天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

拝啓 (株)ジェイシービーEC・ソリューション開発部様(あなた方の「不道徳性」について)その1

2016-01-28 21:28:29 | 時事・風俗・情況
本日、我が家に、おたくの会社から、ダイレクト・メールが届きました。
 「今月はいくら使ったかな?」と、こわごわ開封しますと、「国境なき医師団」への金銭支援書類が同封されていました。また、封筒の表紙及び趣意書に「〇(まる)」が描かれ、開発途上国(?)アフリカには、この小さな○(まる)をすり抜けるほど、腕が痩せ細って、瀕死の子供がおり、あなたの支援がなければそのまま死んでしまう、というような意味の文面が書かれておりました。また、この小さな〇(まる:あな)を通せる子供があなたの周りにいますか、というキャッチコピーが、併せ同封されていました。また、当該「国境なき医師団」は、1999年、ノーベル平和賞受賞団体であるというにぎやかしも同時に印字・併記されています。
これはどうも、かねてより、BS商業放送に流される、ユニセフ貧困キャンペーンと同質なものと思われます。当該キャンペーンについては、以前から私の貧しい(不遜ながら謙遜です。)ブログにおいて、不快である、と考え投稿掲載しています。(天道公平の「社会的」参加)
私の敬愛していた、故「吉本隆明」さんは、「国民の貧困の問題は、一義的にその国の政治権力の問題(責任)である」と何十年も前に明言されています。現在でも、私は、全くその通りだと思います。
 また、現在のところ、世界規模で、各国家利益を調整し、どうしようもない国民国家の当該人権問題に手当をする団体は、国連の下部組織のユニセフしかないと思います。
かの、お人よしな日本政府が、その拠出金を怠っているとは思えませんので、国単位の福祉(共通利害の実現)の実施は、日本国家が最初に荷担し、責任を果たす、それが原則です。日本国民として、当該拠出が怠っていれば抗議する必要があります。国民としての責任はこれでおしまいであり、それに尽きています。
 それはさておき、ユニセフが、更に金をかけて、政府に輪をかけてお人よしな日本国民をからめ捕るために、夕食時にこのようなコマーシャルを流すことは、国連の拠出金を米欧や、それぞれの国がちゃんと払っているのか、また、過去にアフリカ各地の収奪と現在の貧困に直接的になにがしかの責任を負う、西欧各国においても当該キャンペーンを行っているかどうかの問題となります。(過去において当該国家・キリスト教宗教による搾取と収奪の揺り戻しとして)欧米で成立した国境なき医師団は、搾取し、収奪した立場から作り上げられた組織であり、政治的にも、宗教的にも、その収奪の歴史にに、直接の責任を持たない、日本国民に、口は出すな、金を出せ、とはあまりに失礼な話ではないでしょうか。尻馬に乗るのは、もっとバカな話ですが。
 それでも、「思いやり」と「察し」の文化のある、お人よしの日本人がどう動くかは、「個々の御所存(おんしょぞん)」になるしかなく、それは勝手ですが、その慈善は砂に水を撒くような努力になるかもしれません。それよりは、かつて、政治的混乱を通過し近代国民国家となった(なりつつある)国の農業や、産業を助けるために、十分その国情と市場調査をしたうえで、例えばまともな団体が実施する「木を植える運動」や、途上国が自立できる産業支援をした方がはるかに「道徳的」ではないでしょうか。
拝啓、 (株)ジェイシービー EC・ソリューション開発部 様、私はあなたの会社の運営するカード会社に加入していますが、それは、戦勝国であり、欧米に拠点を置く多国籍企業として、一貫して世界支配、グローバリズム(新帝国主義・無慈悲な資本主義)の立場に基づき、少数でありながら、世界規模で、後進国の産業を、金融を破壊し、途上国の自主努力をくじき、多くの大衆を塗炭の苦しみにおしこめ、世界規模でそれを固定化しようとする、不道徳な外国金融資本が運営する下劣なカードに加担し、ただでさえ、少ない私のお金を還流するのを極力、心底嫌悪するからです(これが勘違いで大甘であればだれか実態を教えてください。)。
 まず、ユニセフ並びに国境なき医師団は、国富、世界の過半数の富を寡占している、各国、国境を越えた数パーセントの人たちに必要経費として、その費用を請求すべきです(大金持ちたちは、自己努力に欠けたものになぜ醵金する必要があると、取り込んだものを決して出さないでしょうが)。
 再度、ジェイシービーさま、私が信じている、あなたの会社は、国民国家日本に依拠し、国民の経済活動を支援し、企業活動を通じて、当該果実を、広く日本国民の安定した経済活動に役立てることをまず目指してください。また、今後、日本国に分配の格差による階級社会が成立しないように、各自懸命に努力して教育を受けても政府の無策で、フルタイムの仕事にもつけない報われないこども、若者たちを雇用するなり、新しい雇用部門を創出するなり、支援してください。それが、最初の、企業および企業経営者としての理念と取り組みではないのですか。
 また、それより前に、こんな余力があるのなら、まず、我々、カード利用者に対し、その余力を還元してください。
 今回のあなたの趣意書は、きわめて不道徳です。
 あなた方が脅迫する、私たちの現在の日本国と国民のうちに、小さな穴に手を入れられない子供がいないのは、明治以降、また敗戦後、苦闘のすえ、奇跡のような近代国家を作り上げた日本国民の努力と、強いて言えば日本国政府の功績です。
 安易に、安く不道徳なキャンペーンに加担し、お人よしの国民を脅迫するようなことはやめてください。企業の社会貢献については、すでに、ロールモデルがあり、松下幸之助さんなり、出光佐三さんなりがすでにやっていることではありませんか。
 ノーベル平和賞は、きわめて政治的な栄典であり、過去に、我が国の故佐藤栄作氏ももらったはずです。今思えば、彼には、保守派として、大多数の国民の利害に敵対しない筈の自民党をバカな「改革政党」にしなかった大きな功績があるかもしれませんが。
 あなた方が、すでに、確信犯として、冷酷で無慈悲な金融資本、グローバリズムに加担し、利害の共通と、目的の同一を目指して、日本国政府も当該支援に加担するいかにも正義を仮装したグローバル企業と手を組み、無辜の日本国民を脅迫し、それに加担するあらゆる問題、施策に、意識的に手を貸すのであれば、私は、他のカード会社を探します。
 今回は、国連の不道徳性、国連傘下の、ユネスコの、不道徳な行為(記憶の世界遺産における「南京大虐殺」の捏造)には触れませんが、あらゆる「正義」は必ずその「質を問われる」ことを、一私企業として、肝に銘じていただきたい。
 再度申し上げます。このたびのあなた方の行為は極めて不道徳で、カード利用者に係る背信行為です。

