毎朝(通勤の)時間合わせとして、午前7時45分からNHKBSで放映される、日本縦断自転車の旅を見ています。最初は、朝から火野正平を見るのもなんだかなー、と思いつつ朝の支度をしながらみていましたが、そのワンパターンというか、繰返しの安定性いうか、日によって見入ってしまう
ようになってしまいました。私も、朝の番組の中途で出勤しますが、夜、朝の15分番組が、到着篇として、19時から30分で放映されます。また、午前11時ごろ、朝の番組を再放送するようです。
この番組は、視聴者が自分の故郷とか、若い時代を過ごして自分の記憶を去らない日本全国のそれぞれの場所とその風景に対する思い入れを、封書に託し、NHKに投書し、採用されたものについて、火野正平が、スタッフのカメラマンなどを含め総勢5名で、日本全国の県を順繰りに、ロードレーサ
ー(クロスバイク)というのか銀輪を連ね再確認するように立ち寄り、投稿者の記憶の場所を検証する番組です。
最初に、訥々(とつとつ)と、火野正平が手紙を朗読します。それは聴く側の視聴者にとってかなり恣意的に感じられる感想や思い込みであることは確かなのですが、中にはその思いの切実さが伝わるようなものもあります。私自身にとっては、幼児体験というか、幼児の際の遠い記憶について、そ
の手記に描かれた思い出に描かれる自然や風景や直接体験、そして当時の周囲の人たちとのいきさつにとても惹かれます。その手記で、そのところどころで異なった自然と、地域の人たちがどのようにそれに向き合っていたかということ、また自分がその中で家族とどのように過ごしたかを、連綿と綴
られています。実際には、本当につらい記憶は綴れないものかもしれませんが、しかし少々のつらい体験も、その後の歳月と体験によって乗り越え、その渦中で知らず知らず自らの倫理規定(?)が陶冶され、よりよく編集された人間の記憶もその中にあるのかもしれません。
殊に、老齢期にある人の手記が印象深かったのですが、敗戦で朝鮮から最初に内地(山口県長門市)に引き上げた長門の港で仮住まいをした話など、あらかじめ知っているその記憶を取り囲む地区の風土や父祖などからの昔語りにより当時の情景が思い浮かべられる場合は、想像力の力を借りればかな
りの度合いで、受感し共感できるような気がします。投稿者の幼児期のことでしょうから、その記憶は強烈ですが、その後つらい思い出なども昇華され、受け入れ易くなったのかもしれません。しかしながら、多くの思い出が、その時に周囲にいかに親切にされたか、という感興に満ちていることは、
その方にとっても喜ばしいことです。しかしながら、多くの手記で、その後の右肩上がりの日本経済の時代を経ても、決して楽な人生だけではなく、今も、生活者として、小休止の時期であり、少しほっとしながら、これから残人性をどう過ごすのかという、束の間の停滞時間とも思われます。
火野正平は、団塊世代らしく、加齢のせいなのか現在はスキンヘッドになっています。「女たらし」(?)として浮名を流したせいか、周囲から話しかけるおっさんやおばちゃんに対しても、若い女性、美人(?)に対する以外は極めて邪険に扱います。まあ、いい年の男として、それが自然かもし
れないと思える程度、本音で行動しています。全方位外交を強いられるNHKの番組とすれば、この対応はわざとらしい無理がなく、好感が持てます。通りすがりのあいさつも、自分の嫌なときは無視しています。道すがらに、よく柿とか、無主物に思われるような成り物も見つけますが、それだけは
さすがに倫理コードに触れるのでしょう、悪童の火野正平も決して手を出しません。かの悪童火野正平は、ずいぶん日焼けして健康的になっていますが、上り坂道を憎み(「人性下り坂」というキャッチコピーもあります。)、また高所恐怖症らしく川などに架かる高い橋を走ることを心底憎んでいま
す(笑えます)。一緒に写真を撮って欲しい、と要望された時はほぼ応じるみたいですが、美人(?)とツーショットでとるときは、昔マスコミにいじられたせいでしょうか、それへの皮肉からなのか「これで妊娠するぞ」とその相手を前にカメラに対し突っ込みます(彼のルサンチマンなのかね。)。
彼らの一行は、昼食を、あらゆる道沿いの食堂を頓着せずに使いますが、まだ地方にもこんな食堂が残っているのか、と心強いような時もあります。時間の止まったような自転車旅行者やNHKの取材は少ないせいか、どちらの食堂でもほぼ大歓迎です。先に、たまたま彼らが使ったとおぼしき食堂を旅先で見つけましたが、「こんなところで・・・」というのが妻の感想でした。
様々なバラエティ番組で、とおりすがりの家族と、台本なしに話し、行動しハプニングを狙うというパターンがありますが、この番組がそれと一線を画すのが、視聴者が自分自身の過去を対象化し、文章化して振り返る、という行為です。
それは、大変個人的で些末なエピソードでもあり、必ずしもすべてが他者に感動を与えるものではありませんが、私にもこんな人性があった、ということが、他者である視聴者にもそくそくと通じるような瞬間があります。私にとっても、人間とは、生まれまたそだった自然・風土にこれほど強く拘束されるものだなあ、と、時に強く感じられます。それは快い体験であり、見るものに内省を強いる瞬間でもあります。
