天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える その2

2019-10-26 21:07:59 | 旅行

 先日、国内旅行について論じましたが、また、このたび秋の旅行(10月4日、5日)に行くことが出来ました。いろいろと、ありがたいことです。
このたびは、隣県の、広島県の廿日市市です。

私は、兼ねてから折に触れ申しあげているとおり、隣県広島県に良い印象を持っておりません(広島県人が山口県に良い印象を持っていないとしてもそれは自由です。)。しかしながら、特に、特定の広島県民に、個人的に被害を受けたことはないところです。

 学生時代、学生寮に住んでいた(すなわち当時のパヨク運動に組した)、私たちに比較的友好的(?) なサークルの中に、広島県民の知り合いは居りました。
 彼の問わず語りによれば、彼らも一年中、闘争(?) をしているわけではなく、京都の春の宵に浮かれ、桜の名所、銀閣寺道あたりに、皆カストロジャンパー(例の緑色のやつです。)などをまとい、バンカラを装い、街に繰り出したことがあったといいます。
 飲めるヤツも、飲めないヤツも、おのおの、一升瓶を手に持ち、銀閣寺道の疎水にかかった(幅 1 mもないだろう)石橋にとおりかかったとき、「俺がわたる」と最初に渡った男がポチャリと落ち(高さは3mくらい、水量はあまりありません。)、「どじなヤツだ」と、足元のあやしい他の男どもも追随し、ポチャリ、ポチャリと、誰もわたれなかった、という落ちのある、与太話を聞いたこともあり、時に、徒党性とは面白いものであります。当時は、京都では、石を投げたら学生に当たるというような、実態であったことを申し添えます。
一度、彼の寮近く(左京区岩倉というところでした。)の、サークルの友人たちと、近所の安い焼肉屋に皆で行ったとき、当該経営者は、学生たちには優しい、気さくなおばちゃんだったと思われます。
学生らしく、青臭い議論を続けていたとき、おばちゃんは、在日の人だったらしく、出来上がってしまい、「私たち、朝鮮(ちょそん)人民は・・・・」とやり始め、行きつけの、寮学生たちは、黙認、あるいは、次からこれなくなると思ったのか、ひたすら黙っています。
 しかし、わがサークルの同僚だけは、「そうじゃないんじゃないか」とか、何度も、穏やかに反論を試み、相手は決して納得しないと思われますが、辛抱強く、会話・対話を繰り返していました。
 あれで、後の勘定が高くなったとは思わないが、思えば、良いサークルでした。

 閑話休題、広島県民といえば、反核・反原発(あれは決して「脱」ではないですね。)・反米軍基地運動の、三大お題目を掲げる、パヨク・市民運動、高教組などの、いまだに頭の悪い偏向団体は、つぶれてしまえ、と、心底思っております。

 ただし、広島流お好み焼きと、おたふくソースは、広島県民が生んだ偉大な発明と思っております。まあ、お好みやきについては、似て非なるものが多いので、失望したり、腹立たしい思いをすることもあるので、選択するに当たっては、その質(似非店舗)には、十分気をつけなければならないところですが。

 そして、また、少ない球団予算でありながら、短打と機動力などという戦略に基づき、一流の選手がいないという欠点などにもかかわらず、一時、セリーグに君臨した広島東洋カープも、決して嫌いではありませんでした。
 その後、いつものように、金の力で、他チームの有力選手を引き抜く巨人軍の薄汚い戦略を経て、当該組織も瓦解してしまい、いくらプロはお金の問題であるとしても、鼻白み、バカらしくなったので、最近は試合を見ていません。

 また、そのうえで持ち上げますが、うちの孫が愛好する、広島市内の、路面電車は、とてもすばらしいものです。
 しかし、地下鉄も、ろくに高架鉄道もない、都市計画が非常におそまつである、と広島市民が言うのであれば、反論はしません。
 路面電車については、乗り換えや、精算のわからなさ、などいろいろ問題はあるにせよ、さすがにごく希ですが、昔の京都の市電車両が走っていることもあり、古くて地味ながら、私には、懐かしいところです。

 しかしながら、広島県は、自民党総務会長、南鮮に虚偽の土下座外交をした、売国奴大臣、岸田文雄氏の地盤であり、目先の自己利害のために、国民を貶め、信義も、歴史もゆがめる彼の態度を思い出せば、今も怒りを感じます。
 やはり、「反核・反原発(あれは「脱」ではないですね。)・反米軍基地運動」という、自国の利害と安心・安全を他国に売り渡す運動に積極的である県民が数多いのであれは、理不尽も、不合理も、サヨク迎合をも、進んで受け入れる素地があることは十分に、県民性なのでしょう。

 ところで、媚中政治家、自民党二階幹事長の地元、和歌山県白浜町には、重要な日本中共政治手段、ちゃんとパンダが展示され、「わざわざ上野まで行かなくていい」、と県民に感謝されているようで、結構なことであり、和歌山県民も、ずいぶんなものだ、とバカにする必要もない、のかもしれません。
 しかし、大衆ろう絡手段「パンとサーカス」のうち、「サーカス」の受益は県民で、覇権国家に対する朝貢外交、媚中の付けは、国民大衆が払うというのは、寝覚めが悪くはないですか、「そんなことを考えれば、政治家なんぞやってられないヨ」、ということなのでしょうか。
わが、愛読書、「吾輩は猫である」の作中、語られるのは、「実業家というものは「三角術」というものがあり、それが要諦である」ということです。
 それは、主人公、中学校教師苦沙弥(くしゃみ)先生の元書生、愛すべき九州人、多々良三平君が、先輩の金田氏から教わったという逸話であり、「義理を欠く、人情を欠く、恥を欠く」わけです。
 政治家にそれを応用したならば、つまり「恥をかく」(恥を知る政治家など見たこともない。)などという上等なものではなく、最後は、目先の自己利害と権力奪取のためには、「国民を欠く」という応用となるのでしょう。まことに、つまらない話です。


 笑福亭釣瓶(つるべ)の落語ではないですが、わがブログも、まくら(前置き)の方が面白い、という話もあり、おそまつさまでした。

 閑話休題、このたびは、広島市の隣接廿日市市の、「石亭」(せきてい)という日本旅館に泊まりました。
 ここは、瀬戸内海、宮島を借景に、本土の、小高い丘のうえに建てられており、瀬戸内海の島々と、漁船や商船が行き交う、穏やかな海峡になっています。
 私たちの泊まった部屋は、一番良い部屋ではないようですが、二階となり、前庭の広い池と芝草に覆われた築山を越え、瀬戸内海が一望できるようになっています。
 部屋は、サンルームと、掃きだしの廊下、総ヒノキ張りの大きな風呂が附置されています。すのこまでヒノキ造りで見事なものです。広い和室部分とあいまって、結構な客室です。当然、テレビはBS対応です。
 前回の旅行の教訓から、先日から和式旅館には懐疑的な気持ちで臨みます。
 旅館入り口近くの、アメニティルームには、コーヒーやジュースの接待もあり、夜は、お汁粉の接待、それ以降は、前庭の夜景をさかなに、アルコールの接待(有料)と、前庭を前にしたアメニティルーム(サンルーム)は、いろいろ工夫がされています。
その部屋には、オーディオセットがありましたが、そこには、選ばれたようなクラシックとジャズのコレクションがおかれ、部屋に持って帰っていいという説明です。
 懐かしい、チェットベイカーとかのコレクションが、数多くあり、私ジャズなどの門外漢ながら、オーナーは、音楽の趣味がいい人ではないかと思われます。さっそく、借り出しました。
 各客室にも、旅館の標準装備らしく、サンルームに、書架と、CD用オーディオセットが設置されているようです。

 広島市は、外国人を見ることが結構多く、原爆ドームの周辺や宮島には多くの欧米人などがたむろしています。今では、国籍不明の人々も数多いところです。
 この旅館も例外でなく、一家族の滞在者があり、似合うかどうかは別にして、浴衣を着てくつろいでいます。
 旅館には、他にも、浴衣を好まない人のためか、作務衣をきることができたり、バスローブが付置してあったり、なかなかにサービスは行き届いています。
 この旅館は、宮浜温泉という温泉地に建てられ、瀬戸内海よりの温泉であり、泉質が良いとは思われません。しかし、ヒノキ仕様と、石で葺かれた露天風呂と、何様かのたくさんのの露天風呂が設置され、一日中入浴できるようになっています。男女入れ替わり、客の趣向をそらさないつくりとなっています。
 後で、施設概要を見ていると、平日は、宿泊客以外の入浴を受け入れることとなっています。事業拡大の意欲も十分あるようです。

