天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

NHK Eテレ 「シャキーン」の面白さについて

2016-04-28 20:22:51 | 映画・テレビドラマなど
朝7時から、朝のゴールデンタイム(?)、Eテレの強力ラインナップとして、朝の支度をしながら、横目で見ている興味深い番組として、「シャキーン」をほぼ毎日続けています。
 この番組は、「こども向けお目覚め番組」として位置づけられており、しゃべる樹木のジュモクさん、電子映像の羽の生えた猫のネコッパチの二人の不動のキャラクターに加え、その他MC(番組進行役)は、昨年4月から、めいちゃん(小学校中・高学年くらいですか)という利発そうな女の子が務めており、また、特筆すべきは、モモエ(年齢がつかみにくいが、たぶん女の子でしょう。)というトリックスター(かきまわし役)が登場したことです。この試みは、確かに新しいものでした(感心しました。)。
 この番組は、朝の子ども向け「シャキーン」というお目覚め番組ということになっており、もともと、間違い探しのお遊びから、知能クイズなど、こども向けの、遊びと教養番組のようなものを目指しているようですが、あにはからんや、なかなか、それだけにとどまりません。年齢・世代を超えた、ゲームの実験のようなもの(?)まで登場し、飽きさせません。ときどき、製作者も思考実験として楽しんでいるんじゃないか、と思える時があります。他の、Eテレの同種の番組と同様に、必ずしも、こどもたちだけでなく、その両親、祖父母まで射程においているようです。実際のところ、Eテレの「日本語であそぼ」の「恋そめし、われ」の視聴者参加の大人のダンスの投稿も数多くありましたので、視聴者の年齢の幅も、支持する層も大きく広がっているのでしょう。
 メイちゃんの衣装も、ジュモクさんをイメージとして、森の中に棲む女の子をイメージしたような緑の帽子などの衣装を着ていますが、特に目立つのは、モモエの衣装です。彼女は、全身をすっぽり、真ピンクの着ぐるみやタイツのようなものをまとい、その顔をハスの花びらで覆われたような頭巾(かぶりもの、私はももの和菓子を連想してしまいます。)を被った太めで豊頬(ほっぺたが豊かで赤い)の女の子です。
上流志向らしく、精一杯背伸びをし、「おーっ、ほっほっほ」とほおに手をあて、かん高く、上品に笑います。平凡が嫌で、月並みや平凡な社会通念を嫌悪し、他のMCたちに反抗します。ま、いじめの標的(?)になりそうな存在です。着ぐるみなので様子がわからず、最初は男の子かなとも思いましたが、どうもやっぱり女の子らしく、年齢は、小学校の高学年くらいかな、と私には思われます。
 先ごろ、「オーガンジー」というファッション用語を巡って、モモエをめぐり、「オーガンジー」とはどんな意味か、という議論になって、動物キャラクターに扮する男どもの厳しい突っ込みにあい、ファッションと聞けばひき下がれない知った被りのモモエが、「ワインレッド」のことだわ、「ビロード」のことをいうのよ、「織り方だわ」と、次々に前言をひるがえし、必死で抵抗します。実際のところ、私も「オーガンジー」ってなんだと思っていたので、興味がわきました。
結局、「平織で薄手、軽く透けている生地で、スカートの裏地などで使う材質」だそうです。まだ、前思春期の、モモエがよく知らなかったのは無理がないかもしれませんが。狼狽するモモエのあたふた振りが面白く、とても笑えました。トリックスターとして、くせのある、難しい性格に反して、少し太めで近頃まれな赤いほっぺをしたかわいい子です(そういうと彼女から逆ねじをくらいそうですが)。
 実際のところ、Eテレで、現在の、素のさまざまなこどもたちがみられることは、私にとって、とても興味深いところです。この番組では、色々と、普通のこどもたちからのこどもらしい分別での投稿もあるし、彼らにも結構人気のある番組ではないかと思います。
誤解を恐れずにいえば、この番組は、私にとって、「童心」に出会える貴重な機会のように思われます。
こどもの着想や大人の関心や興味など折衷したりして、その組み合わせの妙もあり、こどもたちのみならず、頭脳が柔軟な、多くの大人たちにも是非おすすめです。

**********************************************************************************************

H28.5.5追記
先ごろ、車を運転中、前の横断歩道を横切るカップル(無論男と女です。)を何の気なしにみていて、ふと気付きました。「エウレカ(われはっけんせり)」、「あれが、オーガンジーではないのか。」カップルの若い女の子が、短い原色のスカ-トのうえに、さながら、花束のラッピングのような半透明のスカートを重ねて穿いているではありませんか、「とても素敵ですな」と直感的に思いました。
 この衝撃は、いつぞや、ズボンの上にスカートを穿いた女の子を見て以来(ごく一般的になっつまいましたね。)のことでした。
 いやー、「人間の思惟することはおしなべて現実的である」、おやじにも、卑近な例でございました。

