地を狭めるというのは確かかも知れない。
 その境遇でないことを幸せに思う。

 しかし、ひとたび、現在のそれなりに耐えきれる状態と、架空の救いのないような状態を、比較して考えたら、耐えきれる状況を選ぶのが、患者さんの本音だと思う。

 私は、日本人なので、勇気ある生存というようなものを信じない。
 「辛抱、我慢」という発想も、寄り添い難い。
 今さら、「苦痛は証だ」、という境遇に行きたくない。
 日々、体験し、思考することは、尊いけれども、それがいつまでも続くとも、思えない。

 それならばと、退嬰的な考えに、人として、行きそうである。
 それこそ、現状肯定と、大きな変更を好まない。
 意識的な、選択を回避しようとする。
 いくらもあることである。

 私はなすべきことはした、ような気がする。
 後は、世間がいう遺徳のようなもので、余裕があれば、正義の側に組する、仕事をしたいと思う。

 閑話休題、私が、バタバタしているうちに、ロシアと、ウクライナの戦争が開始し、炎上した。
 どうも、釈然としない。
 各々において、義も、利害も、思惑も在るだろう。
 しかし、忘れてはならない。
 シモーヌ・ヴェイユが、戦争について、「戦争の遂行者(指導者)は、まず、老人、こども、婦人などの社会的弱者を、敵の前に差し出す」、と言あげたことである。この言葉は、吉本隆明に教わった。
 彼女は、彼女の思想的態度として、いつでも、紛争のただなかに、自分の身体と、思想をおく、用意はあっただろう。
 しかし、残ったのは、この、卓越した、認識と言葉である。
 自国での内戦は、決して行ってはならない、行われるように立ち回ってもならない。
 まさに、自国民を、戦争の道具にしてはならない。
 それは、政治家として恥知らずな所業である。
 今のところ、私たちに、視えて来るのはそれだけである。
 紛争が不可避である以上、抑止力としての、核武装、抑止力としての、自前の国土防衛軍を持つこと、国民国家としての日本国の富国強兵を図り、他国の紛争に安易に巻き込まれないこと、問題はそれに尽きている。
 うちの、孫たちの未来を守るために、まずそれを、実現しよう。
 大事な孫どもの、世代を、どうにかしてあげたい、それは、ジジイの切なる願いである。
 いつもながら、とんでもない結論だが。


「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」のバカバカしさ(学齢期ワクチン接種という愚挙)緊急提言

2022-03-03 06:36:44 | 時事・風俗・情況

周南市が、「こども部」を作った以上、私は、虐待問題、貧困問題を本気で取り組むことと思っていた。
県が、貧困所帯に対する食材提供を、貧困所帯に対する支援と、決して認めず、期限切れ食材の有効活用とすり替える以上、周南市として、勇気をもって、貧困所帯に対する支援体制を作り上げると思ったのだ。
しかし、それは、あてが外れた。
標記写真は、周南市鹿野地区の、社会福祉法人山口県共同募金会の、貧困家庭(決して認めない)への、ボランティア支援事業で、啓発のため、一般市民に配布されたものである。
デフレ、コロナの併存、日本政府の外国人労働者の恣意的な導入のもとで、日本国の中小企業労働者は、貧困にあえぎ、フルタイムの仕事どころか、自己のこどもに対する食事も十分に用意できない。貧困の中で、虐待が起きるのも、当然の帰結である。
啓発ビラはいただいて、カンパもしたが、ボランティアで済ませていいのかは大きな問題である。
少なくとも、周南市は、重点政策として、こども援護を目標にした。
貧困、欠食児童生徒に対し、市直営(市の直接委託契約で)で、責任をもって、給食事業を始めるべきである。
始める場所は、中学校、公民館、どこでも可能である。
地元団体との連携は重要だが、適正な衛生管理、責任の明確化、途切れなく続く、食事供給は、きちんと管理されなくてはならない。
なるほど、周南市は労働者の貧困について直接の責任はないかもしれない。
しかし、現在では、飢えたこどもに対する、間断のない給食の給付が、こども部の創設目標のひとつであり、まず、喫緊の課題ではないのか?
元実務者とすれば、こどもの医療費無料など、バカな政策である。
頭の悪い政治家が、無考えに試みる、安い、ポピュリズム(人気取り)政策である。
山口県の給付以上に単市の給付上乗せなど、愚の骨頂である。
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 先に、私立大学、徳山大学を公立化するため、いかに、バカバカしい、騒動が起こったか、書いてきた。
 それは、ショクドクトリン(緊急政治的事件の際、隠した重大な政治的案件が決められること)としてつかわれた、過剰なコロナ騒動の中で、市民に対する説明、デメリットの説明(市民にとってメリットはないので)すらなしで、利権を同様にする議会、建設業者、考えのない地元商工者の、圧倒的な支持のもとに、強行された。
 それは、事実であり、仕方がない。
 市長方針に対する反対勢力もなかったし、反対しなかった市民は、そのつけを自分たちで払うしかない。
 なぜ、問題だらけなのかは、別途、「「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」のバカバカしさ(徳大公立化の愚挙)」に書いたので書かない。
 しかし、あれだけ、市民アンケートが好きだった、周南市長、藤井律子市長が、旗色が悪いと、自己の利害を損なう、危険な手法(この場合、公立化アンケート)は、決して取らないことを、周南市民たちは、よく覚えていればよい、と思う。

