天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

佐藤多佳子さんの、「第二音楽室」、「聖夜」について言及したい!!(夏休みの読書のために)

2016-07-29 20:21:32 | 読書ノート(天道公平)
 名作「しゃべれども、しゃべれども」(新潮文庫)を読んで以来、佐藤多佳子さんのファンとなり、フォローワーとして、著書にはずっとついていっていました。佐藤多佳子さんはヤングアダルト部門での著作が主業務であるようで、現役(?)の若者たちの一定のファンがいるらしく、私、おやじ(これは飽くまで他称です。)ごときが特に言及する必要はないのかもしれませんが、一言、その読後の感興を申し上げたいところです。思えば、これらの本は出版から何年か経過し、誠に時宜に合わないわけですが、未読の方があれば、それは、夏休みのお供にどうぞということで。
いうまでもなく、これらの二冊は大変膾炙(かいしゃ;「膾」はなます、「炙」はあぶり肉の意で、いずれも味がよく、多くの人の口に喜ばれるところから、世の人々の評判になって知れ渡ること。)されており、それぞれ、中学生向けの課題図書になっていたのか、読書感想文作成後の大放出のせいか、しばらくの間、某文化なき古本屋では数多くの「聖夜」が一冊108円で売られていました。また、これらの2冊は著者の説明を待てば、姉妹のような本で、音楽の演奏を媒介にした、小学生から高校生に至るまでの子供(殊に少女)たちの物語が紡がれています。演奏家は決して孤高で孤独な存在ではなく、音楽を契機に、彼らが葛藤を通じ成長していく物語で、著者は、音楽自体の感興や演奏の高まりをどのようにして表現に定着するか、巧みに工夫しています(サブタイトルが、「 school and music 」となっています。 )。また、それぞれの作品は、著者の設定で、それぞれ設定年次が異なっており、読む者にとっては、時代性というか、さもありなんという理解できる年時で、なるほどと、私たちが、それを自らに引き寄せ振り返り、その時代に気持ちを移行できることとなっています。(余計なお世話ですが、主人公たちの現在「1916年(平成28年)」の推定年齢を併せ付記します。 )
 また、二冊とも、本の装丁がとてもよく、所有したいような本ですね。
 女の子の自己に対する呼称は、関西以西(私も属します。)は、我々のこどもの頃から押しなべて「うち」といっていました(とても懐かしいです。)。著者は明らかに関東圏の人ですが、現在では、東京圏でも、小、中学生の女の子(十代)のほとんどが、「うち」と自称するそうです。ただ、関西圏では、自己呼称を最初にアクセントがある「うち」と称しますが、関東圏は「家:うち」の発音に近いようですが、微妙に差があるそうです。標準語では「私」のはずが、現在の彼女たちにとって「うち」と呼ぶのが自然に思われるように、こどもの世界も、言葉も、変わっていくものなのですね。
 書名となった「第二音楽室」は、中・短編集となっており、四篇の短編・中篇で構成されています。「第二音楽室」(想定年次2005年)は、小学校の高学年(5年生)の女の子たちが、学校行事の鼓笛隊活動に参加し経験する様々な体験と、相互のその関わり合いがみずみずしく描かれています。最初はみそっかす(傍流の)のピアニカのグループに属する付き合いのなかった子供たちが、練習場として、屋上の仮設の第二音楽室を取得し、だんだん互いになじんでいき、お互いの理解と融和を獲得する話ですが、それぞれ個我意識に目覚めて、早熟な子や、普段目立たなかった子に意外な特技があったりという発見が生じます。未知の場所でグループで行ういわゆる「基地」遊びの感覚であるかもしれません。同性も、異性も含めて、彼女たちには、まだ、「人を好きになる」とかいう気持ちがはっきりしないんですね、揺れ動く彼らの気持ちが十分に伝わってきます。結果的に、彼らの努力を介しての取り組み(鼓笛隊の参加)は大成功という彼らの達成感(トロフィー)もついてきます。(現在推定年齢21歳)

