天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

国力とはなにか(中野剛志)読書ノート

2015-08-24 06:19:18 | 読書ノート(天道公平)

 3.11以降、私にとって最も重要な著作の一つであった、中野剛志氏の「国力とは何か」について皆様方に再
度ご紹介をしたいと思います。
 3.11同年7月に上辞されたこの本は、その啓示される内容はもちろんとして、著者の、国民国家日本に対す
る危機意識と、危機に当たった同胞への強い関心と支援の気持ちにに裏打ちされたものでした。その後彼の献
策に、安倍政権は、ほとんど振れていませんが、心ある国民国家日本の皆さま(私たち)が、彼の思考と政策
に意識的であるということは、日常的に「敵」と闘うことについて大きな力になることを信じます。

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「国力とは何か」(経済ナショナリズムの理論と政策)について(2011年7月刊行)その1                           H27.3.18
一 危機と国家(ステイト)

 パラダイム(パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えら
れていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。パラダイムチェ
ンジとも言う。)を引き起こしたのは、東日本大震災だった。
 当時の支配的イデオロギー「グローバル化により、国民国家は有効性を失い、後退する。(1990年代構造改
革から繰り返し、「規制緩和」、「小さな政府」、「地方分権」、2010年「平成の改革」で典型的に取沙汰され
たもの)
 東日本大震災の惨状は、「グローバル化による国家の退場」を根こそぎ吹き飛ばした。「地域主権」の空疎
さ、中央から地方への関与なくして、巨大危機に対応は困難、である。
 国家は非常時に備え、危機管理機能の準備と、その暗黙の了解がなければ、平時の経済体制、日常生活の営
みも困難となる。
 国家の役割は、グローバル化(西欧)、ローカル化(地方分権)で後退することは、虚妄のイデオロギーだ
った。

二 国民(ネイション)という運命共同体

 被害大の東北地方は、宮城・岩手は国家の食糧供給県であり、福島は国家中枢の電力の3分の1を供給する拠
点であり、国家の生命線を脅かすものである。同時に、被災の現実に対し、深い同情と共感を寄せた。(外国
の被災者に対するものと質的に違った。)・・・・・人間の心理や意識は、同郷・同国人に対し、より高い関
心を向けるものという現実がある。

ア 天皇陛下のお言葉
「ナショナリズム」という言葉には、排外主義的・利己的・攻撃的というイメージがある。しかし、東日本大
震災を目のあたりにした国民の多くに自然とわきあがった確かな強い感情を否定することはできない。(私見
:考えれば、昔、私も、左翼のナショナリストと名乗ろうとしていました。G.オーウェルの「右であれ左であ
れわが祖国」も同様なものかもしれません。) 出国を試みた外国人は多くいたが、日本人で出国しようとし
た(できなかった)日本人がほとんどではなかったか。また、偏狭な排外主義で、他国の支援を受け入れない、
在日外国人を排斥するような話も全くなかった。
 このたびの大震災の直後、3月16日に今上天皇よりビデオメッセージが発せられた。

(      略  (本文を参照ください。)        )

 この言葉の内容を否定するものはほとんどいないだろう。
 しかし、会ったこともない被災者の苦難を分かち合うということは、実は当たり前のことではない、それは
他人であるは図の被災者を単なる他人と考えず、同じ運命共同体に属する同胞として意識することにより、可
能となること、である。その意識こそナショナリズムである。
 たとえば、東日本大震災級の危機になると、国民全体が連帯しなければ克服はできない、もし西日本の住民
が東日本の不幸をみすてるようであれば、日本は経済的のみならず、精神的にも東西に分裂してしまうだろう、
この大震災は、国民国家(ネイション・ステイト)分裂の危機である。(私見;当然、国家間の戦争も想定さ
れるはずである。)

三 国力(ナショナル・パワー)とは

 東日本大震災の被災者の救済や被災地の復興に当たっては、国家が物資、人材、資金、技術などの資源を大
規模かつ計画的に動員し続けなければならない。国家は、東北地方という一部の地域を救済・復興するために、
北海道から沖縄までの日本国民全体に一定の負担を強いなければならない、ここでいう「日本国民」には、ま
だ生まれていない将来の世代も含む、ものである。
 国家は、課税による①復興資金をねん出し、被災者だけのために集中的に投下する。②国債を発行すること
で現在の被害者の救済のため将来の国民と負担を共有する。③国家予算の優先順位を操作し、電力不足による
停電の回避のため、電気使用の抑制や、止むを得ない場合は強制する。(復興を効果的に進めようとすればす
るほど課す負担は大きくなる。)
 独裁国家であればまだしも、東北地方の被災地の復興に対し直接利害を持たない人々が、復興の費用負担に
同意するうえで大きな役割を果たすのが、彼らが被災者に対し抱く強い同情の念である。被災地以外に住む日
本人は、被災した日本人を同じ運命共同体に属する同朋と見做し、その不幸に深く共感する。この同国人に対
する同朋意識、すなわちナショナリズムが、復興費用の負担への同意を可能にする。
 国家(近代国家)は、とりわけ民主国家は、ナショナリズムに訴えることで国民の資源を動員する。国民
(ネイション)が団結・連帯して行動することによって生み出される力こそ、「国力(ナショナル・パワー)」
にほかならない。
 国民の団結と連帯により被災地が復興し、経済活動が正常化すれば日本全体がその恩恵を受ける。
 東日本大震災が国難であるとすれば、被災地を放置し、東北地域をみすてることが、東北地域以外に住む日
本人が、東北地方に住む人を同朋と見做していないこと、国民という共同体が分解しているということであり、
真の国難とは、国民の間で共有すべき一体感や同朋意識が失われ、国民が分裂することなのである。

四 危機と国力

 危機は、大地震、原発事故にとどまらない。アジア通貨危機、リーマン・ショックなども同様である。国力
は同様に試される。経済における国力の維持や強化を追及しようとする主張や立場は、一般的に「経済ナショ
ナリズム」と言われてきた。この、「経済ナショナリズム」の理論づけと危機克服の、「国力」の本質を明ら
かにしようとするのが本書の目的である。
 「構造改革論」の論理  人口減少と、少子高齢化により内需は縮小の一途をたどる。その閉塞感の打破の
            ため、海外市場に進出し、海外殊にアジアからの投資や人材を呼び込みたいため、
            国家の規制や社会の慣行などの障壁は、モノ、カネ、ヒトなどの国際移動の活発化
            を妨げるものであり、即刻撤廃すべきだ。
 「平成の開国」(民主党菅内閣)は、遅れてきた構造改革論である。しかし、「構造改革」や「平成の改革
を支持したものには、被災地復興の理念と根本的に矛盾することに無自覚である。
 被災後、日本から出ていった外国人のように、外国から入ってきたマネーは、利益を最大化するものにしか
(日本が市場として有効かどうか)以外にしか動かない、我が国がグローバル化すればすれほど、東北の被災
地を復興することは困難となる。

 ア 危険性も確かにある
   ナショナリズムの危険な側面、ア 2003年のイラク戦争、2001年の同時多発テロを引き金にした、イラ
  ク戦争(テロに憤激したアメリカ国民を背景にしたイラク侵略)、イ 資源ナショナリズム 他