 食事は、各部屋のテーブルに配膳され、その内容は、掲載のとおりですが、改めて、見た目の美しさは、日本料理が世界一(?) と思えるような出来です。珍味佳肴というべきか、味わったことのないようなものも、出てきます。
 私は、食用のほおづきが、なかなか美味しいものと初めて知りました。
 いずれにせよ、器の美しさと料理をどのように見せるかとの努力と工夫です。
 残念ながら、私は大食漢でもあり、もっと量が欲しいというのは、やはり、下品(げぼん)であり、ないものねだり、というべきことでしょう。
 そのために、夜の、お汁粉サービスなどというものがあるやも知れません。
 食後、夜になって、デッキチェアに座り、緩やかにライトアップをされた前庭と、明かりをつけた船の往来を見ながら、若いときとは明らかに質が変わったと思われる、ヘレンメリルの晩年のアルバムを聞いていると、くつろいだ愉悦の時間というものはこんなものかなあ、と思えてきます。
 
 翌朝は、チエックアウトの時間一杯まで、旅館に居残り、朝日の中で、においが香る部屋のヒノキ風呂に入ったり(もちろんBGMはバッハです。)、露天風呂を再訪したりと過ごしました。
 朝食は、羽釜炊きの白米や、小豆かゆなど、のそれなりの贅を尽くした朝食を堪能したところです。
 その後、気持ちよく、旅館を出発しました。
 後から調べれば、旅館のHPもとても充実しており、身内の祝いから、見合いの手はずまで、日帰り入浴・食事のみならず、感服する出来です。
 また、客から要求がなければ何もせず放置してくれる、という客あしらいの要諦もきちんと踏まえられてあります。

 翌日は、久しぶりに、宮島の弥山(みせん)に登る予定にしていました。
 宮島口から渡船で宮島にわたり、もみじ谷から、山頂を目指します。
 この道は、何度かとおりましたが、渓流沿いの、石段の道であり、段差があるので、老人や、こどもには少し厳しい道です。日かげのルートであり、涼しくていいのですが、夏場は蚊が寄ってきます。
 山頂まで、2.5kmくらいの距離ですが、1.8kmくらいの坂道と、後は、尾根道のアップダウンくらいです。
 先の、由布岳登山から、山登りに自信がなくなってしまい、降りてくる、ほとんどが欧米系の外国人たちを交わしつつ、低い山なので、お互いに、「こんにちは」とかあまり言わないところですが、そこは、お互いに、人としての、儀礼と教養の範囲で、応対します。
憔悴して、とうとう尾根道までたどり着きましたが、平日ながら、登山客は多く、宮島の底力を感じさせます。
 弥山は修験道の霊山であり、山頂には、花崗岩の巨岩がいくつもそびえ立ち並び、独特の景観を作っています。白い岩の割れ目に、松の木がそびえ、見栄えがしています。島の発生の成り立ちでしょうが、山頂部全体が、巨大な花崗岩の山塊であるかの様です。
 頂上には、展望台が設けられ、瀬戸内海の海と連なった島々が一望できます、四方から風が吹き渡り、実際、気持ちのよいものです。

 海中の大鳥居から始まり、厳島神社の丹塗りの本殿や、板張りの通路など、日本人のみならず、多くの外国人が好む景色であり、多くの人たちがおとずれます。
 ためしに聞いてみると、知り合いの外国人たちも「何度も行った」、友人や家族と(接待で)行った」、とか反応は多いところです。
 小説家内田康夫さんの、浅見光彦シリーズでも、「箱庭」という作品で、宮島を扱っており、白砂青松と、赤鳥居という組み合わせの島の光景が、いかにも日本的美意識に適うのでしょう。

 帰りは、体の命ずるとおり、ロープウェイを選択しました。急しゅんな角度なのか、中途で、一度乗換えがあり、最後はゴンドラに座ることとなります。
 以前に利用したときは、確か、1500円くらい運賃がかかりましたが、このたび、1000円に値下がりしていました。
 世界遺産指定・運営においては、適切な運賃を求められるわけですかね。
 前回も、足弱な参拝・登山者に対し、過剰な負担はあんまりであり、「ちょっとひどいな」と思ったので、それが是正されたことは結構なことです。

 また、宮島に行くたびに、日帰りの温泉に寄っていました。このたび、二箇月振りによったら、日帰り入浴はやめました、といわれ、とても残念で、少し不快なことでした。
 妻に言わせれば、JALの指定旅館になったので、そうするんだろう、ということであり、格式を上げるとか、営業上の理由であれば、それは愚かしいことです。

 そもそも、外国人は、高い温泉など好まないし(そもそも温泉のない、中共・南鮮人は好むと聞いた。)、活動して汗をかいたあと入浴したい、とか、日本人の入浴客だけであり、それを断るのは、グローバリズムの戦略として、浅薄で、悪手であるようなところです。
 あの、「石亭」が、平日は、日帰り入浴を認めて、おそらく、市場の開拓を図っており、巧妙で、良い狙いであろうかと思われます。

 宮島は、大変観光客が多く、にぎわっているようであり、目抜きの商店も、新たな、奇を凝らしたような店がどんどん出来ています。流行には、即時に対応するようです。
 しかし、外国人たちの行動を見ていると、カフェは、ドドールとかにたむろしており、せいぜい、立ち食いの露天店で、買い食いをするくらいですね。
 そのあとで、宮島口の、「広島流お好み焼き屋」で、ひとり食事する欧米人(男)を見かけましたが、「通」の人なのでしょう。

 どうも、金を落とすのは、やはり日本人であり、当該日本人の顧客サービスに配慮しなければ、先行きはないようです。
 せっかく、歴史と伝統、美しい自然と、絶好の観光資源を持ちながら、先行きを読めないことと、それに関する注意と努力を怠れば、やはり、商売に未来はないですね。

 閑話休題、このたび、私は、「石亭」に、時期を変えてまた行きたいと思った(料金は高いけど)のは事実であり、今の、サービス以上に、どんなことをはじめるのかは、興味深いところです。
 宮島観光と含めて、今後も、グローバリゼーションの試練に耐えていけるような気がします。
 しかし、景気の低迷と、旧態依然にあきた日本人客を逃がしてしまえば、やはり未来はないものでしょう。

グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える

2019-08-26 19:31:19 | 旅行
最近、国内旅行をすることが多くなり(それは外国旅行をすることがとても多くそれに慣れているということではまったくありませんが)、先ごろから、わが家により近い、九州地方を旅行することが多くなったところです。
当該旅行は、妻が、ネットサーフィンに拠って、安い時期の出物(?) を探します。「質と値段の均衡」をいかに追求するかを、その努力と工夫を、「いかに賢く優れた選択であるのか」を、あらかじめしっかり立案していただき、私に説明してくれます。
先に、私が選んだ、湯布院の「中共国経営・日本旅館」(「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11))で痛い目に遭ったので、私に是非はなく、妻の目を信用することにしています。

いつぞやは、「私にあなたにはもったいない(世が世であればあんたの妻になるようなことはなかった。)」と言明していましたので、まあ、そんなものでしょう。

 しかしながら、今年の7月は、妻の嗅(才) 覚で、費用効果性の高い旅行を目指していましたが、西日本一帯は週末台風にたたられ、7月当初から計三度、日程変更を強いられました。
 当該日程変更に、快く応じていただいた、計三泊、二つの日本旅館さんには、謹んでお礼を申し上げます。

