天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

グローバリゼーションの現実から旅館業務(日本人顧客サービス)を健全なナショナリズムの立場で考える

2019-08-26 19:31:19 | 旅行
最近、国内旅行をすることが多くなり(それは外国旅行をすることがとても多くそれに慣れているということではまったくありませんが)、先ごろから、わが家により近い、九州地方を旅行することが多くなったところです。
当該旅行は、妻が、ネットサーフィンに拠って、安い時期の出物(?) を探します。「質と値段の均衡」をいかに追求するかを、その努力と工夫を、「いかに賢く優れた選択であるのか」を、あらかじめしっかり立案していただき、私に説明してくれます。
先に、私が選んだ、湯布院の「中共国経営・日本旅館」(「おもてなし」から「えせおもてなし」に及ぶ(罵倒シリーズその11))で痛い目に遭ったので、私に是非はなく、妻の目を信用することにしています。

いつぞやは、「私にあなたにはもったいない(世が世であればあんたの妻になるようなことはなかった。)」と言明していましたので、まあ、そんなものでしょう。

 しかしながら、今年の7月は、妻の嗅(才) 覚で、費用効果性の高い旅行を目指していましたが、西日本一帯は週末台風にたたられ、7月当初から計三度、日程変更を強いられました。
 当該日程変更に、快く応じていただいた、計三泊、二つの日本旅館さんには、謹んでお礼を申し上げます。

 結果的に、7月下旬の夏休み前に、天草方面、熊本県・人吉市を旅行しましたが、その結果は、おおむね、満足するものでした。
 天草地方は、何十年も前に、牛深市を目指して、家族旅行をしましたが、それ以来のことです。
もう十分海で泳げる時期でしたので、このたびは、シュノーケルをすることとし、宿泊旅館に尋ねて、近場で、岩場のある海水浴場の穴場を教えてもらい、人っ子一人いない海岸で、自由に様々な熱帯性の魚の群舞を愉しんだところです。
 どうも、私の住む瀬戸内海とは、動植物や生態が違うようで、巻貝とかうにとか、珍しいもので、私たちの好奇心にしっかりと、応えてくれました。
 旅館は、メゾネットタイプで、各棟ごとに宿泊することとなり、露天風呂と内風呂などの水廻りが一階に設置され、二階が、居間と、寝所となっており、それこそ、亜熱帯のような照葉樹林の植え込みを越え、遠く海が望めます。沿接した棟とは視野がきちんと切り離されており、独立したリゾートのコテージのようなつくりになっています。きちんと、冷凍庫対応の冷蔵庫と、BS対応のテレビもあります。
 スタッフはいずれも親切で、こちらのやって欲しいことには的確に応え、後はほっておいてくれます。とても良いあしらいです。二泊しましたが、旅館の料理も上質であり、美しい海岸と、泉質のよい露天風呂ともども、ゆっくりした時間を過ごせました(「本来はずいぶん高いのよ」という妻の話です。)。

 三泊目は、天草大橋を本土にもどり、熊本県の人吉市に泊まることとなりました。
 ここは、本来の温泉旅館であり、三度の日程変更にもかかわらず、やりくりして、有形重要文化財の客室に泊めてもらうことが出来ました。
 それまで、まったく知らなかったことですが、この「人吉旅館」は、女将が韓国人でした。なぜなのかと、興味深い話だったので、館内にある、地元新聞の切抜きなどを読んでみると、現在の社長が、地区の旅館業者と共に観光セールスで、韓国に行った際、韓国の大学で観光業の専攻と日本語の勉強をしていた、学生であった女将を見初め、強く望んで、嫁に来てもらった、とのことです。
 先代の女将も、これを認め、子供も生まれ、日本人の嫁としての仕事と、女将としての仕事をこなし、ついには、日本人に帰化したいと望んだが、「それには及ばない」と、夫(社長)と先代女将に止められ、現在は、女将として、人吉市旅館組合で、韓国人客受け入れの責任者として、地区活動をしている、との話です(女将の年齢を考えれば、その時期は、現在の南鮮の下劣で卑怯な官製反日運動が起きる以前であろうかと思われます。)。

 わが宿泊の部屋は旧館となり、それは国指定の重要有形文化財になっており、磨きぬかれた廊下と、細かい格子の入ったガラス戸(古いガラスなので波打っています。)などの建具で囲まれた回廊になっており、内庭を見ながら、24時間入浴出入り自由の湯殿に降りていく廊下は、広く深い光沢で、惚れ惚れするようなものです。
 「ひとりで歩いていくのは嫌だ」と、うちの妻は、夜遅く湯殿に降りていくのを拒否しましたが、再度、私は深夜、階段を降り、中庭の池や植え込みを見ながら進むと、なるほど、独特な雰囲気があり、「夏目人別帳」という妖怪アニメの世界に入るようです。
 湯殿は古く、深く、また熱く、泉質も良いので大変くつろげる場所です。

 夕食も、趣向を凝らしたもので、青竹のめごに包まれた地元の名物を配した会席料理と、初夏の鮎の塩焼きなど、美しく、目を奪います。私は、つい、わたまで食べてしまいましたが、砂が入っていたので、天然ものなのでしょう。
 サムゲタン(どうも鳥の煮込み料理)というのか、韓国料理も、別卓では用意されており、また、中にはすき焼きを食べている人もいましたので、料理の別注文は可能だと思われます。

 部屋が古い、と妻はいいますが、私とすれば、温泉にも、料理にも大満足です。
 食後、ロビーに降りて、展示物や、みやげ物などを見ていました。
 その中で、韓国の偉い陶工の作品が展示販売されており、何十万円という価格で、群青の呉須の様な茶道具で、そこは好みですが、「私は嫌い」と妻は言います。大陸仕様の茶道具なのでしょう。私は、日常雑器とすれば、これはいくらなんでも、高すぎると思いました。

 社長の趣味なのか、ブリキのおもちゃや、昔の玩具、キャラメルなどの箱の展示があります。また、イラストや、雑誌の展示から、この旅館か、この地方の出身者が、テレビアニメ「夏目人別帳」の原作者であろうかと、思われます。

 その夜は大満足ということで、部屋に引き上げました。

 翌朝、朝食を楽しみにしていましたが、かゆと、白米が用意された、和食のバイキングというメニューとなり、いずれも美味しく堪能しました。その際に、女将手作りのキムチというのがありましたが、どうも、手をつける人はいないようです。
 それから、にわかに、女将のあいさつということになり、韓国人の女将が、各卓をめぐり、私たちも、あいさつすることとなりました。
 現在、夫が入院しており、昨晩介護に行っていたので、あいさつが遅れたという口上です。
 なかなかきれいな人で、妻が、部屋に飾ってあった、自分が好きな、薩摩焼の草木焼きの花器をほめると、とても喜び、李氏朝鮮の血を引くという、沈壽官窯(ちんじゅかんかま)(朝鮮陶工から始まった薩摩焼の窯元)に行って購入したと、その来歴を話してくれます。
 どうもそれは、同郷出身者として、有為転変のうち、他国に根拠を得たという、いわば彼女にとって、ロールモデルなのかも知れません。
われわれも、女将におもてなしの質を謝し、女将は引き続き、それぞれの宿泊者の卓をめぐっていきます。
 同郷の朝鮮人宿泊者のテーブルではさすがに長くなり、やり取りも長くなります。
 彼らには、一度、湯殿で出会いましたが、二名の宿泊者であり、片方はやせぎすで、白髪を総髪に結い、わが畏友、八木独仙君(詳しくは「我輩はねこである」(夏目漱石著)を参照してください。)のような、見事なあごひげを生やしています。芸術家(陶芸家(?) )であるのかも知れません。