 私は、行政職だったので、政治家とは見解が違う。
 ポピュリズム政治の中で、藤井市長は、やりたい放題をやっていた。
 いくらもあるが、今回は、「こども部」の設置について、記していきたい。
 足りない部分は、後日、記す。

 もともと、「こども関係の部」と総括すれば、福祉と教育と大まかに二つにわかれる。
 当然、双方とも重要な仕事である。
 しかし、さすがに、教育の実情(生徒・児童を直接教育場面で、監護・指導すること)は、いくら出しゃばりの市長でも、直接、口をはさむことはできない。それは、当然のことである。
 そうなれば、市当局とすれば、学校の、周囲環境の維持・整備、学校を離れたこどもたちの、社会的生活の支援・監護、必要があれば福祉支援を目指すところしかない。
 それなりに、限定的な、仕事である。
 しかし、場合によっては、社会的な存在でもある、こどもたちの、権利擁護、安心・安全を確保し、監護する重要な仕事である。

 このたび、文部科学省は、政府が強行する、学齢期から、ワクチン接種の義務化を、任意設置で実施する、ガイドラインを全国に通知した。
 同時に、ワクチンを大量発送したわけである。
 自己責任を前提で行われる、個々のワクチン接種を個々の親の判断にゆだねるという指導である。
 本来、ワクチン接種では、副作用は生じない。生じないのであるから。副作用が出たら、副反応と呼ばれる。救済はない。自分のリスク意識と判断で、ということになる。

 試しに、先に二回行われた、ワクチン接種の、実施資料で、厚生省職員のワクチン接種率(2回目までである。)が10%、国会議員が、30%弱、驚くべき達成率であった。
 どうも、ワクチン未接種は接種は危険であると、NHKその他のメディアがあおった80%から90%の国民接種達成率から比較して、官僚・政治家は、その安全性を疑い、自分は決して打たないと、その本音を隠していたわけである。
 60歳以降の、免疫低下の世代にインフル同様に犠牲者が出るのは、残念であるとしても、ウイルス被害で、ほぼ毎年2万人超の死者の数に比べ、著しい低下である。
 おまけに、PCR検査を経た人間が死ねば、皆、死因はコロナ死と判定されるという、とんでもない話だ。

 現在、壮年世代の、若い世代に死者が出ているのは、どうも、ワクチン接種の副作用(断じて副反応ではない。)と取りざたされているところである。
 私も、そんなものじゃないかと思っている。

 しかしながら、こどもに、コロナを原因にした死者はほぼいない。
 なぜ、犠牲者もいない世代に、ワクチン接種を強行するのか?

