天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

吉本隆明の言葉と「のぞみなきとき」のわたしたち(瀬尾育生)に係る読書ノート その1

2015-06-28 10:15:37 | 読書ノート(天道公平)
 本日は、昔からフォローワー(便利な言葉ですね。)を続けてきた内のひとり、瀬尾育生さんについて触
れたいと思います。
 彼は小浜逸郎さんとは少しスタンスが違い、直接敵に、ポスト3.11について、真摯に語っている人でもあ
ります。
 当時、この本は、我々に対する「状況への発言」と読みました。東京圏の人の意見もなかなか伝わりませ
ん。西日本も、まだらのうちです。
 また、この本は、質問者の佐藤幹夫さんに、瀬尾育生さんが答える内容となっています。
 是非、原著に触れられることを強く勧めます。

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吉本隆明の言葉と「のぞみなきとき」のわたしたち(瀬尾育生)に係るレジュメ(P45まで)
                     その1

*時間と場所で色合いを変える「3.11」言説

 関西圏などでは他人ごとではないのか。
 3.11直後、意識の誤差やずれが生じていた。
 社会的な、生活的なというより、「存在的な」打撃だった。
 メルトダウン(炉心崩壊)が予測され、逃げるべきか、とどまるべきかの選択をせまられた。(私註:村上
龍も同様のことを言っていたと思います。)
 その選択は、①生活の基盤がそこにあったかどうか、②周りの人が逃げないのに逃げられない、ディグニテ
ィ(尊厳)の問題(踏みとどまるという)、があった。
  EX)全共闘の時のバリケード内の問題(怖ければ逃げてしまう。)
   逃げずに済むものなら逃げない方が良かった。

 原発に近い人には、別の選択がある。地域的な「まだら」の問題、時間的な「まだら」の問題、があった。

*高度成長と「東北(地方)」という問題

 なぜ東北だったのか?という問題
 太古の昔からの繰り返し(「カネ・人・もの・資源・情報」を大都市圏に集中する。)
 都市圏のキーワード、「少子高齢」、「限界集落」、「貧困・格差」、派遣切り、正規・非正規」、・・・
・おしなべて、60年、70年の東北での恒常的な現象高度成長期に、都会の繁栄や豊かさは地方(東北)の衰退
に依存していた
  EX)原子力発電所問題
      原発はとめろ、汚染物質は一切持ち出すな、しかし都市生活の快適さと安全性は確保せよという
    (身勝手な)論理(まったく市民主義ですねー)

*まだらと「均質化」という問題

 意識状態の正常さのレベル自体が、社会の恒常性、定常性を想定しにくいレベルで来ている。
 加齢によるまだらボケ、世代による思惟の落差
 空間的な不均衡
 福島被害は、必ず西に生じる不均質
  EX)テェルノブイリは、被害をモスクワに及ぼさないため、ベラルーシで雨にした。

  顕在化した不均質は、経済・産業・経済構造、ましては個人や世代地方性に還元できない。大規模な人類学的な事態の
 象徴である。・・・放射能の飛散がなくとも、理不尽な「まだら」がどこにでもある。
  あるときから自己責任みたいな理念がいわれ格差はあえてつくられるようになり、(国際的な安定状態は作ることがで
 きるようになったけれども)世界ではあえて不均質が作られ緊張状態が作られ、敢えて殺戮は行われる。その場合の、格
 差や差別や対立はかつて自然発生的にできていたものとは一味違う。
  それは、メディア的な均質や、技術的に強制される均質さに、現実の実存的な、フィジカルなファクターが二枚重ねに
 なった時に現われてくる構造的な不均質であって、そういう動向を測定しようとすれば、テクノロジーとか金融市場とか
 の最高レベルが加算されなければならない。
  個々人が、あるいは個々の共同体が避けたいと思っても、そのことが人類的に選択されている。今回の原発事故はそう
 いう世界段階の象徴であって、倫理とか人間の主体的判断によって対処されるものではない。

  地方のなかにもまだら状、都市へのあこがれ「繁栄」、「一億総中流」、などがあったが、階層化された地方では、山
 村や僻村のように、「限界集落」、「消滅集落」がすでにあった。
  また、都市の中での「地方」は、「山谷地区」(東京)、寿町(横浜)、「釜ヶ崎」(大阪)であった。
   EX)都市住民に対する「ホームレス」、「貧困生活者」
      健常の中の「障害」、「発達障害」

 (格差や、差別という問題は、)文明的に、人類的に、構造的に不可避という面がありはしないか。神経症的な、平等、
 均質、への志向と、経済的な実態、動かしようもない、物理的・地理的条件などを重ね合わすと、全体が干渉しあって錯
 綜したまだら模様が出現する(ピリピリしたものすごく嫌な時代になっている)。

*「人類」の終局の課題に直面し始めている

 このような状況に言及しないで、ツイッターが言論の機会を平等にするなどとは馬鹿話である。現在では無意味に近い、
民主主義の理念を、テクノロジーの有無を言わさぬ強制的均質化につなぎ合わせているだけである。(私見:例えば、
  「アラブの春」、「ウクライナの問題など)
 人間は、強制的な均質化に対して、倫理にも意思にもよらない、オートマチックなリアクションとして、個人としてより
は人類として、いたるところに微細な格差や差別を作っている。平穏のなかに悲惨をあえて作っている。(私見:例えば、
宗教国家などの国民生活に対する締め付け、抑圧など)
 技術の問題は人間の主体にも、政治にも、権力にも帰属していない。まさに、そういう意味で、人類に帰属している。
  
 現在でも唯一絶対的な解はないと考えられている問題は多い。
 たとえば、「地球温暖化の問題」
  意見の対立があり、しろうとでは判断できない。
  ただし、もしそうならばということであれば、考察を行っておく必要がある。
  EX) 炭素会計入門(橋爪大三郎)

 現在では、「放射能汚染」の問題がある。

  しろうとは、勘で判断する。
  専門家の悪いところは、わからないということを言わない。
  人類が全体としてどうなるかは、なるようにしかならない。個人として、悪くなるかどうかは、「運」次第である。
 技術の問題は基本的にそれだけである、と思う。
  倫理は介在しない。
  本質的になるようにしかならないものを、わかっているようにしゃべったり、個人的に倫理的責任を謝罪してみたり、
 誰かを悪人として仕立て上げそれを告発したりすることが、無責任だし、倫理的に悪だと思う。正解はない。正常もない。
  聞き手(佐藤幹夫)が、いうように、汚染された世界を後世に残す、とか子供たちに申し訳がないとか、いうことに
 ついて、(瀬尾は)自責として自分で考えることはない。原理的にそうでない筈だ。
 (私見)この論理は、全盛期の(?)吉本からもらったものだと思います。晩年は、「オーム問題」や、「大衆問題」
   に執着し、バイアスがかかる以前の吉本です。大変に明快でハッとします。また、どれだけこのように明快に答え
   る人がいるのか、と思ってしまいます。倫理は、いつの時代でも、正しいような顔をして、人をからめ捕るのです。
    できれば、我々も、自分を律したいものです。
 
*文学者が「反省」すること-----加藤、村上(春樹)両氏の発言をめぐって

 加藤、村上(春樹)の主調音は、「取り返しのないことをした、深く反省し、自分の考え方の方向を変えなければなら
ない」ということだった。
 核エネルギーに対して、漸進的に「廃絶」という理念を打ち出しているように感じた。そこには、何か根本的な態度変
更があるように感じた。

