天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「福澤諭吉しなやかな日本精神」(小浜逸郎著)(PHP新書)について考える(または最終案内)

2018-09-28 20:15:06 | 読書ノート(天道公平)
 かつて、著者の労作、「日本の七大思想家」において、著者は、日本の近代以降登場した、日本国のみならず、国民国家を超え、世界につながる、思想家、文学者、哲学者などを扱っていた。その中に、福澤諭吉(以下「福沢諭吉」と表記する。)も登場してきた。
無知(恥)な私にとっては、予備知識もないような哲学者なども登場したが、既存の日本の近代以降の、従前の偏った歴史観、思想史研究の流れ、そして、その帰結と不可分である現在の混迷した時代情況に言及し、それを相対化し、総括しようとするかのような試み(私見です。)に、実際のところ、多大な共感をした。それは、あたかも、わがことのように、真剣に読めたところである(かの3.11後に出た本で、小浜氏は今何を考えているのだろうと考えていた、私にとって待望の本であり余計に思いいれがある。)。

 今思えば、私は、昭和の半ばに生まれ、日本国の歴史的な敗戦・大敗北の結果に、かつかつと、行きあわせた(たぶん最期の)世代である。
 そのあたりの、時代認識と父祖とわれわれの歴史の継承の使命感において、同年齢の百田尚樹に強く同感する。
 そして、現在において、第二期に当たる(?) 、グローバリゼーションの大渦巻きの中で、現実化・顕在化しつつある日本国の大敗北と、その凋落(ちょうらく:衰亡すること)の危機に、いやおうなくめぐり合わせた私とすれば、その動きに対して、「ちょっと、それは違うだろう」と、声を大にして、反論し、言明したい。
 なぜなら、明治期・日本国にとっての初代グローバリゼーションの危機の時期に類比して、このたびの、内外のグローバリズム推進者たちによる大災害へ対する、政府を始め、わが国の愚策と不手際は、どうも、人災の要素が大きい、と思われるわけである。
明治維新、そして敗戦の教訓を、現代の多くの日本人が、自己の問題として、そして過渡の歴史の橋渡し的な責任として、どうも、自分に問い、熟慮せずに現在に至っているのではないかと思われるわけである。殊にそれが、政治家や、知識人(?) 、企業のトップ(売国奴は除く。)などのリーダーシップを握る筈の一握りの層に顕著であるのが、心底腹立たしい。
 そうでなければ、西欧に明らかに劣った国力を結集し、必死に近代化を果たした明治期人の奮闘と、大欧亜戦争の大敗北後、徒手空拳で立ち上がり、「現在」の達成を勝ち取った、われわれの父祖たちの努力に対して、「私たちは無能で申し訳ない」、と謝罪する(謝罪で済めば何の問題もないが)ところではないのか、と思う。
 同時に、また将来の、わが孫子(まごこ)の世代に、「なぜ、あのとき、詐術に加担したのか」と、責められ、お詫びしなければならないかもしれないわけであるので。

 著者は、その後、「デタラメが世界を動かしている」(PHP研究所)(2016年)において、日本国の政治的、経済的、あるいは政治家、官僚、知識人(?) たちの危機意識の欠如、無思考の愚かしさと、自己利害に終始する退廃を、抉り、指摘して見せた、これは今も、そのまま通用する、明快な批評である(是非一読をお勧めする。)。
「快哉なり」、と叫びたくなるような出来であり、そして、なぜ、日本の知識人はおしなべて「バカサヨク」の呪縛をのがれず、また現在の動的な世界状況を分析できず、他国(敵国)に媚び、戦勝国に随順し、自国民の利害や利益に対し、反動でありつづけるしかないのかと、植民地文化人のありように暗澹たる思いをする。
 このたび、著者がこの本の刊行を急いだのは、「日本国の滅亡に間にあわなくなるかも知れないと」、という、明確な危機意識である。その危機意識も共有する。