 そういえば、旅館の入り口の、歓迎用の看板には、韓国人の名前が書かれていました。わが家も、ご同様に白文字で書いていただいておりました。とても、日本的なサービスですね。

 この旅館(他にどれだけ実施機関があるかは知らない。)には、外国人観光客を減額宿泊する、という制度について触れられていました。高い宿泊費を下げ、今後につなげるという制度なのでしょう。当該、差額が何に拠って補てんされるかは書いてありませんが、もし、公金・補助金などで補てんされるのであれば、それは理不尽な話です。
 われわれも、このたび妻の才覚(?) によって、客層を広げるという方針であるのか、より安く、宿泊することが出来たわけではあります。それも、民間企業の折にふれた経営努力の範囲かも知れません。

 旅館のサービスは、とても質が高く、仲居さんは親切で、宿泊費用に比べ、食事は良質で、おもてなし、という点では、日本旅館としての質は高いものです。現在のところ、それは、女将が、何国人であろうと、揺るがないサービスと思われます。日本人とすれば、心強いところです。
 要は、私たちは、日本人として、日本人向けのサービスを期待しており、特に韓国風サービスは期待していないということです。おもてなしの精神を発露して、特別仕様のサムゲタンもキムチも人によっては喜ぶかも知れないが、日本旅館でわざわざ食べるものかね、と思ってしまう。私は、外国に行って、質の悪い日本料理などのぞまない。
 それは、旅館の方針で、韓国風サービスが導入されるなら、折り合える部分は我慢しますが、それ以上のことは客としては我慢できないということです。

 知り合いに聞けば、現在九州の日本旅館は、外国人客(中共・南鮮人)向けのサービスをしているところがとても多く、何国人のスタッフが勤務しているか、実際のところわからない、といいます。
 ここまで、外国人宿泊客に対し、宿泊費を減額してまで、観光客を誘致し、有形無形のその営業を展開していかなくてはならないというのは、その原因ははっきりしていて、日本人観光客が宿泊しなくなったわけでしょう。
日本人が国内旅行をしなくなった、デフレによる景気が低迷しているのも、大きな原因でしょう。それは、先の別府でも同様でした。

 しかしながら、旅館業というのは、同時に、当該地の歴史や文化を売り物にする業種であり、また、当然それは経営者の営業方針、思考、また嗜好を反映します。しかし、良き伝統・文化や他国・地方の文化との差異を示すような工夫がないようなら、浅薄な目先の人気取りはいずれ、淘汰されるしかないと思われます。
 
 もし、私が、外国で旅館(ホテル)業を営むとすれば、当該国民国家の歴史や習慣を、まず尊重し、おもてなしの配慮をしたうえで、私自身の生活史をベースに思考し、その良かれと思う部分を、独自なサービスに反映したいな、と思います。

 聞き及ぶところによれば、こちらの女将は、来日後、まず、熊本大学に入学し、日本文化や、日本の旅館ビジネスを学び、日本国の伝統・文化、着付けからお茶・お花をはじめ、子供の養育もこなしたということで、文字どおり、カリスマ女将のような人です。

 もし、女将の考えとその現実(?) を、私が想像すれば、人間はその養育環境、その生活史を否定することは出来ないはずであり、その後異郷に移り住み、その教育や文化を深く学んだとしても、その内面で、価値観や嗜好の相克が起こるのは当然のことでしょう。すぐれた人ほど、その点は意識的であろうと思われます。

 今でも敬すべき哲学者、竹田青嗣氏は、その出発を、「<在日>という根拠」という文芸評論から始め、持って生まれた自己の出自の基点から出発し、その後、自己に強いられるように、「世界普遍性」に通じるためなのか、西欧哲学に至るまでにその思想的営為を展開し、大きな達成をされてきたところです。
 身のほど知らずなことを申し上げますが、それは、私にとっても、達成はないにせよ、ひとりの学徒(相変わらず中二病ですが)として、同様な道行きであったろうと思われます。
 しかし、彼の幼胎児期や、その後の生活史、大学卒業後就職できなかったことなど(このあたりは日本人生活者も同様ですが)その直接体験は、他者には容易にわからないところです。彼のその成育史の中で、家族や社会とのかかわりあいには、あまり触れられていません。
 学生時代、当時の民族自立運動へと、誘われる契機があり、左翼運動とどっちに行くべきかの選択は、そのときのいわば触れ幅でしかなかったというような、述懐はあったところですが。このあたりは私にもよく理解できるところです。

 すなわちその生活史(思想まで言っていいのだろうか。)などは、それぞれにとっては不可避でも、他者とすれば恣意とか偶然であるしかないようなところなのでしょう。
 しかし、同様に私たちの折々の危機の際に、どう考え行動するのか、また、本当のところは、個人として、彼が何を考えるのかよくわからないところがあります(そのために私たちはその著書を読むということでもあります。)。

 私自身の問題とすれば、現在は、明治期の知識人たちが逢着したと同様に、私たち大衆も、その大問題に、個人的に対決せざるを得ない、好ましくない他国の外部・異質なものが、わが国社会の独自な文化、歴史・伝統に対し、侵略・侵奪される危機が、目の前で生じているところです。
 ならば、それにどう対応するかについては、大変苦痛でありますが、この際、覚悟を決め、直接的には、自己のナショナリティ(自己の存立根拠というよりはいわば自己の生活史・出自の根拠)を根拠に、あらゆる局面で、頼りない指導者たちを疑いつつ、自己の考えを構築し、私たちの国家・社会の安心・安全のために戦うしかないように考えられます。

 どうも、竹田氏のように、世界に通用する哲学者として、敬すべき先達においても、それは同様の道行きではないのかと、思われるわけです。

 確かに、不幸(私はそう考える。)にも人間や事物の度を過ぎた行き来が頻繁に生じれば、グローバリゼーション(国境を越えた人や物や制度、イデオロギーなどの無秩序な交通)が生じるのは止むを得ないところです。
 しかしながら、その過程で、加齢のためなのか、もとより無思考なのか、はたまた国民病のような(?) 宿あの左翼コンプレックス病なのか、自前の思想のバランス感覚(国民国家の基盤としての健全なナショナリズム)を失い、いつしか悪しきグローバリズムに魂を乗っ取られるわけです。
 病気になれば、他国の歴史・文化を侮蔑したり、自国の歴史・文化を不合理に卑下したり、根拠もなしに、野郎事大に振る舞いだしたりで、愚かしい腐ったイデオロギーの走狗にならないようにしたいものですね。まさしく、それは大衆の弱点と負性なのですが。

