当該記事写真は、2019年6月、就任当時の広報の見返しである。
「市民に寄り添い、市民の声を聞き市民と分かり合える市政の実現」、とまったく、ポピュリズム政治家の真骨頂である。
せめて、「聞く」を、「聴く」に改める見識はなかったか。市民の現実(自分では言い表せない内面の考えや本音)を、自らの市政に反映する経路もなかったか。市民大衆は、自己の経済的基盤の安定と、自分の安心・安全くらいしか、政治には求めない。それが「健全」というものだ。
それこそ、「政治の幅は、生活の幅ほど広くはない」のである。
この人には、「目先の人気取りしかない」、それ以外いうべき言葉もない。それが、多くの地方政治の現実でもある。
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2020年(令和2年)12月15日、地元テレビの夕方ニュースにおいて、周南市長は、「周ニャン市」という市のイメージ啓発の、キャッチコピーを廃棄することを、記者発表した。
その番組を振り返ってみる。
テレビ番組では、まず、最初に、前市長の「周ニャン市」というキャッチコピーのお披露目式を流し、回想する。
続いて、現市長の当時の自分の市長選挙のアジ演説、「周ニャン市をやめさせます」というはちまき姿の映像を流し盛り上げる。
そして、現在の姿で「こんな、周南市をおとしめるようなふざけたキャッチコピーは、私は非常に不快です。」と、再度、怒ってみせ、自分の感想を述べる。いささか、攻撃的な口調である。
そして、最後に、新たな周南市のイメージキャッチコピー「ここから、こころつながる。周南市」という、凡庸なキャッチコピーのお披露目セレモニーを行う。
それが、市長を、「SHUラボ(「しゅうらぼ」と読む。)」(はじめて知った。)というワーキンググループ(?) ・市長擁護で組織された市民団体 (?) が取り囲んだ中で実施された。
それは、おそらくこの発表が大衆性を得ているという市長の自負心の表明なのであろう。
また、そんな、政治家として、自分の、院外応援団を勝手に作って、市政を操っていいのかとは、誰にも問われない。議会が追及しなければ、自分で、恥ずかしくなければそれまでである(恥を知るのも知性のうちである。)。
このたび、その画像を地元テレビへ放映することによって、前市長の「周ニャン市」にとどめを刺そうという、藤井律子市長の強い決意のほどが、よく理解できた。
この報道では、かの推移が、系統的に、時系列を追い、きれいに編集されていた。事前に、きちんと準備されていた。
この時期に、是非とも、万全の態勢で、政敵にとどめをさしたかったのだろう。
ところで、ちょっと、待ってよ、と、市民・市職員は何も思わなかったのだろうか。
先に書いたとおり、「周ニャン市」キャンペーンは、市民の発案をもとに、行政が取り上げ、大多数の市民の協力を得て、実行された。
周ニャングッズの作成とか、大きく拡大・発生し、缶バッジ、広報宣伝、様々なグッズ作成、地元スーパーの、にゃんにゃんレジ(レジを打つたびににゃんにゃんという声が聞こえる。面白いです。)とか、あれよあれよという間に、燎原の火のように、様々な運動に派生していった。
周ニャングッズなど、そのトートバックなどを、私も見たが、商業的に十分に勝負できそうに思えた。
何より、賛同するスタッフが楽しんで仕事をしていたように思えた。
缶バッジについては、近隣の市町住民、旧徳山市、旧市町などの出身者の引き合いも多かった。改めてびっくりした。不足が続き、何度も追加製造したはずだ。
まことに、文字どおり、市民と連動した、ボトムアップの面白い運動だった。
この度の市長も、その影響度の忖度(そんたく)(?) に時間がかかり(皮肉です。)、したがって、すぐに、政策放棄ができなかった、のであろう。
当時、周ニャン市、情報宣伝(全国車両訪問宣伝)隊に少なからぬ職員が応募し、自己の時間を犠牲にして働いたはずである。
就任した、市民の声を聞く(?) という 市民アンケートの大好き市長(あなたは就任以来意味不明のバカなアンケートばかりやったではないか。)さん、あなたの対応は少し違いはしないか。
いずれにせよ、「なんでもアンケート」とは自信のない無能な政治家(行政職員)の最低の手段であるが、なぜ、あなたは、今まで皆さんに協力いただいた、周ニャン市やめてもいいですか、と、市民に、なぜアンケートを取らなかった。
自分の意に反するアンケートは嫌なのか。
そもそも、このたびの報道番組は、自分の好まないものは、徒党の力を以て、徹底的に排除するというポピュリズム政治家の常套手段ではないのか。
そして、それ以前に、なぜ、職員の意見聴取をしなかった?