 もともと著者の本領は、倫理学というか、思想・哲学というか、文学評論を含めた浩瀚な領域で活動する評論家であり(かつて小説も書いているが)、経済や、リアルポリテイックス、国際政治などを取り扱うところには、ない、それは70年代から、著者の著書を追っかけている私には明快なところである。
 しかしながら、現在の日本国の政治・経済、国土防衛に係る未曾有の危機(そうでないとは誰にも言わせない。)に対する、政府から一般国民に至るまでの、有象無象の対応が余りにナイーブ(つまりバカ)なので、このままでは、日本国は滅ぶ(世界中にいくらも国家の衰亡の歴史はある)、やむを得ず(あまりに現在の政治・経済・国際状況に対する政府、マスコミ、利口な筈の専門家(?) が愚かしいので)、貴重な時間を、現在のある意味猥雑で、労力に比べ望む成果が出にくい、政治・経済評論に費やしているように思える。
 たとえば、著者との間で行われた、先の「竹田青嗣」氏との対談を経た後、私の印象でも、竹田氏は飽くまで哲学者であり、抽象度の高い思考を扱うのがその本来ということであるのだが、どうも現在の現実政治や経済の情況や危機に対する認識が欠如しているのではないかと思えてきて、長年の読者として、少し残念であった。当面、竹田氏は、塔の高みで(西欧的な思惟の背景のもとで)思考し続けるであろうかと。
かつて、私もヘーゲルの再評価というつもりで、西研氏と共同で行われた、ヘーゲル講座合宿(箱根泊まりこみ)に参加させていただき、参加者たちの顔ぶれを含め、大変興味深い体験をさせてもらった。
 その行事には、数多くの若者(学生)たちが参加していた。オフ会の和やかな懇親会の中で、私が思ったのは、もし、彼らが、西欧的思考や思想が「世界」の主流で、全てであると考えていれば、それもまた、近視眼であり、わが国の思想・歴史を媒介(ナショナルな視野がなければ)しなければそれはそれで間違う、という感想を持った。
 ご同様に、私の学生時代を振り返ればそれは明らかである。
 もし、私が読み違えているのであれば、ご指摘願いたい。、

 時に、塔の高みから降りて、リアルポリティックス(現実の政治)を扱う評論で活動するためには、自国・世界認識はもちろんのこと、曲学阿世の徒や、自己利害追従のみのろくでなしや、無考えの愚か者、などと、ののしりあい、たちのわるいヤツとは(場合によっては)つかみ合いの闘いまでやろうする覚悟は必要であると思われる。
 そのろくでなしをいなすべく、うっちゃるべく、戦い方はいろいろあるものかもしれないが。
それは、高踏を気取る教養人や知識人に比べれば、現象的には、醜く、浅ましい姿に見えるかも知れないが、仕方のないことである。戦う人間は決して美しくはない、現実は見栄えの良いものではないのである。「それじゃ、具体的に何をするの」、と問われれば、「ぐっ」と詰まってしまうのは、(私の)昔と同様なことになってしまうが、いまさら、政治の時代に戻ることはできない。
 たとえば、私のようなものですら、家庭において、「政治的な」発言は許されていないし、職場でも、それ以外の友人たちの間でも、至極まっとうな発言ですら、いい年をしてと、顰蹙(ひんしゅく)をかうのは必然である。殊に、妻子から、厳しい反発を受ける。それこそ、太宰治ではないが、酒飲み以上に、理屈を説く人は孤独であり、身内に尊敬される人(?)は存しにくい、と思う。
気心が知れたはずの、昔の友人たちですら、今になれば同様な話である。
 時間の経過とともに、わがつたない「思想」も、応分に、きちんと鍛え続けていかなければ、昔事実に近かった筈の思想や認識は、そして状況に対する読みは滅んでいくばかりである。それは正しい。そこに、私たちが孤独と孤立を支払うゆえんがある。
 年老いながら、学生時代よりも、一層の焦燥といらだちを感じる、現在の私である(愚痴ばかりになってしまった。)。