 結果的に、7月下旬の夏休み前に、天草方面、熊本県・人吉市を旅行しましたが、その結果は、おおむね、満足するものでした。
 天草地方は、何十年も前に、牛深市を目指して、家族旅行をしましたが、それ以来のことです。
もう十分海で泳げる時期でしたので、このたびは、シュノーケルをすることとし、宿泊旅館に尋ねて、近場で、岩場のある海水浴場の穴場を教えてもらい、人っ子一人いない海岸で、自由に様々な熱帯性の魚の群舞を愉しんだところです。
 どうも、私の住む瀬戸内海とは、動植物や生態が違うようで、巻貝とかうにとか、珍しいもので、私たちの好奇心にしっかりと、応えてくれました。
 旅館は、メゾネットタイプで、各棟ごとに宿泊することとなり、露天風呂と内風呂などの水廻りが一階に設置され、二階が、居間と、寝所となっており、それこそ、亜熱帯のような照葉樹林の植え込みを越え、遠く海が望めます。沿接した棟とは視野がきちんと切り離されており、独立したリゾートのコテージのようなつくりになっています。きちんと、冷凍庫対応の冷蔵庫と、BS対応のテレビもあります。
 スタッフはいずれも親切で、こちらのやって欲しいことには的確に応え、後はほっておいてくれます。とても良いあしらいです。二泊しましたが、旅館の料理も上質であり、美しい海岸と、泉質のよい露天風呂ともども、ゆっくりした時間を過ごせました(「本来はずいぶん高いのよ」という妻の話です。)。

 三泊目は、天草大橋を本土にもどり、熊本県の人吉市に泊まることとなりました。
 ここは、本来の温泉旅館であり、三度の日程変更にもかかわらず、やりくりして、有形重要文化財の客室に泊めてもらうことが出来ました。
 それまで、まったく知らなかったことですが、この「人吉旅館」は、女将が韓国人でした。なぜなのかと、興味深い話だったので、館内にある、地元新聞の切抜きなどを読んでみると、現在の社長が、地区の旅館業者と共に観光セールスで、韓国に行った際、韓国の大学で観光業の専攻と日本語の勉強をしていた、学生であった女将を見初め、強く望んで、嫁に来てもらった、とのことです。
 先代の女将も、これを認め、子供も生まれ、日本人の嫁としての仕事と、女将としての仕事をこなし、ついには、日本人に帰化したいと望んだが、「それには及ばない」と、夫(社長)と先代女将に止められ、現在は、女将として、人吉市旅館組合で、韓国人客受け入れの責任者として、地区活動をしている、との話です(女将の年齢を考えれば、その時期は、現在の南鮮の下劣で卑怯な官製反日運動が起きる以前であろうかと思われます。)。

 わが宿泊の部屋は旧館となり、それは国指定の重要有形文化財になっており、磨きぬかれた廊下と、細かい格子の入ったガラス戸(古いガラスなので波打っています。)などの建具で囲まれた回廊になっており、内庭を見ながら、24時間入浴出入り自由の湯殿に降りていく廊下は、広く深い光沢で、惚れ惚れするようなものです。
 「ひとりで歩いていくのは嫌だ」と、うちの妻は、夜遅く湯殿に降りていくのを拒否しましたが、再度、私は深夜、階段を降り、中庭の池や植え込みを見ながら進むと、なるほど、独特な雰囲気があり、「夏目人別帳」という妖怪アニメの世界に入るようです。
 湯殿は古く、深く、また熱く、泉質も良いので大変くつろげる場所です。

 夕食も、趣向を凝らしたもので、青竹のめごに包まれた地元の名物を配した会席料理と、初夏の鮎の塩焼きなど、美しく、目を奪います。私は、つい、わたまで食べてしまいましたが、砂が入っていたので、天然ものなのでしょう。
 サムゲタン(どうも鳥の煮込み料理)というのか、韓国料理も、別卓では用意されており、また、中にはすき焼きを食べている人もいましたので、料理の別注文は可能だと思われます。

 部屋が古い、と妻はいいますが、私とすれば、温泉にも、料理にも大満足です。
 食後、ロビーに降りて、展示物や、みやげ物などを見ていました。
 その中で、韓国の偉い陶工の作品が展示販売されており、何十万円という価格で、群青の呉須の様な茶道具で、そこは好みですが、「私は嫌い」と妻は言います。大陸仕様の茶道具なのでしょう。私は、日常雑器とすれば、これはいくらなんでも、高すぎると思いました。

 社長の趣味なのか、ブリキのおもちゃや、昔の玩具、キャラメルなどの箱の展示があります。また、イラストや、雑誌の展示から、この旅館か、この地方の出身者が、テレビアニメ「夏目人別帳」の原作者であろうかと、思われます。

 その夜は大満足ということで、部屋に引き上げました。

 翌朝、朝食を楽しみにしていましたが、かゆと、白米が用意された、和食のバイキングというメニューとなり、いずれも美味しく堪能しました。その際に、女将手作りのキムチというのがありましたが、どうも、手をつける人はいないようです。
 それから、にわかに、女将のあいさつということになり、韓国人の女将が、各卓をめぐり、私たちも、あいさつすることとなりました。
 現在、夫が入院しており、昨晩介護に行っていたので、あいさつが遅れたという口上です。
 なかなかきれいな人で、妻が、部屋に飾ってあった、自分が好きな、薩摩焼の草木焼きの花器をほめると、とても喜び、李氏朝鮮の血を引くという、沈壽官窯(ちんじゅかんかま)(朝鮮陶工から始まった薩摩焼の窯元)に行って購入したと、その来歴を話してくれます。
 どうもそれは、同郷出身者として、有為転変のうち、他国に根拠を得たという、いわば彼女にとって、ロールモデルなのかも知れません。
われわれも、女将におもてなしの質を謝し、女将は引き続き、それぞれの宿泊者の卓をめぐっていきます。
 同郷の朝鮮人宿泊者のテーブルではさすがに長くなり、やり取りも長くなります。
 彼らには、一度、湯殿で出会いましたが、二名の宿泊者であり、片方はやせぎすで、白髪を総髪に結い、わが畏友、八木独仙君(詳しくは「我輩はねこである」(夏目漱石著)を参照してください。)のような、見事なあごひげを生やしています。芸術家(陶芸家(?) )であるのかも知れません。

 そういえば、旅館の入り口の、歓迎用の看板には、韓国人の名前が書かれていました。わが家も、ご同様に白文字で書いていただいておりました。とても、日本的なサービスですね。

 この旅館(他にどれだけ実施機関があるかは知らない。)には、外国人観光客を減額宿泊する、という制度について触れられていました。高い宿泊費を下げ、今後につなげるという制度なのでしょう。当該、差額が何に拠って補てんされるかは書いてありませんが、もし、公金・補助金などで補てんされるのであれば、それは理不尽な話です。
 われわれも、このたび妻の才覚(?) によって、客層を広げるという方針であるのか、より安く、宿泊することが出来たわけではあります。それも、民間企業の折にふれた経営努力の範囲かも知れません。

 旅館のサービスは、とても質が高く、仲居さんは親切で、宿泊費用に比べ、食事は良質で、おもてなし、という点では、日本旅館としての質は高いものです。現在のところ、それは、女将が、何国人であろうと、揺るがないサービスと思われます。日本人とすれば、心強いところです。
 要は、私たちは、日本人として、日本人向けのサービスを期待しており、特に韓国風サービスは期待していないということです。おもてなしの精神を発露して、特別仕様のサムゲタンもキムチも人によっては喜ぶかも知れないが、日本旅館でわざわざ食べるものかね、と思ってしまう。私は、外国に行って、質の悪い日本料理などのぞまない。
 それは、旅館の方針で、韓国風サービスが導入されるなら、折り合える部分は我慢しますが、それ以上のことは客としては我慢できないということです。

 知り合いに聞けば、現在九州の日本旅館は、外国人客(中共・南鮮人)向けのサービスをしているところがとても多く、何国人のスタッフが勤務しているか、実際のところわからない、といいます。
 ここまで、外国人宿泊客に対し、宿泊費を減額してまで、観光客を誘致し、有形無形のその営業を展開していかなくてはならないというのは、その原因ははっきりしていて、日本人観光客が宿泊しなくなったわけでしょう。
日本人が国内旅行をしなくなった、デフレによる景気が低迷しているのも、大きな原因でしょう。それは、先の別府でも同様でした。

 しかしながら、旅館業というのは、同時に、当該地の歴史や文化を売り物にする業種であり、また、当然それは経営者の営業方針、思考、また嗜好を反映します。しかし、良き伝統・文化や他国・地方の文化との差異を示すような工夫がないようなら、浅薄な目先の人気取りはいずれ、淘汰されるしかないと思われます。
 
