前編で、「五箇条の御誓文」に触れましたが、このたび、ふとしたきっかけから、標記の署名簿について話を聞き、現在の、安保関連法案に対して、具体的な冷静な検討がなく、あまりに皮相で浅薄である国民の「反対」狂騒状態であり、当該法案に対する、冷静な判断が欠如し、ゆえなくして国民が、大新聞、(系列)テレビと一体となった悪質な扇動に振り回され、どうも心ある国民たちも、右顧左眄(まわりの情勢や周囲の思惑・意見を気にして、なかなか決断できないでいること)しているようです。その真因を考えれば、これは未だに手当てされていない、太平洋戦争敗北後に進駐軍に支配された、戦中・戦後日本人の癒されぬ精神に負わされた傷であり、宿あに基づく、過剰な感情的な反応ではないかと考えられます。戦後当初、共産党はアメリカ軍を「解放軍」ととらえ、その進駐を狂喜乱舞し、その後老害村山富市は現在もアメリカ軍政の戦後コードに従い、老骨をむち打ちわざわざ中共に行って土下座して歩いていますが、改めてその呪縛の構造の強固、頑迷さと、馬鹿馬鹿しさに、ため息が出るような思いです。
奇跡のような明治維新を成し遂げ、また、太平洋戦争の決定的な敗北という未曽有の日本国の試練ののち、父祖たちの努力と苦闘で、高等(?) 教育と今日の生活に困らない繁栄をいただいた私たちにとって、現在大きな課題があるとすれば、欧米主導のグローバリズム(無慈悲な資本主義)の隆盛とのせめぎあい、またろくでなしの覇権国家と危険国家が混在する日本の地勢的な、危険な状況の中でどのように身を処すのかと考察すれば、まず必要なのは、強い危機意識を感じることであり、われわれの子孫に対し、引き続き、安寧と安全を実現するため、是非、日本人の叡智を結集した日本国民による自治立法憲法が必要と思われたところです。文字通り、新たな憲法を「万機公論」の精神で、鍛え、制定することが必要です。
そして、このたび一般大衆の一人として、代表櫻井よしこさんが代表を務める、標記の会の支援を決意しました。
桜井さんは、民放出身の評論家でしょうが、その率直な言動と、国民国家日本に関する視野の広さが、多くの国民に支持されていると思います。先の、朝日新聞、従軍慰安婦ねつ造事件で、大恥をかいた朝日新聞元記者植村隆元氏によって、そのねつ造報道の事実真偽を争うのではなく週刊誌レベルで名誉棄損を訴えられた人です(その後あの男は朝日新聞シンパ以外日本人に相手をされなかったらしく、わざわざ、アメリカの反日米国人に自分の苦衷をえに行ったらしい、ネット報道で見ました。あれは自尊心のある日本人の面汚しではないのか。)。また、かつての、血液製剤による厚生省薬害エイズ訴訟で、厚生省の愚策に加担した帝京大学の故安部教授に対するインタビューや報道(とんでもないじじいだったね、皆さん覚えてます。ル・サンチマンの塊でその反動なのか患者たちを道具のように思い、いい年をして自分の抵抗勢力にはあれだけ攻撃的であったあの方も、実は山口県出身です。)で名誉棄損として訴えられたこともあり、桜井さんのその硬骨漢ぶりは、広くわたしたち国民の脳裏に刻まれているところです。
私は、床屋政談くらいのレベルの政治意識しか持っていませんが(もちろん、床屋で、おやじと政治論議でいつも盛り上がります。)、かの人と、問題意識と危機意識との多くを共有します。
趣意書を箇条書きで挙げていきます。
一 現在の憲法は、戦勝国アメリカが、敗戦国日本に対し、(軍の有形無形の)圧力と押し 付けを指示し、日本政府は、否応なしに敗戦国としてこれを受け入れたこと。
