天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

児童書「クロニクル千古の闇」をめぐって(併せ「アイスランド」紀行) その2

2015-10-20 22:05:56 | 旅行
 児童書「クロニクル千古の闇」をめぐって(併せ「アイスランド」紀行)その2

 ところで、後先になりますが、今回のアイスランドツアーの売りはなんでしょうか?
 実際のところ、オーロラ(日本語で「極北光」、英語で「ノーザンライツ(Northern Lights)」といいます。地球の電離層の通電現象により生じるものと理解しています。)と、自然(滝)紀行、なのです。エスキモーの神話に死者がたどりつく世界がオーロラというのがあるそうで、「クロニクル千古の闇」(以下「クロニクル」と称します。)中ではオーロラは彼らの神話の中で「最初の木」と呼ばれています。彼らの氏族の中で誰かが死にそうになった時、魂が散らばってしまわないように、額に赤土で死のマークを描き、死んだあと、死体は森に放置し、肉食獣たちに恩恵を与えるといいます。
その魂魄は、惑わされなければ、空に昇り「最初の木」にたどりつくこととなっています。出現する場所は、緯度や気象条件などの制約があるので、彼らにも、常時みられるものではないようです。氷河地帯に至ったとき選ばれた者にはじめて見える、また、その直接体験は、氏族の紐帯とか、あたかも信仰のように大変必要なものと思われます(いわゆる共同幻想ですね。太古の人にとっても死者を弔うのは大変切実な問題です。)。
 当日は、幾分さめている私を除くほとんどの人が、「晴れたらいいね」とか、「今夜はどうでしょうか」とか、オーロラを、手ぐすね引いて待ちわびているところです。
 光学式カメラ以降、一眼レフはやめてしまった私ですが、ほとんどの皆さんは、しっかり、オーロラ撮影のため、三脚から、高度、高性能の一眼レフや、ビデオをご持参です。
 到着日当日は、首都レイキャビクのダウンタウン近くのホテルに泊まりましたが、当晩は食事抜きのため、国鳥のパフィン(ニシツノメドリ)を食べに行った人(国鳥を食べるというのもすごい文化ですよね。)もいましたが、私たちは、目抜きといわれる商業、商店街を歩いてみました。
 目抜き通りは、アイスランド一の繁華街でそれなりの一流のブティックや、レストランなどと共に、横道に入れば怪しげなパブなどもあります。とおりすがりの外国の若者たちも、あまりタトウーや、過激なピアスなども見かけません。
商店の建物なども、最上階にロフトのような部屋がついた三階建てが多いようです。地下部分がパブやカフェーになったような建物も見かけますが、多くの建物が、白い漆喰を四角い窓の周囲に塗って縁取った北欧風の外装です。繁華街を歩いても、東京のような雑踏とは違い、9時ころまでは明るいので、白夜とともに趣があります。
 ところで、バスのガイドさんやホテルのスタッフを含めて、彼らはアイスランド語しか話しません。
人口33万人弱という中ですが、これは徹底しています。英語に加え、ノルウェー語やデンマーク語が公教育に使われている、と言っていましたが、英語はビジネスの言葉なのです。
もっとも、アイスランド語が、我々の民族語、日本語ほど周辺国家の言語と「違っている」ということはないと思いますが。
 アイスランド語は、人口数から類比していけば、何らかの原因で、すたれてしまうかもしれない言語です。自国語を使った地元新聞記事や、表現行為など、極めて重要なことでしょう。
後日、日本にも紹介されているという有名な児童文学者の生家と記念館を来訪しましたが、彼らの危機意識と、自国の本ばかり読むわけではないでしょうが国民の読書量世界一というその反作用(?)に思い至ります。
 私たちのホテルは海岸線に面したホテルですが、近くにアイスランドの国立劇場があり、それに至るまで長く広い海岸線が続き、同時にそこいらはオーロラ鑑賞スポットです。ホテルは、シャワーブースだけですが、硫黄のにおいがする熱水がすぐ出てきます。温泉シャワーです。水道水は軟水で、地下水の汲み上げ水と聞きました。日本の都会の水道水などと違って、冷たくとても美味しいものです。
皆、ミネラルウオーターなど買わず、水道水をペットボトルに詰めて持ち歩きます。さる人が、マーケットでミネラルウオーターを買おうとしましたが、本当に買うんですかと、問い返されていました。
 暖房は当然スチームです。エアコンは、一応はありますが、あまり使うことはないようです。
 ホテルのスタッフは、皆、明るく親切です。
 屈託なく、親切に対応してくれます。
 出かける前にフロントで傘を貸してくれといい、すぐに貸してくれましたが、風の強い、降ったり止んだりの気候の中、アイスランドで傘をさす人はいないそうです。
 治安はとてもいいと聞きましたが、33万人弱の人口では、悪い人間も、良い人間も極端な人間はいないのではないでしょうか。先の国内の表現行為を含めて、文化の爛熟とか、退廃的な文化なども生じにくいのかもしれません(失礼)。
 格差の大きな社会であれば、そちらからくる不安定要素もありますが、土地も家などの建築費も極めて安い(普通の家の建築費が邦貨800万円くらいといってました。)のであり、国土も広いなら、漁業収入や、観光収入で国民生活が営めるなら、極端な不公平感は生じないのかもしれません。
繁華街を散歩し、コンビニに食料を買いに行きましたが、確かに、品ぞろえはあまりよくありません。
JCBでもなんでも、カードはOKです。オリエンテーションで有料トイレの使用料も、カードで大丈夫、との話までありました。
 残念ながら、その夜は、時差の原因なのか、爆睡してしまいそのままです。
 オーロラの撮影に行った人もいるみたいですが、残念ながら曇り空で、オーロラは見えなかったそうです。

