(先日来より、アメリカ大統領選挙をにらみつつ、「農業協同組合」について、改めて所感を申し述べます。)
先に、わが「歴哲研」では、三橋貴明氏の「亡国の農協改革」(2015.9.28出版)を皆で読みました。
当該著書は、すぐれた経済学者三橋貴明氏が、「畢生(ひっせい;一生を終わるまでの期間で。一生涯で。終生の。)の」著作といい、出版当初、全国会議員に献本したとの話であり、心ある(国民の安心・安全を第一義に考える)国会議員からなにがしかの反応と、新たな動きがあろうかと思いましたが、私の観察した範囲では、国会議員には何の動きもありませんでした。
当該著書で扱われている、TPP条約締結前から、日本政府主導で、農協改革(改悪)法案を成立させ、米金融・寡占資本のお先棒を担ぎ、大多数の日本国民の利害に反する、政府自民党の、農業協同組合に関する一連の解体工作を憎み、大多数の日本国民の利益に反するのみならず、我々の孫、子にはなはだしい経済的損失、また日本人の気質にさえ、大きな被害を与えると思われる、当該愚挙に強く抗議し、反TPPを鮮明にするため、貧しいながら私の意見を述べさせていただきます。
今回は、私の祖父たちが作った「協同組合」について、祖父の記憶とともに申し述べたいと思います。
先の「歴哲研」の議論の中で、若い参加者には、農協は理解できても実態としての「協同組合」(近代以降の歴史から及ぶ現在の姿)が理解しにくいらしいことがよくわかりました。おそらく、近代以降、資本主義の勃興してきた歴史の中で、他国の例もあるにせよ、著者の描く、なぜ協同組合が必要となったのか、資金力がなく社会的な権力に無縁で、自然に影響されやすい農業という自営業を営む小規模農業者にとって、いかに当該組合が味方になれたのか、についての理解がなかなかできにくいのだと思われました。また、日本においても、著者が「(1948年)当時全国で1万6千もの農協の設立がされた」と指摘されたように、昭和20年、30年代において、どのように多くの組合が作られ、整理・統合・消滅して行ったのか、理解したいと思いました。
かつて、私より少し年長の結構大規模の元農家の後継者の方が述懐しておりましたが、米・味噌・醤油などは自家製造できるけど、外から物を買う現金がなかった、との話であり、当時の農村の事情が推し量れるところです。
当時(昭和10年代以降を指します。)、高利貸し(うちの近辺では酒造業者が多かったようです。弁済が遅滞すれば、容赦なく、代物弁済により田畑を取り上げた彼らのやり口に対し、祖父母から、地区民の悪評と怨嗟の声を聞きました。)は別にして、農業者に資金を貸すような金融機関はあるはずはなく、私にかすかに記憶があるのは、頼母子講(無尽)(「たのもしこう、 金銭の融通を目的とする民間互助組織。 一定の期日に構成員が掛け金を出し、くじや入札で決めた当選者に一定の金額を給付し、全構成員に行き渡ったとき解散する。 鎌倉時代に始まり、江戸時代に流行したという制度」)、ですが、無住の神社などを使い、日を定め、もっぱら夜行われていました。安全な庶民金融がない時代の互助の産物なのですね。
戦後、農業協同組合法が施行されましたが、小規模自営農家では、新たな事業を興そうとする際にも、現金はなく、まとまった資金を調達するすべもないので、進取の気性に富む当時の営農者たちは、組合員の出資金に基づく、畜産協同組合を作ったようです。当時の地区農協からどれだけ勧奨や支援があったかどうかは、残念ながら祖父に聞いてはいません。祖父たちは、近隣の農業者と語りあい、最初に固定経費のかかる乳牛の協同飼育の畜舎を作り、当該搾乳施設などを協同管理として設置し、出荷や、飼料購入、肥育に至るまで、組合の施行でやろうとしました。
しかし、その後当該収益は思うように上がらず、母方の祖父と異なり、経済・実務的な能力に欠けていた祖父は、当該追加運営経費について自分の農業所得と恩給(年金)以外、資金の当てもなく、しばらくして立ちいかなくなったようです。
しかしながら、富の蓄積がない当時の農村で、貧しいながら、個々が出資金を出し、組合員が経済的に利得を得、協働の結果、出資に応じ当該利益を受け取り、自己及び家族の生活の向上に資する、自主自立の制度というのは、今思っても、当時の農業者にとっては、夢のような話であったでしょう。また、これは、戦後政府が画して共産化を恐れる進駐軍が後押しした自作農創設政策(農地解放)により自営農民が創出されたこと、戦後の混乱期に兵役解除による労働力はたくさんあったこと、農村に賃労働などの仕事は少なかったなども前提の話ですが。いわばこの「共存共栄」は、日本人の伝統的な精神や考え方によく合致していたのではないかと思います。