当時のアメリカ進駐軍の幹部が、日本はまだあの憲法を使っているのか、と、びっくりした、との報道がされ、他国民であればそのようなものかもし れませんが、改めて日本人の旧弊墨守の伝統と、敗戦時の衝撃に思いをはせます。敗戦時から70年を経過し、その制度疲労は明らかなのに、なぜ、日本 国民による自主憲法制定に考えが及ばないのだろう、先の憲法学者の、安全保障関連議案に対する「違憲」の共同声明に、おぞましさを感じたのは私だ けでしょうか。自分が長年研鑚した「学問」にかかる粗雑な共同声明など、学者 とすれば、「自殺」ではないのか?あまりに強い敗戦体験から、引き 続く、畜群の飼い主 に対する従順とでも、比ゆ的には言えるのではないでしょうか。先に触れた、五箇条の御誓文の時代の、国民大衆(明治大帝も含 めた)の勇気と闊達さを、近代の試練を経、苦渋 の敗戦体験を経た後ですが、肯定すべきものは肯定する態度と正しいものを正しいと認める姿勢、ま た翻って、日本国のその歴史に対する自負心を私たちは忘れ去っていいのでしょうか。
二 外国在住の日本人の非常時・緊急時における救援を現在の憲法下では(法律の法律という憲法のくびきがあるので)、個別法の制定では(また違憲と いうだろう)、合法的に実施できない。国家の緊急対応に対する明確な権限付与がない。
私たちは、国民国家日本の国民であり、旅券を給付されることにより、外国に旅行することが出来ます。そんなに豊かでなく、暇もない私としても、 ヨーロッパとか行きたいけど行ったことはありません。しかし、数度、短期間ですが、普通の国民大衆として、外国にいったことはあります。一般的 に、若い人なら、何度も外国に行ったことがあろうし、その国に長期間滞在することもあるでしょう。それぞれの人性があるわけですし、今ではごくあ りふれたことでしょう。しかし、外国での、災害、戦争、動乱などの有事の際、彼らが帰国したいと希望すれば、近代を経由したはずの日本政府は「自 己責任」とか言わず全力で働くのは当然のことです。むしろ、喫緊の問題でいえば、近隣の覇権国家が、東シナ海で日本国に経済戦争を仕掛けても、相 手国の国情を配慮するなどの理由のもとに、つけ込まれている話です。近代以降、経済活動と、軍備(自衛力)は一体のものだというのが常識だそうで す。バカの民主党、菅直人が、無考えに法律をゆがめ、中共漁船の違法行為を訴追もなしに違法に釈放し、放置した結果が、中共覇権国家を増長させ、 その一つの帰結として高知沖深海サンゴを根こそぎにさせた原因を招いたのは周知のとおりです。
併せ申し上げますが、みなさん、二度と、バカの民主党に政権を渡してはなりません。
三 今の憲法は「家族崩壊の要素を含んでいる」といわれており、家とか、家族とかに対する否定的見解がその中に内包されている。
「日本人に生まれてきた事が恥ずかしい」 、「私は、子供が18歳になったら『家族解散式』というのをやろうと思っていて、それ以降は、パート ナーと子供ともスープのさめない距離に住んで、名実共に個人単位で暮らしていきたいなと思っている。家族だって、ひとつの定義にすぎない。家族も 個人のネットワークなんだ。 (福島瑞穂「結婚はバクチである」大和書房)
今も忘れませんが、ポスト社会党、社民党、党首福島瑞穂が、上記のような、感想とも本音ともわからぬ述懐をしていましたが、「日本人に生まれて きた事が恥ずかしい」というのは口がすべったことにしますが、政党党首として、彼女がもし政権首班となった場合、目指した社会がどのようなものか 考えると暗澹(あんたん)たる思いがします。
かわいそうに、彼女は、育児や、家事、家族とのつながりが、苦役であり、強いられた労働であると考えている。彼女の「私至上主義」からすれば、 当然の帰結です。「パートナー」という欺瞞的な言葉を発するからには家事もしたくなかったのでしょう、家族に対する思いやり、とか、人間の自然性 として行うような優しい後方支援など考えたこともなかったろう。「家族」や、「親族の共同体=家」に対する視点が欠落しているのが、現在の日本の 憲法の特徴といわれるなら、まさしく彼女が、現在の憲法を支持しているのが良く分かる。どこで教わったかわからないが、このような偏頗な、家族、 社会に対する認識それ以上に貧しい人間認識をしているのなら、公選職として彼女のような人間は決して選ぶべきでない。