あなたは、職員を信頼していないのか?
職員の市長に対する敬意や、信頼はあなたには不要なのか?
そもそも、私には、前任者をおとしめるセレモニーを、公的に、実施する政治家が大嫌いである。
前市長は、前々市長の、「民衆駅徳山駅ビル」の公費導入による建替えという、考えるだに、愚かしい暴挙を阻止するために戦いたいというのが選挙の重要政策だった。
きちんとした、政策論争にもとづく選挙だったのだ。
しかし、前々市長が引き回した、駅前再開発契約のクラッチ条項(引き戻せば周南市が明らかに損害を被むり市民が損害を受ける契約破棄の禁止条項)を考慮して、その後、当該契約を破棄せずに、自己流で改定を加えていったのだ。
それが、大多数市民の利害にとって、現実的で、理性的な政策判断であった、と思う。
少なくとも、前の市長は、公約に反するということで、感情にまかせた行為で、市民と市財政に直接に損害を与える、契約破棄はしなかった。
首長として、正しい判断だと、私は思う。そのあとは、自己の知恵と職員の協力を得て、次善の策を模索したのである。
政治家は、自己の感情と、市民の利害の相克があれば、理性に基づき、大多数市民の利害に立つべきである。
それが、政治家というものだと、私も思う。
このたびの市長は、自己の偏見と好き嫌いで、政策を忌避するのか。
深読みをすれば、人前で、周ニャン市やめさせます、とバカなアジ演説をした、自分自身が恥ずかしく嫌いなのか(女性市民が指摘するようにスーツを取り換え引き換え、装うあなたは十分に自己愛が強そうであり、そうは思えないなあ。)。
そうであれば、敵の決めたものはすべて嫌い、という、感情に任せ、理性を放棄した、いかにも女性らしいやり口である(全国の女性の皆さんごめんなさい、と一応は謝る。しかし、そのやり口は、男の嫉妬と同様に醜いものである。)。
「周ニャングッズ」や派生商品の作成と、相当の在庫もあったはずだし、周ニャンバッジなど、周南市出身者、隣接市の市民たちの支援もあったはずだが、誰がそのイメージの凋落と損害を補填するのか。
通産省の官僚で、そのより前に、優れた経済学者である、中野剛志氏(TPP亡国論で著名)は、政治家の存在意義は、その「人間性」であると喝破した。私も同意する。
就任以来、政策を十分に吟味せず、すなわちその後の大多数市民の利害の立場に立たず(その後の波及を考えれば私は「くまもん」の経済効果を超えたと思う。)、自己の体面や、感情を重視する市長に、どこに人間性があるというのか。
それより以前に、市民の良識をなめ切ってはいないか。
なるほど、煽動すれば市民は愚かだ、容易に煽動され、市長の思うままに、動くかもしれない。
しかし、ときに一部市民の愚かさを取り込みつつ、将来の大多数市民の利害や、安心安全について熟考し、当面の空疎な不人気には頓着せず、市民及び市財政のために必要な先行投資をなし遂げるのが、政治家の本来の姿、それが「人間性」というものではないのか(新たに企画した、徳山大学公立化という愚挙については別に論じる。)。
あなたは、高価で趣味の良いスーツで身を固め、政治家は見た目だけだわよ、と言わんばかりの張り子ではないのか。
南鮮人は、優れた韓国ウオッチャー呉善花(お・そんふぁ)氏によれば、「見た目がすべて、そして勝者」と、貧民であろうと大統領であろうと、社会階層(?) を越え整形だろうとなんだろうと、平然と行う、らしい。
試しに、韓流ドラマをみてみれば良くわかる。自前なのか、修正後なのか、のっぺりした、美男・美女しか出てこない。
外見は大事である、しかし、品位とか内面性、その能力は表面ではわからない。
ハゲはかつらで補正すればいいし(私も立派なはげである。どこかのじいさん、いい年をして、自分の運命くらいは、ましては容貌など、自分で受け入れようや。あさましい。)、ド派手なジャケットは、大衆人気をあおるのに効果的である。そして、裏で「大衆なんてのはなあ、バカなんだよ」と思っていればいい。
