天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危さ並びに(一部の)大衆への失望(その2)

2021-04-11 10:40:01 | 時事・風俗・情況
 当該記事写真は、2019年6月、就任当時の広報の見返しである。
 「市民に寄り添い、市民の声を聞き市民と分かり合える市政の実現」、とまったく、ポピュリズム政治家の真骨頂である。
 せめて、「聞く」を、「聴く」に改める見識はなかったか。市民の現実(自分では言い表せない内面の考えや本音)を、自らの市政に反映する経路もなかったか。市民大衆は、自己の経済的基盤の安定と、自分の安心・安全くらいしか、政治には求めない。それが「健全」というものだ。
 それこそ、「政治の幅は、生活の幅ほど広くはない」のである。
 この人には、「目先の人気取りしかない」、それ以外いうべき言葉もない。それが、多くの地方政治の現実でもある。
 
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2020年(令和2年)12月15日、地元テレビの夕方ニュースにおいて、周南市長は、「周ニャン市」という市のイメージ啓発の、キャッチコピーを廃棄することを、記者発表した。

 その番組を振り返ってみる。

 テレビ番組では、まず、最初に、前市長の「周ニャン市」というキャッチコピーのお披露目式を流し、回想する。
続いて、現市長の当時の自分の市長選挙のアジ演説、「周ニャン市をやめさせます」というはちまき姿の映像を流し盛り上げる。
そして、現在の姿で「こんな、周南市をおとしめるようなふざけたキャッチコピーは、私は非常に不快です。」と、再度、怒ってみせ、自分の感想を述べる。いささか、攻撃的な口調である。
 そして、最後に、新たな周南市のイメージキャッチコピー「ここから、こころつながる。周南市」という、凡庸なキャッチコピーのお披露目セレモニーを行う。
 それが、市長を、「SHUラボ(「しゅうらぼ」と読む。)」(はじめて知った。)というワーキンググループ(?) ・市長擁護で組織された市民団体 (?) が取り囲んだ中で実施された。
それは、おそらくこの発表が大衆性を得ているという市長の自負心の表明なのであろう。
 また、そんな、政治家として、自分の、院外応援団を勝手に作って、市政を操っていいのかとは、誰にも問われない。議会が追及しなければ、自分で、恥ずかしくなければそれまでである(恥を知るのも知性のうちである。)。

 このたび、その画像を地元テレビへ放映することによって、前市長の「周ニャン市」にとどめを刺そうという、藤井律子市長の強い決意のほどが、よく理解できた。
この報道では、かの推移が、系統的に、時系列を追い、きれいに編集されていた。事前に、きちんと準備されていた。

この時期に、是非とも、万全の態勢で、政敵にとどめをさしたかったのだろう。

 ところで、ちょっと、待ってよ、と、市民・市職員は何も思わなかったのだろうか。

 先に書いたとおり、「周ニャン市」キャンペーンは、市民の発案をもとに、行政が取り上げ、大多数の市民の協力を得て、実行された。
周ニャングッズの作成とか、大きく拡大・発生し、缶バッジ、広報宣伝、様々なグッズ作成、地元スーパーの、にゃんにゃんレジ(レジを打つたびににゃんにゃんという声が聞こえる。面白いです。)とか、あれよあれよという間に、燎原の火のように、様々な運動に派生していった。
 周ニャングッズなど、そのトートバックなどを、私も見たが、商業的に十分に勝負できそうに思えた。
 何より、賛同するスタッフが楽しんで仕事をしていたように思えた。
 缶バッジについては、近隣の市町住民、旧徳山市、旧市町などの出身者の引き合いも多かった。改めてびっくりした。不足が続き、何度も追加製造したはずだ。
まことに、文字どおり、市民と連動した、ボトムアップの面白い運動だった。
この度の市長も、その影響度の忖度(そんたく)(?) に時間がかかり(皮肉です。)、したがって、すぐに、政策放棄ができなかった、のであろう。

 当時、周ニャン市、情報宣伝(全国車両訪問宣伝)隊に少なからぬ職員が応募し、自己の時間を犠牲にして働いたはずである。

 就任した、市民の声を聞く(?) という 市民アンケートの大好き市長(あなたは就任以来意味不明のバカなアンケートばかりやったではないか。)さん、あなたの対応は少し違いはしないか。
いずれにせよ、「なんでもアンケート」とは自信のない無能な政治家(行政職員)の最低の手段であるが、なぜ、あなたは、今まで皆さんに協力いただいた、周ニャン市やめてもいいですか、と、市民に、なぜアンケートを取らなかった。
自分の意に反するアンケートは嫌なのか。
 そもそも、このたびの報道番組は、自分の好まないものは、徒党の力を以て、徹底的に排除するというポピュリズム政治家の常套手段ではないのか。
 そして、それ以前に、なぜ、職員の意見聴取をしなかった?
 あなたは、職員を信頼していないのか?
 職員の市長に対する敬意や、信頼はあなたには不要なのか?