私は、19世紀の大ヘーゲルに習い、家族とは何かというならば、一組の自由な男女が、結婚生活を通じ、思いやりと察しの中で、お互いの最良の部分 を無償で差し出し、(苦労しながら)人格を陶冶しその子供を育て、その子供は、その努力と営為を見ることとより、将来結婚し、またその子供を育て ていくという人倫のサイクルを支持するし、また、老いて衰え死んでいく家族を弔い、祖霊の中に反していくという、埋葬の義務のことも、尊い仕事と して、その視野に入れます(福島さんのような個別の家族がどうであるかとは別のことです。)。多くの国民にとってそれが、称揚し、支持されること であれば、現在の憲法に、すなわち「法律の法律」に定めがないなら、新たに、その善なる価値を高い理念で謳うべきです。
現在の制定憲法が、戦前の家制度に呪縛されていた、当時の立案法学者たちの戦前の家族・社会制度に対する反動行為であったということであれば、 このたび、他国の憲法と類比し、時代に合った見直しをすべきです。たとえば、私は、保守的な人間として、戦後民法の大改正も、意義と意味はあった と思っています。
四 日本の憲法は世界最古で、その後、何の改正もされていないものである。
他国の人々は、明らかに自主憲法ということで、事情が変わり実情に合わなくなれば、法律の法律ということで、平然と手順を踏んで、改正を行っているようです。その際、御誓文にいう「万機公論」は実際上手続き上困難であれば、中共、朝鮮その他の途上国であればいざ知らず、欧米諸国であれば、機会を設定して、国民の議論を持つ手順を採るはずであり、その中に出てきた問題点は、国民全体で真摯に議論し、政治家はその見解を自己の政治活動に反映するはずです。
ところで、とても民主的な国民国家日本においてそのような、経路がないのは異常ではないのでしょうか?
キリスト教の三位一体説を否定するわけでなく、モーゼの十戒を変更するわけでなく、先験的に占領軍から与えられた憲法を見直したことがない、というのは、変革を好まないというよりやはり異常な事態ではないのですか。占領軍憲法をあたかも託宣とし、一部高齢者と追従するバイアスのかかった方々は、あれはどうも何とかの一念という信仰に近いのではないか、と思えます。
将来の私たちの子や孫のために、本来の、民主主義を、主権在民を、具体的に動かしてみたいと思いませんか。家族の役割の偉大さと、恒久平和を希求する、美しい国日本の憲法を新たに創りたいと思いませんか。
当該団体のHPは、「憲法改正を実現する1000万ネットワーク」「 https://kenpou1000.org/ 」 です。
皆さんの署名参加を、勧奨いたします。
奇跡のような明治維新を成し遂げ、また、太平洋戦争の決定的な敗北という未曽有の日本国の試練ののち、父祖たちの努力と苦闘で、高等(?) 教育と今日の生活に困らない繁栄をいただいた私たちにとって、現在大きな課題があるとすれば、欧米主導のグローバリズム(無慈悲な資本主義)の隆盛とのせめぎあい、またろくでなしの覇権国家と危険国家が混在する日本の地勢的な、危険な状況の中でどのように身を処すのかと考察すれば、まず必要なのは、強い危機意識を感じることであり、われわれの子孫に対し、引き続き、安寧と安全を実現するため、是非、日本人の叡智を結集した日本国民による自治立法憲法が必要と思われたところです。文字通り、新たな憲法を「万機公論」の精神で、鍛え、制定することが必要です。
そして、このたび一般大衆の一人として、代表櫻井よしこさんが代表を務める、標記の会の支援を決意しました。
桜井さんは、民放出身の評論家でしょうが、その率直な言動と、国民国家日本に関する視野の広さが、多くの国民に支持されていると思います。先の、朝日新聞、従軍慰安婦ねつ造事件で、大恥をかいた朝日新聞元記者植村隆元氏によって、そのねつ造報道の事実真偽を争うのではなく週刊誌レベルで名誉棄損を訴えられた人です(その後あの男は朝日新聞シンパ以外日本人に相手をされなかったらしく、わざわざ、アメリカの反日米国人に自分の苦衷をえに行ったらしい、ネット報道で見ました。あれは自尊心のある日本人の面汚しではないのか。)。また、かつての、血液製剤による厚生省薬害エイズ訴訟で、厚生省の愚策に加担した帝京大学の故安部教授に対するインタビューや報道(とんでもないじじいだったね、皆さん覚えてます。ル・サンチマンの塊でその反動なのか患者たちを道具のように思い、いい年をして自分の抵抗勢力にはあれだけ攻撃的であったあの方も、実は山口県出身です。)で名誉棄損として訴えられたこともあり、桜井さんのその硬骨漢ぶりは、広くわたしたち国民の脳裏に刻まれているところです。
