例のバビロン屋上公園から見た、梅のつぼみです。
色々、すこしづつ、時間は動いていきます。
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入院検査・治療から、通院治療になって、色々疑問だったのだが、その後一定期間の治療を通じ、このたび、なんとなく、私にも伝わってきたことがあった。
それに、ついて考えてみたい、結果、それが、自分の首を絞めることにならねば良いが。
私の、病棟での主治医は、○○先生という。
昨年10月、検査・治療入院が終わり、第一次(私はそう考えた。)の治療方針が決まり、退院後、私は、本来、外来の先生に引き継がれるはずだったらしい。
大学病院は、ただでさえ、たくさんの患者を抱えているだけ、それでないとやっていけないだろう、とその時はそう考えていた。
病棟での先生が、患者の引継ぎするにあたり、外来の先生と協議をしてもらった。
しかし、その過程で、いろいろあったのか、今までの、病棟の先生が、私を、引き続き、外来で担当してもらうことになった。
こちらは、今までの履歴に立ち会ってもらったので、私の気持ち、思惑では、願ったり、ではあった。
病棟の先生は、化学療法により、患部が縮小すれば、切除手術をした方がいい、という、一貫した考えである。
わが家族は、黙示の承認をしている。
しかし、私には、今のところ、そうは考えられない。
化学療法で、患部が縮小し、それに付帯する症状が軽減されれば、良いなと思っている。口には、出さない(出せない)が、そう思って、いろいろな局面で、私なりに努力をしている。
最初に病棟主治医に、外来の先生の話を、外来主治医のとの協議を、間接的に聞いたとき、その中で、患者は手術を望んでいるか、という話になったらしい。それ以外はわからない。
その結果で、病棟医が、引き続きの担当ということになったらしい、のである。
それを外したら、今の私には、あまり意味がないが、先生は、私の、QOL(病者の生活の質を尊重すること)を十分に配慮してもらっているとは思う。
本来、私は、斜に構える人間なので、「××と戦う」という、スローガンはあまり好きでない。
たたかわないのは、正義ではないのか、劣っているのか、あるいは勇気がないのか、という、要らざる、心理的規制を生むからである。
私は、優れ、勝った人間ではない。
大した人性を送ってきたわけでもない。
死んだとき、「あの人はいい人だったわね」、といわれるよりは、「いい人じゃなかったけど、悪い人でもなかったわね」、と言われたいくらいの、人間である。
実際のところ、世間一般が、病者の皆が自己に臨むように、私の病気が寛解すれば、それに越したことはないのだ。
しかし、一人の「患者さん」とすれば、そんなことがあるだろうか、と、実は、常に、疑わしく思っている。
病院の外来受診から、検査を経て、外科に対して手術協議されるのは、普通の経路であろう、と思える。
しかし、それには時間がかかるし、通院、送迎などの、家族の支援が受けにくいものにおいては、多大な負担になる。
私の場合は、紹介状をもらって、横入りで入院させてもらえたのだから、それは、幸運であった。誰が担当になるかは、今思えば、運命だったのだと思う。
なぜ、病棟つきの先生が、私の主治医になったか、病院の事情は、よくわからない。しかし、それが、どれほど、幸運だったかは、よくわかる。
今朝がた、外来の検査を受ける前に、暇つぶしに、掲示板の病院報を持ていると、専門家別に、担当医者の名簿表示があった。担当部科に分かれ、索引順でないので、たぶん、序列記載なのだと思う。
しかし、何度見ても、私の主治医の名前がない。なぜだろうと不思議に思った。
外来治療が数か月続き、今では、私は、自分が、化学療法のベテランになったのではないか、と思っていた。
同じ処置室で、五、六時間も、じっと点滴するので、いくら、偏屈な男でも、看護師さんと話くらいはする。
一線を超えたら(例えば看護師に優しい(?)言葉を掛けられたら)、男どもは、打ち解け、自分の個人的なことを、妻以上に、看護師に対し、話してしまう。