 藤井律子さん、昔の話をしよう。
 あなたの、夫君、藤井真氏とあなたは、大企業の労働者ではなく、また、変革を装うサヨク共産党の支持者でなく、青年団という、田舎に居住する中小企業労働者のボランティアを進める団体の出身だった。
 大企業で働き、会社の方針によって、地区ボランティアとしていやいや働くのではなく、また、政治主義の共産党オルグに取り込まれ、腐った政治運動をするのでなく(お人よしの、私の兄は党員になった。今は知らないが。)、自己の余暇と、楽しみの一部を、地域のため、地区住民に対して、返してあげたい、と、当時思っていたのではないか。

 青年団は、地縁・血縁に根差した団体だったので、名水を使ったそうめん流しや地元子供会と一緒にやった行事などに、はんぱに参加した私のような人間ですら、いろいろ思い出がある。
 先にも書いたが、青年団の心ある保育士さんたちと行った、「ストマイつんぼ」などの、薬害啓発映画にも行った。そして、憤慨した。
 後年、聴覚障害が、いかに厳しい障害であるか、仕事を通して知った。
 幼く発症した、聴覚障害は、親子の人間関係、信頼関係育成すら阻害する、重篤な障害なのだ。
 藤井律子さん、あなたが目指した、医療従事者としての職責の、良心にも、やりがいにも、こんな団体の、地域活動は、充分に益のあったはずだ。

 私は、あなたの夫君が、青年団活動を通じ、市議会議員として、政治的に利用しつつ、リアルポリティシャンとして、組織を利用してのし上がったとは思わない。
それなりに、学歴に負けない自負心も、政治家としての良心もあったに違いない。

 夫君、没後、衣鉢を継いで、政治家になったとしても、市内の周辺地出身であり、看護師というあなたの出身母体を、今、軽んじているとは信じたくない。
 私たちは、皆、数多い中小企業労働者の子弟である。
 相対的安定期の、70年代後半に、親に無理をさせて、高等教育をうけさせてもらった。
 私たちは、特権的な大企業労働者でなく、政治的反動団体(日本共産党書記長は日中友好協会の副会長ではないか。)にも騙されず、中小企業労働者として、その良心、地縁・血縁の倫理観によって、生育され、自己形成したわけではないか。
 大多数大衆としての、良心と、大衆の利害のために生きようとする覚悟は、私たちの社会生活を通じて、実現してきた筈だ。
 私たちの究極の目標は決して、自己利害でも個人主義ではない。
 この地で職を得て、少なくとも、私は、そう振舞い、思考してきた。

 徳山大学公営化はもう仕方がない。
 周南市の未来に禍根を残す、世紀の愚策だが、利益の同一と、目的を合一にする、議会、建設業者、無考えの商工者の出来合いレースで仕方がない。
 今後、公立化すれば、答申のとおり、公試験に基づき、地元市民の子弟は、ほぼ、入学枠はなくなるだろうが、市民が、是認するなら仕方がない。未練だが、再度、書いてしまった。

 しかし、話は変わる。
 なぜ、国レベルで、学齢期児童のワクチン接種は、効果があるとは、疑わしい、と、指示があったのに、周南市も、学齢期接種を強行するのか。
それとも、全国でやっていることだから、うちも、やればいい、とでも思うのだろうか。
 私の倫理コードに照らしてみれば、私が社会生活を務めている間は、当局から強いられれば、ワクチン接種はやむを得ない、と思っていた。
所詮、私の個人の命である。
 直接介護にあたる医療従事者、国土・国民の安心安全を守る自衛隊員ですら、ワクチン接種が義務化されている現実である。
 まだ、パンデミックの実態がわからない段階で、窓口公務員の私が、市民のリスクを排し、職責を貫徹するためなら、信念を曲げ、ワクチン接種をすることも止むを得ない、と思った。
 後日、パンデミックは大嘘が判明し、在職中に、やらずに済んだのは、僥倖であった。

 ワクチン薬禍の中で、犠牲になった、医療従事者、自衛隊員などに、哀悼と、お礼の言葉を申し上げる。
 現在、強行される、安全性が極めて疑わしい、第三次接種など、現在、基礎疾患のある私は、接種する気持ちなど全くない。
 ウイルスの世界的な、伝播状況、日本国のり患状況、あるいはワクチン接種の副作用状況、勘案して、まったく、メリットがないという判断をしている。