 「「反核」異論」の時代(80年代の初め)、一番の前提は、核の「廃絶」などというものは、原理的にありえない、と
いう共通了解だったと思う。核「廃絶」は、ありえない理念だ、架空の、あえて言えば虚偽の理念だ、そういう理念から
普遍的な倫理を作りだすことは誤りだ、ということだったと思う。それが、今回、核兵器でなく、原発の問題として語ら
れだした。しかも、それを動機付けているものが、ある倫理的な負荷のようなものとして語られる、それに、とても戸惑
う。
 (私見:最初に、福島原発事故の際に、広島反核兵器反対団体から、原発指弾の論調がでて、「あほかお前らは(お前
   らは兵器と道具の区別もつかんのか。バカの便乗主義)」と思ったのが、私の実感でもあります。現地で、技術者
   大衆が、天災の後始末に必死で取り組んでいる中で、(今では、「反戦、反核」というシュプレヒコールがその実
   態ですが)、バカで、安い、始末に困る市民主義の末路を見たように感じたからです、この論理に異和をもたない
   者が、国民の過半数を超えたら、日本はどうなるのか、と思いました。しかし、後で述べられる村上春樹も(ノー
   ベル賞候補作家のバリバリの文化人であったはずの)同様なことをいっている。これは、彼の小説も駄目になって
   いく兆候ではないかと、思いました。)

 加藤の論理・・・核技術そのものは廃絶不可能だが、原発は廃絶できる。

 村上春樹の行き方・・・問題を不当に倫理的に追い込んでいる。広島・長崎においても、今回の震災においても、我々
  は被害者であると同時に被害者である、と倫理的なカテゴリーを超えるものを無理矢理、不当に倫理に追い込んでい
  る。このようなものの言い方の嘘に一貫して敏感だったのが、これまでの村上文学だった。

 こういう嘘は、敗戦後、60年安保後、全共闘後あらゆるところで聞いた。
 それは、言葉の本質を決して言わない、倫理的な人間であるように見せようとするだけである。
 文学というものは、本質的に世界は破滅してもいいという自由を常に確保しているべきものであるし、それは最初から
村上春樹の文学の中には明確にあったはずである。今回は核エネルギーの廃絶に向かう倫理を作るのに文学者は参加でき
るはずだ、と言っている(私見:ほとんど、80年代の反核署名文学者、大江健三郎、昔の高橋和己と同じですね。小林秀
雄を引くまでもなく、自分の文学者の側面を離れたら、唯の人(凡人であることもありうる)であるという、自明の前提
を意識化できないことにおいて。)。
 更に、村上春樹は、効率性を批判している。「こうなったのは、効率を選択したからだ」、と。もし、「効率」が選択
可能であれば、この言い方は成り立つかも知れないが、生活感覚からいえば、個人的には携帯もパソコンもない世界に生
きたいとは思えない。(私的揶揄:今後、村上はパソコンで書かずに、ペンか鉛筆で小説を書くのか?それすら供給がな
ければかけないだろうに。)
 こうなったのは、無批判に、携帯もパソコンも受容し、享受したためか、われわれが意志して、効率至上主義を反省し
ていれば高度資本主義にならないし、金融商品市場に左右されない世界になったのか、そんなことはあり得ないことであ
る。
 村上は、もともと人間の意志的な選択でないものを、人間の選択に追い込んで、現実でありえない倫理を作り出してい
る。
 一般的にいって、文学者はもともと時代の固有性の限定の中で仕事をしている。この限定があるから、その時代の歴史
的な必然を体現することができる。その限定がないのなら、文学というものははじめから成り立たない。
 だから、自分がやって来たことが間違っていた、とか、いま状況が変わったから態度を変える、と言った過去への言及
の仕方は、文学者にはあり得ない。
 小林秀雄は、戦後になって、「・・・・・俺は馬鹿だから反省などしない」といった。
 どんなに心が痛んでも「反省しない」と発言することで、思想や文学のための場所を断固として確保した。
 文学者は反省する必要はない。かつてと同じ構えで、同じ自分の存在を賭けて、今いえることをただいえばいい。
 かつての考えは間違っていたと「言う」とか、反省すると「言う」のは誠実に見えるかも知れないが、一人の文学者と
すれば、自らの過去を切断すると同時に、これから自分がいうことも、いつ反省して変更するかも知れない、ということ
になる。これは一人の文学者としてとても危険なことだと思う。
 大きな発言力を持った人には必ずフォローワーがいる。
 フォローワーたちは、ある文学者や思想家が言っていることを頼りにして、自分の言論を組み立てていく部分が必ずあ
る。
(私見:確かに、3.11を経て、私は、吉本や小浜や竹田青嗣、橋爪大三郎の状況論を懸命に探した覚えがあります。この
瀬尾の評論は、私が承知おいている中で最も興味深いものの一つでした。)
 その人が、それまで誰も開いたことがなかった思想の地平を切り開いて見せたとすれば、歯を食いしばってもその場所
を動かないでいてもらいたい。決して軸足の位置を動かすようなことをして欲しくない。僕たちはそれを支えにしている。
思想家とか文学者とかはそういう存在だと思う。


日本の七大思想家(小浜逸郎)(吉本隆明)その3

2015-06-27 20:58:52 | 読書ノート(天道公平)
   吉本隆明(1924~2012)                        その3

Ⅷ 共同幻想、対幻想、自己幻想について
 主著といわれる
 「言語にとって美とは何か」(以下「言語美」という。)(1965年)

 「共同幻想論」(1968年)
   方法論として、人間の幻想(観念)領域の問題を、共同幻想、対幻想、自己幻想の三つの軸に基づいて考察する、
   というものである。
    共同幻想 複数の人間が何らかの観念によってよりあつまり、一定の言語活動や行動を行うとき、その統一
     性を作っている観念を指す。したがって、大は国家から、小は小さなサークルに至るまで、あらゆる集団(家
     族、夫婦関係、恋人関係は除く。)のまとまりの原理をそう呼ぶと言って差支えない。
 
    対幻想 ところが、同じ集団原理でも一つだけ例外があって、性の観念を原理としてまとまりを作った場合は対
     幻想と呼ばれる(家族、夫婦関係、恋人関係を媒介する観念はこれに属する)。

    自己幻想 文学や芸術などの観念世界を形作る原理を表す。
 
   重要事項として、「共同幻想」と「対幻想」、「共同幻想」と「自己幻想」とは、必ず、「逆立」の契機を持つ。「逆
  立」とは、たとえば対幻想の現象形態としての「家族」の共同体は決して順接で「国家」の共同性につながらず、それぞ
  れの原理の違いからくる「よじれ」が必ず出現する。

   戦前の思想「家族国家論」(臣民は陛下の赤子)に対する原理的な否定のモチーフ、国家と家族を原理の段階から、裁
  然と分かつ思考は、極めて適切(小浜逸郎)な発想と考える。

  当時 (唯物史観に基づく)理論が幅を利かせ、
   マルクス主義国家論 国家はそれぞれの時代の社会経済構成からの反映及びその逆作用
   マルクス主義芸術論 当該社会のいきいきとした現実の描写が未来社会(共産社会)の発展に寄与することで意味があ
    る(私註:スターリン時代の社会主義リアリズム、当時、芸術には芸術的価値しかない、と誰も言わなかった。)

  この2つの流れに戦いをいどみ、国家は、経済社会領域からの幻想領域の自立性の主張、文学に政治的役割を押し付ける運
 動に抗した。いずれも、<人間の観念領域の、社会的現実からの相対的な自立>という観点を原理的な抑えにしている、ことが
 共通している。