ジジイとして、その感覚はよくわかる。
しかし、その反目も見た。彼女は、どうも、毎日点滴治療を受けている。それだけで、拘束される、厳しい病状なのであろう。
彼女には、無口な夫がついている。
いつも黙って何も言わないのだが、最初は、大人しいながら、暗く、私たちに対し、何か含むところでもあるのだろうか、と思えるようだった。
実のところ、妻が、その夫を、使う、使う、処方箋、もらいにもらって、お金払ってきて、毎日のことでしょ、早くしてよ、皆に迷惑でしょ、と言いたい放題である。
そして、ついでに、私に、ニコッと笑う。
これは、後天性の失語症だ。それも、昔、浮気をしたとかの負い目では、ない、妻に屈服して、こうなったのだ。
そうなれば、私もたやすくは笑い返せない。
看護師は、明らかに、妻の味方だ。
どちらかが、主導権を握り、状況を仕切らないと、次には進めない。
これは、賢い選択と、若い看護師は、思っているかも知れない。
決断も、知恵もない、ぐずな男ね、と思っているのが、ありありだ。
どうも、いやなら、やめれば(捨て、捨てられということです。)いいのに、くらいは思っている。
彼女たちは、常時、看護衣のうえに、プラスチックの袋をかぶっている、あれで、ストレスがたまらないわけはない、と私は思う。
入院してわかったが、院内クリーニングの窓口があって、彼女たちも、そこで、病棟衣を利用している。コロナの影響が大きいだろう、いろんな、負担が強いられる。
以前、入院していたときに、遠くて、家族の支援がむつかしい私が、取次店に聴きにいったら、私の不穏な空気を読んだのか、パンツとか下着はだめですよ、と言われた。
なるほど、納得した。
男の患者の現実は、ちょっと違う、と思う。
男は孤独なのだ。仕事を辞めれば、職場以外に付き合いもなくなってしまっていた。
皆が皆、女のように、社交が得手でない。また、その努力を嫌う。
なかなか、始めた趣味も、上達しないので、面白くない。
それも、入院時代に見たが、まだまだ、意欲のある親父は、館内図書館にへばりついて、漫画と、週刊誌を読みながら、窓口のパートのおばちゃんに付きまとう。
あとは、しょうもない自己自慢だ。しかし、どこのサラリーマンだったかは、どういう役職だったが、決してカミングアウトしないが。
閑話休題、今日は、「なんで、私の主治医は、医師掲載名簿にないの」と、看護師に、聞いてみた。
つい、私が、彼女に対し、ありもしない親和性を信じ、感じたからなのか、または、彼女が、むつかしい人だったのか、「それは、主治医に聞いて見られたらどうですか」、という返答だった。
それは、さすがに、この私の状況の中で、わざわざ、無法者の私でも聞けない。
明解で、明朗な先生だが、私にも、それくらいの忌避と、状況を忖度する気持ちはある。それは、気のせいかもしれないが。
「えっ」、と思ったが、それは、看護業務とは別途の話である。
その後、うわの空で、ぼやっとしていたが、あれは、「外来の先生の名簿で、入院棟の先生の名簿じゃないんじゃないの」、と最後に私は言われたらしい。
むろん、そんな、つまらない親父の繰り言に、忙しい看護師がかかずらう暇はない。
ただ、私は、好奇心で生きている男である。自分の疑問には、いずれ自分で答える。
後知恵でわかったが、病院というのは、外来、入院部門で、それぞれ、分担が、明確に分かれるらしい。
私が、今、化学治療を受けているのは、外来部門に属している。したがって、看護師たちが、直接、指揮指導を受けるのは、外来部門の担当医師からであるらしい。
組織であるからには、部門ごとに、それぞれの考えがあるだろう。
厳しい専門職の仕事であれば、それは当然に発生する問題ではある。
逆に、医者によって、それぞれに、見解が違っていなければ、結局、逃げられない患者の不利益になる。
組織は、逸脱や、前例に反することは、基本的に許さない。特に、ミスによる生死に係る職場や、トップダウンといいつつも、ボトムアップの傾向が強い職場は強く、厳しいと思う。
どうも、病棟医の私の主治医は、直接、外来の看護師に、指示が出しにくい、ように思われた。