 しかし、学齢期以降のこどもは違う。
 彼等には、自己決定権がない。
 しっかりしない、親が、望めば、今後、どんな健康被害が出るかもわからない。
 大多数の親たちは、忙しいので、情報収集もできない。
 今は、そう、中小企業に勤めるどころか、フルタイムの職員もおぼつかない様な、不安定な状況で、我が家の家族の命をつないでいる。
 そんな方々に、自己決定を強いるのは、間違っている。
 公言しているように、「こどもたちの未来のために死んでいくのは、われわれ老人の役目ではないのか」、と、私は、マジで、思っている。
 要は、あなたとか、私が、未来ある子供たちのために、先に死ぬ方が、人間の倫理として、間違っていない、そちらの方が価値がある、ということです。
 そうなれば、こども支援部を作る前に、こどもの生命、安心・安全、健やかな発達を支援するように、全力を尽くさなくてはならない。
 そのためには、政府の政治的な思惑を排し、まともな、文部科学省の官僚の意見を、誠実に、取り入れなくてはならない。
 圧力はかかるだろうな、しかし、それが、政治的な責任であるということだ。
 名もなき、貧しく、正しいことを行う、「青年団」の理念だ。

 この際、やめてしまいましょうよ。
 支障をきたした、彼らが、成長し、思春期にでも至ったら、私は、彼らの、目が、恥ずかしくて見れない。

 藤井律子さん、今後、ワクチン接種を引き金に、ストマイつんぼのような、薬害による重篤障害、運が悪くて、死亡事故でも出たらどうするんですか?
 あれは、国のやることだから、市は無罪だというのですか?
 どうも、あなたも、学齢期に当たる、孫がいるらしい。
 あなたの、孫も、ワクチン接種を受けるのですか?
 そもそも、市の執行部、議会議員のワクチン接種の実績の報告はされているのか。
 人づてに聞くと、同調圧力に耐えきれず、平の職員は、おしなべて、ワクチン接種を受けたらしいが、しかし、市幹部、議会職員が、国レベルの実施率であれば、それは、市民に対する背信行為ですよ。

 最後の倫理規定として、残年数も見えた、今の立場で、私は、自分に、国民国家日本国の国民としての倫理を問う。
 もし、自分の社会的義務と、上位からの命令の相克があれば、私は、自分の道徳律に従う。

 市職員の皆さん、それくらいなことは、人として考える義務はありますよ。
 私たちは出世するために、あるいは豊かな生活をするために公務員になったわけではない。
 私の場合は、正義を実現するためになったのですが。

 今年の、公務はじめ式に、藤井市長は、着物で出席されたそうだ。
 ご自身は、私も、まだまだ「いけてるわ」と思われたのかも知れない。
 私には、他人の気持ちはわからない。
 しかし、私には、あなたの姿は、さる廻しのサルのように思えた。
 あなたは、徳大公立化推進勢力の、利権代表の走狗のようになっているのだな、としか、言い様がない。
 それで、幸せなら、結構である。
 もし、来年、まだ、そこに、いらっしゃるなら、議場で、三番叟でも、踊られたらいい。

 しかし、お互いに、残年数は少ない身である。私の場合は、ブログで挙げたとおりである。
 今後とも、周南市の、社会的弱者のために戦いましょうよ。




わが闘病記(広大附属病院に入院して)その3

2022-02-17 11:37:26 | 時事・風俗・情況
例のバビロン屋上公園から見た、梅のつぼみです。
色々、すこしづつ、時間は動いていきます。
***********************************
 入院検査・治療から、通院治療になって、色々疑問だったのだが、その後一定期間の治療を通じ、このたび、なんとなく、私にも伝わってきたことがあった。
 それに、ついて考えてみたい、結果、それが、自分の首を絞めることにならねば良いが。
 私の、病棟での主治医は、○○先生という。
 昨年10月、検査・治療入院が終わり、第一次(私はそう考えた。)の治療方針が決まり、退院後、私は、本来、外来の先生に引き継がれるはずだったらしい。
 大学病院は、ただでさえ、たくさんの患者を抱えているだけ、それでないとやっていけないだろう、とその時はそう考えていた。

 病棟での先生が、患者の引継ぎするにあたり、外来の先生と協議をしてもらった。
 しかし、その過程で、いろいろあったのか、今までの、病棟の先生が、私を、引き続き、外来で担当してもらうことになった。
 こちらは、今までの履歴に立ち会ってもらったので、私の気持ち、思惑では、願ったり、ではあった。
 病棟の先生は、化学療法により、患部が縮小すれば、切除手術をした方がいい、という、一貫した考えである。
 わが家族は、黙示の承認をしている。

