天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

妻よ・子よ!驕ることなかれ(私、時に、おやじの味方です。)(罵倒シリーズ その7)

2017-11-15 19:50:25 | 罵倒シリーズ
私、新聞を読むと、腹が立ってきて胃が痛くなる(最近は頻度が少なくなって幸せです。)ので、新聞をとっておりません。
もし、とるなら、私の好みに近い産経新聞をと、思っていますがまだ果たしておりません。

 いなかで容易に入手できる新聞のうち、思想的に偏向している朝日・毎日・中国新聞、うそばかり書いている日経新聞を除き、消去法で、時に読売新聞を読むことがあります。
読売新聞は、保守系の新聞ですが、三面記事(世相の事件の報道やその批評(私週刊誌を一切読まないもので))の切り口が面白く、また、何より、「人生相談」が唯一載っている新聞であり、私を含め、世相の変化や大衆の大多数は何を考えているのか、と、私にとって、とても興味深いところがあります。回答者も、ごく常識的な人が選任・論評され、時によって味わいのある文章もあります(私の覚えでは周囲から「おたく」と呼ばれる男の子の相談に対し、精神科医の先生が「男はみんな「おたく」ですよ」、と自分を含めた弁護と力強い回答をしていました。)。
 このたび、宿泊していたホテルサービスで、読売新聞が読め、たまたま、標記の「人生相談」記事を見つけ、読むなり、久しぶりに、瞋恚の焔(しんいのほむら:激しいいかり憎しみ恨み)が、燃え立がるのを感じました。
 
 標記のこの相談は、定年退職後、二年の再雇用期間が経過し、家に落ち着いてしまった困った「お父さん」の行状に関する「人生相談」ですが、質問者の母娘、回答者樋口恵子を含めた、女どもの出来合いレースに、心底腹がたったわけです。

 「お父さん」は、苦労して(長い社会生活のうちで、屈辱的で人にも言えない苦しいことはいくらもあったことでしょう。)、家族のために、と、懸命に定年まで勤め上げ、その後も生活のために自分の本音を裏切りながら、追加で2年間を務め、さて一息と、朝から二時間かけて新聞を読み、またおとなしく読書をしている父親に対し、「うざいから(決して生活のためでない。)、外で働け」、「昼間から家にいるな(うっとうしいから)」、「私も就職が決まり、卒論を書きたいから、気に障るので、昼間からそんなヤツがいるのは嫌だ」、と、冷酷にオヤジを責めています。
 こんな娘には、世間並みに、「育ててもらった恩も感じないのか」とか、それ以前に「(自分以外の)他者に対する感謝がない人だ」と指摘し、面罵(めんば)する必要があるかも知れませんが、それは、いい年になった娘に対してろくに訓育もできなかった父親にも一端の責任はあるかもしれません。しかし、責められたオヤジは自分の不快の気持ちの表明で、追いやられた二階から「シャツや服を投げつける」という程度のことなので、しつけのために、娘に手を挙げたこともない、おとなしい父親なのでしょう。
それを見越して、一方的に父を責めるこのような娘は、まさしく、自己利害と自己欲望の追求のみに忠実な、またそれが正義のように思い込む「時代の子」であるのです。まさしく、徳義の退廃であり、家庭・学校教育の無力の実例なのですね。
 パート労働で働く母親については、「体を休めたい母親はパートの休みの日に(父親がいていらいらするので)、やむを得ずジムに行き、気分転換をしている」などという描写もあります。もしそうであれば、天に成り代わり、妻に対し「(あえて言うが)お前は、夫に感謝の気持ちもないのか」、「いびつに育てた娘を諭すこともできないのか」と、きちんと指摘したいところです。
うちの妻に言わせれば、彼女のところで働くパートタイムのおばちゃんは、夫のサラリーは彼女のもの、彼女のサラリーは、お友達とかの付き合いや、服飾品、嗜好品ときちんと割り切っており、夫は職場で安い配給弁当、妻は優雅にお友達とランチと、素敵な毎日だそうです(それでも夫を尊重し、適切に子供を監護するなら、私は苦情を言わない。)。
 実際は、夫と連帯してローンを変換しているかも知れず、パート収入は生活の原資かも知れない、しかし、いくら決して好きでもない夫でも、「あなたもジムにでも行ってみたら」くらいは助言して何が悪いのです。あなたも同様に、「自分以外(の他者)に対する敬意と思いやり」を欠いている。
 