 もし、私が、外国で旅館(ホテル)業を営むとすれば、当該国民国家の歴史や習慣を、まず尊重し、おもてなしの配慮をしたうえで、私自身の生活史をベースに思考し、その良かれと思う部分を、独自なサービスに反映したいな、と思います。

 聞き及ぶところによれば、こちらの女将は、来日後、まず、熊本大学に入学し、日本文化や、日本の旅館ビジネスを学び、日本国の伝統・文化、着付けからお茶・お花をはじめ、子供の養育もこなしたということで、文字どおり、カリスマ女将のような人です。

 もし、女将の考えとその現実(?) を、私が想像すれば、人間はその養育環境、その生活史を否定することは出来ないはずであり、その後異郷に移り住み、その教育や文化を深く学んだとしても、その内面で、価値観や嗜好の相克が起こるのは当然のことでしょう。すぐれた人ほど、その点は意識的であろうと思われます。

 今でも敬すべき哲学者、竹田青嗣氏は、その出発を、「<在日>という根拠」という文芸評論から始め、持って生まれた自己の出自の基点から出発し、その後、自己に強いられるように、「世界普遍性」に通じるためなのか、西欧哲学に至るまでにその思想的営為を展開し、大きな達成をされてきたところです。
 身のほど知らずなことを申し上げますが、それは、私にとっても、達成はないにせよ、ひとりの学徒(相変わらず中二病ですが)として、同様な道行きであったろうと思われます。
 しかし、彼の幼胎児期や、その後の生活史、大学卒業後就職できなかったことなど(このあたりは日本人生活者も同様ですが)その直接体験は、他者には容易にわからないところです。彼のその成育史の中で、家族や社会とのかかわりあいには、あまり触れられていません。
 学生時代、当時の民族自立運動へと、誘われる契機があり、左翼運動とどっちに行くべきかの選択は、そのときのいわば触れ幅でしかなかったというような、述懐はあったところですが。このあたりは私にもよく理解できるところです。

 すなわちその生活史(思想まで言っていいのだろうか。)などは、それぞれにとっては不可避でも、他者とすれば恣意とか偶然であるしかないようなところなのでしょう。
 しかし、同様に私たちの折々の危機の際に、どう考え行動するのか、また、本当のところは、個人として、彼が何を考えるのかよくわからないところがあります(そのために私たちはその著書を読むということでもあります。)。

 私自身の問題とすれば、現在は、明治期の知識人たちが逢着したと同様に、私たち大衆も、その大問題に、個人的に対決せざるを得ない、好ましくない他国の外部・異質なものが、わが国社会の独自な文化、歴史・伝統に対し、侵略・侵奪される危機が、目の前で生じているところです。
 ならば、それにどう対応するかについては、大変苦痛でありますが、この際、覚悟を決め、直接的には、自己のナショナリティ(自己の存立根拠というよりはいわば自己の生活史・出自の根拠)を根拠に、あらゆる局面で、頼りない指導者たちを疑いつつ、自己の考えを構築し、私たちの国家・社会の安心・安全のために戦うしかないように考えられます。

 どうも、竹田氏のように、世界に通用する哲学者として、敬すべき先達においても、それは同様の道行きではないのかと、思われるわけです。

 確かに、不幸(私はそう考える。)にも人間や事物の度を過ぎた行き来が頻繁に生じれば、グローバリゼーション(国境を越えた人や物や制度、イデオロギーなどの無秩序な交通)が生じるのは止むを得ないところです。
 しかしながら、その過程で、加齢のためなのか、もとより無思考なのか、はたまた国民病のような(?) 宿あの左翼コンプレックス病なのか、自前の思想のバランス感覚(国民国家の基盤としての健全なナショナリズム)を失い、いつしか悪しきグローバリズムに魂を乗っ取られるわけです。
 病気になれば、他国の歴史・文化を侮蔑したり、自国の歴史・文化を不合理に卑下したり、根拠もなしに、野郎事大に振る舞いだしたりで、愚かしい腐ったイデオロギーの走狗にならないようにしたいものですね。まさしく、それは大衆の弱点と負性なのですが。

 在日系の学者を見ていても、日本国パヨクを見ていても、日本国での庇護を受けながら、近代国家とも思えない愚かな南鮮、北鮮に肩入れする、つまらない知識人はいくらもいるわけです(愚者の指導者など、はやく死ねばいいのに)。

 それこそ、日本の知識人たちを見ていても、人間は、いつでも、いかようにでも、思考停止、思想的に退行・転向することもある、ということも、ため息が出るような情況も、また、事実であります。

 私は、伝統ある旅館が、私たちにとってつまらない、韓国直営・日本旅館にならないように、日本人の宿泊客が気持ちよく出来るように、二国をまたぐ経歴を持つ優れた女将に、今後とも、見識と良識あるサービスに努力していただきたい、と、思っております。

 また同時に、日本人も、その身銭と余暇を割いて、古い、しかし、温泉が豊かで、自然も美しい、伝統ある九州旅館(似非日本旅館は断じて困る。)に滞在し、ひいては、地元観光サービス業に従事する人たちを支援すべきなのです。そうであれば、あなたの郷土にも、いずれ、観光客として、彼らもおとずれるかも知れない訳です。

 また、末尾に特筆しますが、宿泊客に大変好評であると、仲居さんに教えてもらった、朝食限定メニューの、「馬肉カレー」は絶品でした。カレーというのも、立派な日本料理なのですね。
 私は、田舎者なので、カレー(カレーライス)に金を払って食べることは基本的に嫌です。
 しかし、わが家二名で、「カレーはべつ腹」といいわけしながら、しっかり何度もお替りしました。九州人は、馬肉の扱いには長けているのですね。
 もう一度、機会を持って、是非、食したいものです。
 あれは、日本食文化の勝利、と申しあげます。

旅行雑記(われわれは「歴史」に学びたい。ベルギー、オランダ、ドイツ)

2017-05-12 21:14:19 | 旅行
 しばらく、ブログ更新を怠ってすみません。

 実は、先ごろから旅行に行きましたが、私の望みで、ヨーロッパ大陸に行きたいとの話として、妻とともに、「ベルギー・オランダ・ドイツ7日間の旅」に行って参りました。
 「伝統ある」ヨーロッパを、是非、この目で、一度、見てみたかったところです。
 とんだ「赤ゲット(毛布)」旅行ですが、当面、掲載させていただきます。

 「「ヨーロッパ」は学生時代に卒業旅行に行ったからいいわ」というのが、妻の言い分でしたが、私は、先の、NHKBSの関口知宏さんの「Brexit 以後の英国訪問記」を見て、是非、今後EUの終焉になるかも知れない、その加入国の実情を見たいと思いました。しかし、4月23日のフランス国の大統領選後、決戦投票になることとなっており、ひょっとしたらテロの巻き添えになりはしないか、それに被害者として名を連ねたり、あるいは、不摂生のためか私は最近走ることができなくなってしまい、冷たい(冷静な)うちの妻は私を置いて逃げるだろうな、と、らちのないないことを考えておりました。

 この国に入る前、友人が参考にと恵与してくれた、司馬遼太郎の「街道を行く」、オランダ紀行編のみ読んでおりました。周到に書かれた、17世紀以降の大商業・貿易国家オランダと、鎖国体制化からの日本との相互の係わり合いはよく理解できました。また、世界的な覇権国家になった大国のその後の凋落と生き延び方、またグローバリズムに明治期以降厳しく直面した、日本国との類比とあわせて、興味深いところでした。国家の隆盛と衰亡は何度となく繰り返され、為政者やそれを許す国民(?)の愚かで情動的な判断や行動により、他国家により食い物にされることも同様なところです。しかしながら、通俗的であるとは言い過ぎかも知れませんが、「国境がなくなる」とか、「多民族の並存の肯定」など現在のEU礼賛にすり替わってしまうかのような旅行記にちょっと反発を覚えました(しかし、まだ、1980年代に書かれた本ではありますが)。