イ 二日目(その1)
 翌日の朝食はとても良いものでした。
 乳製品の、ヨーグルトを固めたような、国民の常食といわれる、スキムミルクから作られるという酒粕状のスキール(skyr)があり、これはおいしいものです。酪農製品が国内でどれだけ生産されるかは知りませんが、試した何種類かのチーズもおいしいです。
穀類は、国内でほとんど採れないと聞いており、自前の小麦粉で作るパンはないのかもしれませんが、それなりにおいしいものでした。ワッフルを自分で作れる装置(たい焼き機みたいなもんです。)があり、楽しいものです。
確かに野菜などの品ぞろえはあまりなく、トマトとレタスのようなものですが、量はたっぷりあります。果物はほとんど輸入品と聞きましたが、リンゴは小ぶりですが、酸味が多くおいしかったところです。
 外に出てみると、二連の虹に遭遇しました。
 初めての体験です。海岸沿いの空に、二連のアーチを描きます。
 空気がきれいなのか、とても鮮明に見えます。
 こちらでも珍しいのか、多くの人が車を止めて、写真を撮っていました。
 こちらの人は、何か些細なことがあっても、フェアリー(妖精)のせいだ、というそうです。私の実感では(コノテーション(言外の意味)の類推では)キリスト教以前の、いたずら好きの妖精であるかのように思えます。異邦人にも、なんとなくゆったりとした時間の流れが、感じられるようです。
 虹はなかなか消えません(「クロニクル」では虹の描写は何もなかったように思います。)。
 やっぱりゆったりとした時間のようです。

 国内便に乗り換えるため、レイキャビク空港に移動です。
 空港は、まるで地方のバスステーションのようです。
 皆、ぼーっとして、定刻のずいぶん前から、プロペラ機の運航を待っています。
荷物は、1人一個、20キロまでという基準がありますが、重量が超えようと数が増えようと、少々どうだろうとスタッフは苦情を言いません。
 時間になると、待合所から10メートルも離れてないタラップから搭乗です。同じく、空気のきれいなせいか、全くの青空です。同乗者たちは、風の中で、写真を撮りまくりです。
 機内では、客室乗務員は大きな女性です。180センチくらいはありそうな人で、ノルウエー、バイキング系(濃い金髪)です。彼女は、何者にも何事にも頓着せず、彼女のペースでサービスをします。
 添乗するうちのバスの現地ガイドさんと雰囲気も振る舞いもよく似ています(少し皮肉)。
 晴れた日で、機中から見下ろすと、地上にはあちこちの氷河と、湖がモザイク状に分布しています。
 それ以外のほとんどの場所が、台形状の草原となっており、樹木は殆ど見当たりません。
 樹木はシラカンバ、カバ、ヤナギなどが原産種だそうです。それぞれ、巨木にはなりにくいのかもしれません。
 深い森におおわれた「クロニクル」の時代とは、やはり違います。もともと、アイスランドも深い森でおおわれていたそうですが、今では当時の面影はないそうです。デフォレストレーション(森林後退)の問題とか、ガイドに聞いてみましたが、国土が広く草だらけのせいなのか、植林をするとか、特に関心はないようです。
 久しぶりにプロペラ機に乗りましたが、危機感もなにもなく、安全に着陸しました。やはり、特有のアイスランド時間のようです。

 私たちのバスは、26人乗りの中型バスです。
 みんな好き勝手に乗り込みます。
 フィヨルドにそそぐ大きな川のそばのドライブインで昼食です。どこからが海でどこからが河か良く分からない河のそばに立っており、護岸も自然護岸のようで気持ちが良いところです。ドライブインは、日本国の地方の農協の倉庫のような建物の中にあります。さすがに中は板張りで、トイレ(レストルームではないですね。)もきちんときれいです。
 しかし、小便器が異常に高く、私自身、身長は175センチはありますが、ようやく届くほどです。同道の他の人はどのような対応をしたのか、聞きたいくらいです。総じて、バイキングの末裔らしく体格が良い人が多いです。