 私の誤理解した「グローバリゼーション」を「グローバリズム」に即座に訂正するのはもちろんのことながら、私のファッション感覚(?)に、間違いがあれば、直ちに正しますので、皆さま、是非教えてください。

再再度・NHKEテレ06:55の面白さについて(「ご当地再発見!ソング」 礼賛)

2016-04-19 21:41:40 | 映画・テレビドラマなど
 私、引き続き、ウイークデイ午前6時55分からのEテレ「0655」を愛視聴しております。
 たった5分間の番組であり、放送時間が秒刻みであることはよくわかりますが、そこはそれ、製作者の工夫によって私たちを楽しませてくれます。
 文字通り興味深い企画で毎度楽しませていただいておりますが、このたび、当該番組について標記の新企画がスタートしました。

 もう、二週目に入りましたが、ムード歌謡グループ、ロスプリモスによる、今週のご当地ソングは、「さらば豊橋(とよばし)」ということになっています。
 愛知県豊橋市役所前の路面電車の駐停車場の前に無表情のカップルが無言で並んで電車を待っております、やがて、路面電車がやってきて、無表情の女の子(里美)が乗り込みステップの上の段から、男の方を無表情に見返します。もう語ることなど何もない、との状況でしょうか。男は白いハイネックと黒のジャケットの上下、いまどきはやらないプラスチックの黒いロイド眼鏡をかけています。
 ムード歌謡に沿いながら、「(彼女と別れて傷心の僕は)ここに二度と来ないだろう」という歌詞が流れます。「そして、最後の思い出作りに街を歩きます」、という説明がされ、よく知らぬ街を漠然と歩いていきます。
 その時、彼は、エウレカ(われ、発見せり)ということで、豊川(とよかわ)という河に架かった豊橋(「とよばし」と発音するみたいです。)という橋を発見して、思わず手を叩くわけです。「豊橋市」という市名の市には、ちゃんと「豊橋(とよはし)」が存在したのであると、それは、一級河川「豊川」に架かる全長186メーターの「とよばし」であると。
「ほんとにあるのね、豊橋」と、腑に落ちた彼の、その発見が、彼を少し喜ばせます。

 深読みをすると、破たんして去っていく女には何も残らないけれど、失恋を契機に、男は小さな(?)「発見」と、「真理」に到達する、ということであろうかと、思われます。
 たとえば「一般的に」女性に「それがなんなのよ!!」と断じられたら、男とすればそこまでですが・・・・・。

 ムード歌謡の手慣れた歌唱と字余りの奇妙な歌詞、また、素朴で、あか抜けないドラマとのミスマッチとに相まって、大変笑えます。
 そういえば、先週、先々週と引き続き、JR高円寺駅が登場し、南口そばの純喫茶で、別れ話の末、彼女(美代子)に平手打ちをくらい置き去りにされた、例のロイド眼鏡の彼が、傷心ののち、思いで作りに高円寺駅の界隈を歩けば、本当に「高円寺(徳川家由来の名刹)」に出くわす、おお「エウレカ」と、隠された真理に逢着(でくわす)し、少しうれしくなる(その後、彼は、すぐにふさいで、ぶすっとしてしまいますが)逸話でありました。
 このパターンが、いつまで続くかはわかりませんが、次は、どこの地名がテーマになるのか、とても楽しみです。

「記憶 3月11日 HAND DOWN 東北」の講演についての(公式の)お礼  その2

2016-04-16 19:15:07 | 読書ノート(天道公平)
 4月14日、午後9時半ごろ始まった、熊本の群発地震により、今日もまた、大分県に拡大した、神経戦のような、余震・本震の波状攻撃に耐えています。
 熊本、中九州の方々の苦衷(犠牲者37人、避難者9万8000人)は申し上げるまでもありませんが、私の住所は山口県であり、この広範な地震の影響下にありながら、連続する地震の頻発に、今後がわからぬまま、テレビに釘付けのような状況にあります。
 今、震災下で罹災し、避難されている方々の不眠の状況とその不安と苦痛を思いやると共に、地震の鎮静を願っています。
 実際のところ、誰が自然災害に出くわすのか、わからないのです。

*******************************************

「記憶 3月11日 HAND DOWN 東北」という文集を読ませていただいたこと及び講演についての(公式の)お礼   その2
                                 H26.11.6
 S Y 様    
 S A 様

 このたびは、私たちの行事に協力していただき、また遠いところから、わざわざ山口まで来ていただき、本当にありがとうございました。
 このたびの、研修会に参加した多くの人たち、殊に、こどもたちは、あなたがたの話に深い印象と感動を受けたことでしょう。