 著者は、前著の「日本の七大思想家」で福沢諭吉を扱ったが、このたび、それに肉付けして、幕末維新期から朝鮮の甲申事変(光緒十年=明治10年、1884年)までの、福沢諭吉のエッセンスというべき文筆活動を中心に扱っている、また、同時に、婦人論、男女交際論、婚姻論など、男女のエロスにかかわる論考もしている、ということで、福沢諭吉は視野が広く、幅広い背景を持つ思想家であることが理解できる。
 最初に「福沢諭吉は武士でした。そして真性のナショナリストでした。」という著者のキャッチコピーが挙げられる。
また今回は、幕藩時代末期と明治の初期における、旧藩時代の福沢をめぐる、時代の動きや、幕末期のさまざまな英傑(?) との交流や、立場による相克、幕府・朝廷、明治政府の動乱の中での、福沢諭吉の、それこそ、「福沢諭吉とその時代」というように、その思想と周囲の動きを動的に描いていく。
当初の「日本の七大思想家」刊行後も、著者は近代の思想家・官僚、幕末の敬すべき思想家、横井小南、西郷隆盛などについても、論評してきた。殊に、幕臣でありながら「新政府の貴顕」となった、勝海舟と福沢とのいきさつは、それぞれの個性と立場(周囲から負わされた社会的使命の相克)が出て、興味深い。
 いずれの思想家も、その年齢、社会的身分、洋行体験のないこと、洋書の入手不可能などの限定された枠の中で、幕藩体制下の常識によらず、独自に日本(まだ日本国という名称もなかったであろう。)の将来とその精神を考え抜いた人であり、それは、時代的制約は当然のことながら、現在のわれわれの状況に比して、その困難は想像を絶するものであったと思われる(近代の黎明期の人は偉かったのである。)。
福沢諭吉が、それらの思想家(実践家)と一線を画すのは、彼が幕藩体制、明治期と二生を経たことはさることながら、著者の前書きを借りれば、福沢は、論客として、「非常に幅広い視野と柔軟な思考力を持ち、・・・・・・、自説だけを押し通すだけでなく、常に反論者を意識した開かれた対話の場面を想定していた。(中略)反論者が誰であるかはほとんど特定していないので、多くの場合、自分で想像したのではないかと想像される。これは読者に対する親切とも評すべきもので、だからこそ説得力がある。福沢の論理展開は、言論というものの優れた見本というものを提供していると言ってよい」(同書)(P5)、と、物書きとしての、その周到ぶりが描かれる。
 彼は、「合理的な思考により論理的な説明と記述に長けた人であり、それを公共的な言論に供することに多大な努力を払った」(したがって偏頗な○○主義者にはならない。)訳で、まさしく、現在の(日本国の第二次(?))グローバリズムの嵐の中で、日本国民が混乱し、過度に自信を失うような危機に、形を変えて、出てきて欲しい、思想家、そして現実的な実践家なのである。
「「敵」をよく知ること、「敵」の優れた点を換骨奪胎しわがものにすることこそ大切だととき続けたのです。今の言葉でいえば、グローバリズムの浸透に対して、ただ精神的に強がって見せるのではなく、国を守るために、現実的に有効な施策を真剣に模索したわけです。」(同書)(P20)
著者が、どうしても視野狭窄が起こりがちな、殊に若者たちに、この本を読んで欲しい、と叙しているように、できるだけ平易に、わかりやすく、しかしポイントをはずさないように、「危機」に際しての書として、この本は書かれている。
「グローバリズムが国民にもたらす弊害とは何か。
それは貧富の格差の拡大であり、ごく一部の超富裕層への富の集中と中間層の脱落であり、それぞれの地域の伝統の崩壊であり、異文化の衝突による文化摩擦の深刻化であり、「自由」という美名のもとにおける、大国による小国への経済的植民地化であり、国家主権と民主政体の破壊であり、ヒトの大移動による現地国民の生活破壊であり、国内治安の悪化であり、最終的には暴力革命や大戦争の危機です。」(同書)(P323)

 対抗上、私は、個人的に、これらの現象の、反目を生きること、日常生活、貧しいブログ投稿生活で、こなしていくようにしている。国民国家日本人の大多数にとって良いことは何もないのですね。
 わが国にも、米欧の一部支配層と利害の合一と、目的の同一の趣旨で(敵の敵は味方という論理で)反動的な一部特権者が政府の一部を牛耳り(外国人労働者の無原則な受け入れ、デフレの黙認)、それは、きわめて遺憾であるが、そのうえ、かつて膾炙した、当時のグローバリズムの反動で起こった、後進国暴力革命の信者やシンパくずれがいまだに、わが国で命脈を保っているのは、日本国の歴史において、愧ずべきことでもある。
 それこそ、今年は、明治150年期にあたり、わが県においても、さまざまな記念行事を行っているが、いまいち、盛り上がりを欠いている。しかしながら、優れた思想や言葉が、時代を動かす原動力なったのは良い時代でもあった。それこそ、ないものねだりというものであるが。
 私は関西の私大、「D大学」の出身であり、ことあるごとに、「新島精神が・・・」と開設者の、新島譲氏の、建学の精神を聞かされたが、どうもよく その実態は分からず(無教会派とか)、彼の遍歴を見れば明治期のモダニストであろうと思っていた。同時に、北関東出身で、いわゆる「負け組」に属していた彼は、漠然とキリスト教徒としても変わった人であったろうと、考えていた。そういえば、卒業者は、佐藤優は論外としても、古くは筒井康隆とか、中村うさぎ、とか変わった人が多いところである。
 先に、典型的な負け組、会津藩出身で、女だてらに篭城までして戦いながら、その後明治期に活躍した新島襄婦人、新島八重さんを扱った、NHKドラマ「八重の桜」を見ていて、それこそ、教育者として生きた、まさしく一身で二生を生きた、新島襄夫妻の苦闘の歴史に触発されるにつけ(時代劇ドラマ「仁」で、可憐でひたむきな演技で魅せた、主演の綾瀬はるかさんとても好きです。)、どれほどの有為転変を経ても、くじけない、明治人の、豪快で、闊達な生き方には感嘆するところとなった。市井の教育者を貫いた彼らは、周囲、後世が何を言おうと、それこそ、「毀誉褒貶は人の常」いうことである。
 ひるがえって、慶應義塾大学(以下「慶大」という。)の創設者である「福沢諭吉」氏は、OBの友人に聞くと、同大学で、唯一の「先生」と呼ばれるべき人であり、後については教職員たちはそれぞれ「君」付けで呼ぶと聞いた。私学の伝統が継承されているのである。
 慶大出身者に、グローバリズム礼賛者はいないのか、新自由主義経済学者も多いのかどうか、寡聞にして私は知らないが、このたび、再度、創設者の著書を、拳拳服膺(けんけんふくよう:人の教えやことばなどを、こころにしっかりと留めて決して忘れないこと。)して、すぐ目の前にある、われわれの危機に際し、師の薫育に応えるべきではないのか、と、檄を飛ばしたい。
 そして、今後とも、大多数国民の利害に明確に敵対する、曲学阿世の徒、官立大学の、御用学者に決して負けてはいけない、と。