◎共同幻想論の難点
 ア「自己幻想」なる領域の存立可能性の危うさ。この軸を基底に共同幻想や対幻想と並立的にかつ自立的に立てようとする発
  想は、(人間をあくまで関係的な存在として理解する私(小浜)にとって納得しがたい。あらゆる幻想(観念)は個人の身
  体を通過点又は宿り場所として考えていいが、それはまた複数の人間に何らかの意味で通底することによってはじめて一定
  の幻想(観念)足りうる、と考える。その意味で、他の2つと同じ論理的資格としては成り立ちようがなく、吉本用語をあ
  えて使えば、対幻想と国家幻想の織り成す世界しかない。
 イ 主として国家の本質をさかのぼることによって見透かし、そうすることで国家の存立基盤そのものを相対化するという方
  法をとっている。どこかで重なりあう契機が存在したはずだ、という自問に自ら苦しめられ、普遍性を持つとは思えないよ
  うな自答を導き出している。


 A 吉本は社会的共同性(共同幻想性)そのものを「悪」と考えてしまっている。

  人間は本質的に関係存在であると同時に観念を紡ぐ存在である。そうであるかぎり、人間同士が何らかの社会的かかわりを
 形成するためには、必ず何らかの社会的かかわりを形成するためには、必ず何らかの共同幻想を媒介としなくてはならない。
  ということは、あらゆる社会的共同体は「共同幻想」を基礎として成り立つといいかえても同じであるかぎり、「共同幻想
 自体の消滅」などはあり得ないし、もしあっても困るのだ。
  現在の私たちにとっては、国民国家形成の歴史的必然性を承認しつつ、より良い社会的共同性とは何かについてたゆまず思
 索を深める課題が残されている。
  (私註:橋爪大三郎(東工大教授、社会学者、東大全共闘世代)においても、国家=悪、という共同幻想のとらえ方につい
 ては、吉本思想に疑問を表明しています。書かれているように、(私もいまになったら言えます(時代的な底上げ状況に拠っ
 てです。)が、)吉本も戦争期の体験において、丸山とはもっと違った形で、しかし、バイアスのかかった見方が、同様に通
 底しているのかも知れません。しかしながら、学生時代の「反帝・反スタの運動」は、当時のスター(?)埴谷雄高もご同様
で、共産主義社会においての「国家の死滅」ということを大きなスローガンにしていたように思います。)

   
Ⅸ 言語本質論に隠された吉本思想の孤独さ

「言語にとって美とは何か」(以下「言語美」という。)(1965年)

 言語美は、言語芸術としての文学をどのように客観的に評価したらよいかという批評的な問いに答えるための原理の
提出を革新的なモチーフとして書かれている。
 進行は、
  言語の本質(発生・進化)
  言語の属性(意味・価値・文字・像など)  から説き起こす。
   
   言語本質論からの出発がきわめて魅力的で大きな思想的スケールを与える力となっている。

 言語の本質・・自己表出と指示表出との二重性  
 <この人間が何事かを言わなければならなくなった現実的な与件と、その与件に促されて現実的に言語を表出するこ
  ととの間に存在することとの間にある千里の径庭を言語の自己表出と想定することができる。自己表出は現実的な
  与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、もはや意識の内部に幻想の可能性として想定できるにいたっ
  たもので、これが人間の言語の現実離脱の水準を決めるとともに、ある時代の言語の水準の上昇度を示す尺度とな
  ることができる。言語はこのように、対象に対する指示と、対象に対する意識の自動的水準という表出という二重
  性によって言語本質をなしている。>(吉本隆明)

 a 人間の観念構成力や、b 現前している知覚世界とは次元の異なる「非在」のもの想像する力とかを、言語成立の条
 件として補足しており、言語の本質規定として足りているものである。(小浜の見解) 

 (時枝誠記の国語学(言語過程説*)から出発しながら、しかも時枝の「意味論」を退けて)その延長線上で言語の」
 「価値」と「意味」をとらえ、言語の「価値」と「意味」は、「自己表出」と「指示表出」との二重性であり、「言語
  の価値」とは、「意識の自己表出から見られた言語構造の全体の関係」、「言語の意味」とは、「意識の指示表出か
 ら見られた言語構造の全体の関係」と本質規定を位置づけた。
  *時枝誠記の国語学(言語過程説)の註
   ソシュールの言語観は、言語を音声と概念の一体化した既存の社会的実体のようにみなすものであるが、話し手
  (書き手)から聞き手(読み手)への現実的・物理的過程より前に、そういう実体的なものは存在しない、という
   時枝の持論

 ある言語の「意味」を読み取ろうとすることは、ただその言語が記号的に指し示す「内容」機械的に指し示すだけで
なく、どんな場合においても(格別の文学表現でなくとも)、同時にその言語の示す指示表出性(表現主体の思いの高
さ・強さ・深さ)をも展望することでもある。
 また、「価値」を量り取ろうとするのは、何がどんな広がりをもってどのような仕方で指示されているかという探索
作業を抜きにしては不可能である。

 ◎それでは、言語美の突き進んだ方向に問題はなかったのか?
  吉本の「自己表出」概念への過度の固執傾向は
  「自己表出-指示表出の二重性」としてつかまれた本質規定を、「文学言語-生活言語」の対立関係の理解に連続さ
  せてしまっている。

 <言語は意識の表出であるが、言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめて完全な意味で生まれるの
  である。文字に書かれることによって言語表出は、対象化された自己像が、自己の内ばかりでなく外に自己と対話す
  るという二重の要素が可能となる。>(吉本)

 文字は音声言語に比べて、外的表現としての空間的な定着性と拡張性、また、記録として残る時間的永続性を持つとい
う意味で、「外に自己と対話する」可能性を大きく広げる。・・・それは相対的な「効果」の問題である。

 文字がなくても(音声だけでも)、「対象化された自己像」は存立する。
  例えば、「お前を処刑する」という音声による宣告は、判決文がなくても、聞き取りの過程(理解)により、「対象
 化する自己像」を持つし、「外に自己と対話する」過程を必然的に要請する。
  録音技術の発達した現代では、書き言葉よりむしろ記録された音声言語の方が、発語者の「真意」は何かという探索
 に対し信憑性が高い。
  音声言語が、そのやり取りが行われた直接的な生活文脈と発語者の身体性
 との関係を保存するからである。
   EX) 「さあ、修行するぞ、修行するぞ」 (浅原彰晃)
   (私見:浅原彰晃に過剰に感情移入した、吉本に対する皮肉です。音声言語は発語者と受けとる側を、社会的関係
     性が強く拘束しているということだと思います。現代のスキャンダルの数多くが、失言とか、不用意な言動に
     端を発することは例の多いことです。しかしながら、文字に表すことは、自己の対象化として自己との対話の
     要素が小さくないぞとも思われます、あらゆる表現者において、これも重要な要素です。)

  発達した現代社会においては「書き言葉」と「話し言葉」とは、その作法が全く違うから、受け手の「効果」も違っ
  てくる。
   いかなる文字表現も「読まれる」ことを媒介にしなくては、言語表現としての使命を達成できないのである。
  

  文学言語の批評基盤を確立させたいという「言語美」の論述は、これ以降、その強い動機によって、簡単に言えば、
 次のような強引な図式論理に拘束されることとなる。(言語美のその後の記述ベクトルは明らかにこの図式に従ってい
 る。)

   自己表出 → 文学言語 → 書き言葉

   指示表出 → 生活言語 → 話し言葉

  これはおかしい。「自己表出」概念が「何事かを言わなければならないと感じた時に思わずこぼれざるを得ない主体
 の表出意識の高さ」を意味するとすれば、日常生活言語において自己表出性が不断に、しかも頻繁に使われるのは当然
 である。