それは、私の主治医の言動を考えればわかる、ことがある。
だから、私も、患者の考えと、それぞれ駆け引き(?)があるから、外来に行くにしても、必死で考える。
私は、信頼はしているが、今のところ、主治医の言う、治療方針の通りにはなれない。
そして、外来の治療窓口のいう通りにもなれない。
患者さんは、自分本位の自己都合で考えるから、おいおい、と思ってしまう。それは、病院の治療方針とは異なるかもしれない。
しかし、それは患者の意見としては、聴いて欲しいわけである。
選択の生じない、患者の自由などというものはありえない。
先にNHKの医療教養番組を見ていたことがある。
ほぼ、私は、Eテレと、衛星しか見ないので、地デジ、サテライトと、チャンネルを変えることもある。
それは、視聴者の患者さんたちから来た、病気にわたる質問に対し、治療の第一人者が、答えるという番組だった。
たぶん、皆忙しい、専門医の先生ばかりだから、直にこんな高度医療の最前線の話が聞けるのは、患者にも、また、極めて忙しい第一線の治療医にとっても、対世間に話ができるチャンスがあるなら、双方にメリットがあると思えた。
この番組の、MCを務めていたのが、▲▲氏である。番組が番組なので、事前勉強は大変だったと思う。
視聴者の意見も、取り上げなくてはならないので、センスも知性も要る。
ただし、彼が、先生(?)に質問するとき、ちょっと、言葉が、不遜じゃないかなという感じを受けた。
当然、双方は対等な関係である。
しかし、一線級の臨床医には、きちんと言葉を尽くし、それなりの敬意を払ってもいいんじゃないの、と思ったわけである。
彼らの、背後には、日々の激務の中で、懸命に治療法を模索し、医療の進歩に苦闘し、貢献している数限りない医者たちがいる。
私たちが、彼らの存在に、感謝と、敬意を払うのは、当然のことである。
言っちゃ悪いが、共産主義国家によって、権力に寄り添い、新鮮な臓器移植に特化した、中共の医師とは、天と地ほども違う。
その後、このMCに似た(私には同一人物に見えた。)、フリーアナウンサーの▲▲氏が、出るインタビュー番組を見た。
「こころネット」という番組である。
皮肉でもなんでもないが、この番組は、「病気と闘う」ことをテーマにしている。
彼は、血液性のガンを発症したらしい。
彼は、ステージ4といっていたが、それはガンの特性で変わるらしいので、余命残年数は5年くらいなのか。詳細はよくわからないが。
その際の、治療入院生活を語っていたが、病院のスタッフ、医師、薬剤師、栄養士とかいろいろ出て来る。聞いた限りでは、化学療法と、リハビリスタッフにより、とてもいい、治療入院をされたらしい。
その番組中で、最初に、あろうことか泣き出した。治療入院が思い起こされて、万感、胸に迫るものがあったのだろう。
しかし、私は、別のことも考える。自分のために泣くのは、恥ずかしいことである、というあのテーゼである。
どうも、これは、生還を果たした、勇者の所業の報告なのだ。
しかし、私の気持ちが、すっと、冷えた。
自分の病気(宿命)に対置することは厳しい経験である、と思う。
それは、個々の人間によって、様々な対処の仕方があるだろうと思う。
しかし、ガンという病気は老化の現象として現れる、という、近藤誠先生の話もあった。
理不尽だろうとどうだろうと、おのおの、寿命は、受け入れなくてはならない、筈である。
幸い、私は、現在では、重篤な行状にまで至っていない。
まだ、我慢できる状態である。
病状が重篤になればくじけるだろう。
偉そうなことを、言ったり、捨て鉢の態度も、愧じるだろう。
つまらないことで、妻に当たるだろう。
先行きはわからない、他人の態度に、容喙する必要はない。
しかし、皆が勇者ではない。
奇跡的に、寛解したのは、彼の勇気と努力、周囲のケアのたまものだろう。
しかし、それを、保証してもらったのは、彼の社会的な地位と、病を支える、経済的基盤ではないか。
貧困で、十分に医療措置も受けれずに、失職の不安の中で、孤独と孤立で、のたうち回り、訳も分からず、悩み、仕方なく、当面、耐えていく多くの患者たちは、勇者ではないのか?