しかし私たち日本人は、「見た目より内面が大事」と、父祖たちから習ってはこなかったか。
このたびの騒動は、よく計算されて作られており、政敵を葬りさるセレモニーであったかもしれない。
そうであれば、周到に用意された今回のこの騒ぎは、ポピュリズム政治家、大阪市の橋下元市長たちの手法と同様にたちが悪い。
すなわち、他人をたたいて、自分を吊り上げるという、下劣な、目先の人気取りはいい加減にして欲しい、ということである。
それが、心ある市民の反応ではないのか、と思う。
その後、市長は、市の情報戦略(?) を、情報ブローカー、中国博報堂に丸投げした。
あとは、民間活力の導入とうそぶき、知恵も疑いもなしに、高い金を払って、彼らの情報提案(?) に従うのであろう。
自己努力を放棄した、安易な姿勢である。
それに抵抗できない職員も恥ずかしい限りである。
なぜ、自己努力で、市民のために、という気概を持たない。
私たちの現役の時には、「上に間違った判断をさせるのは下の責任」といわれていたぞ。そいつが、直言をしたかどうかは、別の話であるが。
職員の、思考停止は、情報ビジネスの食い物にされるだけである。
重ねて、バカな話である。
少なくとも、藤井市長は、退職時(あなたが私人となられる際)に、自分の感情で生じた、適正に算定された市へ与えた損害分を、市に返還すべきだと思う。
いずれにせよ、短期間勤務の退職金にかかわる所得税率は、目を覆う累進税率である。いっそ、公職を去られるなら、放棄・寄付されたらどうですか?
あなたが、直接手をくだし、市及び市民に損害を与えたことはいくらもあるかもしれず、そちらの方が、理に適うというものかもしれない。
よく、覚えていてください。
「市民に寄り添い、市民の声を聞き市民と分かり合える市政の実現」、とまったく、ポピュリズム政治家の真骨頂である。
せめて、「聞く」を、「聴く」に改める見識はなかったか。市民の現実(自分では言い表せない内面の考えや本音)を、自らの市政に反映する経路もなかったか。市民大衆は、自己の経済的基盤の安定と、自分の安心・安全くらいしか、政治には求めない。それが「健全」というものだ。
それこそ、「政治の幅は、生活の幅ほど広くはない」のである。
この人には、「目先の人気取りしかない」、それ以外いうべき言葉もない。それが、多くの地方政治の現実でもある。
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2020年(令和2年)12月15日、地元テレビの夕方ニュースにおいて、周南市長は、「周ニャン市」という市のイメージ啓発の、キャッチコピーを廃棄することを、記者発表した。
その番組を振り返ってみる。
テレビ番組では、まず、最初に、前市長の「周ニャン市」というキャッチコピーのお披露目式を流し、回想する。
続いて、現市長の当時の自分の市長選挙のアジ演説、「周ニャン市をやめさせます」というはちまき姿の映像を流し盛り上げる。
そして、現在の姿で「こんな、周南市をおとしめるようなふざけたキャッチコピーは、私は非常に不快です。」と、再度、怒ってみせ、自分の感想を述べる。いささか、攻撃的な口調である。
そして、最後に、新たな周南市のイメージキャッチコピー「ここから、こころつながる。周南市」という、凡庸なキャッチコピーのお披露目セレモニーを行う。
それが、市長を、「SHUラボ(「しゅうらぼ」と読む。)」(はじめて知った。)というワーキンググループ(?) ・市長擁護で組織された市民団体 (?) が取り囲んだ中で実施された。
それは、おそらくこの発表が大衆性を得ているという市長の自負心の表明なのであろう。
また、そんな、政治家として、自分の、院外応援団を勝手に作って、市政を操っていいのかとは、誰にも問われない。議会が追及しなければ、自分で、恥ずかしくなければそれまでである(恥を知るのも知性のうちである。)。
このたび、その画像を地元テレビへ放映することによって、前市長の「周ニャン市」にとどめを刺そうという、藤井律子市長の強い決意のほどが、よく理解できた。