 イ 本書の構成
  あ グローバル化を引き金にした、世界経済危機
  い 「経済ナショナリズム」の理論、理念
  う 「国力」の実態解明
  え 経済ナショナリズムに基づく経済政策
  お ケインズ主義的財政金融政策の検討
  か 経済ナショナリズムから見る国際秩序の構造
  き 今日の世界危機と、日本の進むべき進路

日本の七大思想家(小浜逸郎)(時枝誠記)

2015-08-24 05:34:49 | 読書ノート(天道公平)
私見:時枝誠記を思い出すのに、いつも同時に哲学者三浦つとむを連想します。私においては、彼らは
 今もセットメニュー(?)のように感じられてしまうのです。
  二人とも、自国「日本」を常に対象化しつつ、徹頭徹尾、彼ら独自の思想を、より深く掘り下げた
 硬骨の、市井の研究者であり、また生活者として、自立して自己の人性を貫いた人でもあり、その
「思想」は今も古びない(常に鍛えなおされる姿勢がある。)ものです。
                                 
 (私にはとても及びがたいところですが、彼らの営為は、「私たち」の考察にも、勇気を与えてくれ
  ま す。)

         時枝誠記(1900~1967)

一 言語とは思想そのものである

 ア 人は「話す」------これは自己を自己から「話す」、「放つ」行為である。
  
 イ 人は「語る」。語るは「騙る」に通じる。人は語ることによって虚構する。

   社会の構成員としての人間が、自己から自己を放ち、世界の既定の事実に絶えず自己を付け加え
  る。(私見:表現行為(自己表出)と言っていいのでしょうか。)

二 西洋近代に素手で格闘を挑む

  国語学者、文法学者
    山田孝雄(西洋的手法で日本語文法を策定)、橋本進吉(現在の学校文法の基礎、代表作とし
     て上代音韻の研究)
  時枝文法学
   ア 民族言語自体の文法体系を目指したこと
   イ 言語一般の本質を、話し手と聞き手との主体的意識のあり方に焦点を定め、西洋の力を借り
    ずに独創的・哲学的な言語思想を作ったこと
      主著「国語学原論」は、現在でも、世界的な意味での労作である。

  「国語学原論」の特徴
    ア 言語過程説----社会的構成実態としての「言語(ラング)(ソシュール言語学)」を否定
     し、実際の言語活動のみに、言語の存在を認める。
    イ 言語の存在条件の既定------言語が実現する土台として、主体、場面、素材の三条件を規
     定し、同時に「場面」を客体界と主体的側面が不可分に融合した状態と考えた。
    ウ 「詞辞論」------時枝理論の白眉をなすもので、従来からの「てにをは」論に理論的根拠
     を与えたもの。
      辞----助詞、助動詞、接続詞、感動詞、その他は、詞、という。
     日本語独自の基本構造の解明と、他国言語にも一般化できる、ことの大きな達成
    エ 日本語は「風呂敷型」・「入れ子」型構造、印欧語は、天秤型構造----根本的差異を明確
     に規定している。
    オ 「零(ゼロ)記号」論-----陳述の最後に、用言の終止形、連体形の後に、表現はされてい
     ないが、取りまとめとして「辞」が存する。(EX:「桜は美しい。」など)
    カ 「述語格」論-----文の基本は、まず述語にあり、主語、客語、補語などは述語の中に潜在
     していたものが出てきたもの。(欧印言語「主→客」を否定)
     本質をいいあてているのではないか(大森荘蔵につながる)。
      意味論------「意味」を主体の把握作用と定義する。言語外の意味を考える際も示唆的で
       ある(大森荘蔵につながる)。
    キ 敬語論-------話し手と聞き手、話し手と話題の中の人物との関係という視点を徹底的に貫
     いた、論理性の優れた論である。

三 言語道具観の否定------ア 言語過程説

 「一般言語学講義」(ソシュール)の批判(ラング(言語体系)の批判)
  時代的な制約での、行き違い
   ソシュールは言語を、「ラング」(言語体系)と「パロール」(はなし)の相互依存の関係として
  とらえていた。
  時枝の言語過程説は、ソシュールの発展形に近い。
   ア 言語に係る音声は、「シニフィアン」(ソシュール言語学)は、「指し示し」が近い。
   イ 言語の概念は、「シニフィエ」(ソシュール言語学)は、「指し示され(事物の概念)」を指
    し示される。
    アとイの不可分の構造を、「シーニュ」と呼ぶ。
     水面と空気が接するところに波立ちが起きる場合、波立ち自体がシーニュであり、水が波の本
    体であるとも、空気の流れが波の本体であるともいうことができない、その不可分の結合がシー
    ニュである。
      (それらの説明は正しい。)
 
 時枝の言語過程説とは、
  事物や表象の概念化 → 脳中で聴覚印象 → 音声表出 → 聞き手
  (話し手)
 聴覚印象 → 脳中で概念化 → 事物・表象
  (聞き手)

 言語主体の生きた表現行為以外の場所に言語など存在しない。(時枝誠記)
 なぜなら、言語を社会的実体として認めると、言語を、手段、道具などにおとしめてしまう(西洋的
方法論に対する反発)。



四 「概念」は言語の外にあるのか------イ 言語の存在条件の規定  

    (省  略)

五 日本語文法の特性を理論化------ウ「詞辞」論

 日本語の文は、「詞」と「辞」の区別とその連関によって成り立っている。
 本居宣長など 「詞」を玉に、「辞」を玉をつなぐ緒にたとえ、両者相まって日本語(やまとことば)
が成立する。(卓抜な比喩)

  日本語は膠着語であり、品詞分類を体系的に整理することが難しい。
   *膠着語(びゅうちゃくご)
         例えば、「飛ぶ」という動詞だと
     tob という語幹に、
     tob anai:「飛ばない」     ・・ナイ(未然)
     tob imasu:「飛びます」    ・・ウ、・・マス、・・タ(連用、終止)
     tob eba:「飛べば」       ・・トキ、・・バ(仮定)
     tob ou:「飛ぼう」        ・・ヨ(命令)
     のように、語尾を付着させて変化させる。 このように日本語における膠着語とは、語幹に語
    尾をいろいろ変化させて付着させていく言葉をいう。

 「国語学原論」
   一、詞------概念過程を含む形式
   二、辞------概念過程を含まぬ形式

  〈「一、」は、表現の素材を、一旦客体化し、概念化してこれを音声によって表現するのであって、
   「山」「川」「犬」「走る」等がこれであり、又主観的な感情ごときものを客体化し、概念化する
    ならば、   「嬉し」「悲し」「怒る」「喜ぶ」などと表すことができる。(中略)「二、」
   は概念内容の概念化されない、客体化されない直接的な表現である。「否定」「打ち消し」等の語
   は、概念過程を経て表現されたものであるが、「ず」「じ」は直接的表現あって、観念内容をさし
   表したものではない。同様にして、「推量」「推しはかる」に対して「む」、「疑問」「疑い」に
   対して「や」「か」等は皆直接的表現の語である。(中略)それは客体界に対する主体的なものを
   表現するものである。助詞、助動詞、感動詞ごときがこれに入る。〉

         「 川   が   流れ  て   い   ます 」
             詞   辞    詞   辞   詞   辞

「言語美」の指示表出と自己表出の二重性、に言語の本質を見出している理論は、時枝の二大別に
  ほぼ相当する。
   (詞-----指示表出性が強い。辞----自己表出性が強い。)