ただし、国民の大多数が、皆保険によって、キチンと、医療給付が受けられる、国民国家日本は、まさしく、正義ではある。それは、外してはならない。
よくしたもので、彼が、病気から回復すると、周囲が、前と同じ(嫌な人間になった。)になったといわれたと、番組で、率直に述べていた。
なかなかに自省に富む良い人である。
彼の、アグレッシブな態度をみれば、それが(素がとても嫌な人間であることが)よくわかる。
どうも、朝日放送か、何かに出そうな男である。こいつは、予断と、自己の偏見しか見えない奴だろう。
人間、だれもが、おざなりの、定式化した態度で、病気を、自己の運命を受け入れることはできない。
私には、幸い、もう少し、時間と、なにがしかの、闘病費用は残った、ありがたいことである。
しかし、そうなった以上、それに割り込み、対抗するのは、私の好奇心と、私なりの、前向きの「知性」である。
それがナシなら、私も耐えられない、「存在の耐えがたい軽さ」というやつだ。
私は、ニーチェなどのように偉くもないし、激烈でもないので、これは、私にとって、ニヒリズムでもなんでもないのだが。
今後、私の人性において、まだまだ、汚らしいもの、腐ったものはいくらも見るだろうが、反面、その対極にあるものも見ることができるであろうかと、今は、思っている。
色々、すこしづつ、時間は動いていきます。
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入院検査・治療から、通院治療になって、色々疑問だったのだが、その後一定期間の治療を通じ、このたび、なんとなく、私にも伝わってきたことがあった。
それに、ついて考えてみたい、結果、それが、自分の首を絞めることにならねば良いが。
私の、病棟での主治医は、○○先生という。
昨年10月、検査・治療入院が終わり、第一次(私はそう考えた。)の治療方針が決まり、退院後、私は、本来、外来の先生に引き継がれるはずだったらしい。
大学病院は、ただでさえ、たくさんの患者を抱えているだけ、それでないとやっていけないだろう、とその時はそう考えていた。
病棟での先生が、患者の引継ぎするにあたり、外来の先生と協議をしてもらった。
しかし、その過程で、いろいろあったのか、今までの、病棟の先生が、私を、引き続き、外来で担当してもらうことになった。
こちらは、今までの履歴に立ち会ってもらったので、私の気持ち、思惑では、願ったり、ではあった。
病棟の先生は、化学療法により、患部が縮小すれば、切除手術をした方がいい、という、一貫した考えである。
わが家族は、黙示の承認をしている。
しかし、私には、今のところ、そうは考えられない。
化学療法で、患部が縮小し、それに付帯する症状が軽減されれば、良いなと思っている。口には、出さない(出せない)が、そう思って、いろいろな局面で、私なりに努力をしている。
最初に病棟主治医に、外来の先生の話を、外来主治医のとの協議を、間接的に聞いたとき、その中で、患者は手術を望んでいるか、という話になったらしい。それ以外はわからない。
その結果で、病棟医が、引き続きの担当ということになったらしい、のである。
それを外したら、今の私には、あまり意味がないが、先生は、私の、QOL(病者の生活の質を尊重すること)を十分に配慮してもらっているとは思う。
本来、私は、斜に構える人間なので、「××と戦う」という、スローガンはあまり好きでない。
たたかわないのは、正義ではないのか、劣っているのか、あるいは勇気がないのか、という、要らざる、心理的規制を生むからである。
私は、優れ、勝った人間ではない。
大した人性を送ってきたわけでもない。