 レストランは、どこでも、料理は、三品くらいのコースです。
 ここでは、マッシュルームのスープがまず出ます。マッシュルームの総称で、何茸かわかりません。ポタージュ仕立てで、大変おいしゅうございました。添えたバゲットも調理がいいのか歯ごたえがありおいしいものです。
 続いて、北極イワナの焼き物(料理の名前がわかりません。)が出ます。
 これもおいしいものでした。じっくり火が通っており、底味があります。ついでに、予てより持参した小分けの醤油を使わせていただきました。もし、こんなイワナが釣れるなら、もちろん刺身ですね。前テレビで見た、イヌイットの家で、伝統食として、凍らしたイワナのセゴシみたいに調理して(丸切りですね)を、家族で食べるシーンがあり、子供たちは嫌そうに食べていましたが、なぜ醤油を使わないんだ、と思ったことを覚えています。デザートもおいしいアイスクリームでした。
 夜は、オーロラ観察のために極力あかりのない窪地に建てられたというホテルに宿泊です。
 食事は、タラの焼き物マッシュポテト添えです。タラがちょっと臭うような気がします。こちらの流通では、海上で網から揚げると船上冷凍だそうです。したがって、解凍後調理ということになりますが、それじゃ、味が落ちるよね。底流魚だから、冷凍しない新鮮なタラで刺身は無理なのか?いいタラなら、鍋とか、ちりとかできないのか。確かに、日本で食べても、冷凍切り身の鍋では美味くはないが。
 他のからすガレイとか、家人があぶらっぽいと嫌うので、最近煮つけであまり食べないのですが、このあたりが本場ではなかったのか、おひょう(確かハリバットとか、英語で言ったと思います。)とかも獲れたのではないか、魚の種類といくらもバリエーションがある日本的なその調理が思い浮かびます。 是非、首都レイキャビクで、先進的な日本人に、取り組んでみてもらいたいものです。例のカペリン(カラフトシシャモ)の商談で、日本人の
水産業関係者も多く来訪するそうですから。
 タラの漁業権をめぐって、アイスランドは、過去に、英国と戦争、直接戦闘((タラ戦争)1958年から1976年まで))をしています。それほど昔でない自由主義圏でも、たとえ、人口33万弱の小国でも、国民国家の経済問題をめぐって、沿岸警備隊はもちろん漁師でさえ、銃を握って戦うのです。
 現在の、TPP条約推進者という政府が、アメリカの特権階層に仕掛けられた経済戦争に、大多数の国民(過去日本近代以降の国民の大多数と言い換えましょうか。)の利害に反して、あらかじめ白旗を立てる、バカな日本政府とはえらい違いです。防衛問題(?)を配慮したとか、平和解決とか、争いを好まない、とかいう、彼らの恥知らずな言説の前に、中共などの覇権国家に、米欧に、踏みにじられる経済利害に、漁民は、農民や大多数の国民は怒りを表すべきではないか、と私は、アイスランドで考えました。
 たとえ、美味くない、フィッシュアンドチップス(タラが原料だと思う。)の原料供給のためでも、安定した資源を獲得して、弱肉強食の国際社会で、生き伸びていくために、国民国家及びその構成員は常に戦うのです。
 私たちは、TPP条約批准拒否のため戦いましょう。
 私は、すでに準組合員になっており、農協共済事業にも加入していますが、自国民の大多数の利害をなおざりにし、他国の大企業(中共もあるそうです。)、投資家に過剰に迎合し、国民の自助組織、農業協同組合の解体に手を貸す悪辣な自民党の農業政策に断固戦いましょう。

 かつての、タラ戦争をめぐって、現在の我が国の現状に憤激しましたので、その2はここまでです。

児童書「クロニクル千古の闇」をめぐって(併せ「アイスランド」紀行) その1

2015-10-14 21:45:21 | 旅行
 「地の果てに行ってみたい」というのは、私にとって結構切実なのぞみ(友人に聞けば結構一般性が
あるようにも思いますが)です。いまさらですが、私自身の顔つきからしても顕著なモンゴロイド系で
すので、かつてグレートジャーニーに参画した特有の北方志向があるように思い、できれば、南より北
の(冷涼性気候の)、また、できれば島しょ(大陸から離れた孤立した島国)(歌の文句ではないけれ
ど「ここは地の果て○○○○」、がぴったりくるような)の寒い北の果てへ行きたいと思っていました。
 このたび、機会がありましたので、貯金をおろして、ツアーで、アイスランドへ行ってまいりました。
このとおりの人間なので、「楽しい、おいしい、素晴らしい」、とかとは、無縁に近いような人間です。
したがって、その意味での期待はご容赦ください。