  小浜の見解とすれば、
   ( ソシュールの、シニフィアンとシニフィエの不可分一体を是認するので)「詞」を「思想を対象化して表現する
   ところのもの」、と呼び、「辞」を「思想そのものの直接的表現」、と呼んでいる(「国語問題と
   国語教育」時枝誠記)のが適当である。

六 主述対立構造の否定------エ 日本語の「風呂敷型」、入れ子型構造

 「風呂敷型」とは、「辞」(助詞、助動詞等)がその上にある「詞」又は文節の群を風呂敷のように包
み込んで、統括しながら次の部分に連接する。
 
  「入れ子型」構造
    花 が + 咲いた 
 
   全体が、咲いたで、統一される。
  
   (これら二つに論理は、日本語の文法を説明するうえで実情に合っている。)

    EX)「これが欲しかったんだ」(主語なき文章)

        「そんな話は聞いたことがない」
        「僕はウナギだ」(鰻屋でウナギを注文するときの話)

七 意図はわかるが微妙な論------オ 「零記号論」

  零記号論------陳述の最後に用言の終止形が使われたり(花は美しい。)など、その直後に、表現さ
   れてはいないがそれ以前の部分を取りまとめる役としての「辞」が存在する。
 これは、前の、エ 日本語の「風呂敷型」、「入れ子型構造」と併せて考えると理解できるような微妙
 な論である。

(後   略)

八 言語の本体は述語である------カ 「述語格」論  
 「述語格」論------文の基本はまず、述語にあり、主語、客語、補語などは、述語の中に潜在していた
         ものが必要に応じて後から表出されたものである。
          言語一般の本質を言い当てている。(反印欧語的発想)
         
      「おや、まあ」とか「えっ?」とか、主語+述語でない文はいくらもある。
      (印欧語でも日常的に同種の例はいくらでもある。(主語なきセンテンス)) 
       デカルト以来のヨーロッパ近代哲学は、主客二元論をその論理的骨格にしていることに逆
      らいたい(そんな風に皆生きてない(ヨーロッパの呪縛))

    大森荘造の「立ちあらわれ一元論」に連続していく。

九 意味とは話し手と聞き手の把握作用そのもの------キ 意味論

 吉本は、言語の「意味」を時枝に負わず、言語の「価値」(芸術的言語の価値)との関係で扱ったため、
「書き言葉」と「話し言葉」、自己表出と指示表出、文学言語と生活言語の三対の概念を図式的な並行関
係に置く結果となり、彼の立論に論理的に無理を生じさせた。

  時枝の意味論は------「意味とは言語主体の把握作用そのものである」という核心
    より正確に言えば、「意味とは、言語をやり取りする主体同士のそれぞれの把握作用である」と
   いうべきであった。
    時枝は、言語をあくまでそれを用いる主体同士の動態的な「過程」と捉えようとした。
    EX)「馬鹿だなあ」という「話し言葉」の多義性

    言語の持つ多義性の意味づけにおいて、極めて優れた規定である。

    (吉本ですら、言語の「意味」を考察するに当たり、「書き言葉として標記されたもの」との呪
     縛から逃れえなかった。)

   A 「この絵、なかなかいいね。」
         ↓
   B(a) 「この絵、なかなかいいね。」 → 自分に対する言い聞かせ(聞き取りそのもの)    
         ↓
   B 「うん、なかなかいい。」      「内面」を形成していくための初発の行為

          
                       「聞くことは話すことである」という名言

   言語の本質とは、「話し手の表現とそれを受け取って理解する聞き手とのやり取りの過程」である。

   ハイデガー「存在と時間」の中で、
    〈「意味する」というのはいったい何を意味するのか、と自問し、それに対し、意味たは、投企
     がどこにむかっているか考えているときの、その「どこに向かってと、言うことである。・・
     ・・・人間だけが意味に満ちていたり、意味を喪いうるのである。〉
    と語っていることと、正確に呼応している。

   近代哲学の基礎にある「主客二元論」的な認識論図式を根底から超克すべき、である。

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   お詫び申し上げますが、六の、入れ子型構造の表記がうまくいっていません。
   大変申し訳ありませんが、原著を当たられることをおすすめします。
   ところで、「日本の七大思想家」は、新書版で、比較的携帯が易しいところです。
   夏旅行等、携行を是非お勧めします。

「迷走老人」の「バカさ加減」とその「傲慢」について

2015-08-12 21:49:03 | 時事・風俗・情況
「迷走老人」の「バカさ加減」とその「傲慢」について

(今回は無媒介にバカ、バカと言いますが、ご寛恕願いたい。連日の夏の熱さのせいです。)

人間、年取れば「自然に」賢くなるものと、私は、漠然と考えていました。
教育の取得の機会の有無、自己の自己教育への意欲とその機会への契機は別にして、人間は強いられた人性
と、社会的には限られた生活圏及び環境ながら、年経る毎に等しく、各自で労苦を支払い経験を重ねながら、
たかが学校秀才程度の浅はかな人間を乗り越え、個々の修練や手にした技術で、いずれは経験浅い若者(ばか
もの)にはいずれ優るものであろうかと。我々の人性を通じて、一般的に年を経れば(若いときよりは)賢く
なるものだと、根拠なしに考えていました(ついでに楽になるかな、とも思っていました。)。
その証拠に、ほら、たとえば「日米賢人会議」とか、日本代表の老人(生理的な)の賢人(以下老人とは、
老人割引(?) の例に習い「満65歳以上」を指す。)は、どうして賢人かはわからぬままですが、実体として存
しています。

しかしながら、昨今の、「老人たち」のだめさ加減をみていると、決してそうでないことが良く分かります。
いわば、誤謬の訂正ではないですが、若いときの自己の理念、経験則に過剰に固着して、つまらない理念に
入れ込み反復継続を繰り返し、その後知能の衰えを想像力や洞察力で補うのではなく、自己の思考を批評にさ
らす経路を欠落させ、なまじ自負心があるものだから、現存の問題において、修正がきかないか、全く反目に
行ってしまうからです。老人となり、いわれのない疎外感(?) から、感情が衰え、つまらぬ心情倫理に過剰に
入れあげ、他者からの、批評とか、批判とかにさらされると、逆上して直接に手をも挙げかねない短絡振りで
す(ここのあたりの推移は予備軍の私にもよくわかります。)。

当該代表として、もともと、頭の悪かった、村山富市(彼の現職中、寄せ集め内閣で「自衛隊は軍隊だ」と
さすが既存政党の誰も言わなかったバカな発言をしてくれたよな。)を筆頭(?) に挙げますが、「太平洋戦争
は侵略だった、アジアの人民に謝罪しなければならない」と、地勢的、歴史的、また現在的な認識と全く無頓
着に、元首相という虚名の権威のもとで、バカな歴史認識に基づき声明を出すという、まことに愧ずべき行為
を嬉々としてやっています。現在の中共は、天安門事件をその象徴として「全人民の国家」どころか、一部特
権階級が自国民に対し搾取と政治的抑圧を加え、対外的には東シナ海に軍事拠点を作るなど、アジアの国民国
家に多大な脅威と武力圧力をかけており、あなたは、中共に対し、きちんと批評、批判する基軸をもっている
のか、かつてあなたの属した「社会党」において、あなたは現在も党員であれば、この元党首は除名されるべ
きではないのか、
あ、もう既につぶれてしまったか。これを見ていれば、日本の戦後労働運動が、組織労働者が、ここ現在に至
っては、政治的には何の意味もなかった、ということが良く理解できます。
その上、彼の不用意で小児病のような言動が(くじのおまけで首相になったばっかりに)下劣で老獪な覇権
国家に口実を与え、間接的に日本・中共の労働者・農民大衆に大打撃を与え、中共覇権主義に加担することに
より、自国民(あなたの家族を含むのです。)にすら多大な被害を及ぼすことに無自覚とは、お人よしなどと
いうレベルではなく、あなたの先祖は、草葉の陰で泣いている、とは思えないのだろうか。あなたの先祖がど
んな人かは全く知らないが、極東独裁国家の独裁者のように三代、四代にわたり、権力継承を行い、国内人民
に圧政を繰り返しているように、社会党の幹部として、代々、同様に衣鉢を継いでいたのかもしれないが・・
・。