私は、床屋政談くらいのレベルの政治意識しか持っていませんが(もちろん、床屋で、おやじと政治論議でいつも盛り上がります。)、かの人と、問題意識と危機意識との多くを共有します。
趣意書を箇条書きで挙げていきます。
一 現在の憲法は、戦勝国アメリカが、敗戦国日本に対し、(軍の有形無形の)圧力と押し 付けを指示し、日本政府は、否応なしに敗戦国としてこれを受け入れたこと。
当時のアメリカ進駐軍の幹部が、日本はまだあの憲法を使っているのか、と、びっくりした、との報道がされ、他国民であればそのようなものかもし れませんが、改めて日本人の旧弊墨守の伝統と、敗戦時の衝撃に思いをはせます。敗戦時から70年を経過し、その制度疲労は明らかなのに、なぜ、日本 国民による自主憲法制定に考えが及ばないのだろう、先の憲法学者の、安全保障関連議案に対する「違憲」の共同声明に、おぞましさを感じたのは私だ けでしょうか。自分が長年研鑚した「学問」にかかる粗雑な共同声明など、学者 とすれば、「自殺」ではないのか?あまりに強い敗戦体験から、引き 続く、畜群の飼い主 に対する従順とでも、比ゆ的には言えるのではないでしょうか。先に触れた、五箇条の御誓文の時代の、国民大衆(明治大帝も含 めた)の勇気と闊達さを、近代の試練を経、苦渋 の敗戦体験を経た後ですが、肯定すべきものは肯定する態度と正しいものを正しいと認める姿勢、ま た翻って、日本国のその歴史に対する自負心を私たちは忘れ去っていいのでしょうか。
二 外国在住の日本人の非常時・緊急時における救援を現在の憲法下では(法律の法律という憲法のくびきがあるので)、個別法の制定では(また違憲と いうだろう)、合法的に実施できない。国家の緊急対応に対する明確な権限付与がない。
私たちは、国民国家日本の国民であり、旅券を給付されることにより、外国に旅行することが出来ます。そんなに豊かでなく、暇もない私としても、 ヨーロッパとか行きたいけど行ったことはありません。しかし、数度、短期間ですが、普通の国民大衆として、外国にいったことはあります。一般的 に、若い人なら、何度も外国に行ったことがあろうし、その国に長期間滞在することもあるでしょう。それぞれの人性があるわけですし、今ではごくあ りふれたことでしょう。しかし、外国での、災害、戦争、動乱などの有事の際、彼らが帰国したいと希望すれば、近代を経由したはずの日本政府は「自 己責任」とか言わず全力で働くのは当然のことです。むしろ、喫緊の問題でいえば、近隣の覇権国家が、東シナ海で日本国に経済戦争を仕掛けても、相 手国の国情を配慮するなどの理由のもとに、つけ込まれている話です。近代以降、経済活動と、軍備(自衛力)は一体のものだというのが常識だそうで す。バカの民主党、菅直人が、無考えに法律をゆがめ、中共漁船の違法行為を訴追もなしに違法に釈放し、放置した結果が、中共覇権国家を増長させ、 その一つの帰結として高知沖深海サンゴを根こそぎにさせた原因を招いたのは周知のとおりです。
併せ申し上げますが、みなさん、二度と、バカの民主党に政権を渡してはなりません。
三 今の憲法は「家族崩壊の要素を含んでいる」といわれており、家とか、家族とかに対する否定的見解がその中に内包されている。
「日本人に生まれてきた事が恥ずかしい」 、「私は、子供が18歳になったら『家族解散式』というのをやろうと思っていて、それ以降は、パート ナーと子供ともスープのさめない距離に住んで、名実共に個人単位で暮らしていきたいなと思っている。家族だって、ひとつの定義にすぎない。家族も 個人のネットワークなんだ。 (福島瑞穂「結婚はバクチである」大和書房)