 長年、ジュブナイル愛好家である私の愛読書で、ミシェル・ペイヴァーのという作家の児童書「クロ
ニクル千古の闇」という本があります。これは、紀元前6000年頃に、北部ヨーロッパがまだ森林におお
われていたころ、すでに新人類の時代が到来してはおりましたが、人々が狩猟と採収生活で暮らしてい
た時代に、深い森林と大西洋(北海から北極海にかけての地域と思われます。)に面した北部ヨーロッ
パを舞台に、小さな狩猟部族の少年が、父の代から続くシャーマン(魔導師)たちの権力闘争に巻き込
まれ、父の敵として悪い魔導師たちを打ち倒していく物語です。彼は、幼児期に母に死に別れ、父によ
って子育て中の狼の巣穴にあずけられ(アヴァロンの野生児を下敷きにしています。)、運よく、めす
狼に育てられ、おかげで狼たちと意志疎通ができます。その後、父に育てられますが、「魂喰らい」と
いう魔導師たちの内部抗争で、呪いの力で作られた悪い魂を持つ大熊に、父が殺されたあと、たまたま
助けた(たまたまではないんですね。物語の中では必然です。)幼い狼と共に、その孤立した生い立ち
ゆえに血族と部族からは疎外・迫害される厳しい状況の中で、「悪い魔導師軍団」=「魂喰らい」に立
ち向かう過程で、義兄弟の狼や、ワタリガラス族という彼の味方になる部族でシャーマンの能力を持っ
た弓の得意な少女との出会い、父と死に別れた当初は12、3歳の少年が、試練を経て自己形成を遂げて
いく物語です。
 全部で6巻ありますが、大変良質な読み物で、石器時代のヨーロッパで、少年と少女の二人が懸命に
立ち上がり、呪力や強い力を持つ強い敵との孤立した戦いと、彼らを取り囲む厳しい自然や周囲の悪意、
時として周囲の大人の善意と協力を経ながら、理不尽なものに対する怒り、他人に受けいれられない悲
しみや、憎しみを経験して、思春期においての友人や少女に対する嫉妬などもちゃんと書かれてあり、
またその孤独な戦いが徐々に周囲に認められ、自然の豊かさとその厳しさの中で、狼やワタリガラス、
滅んだオーロックス(牛の原種)、野馬(のうま)たちの周囲の霊ある動物あるいは植物などとの交流
を含めて、彼らがだんだんに成長していく姿が大変良く描かれています。訳者はさくまゆみこという
方で、挿絵は、酒井駒子さんという方で、少年や少女を描いたパステル画に油絵を重ねたような(?)
柔らかく魅力的な挿絵です(本当は、皆、顔に部族のしるしや、数多くの魔除けに必要な呪術的な刺青
をしているのですが)。
 著者は、ベルギー人とアフリカ人との混血といいますが、アフリカその他様々な国を旅行し、神話や
民俗学を集中して学び、また一方で化学者として専門性のある法廷弁護士の資格も得た人のようです。
彼女は、石器・狩猟時代の物語を実に実に生き生きと描いています。その世界とは、万物は「万物精霊
の精」から発生したもので、動物にも、植物にも魂が宿っており、その存在倫理(タブー)に抵触した
者は裁かれる、という当時(と思われる)の一貫した世界感に基づく世界です。
 良きにつけ悪しきにつけ、それなりに我欲のある人間たちが、私欲によって、(当時のシャーマンた
ちは実際的な力を持っていますが)、無駄に、いたずらに(たわむれに)動物や植物を殺したり、むさ
ぼったり、奪ったりすれば天地精霊の精に、最期は裁かれるという、日本人とすれば、なじみやすい
(理解しやすい)、ある強い倫理(規範)に基づき、物語は進んでいきます。
 悪の精霊を退け、善の精霊と人間をつなぐ存在シャーマンたちはまじないや呪いの軽減、医術などで
実際的な力を持ち、部族の危機の度ごとに判断を仰がれ、首長の助言者として、各部族の運命を左右し
ます。主人公の二人や、他の登場人物を含め、基本的に、近代の人間のような考え方をしますが、また、
良質なジュブナイルのパターンで、正義と悪の対立と正義の勝利という道行きですが、それは物語とい
うことで。
 物語が進んでいく過程で、様々な伏線がふりまかれ、物語として読ませます。様々な試練と経験の中
で、レンというシャーマンの資質を持った女の子の悲しい出生の秘密や、主人公トラクという少年の父
や母の苦難と苦闘の物語がだんだんに明らかになっていき、すこしづつ育まれる彼らの友情と信頼、そ
して彼らの思春期の物語にもつながっていくのです。
 この本を読んでいろいろ触発されたことについて、このたび、当該、ミシェル・ペイヴァーの名著
「クロニクル千古の闇」と一緒に、当該舞台の一部になったと思われる北国の果ての地、アイスランド
(実際のモデルにもしたらしい。)に仮託しながら、現地の自然などを語っていきたいと思います。

ア JALについて
このたびのツアーは、JAL直行便で行けました。私の、乏しい旅行経験で恐縮ですが、今にして思えば
かつて利用したカンタス航空は決して悪い航空会社とは思いませんが、それ以外の外国航空会社に比
べて、JALのサービスの質は格段に違うと思います。外国の客室乗務員は肉体労働者(一般的に大変な
肉体労働だと思いますが)のような外見からしてそのサービスを想えば、当該航空会社の方針なのか、
時に旅客としての自分が「もの」にされたような気がする時があります。JALの方は、客室乗務員の外
見(?)はもちろん麗しい方ですが、そのサービスははるかに人間的です(もう一つの有力国内航空
会社は、エコノミークラスの客の扱いとの差で嫌な思いをしたことがあり、極力利用しません。)。私
見ですが、JALでは客と乗務員の見解が対立したかのように思えるときに、疑わしきは、客の利害にと
処するような態度が見て取れるからです。最近決してそれを皮肉に思わなくなったのですが、「思いや
りと察し」というのは、サービスを受ける方からすれば、やはりうれしいものです。JALと、客として
の利害が直接的に対立(事故など)すれば、ここまでいかないかもしれませんが、親切で、時宜を得た
ような対応を見れば、ついでに、日本人の国民性にまで思いが至ってしまいます。

 私は美食はしていない(経済的にできていない)人間ですが、率直に言って機内食はおいしいもので
した。11時間の往路の道中、食事と軽食とおやつがあり、妻と同行したので、洋食、和食と食事を交換
したのですが、和食はそれなりのわさびもちゃんと用意され、刺身を食す際、泡醤油(こぼれないよう
に泡立ててつけ醤油の代行をするもの)というのをはじめてみましたが、使えばおいしいものです。洋
食系は普段食べないのですが、このたびサラダの生野菜を食べてみて生の野菜のサラダは、切り方一つ
でこれだけ味が違うものかとびっくりしました。パプリカ、ルッコラとか、個々の野菜も十分に吟味さ
れています。私の普段食は、主食は、ほぼ豚肉使用野菜バリエーションですので、このたび食べた、フ
ィレ肉とか付け合せのエリンギにもちゃんと風味があり添え物と一緒で珍しくおいしい食事であり、レ
ンジ料理がどうの、とか苦情を言うつもりは全くありません。
 本来いけない人間の私は別にして、ビールからワインに切り替えた妻は、つまみ(例のJAL納豆です。
)をもらい幸せそうです。飛行コースは、直行便ということで、ロシアの上空から北部ヨーロッパへ向
かう早いコースで11時間くらいで到着するものであり、どうにか我慢が出来ました。いずれにせよ、旅
慣れた人のように機内で眠ることが出来ません。9時間の時差の後、あまり眠れないまま昼の13時にア
イスランドについてしまいました。