私は、現在、都銀とも、山口県を基盤とするY地銀ともお付き合いはありませんが、当時から銀行が限られたもの特権的なもののための存在であったことはよく理解できます。
現在でも、当地では、多くの住民が、自己の便益のためには多少遠くても農協や郵便局を利用します。
殊に高齢者など、感覚的(生活感性的)に、銀行を信用していないんですね。ご承知のとおり、銀行も、一部高額所得者を除き、高齢者とのお付き合いはしてくれませんが。
今後も、限界集落など、明らかに、高齢的、経済的弱者しかいない地区において、どうにかして、近傍の農協、郵便局に是非頑張ってもらいたいと思います。
外国金融資本への便宜供与、特定産業の保護と効率追求のみ求め、国民のライフラインとしての日本農業の将来と、日本独自の誇るべき組織農協を、平然と無慈悲な外国資本に差し出し、日本のよりよき伝統と互譲の精神を顧みず、弱者の存在すら認めず、国民国家の大多数の国民の利害に反する、農協解体、TPP条約批准、消費税増税等一連のわが日本政府の世紀の愚策と、その推進者、国会議員内の自民党のみならず、民進党その他の会派の、新自由主義者の主張に、強く反対します。
かのノーベル賞作家、ソルジェニーツィンの「マトリョーナの家」には、スターリンの犠牲となり彼が流刑にされたへき地で、下宿先として世話になる、世間的には愚かで迷信深く、馬鹿者のように扱われながら、しかし、いかなる他人にも親切で思いやりのある「義の人」マトリョーナ(なんと昔の日本人によく似てはいないか。また、ロシア・ラーゲリで抑圧されながらも、生来の人間の善良さを失わないイワン・デニーソヴィチとよく似てはいないか(「イワン・デニーソヴィチの一日」。ソルジェニーツィン著))の描写を通じて、ロシアのミ-ル(村落共同体)を破壊し、国民のよりよき善の心までを破壊したロシアスターリニズムに対する深く、静かな怒りが、見事に、またスターリン以前のロシアに対する追憶(このあたりは少し注意を要するが)が美しく描かれています。そして、その純なありのままの姿がスターリニズムに迫害され国内流刑になった当時のソルジェニーツィンにどれだけ響いたかもきちんと書かれています。
日本国政府及び推力の新自由主義のやつばらは、このたびの、その「世紀の愚策」の結果、日本人の大多数が、非寛容で同情心もなく自己利害しか考えない餓狼のようなあのアメリカの金融資本家(きやつらはそれが人間の本性というかも知れないが、私はそうは思わない。)のようになったらどうするのだ、それについて、国家の大計として、一度でも、熟慮したことがあるのか。このまま彼らの悪行を放置・推進すれば、文字どおり、グローバリズムが、日本の文化を、伝統、良俗を食いつぶし、住みよかったはずのこの「日本社会」を、また、他者に寛容で「思いやりと察しの文化」を、滅ぼすことにならないか?
今後も、私は、明治人わが祖父の遺訓に習い、どのようにして「人のお世話をするように(お役に立てるように)」=「正しい」義に加担できるように、冷静に観測・熟慮しつつ、誰かのように、加齢と思考停止のかたくなさによる心情倫理のとりこになり、愚かな政治的尻馬乗りにならないように、振る舞いつつ、当面は、日本の多くの国民大衆の利害に寄与する、現存する「農業協同組合」の側面支援に努めてまいります(私、現在のところ営農は好みませんが、現在、農協準組合員、共済会員、預金者を兼ねております。)。
それよりも、何よりも、国会議論もろくに行わず「TPP条約批准を急げ」とかの、無考えの国会議員たちの愚挙と、腹立たしいバカさ加減を認識し、きちんと批判するとともに、アメリカ大統領選の両候補が、公約とおりTPP条約を廃案にしてもらえるなどと、甘いことを考えるのではなく(そんなことは決してないことを「「小浜逸郎・ことばの闘い『第2回グローバリズムとメディアの犯罪①』blog.goo.ne.jp 」をよく、観ていただければよいです。 )、殊に、クリントン候補と、日本政府のやり取りを、十分に注視していかなくてはなりません。
少なくとも、「私たちは、歴史も伝統ある、独立した、国民国家、「日本国」の国民でしょ、(間接民主主義制度は尊重しますが)日本国にとって重要なことは、私たち自身で決めます。」と胸を張りたいものです。