  また、生活言語という概念を話し言葉に追い込むのも強引であって、私たちは日常の業務報告なども合理性によって
 文書で行っている。(味もそっけなさもない利便性がむしろ良い。)・・・自己表出性が最低限に抑えられている
  世界史においても、どの民族の文化も口承文芸(歌、説話、神話、叙事詩、物語など)の伝統を長く保持してきた。
  文字を持った時、言語は単なる創造的「表出」の次元よりも高次の「表現」としての水準を「初めて」獲得したこと
 により二重化したという、「進化論」的な把握はさしたる根拠はない。

  そもそも、言語の本質が自己表出と指示表出の二重性として捉えられたはずなのに、その二項の一方をある言語様式
 にふり分けることができるという考え方自体が、せっかくの優れた本質規定を自ら破ってしまうこととなる。
  それでは、吉本の言語本質過程には何が欠けていたのか?
  言語の本質を、「自己表出と指示表出との二重性」ととらえたことは正しいが、その二重性を、「「書き言葉」と
 「話し言葉」の二重性」としたのは無理があった。
  (時枝の言語論にはかろうじて保存されていて)吉本の言語論に欠落していたのは、言語とは、発話と受話のやり取り
 の過程そのものであって、受話そのものが主体の言語行為であるという視線である。そしてこの欠落は、彼が言語論を構
 築しようとした動機と表裏一体の関係にある。
  彼のうちたてた、自己表出という概念は、ほとんどもっぱら、発語者(他動的な表現者)のそれとしか考えられていな
 い。

  <書き言葉は言語の自己表出につかえる方に進み、話し言葉は言語の指示表出につかれる方に進む≻ といったような強
   引な引き寄せの論理がでてくる。

 おそらく、吉本は、
   書き言葉としての文学言語による感動が何に由来するかを根拠づけたかった。
   そしてその動機に剥離しがたく結びついていたのは、文学が「自己幻想」や「個体の幻想」の所産であって、「共同
  幻想」からは絶対的に自立した(逆立する)領域の作業の結果であるという固定観念である。
   (私見:ヘーゲルにおいて「胸の騎士」の段階を連想してしまいます。青年期の病いと言ってしまえばそれきりにな
     ってしまいますが、夜中に、それこそ  本に線引きしたり、ノートを取ったりしながら、孤立と孤独を糧とし、
    「私だけ真理につかえている。」とか、「人類の正義のために勉強したい」というのは、十分に共感できるところ
    です。またその営為は何をも保証しないことも、苦い「真実」ですが。)

 (見解)小浜
   ここに私は、吉本思想の本質的な孤独さと、それゆえの内閉性を見る。
   「自己表出と指示表出の二重性」という彼の言語本質論は、はじめから、「文学表現としての書き言葉」こそは自己
   表出性の高みや深みや力の純粋の実現であると考える隠された発想に強く色づけされていた。

   吉本の強烈な思想体質の淵源は、戦争体験における「身近な死者たちに対する深い負い目意識と羞恥」にあり、そこ
  からかもされる一種独特な孤独さと執念は、我々の想像を絶するところにある。
   私自身は、ご多分に漏れず、全共闘世代の一員として、吉本思想の影響を強く受けてきた。そして、私淑と懐疑のな
  いまぜになったアンヴィヴァレントな心理状態の期間を長く閲するのち、オーム真理教事件によってついにその呪縛から解き
  放さざるを得なくなった。

日本の七大思想家(小浜逸郎)(吉本隆明)その2

2015-06-26 06:00:56 | 読書ノート(天道公平)
 引き続きよろしくお願いします。
 編集が悪く読みにくいのをお詫びします。
 現在、家パソコンとタブレットでテェックしてますが、うまくいきません。
 いずれもう少し進化しますので、よろしくお願いします。

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          吉本隆明(1924~2012)
                              その2

Ⅴ 現在状況に対する過剰なサービス精神

   1975年あたりから  経済成長を基盤として、急激に、生産分野、消費分野、個人生
     活、教育水準、文化領域などあらゆる部門で急激に豊かになり、バブル期にの
     ぼりつめていった。
   1980年代  ソ連をはじめ社会主義国で経済的行き詰まりを見せ
   1989年 ベルリンの壁が崩壊、中国の天安門事件(過酷な武力鎮圧を行い、以
     後、市場経済導入により経済立て直しを図る。)
   1991年  ソビエト連邦解体
     社会主義幻想は崩れ、40年続いた冷戦構造は終了した。

 これらの過程の中で、国内でも「革命」神話を信じる人はいなくなり、「前衛」や同伴知識人((EX)
山田洋次、井上ひさしなど)、進歩的リベラリスト(市民主義者)もその存在理由をなくしてしまった。

 結果として、吉本隆明も敵がいなくなった(1960年代からの戦いの意味が希薄になっててしまった)。

 (文芸評論家や詩人として活動していた吉本は)次に文化の変容に過剰な意味を求めるようになった。
  80年代 古典的教養の退潮→漫画・アニメ・映画・広告コピー
        当時のサブカルチャー → 現在はポップカルチャー
         おたく文化の発生
  資本主義の超高度化による世界史の根本的な変容、歴史上未曾有な新しい段階と評価
      EX) 坂本龍一の音楽、コムデギャルソンのファッションなど
  「ハイイメージ論」(「共同幻想論」の現代版と自己評価)を著す。

 とてもそうは言えない。
 「共同幻想論」は、千数百年にわたる「共同幻想」としての「天皇制日本国家」と、これに「逆立」す
る性的観念の現象形態である「対幻想」との関係を、その由来にさかのぼって論じた極めて原理的な本で
ある。
 モチーフは、「国家」幻想(観念)を相対化することであり、国家権力や既成左翼などを一貫して、「敵」
とみなし戦ってきた吉本にとって、敗戦から安保闘争に至るまで、思考形態に連なる必然性があった。
 (「ハイイメージ論」では、国家(最高・最大の共同幻想)相対化の試みを近代まで馳せ下って論じるの
ではなく、国家成立以前の集落のあり方や、縄文人(古モンゴル人)や弥生人(新モンゴル人)の白血病ウイ
ルスの違い(私注:「新ウイルス物語」日沼頼夫(中公新書)にあります。面白い本です。)などに言及する
ことになり、昔の吉本ファンにとって失望となった。
(私見:私のような新しい吉本ファンには、興味深い要素もありました。ただ、肩透かしを食わされたような、
著者の失望の度合いは理解できます。)
 当時のバブル期の日本の繁栄に過剰な意味づけを施し、「世界史の新しい側面」(「消費資本主義」)とは
感覚用語であり、経済的無知ではないのか。

Ⅵ 源実朝の悲劇性の鮮やかな分析

 吉本は情況に極めて敏感な思想家であり、場合によって抑制の利かない場合がある。
(私見:これは極めて大事な資質であって、敗戦後、吉本は、危機的な状況(戦中・敗戦後の絶望的な時期)
 で、先人の言葉を渇望した、という体験で、激動期に小林秀雄は答えてくれなかった、との苦い思い出があ
 り、以来必ず、若者の問いには真摯に答える、という思想的態度をとっています。したがって、二流の(?)
 大学の学園祭にでも信頼に足る主催者に呼ばれれば、必ず出席しており、個人的に、尊い態度とあったと思
 っています。また、3.11後に、私は、このような大変な時期に、吉本は何を言うのか、ということに深く興
 味を持っていましたが、後日また触れますが、とても良いコメントを発しています。3.11後、この未曾有の
 時期に、自分自身の思想の営為を通じて、きちんと答えた人は稀であり、改めて、思想者として何が「誠実
 な」態度なのか考えさせられたところです。)