 「デュエット」(想定年次1993年)は、中学生の話です。音楽のテストで、男女のコーラスが課題になります。お互いに、自意識過剰で性に対し興味しんしんの「中学性」の時期に試みられた、相互に気恥ずかしい取り組みとなりますが、皆、クラスの中でコーラスの相方を探さなくてはなりません。主人公の女の子が、変声期前の男の子なのか、運動部にいながら声がとても良い子を見初めます。他人の仲介の過程で、運よく彼に、OKの返事をもらうわけですが、彼のその声に惹かれ、是非一緒に歌いたいと、自分で働きかけた彼女の心の動きと、せつなさ、いじらしさがよく伝わってきます。結局、クラス全体では、相手を変え何回も歌う男もいましたが、男女カップルでのコーラスが、だんだんに皆をなだめ融和し、皆の見守る中で印象深く完了していくハッピーエンドです。たった11ページの感動的な短編です。(現在推定年齢35歳)
 「Four」(想定年次1988年)も同じく中学生の話です。小学校の時に、リコーダーのアンサンブル(合奏)をやっていた女の子が、卒業式の送迎音楽の演奏のために音楽の教師によって素養のある子供たち、それぞれ個性ある総勢4名が集められます。ソプラノ、アルト、テナー、バスに至るまで、リコーダーも色々種類があるんですね。彼女が経験する、合奏の練習活動を通じて、他人を好きになる苦しみ、高まりたい切なさ、それこそ、思春期のみずみずしさが直截に伝わってくるんですね。合奏という、いやおうもなく気持ちを合わせハーモニーを作り出さなければいけない過程の中で、演奏技術の優劣や、彼らそれぞれの自負心や、女の子同士の思いやり、彼女が人を好きになっていくおずおずとしたその過程の愛らしさ、鈍感な男どもの幼さ、よくわかります。演奏のたびごとに情緒的な演奏の優劣は必ず生じるし、皆の技術と気持ちが一つになり捧げるかのような演奏を行った時に、それこそ表現の創造に対する無償の喜びが、読む者に側々と伝わってきます。最後の本番を終えて、大きな達成感と喜びの中で、彼女が好きだった男の子が別の活動に
踏み出す別れの苦さを味わいつつも、彼女は他のメンバーと一緒に第二期のアンサンブル活動に入っていくわけです。私にはこの短編が最も惹かれました。(現在推定年齢36歳くらい)
 もう一つ「裸樹」(らじゅ)(想定年次2009年)という中編があるのですが、こちらは、ギター演奏をする高校生の女の子の話ですが、まだ読んでいない皆さんのお楽しみということで。(現在推定年齢24歳くらい)
 「聖夜」(想定年次1980年)は、高校生の男の子の話です。彼の親は、先代からのカソリックの神父ということで、彼も小中高と一貫性のミッションスクールに通っています。名門の学校らしく、礼拝堂に附置されたパイプオルガンの設置があります。彼の特技はオルガン演奏(オルガニストというのでしょうか。)ですが、その特技は、同じく彼を呪縛するものでもあります。かつての最愛の母が、父に背いてドイツ人のオルガン演奏家と駆落ちしたからです。彼は、衝撃を受け、結局懇願する母についていかず、父と同居の祖母のもとに残っています。その後、祖母などの頼みで、演奏は再開しましたが、離婚(カソリックではないのでしょうね?)をした父を含め、宗教や楽器演奏に不信感を抱き、思春期の時期とあいまって、つらい日常を送っています。
 彼は、「聖書研究会」を主宰し、後輩と神学議論を戦わせています。おお、「カラマーゾフの兄弟」、議論のための議論ということですが、辛辣に、激しく、神や、現実、信仰者をなじります。同時に、演奏に卓越した彼はオルガン部の部長を務めるのですが、こちらでも孤高で狷介(頑固で自分の信じるところを固く守り、 他人に心を開こうとしないこと。また、そのさま。片意地。)な、スタイルを通します。しかしながら、後輩の努力型のかわいい女の子は、聖書研究会でも、オルガン部でも付きまとい、思慕する傾向もあるので、少しは人望もあるようです。彼の学校には、父の友人などの信仰者もおり、それなりに安定的(息が詰まる)な環境のようです。
 オルガン部で、文化祭に学校の電子オルガンを利用させてもらうコンサートをすることとなり、彼は「メシアン」という天才的な演奏家、作曲家、神学者の難曲を選ぶこととなりました。オルガン部には彼を慕う女の子以外にも、演奏家に純化できるような後輩がいますが、彼は、純粋芸術というべきか、彼女の弾くバッハの演奏に強く惹かれます。また、同時に、彼女に、昔、ピアノコンクールに出ていたこども時代の無垢の演奏家としての彼の評価について聞かされ、考えさせられます。
 メシアンの演奏は、彼にとって両刃のようなものでした。かつて、演奏家としての母が特に好んだ曲であり、難解で解釈に迷い、またいやおうもなく幼年期の厳しい体験を想い出すからです。悩んでいた彼は、普段は敬遠されている級友と一緒に、ELP(エマーソン・レイクアンドパーマー)(シンセサイザーを使ったロック、おお、なんと懐かしい。)のキース・エマーソンの演奏家としての在り方を考えたり、ロックのキーボードの演奏家に紹介してもらったりして、自分の世界を広げていきます。
 結局、文化祭のコンサートの日に、彼は自分の演奏をすっぽかしてしまいました。
 初めて、父親に「周囲に対し責任を果たさない」ことで叱られ、その後、父は、離別後の母から自分に届いた手紙を握りつぶしていたことを告白します。今も嫁を許せない祖母と、父と母の葛藤の実態と父の思わぬ弱さをしり、凍っていたかのような彼のかたくなさもだんだんにほどけていきます。自分も、自分自身の感情と、同時に家族の気持ちと現実とに、折り合わなければならない、ということとして。
 彼は小学生の時、母のために背負わされた厳しい体験から、異性に対し恐怖と不信感を抱くようになり、後輩の女の子に告られた(?)とき、「なんで俺なんかに」と思ってしまうような彼の事情はよくわかります。本来、彼は、高いプライドと、他人に対しも結構非寛容で鼻持ちならないような男の子です。実際のところ思春期などはそんなものですが、時間の経過とともに、試練を経た体験と自分の周囲に対する理解の広がりによって、母と同じ演奏家としての体験が、徐々に彼を救っていきます。やっぱり、これは、音楽を媒介にした、質のよい成長物語なのです。
 彼は、オルガン部と、指導の先生に謝罪しましたが、先の後輩の活躍で視察に来ていた教会関係者を動かし、本来の教会のパイプオルガンを使えることとなりました。
 皆で、パイプオルガン(西欧では空気の圧で天上に至る頌歌などを奏でる楽器と考えられるようです。)によるリハーサルを行い、オルガン部のそれぞれが、至上のものに捧げるような演奏ができ、本番に向けて融和し気持ちを一つにする、それが「聖夜」での出来事です。(現在推定年齢53歳)
 またもや、ヤングアダルト小説に、入れ込んでしまいましたが、佐藤多佳子さんの物語は、少女・少年期の題材に関して、こちらが照れて読めないようでもなく、新鮮で、新しいものです。こういう「面白い」著書は最近なかなか読めません、それぞれ、描写される演奏が、実際に自分で聴いているかのような、そんなイメージの喚起と感興を覚えます。
 今においては、私にとっては、理解不能(?)のような、思春期、前思春期の女の子・男の子の世界と、その喜びや葛藤、みずみずしさが、部分的にでも理解できるかのように思えるのです。