 在日系の学者を見ていても、日本国パヨクを見ていても、日本国での庇護を受けながら、近代国家とも思えない愚かな南鮮、北鮮に肩入れする、つまらない知識人はいくらもいるわけです(愚者の指導者など、はやく死ねばいいのに)。

 それこそ、日本の知識人たちを見ていても、人間は、いつでも、いかようにでも、思考停止、思想的に退行・転向することもある、ということも、ため息が出るような情況も、また、事実であります。

 私は、伝統ある旅館が、私たちにとってつまらない、韓国直営・日本旅館にならないように、日本人の宿泊客が気持ちよく出来るように、二国をまたぐ経歴を持つ優れた女将に、今後とも、見識と良識あるサービスに努力していただきたい、と、思っております。

 また同時に、日本人も、その身銭と余暇を割いて、古い、しかし、温泉が豊かで、自然も美しい、伝統ある九州旅館(似非日本旅館は断じて困る。)に滞在し、ひいては、地元観光サービス業に従事する人たちを支援すべきなのです。そうであれば、あなたの郷土にも、いずれ、観光客として、彼らもおとずれるかも知れない訳です。

 また、末尾に特筆しますが、宿泊客に大変好評であると、仲居さんに教えてもらった、朝食限定メニューの、「馬肉カレー」は絶品でした。カレーというのも、立派な日本料理なのですね。
 私は、田舎者なので、カレー(カレーライス)に金を払って食べることは基本的に嫌です。
 しかし、わが家二名で、「カレーはべつ腹」といいわけしながら、しっかり何度もお替りしました。九州人は、馬肉の扱いには長けているのですね。
 もう一度、機会を持って、是非、食したいものです。
 あれは、日本食文化の勝利、と申しあげます。

宮藤勘九郎の出自を言祝ぐ(ことほぐ)ことについて

2019-08-18 20:11:25 | 映画・テレビドラマなど
妻によれば、本年のNHKの大河ドラマの視聴率が低く、宮藤勘九郎ドラマが苦戦しているという話を聞きました。
実は、私、この番組を、最初は見ていましたが、ビートたけしを見るのが嫌で、いつの間にか見なくなっていました。
かつての、NHKの朝ドラ「あまちゃん」は、ほぼ欠かさず見ていたので、心情的に、「悪かったな」とか、「義理を欠いた」ようなところです。
このドラマは、彼が属する劇団「大人計画」の怪優(?) たちが大挙出演しており、最初は、実際のところ、誰が、誰の役をするんだろうと、興味深く見ていました。
 NHKは、どうも、この劇団と相性が良いらしく、先に、NHKは、「朝まで大人計画」という、深夜から早朝までの6時間を超える番組があり、劇団の主催者の松尾スズキの俳優・劇作家としての出発からの顛末を、宮藤の入団から、劇作家としての独立、看板スターの安陪サダヲなどの入団の経緯を扱い、劇団の年代記ならず、何段階かにわたる、俳優たちの入団の経緯とその相互関係付けが、腹入りしたところです。
観ていると、問わず語りのうちに、「役者なんて変人ばかりだ」という先入観がさらに強化されます。
 実際、定期公演の番組で、劇中の彼らを見ていると、何を考えているのかなあ、俳優というのは変わった人たちだなあ、と思っていましたが、楽屋落ちでの実態を見ていると、得心が行くところがあり、とても変わった人(わりと好きです。)たちや、どうも、通常の市民社会では生きにくい、やっていけないような人も、ある程度いるようです。
 ワンマン劇団らしく、当該、芸名も、松尾スズキが独断で決めるらしく、それは、動物シリーズとか、昆虫シリーズとか、非常に恣意的で、場当たり式のその場の雰囲気的なものでもあったらしく、どういう理由なのか、中には、芸名を、何度も変えられた俳優もおります。
ずっと前に、NHKの太宰治の連作短時間ドラマの中で、名短編「カチカチ山」を扱ったドラマが、ふたり芝居で行われ、満島ひかりのウサギ役と、「大人計画」の怪優、皆川猿時(さるとき:これは、動物シリーズの命名らしい。)のたぬき役で演じられました。
 この劇は、意欲ある実験的な作品で、素顔の猿時氏が、台本を読みながら、役作りをし始めてから、メーキャップをしながらの、本番までの様子を多角的に流しており、素人すれば、とても興味深いものでした。
作品の出来も、子悪魔が本質の満島ひかりのうさぎが、本領発揮で、愚鈍で、お人よしで、ひとりよがりで、ついでにすけべーな、男代表として、大人計画の怪優、皆川猿時が熱演したところの、たぬきの、その無神経、気の利かなさ、他者の気持ちが読めない鈍さを、十二分にいたぶりました。
 当時の、満島ひかりは初々しく新鮮で、殊に皆川猿時は好演で、しまいには哀れにも思えるところであり、その芸名と共に、強く印象に残りました。
 悲劇なのか、喜劇なのかわからない。誰も、悪くはない、「性格の悲喜劇といふものです。」と、太宰治が、うそぶく作品であり、どうも、それは、男と女の本質性に迫っているところです。

 この俳優が、大人計画の俳優を見た最初の経験になりますが、先のNHKの特別番組を見ていると、「大人計画」は、リーダーの劇作家松尾スズキが、自分で脚本を書く場合や、座付き作家として、宮藤が書く場合もある、しかし、おおむね、そのドラマの中で、座付き役者として、松尾も、宮藤もほぼ出演(それは劇団営業上の理由であるからなのか。)するようです。
 松尾スズキも、斜に構えた人で、「子供時代がいいなんて少しも思わなかった、早く大人になりたかった」と劇団の由来を語り、群立する小劇場の劇作家たちのように、幼児・子供体験などに過剰な意味合いをつけずに(強いて言えば幻滅を覚え)、それに拠らない出発をした人です。
 ただ、劇団も、様々な人たちの集まりであり、中には、劇作家や、他劇団の主催者なども含まれており、人間の集まりはそれ自体で別の大きな動きを持つこともあり、それはそれで、大変興味深いところです。

 宮藤ドラマを最初に見たのは、民放の「タイガーアンドドラゴン」(2005年)からで、アイドルグループの二大男優を使い、人気テレビドラマの枠をはみ出す、やくざと落語家の絡みと、やくざで落語の新弟子として長瀬智也が毎回、きちんと語る落語が放映されており、宮藤得意の人間関係の大錯綜とともに、とても面白いドラマになっていました。
 借金に追われる落語家と、落語家に弟子入りしたやくざにより、取立て屋と弟子が瞬時に入れ替わるやり取りが面白く、今までにない民放ドラマでした。久しぶりに、落語家役で、西田敏行が好演していました。また、いつもながら、層が厚く、個性あふれる、魅力的な脇役は、宮藤ドラマの定番です。
 それ以降、私が見る範囲で、NHKでは、「あまちゃん」と、民放では、「ごめんね青春」(先にブログアップしました。)と、優良なドラマが続いています。