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 日本系(?)カード、JCBカードを使えば、日本のGDPに貢献すると無意識に思っていました。
 だれか、本当は、どうなのか、教えていただけないでしょうか。


「大塚まさじ」について  その1

2016-01-20 22:35:13 | 歌謡曲・歌手・音楽
昔の、60年代、70年代のフォークソングとはなんだったのかと時々思うことがあります。
 好きとか嫌いとかでいうと、当時、同時期のロックとかは、私の好みではあまり興味がもてなかった。後から知り、自分の中で位置づけられた、ビートルズとかクイーンとかは別ですが。しかし、思春期の、ポスト歌謡曲として、当時様々なフォークソングを好んで聞いていたように思います。
 大学に入っては、当時の流行と周囲の影響でモダンジャズとか聞いてはいましたが、廉価版の復刻ブルーノートレコードなどに手を出した程度であり、ジャズ喫茶には好んで行きましたが、個人的にそれほどのレコードが買えるはずはなく、FM放送とかで日本語の歌(特に歌詞)は、歌謡曲とごたまぜ(本当は判別できない。)で何度も何度も聞いていました。
 
 しかしながら、肝心のフォークソングを、今、回顧的に聞いて楽しい曲はそれほどではない、ように思います。
 メロディ以前に、当時は多くの歌謡曲がそうであったように、今の自分としては、今でも歌詞が受け付けられないような気がします。自分資質の宿あとでもいうべきか、メロディから入る曲はあまりないですよね。歌詞については、最近、個人的には、外国人の歌う演歌(峻拒します。)は別にして、演歌の歌詞とメロディの受容範囲の敷居が低くなったにしては奇妙なものです。
 割り振ればフォークソングになるのでしょうが、中島みゆき大先生は別格(しかしながら、それがおしなべて全てでもない。)としても、今も、歌詞が素直に入るのは案外少ないもの]です。
 それは、小説とか、詩とか、評論などにしても同様なことかもしれませんが、やはり、聞くたびに、言語の「価値」論ではないですが、その度ごとに、より容易に当時の時代に観念的に移行するのは確かで、私の現在から、現代性(今流通するのかどうか)と著者の現在を再度重ねて批評するような操作になります。当時、懸命に読んだはずの、現代詩のいくつかも今は色あせたように感じられるのは何故かと思われるのと同様に感じます。
 一般的に、歌詞の受け取りはともすれば懐旧的と感じ、メロディと一緒であれば、私なりに累積した記憶と感情の付加があり、とても親しみやすいような気がしますが、そうでもないのは困ったものです。
 先に、ザ・フォーク・クルセダースの復活コンサートというのがありましたが、面白いか(興味を惹かれるかどうか)どうか期待してみていたのですが、彼らは私が思ったよりもっと政治的なバイアスのかかったグループであり、殊に彼らが歌った「リムジン河」という当時はやった政治的な歌(なぜ日本で流行ったのだ。)を歌うのに、いまさらながら安い正義を降り回し(誰が今更好んで聞くのだ。)、面白くなくて、失望しました(彼らの歌の一部
は今でもカラオケで歌える歌があるのにね。「あのすばらしい愛をもう一度」は今も好きです。このあと亡くなった、加藤和彦は政治的な現状認識の見解は別にして、良い作曲家あったと思います。)。しかしながら、彼らの歌は、今でいえば、あっという間に、脱原発=反核=反戦のセットメニュー、ハッピーセットでリバイバルしそうで、本当に嫌です。
当時読んだ、北山修の「戦争を知らない子供たち」はつまらないエッセイだったと思った覚えはありますが(私、中学生だった。)、地方のナイーブな中学生とすれば、昔は、彼らはフォークソングの歌手としてもう少し輝いていたように思えましたが。