 そもそも、私には、前任者をおとしめるセレモニーを、公的に、実施する政治家が大嫌いである。

 前市長は、前々市長の、「民衆駅徳山駅ビル」の公費導入による建替えという、考えるだに、愚かしい暴挙を阻止するために戦いたいというのが選挙の重要政策だった。
 きちんとした、政策論争にもとづく選挙だったのだ。
しかし、前々市長が引き回した、駅前再開発契約のクラッチ条項(引き戻せば周南市が明らかに損害を被むり市民が損害を受ける契約破棄の禁止条項)を考慮して、その後、当該契約を破棄せずに、自己流で改定を加えていったのだ。
 それが、大多数市民の利害にとって、現実的で、理性的な政策判断であった、と思う。
少なくとも、前の市長は、公約に反するということで、感情にまかせた行為で、市民と市財政に直接に損害を与える、契約破棄はしなかった。
 首長として、正しい判断だと、私は思う。そのあとは、自己の知恵と職員の協力を得て、次善の策を模索したのである。
 政治家は、自己の感情と、市民の利害の相克があれば、理性に基づき、大多数市民の利害に立つべきである。
 それが、政治家というものだと、私も思う。

 このたびの市長は、自己の偏見と好き嫌いで、政策を忌避するのか。
 深読みをすれば、人前で、周ニャン市やめさせます、とバカなアジ演説をした、自分自身が恥ずかしく嫌いなのか(女性市民が指摘するようにスーツを取り換え引き換え、装うあなたは十分に自己愛が強そうであり、そうは思えないなあ。)。
 そうであれば、敵の決めたものはすべて嫌い、という、感情に任せ、理性を放棄した、いかにも女性らしいやり口である(全国の女性の皆さんごめんなさい、と一応は謝る。しかし、そのやり口は、男の嫉妬と同様に醜いものである。)。

「周ニャングッズ」や派生商品の作成と、相当の在庫もあったはずだし、周ニャンバッジなど、周南市出身者、隣接市の市民たちの支援もあったはずだが、誰がそのイメージの凋落と損害を補填するのか。
 
 通産省の官僚で、そのより前に、優れた経済学者である、中野剛志氏(TPP亡国論で著名)は、政治家の存在意義は、その「人間性」であると喝破した。私も同意する。
 就任以来、政策を十分に吟味せず、すなわちその後の大多数市民の利害の立場に立たず(その後の波及を考えれば私は「くまもん」の経済効果を超えたと思う。)、自己の体面や、感情を重視する市長に、どこに人間性があるというのか。

 それより以前に、市民の良識をなめ切ってはいないか。

 なるほど、煽動すれば市民は愚かだ、容易に煽動され、市長の思うままに、動くかもしれない。
しかし、ときに一部市民の愚かさを取り込みつつ、将来の大多数市民の利害や、安心安全について熟考し、当面の空疎な不人気には頓着せず、市民及び市財政のために必要な先行投資をなし遂げるのが、政治家の本来の姿、それが「人間性」というものではないのか(新たに企画した、徳山大学公立化という愚挙については別に論じる。)。

あなたは、高価で趣味の良いスーツで身を固め、政治家は見た目だけだわよ、と言わんばかりの張り子ではないのか。
 南鮮人は、優れた韓国ウオッチャー呉善花(お・そんふぁ)氏によれば、「見た目がすべて、そして勝者」と、貧民であろうと大統領であろうと、社会階層(?) を越え整形だろうとなんだろうと、平然と行う、らしい。
試しに、韓流ドラマをみてみれば良くわかる。自前なのか、修正後なのか、のっぺりした、美男・美女しか出てこない。

外見は大事である、しかし、品位とか内面性、その能力は表面ではわからない。
ハゲはかつらで補正すればいいし(私も立派なはげである。どこかのじいさん、いい年をして、自分の運命くらいは、ましては容貌など、自分で受け入れようや。あさましい。)、ド派手なジャケットは、大衆人気をあおるのに効果的である。そして、裏で「大衆なんてのはなあ、バカなんだよ」と思っていればいい。