 私も、私の受けた感動と印象を申し述べさせていただき、勝手ながら、お礼の言葉にしたい、と考えています。したがって、これは、仕事ではなく、個人的な考えになります。場合によっては、あなたたちと、見解が違うかも知れません。それは、率直な気持ち、ということで理解していただきたい、と思います。また、ひょっとすれば、私とあなたたちとは、体験の差や、気持ちの行き違いや、齟齬(そご)があるかも知れませんが、私の考えたことを、率直に、勇気を持って、私の責任で申し上げたいと思います。
 あの2011年、3.11以降、当時の私の個人的な感覚として、東京以北と、東海道以南と日本列島が大きく分断されたように感じました。その違和感と、災害の実態のわからなさについて、当時、強い焦燥感に駆られ、マスコミ報道とともに、3.11後の状況に対する、普段私が敬意を払うような学者や知識人(?) の発言を必死に探したよう思います。その衝撃と焦燥の気持ちは、ボランティアに行かないまでも、日本中の、多くの人々も同様な経験であったのではないかと思います。
 今でも、印象に残っているのは、村上龍の発言と、吉本隆明の発言です。
 彼らの発言を含め、このたびの多くの発言は、大震災を引き金とした、福島原発事故にかかわるものでした。それ以降、個々の被災の状況の差異は忘れ去られ、過剰な意味合いとバイアス(偏った見方)をつけられてしまいましたが、いま、私の立場を鮮明にすると、外国紙の報道(イギリス)だったと思いますが、私も同様に、「自然災害(大地震)を原因とした原発事故」、だと認識しています。これは、本題とは別ですので、これ以上触れません。

 また、私は、姉妹都市の縁で、2011年8月に福島県のいわき市に、災害ボランティアとして派遣されました。私のみた被災地は、沿岸部の甚大な被害と、一部地域の家屋被害であり、一番深刻なのは放射線汚染(?) による農作物の風評被害でした(当時、消費しない関東圏の人たちの代わりに憤激に駆られた私は福島産ももをたくさん買い込みました。6個も7個も入った桃の箱がたった千円ですよ。現地の農業者の代わりに怒ります。)。また、東京都下で、福島ナンバーの車が、忌避されたり、いたずらされたり、福島県出身者には、アパートを貸さないなどの、卑しい振る舞いのことを聞いたこともあり、改めて、都会の人間の利己主義とそれを恥じない傲慢さに腹立たしい思いをしました。

 現地の職員には、暖かく受け入れていただきましたが、彼に言わせると、妻が子供を連れて、東京の実家に帰り、そのままになっている、などと笑えない話もあり、非常時の際の人間の対応や態度について、何が正しく、何が間違っていたのか、と、今でも思いをはせるところです。当時、私の現地での仕事は、個々の家の損害度合いの判定を補助するような仕事でしたが、地元では「わざわざそんな遠いところから・・・」と感謝の気持ちと、心からのお礼の言葉をいただき、仕事ながらありがたく、しばらくない仕事を通じた充実を感じました。その体験を経て、当初手あげ方式で義務的に募集のあった当該ボランティアに、その後何度も応募する職員もおりました。

 しかしながら、激震地の被害の大きさと、その体験の衝撃の度合いなど、このたびの、あなたたちの手記で読んだ津波による激甚な被災地の状況とはまた違っており、それぞれの、被災地域での〈差異と落差〉についても、地区地区で、それぞれこうも違うのかと、色々思うところがありました。
 その体験の大きさに応じて、Sさんたちが、今回(2014年2月1日)自己体験を語ることができるようになるまで時間がかかったことは、手記の中でそれぞれ触れられ、よく得心がゆきました。
 今でも、政治レベルで、国・県の復旧支援が停滞し、実効ある支援がいまだに行われていないこと、非日常がいまだに日常になっているような被災住宅などは、大変お気の毒だと思います。
広い東北のそれぞれで、様々な人が被災し、様々な被害と、それぞれ異なった体験と、それぞれの苦闘があり、それが現在の状況でもあることを、私たちは忘れてはならないと思います。(被災地の瓦礫受入れに係る他地区住民の卑しい行為も)
 また、手記を読むにつれて、宮城県石巻市に在住し、被災した、Sさんたちは、地形的に津波で大きな被害を受け、様々な人が被災し、様々な被害と、それぞれ異なった体験として、家族の死に遭遇し、家や財産、生活の根底を失っています。そして、それぞれの進路や人性を、生きのこった家族や周囲と折り合いをつけながら、厳しい〈日常〉に帰っていったことがよくわかりました。その、悲しみと、喪失感を、文章として確認(客観視)するには、相応の時間が必要だったのでしょう。
 3.11当時、私が、テレビで被災後の現地の中継を見ていると、生き延びた人たちがまず最初に必死で行ったのは家族の安否の確認であり、時間が経ち、それが叶わなかった場合は、被災地での瓦礫の中での懸命な遺体の捜索でした。それは、とてもよくわかる行動で、全国でも被災地以外の多くの家族が、身につまされて、その映像を見守った筈です。
 人間は、身内の死を、死として認識し納得できなければ、先に進めない存在であり、また、同時に、人間は、他人の悲惨を、自らの苦しみ、悲しみとして受感し、共有することができる存在でもあるのです。