 しかし、私には、今のところ、そうは考えられない。
 化学療法で、患部が縮小し、それに付帯する症状が軽減されれば、良いなと思っている。口には、出さない(出せない)が、そう思って、いろいろな局面で、私なりに努力をしている。
 最初に病棟主治医に、外来の先生の話を、外来主治医のとの協議を、間接的に聞いたとき、その中で、患者は手術を望んでいるか、という話になったらしい。それ以外はわからない。
 その結果で、病棟医が、引き続きの担当ということになったらしい、のである。
 それを外したら、今の私には、あまり意味がないが、先生は、私の、QOL(病者の生活の質を尊重すること)を十分に配慮してもらっているとは思う。

 本来、私は、斜に構える人間なので、「××と戦う」という、スローガンはあまり好きでない。
 たたかわないのは、正義ではないのか、劣っているのか、あるいは勇気がないのか、という、要らざる、心理的規制を生むからである。
 私は、優れ、勝った人間ではない。
 大した人性を送ってきたわけでもない。
 死んだとき、「あの人はいい人だったわね」、といわれるよりは、「いい人じゃなかったけど、悪い人でもなかったわね」、と言われたいくらいの、人間である。

 実際のところ、世間一般が、病者の皆が自己に臨むように、私の病気が寛解すれば、それに越したことはないのだ。
 しかし、一人の「患者さん」とすれば、そんなことがあるだろうか、と、実は、常に、疑わしく思っている。

 病院の外来受診から、検査を経て、外科に対して手術協議されるのは、普通の経路であろう、と思える。
 しかし、それには時間がかかるし、通院、送迎などの、家族の支援が受けにくいものにおいては、多大な負担になる。
 
 私の場合は、紹介状をもらって、横入りで入院させてもらえたのだから、それは、幸運であった。誰が担当になるかは、今思えば、運命だったのだと思う。
 なぜ、病棟つきの先生が、私の主治医になったか、病院の事情は、よくわからない。しかし、それが、どれほど、幸運だったかは、よくわかる。

 今朝がた、外来の検査を受ける前に、暇つぶしに、掲示板の病院報を持ていると、専門家別に、担当医者の名簿表示があった。担当部科に分かれ、索引順でないので、たぶん、序列記載なのだと思う。
 しかし、何度見ても、私の主治医の名前がない。なぜだろうと不思議に思った。

 外来治療が数か月続き、今では、私は、自分が、化学療法のベテランになったのではないか、と思っていた。
 同じ処置室で、五、六時間も、じっと点滴するので、いくら、偏屈な男でも、看護師さんと話くらいはする。
 一線を超えたら(例えば看護師に優しい(?)言葉を掛けられたら)、男どもは、打ち解け、自分の個人的なことを、妻以上に、看護師に対し、話してしまう。
 ジジイとして、その感覚はよくわかる。

 しかし、その反目も見た。彼女は、どうも、毎日点滴治療を受けている。それだけで、拘束される、厳しい病状なのであろう。
 彼女には、無口な夫がついている。
 いつも黙って何も言わないのだが、最初は、大人しいながら、暗く、私たちに対し、何か含むところでもあるのだろうか、と思えるようだった。
実のところ、妻が、その夫を、使う、使う、処方箋、もらいにもらって、お金払ってきて、毎日のことでしょ、早くしてよ、皆に迷惑でしょ、と言いたい放題である。
そして、ついでに、私に、ニコッと笑う。
 
 これは、後天性の失語症だ。それも、昔、浮気をしたとかの負い目では、ない、妻に屈服して、こうなったのだ。
 そうなれば、私もたやすくは笑い返せない。
 看護師は、明らかに、妻の味方だ。
 どちらかが、主導権を握り、状況を仕切らないと、次には進めない。
 これは、賢い選択と、若い看護師は、思っているかも知れない。
 決断も、知恵もない、ぐずな男ね、と思っているのが、ありありだ。
 どうも、いやなら、やめれば(捨て、捨てられということです。)いいのに、くらいは思っている。
 彼女たちは、常時、看護衣のうえに、プラスチックの袋をかぶっている、あれで、ストレスがたまらないわけはない、と私は思う。
 入院してわかったが、院内クリーニングの窓口があって、彼女たちも、そこで、病棟衣を利用している。コロナの影響が大きいだろう、いろんな、負担が強いられる。
 以前、入院していたときに、遠くて、家族の支援がむつかしい私が、取次店に聴きにいったら、私の不穏な空気を読んだのか、パンツとか下着はだめですよ、と言われた。
 なるほど、納得した。