先に、わが「歴哲研」では、三橋貴明氏の「亡国の農協改革」(2015.9.28出版)を皆で読みました。
当該著書は、すぐれた経済学者三橋貴明氏が、「畢生(ひっせい;一生を終わるまでの期間で。一生涯で。終生の。)の」著作といい、出版当初、全国会議員に献本したとの話であり、心ある(国民の安心・安全を第一義に考える)国会議員からなにがしかの反応と、新たな動きがあろうかと思いましたが、私の観察した範囲では、国会議員には何の動きもありませんでした。
当該著書で扱われている、TPP条約締結前から、日本政府主導で、農協改革(改悪)法案を成立させ、米金融・寡占資本のお先棒を担ぎ、大多数の日本国民の利害に反する、政府自民党の、農業協同組合に関する一連の解体工作を憎み、大多数の日本国民の利益に反するのみならず、我々の孫、子にはなはだしい経済的損失、また日本人の気質にさえ、大きな被害を与えると思われる、当該愚挙に強く抗議し、反TPPを鮮明にするため、貧しいながら私の意見を述べさせていただきます。
今回は、私の祖父たちが作った「協同組合」について、祖父の記憶とともに申し述べたいと思います。
先の「歴哲研」の議論の中で、若い参加者には、農協は理解できても実態としての「協同組合」(近代以降の歴史から及ぶ現在の姿)が理解しにくいらしいことがよくわかりました。おそらく、近代以降、資本主義の勃興してきた歴史の中で、他国の例もあるにせよ、著者の描く、なぜ協同組合が必要となったのか、資金力がなく社会的な権力に無縁で、自然に影響されやすい農業という自営業を営む小規模農業者にとって、いかに当該組合が味方になれたのか、についての理解がなかなかできにくいのだと思われました。また、日本においても、著者が「(1948年)当時全国で1万6千もの農協の設立がされた」と指摘されたように、昭和20年、30年代において、どのように多くの組合が作られ、整理・統合・消滅して行ったのか、理解したいと思いました。
かつて、私より少し年長の結構大規模の元農家の後継者の方が述懐しておりましたが、米・味噌・醤油などは自家製造できるけど、外から物を買う現金がなかった、との話であり、当時の農村の事情が推し量れるところです。
当時(昭和10年代以降を指します。)、高利貸し(うちの近辺では酒造業者が多かったようです。弁済が遅滞すれば、容赦なく、代物弁済により田畑を取り上げた彼らのやり口に対し、祖父母から、地区民の悪評と怨嗟の声を聞きました。)は別にして、農業者に資金を貸すような金融機関はあるはずはなく、私にかすかに記憶があるのは、頼母子講(無尽)(「たのもしこう、 金銭の融通を目的とする民間互助組織。 一定の期日に構成員が掛け金を出し、くじや入札で決めた当選者に一定の金額を給付し、全構成員に行き渡ったとき解散する。 鎌倉時代に始まり、江戸時代に流行したという制度」)、ですが、無住の神社などを使い、日を定め、もっぱら夜行われていました。安全な庶民金融がない時代の互助の産物なのですね。
戦後、農業協同組合法が施行されましたが、小規模自営農家では、新たな事業を興そうとする際にも、現金はなく、まとまった資金を調達するすべもないので、進取の気性に富む当時の営農者たちは、組合員の出資金に基づく、畜産協同組合を作ったようです。当時の地区農協からどれだけ勧奨や支援があったかどうかは、残念ながら祖父に聞いてはいません。祖父たちは、近隣の農業者と語りあい、最初に固定経費のかかる乳牛の協同飼育の畜舎を作り、当該搾乳施設などを協同管理として設置し、出荷や、飼料購入、肥育に至るまで、組合の施行でやろうとしました。
しかし、その後当該収益は思うように上がらず、母方の祖父と異なり、経済・実務的な能力に欠けていた祖父は、当該追加運営経費について自分の農業所得と恩給(年金)以外、資金の当てもなく、しばらくして立ちいかなくなったようです。
しかしながら、富の蓄積がない当時の農村で、貧しいながら、個々が出資金を出し、組合員が経済的に利得を得、協働の結果、出資に応じ当該利益を受け取り、自己及び家族の生活の向上に資する、自主自立の制度というのは、今思っても、当時の農業者にとっては、夢のような話であったでしょう。また、これは、戦後政府が画して共産化を恐れる進駐軍が後押しした自作農創設政策(農地解放)により自営農民が創出されたこと、戦後の混乱期に兵役解除による労働力はたくさんあったこと、農村に賃労働などの仕事は少なかったなども前提の話ですが。いわばこの「共存共栄」は、日本人の伝統的な精神や考え方によく合致していたのではないかと思います。