 このたびは、後半に入る、その大河ドラマのてこ入れのためなのか、宮城県出身の宮藤勘九郎の、出自と、その一族にかかわる番組が放映されました。
 宮藤という姓は、その出身が神官の家柄らしく、室町時代にまで、家系がたどれる家ということです。宮藤家は、跡継ぎがおらず、そのままだと絶家する傾向があり、何代にもわたり、他家から養子を迎えているようです。
 宮藤の母というのが、ものごころもつかないうち(1歳未満のうち)に、他家から養女にもらわれ、母親の問わず語りでは、とても大切にされたようです。
 宮藤家は、家業として文具店を営んでおり、今も、母親と姉が店番をしながらインタビューに答えますが、すぐそばに、勘九郎の姿がプリントされた長い旗がおかれてあり、息子に「大概にしろ」といわれたと、笑って話します。
 母は柔和な人で、明るく語りますが、そばの姉も含め、どうも女兄弟ばかりということで、末息子として、さぞかしかわいがられたのでしょう。
 父親は、小学校の教師で、やはり、養子に来ていますが(いわゆる「とり子、とり婿」ということです。)なかなかの傑物です。
 小学校の教師として、郊外活動まで指導し、中には、「先生がむつかしい婚家に交渉に行ってくれた」という教え子もおり、最初の担任のクラスは、卒業以来連続して、50数年引き続き、毎年クラス会をしている、という極端な話です。
 お見合いで知り合った、父母ですが、独身時代、父親は将来の妻にあて、10数通の手紙を書き、母が、それを、大事に保管していました。とても、びっくりしました。当然、写真とか、思い出の品も数多く、保管されているわけでしょう。
 父母とも、陽性の人で、また、女系に男の子が生まれたということで、祖父が大変に喜んだということであり、可愛がられ、大変、良好な家族関係で生育したように思われます。
 よく考えれば、宮藤の父も母も養子から始まったわけで、まず養家と関係を作り上げていかなくてはならないわけです。ものごころつかないこどもにおいても、実家は秘されているにせよ、察知し、実母・実家が恋しく、それは変わらないと思われます。やはり、それなり傷つき、悲しい思いはあるはずです。
 その後養子としてやってきた夫は、その境遇を、妻のために改善したいと思ったのか、独断で、妻の実家と、交流を始めて、また深めて、その親睦宴会サービスのためなのか、裸姿で腰のまわりに座布団を巻いた相撲劇の、写真が写されます。陽性で、象牙の塔(?)をいつでも降りられ、周囲を思いやる、すばらしい人だったのですね。過剰なサービス精神も子に対する遺伝でしょうか。
 それが、父が唱え実践したという、「人と人の関係を大切にしなさい(周囲と相和し人は育つ。)」、という、宮藤家の家訓ということになりますが、飽くまで陽性で、周囲に人間関係を作り続けた、勘九郎の父の生き様は、家族にも大きな影響を与えたように思われます。私には、日本版「拡大家族」ということばを連想します。大家族も良し悪しかも知れませんが、どこかに、落ち着く、親和的な居場所があることは、ありがたいことでしょう。

 勘九郎が進学のため、上京し、「大人計画」に入ることを決め、大学中退の報告を手紙で書き送ったとき(それもきちんと母親がしまいこんでいます。)、その不退転の決意を、理屈をつけていろいろと述べつつ、「・・・どうか、見捨てないでください。」という結びに思わず、笑ってしまいました(自分を思いやっても、なかなかこうは書けない。)。
 つくづく、家族に愛された人であろう、と思われます。

 どうも、宮藤作品を見ていると、どうやって、自分のドラマの端々に、「大人計画」の団員たちに役を振るのか、腐心しているところがあります。
 「あまちゃん」の劇中でも、「わかる人にはわかる」と、イギリスのロックグループ、クイーンのボ-カル、フレディ・マーキュリーの仮装をして出演した、「伊勢志摩」というふざけた芸名の女優など参入しましたが、このあたりは小劇場出身の強みなのか、ドラマの筋書きには、まったく関係なく、異質な出演者も出てきます。
 NHKに偏在する、一部のしごくまじめな人には、彼の奇想天外なドラマは、気に入らないかも知れません。それが、同時代や、過去のみならず、国境を越え展開する、宮藤ドラマのめまぐるしいしい動きについていけずに、また、阿部サダヲなどの攻撃的でエキセントリックな演技が、不評であれば、私は「しょうがねえなあ」と思うばかりですが。

 奇しくも、宮藤の姉が、宮藤劇には、どんな人にも居場所を与える、人間関係の中に取り込んでしまう、という述懐をしていましたが、彼の描くテレビドラマにもそれが当てはまります。
 大学中退をしてどんな仕事をしているんだろう、と、夫婦で劇団の公演劇を観にいき、父親が、「(息子の言うとおり)本当に面白い」と喜んで、しかしやっぱり迷惑だから、と楽屋にも寄らず、帰ったという、逸話もあり、その後、物故されたようです。
 しかし、今でも、脈々と続く父親を囲む同窓会には、毎年、母親が、「副担任」として出席し、踊りを披露している、との話で、あり、これも、天晴れというしかない、話です。
 世の中には、いろいろな、家族があるものです。
 宮藤劇で、なぜ、あれほど、変わった人に執着するのか(好奇心を及ぼすのか)という点で、想像力を養い、目を外部に開かせた、という点で、彼の家族と生育環境に大きな恩恵をこうむっていると思えるのです。
 このドラマが、今後さらに、面白く展開していくことを願います。出来れば、成功例になって欲しい、ところです。

8月は死者について考える(香月泰男シベリアシリーズ再考)その2

2019-08-09 20:51:36 | 時事・風俗・情況
 上記は、シベリアシリーズのうち最後の作品、「渚<ナホトカ>」という作品です。短かかった著者の晩年、死に至るまで書き続けられたもので、復員船を待つ最期の夜、ナホトカの海浜砂地に戦友と共に皆で寝た、との記録があり、「死者たちが一緒に寝ているように思えた」、という著者のコメントがされ、シリーズの絶筆となりました。
 原画をみれば、褐色の顔が、死者の顔が、黒い砂地の中に数限りなく浮かんできます。2年弱の、苛酷な強制労働・収容所生活の中で、彼は何人の戦友たちを見送ったことでしょう。
 「・・・・・・。最もよき私自身も帰ってはこなかった」(石原吉郎)という言葉は、どうも、香月氏にも同様であったようです。
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また、今年も、8月がやってきたわけですが、引き続き、日本国民にとっても、喫緊で、厳しい、他国からの侵略行為によって、国民の安心安全に対する脅威が続いていることは、ご承知のとおりです。

この7月23日から8月19日まで、山口県県立美術館において、香月泰男「シベリアシリーズ」全作品が展示されています。遅ればせながら、紹介させていただきます。こどもは無料であり、良い生活体験として、是非おすすめします。

 戦争に負けるということはどういうことなのか、兵士大衆が、後進国にとらわれ虜囚となった場合は、どのような扱いを受けるのか、また、敗戦後の荒廃した国土に残された家族はどう思うのか、この回顧展を見れば、よく理解できるところです。