「世界は正にあたかも封建割拠にして、武を研ぎ勇を争うの最中なれば、一国の重大宝剣たる海陸の軍備をば常に研ぎ立てゝ、常に良工の作物を選び、常に新規の工夫を運(めぐ)らし、要用なるときは、一擲(いってき)(思い切って一度に投げ捨てること)幾客千万金をも愛しむべからず。もしも然らずしてこれを怠る者は、封建の武士が木剣を帯するがごとく、また丸腰なるがごとし。国を丸腰にして他国の軽侮を防がんとするは、また難きに非ずや。三歳の童子もその非を知らんのみ」(福沢の著書より著者が引用)
 まことに返す言葉もありません。」
「外国人が暗々裡に自国の権力を恃(たの)みて、動(やや)もすれば法外の事と企て、日本にいて別に一種の特典ある者のごとくに自得するのみならず、かえってわが国の習慣法律を軽視して誹譏(ひき)するがごとくは、誠に憎むべき心事なれども、虚心平気これを考うれば、その罪必ずしも彼に在らず。畢竟(ひっきょう)(つまるところ)、われに乗ずべき隙(てぬかり)あればこそ、彼より来て(きたりて)これを犯すこともあれ」(福沢の著書より著者が引用)
 国の内外の違いはあるとしても、現在の某国(複数)のさまざまな形での対日攻勢を見れば、まさにこのとおりというほかはありません。福沢は、客観的に見れば外国人が日本の事情に便乗するのは当然で、悪いのは日本の側に隙があるからだと、正論中の正論を吐いているのです。(P226~P227)

「然(しか)るに、ここに怪しむべきは、わが日本普通の学者論客が、西洋を盲信するの一事なり。十年以来、世論の赴(おもむく)くところを察するに、ひたすら彼の事物を賞賛し、これを欽慕(きんぼ)し、これに心酔し、甚だしきはこれに恐怖して、毫(ごう)も疑いの念を起こさず、一も西洋、二も西洋とて、ただ西洋の筆法を将(もつ)て模本(もほん)に供し、小なるは衣食住居の事より、大なるは政令法制の事にいたるまでも、その疑わしきものは、西欧を標準に立てゝ得失を評論するものゝごとし。奇もまた甚だしというべし。今日の西欧諸国は、正に狼狽(ろうばい)して、方向に迷うものなり。他の狼狽する者を将て(とって)以て、わが方向の標準に供するは、狼狽の甚だしき者にあらずや」(福沢諭吉「民情一新」)文中(P324)

 重複するが、この本で、著者は、いかに平易に分かりやすく、より若い読者に、現在の、わが国が直面している喫緊の課題に対し、どう考え、ふるまうべきか、どうやって過渡期において若者たちは身を処するべきなのかを、どのように直裁に語るか、を目指しているように思える。
 それは、今現在において、優れた、政治家、実務者、思想家が出てこない現在への憤懣にある、と言っても良い。それこそ、欠損から出発したような幕末期に比べ、現在は、国民全体の知的水準も上昇し、経済的な基盤も恵まれ、整備されているはずであるというのに、なぜなのかと私も思う。
しかし、武士であり、かつ真性のナショナリストであった福沢諭吉がいうように、国民が独立・矜持の気概を持ち、国力(国軍=軍事(自衛)力)なしに、現在のわが国が飢狼のような列強(中共、ロシア、韓国、米国)に翻弄されるのは必然としか言いようがない。「ぼけ」は、サヨクばか老人だけでたくさんである。
 いずれにせよ、この「世界」を巻き添えに逆巻く大渦巻きのようなグローバリズムの嵐の中で、もし、私が、それに抗すべく、時代が強いる思想的立場といえば、当面「真性のナショナリスト」の一人であるしかないように思える。口幅ったいことを言えば、それが、「現在の」過渡期の、重要な(世界レベルでの)危機に抗し、意識的に闘うことではないのだろうか。
 せめて橋頭堡(いかがわしい言葉ですが)として、時代が強いる現在の課題、国民国家日本国の護持に、わが同胞国民の安心・安全のために、柔軟にしなやかに、そして老かいに、しぶとく、残った人性をかけて行きたいものである。