イ 到着時について
第一印象は風の国です。
山も見えない広々とした曠野(チェーホフが描いたような荒れ地を連想します。)を常時、強い風が吹
きわたっていきます。遮蔽物がないので、風を切る音が強く響きます。とても爽快です。
 あまりに索漠たる風景からなのか、道に沿って走れば丘陵のところどころに古びたブロンズ像や石像
が何とはなしに佇立しています。樹木はほとんどなく、時期的には晩夏ということで、紅葉した草草が
赤くなったり、黄色の色は少ないですが、あたり一面に群生して生えており、同時に、緑色の苔が一面
に繁茂しています。
 寒いのではないかと予期してましたが、メキシコ湾流の影響なのか摂氏10度の後半で、湿気もかなり
あるようです。空港から、市域(レイキャビク)までバスで30分くらいかかりますが、その荒涼たる景色
がとても気に入りました。
 空港からの移動は押しなべてバスですが、今回のような、添乗員(JTB)さん、つきの旅行は、きわめ
て久しぶりのことです。バスは、運転手と、現地のガイドさんがセットでつくようです。
 バスの中で、添乗員さんが、オリエンテーションを始めました。(後から聞いたのですが、彼女はモ
ズレム国家を行き来するツアーを主戦場にしたベテランのガイドさんで、JTBに数年前入りなおしたとの
ことであり、なかなかの女傑です。欧州ツアーなど彼女にはピクニックかもしれません。肉体的には大
変でしょうが、女性の添乗員はかなり有能で繊細またそれ以上にタフです。)
 アイスランドは北海道の約1.4倍の面積に33万人弱の国民しか住んでいないこと、人種的にはノルウエ
ー系(ヴァイキング系の血を引くもの)の人間が6割(私が観察した限りほとんど明るい金髪でした。)、
あとはケルト系が4割足らず、宗教はカルヴァン派のキリスト教、治安は極めて良いこと、などについて
説明がありました。また、北方の島国国家であり、多くの氷河が現存しますが、それほどの降雪は望め
ないので、スキー場などはほとんどない、国土はその気候と地味が痩せているため農業に向かない、漁
業と、羊などの牧畜が主要産業で、火山国家であり、電力は地熱発電と水力発電で賄い、暖房用の熱水、
飲料水(軟水)には事欠かず、温泉、公営温水プールなどが数多く設置され、したがって電気代等は安
いが、穀類、野菜などの生産できない農業用品は輸入に頼っているため極めて価格が高い、などのオリ
エンテーションがありました。

国力とは何か(中野剛志)読書ノート その2

2015-10-08 20:47:21 | 読書ノート(天道公平)
 また一つ無力感がこみ上げてきましたが、TPP妥結問題を経て、何が合意されたのか国民にも知らされないのは、私たち大多数の国民にとって無残な話です。 
 私たち、普通の国民が、経済戦争とも言われましたが、重要な問題として、経済問題を振り返ることが出来ないのは、大変残念なことであると思います。
 このように、平易にかかれた経済書と、世界分析、なおかつ、東北大震災の罹災間もない日本国未曽有の危機に書かれたこの本の価値を、また著者の、私も強く共感できる「志」を、汲み、読み取りたいと思います。
 今後とも、悪い状況ながら、思考停止にならないよう、自己と家族と社会とをつなぐ経路を失わないように、せめて自分を鼓舞していこうではありませんか。
 TPPに先立ち、政府自民党が、他国の特権階層に過剰に迎合した策謀、農協改革(?)に至る一連の法改正、先に出版された三橋貴明氏の「亡国の農協改革」是非お勧めします。

 「国力とは何か」(経済ナショナリズムの理論と政策)について(2011年7月刊行)その2

                           H27.3.18
1 危機に直面する社会
ア グローバル化
  グローバル化とは、資本、企業、個人が利益を求めて、国境を越えて自由に移動するようになる現象のこ とである。(1990年代以降加速した。)
  構造改革から、平成の開国に至るまで、グローバル化対応として動いてきた。
 その理念
  「構造改革論」の論理   人口減少と、少子高齢化により内需は縮小の一途をたどる。その閉塞感の打 破のため、海外市場に進出し、海外殊にアジアからの投資や人材を呼び込み、ため、国家の規制や社会の慣 行などの障壁は、モノ、カネ、ヒトなどの国際移動の活発化を妨げるものであり、即刻撤廃すべきだ。
(私見:自民党甘利某さんの言説と全く同じもんですね。)
  当該理念は、世界史的にいえば、「新自由主義」又は「市場原理主義」と呼ばれていた。ミルトン・フリードマン、サッチャー政権、ロナルド・レーガンなど。
 その教義 
  あ 世界は、自己利益を合理的に追及する個人からなっている、利己的な 個人が自己利害を追及し競争に励む結果、資源の適正配分、経済は効率化し繁栄する。これが市場メカニズムである。市場メカニズムを機能させるため、国家は、個人の経済活動の自由を最大限許容することが望ましい。
  い ヒト、モノ、カネが国境の制約なしに自由に流れて行けば、世界経済全体が繁栄する。
  「新自由主義者」は、国家の経済への介入で自由市場より経済を豊かにすることができる、ということを真っ向から否定する。また、国境に束縛されて生活を営む個人「国民」の存在意義も認めない。国境に束縛され活動するような個人では、市場メカニズムが働かず、世界経済は繁栄しないからだ。新自由主義とは、国家が国民のために積極的に活動するという発想を根本的に否定するイデオロギーなのだ。
イ 企業と国民の利益のかい離
  企業やマネーのボーダーレス化は、当該国民に望ましいかとは別問題EX)企業はパートタイムの低賃金労働者を求め、労働者は、待遇のよいフルタイム仕事を望むなど、日本労働者が、アセアン労働者と同等の賃金を強いられているなど、かつて、フォード車は経営側から賃金を上げ他の産業資本家の失笑を買ったが、賃上げにより労働者が自社製品を買って経営貢献した。
   グローバル化になると、国内経済と異なり、生産拠点を賃金の安い外国に移し、先進国の労働者の実質賃金は上がらなくなる。(経営者≠労働者の利害の不一致)その動きは投資の外国化を促進し、それをおそれる国家は、労働市場の規制緩和を行い、企業が労働者を容易に解雇したり、賃金を引き下げたりできるようにする。
   国家が、グローバルな資本や企業に便宜を供与するために、構造改革をはかることとなる。