 それに先立ち、現在、覇権国家中共に侵略され、被侵略国の100万人以上が強制収容所に拘束され、その中で少なからぬ死者も出ているという、ウイグルの情況を考えれば、私たちは、他国の悲惨な情況に対し、自国民に対する共感と同様に、更に実感を持って理解できるところです。

 毎年、8月になれば、原爆・戦災の犠牲者に対する、黙祷、慰霊行事が行なわれ、戦争は良くない、国民を戦争に巻き込むな、という、お定まりで、無考えのキャンペーンが張られます。
 しかし、現在、中共、南鮮、北鮮とも、ありもしない領土問題、ありもしない慰安婦問題を、口実に、領土侵犯と挑発行為を繰り返し、その合間に、ロシアや、アメリカなども、自国利害に基づく、日本国民の分断工作を繰り返しています。
 そして、決して、現在は、戦争状態ではない、と強弁するわけです。
 経済戦争、情報戦争、奇怪なTPP条約問題、アイヌ異民族確定問題、いくらも他国からの侵略の糸口は巧妙に張り巡らされ、水面下で危機状況が続いているにもかかわらずです。
 同時に、それらに、指そうされた、一部バカ左翼(パヨク)が、自国に対する、売国発言、売国行為に励むのも、二枚腰の他国には、宣撫工作として、有効でしょう。
 そういえば昔(1970年代)、いまだに、交番には手配写真が貼ってあるが、オフィス街の無差別爆破など暴力テロを引き起こした、「反日武装戦線」という極左翼テログループがありました。
 当時、私は、さすがに、それにはついていけなかったが、現在のパヨクは、心情的にその系譜をひいている、訳でしょう。ねじくれて不健康な、腐った心理です。
 自国の保護の中で、平然と目こぼしを受けながら、「反日」や、自虐的な「平和・友好」を口にするのは、明らかに「サヨク小児病」でしょう。バカの承継なのです。

 わが日本政府といえば、それに対し、適切に対応することなしに、他国から侵略される条件整備に励み、水道法、農協法、国有林野法、漁業法等と、いらざる国法を改悪し、先祖伝来の国民の重要財産の放棄、友愛連合組合組織の解体と、国富を、外国侵略政府並びに越境資本家に差し出し、これが、高度資本主義の国家である、と、馬鹿者が胸を張り、明治以降の先人が築いた国情に応じたより良い制度の解体を図り、ひいては日本国の解体と、植民地化の促進を図っています。
 小泉進次郎さん、クリステルさんと浮かれるのも結構だが、あんたもその一角である。
 クリステルさん、賢く、理に勝った、元ジャーナリストとして、夫を、善導してあげてください。くれぐれも、義理の父君と同様に、パヨクに組して、脱原発などという、国民に対する背信・反動行為に手を貸さないように。

 心ある国民は、バカな政府・自民党につくづく愛想が尽きるぞ、日本国民であることが恥かしい人間がこれ以上、わが国に増えてどうするのだ。

 「世界平和」など、どこにも存在しない、あるのは、グローバリズムの追い風の中で、飢狼のような、自国民のみならず、ガードの甘い他国を侵略する、経済力や軍事力の突出した強国と、食い物にされる弱小国しかない。お人よしで、無考えの、政府に主導される国民国家及び国民に未来などないのです。
 ただでさえ、世界大戦後に負け組みにされ、その後も、米・ロ・欧州諸国家・中共・朝鮮に食い物にされているわが国とすれば、国際法にその根拠が存する、「国土防衛軍」(「自衛隊」でなくても良い。)を、憲法できちんと位置づけ、自国民を、国土を、経済的にも、歴史、文化的にも防衛し、大多数国民の安心・安全と、確保するのがわが国政府の本来の、最低・最低限の役割りである。
 それを怠る政府を𠮟咤し、その仕事を監視し、われわれの一般大衆の実存の前提である、健全なナショナリズムの維持と承継に努めるのが、現在の私の役割りであると思っている。その保証のうえで、私は思考する。

 今年も、空疎な理想や、無考えな大衆に媚びる、厭戦気分や、安い平和信仰を、毎年、マスコミ総動員をして行うだけである。今更、パヨクが宣伝する、国民の徴兵など、訓練を経ない兵士は、現代戦では不可能であろう。
 現在(1919.8月上旬)、香港市民を威嚇する、人民抑圧軍を見ていれば、軍隊が、一般市民を制圧、支配するのは訳のないことである。中共侵略国家であれば、一衣帯水の日本国の、沖縄であろうと、北海道であろうと、その、制圧の条件整備を遅滞なく進めているではないか。

 きちんと、世界の平和と、自国の平和を確保するため、国土(それは歴史・文化を含めきわめて広範なものである。)を守るためなら、速やかに「平和」教育を施し、自国の防衛に関して若者に対する訓練も必要であると思う、ひたすら、自衛隊を白眼視し、自らの怠惰と、人任せの対立忌避をする、バカな国家、バカな国民に未来などない。

 また、今年も熱い8月がやってきたが、私には、太平洋戦争の日本国の犠牲者300万人の死者たちが、腑抜けた子孫たちを、許し、彼岸から、見守り支援してくれるとは、どうしても思えないのである。

合掌

年若い友人と共に考えたこと

2019-08-01 19:55:14 | エッセイ
農協の市場で購入した、ラズベリーです。日本国のキイチゴに似た、ラズベリーを生食で楽しんでいます。「ブラックべリーとどう違うの?」と友人と議論しましたが、やはり、違うようです。蒸し暑い時節柄ですが、来年も、手に入ればいいな、と思います。
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 先に、年若い友人と、バスによる団体旅行をしました。彼は現在40歳であり、私は、彼の父親のひととなりも一応は知っております。彼の、ご父君は早世され、私と彼の年齢差を考えれば、歳若い父親とその子くらいの年齢差があります。
 彼は既婚者であり、幼児のこどもを持っているそうです。いわゆる、自分の職責(地方の消防職員)を通じた悩みや、こどもを育てる、また家族を維持する悩みや、対社会的な様々な戸惑い、悩みを抱えています。
私の観るところでは、どうも、自分の考える様々な問題に前向きで意識的なだけに、現代のよりよい若者の一人かも知れません。
 旅先の気安さで、とりとめのない話から、政治の話まで、車中の時間に任せて、長時間話し続けましたが、彼は彼の歳なりに、日常的に解決できない、様々な疑問や、悩みがあり、私にとっても思わぬ発見があり、年長者として、こちらの対応できる回答をしていったところです。
そのあたりの気安さについては、彼は祖父母との同居経験があるらしく、実のところ、当方のようなじじいのあしらいには長けているのかも知れません(失礼)
私自身としては、常日頃から、現在の若者たちを囲む情況は、私たちの同年の時代からさらに厳しいものと観察・予測(実際のところそれが私の現在の問題意識について全てですが)しています。このたび、それについて、疑問・相談なり、彼の語る事実を聞くのは、大変興味深いところでした。
 彼は、保守的な考えを持って(すなわち「パヨク」に疑義を抱いている。)いるらしく、彼の職場、地域社会や人間関係で生じる、様々な疑問をぶつけてきます。
「即答で解決できる問題などありはしない」、と考えいなしつつ、彼の考える問題の解決の糸口にならないかと、こちらも応酬します。
以下、二人の論点について列挙します。