「昭和枯れすすき」及び「赤色エレジー」についての考察(俗は俗のままに)その2

2016-07-25 20:19:19 | 歌謡曲・歌手・音楽
引き続き「赤色エレジー」について述べさせていただきたい、と思います。
かの歌謡曲「赤色エレジー」は、昭和47年(1972年)に発売されており、作詞者兼歌い手あがた森魚が、触発されたという、原作林静一さんの漫画「赤色エレジー」は昭和45(1970年)年から46年にかけて、漫画誌「ガロ」に連載されました。田舎で、「ガロ」とか読む人はきわめて少なく、またこの漫画は私の「青の時代」と微妙にすれ違い、連載期間も短かったので当時漫画で読んだ記憶がありません。この歌は、原作の良さに魅せられた、あがた森魚の、原作に対するオマージュ(讃歌)ということになるのでしょうか。
私にとっては明らかに逆引きですが、当時、民放テレビの歌謡曲ベストテン番組(おお!!昭和)で、ギョロメで色黒の、Tシャツ、Gパン穿きの、また特筆すべきは素足で赤い鼻緒の下駄を履いたあがた森魚が、この曲を歌うのをはじめて見ました。街角の辻音楽を意識したかのように、哀調のあるピアノ伴奏をバックにギターの弾き語りをする、破調で歌う高い音域の彼の歌にとても惹かれました。当時、私にとって新しい歌で、印象深かったのを覚えています。
かつて、吉本隆明が、資本主義の「往相」(?) の例として「最初、Gパン、下駄ででていた、彼がいつの間にか、他の歌手と同様にきらきらのラメのシャツやパンタロン(?) で歌っている」と揶揄したことを覚えていますが、テレビの番組に詳しかった吉本を含め、彼のデビューは最初は、お茶の間に異和というのか衝撃を与えたのではないかと思っています。これは、演歌というものであろうと思い、その出自は明治からのものなのか、大正からのものなのか、舞踏会の思い出であれば、欧化主義の明治の所産でしょうし、昭和余年といえば大正時代の系譜をひくものであり、昭和後期に書かれた漫画も、その曲も、歌詞もそれぞれそのイメージを曳くものなのでしょう。
私にとってこの歌は、当時はやった五木ひろしなどとは異質な、実態としての演歌というもののように思われました。