  構造改革を支える新自由主義というイデオロギーが提示する世界は、利己主義的な個人や企業だけで構成されており、そこに「国民」という視点はない。
ウ デフレという危機
  グローバル展開する資本や企業にとっては、賃下げの利益は、デフレの利益と同一である。デフレは物価が継続的に低下することであり、労働者の賃金の低下により人件費の負担が少なくなる、ことである。
同時に、デフレは、経済的不調にとどまらず、ネイション(国民)の連帯から生み出される国力を著しく衰退させるものである。デフレとは、需要不足、供給超過の状態が継続することにより物価が下がる現象
のことであり、裏では貨幣価値が継続的に上昇することとなる。貨幣価値が将来も上がっていくという目論見で企業は支出を抑え資金の貯蓄に走り、負債の償還に走る、投資を控え、需要不足が生じ、デフレが一層進行する。
  デフレ悪循環は、短期的需要不足のみならず、長期的に一国の供給力を破壊する。
  需要不足と供給過剰のギャップが拡大すると、企業は設備を廃棄し、労働者を解雇し、供給力を削減しようとする、需給ギャップが埋まらない場合は、多くの企業が倒産する。失業や倒産は、技術や技能の継承を途絶えさせ、技術力を棄損する。投資の減退は、生産能力や技術回復能力の将来的な低下を招く。設備廃棄、解雇、倒産は、その国の潜在的な生産能力の破壊を意味する。デフレは、一国の生産様式を次第に衰弱させ、ネイションが富を生み出す力、すなわち国力が損なわれ、社会の格差を拡大し、ネイション を解体させる。
 労賃の低下は労働者の困窮と、企業及び株主の利潤の拡大を招き、その結果階級対立を招き、ネイションを分裂させる方向に働く。デフレ不況による失業は、組織や社会から個人を阻害する。自負心や生きがいを喪失することにより、気力や活力を失い、場合によっては社会に対する強烈な敵意や憎悪を抱くようになる。孤独な群衆は、劣情に訴えるポピュリスト政治家に容易に煽動され、社会秩序の不安定化を招き、果ては全体主義の起源にすらなる。
 デフレ国家は、不足する内需の埋め合わせのため、海外市場を収奪しようとする。グローバル化がデフレを促進し、デフレが内需を縮小させるので、ますます外需の追及とグローバル化が志向される。そして現在のような世界不況であれば、市場獲得競争が勃発し、各国間で敵愾心の醸成と、極めて攻撃的な排外主義が台頭し、国際社会も不安定化する。これこそが、20世紀初めの世界恐慌という形で現れた。
  デフレは、生産能力という経済的な国力を衰退するだけでなく、ネイションの統合と連帯を破壊し、秩序維持という政治的な国力をも弱体化させる。その上もし攻撃的で排外的な全体主義が生み出され、国際社会が不安定化すれば、それもまた国力を破壊していく。
エ 構造改革というデフレ政策
  経済政策上、絶対避けるべきデフレ危機(橋本内閣時代発生:消費税増税、財政支出削減を引き金)を、政府は、構造改革という名のもとで、企業が人件費を抑制し、投資家、特に外資の要求をとおり易くする施策を続けてきた。
   1997年 橋本内閣による、財政構造改革(消費税増税、財政歳出削減)、2001年 小泉内閣による、公共投資の削減、社会保障費の削減 典型的なデフレ容認政策を行った。
   公共投資拡大で失業率が下がり賃金が上昇し、国際競争力は下がるため、デフレは外国進出企業に支持された。橋本政権が緊縮財政でデフレを招来し、1999年の労働者派遣事業の容認、2001年確定拠出型年金制度の導入により、リストラの容認と、労働者の年金確保の企業責任が免責された。2002年、商法改正による外資の日本企業の買収が容易になり、2005年、会社法の改正により株式交換が外資に解禁された。90年代半ば1割程度の外国人持ち株が、2006年には全体の4分の1程度になっている。他にも、電力市場の自由化、金融ビッグバン、行政改革、郵政民営化、その他各種の構造改革が遂行された。いずれも、競争激化による、デフレ圧力となった。その結果、輸出が拡大し大企業の純利益率も急速に伸びた。役員報酬と配当は急上昇し、その帰結として、失業率は高止まりし、個人給与は下がり続け、労働分配率も低下していった。(株主の配当優先を求める海外ファンドの意向に沿うものになった。)
   一方、格差の拡大、ワーキング・プアや新卒者の就職難という社会問題、年間自殺者は13年連続3万人を超え、地域共同体は衰退し、家族制度も動揺し、「無縁社会」とまで言われるようになった。株主や企業の利益と国民の利益は大きくかい離している。
   日本政府は国民の利益のためでなく、企業や投資家の利益のためのグローバル化を推進する装置に成り果てている。
オ 民営化されたケインズ主義
  日本でデフレが起こったのになぜ欧米で起きなかったのか?2008年世界金融危機が起こった時、世界の多くの人々がアメリカの家計が過剰に債務を負い消費拡大をしていたことに驚いた。その様な、異常な経済こそグローバル化の帰結である。グローバル化は、国内の貧富の差を拡大し、賃金抑制をするが、アメリカでも同様で、賃金は伸びず、富裕層上位1%が国富の25%を握る。(1970年度後半は9%以下であった。)にもかかわらず、アメリカ家計は生活水準を落とさず、旺盛な消費需要を生み出し続けた。(アメリカ所帯の債務の総計は、1999年はGDPの63%、2007年は100%)(住宅バブル)・・・民営化されたケインズ主義