しかし私たち日本人は、「見た目より内面が大事」と、父祖たちから習ってはこなかったか。

 このたびの騒動は、よく計算されて作られており、政敵を葬りさるセレモニーであったかもしれない。
そうであれば、周到に用意された今回のこの騒ぎは、ポピュリズム政治家、大阪市の橋下元市長たちの手法と同様にたちが悪い。
 すなわち、他人をたたいて、自分を吊り上げるという、下劣な、目先の人気取りはいい加減にして欲しい、ということである。
 それが、心ある市民の反応ではないのか、と思う。

 その後、市長は、市の情報戦略(?) を、情報ブローカー、中国博報堂に丸投げした。
 あとは、民間活力の導入とうそぶき、知恵も疑いもなしに、高い金を払って、彼らの情報提案(?) に従うのであろう。
 自己努力を放棄した、安易な姿勢である。
 それに抵抗できない職員も恥ずかしい限りである。
 なぜ、自己努力で、市民のために、という気概を持たない。
 私たちの現役の時には、「上に間違った判断をさせるのは下の責任」といわれていたぞ。そいつが、直言をしたかどうかは、別の話であるが。
 職員の、思考停止は、情報ビジネスの食い物にされるだけである。
 重ねて、バカな話である。

 少なくとも、藤井市長は、退職時(あなたが私人となられる際)に、自分の感情で生じた、適正に算定された市へ与えた損害分を、市に返還すべきだと思う。
 いずれにせよ、短期間勤務の退職金にかかわる所得税率は、目を覆う累進税率である。いっそ、公職を去られるなら、放棄・寄付されたらどうですか?
 あなたが、直接手をくだし、市及び市民に損害を与えたことはいくらもあるかもしれず、そちらの方が、理に適うというものかもしれない。
 よく、覚えていてください。

「周ニャン市騒動」てん末及び地方「政治」の危うさ並びに(一部の)大衆への失望(その1)

2021-04-06 08:49:20 | 時事・風俗・情況
 
 このブログ原稿は、平成30年12月、書いたものです。
 したがって、私が触れている内容及び人物は、その当時のものです。
 そのまま、ボツにするつもりでしたが、当時以上に、現在の、地方自治のどうしようもない頽落ぶり(国政のダメさ加減とまさしく符号しています。)を見ていれば、私の身近なケースを取り上げるのも、また、意味があるのではと思いかえし、このたびアップします。
 当該てんまつは、今後も続けます。
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 わが元勤務先、周南市では、前市長の方針で、市民の中から沸き起こった、「周ニャン市」呼称・周知キャンペーンを採用し、シティプロモーション事業(市のイメージ向上事業というのだろう。)として位置づけ、様々なキャンペーンを行っておりました。

 それは何を隠そう、「周南市」(しゅうなんし)の、「南」を「にゃん」に読み替えた呼称であり、全国、市名の中途に、「南」が付されていれば、おしなべて、「・・にゃん・・」となるわけです。
 そういえば、友人が、私立南山大学出身であったので、それは「にゃんざんだいがく」となるのか、学生は喜ぶかもしれない(私が学生であればよろこぶが)。
 私が想起するだけでも、お隣の島根県の雲南市は、「雲ニャン市」となり、その呼称がかわいいかどうかは別にして、同じパターンを繰り返していけば、二回目以降はそれほどのインパクトはないのかもしれない。
 しかし、言いだしっぺが、やはり、評価されるのです。

 ところで、じじいとして、また昔の話をしますが、1980年代に「おにゃんこクラブ」(あの秋元康プロデュース)(以下「おにゃんこ」という。)という、アイドルユニットがあって、毎夕放送されるバラエティ「夕焼けニャンニャン」という、番組が大人気で、「俺、もう帰るわ(彼女たちが見たい)」と、帰宅部のみならず、中・高生は家路を急いだということもありました。
 何度も書きましたが、「おにゃんこ」以前のアイドルは、皆、ピン(ひとりで)勝負していた(その精神的・体力的重圧は大変だったと思う。)。
 しかし「おにゃんこ」は「会員番号」を名乗り、出てくるアイドルは、責任分散体制であるのか、質より量と言うか、品質保持というか、さらにはリスク管理のためなのか、当該、群衆アイドルの動きは目新しいものでした。また、ひんぱんに行われる、人気投票によるあおりも、興味深いものでした。
 少年漫画紙でも、「ニャンニャンしよう」とかいう、隠語の流行語もあり、巧妙に、思春期の男どものセクシュアリティをくすぐるものでした(どうも現在のラノベのはしりなのかも知れません。)。