 ご存知でしょうか、Sさんたちの体験の「記憶」の記録が、私には、長崎の被災地でアメリカ人の軍属によって撮影された、「火葬場の少年(ジョー・オドネルさんの写真)と重なってしまって仕方がありません(毎年、私は、敗戦と、戦争で最初に苦しんだ女性や子供たちなど尊い犠牲者を忘れないように、この写真を8月の壁紙にします。)。
 あなた方も、彼も、若くして、理不尽な肉親の死に立会う、厳しい運命です。私が考えるのに、あなたたちにとって、一番大きなことは、いかにして、それぞれが肉親の死を受け入れたかということと思えます。S Yさんの体験、S Aさんの体験、いずれも過酷で、重いものです。そしてその自らの痛みと悔恨と、母の死を、身内の死を、受け入れ、鎮魂のために手記を書いているのがよくわかります。

 「火葬場の少年」は、おそらく原爆を原因にするものでしょう、死にわかれた両親、家族の代わりに、死んだ妹を背中に負い、火葬場につれてきました。類比して考えれば、大地震と、敗戦と、それぞれ、理不尽な暴力の中で、被災したのです。

 私は、以前から、家族の〈意味〉と〈役割〉というものを、ずっと、考えています。
 ヘーゲルというドイツの哲学者がいます。
 彼は、まず、家族の本質については「愛の直接性」ということをいいます。
 それは一対の自由な男女が、成熟し、出会い、結婚し、子どもを持つという過程(相手を思いやり自分を犠牲にして相手に尽くす相互の行為)を通じてお互いの人格を陶冶(とうや)し、愛を持って子供を育て、子どもはその無償の愛に応えて、将来家庭を持つことで、人間の世界(社会)は続いていくという人倫のサイクルをいいます。
 もう一つ、ヘーゲルには、家族について、重要な「人間の掟」と「神々の掟」という言葉があります。「人間の掟」を「国家(社会)の掟」とするならば、もう一つの大きな家族の役割は「神々の掟」であると言っています。(それは「義理」と「人情」のように相矛盾することもあります。これらの
挿話はヘーゲルの精神現象学の「アンチゴネー(ギリシャ悲劇に題材を借りたもの。とても素晴らしい部分です。)」に関するものです。「ヘーゲル・大人のなり方」(西研)NHK出版、がとてもお勧めです。)
 「神々の掟」を解釈すれば、「埋葬の義務」のことです。「家族は、その一員の死体を、自己意識を持たない自然の意志のままに放置せずに正しく葬ることによって、死者に「人間としての尊厳」を付与しなおすという使命と役割を最初からもっている、なぜなら性愛的な結合やそこから生じた親子関係にもとづく情感の交感と共有とは、「やがては、ばらばらに死すべき存在」としての個々の人間身体のあり方をたがいに深く気にかけるということとほとんど同義だからである」(小浜逸郎「エロス身体論」からの引用です。)と、いうこととなります。
 もう少し具体的にかいつまんでいえば、「家族は、もし離れていたとしても、お互いに気遣い合い、思い合い、訪問し合い、気持ちの様々な交流を続け、もし、最後に家族の誰かがなくなれば、葬儀を行い、獣や動物に襲われないように埋葬し、その存在( 魂?)を祖霊のもとに返していく」というこ
とです。これを家族に課された「神々の掟」といい、「人間の掟」(現世の法律とか道徳)より上位に当たる、個々の家族に託された人間の長い歴史の中での尊い重い役割のことをいいます。
 「愛の直接性」で結びついたはずの家族は、互いに睦みあい、慣れ親しみ、互いに思いやり、気持ちの交流を持ちます。そして不意の死があり、理不尽にまた不条理に別れた残された家族は、個々に自分で家族の死と別れの意味を考え、受け入れ、祖霊のもとに、彼らを送らなくてはならないのです。
今の年になって実感しますが、これは本当に大事なことです。実際のところ、私も、老いてしまい、家族を想いながらも、自分の残年数(?) を数えています。自己と、身近な人間の死を想い、思いやり、たぶんその時に初めて、「死」から見た私たちそれぞれの人性の意味が照射されるのです。