   赤色エレジー  作詞 山田孝夫 作曲 むつひろし

あなたの口からさよならは言えないものと思ってた

 愛は愛とて何になる
 男 一郎 まこととて
 幸子の 幸はどこにある
男 一郎 ままよとて

 さみしかったわ どうしたの
 お母様の 夢みたね
 おふとん も一つ欲しいよね
 いえ いえ こうして いられれば

昭和余年は 春も宵
 さくら ふぶけば 花も散る

あなたの口からサヨナラは 言えないものと思ってた

 裸電燈 舞踏会
 踊りし 日々は 走馬灯
 幸子の幸は どこにある

愛は愛とて何になる
 男 一郎 まこととて
 幸子の 幸はどこにある
男 一郎 ままよ とて  

 幸子と一郎の物語
 お涙ちょうだい ありがとう

この歌も、一人の歌手によって歌われるにせよ、男女の掛け合いの形式をとっています。
最初に歌われる「あなたの口からサヨナラは 言えないものと思ってた 」という一節で、ことの暗喩として、このカップルが破たんすることが暗示されています。
「おかあさま、の夢をみた」、のであれば、世間に反する道行きでカップルが成立した後ろめたい、男女の状況が思い浮かびます。また、貧困の中では、せめて布団の一枚もあれば、寒さがしのげると希望の表明です。いや、多くは望むまい、こうして一緒にいられるだけでいい、やがてきたるに違いない男女間の破たんにおびえながらの社会の片隅での沈滞するような、まさしく、性的な親和性の破たんを予測させる歌です(歌うのは嫌ですがあの「神田川」のようなパターンですね。)。歌の構成とすれば、現在から、物語として、「昭和余年」に移行することとなっていますが、昭和余年が舞台であれば、世相は、大震災後の不景気の、不安定で、不安な時期の世相であり、「ままよ」という受け身性が身につまされるような状況です。
ただこの曲は、原作の「赤色エレジー」の作家林静一(しずいち)の作品に拘束されているところがあり、原作者のイラスト作品などを、和えかに、はかなげにまた退廃的に見える女性像など(抒情画家竹久夢路の再来などといわれました。)、それが当たっているかどうかは別にして、あがた森魚が目指した歌のイメージ(大正ロマン:今はない大正時代への追慕)につなげることとなっています。
せっかくの機会なので、このたび「赤色エレジー」(林静一著)(小学館文庫)を、読んでみました。
あがた森魚の作った世界とは多くの点で違いました。当時、「ガロ」に掲載された漫画であり、意識的に省略された動きが少ない絵柄と情感を高めるためか会話の少ない黒単色の構成で、当時流行った同棲しつつある売れない漫画家たちの男女の行き違いとデカダンスを描いたものでした。ところどころ、「つげ義春」の絵を連想させ、今、読むのはきわめて苦痛(時代も状況もまったく変わり、私もおやじになった訳で)ですが、当時の若者の悩みや劣等感や、生活への恐怖や、嫉妬や男女の関係と気持ちの行き違いへの苦しさがよく書かれています。おお、これこそ「ガロ」掲載の漫画、と納得できるような漫画でありました。
同時代に一世を風靡したというように流行った漫画として、「同棲時代」(上村一夫著)がありましたが、これは通俗的(なぜ通俗的かと書くのも嫌ですが)で、当時、若き「由美かおる」の主演で映画化されています。
いずれの漫画も、今の私にとっては、おはに合わない(肌に合わない)訳ですね。
著者の林静一さんは、その後アニメーターとして成功され、商業デザインなどとしては、ロッテ製菓の「小梅ちゃん」のイラストがきわめて有名で、後年、大正時代に美人画を書いて大人気だったといわれる竹久夢二に比され、昭和の「竹久夢二」と、賞揚されたようです。
この漫画自体の背景は、主人公の職業からしてもアニメーションがビジネスになりつつあった戦後の繁栄期の前期にあたる時代であるので、作詞者の、あがた森魚が、「裸電灯、舞踏会」あたりは、あとで付け足したものでしょうね。「お母様の夢みたね」没落した斜陽族ではないですが、彼が付加したイメージと思われます。通俗的といえばその通りですが、歌謡曲として、ふくらみを持たせたかったのであろうと思われます。あがた森魚自体、1948年生まれですから、この漫画が生まれたときに20歳のはじめということになりますが、彼は、前述したように、大正期から昭和の初めに仮託して、想像力を膨らませたこととなります。