        
  1970年代以降
   高く評価できる仕事
    「源実朝」(1971年)、「論註と喩」(1978年)の中の「喩としてのマルコ伝」
      
   評価できない仕事
    「心的現象論序説」(1971年)、「最後の親鸞」(1971年)、「論註と喩」(1978年)の中の「親鸞
    論註」

 「源実朝」(1971年)について、
 吉本隆明は、文学の芸術的価値のみを論じる評論家のみならず、政治や社会や人間の生き方などにかかる浩瀚
な視野をもった、一種の全人格的知力の持ち主であり、実朝の歌は並み居る古典詩人の中でその生きた過酷な時
代背景による運命的なありかたと切っても切れない関係にある。吉本思想のモチーフには、国家権力による無残
な死者たちと生き残った自分や他者たちとの関係をどのようにとらえたらよいのかという戦中派特有の執拗な問
いかけがある。適材適所とはこのことをいう。
(私見:芸術的評価については割愛しますが、
    太宰治が「右大臣実朝」の中で(吉本も言及していますが)
        「明ルサトハ滅ビノ姿デアロウカ、
         人モ家モ暗イ内ハ、マダ滅ビヌ。
         平家ハ明ルイ。」
        と、実朝が平家物語の弾き語りを聴いた感興を語ったくだりがあり、その造形した実朝の深い
       独白は大変感動的です。)

 (文芸評論家などの枠を超えた、著者のいう全人格的知力の持ち主吉本隆明に対する、いわゆるオマージュと
  いっていいのではないでしょうか。)

Ⅶ 「造悪論」親鸞にあったのではないかという意図的曲解

 「親鸞論註」、「消息集」における「造悪論」の誤解・曲解(オームの地下鉄サリン事件後の擁護発言に連動)の解釈

 <おもうまじきことをこのみ、身にもすまじきことをし、口にもいうまじきことをもうすべきよう、もうされそ
  うろうこそ、信願坊がもうしようとはこころえずそうろう。往生にさわりなければとて、ひがごとをこのむべ
  しとはもうしたることそうらわず。かえすがえすこころへおぼえずそうろう。>
  
親鸞の考え
  自分の悪人正機説(歎異抄の有名な一節「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」に表されたような
 思想)が、そちらの地方では「悪をすすんでなせばなすほど往生できる」(造悪論)と曲解されているようだが、
 弟子の信願がそのように言うはずもないし、私自身「往生できるかできないかに差しつかえがないからと言って、
 あえてよからぬことを好むがよい」などといった憶えは金輪際ない、というものであり、

  悪人正機説とは、衆生は自分を含めて皆凡夫であるから、条件(契機、業縁)さえ整えば覚えず悪をなしてし
 まうものであり、それが苦しみ悩みの種となる。そういう、苦しみ悩みの種を持ってしまった後に、はじめて救
 われる道はないものかという渇仰を抱くようになる。しかし、自力に頼ってもそれは叶わないので、阿弥陀様は、
 幸せにこの世を送っている人よりも、そういう人にこそ手厚く目をかけてくれる、のだということ
吉本の考え
  <なぜなら人間はもともと悪なのだから、「思うまじきことを好み、身にもすまじきことをし、口にもいうま
 じきこと申してもよろしい」のだとする許容の仕方(赦し)として現れるからだ。教義的には悪が「往生にさわ
 りがない」ことは確実であった。>

 なぜ、これらの誤訳、誤読、自己流解釈を行うのかの原因(小浜の指摘)
  親鸞の思想そのものに、「造悪論」を許容するような内在的な要素があったということをあくまで主張したい
 という強い動機がある。吉本は、親鸞を宗教の内側からの解体者として見ている。(そこは微妙なところであ
 る。)
  それは、イエスが結果的に古代ユダヤ教の解体者であったという意味合いに近い範囲でのみ成り立つ。イエス
 は、ア 個人の「内面」の重要性を強調すること、イ 下賤な身分な者にこそ神に受け入れられると説くことに
 よって、新しい世界宗教を作り上げた。(改革でなく革命)
  親鸞についても同様で、悪人正機説「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」は、逆説が逆説である
 限りで成り立つのであって、それは「わがこころのよくて殺さぬにはあらず」(善人でいられるのは自分の意志
 でいられるのではなく、悪におちいる契機をたまたま持たないからに過ぎない。)という認識とセットになって
 初めて宗教として強力な力を有する。つまり、親鸞にとってもっとも重要な救済の対象は、凡夫であるがゆえに
 何らかの業縁によって不可避的に悪を犯してしまうような存在で、そのような存在こそ煩悩に苦しめられた存在
 として弥陀の本願に適う。自力の計らいによって悪をなすような人は、煩悩に苦しめられない限りで、はじめか
 ら救済の対象から排除されている。

  逆説をそのまま解釈し、すすんで悪をなすほど浄土に行けると説いたのが「造悪論」

   悪を犯したこと、すでに悪に染まっていることに対する苦しみ悩みの自意識が存在しないところに、宗教は
   決して手を差し伸べない、親鸞はそれを強調した。

  重ねて、なぜ、吉本は誤訳、誤読、自己流解釈をしたのかというと、

   親鸞を宗教の内部からの解体者に仕立て上げ、宗教がはらみがちな秘教性、権威性、密教性、瞞着性の戦士
   として見立てたかった。そして、願わくは「共同幻想」という意味で宗教と共通する「国家」からの解放思
   想をその上に重ね合わせたかった。

   (私見:そのバイアスのもとで浅原彰晃を弁護し、いわゆる大衆から猛反撃を食らった)
   「戦後思想から唯一良い点を取り出すとすれば、個人の生命を最大限尊重することである」といった吉本と
   すれば、無残な話である。
   (私見:「人一人の命は地球一つほどに重い」と言ったのは、福田赳夫首相であったが(ハイジャック事件で人
    質解放を盾にされ、収監中の連合赤軍幹部を超法規的措置で釈放した。重信房子など)、現在のようにク
    ゛ローバリゼーションンの影響下でテロリズムが悪質化、日常化すると、再度、当該倫理的態度(哲学的態度)深く問
    われると思います。)゛

Ⅶ 「往相・還観」解釈に見る我田引水

 <<「知識」にとって最後の課題は、頂を極め、その頂に人々を誘って蒙を開くことではない。頂を極め、その地
  点から世界をみおろすことでもない。頂を極め、そのまま寂やかに<非知>にむかって着地することができれ
  ば、というのが、おおよそあらゆる知にとっての最後の課題である。>> (吉本の考え)

 知の頂にのぼりつめることを(親鸞のことばをとって)「往相」ということばに託し、「頂を極め、そのまま寂
やかに<非知>にむかって着地する」ことを、やはり、(親鸞のことばをとって)「還相(げんそう)」というこ
とばに託した。

田川健三(聖書学者)の批判
(私見:学生時代に神学部の学生がよく話していた思想家です。「イエスという男」という本が良い、と言ってい
ました。)

 親鸞の前提としている思想としては、「往相」とは、自ら功徳を作り上げて極楽浄土に往生することである。「還
相(げんそう)」というのはその地点から帰ってきて、全ての衆生を教化して、成仏できるようにすることである。
(中略)この場合、「成仏、往生する」、ということは、知の頂にのぼりつめることとはおよそ違う水準の問題であ
る。(中略)吉本にとって「往相」、「還相」ともに、我々人間がたどるべき道筋と考えられている。しかし親鸞に
とっては、「往相」、「還相」とも、娑婆で生きている人間ができることではない。(中略)人間と超越者を徹底し
て転倒しているから、「往相」、「還相」とも阿弥陀仏の行為としか考えない教義である。(中略)それを吉本は、
「知」を極めていく特別に優秀な人間の行為、若しくは、それがだめだと知って、「大衆」の中に戻ってくる行為だ
と言い換えた。それでは話の水準も内容も全然違う。しかも全然違うところに図式だけは親鸞から借りてきて当ては
めた。(中略)「知」の頂を極めるだの、そこからそのまま「非知」に着陸するなど、我々現代人が直面している巨
大な「知」の問題の横で空疎な図式を無為にあやつるだけで終わるだろう。