 ところで、樋口恵子さん、あなたは、フェミニストでない、女性・家族評論家というふうに承知おいておりますが、「父(夫)に感謝するイベントくらいはしては・・・」というアドバイスは天下の評論家として当然のことながら、文末の「・・・・本当に手がかかりますが」は、彼女たちと同じ穴のむじなであることを、明確にしています。
ご高齢ながら、生涯法律婚を取らず、現在の肩書きが、「男女共同参画審議会」の委員であるなら、その言い分はなるほどと、よく理解できます。たぶん大多数の国民が選ぶ法律婚が、あなたは好きではないのですね。
「男も女も死ぬまで働け」は、現行政府の政策における、当該審議会の設置の根拠に根ざしています。かつて、私は、職場で無理やり、「男女共同参画・・・研修会」に動員された際に、「①男女の性差を前提とした男女共同参画の推進なら意味がある」、「②あらゆる職場で女の地位の保全と産前産後休暇を加えて3年間にする制度の改正をする、③個々の男女の意識の持ち方程度のことを一律で職場研修にするなど馬鹿げている」と、アンケートに回答しましたが、委員であるあなたはたぶんそうは思わないのでしょう。
 私の職場はともかくも、今でも、歴然と、数多くの職場で、男女の賃金格差は残っているではないですか。せめて、女性に適正のある看護、介護職ではきちんとその能力、経験、気使いの配慮の重要性を評価し、賃金を上げるべきです(デフレ化の現在で、国民全体の賃金をも引き上げる必要があるのは言うまでもないことですが)。国民のほとんどが賛成しなかった、愚かな男女別姓制度にも賛成し、あなたは、反動フェミニスト上野千鶴子とそんなに遠くないところにおられますね(上野千鶴子さんも高齢の実父との冷徹な関係のてん末を書いていた(拙ブログ「私が料理を作るとき(グルメ志願)その1」を参照してください。))。

 私に言わせれば、外国書籍を引くまでもなく、やっぱり「女は、男をどうやって破滅に追いやろうかと無意識に考えている」意地悪なところがあり、無意識の悪意というか、利害関係のないよその男のことでも、皆さん立場を越え、連合して、「男」に対し、冷静に冷たく出来るのですね(「男女同権」など、太宰治の小説にも同様の逸話がいろいろありました。)。この性差による、男女の感情のあやや、差異が、同時に文学などを成り立たせている筈なのです。
 うちの家族でもそういうところがあって、うちの妻が時に私には娘にかかわる苦情をこぼしているくせに、娘と二人であれば、一緒になって、正義の権化のように私をつるし上げてくれます。あのときは、眼が据わっており、その場面・立場でないとそれは分からない、深淵をのぞくような怖いものです。