来る9月30日(日)14:00から18:00まで、四谷、喫茶室ルノアール四谷店3階会議室において、「しょーと・ぴーすの会」の主催で、著者の臨席のもとで、当該著書の勉強会(?)が行われます(参加は自由)。諸般の事情で、私は参加できませんが、皆様に参加を強くお勧めします。

「人間としての尊厳」、「やさしさ」(ある程度、限定します。)について考えてみる

2018-09-27 18:32:16 | 時事・風俗・情況

うちの孫の好きな新幹線です。キティちゃんバージョンです。
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先に、友人のIさんという方と、それぞれの仕事にかかわることについて意見のやり取りをすることがありました。Iさんは監護職(私は広い意味で看護等と理解している。)であり、私もサービス業の一人です。Iさんは、自分の職責に、「人間としての尊厳」への配慮、という理念規定を挙げておられました。
それに比べれば、私の仕事は、とりとめのない、その場限りである散文的な仕事であり、そこまで、厳しく、自分を律することはないのですが、考えてみれば、仕事に対する、理念というものは、私自身にも位置づけておく必要があるとも思われ、下記のとおり、お話しつつ、考えてみました。
 その際に、医療従事者、介護従事者などによく求められる、「(他者に対する)「やさしさ」」という言葉を導入したのは、私です。
 それはそれで、ずいぶん、無媒介で、恣意的な、言葉ですが、それはひとまず、棚上げにしておきます。

 私は、地方公務員であり、大昔は「公僕」(こうぼく)と言っていましたが、さすがに、その「僕」(ぼく)という奴隷体質が疎まれたせいか、採用の際、「全体の奉仕者」と名乗るように、人事課から仕込まれました(実は「人を選んで対応しろよ」というのが彼らの本音であったでしょう。)。
 まあ、対人関係では、それが、智恵というものかも知れません。
 したがって、それ以降、仕事上の来客者とは、つねに対等であるように振舞ってきました。老若男女、貧富の差を超え、ということです。人によって、閾値が低い人には、こちらから歩み寄るわけですが、その際も対等という姿勢を崩したことはありません。
 「生意気」とか、「態度が悪い」とか、いろいろ言われましたが、致命的な(?) 対立・被害に至らなかったのは、幸せでした。

 人によって、その人性というか、境遇に、自己の責任に帰せない「運」、「不運」は必ずある、これも繰り込むべき重要な認識ですね。「想像力が及ぶ」、強いて、いえば、それが、私の「尊厳」を守る、というひそかな実践例かもしれないと思います。
 それは、私たちの仕事における、対人関係の当たりや、折衝という言うものは、常に、自らの全人格をかけたものになってしまう、と、今なら思い当たるところです。
さまざまな、経験や研鑽を経て、自ら得た、教養とか、経験、知識というものは、自らに繰り込まれ、知らず知らず、他者に対する対応に反映していく(例のX軸、W軸の交点の現在として)(笑い)のですね。
 しかし、「仕事」という側面では、相互の自立・扱いの平等という前提を、外していれば、こんな社会的な関係は成り立たない、とも思えるのです。

 まず、「やさしさ」について考えます。
 それは、現実的には「自分の大事なものを無償で差し出す」、という意味に思えてなりません。それは、われわれ個々に大きな抵抗を生じます。それは、いわば「万人が万人に対する競争者である」社会的な対応の側面で、とても、日常的な関係の表出ではないのですね(それは、かつての1970年代のアメリカのニューシネマ「スケアクロー」とか「真夜中のカウボーイ」とか、孤独と孤立が日常的な社会での「友情」(だと思う。)を描いた作品が、なぜあれほど受けたのかを連想します。歳がわかりますが。)。

 私は、ブログに連綿と自己史を書いていますが、私に係る精神的な影響は、ほぼ、同居した祖父母に拠っているように思われます。実父母には少し残念なところがあり、そのロールモデルは、殊に祖父に負っていると思える、のです。
 したがって、野放図な老人(いくらもいるが)は別にして、謙虚で、自立しようとする老人に対しては、一般的に「やさしい」対応ができるような気がします。実のところ、それは、その外貌も重要なポイントであるかも知れません。
あるとき、「年寄りには優しくしろ」と、ふと漏らした、記憶に残った実の祖父の言葉は別にしても、まずは、その様な反応を、意識的にしようとしてしまいます。
これは、子どもについても同様で、礼儀正しくあり、私の幼年期に資質が似たような子どもに対しては、(たとえそれが私の思い違いにしても)つい、同様な対応をしてしまうところです。