私は、現在、都銀とも、山口県を基盤とするY地銀ともお付き合いはありませんが、当時から銀行が限られたもの特権的なもののための存在であったことはよく理解できます。
現在でも、当地では、多くの住民が、自己の便益のためには多少遠くても農協や郵便局を利用します。
殊に高齢者など、感覚的(生活感性的)に、銀行を信用していないんですね。ご承知のとおり、銀行も、一部高額所得者を除き、高齢者とのお付き合いはしてくれませんが。
今後も、限界集落など、明らかに、高齢的、経済的弱者しかいない地区において、どうにかして、近傍の農協、郵便局に是非頑張ってもらいたいと思います。
外国金融資本への便宜供与、特定産業の保護と効率追求のみ求め、国民のライフラインとしての日本農業の将来と、日本独自の誇るべき組織農協を、平然と無慈悲な外国資本に差し出し、日本のよりよき伝統と互譲の精神を顧みず、弱者の存在すら認めず、国民国家の大多数の国民の利害に反する、農協解体、TPP条約批准、消費税増税等一連のわが日本政府の世紀の愚策と、その推進者、国会議員内の自民党のみならず、民進党その他の会派の、新自由主義者の主張に、強く反対します。
かのノーベル賞作家、ソルジェニーツィンの「マトリョーナの家」には、スターリンの犠牲となり彼が流刑にされたへき地で、下宿先として世話になる、世間的には愚かで迷信深く、馬鹿者のように扱われながら、しかし、いかなる他人にも親切で思いやりのある「義の人」マトリョーナ(なんと昔の日本人によく似てはいないか。また、ロシア・ラーゲリで抑圧されながらも、生来の人間の善良さを失わないイワン・デニーソヴィチとよく似てはいないか(「イワン・デニーソヴィチの一日」。ソルジェニーツィン著))の描写を通じて、ロシアのミ-ル(村落共同体)を破壊し、国民のよりよき善の心までを破壊したロシアスターリニズムに対する深く、静かな怒りが、見事に、またスターリン以前のロシアに対する追憶(このあたりは少し注意を要するが)が美しく描かれています。そして、その純なありのままの姿がスターリニズムに迫害され国内流刑になった当時のソルジェニーツィンにどれだけ響いたかもきちんと書かれています。
日本国政府及び推力の新自由主義のやつばらは、このたびの、その「世紀の愚策」の結果、日本人の大多数が、非寛容で同情心もなく自己利害しか考えない餓狼のようなあのアメリカの金融資本家(きやつらはそれが人間の本性というかも知れないが、私はそうは思わない。)のようになったらどうするのだ、それについて、国家の大計として、一度でも、熟慮したことがあるのか。このまま彼らの悪行を放置・推進すれば、文字どおり、グローバリズムが、日本の文化を、伝統、良俗を食いつぶし、住みよかったはずのこの「日本社会」を、また、他者に寛容で「思いやりと察しの文化」を、滅ぼすことにならないか?
今後も、私は、明治人わが祖父の遺訓に習い、どのようにして「人のお世話をするように(お役に立てるように)」=「正しい」義に加担できるように、冷静に観測・熟慮しつつ、誰かのように、加齢と思考停止のかたくなさによる心情倫理のとりこになり、愚かな政治的尻馬乗りにならないように、振る舞いつつ、当面は、日本の多くの国民大衆の利害に寄与する、現存する「農業協同組合」の側面支援に努めてまいります(私、現在のところ営農は好みませんが、現在、農協準組合員、共済会員、預金者を兼ねております。)。
それよりも、何よりも、国会議論もろくに行わず「TPP条約批准を急げ」とかの、無考えの国会議員たちの愚挙と、腹立たしいバカさ加減を認識し、きちんと批判するとともに、アメリカ大統領選の両候補が、公約とおりTPP条約を廃案にしてもらえるなどと、甘いことを考えるのではなく(そんなことは決してないことを「「小浜逸郎・ことばの闘い『第2回グローバリズムとメディアの犯罪①』blog.goo.ne.jp 」をよく、観ていただければよいです。 )、殊に、クリントン候補と、日本政府のやり取りを、十分に注視していかなくてはなりません。
少なくとも、「私たちは、歴史も伝統ある、独立した、国民国家、「日本国」の国民でしょ、(間接民主主義制度は尊重しますが)日本国にとって重要なことは、私たち自身で決めます。」と胸を張りたいものです。