この報道では、かの推移が、系統的に、時系列を追い、きれいに編集されていた。事前に、きちんと準備されていた。
この時期に、是非とも、万全の態勢で、政敵にとどめをさしたかったのだろう。
ところで、ちょっと、待ってよ、と、市民・市職員は何も思わなかったのだろうか。
先に書いたとおり、「周ニャン市」キャンペーンは、市民の発案をもとに、行政が取り上げ、大多数の市民の協力を得て、実行された。
周ニャングッズの作成とか、大きく拡大・発生し、缶バッジ、広報宣伝、様々なグッズ作成、地元スーパーの、にゃんにゃんレジ(レジを打つたびににゃんにゃんという声が聞こえる。面白いです。)とか、あれよあれよという間に、燎原の火のように、様々な運動に派生していった。
周ニャングッズなど、そのトートバックなどを、私も見たが、商業的に十分に勝負できそうに思えた。
何より、賛同するスタッフが楽しんで仕事をしていたように思えた。
缶バッジについては、近隣の市町住民、旧徳山市、旧市町などの出身者の引き合いも多かった。改めてびっくりした。不足が続き、何度も追加製造したはずだ。
まことに、文字どおり、市民と連動した、ボトムアップの面白い運動だった。
この度の市長も、その影響度の忖度(そんたく)(?) に時間がかかり(皮肉です。)、したがって、すぐに、政策放棄ができなかった、のであろう。
当時、周ニャン市、情報宣伝(全国車両訪問宣伝)隊に少なからぬ職員が応募し、自己の時間を犠牲にして働いたはずである。
就任した、市民の声を聞く(?) という 市民アンケートの大好き市長(あなたは就任以来意味不明のバカなアンケートばかりやったではないか。)さん、あなたの対応は少し違いはしないか。
いずれにせよ、「なんでもアンケート」とは自信のない無能な政治家(行政職員)の最低の手段であるが、なぜ、あなたは、今まで皆さんに協力いただいた、周ニャン市やめてもいいですか、と、市民に、なぜアンケートを取らなかった。
自分の意に反するアンケートは嫌なのか。
そもそも、このたびの報道番組は、自分の好まないものは、徒党の力を以て、徹底的に排除するというポピュリズム政治家の常套手段ではないのか。
そして、それ以前に、なぜ、職員の意見聴取をしなかった?
あなたは、職員を信頼していないのか?
職員の市長に対する敬意や、信頼はあなたには不要なのか?
そもそも、私には、前任者をおとしめるセレモニーを、公的に、実施する政治家が大嫌いである。
前市長は、前々市長の、「民衆駅徳山駅ビル」の公費導入による建替えという、考えるだに、愚かしい暴挙を阻止するために戦いたいというのが選挙の重要政策だった。
きちんとした、政策論争にもとづく選挙だったのだ。
しかし、前々市長が引き回した、駅前再開発契約のクラッチ条項(引き戻せば周南市が明らかに損害を被むり市民が損害を受ける契約破棄の禁止条項)を考慮して、その後、当該契約を破棄せずに、自己流で改定を加えていったのだ。
それが、大多数市民の利害にとって、現実的で、理性的な政策判断であった、と思う。
少なくとも、前の市長は、公約に反するということで、感情にまかせた行為で、市民と市財政に直接に損害を与える、契約破棄はしなかった。
首長として、正しい判断だと、私は思う。そのあとは、自己の知恵と職員の協力を得て、次善の策を模索したのである。
政治家は、自己の感情と、市民の利害の相克があれば、理性に基づき、大多数市民の利害に立つべきである。
それが、政治家というものだと、私も思う。
このたびの市長は、自己の偏見と好き嫌いで、政策を忌避するのか。
深読みをすれば、人前で、周ニャン市やめさせます、とバカなアジ演説をした、自分自身が恥ずかしく嫌いなのか(女性市民が指摘するようにスーツを取り換え引き換え、装うあなたは十分に自己愛が強そうであり、そうは思えないなあ。)。