小浜の考え
「往相」、「還相」とは、知識人が知的上昇過程をとげるにつれて、大衆より存在として高い地点に立ったかのよう
な錯覚におちいることを徹底的にチェックすることであった。そのチェックの対象は当然自分自身も含まれ、自分自
身が大衆から孤立した孤独な知識人になってしまったことに対する過剰な自己批判の試みと思ってよい。その過剰さ
が思い余って、「寂かに<非知>にむかって着地する」などという奇妙な理念を言わせている。 
 大衆偶像視のヴァリエーションではないのか。

 人類の叡智は、哲学的なものにせよ、政治や社会に関するものにせよ、自然科学的なものにせよ、歴史的な蓄積に
よって、どんどん広がりと深さを増し、無限に発展していく宿命を担っている。(多くのひがごとが混入することも
避けられないが、)人間の「知」というものは事柄の本質上そうならざるを得ないものである。
  註 僻事(ひがごと) 道理や事実と違った事柄。不都合なこと。

 吉本のいう「還相」の過程など夢見ること自体、無駄なことなのだ。
 (私見:知的な上昇と拡大は人間の観念にとって自然過程、というこの認識は(ヘーゲル→吉本)からもらったよ
  うに思われます。また、自分自身、学生時代、周囲とか親とかバカに見えてしまうのは、また共通の言葉を失っ
  てしまうのは、知的に上昇する過程で、どうしようもない自然過程だと思っていました。)

 「我々現代人が直面している巨大な「知」の問題」(田川健三)とは、おそらくこの「知」の無限発展の自然過程
が、人間を必ずしも幸福にしないどころか、大きな不幸を作り出してしまうことを表しているのではないか。
 とすると、「寂かに<非知>にむかって着地する」という吉本の夢は、一人の知的人間の生き方の理想を、彼らしい
仕方で語っているということができる。壮年期に旺盛な知的生活をこなし、中高年期にその蓄積をさらに充実させ、
老年期に至って次第に自分の仕事の価値などこだわらなくなり、最終的には、ボケたり枯れたりしながら、ひっそり
として知識人としての生涯を終わる。そういうことを言っているに過ぎない。
(親鸞の晩節を読み違えて)「思想の恐ろしさと逆説」を深読みする必要はない、のである。

(私見:親鸞の救済(?)という意味で、2012年11月に「歎異抄」(翻訳:小浜逸郎)という新書がでてます。「弥陀の
  本願」など、法然=親鸞教団が、大多数の衆生の救済に何を目指したかが、明快に翻訳されており、興味深い本
  です。我が家は、浄土宗であり、開祖は「法然」で、大したことないじゃんと思っていましたが、決してそうで
  はないことがよくわかりました(吉本の親鸞論を読んでのことではありますが)。(吉本が)なぜ、どこで間違
  ったのかは、個人としては、わかりにくいところですが、教義の展開にどこがおかしいのかは少しわかりました。
  また、「知的に上昇した人間」は、何を倫理的(論理的)基準にするのか、という点で、再度「大衆の原像」を
  どう繰り込むのか、という問題が発生すると考えられます。)

再度・NHKEテレ06:55の面白さについて

2015-06-25 20:57:05 | 映画・テレビドラマなど
 NHKEテレ06:55について再度書いてみます。
 先週を通しての企画として、「踊れる唄」の特集がありました。
 企画もののユーモラスな、楽しいがゆえに考えさせられる歌に合わせ、漫才師や、全くの素人、小学生などの起用で、様々なバージョンが作られ放送されます。
 白眉は「電車で化粧は、やめなはれ!」という、ブラックマヨネーズを起用した、ダンスです。ひっつめ髪で、お団子にした、小杉が近所に晩御飯の買い物といった拵えで、買い物かごを小脇に、そんなに難しくないステップ(これらダンスは押しなべてそうです。)で、真面目くさって、「アイラインひくおもろ顔、口紅の後のうんま顔、マスカラ塗ってるトホホ顔、素敵な殿方みてまっせ」などと、電車内化粧の実写シーン(椿鬼奴、いとうあさこがやってます。)を流しながら、踊りながら、批評と教訓を垂れていきます。電車内の化粧など、周囲から見れば、明らかに不快な光景ですが、正面切っては注意が難しい光景(風俗)を、関西弁の柔らかさと、化粧する芸人(いとうあさこたち)の芸で、上手く流していきます。ことにブラックマヨネーズの小杉の真面目くさった顔でのおばさんダンスが秀逸です。こんな、洗練されたビデオを、政府広報で流せば、電車内の化粧は減るかも知れない(そんなこともないか)。
 彼女たちの振る舞いは、あれは、究極の形での「類的存在としての人間部分の否定」というのではないのか、とも思えます。共生的な人間存在として、周囲への気遣いとか、雰囲気への無意識な同致とか(関係意識みたいなものですかね)と無頓着に、ミーイズム(私絶対主義)というか、私的利害と、私的嗜好を、無条件に肯定すると、あんな姿になるんですね、個人的には、脱原発のあのあられもない恥知らずなおばはんたちを連想します、殴ってしまいたくなる(思うのと実行するのは千里の径庭がありますが)、困ったものです。
 どう考えても、あれは明らかに「不快」です。

 見ていてとても楽しいのは、「なんとなくちょっと、ハッピーステップ」というダンスです。これも、漫才師の「ナイツ」のパターンと、小学生の「のどかちゃん」を使ったのとバリエーションがあります。ナイツの土屋の器用さと塙の真面目くさったぎこちなさが良く、それと比べてもそれぞれ楽しいのですが、「のどかちゃん」の方を推します。
 最初に、制服と、革靴、ランドセルを背負った、のどかちゃんが、「私、普通の小学生」と右手から真っ直ぐ(架空の)ライン上を踊ってきます。はにかんだような表情がとても良いです。背の高い、姿勢のいい子で、ライン上を進んだり下がったり、軽快に踊ります。続いて、黒鞄を持ち、スーツのおじさんが、横向きでライン上を入ります。「私、普通の会社員、ダンスの心得、特になし」、と、どこかぎこちない素振りです。角カバンが邪魔なのがご愛嬌です。二人が、ラインの上を進んだり、下がったり、スキップをしながら真面目に、手を上げたり下げたり、軽妙なステップです。二人とも、笑いをかみ殺しているような表情が、またしても、とても良いのです。二人は、親子というキャプションが入りますが、二人のダンスを見ていると、もし、のどかちゃんがアドレッセンス期に入っても、ああ、この親子は大丈夫だ、というような安心感すら、みているものに与えます。同時に、母親の不在というのも、現在の、「強いられた」親子3人ハッピー・セットにならず、父子二人という奥行きがあり、好感が持てます。
 ある女性が、このダンスを、自分の結婚式で皆で踊った、とか、いろいろな投稿が紹介されましたが、文字どおり、踊っているのを見ると、周囲はほのかにうれしい「なんとなくちょっと、ハッピーステップ」なのです。

 のどかちゃんは、「チョココロネ食べるのは、どっちから」(「どちらからチョココロネは食べるべきなのだろうか」)という催しで、はにかんだ表情で、細い方から(たぶん間違いないと思う。)、チョココロネをかじっていました。(カメラの前で、物を食べるなんて、はずかしいよね。)とてもいい表情でした。しつけのいい子供って、本当にいいですね。