 私は、最初、ベルギーに入りましたが、狭い国(九州よりずっと狭い。)と聞いていましたが、空から、また沿線の景色は、牧場が広がり、牛がのどかに寝そべっておりました。西欧先進国でありますが、同時に酪農・農業国としてのあり方にも得心が行きました。しかしながら、伝統的な建物や、ところどころはローマ帝国に起源するという石積みの道路などの古い社会資本にも深い印象を受けました。古い国家は、容易に文化や伝統などを変えないのですね。あらためて、わが町並みや奇怪な建築物と、無原則な受け入れがあたかも至上の価値であるかのような、それを支える奇怪な共同幻想とその軽重浮薄ぶりを思い知ります。わが国の高名な建築家が依頼されて作ったというポストモダンの建築と、その国民の考えや嗜好とは、実際は、一線を画すのですね。伝統や調和は、やはり重要な要素であり、大多数はそれを受け入れるようです(経済的な要素はさておきの話ではあります。)。市街地に運河もはしり、古くとも大変きれいな町並みです。
  旅先の贅沢にと、オマールえびを食べましたが、日本国よりは安いようであり、ベルギービールもおいしいようです。追加トッピングで稼ぐようなファストフードとしてのワッフルは別にして、粒で売るチョコレートは、その多様性と、個々の味が本当においしいものでした。おまけもくれるしね。
EUの本部設置と、それに当て込んだのか汎ヨーロッパ大学(正式名を忘れてしまった。)なども設置され、EU高級官僚になるコネを探すため、若者たちは大学入学を含め懸命に活動するそうです。各傘下各国は、有力な大国の間で、巧妙になのか、しぶとくなのか、グローバリゼーションの中で、脱落しないように、懸命に努めているのですね。このたび、買い物さきでは本来のフランドル語(そのように聞いた。)を使いたいのか、最初から、わが同胞に、英語で話しかける人はいませんでした。立派なキャセドラルや、貧窮院のように歴史的な古い建物はいたるところにありますが、中世やそれ以前に起源する町並みは、興味深いものです。またこのたび、唯一、皆が集まる観光広場で、銃器を抱えた体格のよい兵士たちがたむろしているところを見ました。
国立美術館において、さすがにルーベンスには近寄れませんでしたが、そのほかに、まじかで、近代名画の筆使いまで、自分の目で見られたのは、ありがたいことでした。

 次にオランダに入りました。オランダは九州の面積とほぼ近いという話です。よく知りはしないが、当時、わが国にカソリックなど宗教による収奪を持ち込まず、商業・貿易国家として接した(後年、原理的なプロテスタンティズムは後年カルトに繫がったとは言いますが)オランダ国に対し、歴史作家司馬遼太郎氏は終始好感を持って叙しています。オランダ国とすれば、それも、植民地支配国家や、貿易国家として覇権をはせたその深謀遠慮なのかも知れませんが、結果的に、当時の鎖国国家日本国とすれば幸運なことかも知れないところです。このたび、オランダ人の平均身長は、男で190cm弱、女で170cm後半と聞きましたが、あらためてその体格のよさに感服しました。当該オランダ人たちの体位が向上したのは、インドシナをオランダが植民地にして以来とのことであり、二代、三代と、植民地から由来する(東インド会社)乳製品や肉製品を食べ続ければ、本当は身長2mを超えるような大男も増えるのでしょう。
 オランダ人であり、孤独な天才ファンゴッホは身長はどうなのかといえば、170cm足らずだったそうですね。やはり、彼が大男であれば、イメージが狂いますね。
 このたび、典型的な破滅型の芸術家である彼の、鬼気迫るようなの絵を真近くで見られたことは、大変幸せなことです(還暦まで生き、旅行に行け、どうにか体と経済的な自由が少しは利くという小幸福として)。
「糸杉と星の見える道」と「悲しむ老人」には、心底感動しました。大酒のみの街娼買いで、最期には自分の耳を切り取った狂人という、後世でも画家(芸術家)という社会的不適合者の典型であるような彼の短い生涯ですが、社会に容れられず、孤独と孤立を友として、近代の芸術家として極北の隘路を歩いたような彼の生涯を思いやります。

 おまけでドイツに行きました。
 「ビールとソーセージ、ビールとビール」と連呼していたわが妻と一緒に、ビアホールに行きました。
ケルン市で、大聖堂の対角にあるビアホールです。ヘミングウェイならぬ「男の世界」ともいうべく、前垂れとワイシャツ姿で老給仕から中年の給仕にいたるまで、男どもがずらりとそろい、分厚い樫材のテーブルが付置された、天井の高い、重厚で大きな建物です。
どうも押しなべてビールはピルスナーグラスで出てくるようです。あまり飲めない私が飲んでも軽くおいしいものです。「このたびでの一番のビールである」と妻は言います。ソーセージの焼いたものと、豚足のローストを注文しました。ソーセージはおいしいがちょっと塩辛い、豚足は皮と肉の間の脂がうまく、ビールに合うのか、ぱりぱりの皮と一緒に、皆喜んで食べました。
時期的なものなのか、旅行当初から、野菜があまり食べられず、皿に付け合せのザワークラウトは、酢が利いて結構おいしいものでしたが、妻に言わせると、うでてないキャベツを使ったものは本来のそれではないといいます。付け合せのじゃがいも(マッシュポテトも同様)もとてもおいしいものでした。
うちのテーブルの老給仕が、一番威張っており、めがね越しに、男どもみなを仕切っていましたが(キャリアがものをいうんですね。)、同席のご夫婦が、ビールを注文したとき、「「ぷりーず」、をつけろ」といい、思わず笑ってしまいました。皆に取り分けた、豚足を少し残した際、指差し、ちっ、ちっ、と少し不満そうでした。チップの端数が少し出たとき、うれしそうにお礼を言いました。自負心と、ユーモアのある興味深い職業人です。
こんな人性もある、というところですが、名物給仕と思われる彼ともう少し話したいと思う、おもしろい体験でした。

 ケルン市は、日本人観光客が多いためか、まだ、「歴史改ざんの国家強制慰安婦像の設置」(以下「韓国の愚挙像」と称します。)はされていませんでした。
 しかしドイツには、最近、媚韓・媚中派の支店か出張所があるのか、現地の心あるわが邦人の懸命な努力にもかかわらず、ウィーゼント市に、「韓国の愚挙像」が設置されたとの話でありました。ちょうど、わが国に帰還した際、日本政府が「中共政府主導のユネスコ世界記憶遺産の捏造」(以下「中共による歴史捏造」と称します。)の再調査を求めるため、当該醵金を中止したとの新聞報道(産経新聞)を見て、「当然であろう」と思ったしだいです。世界規模で、ゆがんだ韓国人の「韓国の愚挙像」の設置策動と、ゆがんだ中共人(中共政府とそれに連動する中共国民)による自作自演による「中共による歴史捏造」を、私たち民間レベルででも制止しないと、当該捏造に乗っかる愚かな「狂った文学者」も出てくることであるし、あらためて、私たちは、「歴史」は可変的で、国際間の闘争のダイナミズムの中で、声の大小や、強者によっていかようにも操作されるということを、そしてそれを怠ると、わが子孫たちに多大な迷惑をかけることを肝に銘ずるべきかもしれません。
 それでなくとも先に、グローリズムの信奉者、かつ、「反日的な」メルケル氏は、先の来訪時に「(日本国はそうでないかも知れないが)ドイツ国は戦争責任を果たした」と(虚偽の)大見得を切りましたが、この先、戦略と、利害と、イデオロギー的にも近似する中共に連動し、いかにも、ドイツ国での「中共による歴史捏造」に加担しそうではありませんか。
 それは、内政干渉になる、といわれるかもしれませんが、このたび私はその姿を見ませんでしたが(モズレムの方々はびっくりするくらいたくさん見ました。)、経済難民に起因する市民の安心・安全の危機、グローバリズム(無慈悲な資本主義)による、国内中間・下層労働者の困窮化など、メルケル氏とそれに組する大寡占企業群は、ドイツ自国民に対してすら、背信的な、大きな爆弾を抱えているではありませんか。

 強国、ドイツやフランスなどに振りまわされ、その立場も将来性も決して安泰と思えないベルギー、オランダですが、今までに、何度となく、国民国家の危機に直面し、生きながらえてきたしたたかな国ではありようです。