 幼児語でも「ニャンニャン」は定着し、「ニャンとわん」といえば、日本人にとって、なじみのある、一対の単語です。
 私は保守的なじじいですが、「周ニャン市」、決して悪くはないじゃないの、ということです。少なくとも、ユーモアはある、訳です。

 当初は、若者の有志たちから、エイプリルフールのジョークかも始まった(「本日から周南市は「周ニャン市」となります。」というキャッチコピーが有名になりました。)訳ですが、その後の、市民の様々な受け入れ方をみていると、若者たちには大きく支持されたようです。

 それに目をつけたのが、平成15年に平成の大合併で周南市が誕生して以来、ぱっとしない「周南市」が、シティセールス(?) の意味で、「周ニャン市」キャンペーンが、平成29年度から始まりました。
 当初は、市広報など自前のメディアで宣伝し、「周ニャン市」記念缶バッチの配布など、賛同者(市の内外の人たち)に対し、希望者に無償で配布し、私の職場でも、他市からも希望者の引き合いが多く、数が足りず、配布中止になったところです。
最初の、エイプリルフールの取り組みあたりから、じじ、ばばの、いわゆるまじめな(?) 高齢者たちから、「ふざけている」と猛反発をくらいました。
 私もじじの年齢ですが、私自身は中二病のためか、あるいは「おたく」であり、あるいは精神の柔軟性に富むせいか、「なぜ、そんなに怒るのか」と当初から疑問に思っていました。
 その後、「シティプロモーション事業」が予算化され、全国宣伝事業で、情報ブローカーに対する委託料が予算提出されたことにより、怒れるじじ、ばばの公序良俗の代表者、市議会が、当該予算部分を除き、議決する、などという、騒動になってしまいました。

 なぜ、このような事業が、市長ぐるみで巻き起こったかといえば、どうも、自市の知名度を全国レベルで知らしめて、行政運営を、様々に効果的にしたいということに尽きているように思われます。
 例の、「くまもん」ブランドのように、「濡れ手で粟」というか、うまい話を求めていたのかも知れません。
 残念ながら、私は、生涯、二流の行政職であったので、自分が所属する地方都市が、全国的に知られていないことの、不利益や、行政運営上の支障は、あまり良く理解できませんでした。

 隣接した下松市(「くだまつし」と読みます。)において、自市出身の漫画家が、少年ジャンプに、連載マンガを掲載した際に、またそれは、「しもまつし」と呼称されたわけですが、早速、ジャンプ誌に、意見広告を出し、「下松市(くだまつし)」の周知徹底を図ったらしく、おらが市の名前を、知らしめることは、地方の公共団体において、非常に重要なことなのかも知れません。
 私は、再度言いますが、二流の行政職だったので、そのあたりの世間知とその効果は、よく理解できません。
 私とすれば「しもまつ市」の意見広告よりは、「周ニャン市」の方が、まだ、ましなんじゃないのと、思ってしまうわけです(下松市はどういう経緯で予算をつけたんですかね。少なくとも状況判断と決断・実行は早い市長です。)。

 個人的な意見を言えば、常日頃、あれほど職員に対し、市行政にかかる職員持ち出しのボランティアを強要(決して自発的ではなかった。まったくいなか者の手法です。)していながら、また、市長自身も、フェイスブックなどのSNSを使っていたにもかかわらず、先の予算措置のように、一時のバブル期のように、情報ブローカーに丸投げする必要があったのか、ということです。
 金がなければ、市職員に協力をお願いして、それぞれ得意のSNSの手段を駆使してでも、安価に、より効果的に、草の根の運動(?) を起こさなかったのかと、思いました。
「周ニャン市」を称揚する若い職員をみていてもそのことを如実に感じました。人は、個人としては、自分の好きなことは、自己の負担で、自分の時間を削ってでもやるわけです。
 その後の、行政に協力する市民の発案なのでしょう、周ニャン市グッズとか、いろいろ登場し、行政としても、周ニャン市マークの原付自転車ナンバープレートまで登場しました。
 地元スーパーでの、「ニャンニャンレジスター」(特定スーパーでレジを打つたびに、ニャンと音がする。)や、周ニャン市を名乗る食事メニュー、周ニャン市グッズの作成、友人に、周ニャン、トートバッグを見せてもらいましたが、良いできでした。
 地元は盛り上がっていたわけです。

 となれば、新たな市長は、当該協力者たちに対して、道義的な責任はないのでしょうか?