お盆であり、私事ながら、供養を兼ね申し上げますが、私は個人的に、祖父母と過ごす時間が長かったせい
か、精神的な原型はほぼ祖父母に負っているように思います。
「人のお世話はするよう、人のお世話にならぬよう」(後年調べましたが後藤新平の言葉だと思います。
)と、祖父がつましい生活の中で常々言っていました。二人とも明治生まれのひたすら優しい祖父母であり、
私には、彼らが生きたさながら日本の国難であったような明治維新以降の父祖たちの日本の近代において、楽
しいことはあまりなかったであろう、近代を生き抜いてきた多くの日本人の苦難・苦闘がまず視野に入ります。
また、それを最初に媒介しない思想なり、現状認識なりに、価値を見出しません。その後、私は、子を持った
ため、孫、ひ孫の世代と将来に対し、また国民国家日本の将来に対しても、責任と、行く末を気にかけ思いや
る気持ちを持っています、これは少なからぬ人々においても素直に共有できるもの(国民のエートス)ではな
いかと考えます。

同時に、私は、祖父母からは、箸、はさみの持ち方から始め、目上(年上の人には)丁寧に、周囲には優し
くと、指導を受けました。現在の大阪市長の、人もなげな態度を見、その不必要に傲慢な言葉を聞くたびに、
まだ若いのに、彼は幼胎児期にろくな訓育も受けなかったのだろうと、お気の毒に思います。

現在とは、文化人(?) にせよ、タレント (?) にせよ、長生きしすぎて、「迷走老人」が増えすぎたのではな
いでしょうか(当然若いうちから精神的にどうしようもない老人もいますが)。
このたび、公的な立場にある「老人」に対し、正義を実現するため、祖父母の教えに背き申し上げますが、先
輩とか、長老とかおだてあげられ、必要な研鑚と、想像力を鈍磨させ、一般人(?) にはさすがに疎まれ、バカ
な仲間内しか通用しないバカな「正義」を、さも偉そうにしゃべることはやめてくれ、
   と言っても無駄かもしれないが・・・。

 せめて、迷走老人にならないように、自分自身にしっかり気をつけましょう。

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(追記)
  上記代表として、村山富市を取り上げましたが、それに、日本国歴代4首相を付け加えます。
  主義主張を超え(そんな上等なものはなかったねー)、内省も思想的な検討もなしに、打ちひしがれた猿
 のような、やっかみと、嫉妬で動くような彼らの、「現在」を、私たちは、決して許してはならない。少な
 くとも、明治維新以降奇跡のような近代を作り上げたきた、父祖に申し訳が立たない。
  うちの祖父の言葉を借りれば、政治家とは、本当に人間性ですね。
  私は、彼らに比べれば、少なくとも、政策的にも、人間的にも、安倍晋三氏を支持します。



「あまちゃん」はやっぱ面白いぞ!!  その1

2015-08-07 21:58:35 | 映画・テレビドラマなど

いつものように時宜に合わない投稿ですが、良かったら読んでください。

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「あまちゃん」はやっぱ面白いぞ!!        その1
                                 H27.8.6

 朝の7時15分から、BS連ドラ再放送を見るのが習慣になってしまって、現在の再放送「あまちゃん」も見られるかぎり、愛視聴しています。
 2013年当時、普段朝ドラを見ない視聴者をも巻き込んで大ヒットした、このドラマは、現在、「海女篇」を経て「東京アイドル編」に突入しています。
 本来このドラマは、主人公天野秋(あまのあき)(高校生)が、母が危篤状態と聞かされた母春子(小泉今日子)と一緒に、東北三陸の港町(撮影は久慈市と書いてあったぞ。)に帰ってきたことから始まります。
 母春子は、かつてアイドルになることを熱望し祖母夏子(宮本信子)と喧嘩し東京に家出して以来、一切音信不通で、相当わだかまりがありました。
 一部の海女篇の最後で、東京行きに反対したことについて、頭を下げた祖母と、母はようやく和解します。

 彼女たちが住む町は、北三陸鉄道のみの漁港で、お定まりの町おこしの取り組みの中で、天野秋一家は翻弄されます。危篤連絡は、春子を呼び戻したいばっかりの、北鉄(北三陸鉄道)の春子の同級生(駅長の杉本哲太)の策略だったわけです。祖母、夏子は、生業として、海女をやっており、海女協会会長として地元では実力者です。結局、危篤はガセながら、海女に興味を持つ素直な秋の帰郷に、夏子は内心大喜びです。
 母春子も、海女たちの経営する海女カフェの従業員で落ち着き、東京になじめなかった秋は、祖母に習って、海女修行を始め、地元の高校に編入し、そして、潜水課の種市先輩にあこがれ、普通科から潜水科に転科します。また、親友の東京アイドル志向のユイちゃん(あの人気者になった橋本愛です。)に影響され、最初は渋った母の反対を押し切って、東京にリターンです。

 脚本家宮藤官九郎の所属する劇団、「大人計画」から丸刈りの怪優、荒川良良(副駅長の役です。)、水産高校の潜水部の先生になるもみあげフサフサのこゆい顔の怪優皆川猿時(註1)、琥珀(こはく)のべんさんこと塩見三省(註2)、杉本哲太の好演といい、とても贅沢な配役です。
 劇団主催者の松尾スズキがどこで出ているのかと思ったら、主人公、秋の母春子のアイドル修業時代のアルバイトしていた喫茶店のアイドル大好きマスター役(アイドルお宅歴40年)で地味に出ていました。
 女優陣の充実も素晴らしく、渡辺えりはもちろんのこと、観光協会の事務員兼ユイちゃんの兄小池鉄平の当面ガールフレンド役の栗原ちゃん(註3)(安藤玉枝)、美保純、木野花など海女カフェの面々、クイーンのフレディ・マーキュリーファンの海女さん(註4)(花巻珠子)、細部にこだわるクドカンの演出のもとで、脇役が皆イキイキして、個々のセリフが鋭い突っ込みと斥力ではじけるようで、宮藤官九郎が試みる、NHK定番朝ドラを解体してしまおうとする隠された強い意欲に燃えています。
 試みに知り合いに、朝ドラとしての出来を聞いてみると、今までの朝ドラと勝手が違って、いまいちなじめないそうです。