 これから中学校(?)に入るかも知れない、のどかちゃん、どんなことがあっても、「お父さんを嫌いになるなよ」、というのが私からのメッセージです。

 こんな一日の始まりはとてもうれしい、と。

 特筆すべきは、ポスト「よ・ん・き・び・う」隊(毎週金曜日に登場する、カブトムシ、カピバラ、かめ、ペンギン、鹿)として今回登場した、今週の、「び・ん・よ・う・き」隊(不用な様々な空き瓶たちのパレード)の主題歌もなかなかいいぞ、こういうのをユーモアと諦観というのか、ペーソスがあるとかいうのでしょうか。
 今後、毎週金曜日の定番になると思いますが、おすすめです。
 (いずれも、ユーチューブで視聴可能です。)

日本の七大思想家(小浜逸郎)(吉本隆明)その1

2015-06-21 06:51:42 | 読書ノート(天道公平)

 引き続きよろしくお願いします。
 思い入れのある方は、是非、私の「吉本」を論じてください。


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      吉本隆明(1924~2012)
                        その1
Ⅰ 今の吉本の何をどう読むか
 (私記:吉本隆明と呼ばずに「吉本」と呼ぶのに注意してください。当時、一般的な呼称でした。)

 ア 全共闘世代であるが(ゆえに)思想家としての吉本隆明を伝えようとするとふと迷う。この戸惑いは、少し上の世代と、少し下の世
  代に共通している。
  (理由)1970年代以降の著作がつまらない(文芸批評、古典論、宗教論、反核運動批判を除き)。
   吉本は、目の前の「敵」を前にくんずほぐれつの戦いを演ずるところに自らのアイデンティティを見出す思想家である。優れた敵が
  いないと、鈍ってしまう。代表作の、「言語美」、「共同幻想論」、「心的現象論」、いずれも何者かと戦う必要で書かれている。し
  かし、その敵が読者(支持者)が敵とみなせない相手であると空回りをしてしまう。
     (EX)サリン事件を起こした浅原彰晃への過大評価(1995年)など (私見:私もさすがにどうなのか、と思いました。)
 イ 何から読むかについての留意点
    敗戦当時(私記:彼は戦中派です。)彼の青春期がどんな時代であったか、深く想像力を馳せること。
    戦争中文学少年であったため、「客観的な」社会認識や社会認識の方法に無自覚であったことに深い自責と羞恥の感覚を覚
    えたこと、これが彼の思想的な出発のエネルギーになっている。
    戦前のプロレタリア文学者たちが戦中に皇国イデオロギーの加担者に積極的に転向して戦意高揚を垂れ流したにもかかわらず、戦後
    は口を拭ってあたかも最初から戦争抵抗者であるような顔をし、臆面もなしに他人の戦争責任の追及に明け暮れたこと。
    吉本はあくまで文学の自立性を重んじる思想家であったこと。
    吉本の敵とは60年代までは、大衆の生活意識から、離反・浮遊・逆立ちした支配的イデオロギー(虚偽観念)であることを踏ま
    えること(支配的イデオロギーとは、国家権力でもあれば、「既成左翼」、「進歩的知識人」と置き換えの利くものであること)。

   これらを踏まえたうえで、
   壮年期の著作では、主著として
  転向論(1957年) 戦前のプロレタリア文学者たちの転向を権力の弾圧の結果と考えずに、大衆からの孤立の結果とみなし、かつ、戦
          争協力的な境地までにもう一度積極的な転向を図ったと喝破したものである。
  マチュー書試論(1955年)  新約聖書マタイ伝の著者の編集意図のうちに、「愛の教義」をではなく、人間同士の血なまぐさい
               葛藤と憎悪の劇を読み取り、同時に思想の真実性がどこで保証されるのか、という普遍的問題を提起
               した大変ユニークな作品である。またこの作品で吉本は、彼自身の体制的イデオロギーと、これに反逆す
               るイデオロギーの「等価性」を、マタイ伝という意匠で包みながら、鋭く指し示している。しかし、当の
               マタイ伝の編集者に対する彼自身のアンビバレンスがにじみ出ているがゆえに、かなり難解で微妙な部分も
               含んでいる。

   から、までの条件を踏まえないと、簡単に咀嚼(そしゃく)できるものではない。

  (なぜ前置きが必要であるか、というと)
    40代半ば(私見:1970年前後)から全著作集の刊行が始まり、戦後最大の思想家とまで言われたものの、「いま」の日本の言
   論界では、一部の熱心な信奉者を除くと、虚名のみ残り、彼が日本の思想界で何を果たしたか、という問題の方は、ほとんど忘
   れされようとしている。
    (なぜなら)
      ア 吉本思想の特異性
      イ 日本人の変わり身の早さ がありはしないのか。

Ⅱ 転向知識人はなぜ敵なのか
 まず、戦中派として、上の世代の戦争責任を追及せざるを得ない必然性をもっている。
  (私記(社会主義ファシストと罵倒された)花田清輝についての言及は省略します。)
 彼が青春期を送った時に、「マルクス主義知識人」は、  左翼の看板を下し → 転向して積極的に戦意高揚を垂れ流しており、
自由主義者の抵抗の影もなく、どこを見回しても「お国のため」の大合唱だった。毎日、勤労動員に明ける中から、ひとりまたひとり
と同胞達が死地におもむいていった。
 (私記:吉本自体の学歴は、純粋に理系の化学畑の人(東京府立化学工業学校から米沢高専、東京工大とひたすら理系の道を歩ん
  でいます。したがって、強制的な徴兵という経路は、彼の生育史の中ではなかったように思われます。)
 その中で、明日はわが身の覚悟を固める以外、精神の活動の道を見出すすべはなかった。
 彼が、自分の敵を見定めるその根拠は、自分と同じような年齢で死地に赴いていった若き同胞たちに対する深い負い目である。
 また、その「敵」とは、戦後何食わぬ顔で「抵抗者」を自称して現れた年長の転向知識人たちである。
 転向自体を(直接体験として)倫理的に指弾するのではなく、変節を重ねながら、そのことに無自覚で、「私は、戦争に終始反対
だった」と自己欺瞞的な免罪符を得ようとする、知識人たちの態度に、同胞たちの死から一番近い場所から憤怒を投げつけている。

 マチュー書試論

 <<人間は狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、
革命思想を嫌悪することもできる。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。>>

 敗戦直前、若き吉本は皇国イデオロギーにかぶれており、迫りくる敗北の予感をまえにして、日本は徹底抗戦すべきと考えていた。その
直情径行は、敗戦の詔勅を聞くや否や、あっさり戦意を放棄して、戦地から毛布や食料を山のように背負い込んで復員してくる姿に接
し、見事に裏切られる。こうして、それまでの自分の心情との落差をいやというほど見せつけられることによって、心底から人間のわ
からなさを実感し、彼は否応なしに大人にされたのだ。

 「関係の絶対性」  ここでいう「関係」とは、理想や信念や正義などの「観念」を排したところで現れる人間の社会的被拘束性で
          あり「絶対性」とは、その被拘束性が一人の実存の前に、理想や信念や正義などの「観念」にはどう動かしよう
          もなく壁として立ちはだかることである。
           この壁にぶつかるとき、自己の信念や理想や正義の姿は、にわかに相対的なものとして色褪せ、それまで曖昧
          で多様で相対的と思えた様々な日常的な生のあり方が、逆に絶対性の相貌を帯び迫ってくる。