 「将来を樹てないと、民族はなくなる」これはオランダの大堤防に刻まれた、先人の詩句だそうです。骨身にしみるような言葉ですね。

 皆が意識化していようとしていまいと、現在は日本国の危機であるぞ、このたび私は遊びだけで遊山に行ったわけではないが、ヨーロッパの小国の現実の有様を見て、歴史に学ぶことを自覚し、小国日本の国民として、近代以降現在までの父祖の苦闘と努力の成果と達成を損なうことなくバトンタッチして、キチンと子孫につなげようじゃないですか、と、このたびまた申し上げます。

児童書「クロニクル千古の闇」をめぐって(併せ「アイスランド」紀行) その2

2015-10-20 22:05:56 | 旅行
 児童書「クロニクル千古の闇」をめぐって(併せ「アイスランド」紀行)その2

 ところで、後先になりますが、今回のアイスランドツアーの売りはなんでしょうか?
 実際のところ、オーロラ(日本語で「極北光」、英語で「ノーザンライツ(Northern Lights)」といいます。地球の電離層の通電現象により生じるものと理解しています。)と、自然(滝)紀行、なのです。エスキモーの神話に死者がたどりつく世界がオーロラというのがあるそうで、「クロニクル千古の闇」(以下「クロニクル」と称します。)中ではオーロラは彼らの神話の中で「最初の木」と呼ばれています。彼らの氏族の中で誰かが死にそうになった時、魂が散らばってしまわないように、額に赤土で死のマークを描き、死んだあと、死体は森に放置し、肉食獣たちに恩恵を与えるといいます。
その魂魄は、惑わされなければ、空に昇り「最初の木」にたどりつくこととなっています。出現する場所は、緯度や気象条件などの制約があるので、彼らにも、常時みられるものではないようです。氷河地帯に至ったとき選ばれた者にはじめて見える、また、その直接体験は、氏族の紐帯とか、あたかも信仰のように大変必要なものと思われます(いわゆる共同幻想ですね。太古の人にとっても死者を弔うのは大変切実な問題です。)。
 当日は、幾分さめている私を除くほとんどの人が、「晴れたらいいね」とか、「今夜はどうでしょうか」とか、オーロラを、手ぐすね引いて待ちわびているところです。
 光学式カメラ以降、一眼レフはやめてしまった私ですが、ほとんどの皆さんは、しっかり、オーロラ撮影のため、三脚から、高度、高性能の一眼レフや、ビデオをご持参です。
 到着日当日は、首都レイキャビクのダウンタウン近くのホテルに泊まりましたが、当晩は食事抜きのため、国鳥のパフィン(ニシツノメドリ)を食べに行った人(国鳥を食べるというのもすごい文化ですよね。)もいましたが、私たちは、目抜きといわれる商業、商店街を歩いてみました。
 目抜き通りは、アイスランド一の繁華街でそれなりの一流のブティックや、レストランなどと共に、横道に入れば怪しげなパブなどもあります。とおりすがりの外国の若者たちも、あまりタトウーや、過激なピアスなども見かけません。
商店の建物なども、最上階にロフトのような部屋がついた三階建てが多いようです。地下部分がパブやカフェーになったような建物も見かけますが、多くの建物が、白い漆喰を四角い窓の周囲に塗って縁取った北欧風の外装です。繁華街を歩いても、東京のような雑踏とは違い、9時ころまでは明るいので、白夜とともに趣があります。
 ところで、バスのガイドさんやホテルのスタッフを含めて、彼らはアイスランド語しか話しません。
人口33万人弱という中ですが、これは徹底しています。英語に加え、ノルウェー語やデンマーク語が公教育に使われている、と言っていましたが、英語はビジネスの言葉なのです。
もっとも、アイスランド語が、我々の民族語、日本語ほど周辺国家の言語と「違っている」ということはないと思いますが。
 アイスランド語は、人口数から類比していけば、何らかの原因で、すたれてしまうかもしれない言語です。自国語を使った地元新聞記事や、表現行為など、極めて重要なことでしょう。
後日、日本にも紹介されているという有名な児童文学者の生家と記念館を来訪しましたが、彼らの危機意識と、自国の本ばかり読むわけではないでしょうが国民の読書量世界一というその反作用(?)に思い至ります。
 私たちのホテルは海岸線に面したホテルですが、近くにアイスランドの国立劇場があり、それに至るまで長く広い海岸線が続き、同時にそこいらはオーロラ鑑賞スポットです。ホテルは、シャワーブースだけですが、硫黄のにおいがする熱水がすぐ出てきます。温泉シャワーです。水道水は軟水で、地下水の汲み上げ水と聞きました。日本の都会の水道水などと違って、冷たくとても美味しいものです。
皆、ミネラルウオーターなど買わず、水道水をペットボトルに詰めて持ち歩きます。さる人が、マーケットでミネラルウオーターを買おうとしましたが、本当に買うんですかと、問い返されていました。
 暖房は当然スチームです。エアコンは、一応はありますが、あまり使うことはないようです。
 ホテルのスタッフは、皆、明るく親切です。
 屈託なく、親切に対応してくれます。
 出かける前にフロントで傘を貸してくれといい、すぐに貸してくれましたが、風の強い、降ったり止んだりの気候の中、アイスランドで傘をさす人はいないそうです。
 治安はとてもいいと聞きましたが、33万人弱の人口では、悪い人間も、良い人間も極端な人間はいないのではないでしょうか。先の国内の表現行為を含めて、文化の爛熟とか、退廃的な文化なども生じにくいのかもしれません(失礼)。
 格差の大きな社会であれば、そちらからくる不安定要素もありますが、土地も家などの建築費も極めて安い(普通の家の建築費が邦貨800万円くらいといってました。)のであり、国土も広いなら、漁業収入や、観光収入で国民生活が営めるなら、極端な不公平感は生じないのかもしれません。
繁華街を散歩し、コンビニに食料を買いに行きましたが、確かに、品ぞろえはあまりよくありません。
JCBでもなんでも、カードはOKです。オリエンテーションで有料トイレの使用料も、カードで大丈夫、との話までありました。
 残念ながら、その夜は、時差の原因なのか、爆睡してしまいそのままです。
 オーロラの撮影に行った人もいるみたいですが、残念ながら曇り空で、オーロラは見えなかったそうです。

イ 二日目(その1)
 翌日の朝食はとても良いものでした。
 乳製品の、ヨーグルトを固めたような、国民の常食といわれる、スキムミルクから作られるという酒粕状のスキール(skyr)があり、これはおいしいものです。酪農製品が国内でどれだけ生産されるかは知りませんが、試した何種類かのチーズもおいしいです。
穀類は、国内でほとんど採れないと聞いており、自前の小麦粉で作るパンはないのかもしれませんが、それなりにおいしいものでした。ワッフルを自分で作れる装置(たい焼き機みたいなもんです。)があり、楽しいものです。
確かに野菜などの品ぞろえはあまりなく、トマトとレタスのようなものですが、量はたっぷりあります。果物はほとんど輸入品と聞きましたが、リンゴは小ぶりですが、酸味が多くおいしかったところです。
 外に出てみると、二連の虹に遭遇しました。
 初めての体験です。海岸沿いの空に、二連のアーチを描きます。
 空気がきれいなのか、とても鮮明に見えます。
 こちらでも珍しいのか、多くの人が車を止めて、写真を撮っていました。
 こちらの人は、何か些細なことがあっても、フェアリー(妖精)のせいだ、というそうです。私の実感では(コノテーション(言外の意味)の類推では)キリスト教以前の、いたずら好きの妖精であるかのように思えます。異邦人にも、なんとなくゆったりとした時間の流れが、感じられるようです。
 虹はなかなか消えません(「クロニクル」では虹の描写は何もなかったように思います。)。
 やっぱりゆったりとした時間のようです。