 しかし、今になって、どうしようもないサヨク崩れのじじい(ばばあも同義)とかに対しては、「ムリ、ムリ」(うちの同僚のおばさんでもそう言う。)となりますね。

 私たちの、それに対する反目の想像力が及ぶのですね。生活史(?) に根ざした、このような対応は、さまざまな人においても、かなり一般性があるように思えます。
 人の好き嫌いというものは理屈ではないのですね。
実際のところ「汝の隣人(敵)を愛す」人はあまりいないところですね。
 それこそ、中井久夫先生ではないですが、「理念によって人は優しくなることはできない」し、また、混ぜっ返すわけではないですが、中島みゆき先生にも、「浮気女と呼ばれても(みすみす不利になることはわかっていても)嫌いなやつには笑えない」そのあとに「おかみさんたち、あんたらの方があこぎなことをしてるじゃないか」(「彼女の人生」)という痛烈な反語が入る、訳です。
 なぜか、私たちの間には、それは、お互いに、相性というか、許し、相互に引き寄せるところがある、というか、そうとしかいえないところがある、と思われます。とても、説明しがたい、ところですね。
 このたび、小浜逸郎氏のブログ、「言葉の虚構性と実体化作用」にも、その言葉や思想において(理念が近い筈であった)個々の人間同士の感情の差異とその齟齬に係る考察があるところです。なかなか、むつかしいものです。
 社会的に「尊厳」というものが成り立つためには、必ず、その場で、公正さ(立場による取り扱いの差異のなさ)が要求されます。しかし、その存立条件として、同時に、社会的生活で配慮すべきは、「選択の自由(例えばお昼はラーメンにするかカレーにするかなど)」と、「自由の相互承認」(私の自由の尊重の希望は他者自由の尊重なしにはありえない)という、自由の本質規定を尊重すること、としか言いようがないですね。
社会生活を営むうえで(あるいは職責を果たすうえで)、それは決して失ってはならない、重要な配慮であると思われます。それは、西欧流に、国家間や、自立した、強者VS強者(弱者)の関係であれば、それでいいでしょう、それしかないと思われます。それが、成り立つかどうかは別にしての話です。現実的には、相互の言葉の戦いで、その差を埋めていくしかないでしょう。

 しかしながら、最近、それに疑義を感じるような気がしてきました。
 前からいろいろ考えてはいましたが、Iさんの臨む日本人の監護という局面において、それが、どこまで有効かなと、思えるようになりました。
 たとえば、介護などの、踏み込んだ局面では、相手の実情(生活史)を知ることは最初の手続きかもしれません。それが、「人間としての尊厳」というよりは、「察しと思いやりの文化」(それは理念とかイデオロギーなどにはなりにくいものです。)(思いやりが最初に来ないのは私の資質です。)として、その線で、「尊厳」や「やさしさ」を媒介しつつ(想像力を武器に相手の現実を理解したうえで)、実務や現場を理解し臨んだほうが、歴史と地域を共有する国民国家日本において、私たち大多数国民大衆の共通理解を得やすいと思われるからです。
 それのあとに、結果として「尊厳」までがくっついてくれば、それは対人関係として、願ったりというべきものかも知れません。

 次は、一歩踏み出して、「やさしさ」の現実的な運用(?) の問題になるでしょうが、それはある局面で、「やさしさ」をあらわすことが、その瞬間、相互に、うまく、合致し、実現できるかいう問題になるでしょうか。
 「やさしさ」を示すことは、それは共生存在としての、人間関係の良い表現であり、瞬時にその受感・反応もあるので、それがまたうれしい、という、とてもよい互酬であると思えます。
 しかしながら、要介護の重篤な状態で、互酬と言っても、介護の現場では困難なことであり、何を持って、日々の介護の支えにするかは難しいところです(たとえば認知症の方々には困難なところかも知れませんが、先ほどのように、過去にその人が、どのような生活史を経たかということを周囲が知ることによって、現場でその看護の扱いも変わるということもあるようです。)(現在ではそれもむつかしいかも知れない。生きていくことは醜く救いがたいような部分はいくらもあるので。)。
 そこはそれで、もとに戻って、「仕事」として考え、プロとして履行するしかないですね。「医者が治療できる患者は少ない。しかし、看護できない患者はいない。」(中井久夫)というところに帰るしかないかも知れません。人性のように、迷い、悩みながら続けていくしかないでしょう。しかしながら、それは専門職として、当該職員がきちんとした待遇を受けることを前提としています。
 Iさんは気を悪くされるかも知れませんが、適正な待遇と給与抜きに「尊厳」などと、現場に強いるなよ、と思われます。
 私が父母の監護で経験した範囲では、介護職の正当な知識や努力が評価されず報われないのは、ずいぶん不道徳なことです。
 バカの財務省は、今後、日本国の医療専門職まで、介護サービスはおろか、質の良い職員の人件費を引き下げる努力をしていると聞き及んでいます。日本国の大多数国民の福祉や質の良いサービスの確保に配慮できない官庁など、何の意味もないですね。全く、卑劣で不道徳な官僚たちです。
 私にいわせれば、先の老人介護や知的障害施設での元職員の無抵抗な要介護者への無差別殺傷事件も、その犯人の背後には、報われない介護職の、マイナス感情が累積していたと、思えませんか?