死んだとき、「あの人はいい人だったわね」、といわれるよりは、「いい人じゃなかったけど、悪い人でもなかったわね」、と言われたいくらいの、人間である。
実際のところ、世間一般が、病者の皆が自己に臨むように、私の病気が寛解すれば、それに越したことはないのだ。
しかし、一人の「患者さん」とすれば、そんなことがあるだろうか、と、実は、常に、疑わしく思っている。
病院の外来受診から、検査を経て、外科に対して手術協議されるのは、普通の経路であろう、と思える。
しかし、それには時間がかかるし、通院、送迎などの、家族の支援が受けにくいものにおいては、多大な負担になる。
私の場合は、紹介状をもらって、横入りで入院させてもらえたのだから、それは、幸運であった。誰が担当になるかは、今思えば、運命だったのだと思う。
なぜ、病棟つきの先生が、私の主治医になったか、病院の事情は、よくわからない。しかし、それが、どれほど、幸運だったかは、よくわかる。
今朝がた、外来の検査を受ける前に、暇つぶしに、掲示板の病院報を持ていると、専門家別に、担当医者の名簿表示があった。担当部科に分かれ、索引順でないので、たぶん、序列記載なのだと思う。
しかし、何度見ても、私の主治医の名前がない。なぜだろうと不思議に思った。
外来治療が数か月続き、今では、私は、自分が、化学療法のベテランになったのではないか、と思っていた。
同じ処置室で、五、六時間も、じっと点滴するので、いくら、偏屈な男でも、看護師さんと話くらいはする。
一線を超えたら(例えば看護師に優しい(?)言葉を掛けられたら)、男どもは、打ち解け、自分の個人的なことを、妻以上に、看護師に対し、話してしまう。
ジジイとして、その感覚はよくわかる。
しかし、その反目も見た。彼女は、どうも、毎日点滴治療を受けている。それだけで、拘束される、厳しい病状なのであろう。
彼女には、無口な夫がついている。
いつも黙って何も言わないのだが、最初は、大人しいながら、暗く、私たちに対し、何か含むところでもあるのだろうか、と思えるようだった。
実のところ、妻が、その夫を、使う、使う、処方箋、もらいにもらって、お金払ってきて、毎日のことでしょ、早くしてよ、皆に迷惑でしょ、と言いたい放題である。
そして、ついでに、私に、ニコッと笑う。
これは、後天性の失語症だ。それも、昔、浮気をしたとかの負い目では、ない、妻に屈服して、こうなったのだ。
そうなれば、私もたやすくは笑い返せない。
看護師は、明らかに、妻の味方だ。
どちらかが、主導権を握り、状況を仕切らないと、次には進めない。
これは、賢い選択と、若い看護師は、思っているかも知れない。
決断も、知恵もない、ぐずな男ね、と思っているのが、ありありだ。
どうも、いやなら、やめれば(捨て、捨てられということです。)いいのに、くらいは思っている。
彼女たちは、常時、看護衣のうえに、プラスチックの袋をかぶっている、あれで、ストレスがたまらないわけはない、と私は思う。
入院してわかったが、院内クリーニングの窓口があって、彼女たちも、そこで、病棟衣を利用している。コロナの影響が大きいだろう、いろんな、負担が強いられる。
以前、入院していたときに、遠くて、家族の支援がむつかしい私が、取次店に聴きにいったら、私の不穏な空気を読んだのか、パンツとか下着はだめですよ、と言われた。
なるほど、納得した。
男の患者の現実は、ちょっと違う、と思う。
男は孤独なのだ。仕事を辞めれば、職場以外に付き合いもなくなってしまっていた。
皆が皆、女のように、社交が得手でない。また、その努力を嫌う。
なかなか、始めた趣味も、上達しないので、面白くない。
それも、入院時代に見たが、まだまだ、意欲のある親父は、館内図書館にへばりついて、漫画と、週刊誌を読みながら、窓口のパートのおばちゃんに付きまとう。