   (私見:原典といわれる新約聖書(マタイ伝)の中で、最後の晩餐時に、ペテロに対しキリストが、「おまえは明日の鶏鳴まで
    に私を三度裏切るだろう」と予言する場面があり、「そんなことは絶対ありません」、と答えたペテロが、翌日までにローマ
    兵の審尋に、「私はイエスの弟子ではありません」と三度答えるくだりがあります。宗教(観念)の使徒の思わぬ弱さ)
   (私見:三島由紀夫がかつて、(吉本の記述とその激しい論理の展開を読んでいくと)、エロスすら感じるといったことがあり
    ます。それほど、マチュー書試論でのジュジュ(キリストらしきもの)と弟子たちとのやり取りは、真理をめぐる迫力に満
    ちた激しいものであり、いまだに読む者に迫真の問いかけを行ってきます。今回、読み返しまったくそう思いました。まさし
    く「観念」に震えるといった態の体験でした。若い時に読めたのは幸せでした。)
   
  世界認識の方法を懸命に模索している一人の思想者には、この世のあり方は、関係の絶対性として映るはずであり、絶対性の深
 度と広がりの構造を自覚することから思想が出立するのである。その出立は、安保闘争への加担の過程を経て、「国家権力や既成
 左翼からの自立」と「大衆の原像を繰り込む」という二つの思想的宣言へと凝集していく。

Ⅲ 大衆の実存の場所から「革命」を展望
 安保闘争(60年)での、丸山眞男との立ち位置の差

  市民主義者としての見方 ×  丸山眞男
  共産党としての見方 ×   コミンフォルム主導(親ソ)
  共産主義者同盟(ブント)としての身方 同伴 吉本
   それぞれの国で行われる、社会主義革命が必要である、と認識していた。
  政治に無関心で、私的利害を追及する大衆の生活意識を堂々と肯定する(反既成左翼)、(反埴谷雄高論争)。

(私見:現在の資本主義の社会の中では、労働者が、貯蓄を試み、貧困から脱出するのは、当然良いことという認識がある。埴谷は
  不徹底?)

 しかし、(今になって思えば)私的利害を追及する大衆の生活意識を堂々と肯定することが本当に「革命的政治理論」に合致してい
たかどうか(前衛神話を解体、反組織官僚主義を解体したと称揚した、との当時の言説)
 (私見:ブントロマン主義とでもいうのか?
   かつて、蓮見重彦が、吉本に対し、あなたの思想はロマン主義ではないか?といっていたことを連想します。しかし、多かれ少
   なかれ、青春期の若者は、世界を救う(自分だけが正しいと思う)「観念の騎士」でもあります。当然ロマン主義はネガティブ
   に使われています(例えばロマン主義は欠損から出発する)。など)

Ⅳ 孤独な戦中派の怨念と憤怒
 青春時代に国家権力にとことんたぶらかされたという自責と羞恥、戦死者(友人)たちの哄笑
 戦前から戦中にかけ二度の転向を果たした知識人のたちに対する徹底的な不信と怒り
 <民主化日本>を受け入れるには あまりに孤独で強固な戦中派の怨念と執着と憤怒
  (生き残ったものしか告発はできない。)
Ⅳ 「大衆の原像を繰り込む」ことの意義
 ア  60年安保以降
  既成左翼からの自立
  「言語にとって美とは何か」 言語芸術としての文学についての理論
      (党派的理言語論と芸術至上主義理論の止揚)
  「心的現象論序説」 人間の心的現象それ自体を分析対象とする試み
      (「物質が意識を決定する」式の俗流反映論の克服)
  「共同幻想論」 まったく独特の発想によって新しい国家論を構想する
      (俗流マルクス主義国家論としての経済決定論の国家論を克服)

  それぞれ主要アイテム、言語、心、国家をそれぞれ、現実諸条件に依存するものとして扱わず、それ自体、独自な発展や構造の
様式をもつものとして扱っている。(「自立」の根拠)

 イ 大衆の原像を繰り込むべきことを提唱
寄り添う(ヴ・ナロード(人民の中へ!))ではなく、観念レベルでは、生活大衆からも知識人からも距離をおいた自己の孤独
の明確な自覚
   詩人として「ぼくは秩序の敵であると同時に君たちの敵だ」
        「ぼくは拒絶された思想としてその意味のために生きよう」
         (「その秋のために」1953年)

「大衆の原像を繰り込め」とは何であり、誰に呼びかけているのか?
  誰・・・知識をものにしようとする知識人、知識人候補生(私註:知的に上昇していかざるを得なかったすべての者)
  大衆の原像  日々の生活のやりくりや、苦楽を共にする人間関係以外に余計なことを考えない人々  (EX)近所のさかな屋さん
        などの比ゆ
   原像であるから一つの理念であり、実体としての大衆自体には重ならないが、知識人にも同時に原像とすればその中に、存する
  ものであり、時間的、空間的な拡大にも耐えうる。
   その当時のもっとも平均的な生活者の存在の仕方や意識のあり方を念頭にあげつつ言葉を発せよ、のいうことに等しい。
   (思想的価値の産物を最終的に試験紙にかけるのは普通の生活大衆であることを忘れるな。)
   たとえば、昔の魚屋さんモデルが、ランチを楽しみながら子供の担任をくさすことに興じる母親たちに変わっても、それが現在の
   「大衆」の一典型であれば、思想的な対象に繰り込むことでは同じである。今後どんなに日本の大衆が画一性をなくして多様化し
   ようと、大衆または大衆性がなくなることはありえないからである。
     現在も未来も永久に有効である

  (私見:このような深みのある批判は、70年代にはできにくかったと思います。当時の吉本ファンは、「大衆の原像」の繰り込みは
    納得できるにせよ、じゃ結論としてどんな政治的な行為(?)をすればいいのか、と迷っていた、と思います(いつ政治革命を
    すればいいのか(?)など)。当時の先輩が、「僕は大衆が目覚めるまで待つ。」と言っていましたが、その後、いわゆる当時
   「吉本隆明の影響下の政治党派」はあったにせよ、80年代、90年代を通じて、状況の中に埋没していきました)。)

   この時期(安保闘争同伴時期)吉本は、自分自身の「自立」と大衆の「自立」を混同して、曖昧になっている。大衆は理念を求め
  ない。大衆は時に残酷な行為を平然として行うし、不合理極まりない差別意識をむき出しにする。知識人の理念などに頓着すること
  もない。こうした存在様態にはいいも悪いもなく、彼ら自身が自立する課題を担っているわけではない。にもかかわらずそのような
  問題設定をしてしまう吉本は、知と無知に係る価値の転倒を性急に目指すあまり、彼らとの共通の課題を目指さざるを得ない弱点
  (親鸞論においての牽強付会(けんきょうふかい:道理のないものを無理やり結びつけること)につながる)を持っていた。 
   もし、60年安保の時代に、ブント(反共産党、反政府(自民党)の政治党派)が主導権を握ったとしても、それは一時のことであ
  り、「祭りのあと」は必ずやってくる。
   豊かになった後の日本の大衆が失うべきものを持って、社会主義革命の可能性や、社会主義国家のユートピア性を信じなくなっ
  たとしても、それはただの自然過程であり、その事態を持って、大衆が自分の生活思想を意識化して、「自立思想」に目覚めたと
  もいえない。状況が変われば、マスとしての大衆はいくらでも逆方向を向くのである。
   (EX) NHKテレビで満州事変でのマスコミの煽り、国際連盟の脱退際の大衆の狂喜の姿、米英戦争の緒戦勝利に酔いしれる
     ちょうちん行列、また、敗北が決定したのち、敵国の将を歓迎したその様子

   大衆はそういうもので、そこにこそ、「原像」をみなくてはならない。
   大衆の「原像」執着するあまり、「大衆の原像を繰り込む」を、自らの中の大衆像を偶像視するようになる。
    EX)「日本の大衆を決して敵にしない」、という決意表明を行ったり、・・・
   読むほうが恥ずかしくなるような、ナイーブ(バカ)な偶像崇拝である。