現在では、決裂した、幸子と一郎は、それぞれ、別の場所で、それぞれ別の屈託をかかえ、「年金」の少なさと貯金がないことにおびえ、不機嫌に、いや、「幸せ」に生きているかもしれず、それはわからないことです。
いずれにせよ、歌謡曲は歌謡曲として、虚構は虚構として、きっちり、現実とは割り切り考えるのが、我々のような一般大衆です。
しかし、「裸電球」、寒い時期の「薄い布団」とかの実態を、多くの人が知らないことになったのが、現在であるとするならば、貧困とか、「三畳一間の小さな下宿」というのも、私の学生時代では確かにあったぞ。苦しかった、「青の時代」や、貧乏だったそんな時代と場所に二度と帰りたくない、というのはよくわかりますが。
現在も、政府や、経済社会構成に強いられたことに若者たちの「貧困」は確かにあると思いますが、それでも、時代を超えた「苦しいうた」や「悲しいうた」は、一般的にならないのですかね。そんな「感動できる」歌を待ちわびています。


「昭和枯れすすき」及び「赤色エレジー」についての考察(俗は俗のままに)その1

2016-07-07 11:12:11 | 歌謡曲・歌手・音楽
「悲しい歌」、というか、人間相互の「関係性」の齟齬(そご:くいちがい)・挫折の歌というべきか、わが春秋に富んだ若き時代(当面1960年代から1980年代までを仮に指定します。)(以下「青の時代」と称します。)にあれほど膾炙(かいしゃ:広く世間の人々の話題となること。)していたはず「悲しい」歌が、最近、傾向として、なぜはやらないのか、かねてより疑問でありました。「悲しいこと」、「苦しいこと」、「うれしいこと」などに、気持ちが揺るがないのはわれわれの精神の貧困ではないかと思えるからです。
 昔も今も「悲しく、苦しく」、時として「うれしい」人性は、引き続き、時を超え、人を替えても、反復継続(?)するはずである(私は、人間存在はその感興を制約を超えて共有するという立場に立ちます。)ので、社会的存在として、男女間であれどうであれ、私たちに共感されるべき、悲しいことや、つらいことは不断にあるものであるので、人性の渦中にある感情の機微として、なぜ「はやり歌」にならないのか、一般的に貧困問題が大きな主題でなくなり、個我意識がすすみ、性愛の一般性・共通受感性(?)など「共同幻想」として成り立ちにくくなったのか、やはり、よくわからないところです。
 わが「青の時代」において、私の資質に合った、思い起こす「悲しい」歌では、標記の二曲があげられます。試みに、ユーチューブでひいてみると、より再生回数、関連投稿が多いのは、デュエット曲「昭和枯れすすき」(1974年当時、男女デュオ:「さくらと一郎」によって歌われた。)の方ではあります。色々なバージョンがあり、特筆すべきは、投稿の中に、進行が女性のみのパートのバージョンがあり、曲の進行と、歌詞の文字案内により、視聴者の男は、ユーチューブに合わせ、自分のパートを自己カラオケ(?) で歌えることとなっています(笑)。私も、一度やってみましたが、この歌について、普段、一緒に歌ってもらったり、聞いてもらえる機会がなければ、小幸福です。
 また、その再生件数は関連を含め膨大なものです。おやじの再生利用が多いのでしょか。そういえば、80年代のカラオケブームで、当時、スナックのおねーさん方に、カラオケでデュエットを強要(?) していたおやじが数多くいたことを思い出します。

  昭和枯れすすき        作詞 山田孝夫 作曲 むつひろし

(男)貧しさに負けた
(女)いえ、世間に負けた
   いっそ きれいに死のうか
   力の限り 生きたから
    ( 中略 )
(男)花さえも咲かぬ
(女)二人は 枯れすすき
( 二番の歌詞は略 )