今も忘れませんが、ポスト社会党、社民党、党首福島瑞穂が、上記のような、感想とも本音ともわからぬ述懐をしていましたが、「日本人に生まれて きた事が恥ずかしい」というのは口がすべったことにしますが、政党党首として、彼女がもし政権首班となった場合、目指した社会がどのようなものか 考えると暗澹(あんたん)たる思いがします。
かわいそうに、彼女は、育児や、家事、家族とのつながりが、苦役であり、強いられた労働であると考えている。彼女の「私至上主義」からすれば、 当然の帰結です。「パートナー」という欺瞞的な言葉を発するからには家事もしたくなかったのでしょう、家族に対する思いやり、とか、人間の自然性 として行うような優しい後方支援など考えたこともなかったろう。「家族」や、「親族の共同体=家」に対する視点が欠落しているのが、現在の日本の 憲法の特徴といわれるなら、まさしく彼女が、現在の憲法を支持しているのが良く分かる。どこで教わったかわからないが、このような偏頗な、家族、 社会に対する認識それ以上に貧しい人間認識をしているのなら、公選職として彼女のような人間は決して選ぶべきでない。
私は、19世紀の大ヘーゲルに習い、家族とは何かというならば、一組の自由な男女が、結婚生活を通じ、思いやりと察しの中で、お互いの最良の部分 を無償で差し出し、(苦労しながら)人格を陶冶しその子供を育て、その子供は、その努力と営為を見ることとより、将来結婚し、またその子供を育て ていくという人倫のサイクルを支持するし、また、老いて衰え死んでいく家族を弔い、祖霊の中に反していくという、埋葬の義務のことも、尊い仕事と して、その視野に入れます(福島さんのような個別の家族がどうであるかとは別のことです。)。多くの国民にとってそれが、称揚し、支持されること であれば、現在の憲法に、すなわち「法律の法律」に定めがないなら、新たに、その善なる価値を高い理念で謳うべきです。
現在の制定憲法が、戦前の家制度に呪縛されていた、当時の立案法学者たちの戦前の家族・社会制度に対する反動行為であったということであれば、 このたび、他国の憲法と類比し、時代に合った見直しをすべきです。たとえば、私は、保守的な人間として、戦後民法の大改正も、意義と意味はあった と思っています。
四 日本の憲法は世界最古で、その後、何の改正もされていないものである。
他国の人々は、明らかに自主憲法ということで、事情が変わり実情に合わなくなれば、法律の法律ということで、平然と手順を踏んで、改正を行っているようです。その際、御誓文にいう「万機公論」は実際上手続き上困難であれば、中共、朝鮮その他の途上国であればいざ知らず、欧米諸国であれば、機会を設定して、国民の議論を持つ手順を採るはずであり、その中に出てきた問題点は、国民全体で真摯に議論し、政治家はその見解を自己の政治活動に反映するはずです。
ところで、とても民主的な国民国家日本においてそのような、経路がないのは異常ではないのでしょうか?
キリスト教の三位一体説を否定するわけでなく、モーゼの十戒を変更するわけでなく、先験的に占領軍から与えられた憲法を見直したことがない、というのは、変革を好まないというよりやはり異常な事態ではないのですか。占領軍憲法をあたかも託宣とし、一部高齢者と追従するバイアスのかかった方々は、あれはどうも何とかの一念という信仰に近いのではないか、と思えます。
将来の私たちの子や孫のために、本来の、民主主義を、主権在民を、具体的に動かしてみたいと思いませんか。家族の役割の偉大さと、恒久平和を希求する、美しい国日本の憲法を新たに創りたいと思いませんか。
当該団体のHPは、「憲法改正を実現する1000万ネットワーク」「 https://kenpou1000.org/ 」 です。
皆さんの署名参加を、勧奨いたします。