 男の患者の現実は、ちょっと違う、と思う。
 男は孤独なのだ。仕事を辞めれば、職場以外に付き合いもなくなってしまっていた。
 皆が皆、女のように、社交が得手でない。また、その努力を嫌う。
 なかなか、始めた趣味も、上達しないので、面白くない。
 それも、入院時代に見たが、まだまだ、意欲のある親父は、館内図書館にへばりついて、漫画と、週刊誌を読みながら、窓口のパートのおばちゃんに付きまとう。
 あとは、しょうもない自己自慢だ。しかし、どこのサラリーマンだったかは、どういう役職だったが、決してカミングアウトしないが。

 閑話休題、今日は、「なんで、私の主治医は、医師掲載名簿にないの」と、看護師に、聞いてみた。
 つい、私が、彼女に対し、ありもしない親和性を信じ、感じたからなのか、または、彼女が、むつかしい人だったのか、「それは、主治医に聞いて見られたらどうですか」、という返答だった。
 それは、さすがに、この私の状況の中で、わざわざ、無法者の私でも聞けない。
 明解で、明朗な先生だが、私にも、それくらいの忌避と、状況を忖度する気持ちはある。それは、気のせいかもしれないが。
「えっ」、と思ったが、それは、看護業務とは別途の話である。
 その後、うわの空で、ぼやっとしていたが、あれは、「外来の先生の名簿で、入院棟の先生の名簿じゃないんじゃないの」、と最後に私は言われたらしい。
 むろん、そんな、つまらない親父の繰り言に、忙しい看護師がかかずらう暇はない。
 ただ、私は、好奇心で生きている男である。自分の疑問には、いずれ自分で答える。

 後知恵でわかったが、病院というのは、外来、入院部門で、それぞれ、分担が、明確に分かれるらしい。
 私が、今、化学治療を受けているのは、外来部門に属している。したがって、看護師たちが、直接、指揮指導を受けるのは、外来部門の担当医師からであるらしい。
 組織であるからには、部門ごとに、それぞれの考えがあるだろう。
 厳しい専門職の仕事であれば、それは当然に発生する問題ではある。
 逆に、医者によって、それぞれに、見解が違っていなければ、結局、逃げられない患者の不利益になる。
 組織は、逸脱や、前例に反することは、基本的に許さない。特に、ミスによる生死に係る職場や、トップダウンといいつつも、ボトムアップの傾向が強い職場は強く、厳しいと思う。

 どうも、病棟医の私の主治医は、直接、外来の看護師に、指示が出しにくい、ように思われた。
 それは、私の主治医の言動を考えればわかる、ことがある。
 だから、私も、患者の考えと、それぞれ駆け引き(?)があるから、外来に行くにしても、必死で考える。

 私は、信頼はしているが、今のところ、主治医の言う、治療方針の通りにはなれない。
 そして、外来の治療窓口のいう通りにもなれない。
 患者さんは、自分本位の自己都合で考えるから、おいおい、と思ってしまう。それは、病院の治療方針とは異なるかもしれない。
 しかし、それは患者の意見としては、聴いて欲しいわけである。
 選択の生じない、患者の自由などというものはありえない。

 先にNHKの医療教養番組を見ていたことがある。
 ほぼ、私は、Eテレと、衛星しか見ないので、地デジ、サテライトと、チャンネルを変えることもある。
 それは、視聴者の患者さんたちから来た、病気にわたる質問に対し、治療の第一人者が、答えるという番組だった。
 たぶん、皆忙しい、専門医の先生ばかりだから、直にこんな高度医療の最前線の話が聞けるのは、患者にも、また、極めて忙しい第一線の治療医にとっても、対世間に話ができるチャンスがあるなら、双方にメリットがあると思えた。
 この番組の、MCを務めていたのが、▲▲氏である。番組が番組なので、事前勉強は大変だったと思う。
 視聴者の意見も、取り上げなくてはならないので、センスも知性も要る。
 ただし、彼が、先生(?)に質問するとき、ちょっと、言葉が、不遜じゃないかなという感じを受けた。
 当然、双方は対等な関係である。
 しかし、一線級の臨床医には、きちんと言葉を尽くし、それなりの敬意を払ってもいいんじゃないの、と思ったわけである。
 彼らの、背後には、日々の激務の中で、懸命に治療法を模索し、医療の進歩に苦闘し、貢献している数限りない医者たちがいる。
 私たちが、彼らの存在に、感謝と、敬意を払うのは、当然のことである。