 ところで、お定まりの脱線ですが、私も、いい年をして、妻の暴言に思わず切れてしまうことはよくあります。私の主治医は決して認めませんが、あれは気が狂っている状態(更年期には、男は女になり、女は気が狂う。(ラカン))であると理解しています。世の男性方に置かれては、若いうちから、配偶者の早すぎる更年期に逢着される方もあるようで、運・不運で言えば、本当にお気の毒です(自己責任と私はいわない。)。
 対処療法としては、わが主治医は、「理不尽な言い分については、戦って(不当で不快であることを言明して)ください」といいます。これは、社会的な関係でも大事なことかとも思います。

 まあ、「世間」一般においても、ことばや行為が通じない場合も多いわけですが。いずれにせよ、互酬のない、人間関係は長続きしにくいところです。
 それ以外では、当該「やさしさ」の贈与が、後日、時間を経て後から相手に理解できるようになる、というところがあるかも知れません。それは、理解できるところです。それは、私たちの人性にも少なからず、思いあたることがあることかも知れません。
 しかしながら、一方的な「やさしさ」の贈与、というのも、常態ではありえないことです。それは、自立できない子どもの、ないものねだり、というべきものなのでしょう。

 いわば、多くのごく一般的な大多数が、おのおのの「やさしさ」の互酬を、普通にやり取りできるかどうか、ということが、制度(政治制度、社会の富の適当な分配制度などによる、国民生活の安心と安定の保証)の重要な役割りかも知れません。
 私は「敵は制度である」、と、昔さるサヨク思想家に習ったわけですが、比較的「「良い」制度」が、まず存在し、その本来の役割りが果たされない場合において、大多数の一般大衆は、不幸になる、ことは、間違いのないところです。
それは、未来に対する希望も、「思いやりと察し」も、ましては「やさしさ」などあらわす余裕もなくなる、ということですね。 
 そうはならないように、社会が希望と活力を失い、若者たちにも絶望が蔓延しないように、さまざまな場所で、それはなかなか難しいものかも知れませんが、お互いそれぞれの局面で戦っていくしかないようですね。

中也追慕

2018-09-14 20:24:28 | 哲学・文学・歴史
(毎年4月29日に、山口市の中原中也記念館において、「中原中也賞」の授賞式とともに、「中原中也生誕祭」が行われます。その、公式行事として、一般の人を対象にして、申し込み順で、詩の朗読会があります。そのテーマは、中也の実作でも良いし、オマージュでも何でも自由らしいところです。今年、たまたま、その紹介番組をテレビで観ていましたが、どこかのじじい(蔑称)が、つまらない、政治的デマゴーグを読み上げ(あれは、バカサヨクではないのか。)、当方、赤面逆上し、中也になりかわり(?) 、憤りを覚えました。やむなく、山口県在住のじじいの一人として、下記のとおり、つたない詩作をしたわけです。)


私は かの写真を 二葉見たことがある。

一葉は あの お釜帽を被り ランボオを気取ったような写真である
たとえば フランス名家の ディレッタントとは 当時 このような様であったろうか
お坊ちゃん然として 自らの才能と その無垢を 鼓舞するかのように 
大きな瞳で こちらを覗き込んでいる

「早熟の天才」 あなたはどれほどあこがれただろう 
地方で 片田舎で 「世界」の全てを つかみ  
そして 自ら その根拠のない自大感により 
大芸術家になることを 熱望しながら

「ダダイスト」 「和製の 天才詩人 ランボオ」 
若さゆえ 面白いものは いくらも あったろう

傲岸不遜の自我と
そのくせ 妙に甘く 友人たちに
気持ちのままに  なんども 波状訪問を 繰り返す
友人たちに 「いなかもの」と 誹られただろう

また ときに 「主のまねび」などを 口誦さんだ アドレッセンス期


自分で言うほど もてもせず 
はずかしい思いもした 京都時代
酒を覚え 自らの レイゾン・デートル(存在意義) を担保するため
友人たちとの 毎夜の 身命を賭した 観念の闘い