 また、私が聞いた話では、東北には、「津波てんでんこ」ということわざがあるそうですね。我流に解釈すると、天災のときは、それぞれなりふり構わず一人で逃げて、とにかく生きのこったやつがまたやりなおせよ、といったような意味となります。なお、それは、同時に、家族も同様に行動していると信頼の上でのこと、であるとも聞きました。
いざというときはどうしようもないかも知れませんが、生き延びたことは少なくとも価値です。個人的にいえば、私より若い人が生き残るのは、それだけで価値です。
 Sさんたちとは世代も生活史も違いますが、私の理解しているかぎりでは、〈一般的に〉いうと、東北地方は、自然も支配も過酷な地域でしたから、飢饉 や中央政府の制圧など、悲惨な歴史はいくらもあるでしょう。(このたびも「なぜまた東北なのか」という声もありました。)しかし、生き延びた人間とすれば、どんなに厳しい現実が残ったとしても、希望をもち、自己を肯定しなければ、生きていけないのではないかと思われます。私たち個々の体験(人性)は他人に置き換えられない、まぎれもなく尊いものです。

 皆さんの手記を読んでいるうち、中には、この体験を世界に発信しなければならない、というような文章もありました。
 しかし、現在の世界を考えれば、悲しいことに、天災のみならず、戦争や政治や宗教や理不尽な人為的な暴力によって招き寄せられる、死や、悲惨な現実はいくらもあることです。あらゆる体験は本当に個人的で、容易に他者への拡散を許さないのです。誤解を恐れずにいいますが、身につまされ他者の苦悩を理解できるのは同様な体験をしうる可能性のある人と他者の痛みに触れることのできる「想像力」のある人だけなのです。
 あえて年上の人間としていわせてもらえば、それよりは、自分で、自分の体験を深く想い、現在の立ち位置に踏みとどまり、〈自分の〉未来を見すえ、生きていく希望と勇気を持つことを望みます。
それが、亡くなった人たちの死を悼み、親族以外の死者をも〈正しく〉葬る方法であるようにも思えます。それが、文集を編ずることかも知れません。
 皆さんの、真摯で、切実な取り組みが、皆さん自身に前向きの勇気を与え、そして、この取り組みが、手記を読んだ皆に、若い感動と、彼らが未来に立ち向かう勇気を与えるように祈っています。
このたびは本当にありがとうございました。

               天 道 公 平

追記  私は、趣味のクラブ活動で英会話をやっていますが、この手記に英文があったので、うちの英語の先生に見せましたが、彼女は強い印象を受けたようです。その時聞きましたが、ハンドダウンのコノテーション(言外の意味)というのは、手を挙げる気力もない、呆然とする、手をつかねるというような意味だと言っていました。それでいいのか、また、教えてください。

「記憶 3月11日 HAND DOWN 東北」という文集を読んだことについて  その1

2016-04-06 20:45:35 | 読書ノート(天道公平)
いつもながら、時宜に合わぬ投稿となりますが、先に録画だけ済ませていた、BSのNHKスペシャル「定点映像 震災5年の記録」という番組を、本日見ましたが、いろいろ思うところがあり、2014年に仕事で、標記の文集を編まれた方とお会いしたことがあったので、当該顛末について、下記のとおり私見を述べさせていただきます。

******************************************

「記憶 3月11日 HAND DOWN 東北」という文集を読んだことについて  その1
                                   2014.9.23
 来る、平成26年11月5日(水)市内のT中で、Tブロック人権推進協議会行事が行われます。今回は、3.11で被災した、子どもたちの文集(2014年2月1日刊行)を契機に、その文集運動を組織した、代表の女学生(?) たちを呼ぶことになっています。どの手記も、自分自身の「直接体験」とその後の〈日常〉を率直に素直につづっています。山口在住の私たちにとって、彼女たちに会えるような、このような機会はあまりないと思いますので、皆様方に、是非参加をお勧めします。
 あの2011年3.11以降、当時の私の個人的な感覚として、東京以北と、東海道以南と日本列島が大きく分断されたように感じました。その違和感と、災害の実態のわからなさについて、以前から、色々考えてみたいと思っていました。当時、強い焦燥感に駆られ、3.11後の状況に対する、敬意を払うような学者や文化人(?) の発言を懸命に探したよう思います。 
  多くの方々も同様な経験をお持ちではないでしょうか。
 また、私は、2011年8月に福島県のいわき市に市の災害ボランティアとして派遣されました。
私のみた被災地は、沿岸部の甚大な被害と、一部地域の家屋被害であり、一番深刻なのは放射線汚染(?) による農作物の風評被害でした(代わりに私は福島産ももをたくさん買い込みましたが)。
激震地の被害の大きさなど、手記を読んだ彼女たちの被災地とはまた違っており、それぞれの、被災地域での〈落差〉についても考えてみたかったところです。