ところで、先ごろ、地元の小さなライブハウスで、大塚まさじのコンサートを見つけました。レコードは何枚も持っていたし、コンサートへいったこともあり、喜んででかけました。昔のなつかしい曲を何曲も歌ってもらいとても幸せであったのですが、下記の曲名がどうしても思い出せずに、とうとうリクエストできませんでした。とても残念でした。

            時は過ぎて           
                     大塚まさじ 作詞・作曲

早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい

ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に傷を負い 酒はその夜だけの夢

夕暮れが また やってきて
一人ぼっち だって 知った
夜が 白く明けるまで
からっぽの街を さまよった

君は まだ飛べぬ羽を撫で 夜の街で うずくまってた
俺の ほほ笑みを 喜んで わかってくれる人が欲しかった

互いの 傷を知ったとき 二人は もう 共犯者
二人は 誓いもしなかった 明日のことなど
抱きしめあうだけで よかったし
言葉なんて もうたくさんだ
消えゆく 思い出の中だけじゃ
もう生きられないよ 僕ら二人とも
ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に 傷を負い 酒はその夜だけの夢

早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい


ギターの弾き語りで終始する、大塚まさじの歌は今もとても好きです。
ひたすら、泣き節のように続く彼の歌は、過去の思い出に「過度に」執着する男の観念に快く響きます。こういうのが、ブルースとかいうものかも知れないと思います。「二年前、まだ飛べぬ羽を撫でていた君は」今はもうどこかに飛び立ったかもしれず、その時代と思い出に呪縛され引き摺った「俺」だけ当時に執着し今もさまよっているわけです。まことに、「女は更新し、男は保存する」という男の恋情のパターンを踏襲しています。森田童子の「僕たちの失敗」という曲につながる女々しさですが、恥ずかしながら、酔えば、カラオケナンバーで選んでしまうわけです。おやじが、「昭和かれすすき」を選曲し、安い自嘲を道ずれに、連れにデュエットを強要するよりはましだろう、という感じですね。
彼は、独立する前は、ディランⅡ(セカンド)という二人組のグループのメンバーであり、彼らのグループ名はアメリカの歌手ボブディランに由来するらしいのですが、彼らの歌は、恋とか愛とかの言及が多く、つまらない政治的なメッセージ性が少なかったのが救いです。当時、大阪を中心にして活動しており、「プカプカ(ミナミのブルース)」という歌が大変ヒットしました。盛り場(繁華街)の例示ではないですが「ミナミ」とか、「キタ」とか、(私には差異がわかりません。)
言語体験の歴史的累積(?)というか、大阪の人たちには、その差異と思い入れがあるようです。彼の持ち歌に「天王寺思い出どおり」という歌もありますが、昼間から酔ったおっさんが裸で寝ているような、天王寺駅周辺に郷愁を込め、歌ったような歌もあります。個人的には、動物園周辺からあいりん地区のような場所で眺めた光景は、田舎から出てきた身には、大変衝撃でした。彼が、そこに、自分の生活圏として思い入れを持つのが理解できないことはないのですが。
しかしながら、この曲「時は過ぎて」はカラオケに付置されておりません、残念です。