 東京編では、芸能プロの社長(秋元康のパロディです。)として、かつては顔つきからは小劇場が主戦場のようでしたが、今やテレビ俳優になってしまったかのような怪優、古田新太が出てきます。(註5)
 また、熟年となった元アイドル薬師丸ひろ子の登場と相まって、春子(小泉今日子)との丁々発止、それはまた後日のお楽しみということです。現在も、すさまじい脇役陣が、いつでも、主役を食っちまいそうな瞬間が今もあります。
 前に、WOWWOWで、大人計画合同の公演劇「ラストフラワーズ」を見たこともありますが、あの批評力とエネルギーの過剰はすさまじいものです。また、先ごろ放映されたクドカン脚本、古田新太、生瀬勝久(ここまでしか名前を知らない)など共主演の「万獣こわい」は、黒い笑いとともに、「家族ごと監禁事件」を扱った久しぶりにこわい劇でした。特に古田新太が怖かった。

 長くなると、時々冗長になるクドカンですが、毎朝15分枠ということで、今後も、展開の意外さとテンポや配役の良さでしのいでいくはずです。


(註1) 彼はかつてNHKBSの太宰治劇場で、満嶋ひかりと共演で、太宰治の御伽草子の中の「カチカチ山」をモデルにした小劇で、ウサギにいじめ殺される醜い狸を熱演していました。ウサギ役の満嶋ひかりも冷酷で無邪気でとても良かったのです。適材適所のドラマでした。「ラストフラワーズ」でも、極東の某国独裁者に扮した、彼のダンスが出色の出来でした(笑えます。)。
(註2) コメディアン(ナインティナイン)が初演した「岸和田少年愚連隊」の映画の中で、彼はこわもてのサッカー部の顧問の教師に扮し、卒業式での別れで寂しさと悲しみのあまり、泣きながら、式の途中で悪ガキたちを殴りまくる粗暴な愛すべき教師役を好演したことを覚えています(あの映画は、駄目になる前の、井筒和幸映画の雰囲気をよーく伝えていたところです。)
(註3)(安藤玉枝)いつも目立たぬ役で、ドラマに出てますが、このたび宮藤作品で、主役を食うべく、コメディ女優として、とても健闘しています。
(註4)(花巻珠子)(海女祭りのイベントで、誰もがレディ・ガガを目指すのに、「わかる人にはわかる」と彼女は白のタイツ、胸毛付きで、濃いメーキャプでフレディ・マーキュリーに仮装していました。
(註5) 名前が「太巻き」というのですが(すごいネーミングだな。)、寿司屋のシーンが多いのが、東京アイドル編の舞台であり、ご愛嬌です。秋(能年玲奈)が、いつも、出世払いの寿司屋(ドロップアウトした潜水科の種市先輩もそこで板前修業していますが)でウニの軍艦巻を前にご満悦なのが、かわいい、ですね。能年玲奈を「あんたの目は小動物の目よ」と渡辺えりがおちょくったらしいですが、ほんとにかわいいげっ歯類みたいな黒目勝ちの目ですね。

(私見)ところで、続いて8:30から放映の今年の朝ドラ「まれ」が嫌で、なぜなら劇に出てくる輪島塗の家元役の中村敦夫の紬姿を見ると、「何それ」と情けなくなり、ご当地を売り物にした通俗的なドラマで、バカらしくて本当に嫌です。あれなら同時刻、Eテレのピタゴラスイッチの方がずっといいぞ。


日本の七大思想家(小浜逸郎)(福澤諭吉)

2015-08-04 20:04:09 | 読書ノート(天道公平)
福沢諭吉(1835~1901)
                        
一 アメリカ的価値観に殺がれた日本思想の独自性
 あ 戦後の思想家三人、丸山眞男、吉本隆明、大森荘蔵は、戦後の支配的イデオロギーの影響を強く
受けすぎており、西洋近代思想との対峙という視点からは、服従度が強すぎたり、混乱していたり、
中途半端であるとの印象が強い。
 い 戦前に自前の思想原理を確立させた、時枝誠記、小林秀雄、和辻哲郎の三人はそれぞれに固有の
意味合いにおいて、西洋近代思想の難点を克服しより普遍的な思考の成果をしえていると思われた。
   昔の人の方が偉かったのである。
   なぜそうなのかは、(差異として捉えれば)戦後のアメリカ的価値観の席巻で、価値観の浸透が、
日本思想の自前性、自立性をかなりの程度殺いでしまった。(丸山が指摘するように)いかに日本
人が変わり身の早さをその「執拗底音」にしているにせよ、敗北の衝撃からの自前性の復元には時
間がかかる。
   福沢諭吉は、幕末維新の混乱期から日本近代国家の建設期にかけて最大最強のオピニオン・リー
ダーとして活躍し、「一身にして二世を生きた」(福沢自身の言葉)わけであり、その時代の気運
  そのものが彼の思想を鍛え上げ、その時代にふさわしいものにまで結実させた。

二 あらゆる思想がナショナリズムであった時代
 近代の概念規定
  西洋にたまたま近代が早くおとずれたものであり、この言葉の概念の持つ普遍性は、いずれどの国を
  も席巻するものであった。
  ア 政治的「近代」  法(ルール)による統治。その理念として、自由、平等、民主主義、個人の
   人権の尊重
  イ 経済的「近代」  資本主義の支配。その基礎原理として伝統的共同的な規範からの個々人の欲
   望の解放
  ウ 学問的「近代」  実証主義、客観主義、自然科学的唯物論の支配
  エ 文化的「近代」  伝統宗教のドグマの否定、科学技術への信頼
  オ 社会的「近代」  都市社会、情報社会、世界均一性(グローバリゼーション)志向
   大体このようなところであろう。
   そしてこのような流れに人間の生活すべてを支配するわけにはいかないという異和感情があるとき
  (どこにでも、誰にでも多少はあるに決まっているのだが)、それは反近代主義として結晶する傾向
   を持つ((Ex)アメリカの原理主義的なカトリシズム(進化論の否定、避妊・堕胎の禁止など))。

 日本の近代史
  欧米経由のグローバリゼーション(帝国主義、植民地政策を含む。)の力を受動的に受け止め、それにどう対
 処するかの苦闘の歴史であった。
  近代の苦闘の意味は、逆らいえない大きな流れにのみこまれながらも、どのように己の国民的アイデンティ
 ティや政治的・文化的主体性を確保・維持するかという課題に集中された。
  福沢がいきた日本近代の黎明期、建設期においては、この課題の重要性が殊に際立って現れることに
 なる。ナショナリズムの確立である。

  ナショナリズム(という)言葉自体、非常に広い外延を持っていて、互いに異なる三つの概念、国家
 主義、国民主義、国粋主義をすべて内包するもの(佐伯啓思)と分類整理している。
  ア 国家主義  国家を最高価値とし、個人との関係を持ち込めば、個人の生命を国家にささげると
   いう犠牲的道徳価値が含意される。
   (その行為が)崇高と思われるかどうかは、それぞれの価値感情にゆだねられる。
  イ 国民主義  国民(複数)こそが最高の価値であり、国家を軽視するわけではないが、それはあ
   くまでひとりひとりの国民のための国家であって、この場合は国家は著しく機能主義的な把握を許
   すこととなる。それは人権(個人の生命・身体・財産・精神)をあたうかぎり保証した民主主義国
   家でなくてはならない。
  ウ 国粋主義  初めから、排外的な情念に彩られており、この概念でナショナリズムという言葉を
   用いるとき、かろうじて、戦前の一時期の皇国史観のような極端な価値観を背負わせることとなる
   であろう。