そうであれば、敵の決めたものはすべて嫌い、という、感情に任せ、理性を放棄した、いかにも女性らしいやり口である(全国の女性の皆さんごめんなさい、と一応は謝る。しかし、そのやり口は、男の嫉妬と同様に醜いものである。)。
「周ニャングッズ」や派生商品の作成と、相当の在庫もあったはずだし、周ニャンバッジなど、周南市出身者、隣接市の市民たちの支援もあったはずだが、誰がそのイメージの凋落と損害を補填するのか。
通産省の官僚で、そのより前に、優れた経済学者である、中野剛志氏(TPP亡国論で著名)は、政治家の存在意義は、その「人間性」であると喝破した。私も同意する。
就任以来、政策を十分に吟味せず、すなわちその後の大多数市民の利害の立場に立たず(その後の波及を考えれば私は「くまもん」の経済効果を超えたと思う。)、自己の体面や、感情を重視する市長に、どこに人間性があるというのか。
それより以前に、市民の良識をなめ切ってはいないか。
なるほど、煽動すれば市民は愚かだ、容易に煽動され、市長の思うままに、動くかもしれない。
しかし、ときに一部市民の愚かさを取り込みつつ、将来の大多数市民の利害や、安心安全について熟考し、当面の空疎な不人気には頓着せず、市民及び市財政のために必要な先行投資をなし遂げるのが、政治家の本来の姿、それが「人間性」というものではないのか(新たに企画した、徳山大学公立化という愚挙については別に論じる。)。
あなたは、高価で趣味の良いスーツで身を固め、政治家は見た目だけだわよ、と言わんばかりの張り子ではないのか。
南鮮人は、優れた韓国ウオッチャー呉善花(お・そんふぁ)氏によれば、「見た目がすべて、そして勝者」と、貧民であろうと大統領であろうと、社会階層(?) を越え整形だろうとなんだろうと、平然と行う、らしい。
試しに、韓流ドラマをみてみれば良くわかる。自前なのか、修正後なのか、のっぺりした、美男・美女しか出てこない。
外見は大事である、しかし、品位とか内面性、その能力は表面ではわからない。
ハゲはかつらで補正すればいいし(私も立派なはげである。どこかのじいさん、いい年をして、自分の運命くらいは、ましては容貌など、自分で受け入れようや。あさましい。)、ド派手なジャケットは、大衆人気をあおるのに効果的である。そして、裏で「大衆なんてのはなあ、バカなんだよ」と思っていればいい。
しかし私たち日本人は、「見た目より内面が大事」と、父祖たちから習ってはこなかったか。
このたびの騒動は、よく計算されて作られており、政敵を葬りさるセレモニーであったかもしれない。
そうであれば、周到に用意された今回のこの騒ぎは、ポピュリズム政治家、大阪市の橋下元市長たちの手法と同様にたちが悪い。
すなわち、他人をたたいて、自分を吊り上げるという、下劣な、目先の人気取りはいい加減にして欲しい、ということである。
それが、心ある市民の反応ではないのか、と思う。
その後、市長は、市の情報戦略(?) を、情報ブローカー、中国博報堂に丸投げした。
あとは、民間活力の導入とうそぶき、知恵も疑いもなしに、高い金を払って、彼らの情報提案(?) に従うのであろう。
自己努力を放棄した、安易な姿勢である。
それに抵抗できない職員も恥ずかしい限りである。
なぜ、自己努力で、市民のために、という気概を持たない。
私たちの現役の時には、「上に間違った判断をさせるのは下の責任」といわれていたぞ。そいつが、直言をしたかどうかは、別の話であるが。
職員の、思考停止は、情報ビジネスの食い物にされるだけである。
重ねて、バカな話である。
少なくとも、藤井市長は、退職時(あなたが私人となられる際)に、自分の感情で生じた、適正に算定された市へ与えた損害分を、市に返還すべきだと思う。
いずれにせよ、短期間勤務の退職金にかかわる所得税率は、目を覆う累進税率である。いっそ、公職を去られるなら、放棄・寄付されたらどうですか?
あなたが、直接手をくだし、市及び市民に損害を与えたことはいくらもあるかもしれず、そちらの方が、理に適うというものかもしれない。
よく、覚えていてください。