(男)この俺を捨てろ
(女)なぜ こんなに好きよ
   死ぬときは一緒と
   あの日決めたじゃないのよ
   世間の風の 冷たさに
   こみ上げる 涙
(男)苦しみに 耐える
(女)二人は 枯れすすき

 この歌の面白いところは、男女の掛け合いにあり、それぞれの感興を、異なった音域で、掛け合いとしてやりとりするところにあります。この歌は、「己(おれ)は河原の枯れ芒 同じお前もかれ芒 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れ芒(船頭小唄:大正10年(1921年)、野口雨情作詞・中山晋平作曲)」という曲にその原型を借りています。原型とあいまって、昭和版のこの歌は、「私はこの世では、花咲く(あらかじめの貧困などの自己責任以外の理不尽な理由で自己実現性を開花する)ことができない」、という、多かれ少なかれ誰にも生じる疎外感や、被害者意識をうまくすくいあげるところにあり、大多数の人たちの情緒に訴えるところがあります。人性は、出自が、まず不公平であり、特定の者に「不運」や「不幸」も、恣意的に起こ
りうる現実を、歌い手も聞く側も誰もが苦く承知していることが前提の話ではありますが。
 歌詞に重複する「世間」というのは、「社会的な関係性」と言い換えるべきなのかもしれませんが、どちらかといえば、このカップルが周囲から望まれぬ形(不倫・駆落ちなど)で成立したのであろうかと暗示されています。それなりに淫靡(節度がなく、みだらな様子)で親和な情感のやり取りがあります。
 人性、その理不尽さや負い目に対して、お前と俺のカップルで立ち向かうというのが、歌謡曲としてのこの歌の主題となるでしょうが、世間を代表に周囲に対する無力感が強く、とても受け身型なのです。そして、最後に残るのが、女の立場からの、「(不遇のときでも)、(たとえあなたが無能力でも)あなたについていくわよ」という気持ちの表明であり、男の立場から言えばまだ希望的(?)な歌です。
 先のバブル崩壊後、一部民間企業が行った中・高齢者を狙い撃ちした冷徹なリストラで、失職した夫に、狂乱した(?) 妻が落ち込んだ夫に即離婚を突き付けたという話より、はるかに温和な話ですね。

 昔、我が家全員でカラオケに行っていた時代、私がよく裏声交じりで歌った、「貧しさに負けた、いえ、世間に負けた」というさびの部分の繰り返しに、当時小学校高・中学年のうちの子供たちは腹をかかえて笑い、それ以降、彼らの受けを狙って歌うこととなりました。確かに、よく考えれば、どことなくおかしみが感じられる歌詞でもありますが。
 思えば、原曲の「船頭小唄」は、関東大震災の直前の世相の不安定な時期の傑作というべきでしたが、この「昭和かれすすき」は、ちょうど、政治の時代の退潮と終焉の頃と記憶しています。個人的に言えば、大学もまだ学生運動の余燼(よじん;燃え残っている火、燃えさし)というかロックアウトなどでもめていた時期で、擬制(ぎせい:実質は違うのにそうみなすこと。)のような生活をしていた学生たちにもその情感が共有できるような雰囲気はありました(決して歌いはしませんでしたが)。

 この歌の通俗的なところは、「たとえ、生活の困窮や、理不尽な運命にほんろうされたとしても、私にはお前が、お前には私がいる、ついでに無能(不幸・不運・無能力・無気力)で生活力も金もない私でも今も惚れてくれる(?) というお前がいる」、というお約束なところです。そのうえで、男にとっては、経済的あるいは男女間の決定的な破たんを伴わないような自嘲の歌は、時によれば快いものなのかもしれません。しかし、三番の末尾の男の独白はさすがにまずいですね、こんな独白は現実的にありえない、と思われます。
 決定的に厳しい場所におかれているときは、一般的に「人」はこのような歌謡曲を聞くゆとりもないかもしれませんが、こと男に限っていえば、自分が今おかれている、各自の現実の状況との差異を意識化して、自分の境遇は「まだ大丈夫や」と思えば、やっぱり、この歌を聞いたり歌ったりすることを慰藉として、その愛好者が減らないということがあるのかもしれません。
 その傾向は、一人のおやじ(周囲が規定するので、そう自称します。)として、よくわかります。
しかしながら、今はもう存在しないかのような昔風の和装の女性の、高い声で演歌の独特な節回しは、今になって聞けば、とてもいいですね。
私とすれば、今後、デュエットする相方を探したいと思っています。