 彼女たちが、このたび(2014年2月1日)自己体験を語ることができるようになるまで時間がかかったことは、手記の中でそれぞれ触れられています。今でいうと、ほぼ3年半くらい、彼女たちにも、私たちにも均等に時間が流れています。(ただし、政治レベルで、国・県の復旧支援が十分に行われていないこと、東北の一部で、非日常がいまだに日常になっているような(被災住宅等)は大変お気の毒ですが)彼女たちは皆、それぞれの進路や人性を、生きのこった家族や周囲と折り合いをつけながら、厳しい〈日常〉に帰っていったようです。運よく、私たちの相応の日常が、幸も不幸も含め淡々と続いていたように。
 彼女たちは、宮城県石巻市に在住し、被災しています。地形的には津波で大きな被害を受けたところです。彼女たちを含め、広い東北のそれぞれで、様々な人が被災し、様々な被害と、それぞれ異なった体験で、家族の死に遭遇し、家や財産、生活の根底を失っています。その、悲しみと、喪失感を、文章として確認(客観視)するには、相応の時間が必要だったのだと感じられます。
 3.11当時、私が、テレビで被災後の現地のルポを見ていると、生き延びた人たちがまず最初に必死に行ったのは家族の安否の確認であり、時間がたち、それが叶わなかった場合は、被災地での瓦礫の中での懸命な遺体の捜索でした。それは、とてもよくわかる行動で、全国でも被災地以外の多くの家族が、身につまされて、その映像を見守った筈です。
 一般的に人間は、身内の死を、死として認識し納得できなければ、先に進めない存在であり、また、人間は、他人の悲惨を、自らの苦しみ、悲しみとして受感し、共有することができる存在でもあるのです。


 私には、彼女たちの「記憶」の記録が、以前に紹介した、「火葬場の少年」(オドネルさんの写真)と重なってしまいます。若くして、理不尽な肉親の死に立会う、厳しい運命です。
 彼らにとって、一番大きなことは、いかにして、それぞれで肉親の死を受け入れたかということです。一人の子は、崩壊した家から、足を挟まれ「行かないで」という母を振り切り、重油で真っ黒い海を泳いで必死に逃れた体験をしています。そしてその自らの痛みと悔恨と、母の死を受け入れ、鎮魂のために手記を書いているのがよくわかります。
 「火葬場の少年」は、死にわかれた両親、家族の代わりに、死んだ妹を背中に負い、火葬場につれてきました。大地震と、敗戦と、理不尽な暴力の中で、彼らは被災したのです。
 再度、「家族の〈役割〉」を蒸し返しますが、家族とは、「死者を正しく葬ることによって、死者に「人間としての尊厳」を付与しなおすという使命と役割を最初からもっている」筈なのです。
慣れ親しんだ家族は、互いに思いやり、気持ちの交流を持ちます。不意の死があり、理不尽にまた不条理に別れた残された家族は、個々に自分で家族の死と別れの意味を考え、受け入れ、祖霊のもとに、彼らを送らなくてはならないのです。

 東北には、「津波てんでんこ」ということわざがあるそうです。
 天災のときは、それぞれなりふり構わず一人で逃げて、生きのこったやつがまたやりなおせよ、といったような意味だそうです。〈一般的に〉東北地方は、自然も支配も過酷な地域でしたから、飢饉や中央政府の制圧など、悲惨な歴史はいくらもあるでしょう。(「なぜまた東北なのか」という声もありました。)しかし、生き延びた人間とすれば、どんなに厳しい現実が残ったとしても、希望をもち、自己を肯定しなければ生きていけないのです。

 彼女たちの取り組みは、まだ、政治的な利用はされていないように思われます。(政治責任を問うとか、脱原発とかいうあれですけど)
 中には、この体験を世界に発信しなければならない、というような文章もありました。
 しかし、現在の世界を考えれば、悲しいことに、天災のみならず、戦争や政治や宗教や理不尽な人為的な暴力によって招き寄せられる、死や、悲惨な現実はいくらもあることです。あえて年上の人間としていわせてもらえば、それよりは、自分で、自分の体験を深く想い、今後の〈自分の〉未来を見すえ、生きていく希望や勇気を持って欲しいところです。 それが、亡くなった人たちの死を悼み、死者を〈正しく〉葬る方法であるように思えます。
 彼らの、真摯で、切実な取り組みが、聴衆の皆に、感動と、勇気を与えるように祈っています。

 *うちの英会話の先生に聞きましたが、ハンドダウンのコノテーション(言外の意味)というのは、手を挙げる気力もない、呆然とする、手をつかねるというような意味だそうです。実際に、意味を聞いてみたいですね。