  アメリカの民間債務の膨張を促していたサブプライムローンなどの金融商品が、金融工学的な技術の発展により、世界中(ヨーロッパ中)にふりまかれ、世界的な金融危機となった。
カ グローバル・インバランス
  グローバル・インバランス(アメリカなど一部の国が過剰な消費と一方的な輸入を行って経常収支赤字を積み上げ、東アジアの新興国や中東諸国が経常収支黒字を累積するという、世界レベルでの経常収支不均衡のことである。)
  2000年代はアジアの新興国、中東諸国は、多額の経常収支黒字を、内需の拡大に向けずに、アメリカで運用しようとした。アメリカの住宅バブルが崩壊した時に、世界的な経済危機が発動した。
  現在は、インバランスをりバランスで修復する動きとなり、アメリカ牽引の経済モデルが破たんし、インバランスの解消なしでは世界金融危機が再興することとなる。
  市場メカニズムを信奉(無限肯定)する主流派(新古典派)経済学によれば、グローバル・インバランスは問題ないはずである。世界の資本移動が自由であれば、貯蓄不足の国には資本が流入するので世界経済では均衡がとれ、グローバルな市場メカニズムがグローバルな均衡を達成する筈である、アメリカが 自由貿易の結果として経常収支赤字を一方的に積み上げたとして問題はない、と考えていた。が、これらの考えは、資本主義がバブルを引き起こす可能性を軽視、想定していないという欠陥があった。(人間の希望と期待で資本主義は動く。)貯蓄不足で海外からの資本の流入に頼らざるを得ない経常収支赤字国は、バブルとそのリスクにさらされている。
 リーマンショックがその最大の証左である。
キ 呼び戻された国家
  2008年の金融危機は、「自由貿易の結果、慢性的な経常収支赤字国が存在することとなっても、自由な国際資本市場が自動的に調整するので問題はない」という信念が虚妄であることが暴露された。
  リバランスは、グローバル・インバランスを放置して実現できない、経常収支の均衡は、各国が経済政策を講じることにより、国家が経済を統治して、グローバル化の流れを制御し、場合によっては反転する必要がある。再度国家が呼び戻されることとなった。デフレの阻止のため、通貨供給を増大し信用収縮を防ぐと同時に、公共需要を創出して受給ギャップを埋め物価下落を防がなくてはならない。財政出動と金融緩和というケインズ主義的政策を必要とする。
  グローバル化を進める構造改革は、国家の経済統制能力を制約し、弱体化させてきた。国家は国民の危機を救えなくなっている。
 EX)アメリカ、ドイツなどの多くの国で、その発行する国債の半分又は半分以上が外国資本によって購入されている。目先利害に走る流動的な国際市場に制約されて、自国民の救済ができない仕組みとなっている。金利引き下げを行おうとすると、他国に流出、オイルマネーなどが流れ込み価格高騰を引き起こすなどと、危機の連鎖の引き金となる。
   国家の経済統制能力や危機管理能力は、グローバル化によって著しく損なわれてしまった。
ク アメリカが直面する問題
  問題点の解決は、Ⅰ 財政出動と金融改革により恐慌を阻止すること、Ⅱ 世界金融危機を引き起こした、グローバル・インバランスの構造を是正し、経常収支赤字を大幅に削減すること(家計の過剰消費・過剰債務を改め輸出を拡大すること)、Ⅲ 金融システムを改革し、過剰な資本移動を規制すること。 
  オバマはまさにこの政策を試みた(大規模な財政出動金融緩和、輸出倍増、経常収支黒字国に対する内需拡大、国内的に貧富の差の是正、医療保険制度の導入、金融水ステムの改革)が、失敗した。
ケ オバマ改革の挫折 
 Ⅰ 財政出動が不十分(生じるかも知れない米国債の信用不安との読みあい、基軸通貨ドルの信用不安)
 Ⅱ 内需拡大は輸入を増やし経常収支赤字を拡大してしまうため、経常収支黒字国に内需拡大を求めたが、当該国はそのような政策を十分にしなかった(外交力の低下)、また、当該黒字国はアメリカの国債を買い支えている(当該資金を内需拡大に振り向ければ国債の買い手がない)、ようなジレンマに陥っている。
 Ⅲ ドル安が進めばアメリカの輸出は伸びるかもしれないが、輸出倍増を図り、TPP加入を日本に迫っており、貿易障壁を撤廃し、日本の企業競争力を弱めるドル安を組み合わせれば、アメリカは自己市場を日本に奪われずに、日本市場への輸出を伸ばすことができるはずである、が、アメリカには輸出を増やすことで雇用を増やせる産業が少ない、からである。雇用吸収力が大きい製造業jは、グローバル化により低賃金労働力にシフトしてしまっている。
  アメリカの輸出の30%はサービス業であるが、そのほとんどが、銀行や保険、コンサルティング、ソフト関連のサービスなど、高学歴者に担われるものであり、15%を締める農産品にしても、アグリビジネスは資本集約型で、雇用吸収力が低い。アメリカの輸出が伸びても、恩恵は資本家と一部の高学歴者だけであり、一般国民には裨益しない。貧富の格差は益々拡大するであろう。
  金融機関の整理・・・公費投入で決着、医療保険制度・・・不徹底(2010年中間選挙で敗北)(「政府財務省・ウオール街複合体」として金融機関の利益代表に成り下がったもの)