 結果として、私もこの父親と同じ立場ですが、世間知らずながら、樋口氏に成り代わり、わが、「人生相談」の回答を以下に記します。

天道公平人性相談 回答編

娘への回答
 このたび就職が決まったそうでおめでとうございます。
 あなたの自己努力をけなすつもりは毛頭ありません。
 しかしながら、樋口先生の回答にもありましたが、ひと言、アドバイスさせていただきます。
 あなたは、あなたの生涯を通じ、自分存在がすべて、自己努力はあらゆる局面で通じる、と考えたのでしょう。ですから、あなたを支えてくれた周囲の善意に無自覚で、感謝の気持ちがないのでしょう。そんな態度は、あなたの周囲でも決して認められることはなかったし、今後もないでしょう。
 卒業論文を準備する環境にないというあなたの苦情は噴飯ものです。生活に追われず、若いうちに、自分のやりたいことが出来る、なんとすばらしいことではないでしょうか。また、あなたが自分の父親を好きでないことはお互いに不幸なことではありますが、感情が絡むのでどうしようもありません。
 今後、晴れて就職の後は、自宅でのパラサイト生活をやめ、思い切って独立しましょう。あなたの父親は賦払いで、教育費を返せ、とはたぶん言わないでしょうから、父とは合わない娘でも、時々は、顔を見せ、元気であることを、父親にも知らせなさい。嫌なら、メールでも、写真でもいいです。そんな余裕や、思いやりや「他者への」配慮がない人が、今後、対外的に評価され、将来、自立・独立した社会生活を今後営めるはずがないではありませんか。

母親への回答
 あなたの気持ちはよく理解できます。
 長年連れ添った夫婦の実態は、お互いにしか分からないところです。
 度ごとに、意見の食い違いで、一方的にあなたが、臍をかむような問題が、数知れずあったのかも知れません。もう、本音は一緒に住むことも嫌かも知れない。人性には、お互いに理解不能なことはいくらもあります。
 しかし、あなたもいずれ、子に棄てられます。今の家族以外へ娘が出て行くことは明らかでしょう。今は、オヤジがうざいかも知れないが、いずれ加齢を経て、時間が経てば、今度はあなたがうざくなるのです。それは古今東西、現在の女流小説家の作品など、枚挙にいとまのないことです。
 幸い、あなたの夫は、殴ったり蹴ったり、家族に手を挙げることはなかったのでしょう。
 そこは、妥協して、目的を喪失した彼に、あなたとは違うジムを紹介したり、本を読むことが好きな人なら、公民館の、歴史講座や、創作講座を勧められたらいかがですか。一番いいのは、何か一緒にされればいいですが、あなたの気持ちがそれを赦さないのなら仕方がないでしょう。そうすれば、まだ、返済ローンがたくさんあっても、気持ちを切り替えた、夫が働いてくれることになるかも知れません。
 
父親への回答
 オヤジは、今の御世では、基本的に周囲から、うざい(うっとおしい、わずらわしい)といわれるものです。
必要なときに、あいさつや、周囲にお愛想を言わないし、いつもぶすっとしています。
 そもそも、加齢により、くさくなるし、閉経期が過ぎ、楽になり、皮膚感覚しか頭にないような女どもは、たとえ相応の教養や知性がある人でも、男の負性に、感覚的にとても敏感で、容易にそれを改良しないと、自己や他者への配慮のなさを責めます。
 もう、男にとって、先に両親など亡くせば、この世に無条件で自分を支える味方などいないのかも知れない。思いやりのある家族など、というものは本当は絵空事です。やっぱり、人間、皆他人です。意識的にそのように振るまえば、全くそのとおりになりますが、それはそれでやむを得ないことと認識しましょう。ひとたび、消えたものはもう戻ってこないのです。もし腐った妻子でも黙って受け入れる態度があれば、それは男としてとても尊いことです。
 しかし、あなたはまだ、年金分割請求や、「ここから出て行け」と家族から言われていない、これはまだましな方です。あなたは、友人や、知り合いの悲惨な末路を、いくらも見てきたでしょう。奈落は、誰でもその足もとに、いくらも、際限なく在ることなのです。
 先にネットニュースで、退職後の夫が妻子に責められ、退職金を奪われたうえ、密殺されたというニュースを見ましたが、あながちうそではないと思われます。