  語の関連からたどってみると、ナショナルがネイションから起源し、「国民」「民族」がこの観念の
 中核にあり、ネイティブ、ネイチュア、ナチュラルへと関連させていえば、「土着の」、「自然な」
 「もとの」「本来の」といった概念に結びついていく。この関連でナショナリズム概念を考えれば、民
 族主義、土着主義ともいえるし、場合によっては限りなく共同体の多元性を認める立場を範囲内に収め
 ることも可能である。
  一方、ネーション・ステートという言葉があり、普通「国民国家」と訳されるが、この言葉は近代国
 家の本質的構造を表す概念として使われており、この用法で、ネイションは「国家」ではなく「国民」
 であり、ステートの方は、国民を統合する組織形態、統治の状態を表わす。

  ここにおいて、(無用の混乱をさけるために)、ナショナリズムという言葉を、過去、現在、未来に
 わたる国民の安寧と諸権利(福沢のように「権理」という言葉を当てたいところだが)とを保障する機構
 としての国家をその限りで肯定し、その建設と維持発展とを不断に目指す思想、というように定義してお
 く。(ナショナリズムという言葉から、戦後の日本国民が抱きがちな情緒的マイナスイメージをひとまず
 振り払っておきたい。また、この言葉が、旧弊を捨て新しい優れたものを取り入れる進取の気性という意
 味ではないかのように考える戦後生まれの誤解を退けておきたい、ためである。)

 私注 「権利」という言葉は、明治の創成期に外国法典を和訳した際に、原語に忠実であれば、「権理」
  が正しかったそうであり、(現在のように)私的利害を場合によっては無原則に主張するものではもと
  よりなかったそうです。

 福沢が生きた時代は、あらゆる思想がナショナリズムに帰着するしかないような時代であり、新しく現わ
れたあらゆる政治思想、社会思想は、全てナショナリズムであり、それ以外に政治や社会を論じる者たちの
生き残る道はなかった。

 福澤は、正真正銘の、それも卓越したナショナリストであった。
 その心は、日本が否応もなく世界に自らを開いていかなければならない局面に立たされた時に、いかにす
れば西洋列強の攻勢に屈せずに一国の独立と国民の幸福を確保することができるか、という問題を文字通り、
いのちをかけて考え抜いた思想家という意味である。ここには、保守思想家・進歩的思想家、右左といった、
後世のわかりやすい理解枠組みによる抑え込みを許さない、時代そのものの迫力が見事に刻印されている。

三 「複眼性」ゆえの誤解されやすさ   

 誤解されやすい特徴・・・福澤の「複眼性」または「両眼性」、自由思想家(決してリベラリストではない。)
  の特質としての変幻自在性
     批判者が、(守旧派)であれば、伝統を否定する西洋追従主義者 と考え、批判者が、(リベラ
    ル進歩派)であれば、民意を顧みない国権主義者 とする。
     (Ex)ヘーゲル 右からは進歩主義者
         左からは国家主義者  と言われた。(大きな思想の宿命)


四 「天賦の人権」でなく「天賦の不平等」

 「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」
   の後に、
「そういわれているのに、なぜ世の中はこれほど賢愚、貴賤、貧富の差が動かしがたくあるのかといえば、
  元をたどっていくとその原因は学問をしたかしないかに帰着する。」

  もちろん福澤は、この社会が平等に作られているなどとは少しも思っていなかったし、また能力、地位、
 貧富、階級などの格差がなくなる完全平等な社会が実現可能だとも、そういう理想が素晴らしいなどとは
 毛頭考えていなかった。
  そのような空想を掲げるのはあまりに現実主義者だった。

  人間が平等であるべきなのは、「権利通義」の領域に限ると何度も繰り返している。
  法的人格とすればすべての人は平等に扱われるが、その他の点で人間がそれぞれ不平等な条件を背負って
 いるのは動かしようもない事実であるとみなしていた。「天賦の人権」など信じてもいなかったし、鼓吹し
 たこともない。
  彼が「天賦」というときは、それはむしろ逆に「天下の不平等」を人々に気付かせるためである。

〈 左れば、天賦の身体に大小強弱あり、心の働きにも亦大小強弱なかる可からず。此睹易き事にして、古今
  識者の大いに注意せざるは怪しむに堪えたり。(中略)如何に牽強付会の説を作るも、人の身体の強弱に
  は天賦あり、心の強弱には天賦なしとの口実はなかる可し。畢竟、世の教育家が其教育奨励の方便の為に
  事実を公言するのを憚り、遂に天賦論を抹殺して一般に之を忘れたるものなり。固より愚民多き世の中な
  れば、無天賦論の方便も、時には可ならんと雖も、事実を忘れて、之が為に遠大の処置を誤るは憂う可き
  の大なるものと言う可し。 〉(「時事小言」第六篇・明治14年)

  他の教育者と同様に、「学問によって人は平等になる」、というラッパを吹きはしたが、前者が、ラッパ
 を吹いているうちにそれを本当と信じて「事実を忘れてしまう」につれても、彼は常に「天賦不平等」の自
 覚を持っていた。

五 国権と民権は相調和すべきもの

〈 政権を強大にして確乎不抜の基を立るは、政府たるものの一大主義にして政体の種類を問わず、独裁にて
  も立憲にても、又或は合衆政治にても、苟もこの主義を誤るものは、一日も社会の安寧を維持する能わざ
  るや明なり。合衆政治など云えば、其の字面を見て国民の寄合所帯のごとくに思はれ、何事も簡易便利に
  して、官民の差別もなく、随て政令の威厳もなきもののように誤り認めるものあらんと雖も、唯是れ字面
  上の想像のみ。其実際において政権の厳なる、或いは常に独立国の右に出るもの多し。 〉(「時事小言」
  第六篇・明治14年)
       
 福澤が民権論者であったか、国権論者であったか二者択一的な問いは、福澤思想にとって特に意味はない。 
 当時の世界帝国(英国)の威力の秘密は、ミドルクラス(ミッズルカラッス)(中間層)の力と喝破した。
 維新革命は、たかまりつつあった「民」の気風である。
 政治権力の強大さは、近代社会においては、「民」の承認のもとでこそ保障されるものであり、いったん国
権の機構が整備されるや、その権力の機能は、「民」の安寧に寄与する範囲で十全に果たされるべきである。
 ここでは、原理上、国権と民権の対立などと云う命題は存在せず、逆に両者はそれぞれの持ち分を守り、そ
れぞれの不足するところを補い合い、そこに有機的な連絡性が常に維持されるのでなくてはならない。
 それが、福澤諭吉の理念であった。

 当時の民権思想は、決して国権それ自体と対立するものではなかった。
 (封建制を打破して、天皇を中心とした強力な国民統合の体制を構築していくという基本的な方向性は同一)
  (「ナショナリズム その神話と論理」 橋川文三)
 藩閥体制は彼らにとって、「君側の奸」であった。

 福澤は、日本の伝統的な権力偏重と、それにこびへつらい私利のために政府を利用することしか考えない民
衆の卑屈さを繰り返し批判し、「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」(「文明論之概略」巻之五・
明治8年)と口を酸っぱくして嘆いた。

〈 中央の専制のみが先行し、それを支えるにふさわしい「民」の政治的気風や経済的実力が伴っていない、そ
  れを官民相携えて進むべき健全なナショナリズム(国民主義=国家主義)の育成こそが焦眉の急であった、
  当時の状況 〉
 (機構上きちんとして「合衆政治」の権力の強大さは、独裁国のそれにも優るとも劣らないこと)、「合衆政
 治」(デモクラシー)が実際の機構として整備されている場合は、大統領制にせよ議員内閣制にせよ、単なる
 「民衆の支配」などではなく、確乎とした代議政治であること、そこに必ず権力の集中があってこそ正当に機
 能するものであることを主張しており、適格な判断である。 〉