コ EUの動揺
  EUの危機原因の一つは、ドイツが輸出優先のグローバル戦略を展開し、ユーロ圏内のインバランスを発生させたことであり、2000年代からドイツは規制緩和(すなわち海外労働者の受け入れにより)による 実質賃金の抑制を行い、国際競争力を強化し、輸出主導の成長戦略を追及した。結果、ドイツ国内で貧富の差が増大し、貧困が増え、中産階級の賃金も低下した。EU加盟国では、ドイツの貿易黒字の裏返しとして、ユーロ圏内の他の国々がグローバルインバランスの構造が生じた。しかし、ユーロ圏内は、為替レートによる調整という手段を持たないので、貿易不均衡は固定化される。貿易赤字国の政府と民間は対外債務を積み上げる。2008年不動産バブル(例のアメリカ発のものでしょう)の崩壊により、ギリシャなどの債務危機が生じた。不況に陥った国家は、財政金融政策や為替政策により景気回復を図る。しかし、EUの成立根拠であるマーストリヒト条約によって厳しく縛られている。
  欧州中央銀行が、あ 単一通貨政策を実施し、各国は金融政策や為替政策の権限を失った。い 各国の財政政策についても、財政赤字はGDPの3%まで、公的債務残額は原則としてGDPの60%までと制限した。う EC加盟国が苦境に陥ると、EU事務局が各国から任意で資金を調達し全体的な調整を行うこととなる。が、EU加盟国では、制度面のみならず、心理面においても、加盟国の国民の多くは、他国を、他国民を救済する意志も意欲もない。(先のギリシア離脱騒動の際に証明された。)
  ギリシャ、アイルランド、ポルトガルなどの財政危機に陥ったEU加盟国は、単に通貨制度を維持するため、緊縮財政を強いられ、失業者が増加し、大規模デモや暴動を頻発している。(個々国家のナショナリズムの反発)を招いた。今後、ギリシャ、アイルランドの財政危機が生じ、ユーロの価値が下落すれば、企業の輸出競争力は強化されるので、ドイツなどの貿易黒字国は輸出が拡大できる。EC加盟国の格差が拡大すれば、各国のナショナリズムは高まり、連帯は崩れ、EUの求心力は失われる。
サ 新興国の苦悩
  東アジアの新興国の経済繁栄は、外需に依存したもので、世界金融危機により大幅に縮小した。当該新興国は、財政金融政策により内需を拡大する必要がある。しかし、ケインズ主義の有効性は高度に統合されたネイションの存在がなければその効果が上げにくい。
  ケインズ主義政策は、国民全体のために資源を再配分する政策である。階級や民族の違いを超えた同朋意識としての国民意識がなければ困難である。(財政政策は、国民全体が税を負担し、その税を原資に財政出動を行い、内需拡大の効果を国民全体で享受するものである。富裕層や多数派の民族が、貧困層や少数民族に利益を及ぼす財政支出に同意し、負担に応ずる用意がなければ財政政策の実施は不可能であり、階級・民族を超えた同朋としての国民の意識が必要である。中国、ロシアは、形式的には国民国家ではあるが、その内部に少数民族との対立や紛争を抱えており、ネイションの統合が不十分である。階級間、地域間の格差も大きい。社会保障が未整備の新興国は、国民は貯蓄を重視し消費の拡大をしないので、需要刺激策が発揮されない。中国で進む少子高齢化は、労働力不足と賃金上昇を招く、賃金上昇は(意識改革を招き)民主化要求につながれば、国内秩序は不安定化する。新興国にとっては、ネイションの統合力が弱くて分裂しやすい、その脅威は内戦の方が大きい。
  中国の経済発展による人々の移動性とコミュニケーションの高まりは、ナショナリズムを形成し、強化する。経済発展が急激であった中国では、ナショナリズムが過激になる可能性が非常に高い。(ナショナリズムの高まりは民主化運動につながりやすい。EX)先の反日デモの民主化運動に転嫁する。したがっ て、反日デモを中国は取り締まった。)
 (ネイションが貧困な)中国は、国民統合を強化したくともそれができない、民主化要求につながるかも知れないからであり、国内経済が未成熟な中国は、高度に発展したグローバル資本主義に接続されてしまっている。(有効な手段を持てないまま)巨大な経済危機に直面せざるを得ない。
シ 世界恐慌より深刻な今日の経済危機
  1930年の経済危機は第二次世界大戦につながった。それに比べ、現在の経済危機は、それより深刻といえる。あ 当時の世界恐慌は国民統合を実現していた西欧及び日本だけだった、い 今の危機は国民統合が不十分で、分裂の危険をはらむ新興国・開発途上国を巻き込んでいる、う かっては圧倒的な強国アメリカが国際秩序を維持する働きをしていたが、現在は多極化していてG20までに増え、その中に国内問題を含む新興国(中国、ブラジルその他どこでもあります)が含まれている。
ス 経済ナショナリズムという可能性
  今後、国際秩序の建設は相当遅れ混沌状態が継続するであろう、我が国としてもあ デフレから抜け出せないこと、い 2008年の金融危機、う 2011年の東日本大震災、三重の危機である。ただ、これらの危機の解決には、国家の積極的な役割がなければならない、ということである。