 自分自身を外に向けて開きましょう。
 根気よく調べれば、あなたに合うものはあるはずです。
 たとえば、老後は、時に、自己の直接利害を離れ(媒介してというのでもいいかも知れませんが)、正しい義のために戦うと決意するというのはどうでしょう。妻子から「バカね」と小突かれたり、「正しさ」の追求は茨の道かも知れませんが、それはそれで意欲が沸きませんか。
 もし、「目的」がなければ、あきらめましょう。あきらめを受け入れ、おとなしく受身人性を生きるのも、それも立派な態度です。
 閉ざされた場所で、日常的にいじめを受ければ、精神は萎縮します。あなたは、生まれてから、努力し、就職して、社会生活を送るまでに、ちゃんと一人で生きてきたではないですか(「 ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる 」吉本隆明著(ちいさな群への挨拶))。それに自信を持ちましょう。
 よく事情が分かりませんが、あなたがまだ現職中であった頃、必死でしのいだ、職場や家族苦痛や、やりきれなさを考えれば、まだまだ耐え切れることではないでしょうか。あなたには、当面働かずに、経済的にモラトリアム(猶予時間)が在るのはありがたいことです。今後、以下のことに留意しましょう。

①身だしなみを整え、清潔に居りましょう。
②一日に一度は外出し、「今日も居るの」と家族に言われるのを避けましょう。
③読書が好きなら、図書館の行事や、公民館の文化行事に顔を出し、友だちを作りましょう。ブログをするのもいいでしょう。カラオケも無論お勧めです。
④家事を必ずひとつはこなしましょう。掃除でも洗濯でもいくらでもあることです。
⑤料理を覚えることも必要です。それは、将来に向け自立を助けます。
⑥話題を探し、家族と話す機会を作りましょう。
⑦家族と何か一緒に行動できることを探しましょう。
⑧つまらないプライドは棄て、出来る部分は周囲と協調しましょう。
⑨定期的に体を動かして、健康の維持と、精神の健康の維持に努めましょう。
  
 そうは言っても、それ以外に、人間や人性の幅として、あなたの「在りどころ」があればそれは幸せなことです。それを追求しても良いでしょう。それはそれであなたの人性でしかないのです。

おじの葬儀について、また、その後私の「老後」を考えたこと(「思い出すことなど」番外編)

2017-11-06 20:25:26 | 日記
うちの孫の愛読書です。

 以前に、かれこれ7、8年前ですが、うちの父方のおじの葬儀の写真を見せてもらったことがありました。
 おじは、昭和一桁の前半生まれでしたが、当時の貧しい家の例にもれず、戦後、警察官を目指し、以来警察に奉職し、また同様に望まれて養子に行きました。父のすぐ下の弟で、こつこつした努力家であり、私の父はできの悪い総領ながら、父と仲が良く、いつも年長を立てているような具合でした。私自身もよくかわいがってもらい、何度か泊りがけで祖父母と遊びに行き、歳の近い従姉弟たちともよく付き合いました。自分の名が檀家寺のお坊さんに命名されたということで、坊主くさい(?) ことが好きであり、その後、尺八を趣味として、弟子のとれる師範(いろいろ能書きを聞いたのですが、実際の演奏を含め、すっかり忘れました。)にまでなったらしいのですが、趣味が高じ、自分で製作して、由緒ありげに、その楽器の命名もしておりました。
 私には、是非、警察に入れ、といっていましたが、それだけはお断りしました。

 父のなくなった後でもあり、私もおじの葬儀には参加したのですが、その縁で、後日寡婦となったおばに会いに行った際、その葬儀のスナップ写真を見せてもらったところです。
 とても、びっくりしたのは、おじの棺を皆で押しはさみ孫一同が号泣していたことです。
 私のいとこは、姉弟の二人で、その子供たちは、前妻の子を含め、六人いますが、成年に達した子を含め、棺をとり囲むようにして、顔をゆがめて泣いていました。おそらく、孫ども皆が泣いているので、親戚連中が何かを感じて、その光景を写真に撮っていたのでしょう。