 国内便に乗り換えるため、レイキャビク空港に移動です。
 空港は、まるで地方のバスステーションのようです。
 皆、ぼーっとして、定刻のずいぶん前から、プロペラ機の運航を待っています。
荷物は、1人一個、20キロまでという基準がありますが、重量が超えようと数が増えようと、少々どうだろうとスタッフは苦情を言いません。
 時間になると、待合所から10メートルも離れてないタラップから搭乗です。同じく、空気のきれいなせいか、全くの青空です。同乗者たちは、風の中で、写真を撮りまくりです。
 機内では、客室乗務員は大きな女性です。180センチくらいはありそうな人で、ノルウエー、バイキング系(濃い金髪)です。彼女は、何者にも何事にも頓着せず、彼女のペースでサービスをします。
 添乗するうちのバスの現地ガイドさんと雰囲気も振る舞いもよく似ています(少し皮肉)。
 晴れた日で、機中から見下ろすと、地上にはあちこちの氷河と、湖がモザイク状に分布しています。
 それ以外のほとんどの場所が、台形状の草原となっており、樹木は殆ど見当たりません。
 樹木はシラカンバ、カバ、ヤナギなどが原産種だそうです。それぞれ、巨木にはなりにくいのかもしれません。
 深い森におおわれた「クロニクル」の時代とは、やはり違います。もともと、アイスランドも深い森でおおわれていたそうですが、今では当時の面影はないそうです。デフォレストレーション(森林後退)の問題とか、ガイドに聞いてみましたが、国土が広く草だらけのせいなのか、植林をするとか、特に関心はないようです。
 久しぶりにプロペラ機に乗りましたが、危機感もなにもなく、安全に着陸しました。やはり、特有のアイスランド時間のようです。

 私たちのバスは、26人乗りの中型バスです。
 みんな好き勝手に乗り込みます。
 フィヨルドにそそぐ大きな川のそばのドライブインで昼食です。どこからが海でどこからが河か良く分からない河のそばに立っており、護岸も自然護岸のようで気持ちが良いところです。ドライブインは、日本国の地方の農協の倉庫のような建物の中にあります。さすがに中は板張りで、トイレ(レストルームではないですね。)もきちんときれいです。
 しかし、小便器が異常に高く、私自身、身長は175センチはありますが、ようやく届くほどです。同道の他の人はどのような対応をしたのか、聞きたいくらいです。総じて、バイキングの末裔らしく体格が良い人が多いです。

 レストランは、どこでも、料理は、三品くらいのコースです。
 ここでは、マッシュルームのスープがまず出ます。マッシュルームの総称で、何茸かわかりません。ポタージュ仕立てで、大変おいしゅうございました。添えたバゲットも調理がいいのか歯ごたえがありおいしいものです。
 続いて、北極イワナの焼き物(料理の名前がわかりません。)が出ます。
 これもおいしいものでした。じっくり火が通っており、底味があります。ついでに、予てより持参した小分けの醤油を使わせていただきました。もし、こんなイワナが釣れるなら、もちろん刺身ですね。前テレビで見た、イヌイットの家で、伝統食として、凍らしたイワナのセゴシみたいに調理して(丸切りですね)を、家族で食べるシーンがあり、子供たちは嫌そうに食べていましたが、なぜ醤油を使わないんだ、と思ったことを覚えています。デザートもおいしいアイスクリームでした。
 夜は、オーロラ観察のために極力あかりのない窪地に建てられたというホテルに宿泊です。
 食事は、タラの焼き物マッシュポテト添えです。タラがちょっと臭うような気がします。こちらの流通では、海上で網から揚げると船上冷凍だそうです。したがって、解凍後調理ということになりますが、それじゃ、味が落ちるよね。底流魚だから、冷凍しない新鮮なタラで刺身は無理なのか?いいタラなら、鍋とか、ちりとかできないのか。確かに、日本で食べても、冷凍切り身の鍋では美味くはないが。
 他のからすガレイとか、家人があぶらっぽいと嫌うので、最近煮つけであまり食べないのですが、このあたりが本場ではなかったのか、おひょう(確かハリバットとか、英語で言ったと思います。)とかも獲れたのではないか、魚の種類といくらもバリエーションがある日本的なその調理が思い浮かびます。 是非、首都レイキャビクで、先進的な日本人に、取り組んでみてもらいたいものです。例のカペリン(カラフトシシャモ)の商談で、日本人の
水産業関係者も多く来訪するそうですから。
 タラの漁業権をめぐって、アイスランドは、過去に、英国と戦争、直接戦闘((タラ戦争)1958年から1976年まで))をしています。それほど昔でない自由主義圏でも、たとえ、人口33万弱の小国でも、国民国家の経済問題をめぐって、沿岸警備隊はもちろん漁師でさえ、銃を握って戦うのです。
 現在の、TPP条約推進者という政府が、アメリカの特権階層に仕掛けられた経済戦争に、大多数の国民(過去日本近代以降の国民の大多数と言い換えましょうか。)の利害に反して、あらかじめ白旗を立てる、バカな日本政府とはえらい違いです。防衛問題(?)を配慮したとか、平和解決とか、争いを好まない、とかいう、彼らの恥知らずな言説の前に、中共などの覇権国家に、米欧に、踏みにじられる経済利害に、漁民は、農民や大多数の国民は怒りを表すべきではないか、と私は、アイスランドで考えました。
 たとえ、美味くない、フィッシュアンドチップス(タラが原料だと思う。)の原料供給のためでも、安定した資源を獲得して、弱肉強食の国際社会で、生き伸びていくために、国民国家及びその構成員は常に戦うのです。
 私たちは、TPP条約批准拒否のため戦いましょう。
 私は、すでに準組合員になっており、農協共済事業にも加入していますが、自国民の大多数の利害をなおざりにし、他国の大企業(中共もあるそうです。)、投資家に過剰に迎合し、国民の自助組織、農業協同組合の解体に手を貸す悪辣な自民党の農業政策に断固戦いましょう。

 かつての、タラ戦争をめぐって、現在の我が国の現状に憤激しましたので、その2はここまでです。

児童書「クロニクル千古の闇」をめぐって(併せ「アイスランド」紀行) その1

2015-10-14 21:45:21 | 旅行
 「地の果てに行ってみたい」というのは、私にとって結構切実なのぞみ(友人に聞けば結構一般性が
あるようにも思いますが)です。いまさらですが、私自身の顔つきからしても顕著なモンゴロイド系で
すので、かつてグレートジャーニーに参画した特有の北方志向があるように思い、できれば、南より北
の(冷涼性気候の)、また、できれば島しょ(大陸から離れた孤立した島国)(歌の文句ではないけれ
ど「ここは地の果て○○○○」、がぴったりくるような)の寒い北の果てへ行きたいと思っていました。
 このたび、機会がありましたので、貯金をおろして、ツアーで、アイスランドへ行ってまいりました。
このとおりの人間なので、「楽しい、おいしい、素晴らしい」、とかとは、無縁に近いような人間です。
したがって、その意味での期待はご容赦ください。