ユニバーサルトイレ罵倒(併せ「男女共同参画運動」への不快の表明)

2016-04-01 23:55:40 | 罵倒シリーズ
 「ユニバーサルデザイン(Universal Design、UD)とは、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう。」こととなっています。」
 ユニバーサルデザイントイレとは、ユニバーサルデザインという「考え」で設計・建築されたうえ、一般に供用されているトイレということとなるかとも思います。
 また、ユニバーサルデザインとは、障がい者などに配慮したという発想とは別とのことだそうです。それは、バリアフリーとかいう理念であり、障がい者や老人などなにがしかの要支援者に対する配慮という別の発想だそうです。

 先ごろから、自分の用件で、公共物や、準公共物を訪うとき強くいらだつことがあります。というのは、最近建築されたものについては、男の小便器のあるトイレが少なくなり、ユニバーサルトイレの中いわゆる多機能(小便・大便一緒の様式トイレをベースにし、障がい者への対応、こどものホルダー、ストマの処理までついた何でもアリのトイレです。)トイレの設置となり、なかんずく男女共用のトイレさえありました。これらについて、おしなべて不愉快です。
 男のトイレは、その頻度のほとんど小用です。小便器ならまだしも、便座トイレに立って放尿するのは、トイレ自体を汚しそうで、余計な気を遣うし、それを避けるために、便座の上で小用をするのは、備え付けの便座クリーナーがあるにせよ、好きになれません。
 
 男(私を男一般と仮定しますが)だけの感覚なのか、知り合いの女性に聞いてみると、意外にも、「まだ和式がいい」とか、「公衆トイレの便座に座りたくない」、「必ずしも便座トイレとかでなくてもいい」けど、「膝を痛めたので、もうダメよねー」、とかの人も多く、しかしながら、「男女共同参画トイレ」は論外だそうです。

 先ごろ、さる金融機関(残念ながら日本国民のために一般的に私が支援する金融機関、JA(農協)の新築の支店でした。)で、たまたま、顧客用の男女共用トイレの実態を見たとき、怒りに震え、「君たち職員は、職場で男女共同トイレを毎日使っているのか、顧客の事情に配慮せずこんなトイレを設計して建築した、建築士とその事業所は狂っている(?)」というアンケートに意見を書いておいてきました。しかし、新築の堅牢な建物であり、建築基準を満たしているのでしょうから、男女別のトイレを作る法的な義務はないのでしょう。したがって、「大多数の国民の抱く社会通念にも配慮できない(多くの国民大衆の意向も退ける)建設省も狂っている」、と申し添えます。 ま、そう書いても無駄かもしれませんが、顧客に、そんな不便と不快を強いる金融機関には、それ以降、極力いかないようにしています。
 さすがに私が経験した範囲では、デパートや、ホテルなど、こんなとんでもない施設は「当然」ないところですが、コンビニとか、いまだにユニバーサル=男女共同参画トイレに固執しているところもあるようです。

 殊に、「男と同じトイレを使うなんておぞましい」と言い切った知り合いもいましたので(その方は、うちの妻と娘のように、「おやじはくさい」、「あなたはくさい」とまでは言わない人ですが)、やはり、男と同じ公衆トイレを使うのは、感覚的にイヤダ、と強く思っているのでしょう。公共プールでも、「男の後を泳ぐのも嫌だ(くさいから)」、と言う女性を知っています。
 桐野夏生の小説(「だから荒野」)でも、専業主婦の主人公が、夫と息子の使った後の汚れたふろの浴槽を描写するシーンがあり、女性が感じるそのあまりのリアルさと切実さに、小説のそのあとを同じ男として読み進むのが、いやになりました。
 あれを読むとさらに、男と女の隔絶した「感覚」の違いがよーくわかります。

 ここらで、まず結論を出しましょう。
 私は、社会的な側面では、不特定の人が使うトイレにおいては、当然ながら、当該日本の伝統は守っていただき、男女別れたトイレで、男子トイレは小便器と大便器と別れたトイレを希望します。
 公共的トイレの設置者は、男と女の性差に基づいたそれぞれの歴史性を考慮し無自覚であることなく、伝統等を考慮した男女それぞれの嗜好に応じたトイレを設置するとともに、その後時代の変遷により必要となった便益性(荷物おき、こども用のスペース、車いすなどの利用者への配慮)を付加することを忘れることなく、外出してトイレを利用したい様々な一般国民に対するサービスの質を配慮するとともに、普通に要望される社会の共通利害のよりよい実現に努力することを怠るべきではないのです(あらゆるトイレにおしなべてとまではいいませんが)。