六 福澤は武士道を称揚したのか

 福澤は、平等主義者でもなく、無原則な民主主義者でもなく、社会の安寧を守るためには正統的な国家権力の
存在が不可避であり、智徳相備えた中間層の存在こそがそれを支える主導部分と考えていたこと(「良識」に立
脚して自論を組み立てる思想家であったこと(西部邁))・・・・・・・一種の「精神のアリストクラシー」の
信奉者
  *私註:アリストクラシー(貴族主義と訳されます。貴族主義政治(選民による政治)への志向とでもすべ
     きでしょうか。)今でいうとノーブレスオブリージュとでもいうべきでしょうか。
     
  西郷隆盛の擁護(丁丑公論)(ていちゅうこうろん)
   (西郷隆盛が下野してから若手の不平士族の突き上げに遂に屈して西南戦争を起こしたてん末に絡めて)
   彼のように度量の広い大人物をあのような窮地に追い込んだのは政府の責任であり、大きな損失である、
   と政府を論難した。

           (未発表)       (以下省略)

   ナショナリズムの昂揚期や、権力の弾圧の強い社会では、命をかえりみず、主義や信念に奉ずる気運が高
  まるというのはよくみられる現象であり、福澤のなかにことさら武士道を嗅ぎ出す必要はないものである。
  後の、勝海舟や榎本武揚(旧幕臣でありながら敗色が明らかになればさっさと降参して政府の要職に就いた)
  に対する批判も、リーダーのあまりにあっさりとした変節ぶり(殊に榎本は五稜郭の戦いで多くの部下を戦
  死させている)を非難していることに注意すべきである。

   福澤は、「一命を顧みない犠牲的精神に共感はするけれども、それだけを行動として貫こうとしても、
  「万機公論に決すべき」今日にあっては、玉砕するだけだから、尚武の精神を「変化」「変形」せしめて、
  今日の時代に適応させるべきだ、その変形の役割を担うのが政府だ」、と主張している。

   福沢諭吉に対し、勝海舟(江戸城の無血開城)が論じた言葉
  「 行藏は我に存す。毀誉褒貶(きよほうへん)は人の常(他人の主張)、我に関せず、我に関わらず。
   (勝海舟の言葉)なのである。」 出典 (明治書院)新釈漢文大系6 『荀子 下 』

  私註:海舟批判書状の『痩我慢の説』への返事(ネットから抜粋)
   「自分は古今一世の人物でなく、皆に批評されるほどのものでもないが、先年の我が行為にいろいろ御議
    論していただき忝ない」として、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。
    」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬ
    ことと考えています。)

七 西洋文明とは受け入れざるを得ない麻疹(ましん)

 「学問のすすめ」で、西洋文明の優れている点、いち早く日本が取り入れるべき点を強調したが、同時に無
 批判に西洋文明のすべてを受け入れようとする西洋心酔者流、開化先生流の軽薄さを激しく批判した。
    健全なナショナリストとしての福澤、マージナルマンとしての福澤(西部邁)

    *マージナル‐マン【marginal man】
     文化の異なる複数の集団に属し、そのいずれにも完全には所属することができず、それぞれの集団
     の境界にいる人。境界人。周辺人。

   西洋文明のアジア進出を、麻疹として捉えている。
    西洋文明には害もあることを明言しつつ、なお利益の方が多いので、それを選ぶほかない。いち早く
   感染させて軽症のレベルにとどめ、免疫を得させることが肝要である。
    国益主義、功利主義、リアリストとしての福澤
     EX) 朝鮮の独立を目指した金玉均が起こしたクーデター(甲申事変)に際し、日本に逃れてき
        た金玉均をかくまったが、清国政府に配慮した日本政府は、本人を小笠原に流した(金は上
        海で暗殺される)。
         清と朝鮮に対し、否定的な評価
  後に帝国主義といわれ、日本もその仲間入りを果たすこととなった、「文明」の風潮を麻疹に譬えている
 こと は、その避けられない流れを避けられないがゆえに受け入れざるを得ないと考えていたことをよく象徴
 しており、同時に、国際社会の主流を決してそのまま肯定しているものではなく、一種のやくざ世界のように、
 「力による勝負」の場と見抜いていた。
  「文明」とはこのとき、力の強さを表わす指標以外の何者でもなかった。
  ある主義や風潮への「惑溺」を何よりも嫌った福澤が、このような覚めた目で世界を突き放して見通すこと
 ができたのは、彼がその思想体質として、機能主義・功利主義の精神を身体に沁み込ませていたことにほかな
 らない。

  (ただ一つ、キリスト教に対する見解は矛盾がある。)

    (後 略)

八 機能主義的・功利主義的なナショナリスト

 これまで、福沢諭吉は、近代国家形成期のさなかにあって、明確にその運命の如何を自覚したナショナリスト
であることを説く同時に、彼の機能主義的・功利主義的発想をも強調してきた。
 この(相矛盾する)性格を融合させた思想家が現にいたのだ。
 彼は、愛国心や祖国愛といったような心情的要素を「偏頗心」(へんぱしん)といって突き放した表現で語
る。
 また、重要なことは、この人間社会が、事実上、互いの幸福を最大の動機として組み立てられ、それを目指
して回転しているという現実、その現実の重さに気付くことであり、福澤は直感的にその現実を知り尽くした
思想家だった。
 また、その直感は、彼が優れたナショナリストであった事実と少しも矛盾しないし、ナショナリストにして、
機能主義・功利主義ということこそ、思想家・福澤の真の面目がある。

 〈 殊に日本国民の如きは、数百年来、君臣情誼の空気中に生々したる者なれば、精神道徳の部分は、唯こ
   の情誼の一点に依頼するにあらざれば、国の安寧を維持するの方略あるべからず。すなわち帝室の大切
   にして至尊至重なる由縁なり。況や社会治乱の原因は常に形体にあらずして、精神より生ずるもの多き
   においてをや。我帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり。其の功徳至大なりと云う可し。 〉
    (「帝室論」(明治15年))

 社会秩序が乱れるのは、情誼にもとづくいたずらな対立にあるのだから、そうした信念対立が非妥協的に
なって恐ろしい事態を引き起こさないためには、人民の激した感情を慰撫する不偏不党の大きな緩和勢力がな
ければならず、それはあらゆる政治勢力を超越したすべての日本人にとって精神の源となるような形をとって
おかなくてはならない。

 それこそが「帝室」の役割だというのである。
 「国の安寧を維持するの方略(方便)」ときっぱり言い切っている。
 立憲君主体制での皇室の機能を的確に論じたもので、後の「天皇機関説」の先取りを為すものである。(帝
国憲法の公布と帝国議会の開会の数年前)統治というものは、ダブルスタンダードをもともと本質構造として
抱えるのであって、いわば「顕教・密教」の密教部分では、天皇が立憲君主制の一機能に過ぎないことは自明
のことであった。
 福澤は、皇室へのあまりのひいき感情から、皇室第一主義の「官権党」なるものを作って「党」として政治
参加するような傾向を危険なものとして退けている。
 こうした極端な党派性の伸張がやがて極端な皇国思想を生み、昭和の軍国主義につながり、中庸と均衡を重
んじ「惑溺」を排した福澤の最もよしとしない傾向であった。