 長年、ジュブナイル愛好家である私の愛読書で、ミシェル・ペイヴァーのという作家の児童書「クロ
ニクル千古の闇」という本があります。これは、紀元前6000年頃に、北部ヨーロッパがまだ森林におお
われていたころ、すでに新人類の時代が到来してはおりましたが、人々が狩猟と採収生活で暮らしてい
た時代に、深い森林と大西洋(北海から北極海にかけての地域と思われます。)に面した北部ヨーロッ
パを舞台に、小さな狩猟部族の少年が、父の代から続くシャーマン(魔導師)たちの権力闘争に巻き込
まれ、父の敵として悪い魔導師たちを打ち倒していく物語です。彼は、幼児期に母に死に別れ、父によ
って子育て中の狼の巣穴にあずけられ(アヴァロンの野生児を下敷きにしています。)、運よく、めす
狼に育てられ、おかげで狼たちと意志疎通ができます。その後、父に育てられますが、「魂喰らい」と
いう魔導師たちの内部抗争で、呪いの力で作られた悪い魂を持つ大熊に、父が殺されたあと、たまたま
助けた(たまたまではないんですね。物語の中では必然です。)幼い狼と共に、その孤立した生い立ち
ゆえに血族と部族からは疎外・迫害される厳しい状況の中で、「悪い魔導師軍団」=「魂喰らい」に立
ち向かう過程で、義兄弟の狼や、ワタリガラス族という彼の味方になる部族でシャーマンの能力を持っ
た弓の得意な少女との出会い、父と死に別れた当初は12、3歳の少年が、試練を経て自己形成を遂げて
いく物語です。
 全部で6巻ありますが、大変良質な読み物で、石器時代のヨーロッパで、少年と少女の二人が懸命に
立ち上がり、呪力や強い力を持つ強い敵との孤立した戦いと、彼らを取り囲む厳しい自然や周囲の悪意、
時として周囲の大人の善意と協力を経ながら、理不尽なものに対する怒り、他人に受けいれられない悲
しみや、憎しみを経験して、思春期においての友人や少女に対する嫉妬などもちゃんと書かれてあり、
またその孤独な戦いが徐々に周囲に認められ、自然の豊かさとその厳しさの中で、狼やワタリガラス、
滅んだオーロックス(牛の原種)、野馬(のうま)たちの周囲の霊ある動物あるいは植物などとの交流
を含めて、彼らがだんだんに成長していく姿が大変良く描かれています。訳者はさくまゆみこという
方で、挿絵は、酒井駒子さんという方で、少年や少女を描いたパステル画に油絵を重ねたような(?)
柔らかく魅力的な挿絵です(本当は、皆、顔に部族のしるしや、数多くの魔除けに必要な呪術的な刺青
をしているのですが)。
 著者は、ベルギー人とアフリカ人との混血といいますが、アフリカその他様々な国を旅行し、神話や
民俗学を集中して学び、また一方で化学者として専門性のある法廷弁護士の資格も得た人のようです。
彼女は、石器・狩猟時代の物語を実に実に生き生きと描いています。その世界とは、万物は「万物精霊
の精」から発生したもので、動物にも、植物にも魂が宿っており、その存在倫理(タブー)に抵触した
者は裁かれる、という当時(と思われる)の一貫した世界感に基づく世界です。
 良きにつけ悪しきにつけ、それなりに我欲のある人間たちが、私欲によって、(当時のシャーマンた
ちは実際的な力を持っていますが)、無駄に、いたずらに(たわむれに)動物や植物を殺したり、むさ
ぼったり、奪ったりすれば天地精霊の精に、最期は裁かれるという、日本人とすれば、なじみやすい
(理解しやすい)、ある強い倫理(規範)に基づき、物語は進んでいきます。
 悪の精霊を退け、善の精霊と人間をつなぐ存在シャーマンたちはまじないや呪いの軽減、医術などで
実際的な力を持ち、部族の危機の度ごとに判断を仰がれ、首長の助言者として、各部族の運命を左右し
ます。主人公の二人や、他の登場人物を含め、基本的に、近代の人間のような考え方をしますが、また、
良質なジュブナイルのパターンで、正義と悪の対立と正義の勝利という道行きですが、それは物語とい
うことで。
 物語が進んでいく過程で、様々な伏線がふりまかれ、物語として読ませます。様々な試練と経験の中
で、レンというシャーマンの資質を持った女の子の悲しい出生の秘密や、主人公トラクという少年の父
や母の苦難と苦闘の物語がだんだんに明らかになっていき、すこしづつ育まれる彼らの友情と信頼、そ
して彼らの思春期の物語にもつながっていくのです。
 この本を読んでいろいろ触発されたことについて、このたび、当該、ミシェル・ペイヴァーの名著
「クロニクル千古の闇」と一緒に、当該舞台の一部になったと思われる北国の果ての地、アイスランド
(実際のモデルにもしたらしい。)に仮託しながら、現地の自然などを語っていきたいと思います。

ア JALについて
このたびのツアーは、JAL直行便で行けました。私の、乏しい旅行経験で恐縮ですが、今にして思えば
かつて利用したカンタス航空は決して悪い航空会社とは思いませんが、それ以外の外国航空会社に比
べて、JALのサービスの質は格段に違うと思います。外国の客室乗務員は肉体労働者(一般的に大変な
肉体労働だと思いますが)のような外見からしてそのサービスを想えば、当該航空会社の方針なのか、
時に旅客としての自分が「もの」にされたような気がする時があります。JALの方は、客室乗務員の外
見(?)はもちろん麗しい方ですが、そのサービスははるかに人間的です(もう一つの有力国内航空
会社は、エコノミークラスの客の扱いとの差で嫌な思いをしたことがあり、極力利用しません。)。私
見ですが、JALでは客と乗務員の見解が対立したかのように思えるときに、疑わしきは、客の利害にと
処するような態度が見て取れるからです。最近決してそれを皮肉に思わなくなったのですが、「思いや
りと察し」というのは、サービスを受ける方からすれば、やはりうれしいものです。JALと、客として
の利害が直接的に対立(事故など)すれば、ここまでいかないかもしれませんが、親切で、時宜を得た
ような対応を見れば、ついでに、日本人の国民性にまで思いが至ってしまいます。

 私は美食はしていない(経済的にできていない)人間ですが、率直に言って機内食はおいしいもので
した。11時間の往路の道中、食事と軽食とおやつがあり、妻と同行したので、洋食、和食と食事を交換
したのですが、和食はそれなりのわさびもちゃんと用意され、刺身を食す際、泡醤油(こぼれないよう
に泡立ててつけ醤油の代行をするもの)というのをはじめてみましたが、使えばおいしいものです。洋
食系は普段食べないのですが、このたびサラダの生野菜を食べてみて生の野菜のサラダは、切り方一つ
でこれだけ味が違うものかとびっくりしました。パプリカ、ルッコラとか、個々の野菜も十分に吟味さ
れています。私の普段食は、主食は、ほぼ豚肉使用野菜バリエーションですので、このたび食べた、フ
ィレ肉とか付け合せのエリンギにもちゃんと風味があり添え物と一緒で珍しくおいしい食事であり、レ
ンジ料理がどうの、とか苦情を言うつもりは全くありません。
 本来いけない人間の私は別にして、ビールからワインに切り替えた妻は、つまみ(例のJAL納豆です。
)をもらい幸せそうです。飛行コースは、直行便ということで、ロシアの上空から北部ヨーロッパへ向
かう早いコースで11時間くらいで到着するものであり、どうにか我慢が出来ました。いずれにせよ、旅
慣れた人のように機内で眠ることが出来ません。9時間の時差の後、あまり眠れないまま昼の13時にア
イスランドについてしまいました。

イ 到着時について
第一印象は風の国です。
山も見えない広々とした曠野(チェーホフが描いたような荒れ地を連想します。)を常時、強い風が吹
きわたっていきます。遮蔽物がないので、風を切る音が強く響きます。とても爽快です。
 あまりに索漠たる風景からなのか、道に沿って走れば丘陵のところどころに古びたブロンズ像や石像
が何とはなしに佇立しています。樹木はほとんどなく、時期的には晩夏ということで、紅葉した草草が
赤くなったり、黄色の色は少ないですが、あたり一面に群生して生えており、同時に、緑色の苔が一面
に繁茂しています。
 寒いのではないかと予期してましたが、メキシコ湾流の影響なのか摂氏10度の後半で、湿気もかなり
あるようです。空港から、市域(レイキャビク)までバスで30分くらいかかりますが、その荒涼たる景色
がとても気に入りました。
 空港からの移動は押しなべてバスですが、今回のような、添乗員(JTB)さん、つきの旅行は、きわめ
て久しぶりのことです。バスは、運転手と、現地のガイドさんがセットでつくようです。
 バスの中で、添乗員さんが、オリエンテーションを始めました。(後から聞いたのですが、彼女はモ
ズレム国家を行き来するツアーを主戦場にしたベテランのガイドさんで、JTBに数年前入りなおしたとの
ことであり、なかなかの女傑です。欧州ツアーなど彼女にはピクニックかもしれません。肉体的には大
変でしょうが、女性の添乗員はかなり有能で繊細またそれ以上にタフです。)
 アイスランドは北海道の約1.4倍の面積に33万人弱の国民しか住んでいないこと、人種的にはノルウエ
ー系(ヴァイキング系の血を引くもの)の人間が6割(私が観察した限りほとんど明るい金髪でした。)、
あとはケルト系が4割足らず、宗教はカルヴァン派のキリスト教、治安は極めて良いこと、などについて
説明がありました。また、北方の島国国家であり、多くの氷河が現存しますが、それほどの降雪は望め
ないので、スキー場などはほとんどない、国土はその気候と地味が痩せているため農業に向かない、漁
業と、羊などの牧畜が主要産業で、火山国家であり、電力は地熱発電と水力発電で賄い、暖房用の熱水、
飲料水(軟水)には事欠かず、温泉、公営温水プールなどが数多く設置され、したがって電気代等は安
いが、穀類、野菜などの生産できない農業用品は輸入に頼っているため極めて価格が高い、などのオリ
エンテーションがありました。