 われわれには歴史が浅いながら、祖父母という位置は楽なところがあります。それは「責任がないんだから」と、常日ごろうちの妻も述懐しているところです。ただ、加齢のおかげか、実父母にたりないところに目が届くところがあるし、「ひたすらやさしい」ことも赦してもらえるところもあります。
 われわれは、彼らが自分で思いつくままに(恣意的に)、こどもにも、孫にも、便利に使われるところがあります。それを笑って済ませるところも必要なことでしょう(実際のところこどもに対しては、なかなか笑えないが)。
 一般的に、こどもに対する関係づけについては、親として妻と連帯して「関係の絶対性」(血族の絶対的被拘束性)というところがあって、とても密接で切実な関係であり、愛憎を含めて子を拘束したし、強く拘束されたことがあり、今は立場が弱くなったこちらが、たとえ心底不満であったとしても、「ぐう」の音も出ない、ことはよくあることです。
 孫との関係は、結構自由なところがあって、うちの幼い孫に現在は私たちに全面的に依存していますが、いずれは躊躇なく離れていくだろうところです。
それこそ、私自身は、自己の残年数を数えながら、無意識に家族全体を離れて観ているようなところは確かです。

 私自身も、そのおじが好きだったことを含めて、おじのために、孫一同そろって葬儀に参列し、死をいたむ光景は、なかなか感動的なものでした。おじは、おそらく、味わい深い「正しいおじいさん道」を歩き続けたのでしょう。

 おばが言うには、仕事柄、転勤が多いおじは、当然に、家族がついてくることとして、居宅があっても、狭い官舎に引っ越すことを前提としていた、とのことであり、さすがに姉弟とも、口に出しては反抗しなかったらしいが、全く新しい場所への転校は、学業は別にしても、殊に人間関係の構築では、とても不満だったらしく、父思いの娘ながらそんな彼女の日記をみつけた、と思い出語りをしていました。
 そういえば、私と同年の、彼女は、転校先の閉塞性について、不満を述べており、女子高でもあり、「女子の生きにくさ」について「なるほど」と思ったことがあります。
どうもおじは、「父親」としては、遠慮はしなかったのかも知れません。しかし、酒好きであったおじは、盆や正月など、気の置けない酒席では、一人娘については、べたほめだったとのことで、それが人性の機微というものかもしれません。

 それはそうとして、後日、私が、別の孫を持つことになるとしても、私の葬儀で泣いてもらうことまでは望まないが、お互いの気持ちの交流と、行く末を案ずるだけの近況報告くらいはどうしても欲しいところです。今後、うちの親が味わったように、苦い失望や幻滅は今後も生じるかも知れませんが、いずれ有限の、人性の中で、それだけは、できればあって欲しいところですね。

 ところで、私にとって、孫や子の将来を思いやることは、彼らの生きる社会や、私たちをも含む社会についても思いやることも、私にとっては自明なところです。

 何度も繰り返しますが、「私個人」の射程にある歴史や社会は、父祖の生きた明治期の、近代日本にまでは思い描くことができるところです(それ以前には想像力が及ばず、実感として個人的な責任が感じられない。)。
 それならば、それは、同時にそれ以前の、伝統や、歴史に強く拘束されていることも確かであり、それこそ、小林秀雄ではないですが、私も日本国の歴史のその総和の一員として「個々」と「全体」とそれを観ていくだけの「眼」と事に当たる見識を持つことも、やはり必要なことですね。
 今後、私の境涯がどうなっていくか(?) 、興味は尽きず、またなかなか予測がつかず、詮のない話*ではありますが、失望や幻滅にめげず、孫や子のために、大多数であるところの国民大衆を軽視し顧みない愚かな政治や、愚かな思想、そして無考えな、また狡猾で悪辣なその支持者と戦っていくことは、わが使命であります。

(註)山口弁で、「せんない(詮無い)」というと、「面倒くさい」、「つまらない」という意味になります。昔、小学校時代、朝ドリルをしなかったことに詰問されたとき、劣等生であった私は「せんないからしませんでした。」と答え、担任(恩師)に、火の出るような勢いで厳しく叱られたことがありました。本来は、軽く、「うっとおしい」とか「わずらわしい」という意味で使います。