山下達郎に対するオマージュ

2016-01-11 19:14:06 | 歌謡曲・歌手・音楽
過日、カラオケで、何気なしに「さよなら夏の日」を歌っていますと、「ああ」と思い「これは本当にいい歌なんだなー」と改めて感じられました。 
このたび、友人のご好意で山下達郎のコンサートに生まれて初めて行かせていただきました(大変ありがたいことです。)。
 さりながら、このたび、山下達郎の本質は、コンサートでないとわからないということが実によく分かりました。6時半開始から、10時まで、アンコール少休止を含め、彼はほぼ3時間半を歌い続けていました。
 このたびは、彼の(40’th)40周年のコンサートであるとのことですが、声の質と声量がちょっと違い、彼の声は楽器以上の質とより強い「表現」で、周囲を「感動させる」ことがよく分かります。そして、中途でアカペラ(無伴奏)タイムに移行しますが、語りと一緒に、彼が先鞭をつけたビーパップなどのコーラスを聞かせてくれます。コンサートの構成がそうなのかもしれませんが、22歳でデビューした彼の音楽的な履歴と出自を、問わず語りに、また懐かしい大瀧詠一などのジャパンポップスからという出自を披歴していきます。実際のところ、ほぼ、1,700人という満員の観客も、大半は40代後半以上に見えます。(歌唱の力といえば、私が時々、実力を省みず、カラオケでひとり歌唱会を試みるのが無謀であったのがよく分かりました(お友達と一緒でせいぜい最長5時間くらい、総歌唱時間1時間半くらいです。)。)
また、今後の音楽媒体というか、CDの販売などで音楽ビジネスは成り立っていかないとの話です(私はまだ買っているが)。
彼がいうには、今年、彼は満63歳ということでしたが、今後できる限り、コンサート中心の音楽活動をするといいます。今までも、今後も、自分はスタジアムなどでのコンサートなどは選ばないし、音質のいいホールしかコンサートをしない(観客を選ぶ)といい、音楽活動をする「パッション」がまだ尽きていないとも言っていました。実際、3時間半のぶっ続けコンサートは、やっぱりパッション(情熱)抜きではできないでしょね。自作の曲が、300曲弱くらいあるといい、ヒット曲を外すなど自分の気分で選ばない、コンサートは結局、一期一会であるからには、ファンの期待には応えるといい、あの「クリスマスイブ」も歌い、中締め部分できっちり「さよなら夏の日」も歌ってくれました。
 なつかしい「風の回廊」から、「おやすみロージー」から、歌っていき、最後は、メドレーとなり、彼の得意な英語での説明で十分に聞き取れなかったところでしたが、「・・・千島列島から尖閣諸島にいたるまで、声を響かせる・・・」、決意表明となりました。いい年をして、久しぶりにコンサートで涙が出たところです。会場総立ち(若くないのに)となり、アンパンマンマーチ(好きなので私時々歌います。)
を含め、彼の生活史を彩るあらゆる歌の饗宴です。決して若くない私も深く共感、感動しました。


    さよなら夏の日  (山下達郎 作詞作曲)

 波打つ夕立のプール
 しぶきをあげて
一番素敵な季節が
もうすぐ終わる
「時が止まればいい」
僕の肩で
つぶやく君 見てた

*さよなら夏の日
いつまでも忘れないよ
雨に濡れながら
僕等はおとなになっていくよ*

瞳に君を焼き付けた
尽きせぬ想い
明日になればもう僕等は
ここにはいない
映る全てのもの急ぎ足で
変わっていくけれど

君を愛してる
世界中の誰よりも
言葉じゃいえない
もどかしさ伝えたいよ 今も

ごらん最後の虹が出たよ
空を裸足のまま駆けていく

どうぞ変わらないで
どんな未来
訪れたとしても

*部分繰り返し

さよなら夏の日
僕らは大人になっていくよ

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実にいい歌です。
コンサート終了後、手のひらが痛いので、広げて見ると、黒血になっていました。
 年末の、政府「日韓合意」の顛末でに、はらわたが煮えかえる思いをしたので、本日(1月8日)は、「日本語を大切にする歌手」のお蔭で、元気が出る、「俺もまだまだ終わらねーぞ」という「つよーい」意欲をいただきました。