あとは、しょうもない自己自慢だ。しかし、どこのサラリーマンだったかは、どういう役職だったが、決してカミングアウトしないが。
閑話休題、今日は、「なんで、私の主治医は、医師掲載名簿にないの」と、看護師に、聞いてみた。
つい、私が、彼女に対し、ありもしない親和性を信じ、感じたからなのか、または、彼女が、むつかしい人だったのか、「それは、主治医に聞いて見られたらどうですか」、という返答だった。
それは、さすがに、この私の状況の中で、わざわざ、無法者の私でも聞けない。
明解で、明朗な先生だが、私にも、それくらいの忌避と、状況を忖度する気持ちはある。それは、気のせいかもしれないが。
「えっ」、と思ったが、それは、看護業務とは別途の話である。
その後、うわの空で、ぼやっとしていたが、あれは、「外来の先生の名簿で、入院棟の先生の名簿じゃないんじゃないの」、と最後に私は言われたらしい。
むろん、そんな、つまらない親父の繰り言に、忙しい看護師がかかずらう暇はない。
ただ、私は、好奇心で生きている男である。自分の疑問には、いずれ自分で答える。
後知恵でわかったが、病院というのは、外来、入院部門で、それぞれ、分担が、明確に分かれるらしい。
私が、今、化学治療を受けているのは、外来部門に属している。したがって、看護師たちが、直接、指揮指導を受けるのは、外来部門の担当医師からであるらしい。
組織であるからには、部門ごとに、それぞれの考えがあるだろう。
厳しい専門職の仕事であれば、それは当然に発生する問題ではある。
逆に、医者によって、それぞれに、見解が違っていなければ、結局、逃げられない患者の不利益になる。
組織は、逸脱や、前例に反することは、基本的に許さない。特に、ミスによる生死に係る職場や、トップダウンといいつつも、ボトムアップの傾向が強い職場は強く、厳しいと思う。
どうも、病棟医の私の主治医は、直接、外来の看護師に、指示が出しにくい、ように思われた。
それは、私の主治医の言動を考えればわかる、ことがある。
だから、私も、患者の考えと、それぞれ駆け引き(?)があるから、外来に行くにしても、必死で考える。
私は、信頼はしているが、今のところ、主治医の言う、治療方針の通りにはなれない。
そして、外来の治療窓口のいう通りにもなれない。
患者さんは、自分本位の自己都合で考えるから、おいおい、と思ってしまう。それは、病院の治療方針とは異なるかもしれない。
しかし、それは患者の意見としては、聴いて欲しいわけである。
選択の生じない、患者の自由などというものはありえない。
先にNHKの医療教養番組を見ていたことがある。
ほぼ、私は、Eテレと、衛星しか見ないので、地デジ、サテライトと、チャンネルを変えることもある。
それは、視聴者の患者さんたちから来た、病気にわたる質問に対し、治療の第一人者が、答えるという番組だった。
たぶん、皆忙しい、専門医の先生ばかりだから、直にこんな高度医療の最前線の話が聞けるのは、患者にも、また、極めて忙しい第一線の治療医にとっても、対世間に話ができるチャンスがあるなら、双方にメリットがあると思えた。
この番組の、MCを務めていたのが、▲▲氏である。番組が番組なので、事前勉強は大変だったと思う。
視聴者の意見も、取り上げなくてはならないので、センスも知性も要る。
ただし、彼が、先生(?)に質問するとき、ちょっと、言葉が、不遜じゃないかなという感じを受けた。
当然、双方は対等な関係である。
しかし、一線級の臨床医には、きちんと言葉を尽くし、それなりの敬意を払ってもいいんじゃないの、と思ったわけである。
彼らの、背後には、日々の激務の中で、懸命に治療法を模索し、医療の進歩に苦闘し、貢献している数限りない医者たちがいる。
私たちが、彼らの存在に、感謝と、敬意を払うのは、当然のことである。