 それはそうとして、トイレ問題を一つとして、なぜ、日本国政府は本来の男女個々の性差に基づく思考、好悪、感覚について、本来配慮すべき努力をしないのか、あるいは怠っているのかについて考えたいと思います。

 かねてより、人権研修と銘打ち、我々被雇用職員は、性差を原因とした、「社会的な」差別の排除を極力排除すべき、という見地から、職場研修を強いられています。われわれの同僚には、普通の大人の考えとして、「男女の差別より、男女の区別や、差異が問題だろう」という、至極まっとうな人が多かったのか、皆、担当者を除き、積極的に取り組むとは思えません。個人的に私は、この、忙しい時期にと思い、私の参加した行事のアンケートで、「「相互の差異を尊重した「男女共同参画」」と、最初に掲げるのなら、理念としてまだ意味がある。本来、男女差別は、不徹底な男女間の不平等賃金の格差の解消と、女性の産前産後休暇の確保ををあらゆる職場で義務化すればそれ以外は、余計なお世話」と、書き上げ提出しましたが、たぶん主催者には、そんな投書をフィードバック(弁証法的な契機を取り込む)するような経路などないでしょう。
 しかしながら、安倍政権は、なぜ、つまらない、「男女共同参画」運動に血道を上げるのか、と考えれば、小浜逸郎氏の考察を見れば明らかでしょう。(「母親就業率のランキングに見る欺瞞」http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/6fd741b410e321baaef92ce805928cd3)

「すべての女性が輝く政策パッケージ」として、平成26年10月、政府自民党は、「すべての女性が輝く社会づくり本部決定」として、「すべての女性が輝く社会をつくる。これは、安倍内閣の最重要課題である。女性は社会のあらゆる分野で重要な役割を担っている。「すべての女性が輝く社会」とは、各々の希望に応じ、女性が、職場においても、家庭や地域においても、個性と能力を十分に発揮し、輝くことができる社会である。」と歯の浮くような、空論を書いています。
 それが、実際に、不安定な派遣労働、パートタイム労働で市民社会の中で奮闘する恵まれない大部分の女性たちの「本来の利害」と「現状の正しい改善」の問題に対し、 いかに厳しく対立しているかは、明らかに思われます。
 また、女性管理職の登用という施策など、恵まれた一部エリート女性に媚び、バイアスのかかった不公平な人材登用で、現場のやる気を阻害し、能力不足により、指揮系統に混乱をきたす人事を国・地方レベルで実現しようとしています。各職場において能力のない上司は、いずれにせよ御免ですが、優秀で有能な女性上司は女子力を最大限有効に使っているし、はげ・デブで時に臭い男上司より歓迎するぞ、というのが、男、部下皆の本音ではないのでしょうかね。
 男と女には、古来から(?)、当然に、肉体的にも、観念的にも明らかに差があり、その差異を消去しようとしたり、制度で無理やり埋めようとしたりしても、何の意味もない、むしろ差異を尊重し、当該特質を社会に還元できるような経路がまず必要なのではないか、というのが、国の本来の知性ある施策ではないのでしょうかね。(みなさん、再度、小浜氏の人気ブログを、拳拳服膺(けんけんふくよう( 意味 :人の教えや言葉などを、心にしっかりと留めて決して忘れないこと。両手で物を大切に捧ささげ持って胸につける意から▽「拳拳」は両手でうやうやしく捧げ持つ形容。「服膺」は胸にくっつけることから、よく心に留めること。「服」はつける意。「膺」は胸の意)してくださいね。)

 閑話休題、 
 あえて、言うならば、女性よ、生理的な反応感覚だけで、男(夫・父など)を貶め、誹謗するのはよせ、それをしないのが、本来の人間としての教養とか、知性とかいうものじゃないのかね、と言いたい、ところです。
 しかし、同性同年齢の私としても、現在のような、容貌とかにおいや感覚性に過剰に過敏な、他者の欠点に過度に非寛容でかつ現在のような半ばに神経症的な世界になじめば、「やはりおやじはくさい」、と感じるのは悲しいところですが・・・。

***********************************************

 かつて、太宰治は、名著「カチカチ山」において、主人公の16歳の処女(?)のウサギが、愚鈍で醜い、しかし過度に悪くないタヌキをこれでもかと懲らしめる様を、「・・・皮膚感覚が倫理を覆(おお)っている状態、これを低能あるいは悪魔という。」と評しています。
 思春期(発情期)のつらい(?)時期に、「暗い」とか「キモイ」とか、低脳か、悪魔かに口をそろえてはやされたら、内向的な(内面性のある)、殊に男の子ってつらいよね、確かにあやつらは、悪魔だ。
 「皮膚感覚だけで、一生渡れると思うなよ、低能が・・・」と罵ってもむだか、「男どもよ、勝てないだろうが負けるなよ」、とエールを送ります。