そうして 後に
ゆきどころなく 悩みぬいた 三角関係
  
いなか天才には 試練が いくらも あったに違いない

「俺は詩人として 故郷に 錦を飾る」
いやになるほど 通俗的だが 
あなたは 純金無垢に そう思っていた

片意地で 傲然とした 自恃のこころと
どうしようもなく 生まれてくる 
自らの幼年期と その無垢への とめどのない傾斜

しかしながら 「詩人になるしかなかった」あなたのその資質(さが)
のろわれた資質としか言いようもなく 招きよせる その運命(さだめ)

詩人はろくでなしだ
まさしく それは 必敗者であるやも 知れぬ

「ごくつぶし 二度と生きて帰ってくるな」
誰もが その逡巡と 恐怖を越え 
不確かな 自らの運命をかけて 虚空に 踏み出す
保証もなく 自己に強いられ 魅入られたかのように

いつの時代でも
詩人の行く末は 決まっている


二葉目の写真は ずっと後の写真だ
最初で 最期の 厳しい恋に 敗北し
生活に敗北し 
「世間」に敗北し

しかし 詩人として 
社会・現実と 不可避に 相対した 写真だ
刈り込まれ 整髪された髪と そのそげた頬と そして強い眼が
アドレッセンス期の終わりと 幻滅と
そして その意識的な訣別を 深く つよく 語っている

私は その写真に 惹かれる 
とても 強く惹かれる

そのとき
あなたが かつての 自分の詩を くちずさむ ことがあったのか それはわからない

結婚し 
しかし 愛児を失い
その渦中で あなたが 対峙しようとしたものが 
それは 詩神のみ ならず
生活の冷たい床(ゆか)であったのか

しゅく病(あ)であり  奈落のように とめどのない貧困であったのか
あるいは それは 非力で 無防備な 芸術家への 
厳しい 近代の試練で あったのか

あなたは 自らの人性と 才能の賭けに 
不見転(みずてん)に その身を投じるしかなかった


しかし 今の 私には よくわかる 私は
あなたの知らぬ 昭和 平成を 無自覚につききり 
凡庸に また 大過なく 延命し

生活の局面では もがき 格闘し 
あきらめ 不本意に 空疎な気持ちで 受容しながら
ついには 家族に疎まれ 多くの場合に 憎まれ 

観念の世界では 「反核・脱原発」に加担せず サヨクとたたかい 
陋劣な「グローバリズム」 とも闘い

また それは 多くの訣別を受け入れることとなり 
「変化」を厭い 憎む 友人たちをも失い 
ここまで来た

はるかに ひたすらに 馬齢を重ね 
老かいともいえず いよいよ 醜くなるばかり 
「じじい」 とも呼ばれ
多くもなかった美点を 時間の砥石で そがれながら

ほとんど あなたの 倍以上の時間をも 費やし
語る詩も 言葉もなく

しかし ここまで きた 私には よく分かる
あるいは 分かりたいと思う

そうして 今 わが若き日に
破滅を賭けても
なにがしかの 回帰をしたいと 乞い願う

そうして それには その試みの 発条として
あなたの詩句を 愛唱し そして 思いめぐらす ことができる

そうして ここで あなたの その むくな時代をなつかしみ 

偉大な エディプスの時代は 終わったのだ と 思うのである

私は といえば
反抗すべき 父も 真にいつくしむ母も すでにおらず

「真摯に」思考することが 憎まれ 
時に まんべんなく ふりかかる試練や 厳しさが 忌避、嫌悪され
ひたすら つまらぬ 自己欲望を 無限肯定するばかり

愚かしくも 無媒介に 「やさしく」し また されることを 
常に 強いられ また 求められ 

「抵抗」すら 空疎に思われ 
無思考と 刹那の気晴らしが たたえられる この時代に

私たちは どこへ いくのか

また ついには 
どこで 頓死する というのか 私は
戯れの 唄も 
くちずさむ 一遍の 詩もなくて



「忘れがたない、虹と花
忘れがたない、虹と花、
虹と花、虹と花

どこにまぎれていくのやら
どこにまぎれていくのやら
 (そんなこと、考へるの馬鹿)

その手、その唇(くち)、その唇(くちびる)の、
いつかは、消えて、行くでせう
(霙(みぞれ)とおんなじ ことですよ)

    (中   略)

忘れがたない虹と花
虹と花、虹と花
(霙(みぞれ)とおんなじ ことですよ)」

    (「別離」中原中也・草稿詩篇(1933-1936))