(どうも結構人気があるらしい)この番組にも、一定の根強いファンがあるのは、時に書き手の切実な記憶と意図が時間の流れなどで埋没したり打ち砕かれる場合があり、書き手の代わりに他人がその体験を追体験しようとするその一方通行の距離の置き方と、また、実際に尋ねた場合は否応なく現実に対面しなければならない、という冷静な厳しい意味が、楽しい中にも、みるものにも痛みを以て受感されるからであるのかもしれません。
本日(月曜)は、一週間の先触れ篇です。手記を募集しても実際には行かない場所もあるらしく、それなりに印象的な手紙がいくつかあります。今日もまた、あわただしい中でついまた見てしまいました。
(実のところ、旅先で、火野正平さんの家族に会ったことがあります。
先にお盆休みに、ハワイのマウイ島に行った際、地元の小さなショッピングモールでベンチで休んでいると、親子3人家族らしき連れに出会い、妻が「あれは火野正平」よ、「声でわかるもの」と、横からつつくので、みるとはなしに彼らを横から見ていると、「パパ、あの服買っていい」と娘らし
き人が、少し離れた火野正平に話しかけ、取り持った妻らしき人が、「パパは、買っていいって言ってるわよ」と返します。まだ、若いきれいな娘さんですが、組み合わせといい、どうも(愛人二人ではなく)本当に仲の良い親子みたいでした。そこが、火野正平さんの真骨頂で、もろに日本人に見えるこちらに対しても、「わかるかなー」とひそかに伺っているようです。結局、純粋にオフらしいので、私からは、話しかけませんでしたが。スターだからなのか、なかなか自意識が強いというか繊細な人でした。 )
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H27.11.23
「人性下り坂」は不完全な引用でした。
「人性下り坂、最高」というキャッチコピーでした。謹んで訂正させていただきます。
知人が、「火野正平って、嫌いなの?」と聞きましたので、「もちろんそんなことはありません。」と答えました。
ただ、あの番組で、彼があの番組で見せる、諦観というか、大俳優(?)であることを断念したあきらめ(?)とゆうか、それゆえの静謐(せいひつ)さみたいなものが、見るものに、「自分もこうなるしかなかったな」という感興を掻き立てるようになっています。
実際のところ、火野正平さんは、そのように、余人を以て代えがたい、とてもはまり役です。
また、通りすがりに、たとえ無視されても、手を振りたくなる様な、番組全体に親しみを感じています。
以上追加させていただきます。
ようになってしまいました。私も、朝の番組の中途で出勤しますが、夜、朝の15分番組が、到着篇として、19時から30分で放映されます。また、午前11時ごろ、朝の番組を再放送するようです。
この番組は、視聴者が自分の故郷とか、若い時代を過ごして自分の記憶を去らない日本全国のそれぞれの場所とその風景に対する思い入れを、封書に託し、NHKに投書し、採用されたものについて、火野正平が、スタッフのカメラマンなどを含め総勢5名で、日本全国の県を順繰りに、ロードレーサ
ー(クロスバイク)というのか銀輪を連ね再確認するように立ち寄り、投稿者の記憶の場所を検証する番組です。
最初に、訥々(とつとつ)と、火野正平が手紙を朗読します。それは聴く側の視聴者にとってかなり恣意的に感じられる感想や思い込みであることは確かなのですが、中にはその思いの切実さが伝わるようなものもあります。私自身にとっては、幼児体験というか、幼児の際の遠い記憶について、そ
の手記に描かれた思い出に描かれる自然や風景や直接体験、そして当時の周囲の人たちとのいきさつにとても惹かれます。その手記で、そのところどころで異なった自然と、地域の人たちがどのようにそれに向き合っていたかということ、また自分がその中で家族とどのように過ごしたかを、連綿と綴
られています。実際には、本当につらい記憶は綴れないものかもしれませんが、しかし少々のつらい体験も、その後の歳月と体験によって乗り越え、その渦中で知らず知らず自らの倫理規定(?)が陶冶され、よりよく編集された人間の記憶もその中にあるのかもしれません。
殊に、老齢期にある人の手記が印象深かったのですが、敗戦で朝鮮から最初に内地(山口県長門市)に引き上げた長門の港で仮住まいをした話など、あらかじめ知っているその記憶を取り囲む地区の風土や父祖などからの昔語りにより当時の情景が思い浮かべられる場合は、想像力の力を借りればかな
りの度合いで、受感し共感できるような気がします。投稿者の幼児期のことでしょうから、その記憶は強烈ですが、その後つらい思い出なども昇華され、受け入れ易くなったのかもしれません。しかしながら、多くの思い出が、その時に周囲にいかに親切にされたか、という感興に満ちていることは、
その方にとっても喜ばしいことです。しかしながら、多くの手記で、その後の右肩上がりの日本経済の時代を経ても、決して楽な人生だけではなく、今も、生活者として、小休止の時期であり、少しほっとしながら、これから残人性をどう過ごすのかという、束の間の停滞時間とも思われます。