◎来る東京オリンピックの問題について
あなたの言う、東京オリンピック騒動のばかばかしさと、それにまつわるつまらない騒ぎ・動きについて以下のとおり考えています。
先に、私、せめて東京オリンピックまでは生きたい(「当面、東京オリンピックまでは生きていたい」(希望の表明)併せ「山口茜選手」礼賛)2016・12・5)などと、つまらないことをブログに書き連ねていました。
しかしながら、オリンピックが近づくにつれ、あなたの言うように時流便乗的で、政府・マスコミ・便乗企業の策動などの現実的なあさましい商業主義と、多くの国民(に見える)たちのオリンピック手放し礼賛の騒動を見るにつけ、アホらしいので、相乗りして騒ぐのは止めようと思ったところです(パラリンピックについては別件でまた申し述べます。)。
しかしながら、私とすれば、私の学童期の昭和30年台後半(昭和39年だったんですね。)の最初の東京オリンピックは、当時、絶望的な敗戦後、日本人の懸命な努力と奮闘により、戦後復興を果たしたもので、それが、日本国民の自負心と誇りの高揚と、国家の経済的な向上と、新幹線・高速道など社会資本の充実にどれほど役立ったかは、言及する必要があろうかと思われます。
少なくとも、敗戦後、軍役を解除され、焦土と化した故郷に帰ってきて、困窮した家族のために、食うや食わずで必死に働いてきた、われわれの父祖の営為と努力と、その達成として、日本国民の自負心と自恃の心のもとで、それがなされたイベントであることを、忘れてはいけない、筈です。高度成長期の、幕開けのような時期でした。
少し脱線しますが、あなたの世代であれば、大変お気の毒ですが、人災による日本国の国力退潮期に当たり、われわれが多少恩恵をこうむった右肩上がりの時代とは無縁であり、いわゆる経済成長の時期の恩恵にめぐり合わすことは少なかったと思われます。
今思えば、短かった成長期の渦中で、誤ったソビエトスターリニズムや毛沢東民族主義の影響下にあったパヨクの烏合の衆、マスコミ左翼・偏向学者たちが、経済戦士・企業戦士たちを「エコノミックアニマル」などと、ののしり、蔑称しましたが、それは自分たちも繁栄の上に無自覚に乗りかかりながらほざいており、今思えば、まったく恥知らずな言動です。
 そして、今になって、経済的繁栄のない国民(現在の人災デフレの下での、と想起しましょう。)が、どれほど寄る辺のない思いをするのか、当時、まったく不問にされていました。
それ以来、私たち大多数日本人たちは、1990年代から、政府と財務省のタッグを組んだ人災によるデフレが固定化され、この失われた30年で、すっかり貧乏になったわけです。
何よりも、多くの企業戦士たちが、技術革新や改善の意欲のもとで、懸命に働き、当然果たすべきその社会生活を全うし、当該企業も、その努力と成果に応えていた時代は、今思えば、きわめてまともな時代でありました。
他国との貿易により、他国を収奪しているというのは、昔も今もパヨクの常套句であり、そんなことよりも、現在の、中共、北鮮などのように他国の弱みにつけ込み、それこそ不平等貿易を押し付けたり、ついには平然と侵略を実行する、下劣で悪逆な実態を批判し、報道しろ、というのが、私の言い分です。

少し脱線しますが、私の学生時代(1974年から1978年まで)はやった、「三丁目の夕日」(西岸良平著)という、30年代(当然「昭和」です。)回帰漫画を読み、その能天気な「昔はよかった」という自省心のなさと、根拠のない自己回顧の無限肯定を、当時、私は心底憎んでいました。また、この原作漫画は、その後も、時間を経て映画化もされ、大きな支持を受け、大ヒットもしました。
しかしながら、今、もし、そのあたりの、多くの国民の共同主観性・共同感性(偽らざる生活実感)を救い上げるとするならば、経済発展と豊かで安定した生活と、夢や希望を抱ける社会を希求するのが、当面、大多数国民の本音なのではないかと思われます。
そして、その第一義のために、すなわち、将来に、夢や希望の持てる時代を実現・継続するため、極端な分配の不均等の是正や、安心・安全の国政を画策・操作するのが、いつの時代でも、政府・政府官僚の最初の役目であろう、と私は思うわけです。
私の若い時分から、老人の繰言で、「昔はよかったねえ」と言っていましたが、実際、私の生きた、昭和30年代から50年代に比べ、それ以降、経済的にも、政治的にも、よくなったことはまったくない、厳しい情況にあるのです。
現代のオリンピックは、政治的駆け引きの場である状況と、分けて考えることはできませんが、当初の東京オリンピックは、夢も希望もある時代の産物だったのです。

◎「学生時代はどんな時間を過ごしたのか」について回答します。
私、学生時代(1974年から1978年まで)、京都に居ましたが、その当時、学生運動が盛んで、周囲は皆、赤軍系の政治運動がごく一般的でした。しかしながら、私たちは、体制内左翼といわれた民生同盟員(共産党学生組織)や、新左翼赤軍とも肌合いが合わず、別途の在り方を求めていました。それなりに、お定まりの左翼だったわけです。
 しかしながら、今になって、全共闘世代、東工大の先生の橋爪大三郎氏が、述懐していましたが、戦後の「日本の左翼運動は何の意味もなかった」、という点で、ほとんど賛成です。
私は、どうも、現在は、パヨクにつらなり、立憲民主党などの支援者らしい、現在の橋爪氏とは、一線を画しますが。
 実のところ、私、当時、サヨク中二病であったのか、議会制民主主義など虚妄と思っており、家庭を持つまで、選挙などに行ったことは全くありません、でした。大衆が目覚めるのを待つ、と思っていました。結果として、愚かしい考えでした。
その後の、人並みの修行時代を経て、私なりの、思想的転回はあった、訳です。
 どうも、今(2019年)考えれば、当時の、私たちやわが年長の安保世代を含めて、その後の長い時間の中で、団塊の世代の多くは、当時の自己のあやまてる思想遍歴に、どうも、何の自省も、嫌悪も、内省もなかったのではないか、と思われるのが、その結論です。
 私たち同期で言えば、卒業を契機に、政治党派に属していたヤツバラは、見事に転進しました。「暴力学生」から、企業戦士や、公務員になった人間も多いところです。
 しかし、その後の歴史の変動(?) を経て、どうも、誰も、高度資本主義の矛盾の中でも、世界規模で、各民族国家の国民大衆のほとんどが、窮乏したプロレタリアートによる「世界革命」など誰も望んでいない、ことが明確になりました。
何よりも、「国家の揚棄」をするなど端から嘘っぱちの夢物語であり、まあまともな国民国家(当然、近代を経た現在の議会制民主主義国民国家の枠内で)内では、国民の安心安全の確保と、経済的繁栄(この二つはうらはらの関係です。)以外を、開放される筈(?) の大多数国民大衆は、決して望んでいないことが、更に明確になりました。