言っちゃ悪いが、共産主義国家によって、権力に寄り添い、新鮮な臓器移植に特化した、中共の医師とは、天と地ほども違う。
その後、このMCに似た(私には同一人物に見えた。)、フリーアナウンサーの▲▲氏が、出るインタビュー番組を見た。
「こころネット」という番組である。
皮肉でもなんでもないが、この番組は、「病気と闘う」ことをテーマにしている。
彼は、血液性のガンを発症したらしい。
彼は、ステージ4といっていたが、それはガンの特性で変わるらしいので、余命残年数は5年くらいなのか。詳細はよくわからないが。
その際の、治療入院生活を語っていたが、病院のスタッフ、医師、薬剤師、栄養士とかいろいろ出て来る。聞いた限りでは、化学療法と、リハビリスタッフにより、とてもいい、治療入院をされたらしい。
その番組中で、最初に、あろうことか泣き出した。治療入院が思い起こされて、万感、胸に迫るものがあったのだろう。
しかし、私は、別のことも考える。自分のために泣くのは、恥ずかしいことである、というあのテーゼである。
どうも、これは、生還を果たした、勇者の所業の報告なのだ。
しかし、私の気持ちが、すっと、冷えた。
自分の病気(宿命)に対置することは厳しい経験である、と思う。
それは、個々の人間によって、様々な対処の仕方があるだろうと思う。
しかし、ガンという病気は老化の現象として現れる、という、近藤誠先生の話もあった。
理不尽だろうとどうだろうと、おのおの、寿命は、受け入れなくてはならない、筈である。
幸い、私は、現在では、重篤な行状にまで至っていない。
まだ、我慢できる状態である。
病状が重篤になればくじけるだろう。
偉そうなことを、言ったり、捨て鉢の態度も、愧じるだろう。
つまらないことで、妻に当たるだろう。
先行きはわからない、他人の態度に、容喙する必要はない。
しかし、皆が勇者ではない。
奇跡的に、寛解したのは、彼の勇気と努力、周囲のケアのたまものだろう。
しかし、それを、保証してもらったのは、彼の社会的な地位と、病を支える、経済的基盤ではないか。
貧困で、十分に医療措置も受けれずに、失職の不安の中で、孤独と孤立で、のたうち回り、訳も分からず、悩み、仕方なく、当面、耐えていく多くの患者たちは、勇者ではないのか?
ただし、国民の大多数が、皆保険によって、キチンと、医療給付が受けられる、国民国家日本は、まさしく、正義ではある。それは、外してはならない。
よくしたもので、彼が、病気から回復すると、周囲が、前と同じ(嫌な人間になった。)になったといわれたと、番組で、率直に述べていた。
なかなかに自省に富む良い人である。
彼の、アグレッシブな態度をみれば、それが(素がとても嫌な人間であることが)よくわかる。
どうも、朝日放送か、何かに出そうな男である。こいつは、予断と、自己の偏見しか見えない奴だろう。
人間、だれもが、おざなりの、定式化した態度で、病気を、自己の運命を受け入れることはできない。
私には、幸い、もう少し、時間と、なにがしかの、闘病費用は残った、ありがたいことである。
しかし、そうなった以上、それに割り込み、対抗するのは、私の好奇心と、私なりの、前向きの「知性」である。
それがナシなら、私も耐えられない、「存在の耐えがたい軽さ」というやつだ。
私は、ニーチェなどのように偉くもないし、激烈でもないので、これは、私にとって、ニヒリズムでもなんでもないのだが。
今後、私の人性において、まだまだ、汚らしいもの、腐ったものはいくらも見るだろうが、反面、その対極にあるものも見ることができるであろうかと、今は、思っている。
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