火野正平は、団塊世代らしく、加齢のせいなのか現在はスキンヘッドになっています。「女たらし」(?)として浮名を流したせいか、周囲から話しかけるおっさんやおばちゃんに対しても、若い女性、美人(?)に対する以外は極めて邪険に扱います。まあ、いい年の男として、それが自然かもし
れないと思える程度、本音で行動しています。全方位外交を強いられるNHKの番組とすれば、この対応はわざとらしい無理がなく、好感が持てます。通りすがりのあいさつも、自分の嫌なときは無視しています。道すがらに、よく柿とか、無主物に思われるような成り物も見つけますが、それだけは
さすがに倫理コードに触れるのでしょう、悪童の火野正平も決して手を出しません。かの悪童火野正平は、ずいぶん日焼けして健康的になっていますが、上り坂道を憎み(「人性下り坂」というキャッチコピーもあります。)、また高所恐怖症らしく川などに架かる高い橋を走ることを心底憎んでいま
す(笑えます)。一緒に写真を撮って欲しい、と要望された時はほぼ応じるみたいですが、美人(?)とツーショットでとるときは、昔マスコミにいじられたせいでしょうか、それへの皮肉からなのか「これで妊娠するぞ」とその相手を前にカメラに対し突っ込みます(彼のルサンチマンなのかね。)。
彼らの一行は、昼食を、あらゆる道沿いの食堂を頓着せずに使いますが、まだ地方にもこんな食堂が残っているのか、と心強いような時もあります。時間の止まったような自転車旅行者やNHKの取材は少ないせいか、どちらの食堂でもほぼ大歓迎です。先に、たまたま彼らが使ったとおぼしき食堂を旅先で見つけましたが、「こんなところで・・・」というのが妻の感想でした。
様々なバラエティ番組で、とおりすがりの家族と、台本なしに話し、行動しハプニングを狙うというパターンがありますが、この番組がそれと一線を画すのが、視聴者が自分自身の過去を対象化し、文章化して振り返る、という行為です。
それは、大変個人的で些末なエピソードでもあり、必ずしもすべてが他者に感動を与えるものではありませんが、私にもこんな人性があった、ということが、他者である視聴者にもそくそくと通じるような瞬間があります。私にとっても、人間とは、生まれまたそだった自然・風土にこれほど強く拘束されるものだなあ、と、時に強く感じられます。それは快い体験であり、見るものに内省を強いる瞬間でもあります。
(どうも結構人気があるらしい)この番組にも、一定の根強いファンがあるのは、時に書き手の切実な記憶と意図が時間の流れなどで埋没したり打ち砕かれる場合があり、書き手の代わりに他人がその体験を追体験しようとするその一方通行の距離の置き方と、また、実際に尋ねた場合は否応なく現実に対面しなければならない、という冷静な厳しい意味が、楽しい中にも、みるものにも痛みを以て受感されるからであるのかもしれません。
本日(月曜)は、一週間の先触れ篇です。手記を募集しても実際には行かない場所もあるらしく、それなりに印象的な手紙がいくつかあります。今日もまた、あわただしい中でついまた見てしまいました。
(実のところ、旅先で、火野正平さんの家族に会ったことがあります。
先にお盆休みに、ハワイのマウイ島に行った際、地元の小さなショッピングモールでベンチで休んでいると、親子3人家族らしき連れに出会い、妻が「あれは火野正平」よ、「声でわかるもの」と、横からつつくので、みるとはなしに彼らを横から見ていると、「パパ、あの服買っていい」と娘らし
き人が、少し離れた火野正平に話しかけ、取り持った妻らしき人が、「パパは、買っていいって言ってるわよ」と返します。まだ、若いきれいな娘さんですが、組み合わせといい、どうも(愛人二人ではなく)本当に仲の良い親子みたいでした。そこが、火野正平さんの真骨頂で、もろに日本人に見えるこちらに対しても、「わかるかなー」とひそかに伺っているようです。結局、純粋にオフらしいので、私からは、話しかけませんでしたが。スターだからなのか、なかなか自意識が強いというか繊細な人でした。 )
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H27.11.23
「人性下り坂」は不完全な引用でした。
「人性下り坂、最高」というキャッチコピーでした。謹んで訂正させていただきます。
知人が、「火野正平って、嫌いなの?」と聞きましたので、「もちろんそんなことはありません。」と答えました。
ただ、あの番組で、彼があの番組で見せる、諦観というか、大俳優(?)であることを断念したあきらめ(?)とゆうか、それゆえの静謐(せいひつ)さみたいなものが、見るものに、「自分もこうなるしかなかったな」という感興を掻き立てるようになっています。
実際のところ、火野正平さんは、そのように、余人を以て代えがたい、とてもはまり役です。
また、通りすがりに、たとえ無視されても、手を振りたくなる様な、番組全体に親しみを感じています。
以上追加させていただきます。