 ということで、殊に、われわれより少し上の、団塊のパヨク世代は、私たちにとって、非常に目障りですが、その歴史的(?) な役目はとうに終わった(お前たちはすでに死んでいる、ということです。)と思われつつ、そのバカ左翼の体質はそのまま温存され、国家は嫌い、政治は嫌い、自衛隊、警察はもとより嫌い(ついでに公務員も嫌いなら平仄が合うが)、そのバカサヨク根性をむき出しに、ことあるごとに、あらゆる国家政策に、無思考で、雰囲気だけで、「反対」「反対」と感情的な反応を繰り返します。
このあたりは、あなたも思い当たることは多いと思います。いわゆる、組織労働者などバカばっかりなんですね。
それにもかかわらず、今でも、失敗した後進国社会主義のなれの果ての、覇権国家である、中共、ロシアに過剰に心情加担して、あらゆる側面で(LGBT、女系天皇制問題、脱原発、米軍基地反対)いくらも、感情的な反動発言・反動行動を繰り返します。いい恥さらしです。早く死ねばいいのに、と思います。
 
◎ あなたは組合運動などを、しなかったのか?
残念ながら、あなたは、職務の特殊性があるので、組合員にはなれないですね。
しかし、私が、それを振り返ってみれば、就職した当時、新卒の学生としては、敗北した左翼体験を下に、社会的使命として、労働者の立場に立つ、真性の組合運動がなされているだろうと、思ったわけです。
しかしながら、考えることと現実とは、大違いであり、そんな高尚で絵に書いたような現実はまったくなく、まず、私の事業所は、共産党系の第一組合と、同盟系の第二組合が相互に反目していました。
 さすがに、双方ともに入る気になれず、そのまま帰属していませんでしたが、ノンポリ(ノンポリティカル、政治運動をしないという当時の学生用語)といわれ、ノンポリというのは、「未組織組合員を指す言葉じゃないだろ」と思いましたが、さすがにいなかの話です。
 そうは言っても、さすがに、共産党系組合に入る気になれず、その後、職場の人間関係で第二組合に入りましたが、彼らが賃金闘争などする筈もなく、名だけ入っていましたが、そういえば、こどもと一緒にスキー教室につれていってもらったことがあります。
 私の見た範囲で、身内の宴会の主催と、自分たちの人事案件に介入することばかりで、これが、昨今の組合の実態なのですね。実際のところ、加入するとき、「出世できるから・・・」といわれ、「下品なヤツバラだな」と思いました。
そのうち、そのうち組合費が惜しくなり、「どうも、今後も出世できないようだから」(笑い)という理由で、やめました。やはり、慰留はありませんでした。
その後、先の「派遣切り」騒動のとき、当該組合の綱領に「社会正義の実現」を標榜しているからには何らかのアクションを起こすのかと、注視していましたが、どうもついぞ何もしていません。
結局のところ、今になって思えば、組織労働者の活動と歴史の中で、何が残ったんですかね?
 彼らは、諸雑派雑居(力のない団体が押し合いへし合い無意味な行動を繰り返すこと)となった社民党、国民民主党、立憲民主党などとして、今も昔も変わらず、腐った政治活動を支援するわけでしょうか。
 彼らのどんな政策を見ても、バカだなー、としか思えませんが、近頃流行の「外国人労働者の人権」をうたう前に、まず自国民労働者の賃金の向上に外国人労働者の導入が大きな問題であり、将来の労働者や大多数国民大衆に致命的な被害を与える、となぜ言わないのかと思います。
また、このたび、いいことは何もない、はっきりと労働者と国民の大多数(これは富者も含む。)の直接利害に対立する、消費税増税に対し、正面から、アホの自民党と戦わなかったのか、と腹が立ちます。お前らは、デフレの悪化に加担するのか、と。
 これじゃあ、さすがに、お前のところの傘下組合員も、「いい加減にしろ」と、あんたらに愛想をつかしたんじゃないの、と思われます。

 政治的アジテートを繰り返すばかりの、共産党系第一組合は、端から関与していません。
 さすがに、団塊の世代でも、ロシアスターリニズム傘下のこの政党に、支持者は少ないらしいので、ここでは、言及はしません。

 昔日は、所属組合が違えば、口も利かなかったそうですが、さすがに、われわれの世代以降はそこまで行かず、技術職が多い第一組合員と、事務職が主体の第二組合員は、比較的仲良くしていました。
 どうも、ことの元凶は、団塊の世代に連なるじじい・ばばあ世代であり、彼らの、学生時代のアジ演説に似たような、無内容で、対外的に敵がい心だけむき出しの空疎な政治的発言や、仲間内での排他意識むき出しのサヨク発言を聞けば、バカ学生と一緒で、こいつらはダメだ、と心底思えます。なまじ、年を経ているだけに、もっとバカだ、というわけです。
 くどいですが、結局、これらの世代が、「脱原発」とか、「基地反対」とか、その後の世界情況の変遷や、国民国家日本の大多数にとって、何が脅威であり、何を確立すべきかについて、まったく無自覚・無施策です。
おそらく、現在の、グローバリズムの大渦巻きの中で、本来必要とされるべき、健全な国民国家おいて不可欠な、大多数国民の利害の尊重と、健全なナショナリズムの肯定にいきつくことはないのでしょう。まさしく、老害であり、じじいの宿あ、なのです。
再度言います、いい恥さらしです、早く死ねばいいのに。
◎メディアの偏向問題について
 あなたの言うメディアの偏向問題について回答します。NHKは偏向しているという、その話です。
 私、さすがにアホらしいので、近頃、民放テレビはほとんど見ません。
 ときに、興味深いドラマでもあれば見ますが、それはきわめて少ないところです。
 その割りに、NHKの番組はよく観ます。Eテレと衛生放送が主流ですが。
 しかしながら、あなたの言うように、不満はいくつもあります。
 NHKの科学番組、歴史番組、幼児番組は好んで視聴します。現在、放映中の大河ドラマ、「韋駄天」も、不評だということですが、ビートたけしを除けば、面白く観ています。他にも、娯楽ドラマなどもよく見ている方でしょう。

 ただし、ニュースなどは好みません。NHKの切り口が、非常に通俗的で、浅薄に思えるからです。
それは、その報道が「みなさまのNHK」として、不偏不党の、日本国民のみならず、どうも他国を同一視するような安いグローバリズムに配慮し、国籍不明で、NHKの高みから、日本国民を啓蒙し、教導していただけるような番組になっています。
視聴者にとっては、あんたらはどれだけ、インテリで偉いのか、と思わせるようです。
 それは、日本国のインテリの宿命なのか、欧米系の教養で武装されているため、それこそ、欧米風の通俗的な、ポリティカルコレクトネス(浅薄な政治的・形式的公正さの担保)に呪縛されている。
言うこととやることが別の、帝国主義時代から、アジア・アフリカの後進国をだました、欧米流のダブルスタンダード(そんなものは古代からいくらも存在した。)などは、うかつにも端から意識することもなく、いわば無国籍の立場で、日本国民の大多数の抱く健全なナショナリズム(アジアの中での日本人の帰属意識)など、まったく配慮していません。