 言っちゃ悪いが、共産主義国家によって、権力に寄り添い、新鮮な臓器移植に特化した、中共の医師とは、天と地ほども違う。

 その後、このMCに似た(私には同一人物に見えた。)、フリーアナウンサーの▲▲氏が、出るインタビュー番組を見た。
 「こころネット」という番組である。
 皮肉でもなんでもないが、この番組は、「病気と闘う」ことをテーマにしている。
 彼は、血液性のガンを発症したらしい。
 彼は、ステージ4といっていたが、それはガンの特性で変わるらしいので、余命残年数は5年くらいなのか。詳細はよくわからないが。
 その際の、治療入院生活を語っていたが、病院のスタッフ、医師、薬剤師、栄養士とかいろいろ出て来る。聞いた限りでは、化学療法と、リハビリスタッフにより、とてもいい、治療入院をされたらしい。
 その番組中で、最初に、あろうことか泣き出した。治療入院が思い起こされて、万感、胸に迫るものがあったのだろう。
 しかし、私は、別のことも考える。自分のために泣くのは、恥ずかしいことである、というあのテーゼである。
 どうも、これは、生還を果たした、勇者の所業の報告なのだ。

 しかし、私の気持ちが、すっと、冷えた。

 自分の病気(宿命)に対置することは厳しい経験である、と思う。
 それは、個々の人間によって、様々な対処の仕方があるだろうと思う。
 しかし、ガンという病気は老化の現象として現れる、という、近藤誠先生の話もあった。
 理不尽だろうとどうだろうと、おのおの、寿命は、受け入れなくてはならない、筈である。

 幸い、私は、現在では、重篤な行状にまで至っていない。
 まだ、我慢できる状態である。
 病状が重篤になればくじけるだろう。
 偉そうなことを、言ったり、捨て鉢の態度も、愧じるだろう。
 つまらないことで、妻に当たるだろう。
 先行きはわからない、他人の態度に、容喙する必要はない。

 しかし、皆が勇者ではない。
 奇跡的に、寛解したのは、彼の勇気と努力、周囲のケアのたまものだろう。
 しかし、それを、保証してもらったのは、彼の社会的な地位と、病を支える、経済的基盤ではないか。
 貧困で、十分に医療措置も受けれずに、失職の不安の中で、孤独と孤立で、のたうち回り、訳も分からず、悩み、仕方なく、当面、耐えていく多くの患者たちは、勇者ではないのか?

 ただし、国民の大多数が、皆保険によって、キチンと、医療給付が受けられる、国民国家日本は、まさしく、正義ではある。それは、外してはならない。

 よくしたもので、彼が、病気から回復すると、周囲が、前と同じ(嫌な人間になった。)になったといわれたと、番組で、率直に述べていた。
 なかなかに自省に富む良い人である。
 彼の、アグレッシブな態度をみれば、それが(素がとても嫌な人間であることが)よくわかる。
 どうも、朝日放送か、何かに出そうな男である。こいつは、予断と、自己の偏見しか見えない奴だろう。

 人間、だれもが、おざなりの、定式化した態度で、病気を、自己の運命を受け入れることはできない。
 私には、幸い、もう少し、時間と、なにがしかの、闘病費用は残った、ありがたいことである。

 しかし、そうなった以上、それに割り込み、対抗するのは、私の好奇心と、私なりの、前向きの「知性」である。
 それがナシなら、私も耐えられない、「存在の耐えがたい軽さ」というやつだ。
 私は、ニーチェなどのように偉くもないし、激烈でもないので、これは、私にとって、ニヒリズムでもなんでもないのだが。
 
 今後、私の人性において、まだまだ、汚らしいもの、腐ったものはいくらも見るだろうが、反面、その対極にあるものも見ることができるであろうかと、今は、思っている。