 昔、青島幸雄が、都知事選に当選した際、「公約だから」と、前知事が決定し実施寸前だった、「世界都市博」を、止めさせた時、直接、都及び都民に金銭的に、また、同時に、他国の信用を失墜する行為をしたとき、「公約を守るのは偉い」とパヨクが賞賛しました。
他国に対して約束を反故にし、国民にも国内でも都の信義則に損害を与えたこと、都財政のみならず、国内産業界にも損害を与えたことも、不問にされ、問題にもされなかったことです。
 さすがに、現職であった実務者出身の現職都知事(鈴木前知事・石原都知事候補ら)は、都財政・都民不在の愚策に、腹に据えかね、いろいろ運動されたようですが、無考えで、進歩的(?) で、無責任な、大多数の都民に黙殺されたようです。
 「ムリが通れば道理引っ込む」という、つまらない話です。また、その責任は、都民以外に誰も追求できないわけです。

 そういえば、当時の周南市の前市長は、ポピュリズム及び箱物至上主義であった前々市長が、駅ビル建て替えを決定し、当選時に、その予算が動き出していた時点でしたが、周南市としての損得を考え、公約に反しながらも、当該建て替えを是認したはずです。
 それが、あの、駅そば図書館になったわけです。

 その一方で、わが市でも、中高年以上の男性職員はどうもダメで、「市長はふざけている」、「バカらしいことをする」と言っていました。
 私は、保守的(保守は新しいものを好まないわけでは決してありません。)な人間ではありますが、中二病の私とすれば、反目に回り、「いなか者が」、「この老害・反動が」、と悪たれるしかない、訳です。
 行政職もいろいろいるわけですが、「視野を広げて、他者世界に対する想像力を養う」ことを怠れば、三流に堕するしかなく、それはパヨクのけつでもついて行けよ、ということであり、ああ、やっぱり、彼は、脱原発運動の支持者でした。バカだね。

 閑話休題、ここからが本番ですが、この「周ニャン市」問題が、2019年(平成30年)、春の市長選の争点になってしまいました。
現職で出馬した市長に対し、それまでの現職県議が一騎打ちを挑み、「周ニャン市キャンペーンをやめさせる」というのが、重点施策(争点)となったのです。
 元県議は、イメージ選挙戦が大変上手で、既成政治陣営の批判、男政治の終焉、高学歴市長候補者の終焉、を繰り返し、最期に、「「周ニャン市」は辞めさせます」、ガンバロー、とぶち上げます。

 この手法は、どこかで見た手法で、現状に飽きた、あるいは無思考の大衆が、「大阪都構想」を、際限なく繰り返し唱えれば、その気になって、「維新」の尻馬に乗ろう、と思うように、あるいは、グローバリズム、グローバリズムと何べんも唱えれば、流されやすい人々は、無思考で、あたかも輝かしい未来を信じるのかもしれない。
 ネガティブスローガンとして、男であったら偉いのか、学歴があったら偉いのか、などという不健康で、ネガティブな感情に訴える、その危険な思想、その負性や、問題点を論じることなしに、政治屋に、迎合、煽動され、操られる、つまらない大衆操作とまったく同じものです。
 前市長は、その点について、意識的だったらしく、選挙前に、広報の「市長随筆」で、トインビーを引用して、政治家の「ポピュリズム」(大衆迎合主義)批判を展開していましたが、どうも、それは、迂遠な方法であり、多数の市民には届かなかったのでしょう。

 結果、一万票以上の大差で、前市長は敗北しました。
 二期続いた市長であり、市民も飽きていたのかも知れません。前市長の座右の銘、「和して同ぜず」が、気にさわっていたのかも知れません。強いて言うのであれば、飽きっぽい市民は、学歴や経歴を、視野の広さなどとかあまり問題にしなくなったわけです。

 しかしながら、争点が、政治政策ではなく、「周ニャン市」では、市民も職員も浮かばれない、ところです。
 現在は、新市長は、英断で「市民の声を聞く課」などを設置され、「おもてなし行政」など広く展開されています(もちろん皮肉です。)。

 先の総選挙のばかばかしさ、支持政策の不在と、支持政党の不在の、デフレを加速する消費税増税が行われた、先の総選挙に対する、国民の絶望と呼応するところがあります。
 国がダメになれば、地方もダメになっていくのでしょう。
他国からの侵略対策や、国民の安心安全を第一義にしない国家の国民は、ニヒリズム(絶望・無気力主義)に陥るしかないのではないでしょうか。


(令和元年(2020年)9月1日付け市広報で、担当課から当該事業は終息するとの報告がされました。)