 番組レベルで言うならば、何度も言う、あれほど質が高く面白い「日本語であそぼ」を作成するくせに、なぜ、その後に、あの通俗的な、「英語であそぼ」などというくだらない番組を、つまらない卑しいバランス感覚で、都合よく配置するのか、「お前らは、植民地になったこともないのに、恥知らずの植民地テレビか」とつくづく、ののしりたいわけです。おかげさまで、朝から不快になるので、私は、一連のEテレ番組を観なくなった。

 どうも、この病巣は、私の記憶で言えば、かつて都知事選に立候補した、元報道記者の磯村尚徳氏などの呪縛なのか、欧米語の語学自慢が、報道の主流となり、いまだに、西欧主導のイデオロギーを跪拝・隷属するばかりとなっているのではないか。欧米オーソドックスの視点から、アジア特殊国家、日本国を見るという視点である。
「和魂洋才」と磯村氏も確か言っていた筈である。その後の彼の言動を見れば、どうもそれは、単にことばだけであったが、愚かしい結末です。
歴史観ひとつとっても、帝国主義の嵐に抗するアジアの中での「自主独立」日本、国民国家としての健全なナショナリズムの醸成、という明治期の理念と視点が欠落しているため、グローバリズムなどとという、米欧主導のかつての世界市民主義のような、安いしかし大変危険な理念に、何の疑いもなく載せられてしまう。
私のような普通の大衆とすれば、NHKの高学歴、高教養の幹部諸氏は、なぜ、日本人の価値観、歴史・伝統・文化をまず尊重し、肯定するスタンスを持たないのか、と疑問に思う。それこそ、NHKは、奇怪な、世界でも希な「正統なき異端」テレビになっている。
 かつてのNHK会長が、「NHKは、国営放送であり、日本国のあるいは日本国の首班としての政府の意向のうちにその存在意義がある」と発言したが、私も、まったくそのとおりだと思う。
なぜ、バカな朝日新聞・朝日放送などに連動して、NHKは、国籍不明の、安い平等主義と奇怪なバランス感覚を根拠に、近隣の危険な覇権国家や、反日行動として、バカな政治発言を繰り返す頑迷な近代以前の腐った国家(南鮮そのものだ。)を、なぜ擁護するのか。
当然、日本人の大多数の利害に反する、不合理な、わが国の政府施策は、きちんと批判する報道はすべきことであるが、一般大衆として言わせてもらえば、その場合は、私はきちんと払うが国民から受信料をいただく「皆様のNHK」として、大多数国民大衆の利害に立って、その意見を陳べるのは当然のことである。
 それでも、バカなパヨクコメンテーターに牛耳られ操作された、パヨク民放商業放送の報道番組を観ているより、少しはまし(?) なわけではあるが、つくづく、ため息が出るような情況ですね。

◎今、何が必要なのか
 現在のグローバリズムは、米欧の一部の富者(金融資本)が、国境を越え、他国のほんの一握りの支配者と組み、世界規模で、その利害を実現しようとしているところにある。
 日本国政府は、それに反対するどころか、規制緩和や、法律改悪により、農業・林業・漁業の解体など、自国国民の生命線を破壊し、他国に国内市場、いわば国民の安心・安全を無償で差し出している。
 それについては、私の貧しいブログのみならず、先日お話した、小浜逸郎氏のブログ「ことばの闘い」を参考にして欲しい、と思います。
 おりしも、現在、参議院議員選挙が行われています(その結果は、麻生太郎が消費税の引き上げを国民が承認した、とほざいていました。ろくでもない話です。)。
あなたは記憶にないでしょうが、私が思うに、現在の小選挙区制度、比例代表制度のもとで、国民の声は非常に政治に反映されなくなっている。無力感が、絶望感に変わらなければいいのですが。
そのことは、私のブログで触れたこともあったのですが、昔のように、中選挙区選挙により、同一選挙区で、なぜ、同一政党の政治家がしのぎを削るような状況にならないのか。それこそ、人物本位の選挙になり、民意がじかに反映すると思われるのです。
それは、実のところ、「死んだ子の年を数えている」わけですが、たとえば、「革新」政党になりさがった自民党も、その議員の選挙区だけ地方において、地方に住む大多数国民の切実な声に応えることはまったくないわけです。
本来、何よりも保守本流としての、自民党が、見識をもって、全世界で同時に仕掛けられている、一部の富者による、大多数弱者の収奪手段である、狡猾なグローバリズム政策を放棄すればよい、筈である。それに対し、わたしたちは、政策本位でしりをたたく必要がある。
デフレを強化する消費税の廃止、経済・亡国の病としてのデフレ解消、国民の生命線、農業・漁業・林業に係る、腐った構造改革(売国行為)の取りやめ、外国人労働者の無秩序な受け入れの廃止、実際にいくらも国難が山積し、夢も希望もない状況となっている。おしなべて、政治の貧困のためである。

 私たちは、なかなかその解決方法を持っていませんが、今、あなたに申し上げるとすれば、そのような厳しく、希望を失うような情況にたいして、個人として意識的であり、考えを同一にする、同志を増やしていくしかないように思えるわけです。
 当面、家族の幸福、知り合い・同志の幸福のみならず、そういう反省の契機に恵まれず、巻き添えをくうばかりの(決して全部が善良とはいわない。人間は環境しだいで善にも悪にもなるので。)、社会の大多数の国民の存在(大衆の原像)を視野にいれて、そのために、何をどうすればいいのかを、常に、誠実に考えて続ける必要があると思える、訳です。
 そのあたりは、私は、学生時代から、考えを変えていません。

 今後、ますます、私たちを取り巻く、グローバリゼーションの影響が多大なものになると思われますが、どんな厳しい情況になろうと、私たちは、明治の先人に習い、あるいは、敗戦後のわたしたちの父祖の苦闘を思い、まず、それらに手放しで迎合する、一部不道徳な支配層や、老若男女を通して無考えで愚かなパヨクたちを追い詰め、駆逐する必要があります。
 明治期の優れたナショナリスト、福沢諭吉氏のことばを借りれば、私たちに「一身独立し、一国独立す」という気概がなければ、「独立の確保」はおろか、中共に蹂躙されるかも知れないわけです。

 幸い、現在、あなたはフルタイムの仕事に就かれていると思われます。まず、日々の、その「社会的存在」としての責務を、お互いに果たしましょう。それはとても重要です。

 そのうえで、「寸善尺魔」ということばもあったですね、自分自身の直接利害を超えて、お互いに、少なくとも善の側に組して、魔を退け、善の仕事が実現できるようにがんばりたいものですね。

 まだまだ、いい足りないことは多く、また、いろいろ、話したいものです。
 あなたの、現在の場所での、ご健闘、ご健勝を祈ります。