九 公智・公徳、両方の必要性

 国体論への言及
  国体 その国の国民が政治の実権を握っていること
      例外)傀儡政権、GHQ主導などは例外(占領下は国体は失われていた。)
       ナショナリズムの実質的な確立を維持することで、意味がある。
 知と徳について 
  智徳は人間精神の発展にとってもどちらも欠いてはならない車の両輪のように重要な要素であり、知と
  徳にはそれぞれ私的なものと公的なものがあり、

  私徳、公徳、私智、公智があり、
  私徳は、潔白や謙遜のように、一心の内に属するもの、
  公徳は、公平や勇強などのように人間の交際上に現われるはたらき、
  私智とは、物の理を極めてこれに応ずること、
  公智とは、人事(人や人に関連する事柄について)何が重大で、何が軽少あるかをよく判断し、時と場
   所を察するはたらき、とする。

  徳の特性として、私的なもの(内面の自己満足)に限定されやすく、その内容も古今東西ほとんどかわ
 らない が、智の内容は無限に多様であり、いったん獲得されれば失われることがない。
  徳はそれ自体自足的だが、智はもともと発展性をその本質として持っているので、その特性に徳が加わ
 ることにより文明の無限の領野が開けてくる。
   
  教育の根本精神は、自立心を培うこと、視野を広めて他者世界への想像力を養うことで、一方が他方を
 互いに支えることであることから、徳育か知育かの問題ではない。
  EX)反ゆとり教育、反徳育優先主義

  福澤はひたすら、公智「世界に向かって視野を開き、人事に関する適切な判断力を養うこと」の重要性
 を説いた。
  福澤の知識論は、時間の経過に耐える普遍的な力を秘めていた。

十 福澤の時代と共通する現代の課題

 福澤は、「文明の無限の発展」という
最長期的な理念をまず大前提として、その途上にあるすべ
ての国が自らその理念を最大限に取り入れるところに近代国家の目標を見出し、その出発点に立っている日本
においては、まずひとりひとりの人間が文明の成果を正しく取り入れつつ、それぞれの立場でふさわしい形で
自立精神を養うこと、そしてそのことが国家の独立を確立するための必須条件であると考えた、ということで
あろうか。この考えかたに沿って「近代ナショナリズム」という概念を措定することがまっとうなやり方と思
う。
    
 福澤は、日清戦争と日露戦争の間の、日本近代社会の黎明期と建設期の間になくなった。(希望に満ちた明
るいトーン)

  (その後、明治末期から大正と、暗い困難な時代を経由する。)

( 中     略 )

 現在の国際環境は、200もの大小の主権国家が群雄割拠する一種の「やくざ世界」なのだと言ってよい。つ
まり、他国と深く交渉しつつ自国の安全保障上の配慮を決しておろそかにしてはならないという点において、
福澤の生きた時代と共通する問題を私たちは抱えている。能天気な平和主義など、世界から笑われるだけであ
る。(ただ福澤の現代版はまだあらわれていない。)
 福澤の強靭かつ柔軟な、そして良い意味でのプラグマティックな思想家魂をきちんと参照することによって、
現在の閉そく状況からの脱却のために必要とされる最も基本的な精神の構えといったものに対する示唆を得る
ことであろう。
 ア 旧訓を参考にしつつ新しい時代にふさわしい新しいナショナリズムのあり方を構想すること。
 イ 正負いずれの感情的反応をも超克した理性的な「ナショナリズム」概 念を鍛えなおすこと。




(私見: 終わりに当たって)
 70年代の学生運動は、「反帝、反スタ(反米・反ソ)」という旗印で、当時の二極化の世界体制に抗うとい
うスタンスをとっていました。それは世界規模で考えても、当時、最も良識的な思想であったと思われます
(もし歴史的意義があるとすれば、これはその多くの部分を吉本などの少数のまともな知識人に負っています
。)。
 その後、世界中の「左翼」(?)国家が、スターリン、毛沢東、カストロやポルポトなど、社会主義に名を借
りた全体主義‘収容所’国家の成立と裏面での大虐殺の実態、それらの影響下で馬鹿な理念を金科玉条にした
後進国(?)の指導者の退廃と無能ぶりとが徐々にわかってくるにつれ、「左翼国家」が自国民と他国の大衆
に対しいかにでたらめでろくでもないことをしているのかとか、また、後進国(?)のどうしようもないナショナ
リズムの状況とが徐々にわかってくるにつれ、対抗措置として、当面「(真の)左翼のナショナリスト」を名
乗ることにしました。
 また、そのあとも、時代の推移とともに、「左翼」の歴史的な敗北と、無慈悲な資本主義の隆盛と実態、ま
たムスリム国家の中世のような宗教国家ぶりも視えてきてしまい、昔から疑い深い学生であった私は、その後
は、何と名乗るべきか戸惑うばかりでした(バカらしいけど、さー、よく、わからない、というのが本音でし
た)。
 しかし、世界規模では今後とも「民族国家」の止揚(?)が困難であり、グローバリゼーションの進展が文
化と文化の対立の激化と、いわゆるやくざ社会のような力による制圧を招き、また、先の国連の事務総長のよ
うに安いナショナリズムに基づく恥知らずな発言が国際レベルで受容されるなら、調整機関としての国連にあ
まり期待ができないものとも考えられます。
 この本「日本の七大思想家」を読んできて、苦闘の時代を生きてきた先人たちに学べないのは愧ずべきこと
である、という認識を新たにし、「奇跡のような」明治維新をやり遂げた「偉人」たちの成果を、馬鹿な政治
的指導者の浅慮のもとに棒に振るのは、私たちの祖霊に対して済まない、と(私は)思います。
「革新」という言葉も死語となりましたが、思想的な誤びゅう、思いちがい、「安い」正義はいつの時代にも
澎湃として起き上がり、無責任で、無節操な人々に支持されるものなのです。
「私たち」は、現在に不可避的に問われている、真正の「ナショナリズム」の現状を認識すること、「共同幻
想」につながる、国家、社会、家族についての自己の考察と内部了解を起点に、自らを鍛えつつ、馬鹿な理念
にだまされたり、足をすくわれたりせず、生きていきたいものです。
(小浜さんのいう教育の後半目的「視野を広め、他者世界に関わる想像力を養うこと」は、本当に大事なこと
です。)

 小浜の認識はさらっと書いてありますが、彼の達成は大変優れたものです。社会科学の概念は鍛えに鍛えた
ものですから、つまらない理念に覆されること(自分がくつがえされたらそこまでですが)は決してないもの
です。例えば、このたびの「教育」の概念規定も見事な達成です。応用もききますので、本と同様に、何かの
時に、レジュメも見返してください。
 個人的にいえば、吉本体験以来、吉本に助けられながら、日本の思想家、世界の思相家・哲学者の著書に触
れてゆきました。また、後継者としての、小浜逸郎、竹田青嗣、瀬尾育生など、様々な批評家、社会学者、文
学者の名前や著書にも触れていきました。
 マルクス、ヘーゲル、ハイデカーなど改めて大きな思想に知り合う契機もありました。

 今回の皆様方が、それぞれに触れられ、深化され、「さらに先に行くこと」を願っています。
 私にとっての関心は、ジョージ・オーウエルではないのですが、「右であれ、左であれわが祖国」なのです。