天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」(2007年作品)を観て

2018-12-26 20:55:24 | スポーツその他
 BS放送NHKの朝番組に、渡邊あゆみアナウンサーをMCとして、「NHKプレミアム・カフェ」という番組があります。過去放映した番組の中で、人気のある番組について、要望された番組を再放送する番組です。わが拙いブログでもそのうちいくつかについて触れたことがあります。
 
 この番組のMC(司会・進行者)の渡辺アナウンサーは、かつて黒田あゆみさんと名のっていたように思われます。それは、仕事(職場)名なのか、彼女は、良い時代のNHKアナウンサーの系譜を引いているようで、自分を目立たせず、上手に、番組とゲストとそれにかかわる逸話を導きだしているようです。

 その中で、折にふれ、何度も見かえしている番組の一つに、標記の番組があります。
 夫婦の登山家(登山家相互夫婦というべきかも知れない。)が、未踏峰の、極北のグリーンランドの巨大な岩塊に登攀を試みる番組です。最初は登山にかける夫婦愛情(人情)物語かと思っていましたが、決してそれだけの番組ではありませんでした。
 この夫婦は、登山家として有名な山野井泰史さん、妙子さんという人で、双方とも、殊に夫のほうは天才クライマーとして、その世界レベルの技術の高さ・確かさと、名だたる高峰の登攀の実績を残している高名な方のようです。
その名声の前に「現存する」という限定が付くのは驚くべきことですが、有名で優秀なクライマーは、日本人も含め、おしなべて早世していくというのが、どうも業界(?) の常識であるようです。
 彼ら夫婦も、それぞれ凍傷によって、手の指の何本とか、足の指が何本かない、という、身体の欠損を経ています。どうも、地上で、低地で暮らしているわれわれと、登山家たちとは、違った時間が流れているようにも思われます。
妻の妙子さんは、彼女の表現で、(遭難によって)「指が短かくなった」と言っていましたが、手の指の多くは損なわれて(?) います。
 それは見ている方がびっくりしますが、番組に付帯した取材録画を見れば、登山も下界での家事もそれで淡々とこなしているようです。彼女の女性的な表現で、「短かくなった」というのでしょう。女らしいひとだなあ、というのが私の感想です。
それこそ、登山家とすれば、平地の日常と、山での別世界の日常が、登山をよりどころに、相互に転換してしまうようなところがあるのかも知れません。人によっては、どちらにいても、馴染めないという場合もあることでしょう。
また、登山の選択自体にも、さまざまな人たちが多くの高峰を登頂しており、初登頂というのは少なくなり、現在では、同じ峻険な山でも、ルートにより難易度がいくつにも別れ、それによって、さまざまな、初登頂があるようです。彼らには、「名誉や、栄達のためでなく」と、仲間内での不文律があるのかも知れません。それは、こちら下界の住民としては、支払う労力・努力に比べ、とても効率が悪いことが理解できるからです。
 彼らの登攀の歴史、夫婦としての相互のいきさつや、履歴、事故のてん末などについては、ノンフィクション作家の沢木耕太郎氏(「凍」、2005年、新潮社)による、著書があるようです。
「夫婦のともづな」ともいいますが、かつて難度の高い高山での下山中の遭難時に、妻の懇願で(二重遭難を避けるため)「ザイルを切ってくれ」といわれても、夫は頑としてザイルを保持した、という経験があり、その結果として、夫婦が延命したようですが、それこそ、文字通り、「絆(きずな)」で深く結びついた夫婦であることがよくわかります。
 そして、そのうえで、体の欠損や、厳しい体験を経た夫婦が、それぞれスポーツマン(?) としてどのような登山をするのかが、観ているものの興味をかきたてることとなります。

 彼らはこだわらず(それが決してうれしいことではないことは見ていてよくわかる。)に、彼らの欠損の跡を見せ、今も痛みや不適合があることを話しますが、いずれにせよ、その欠損や不自由は、下界(?) の生活者たちと同様に、厳しい登山においても、彼らの技術や、工夫・技術によって補うしかないものです。
 今回の登攀の同伴者に同年齢の男性が一人おり、彼らは、今回3人でチームを組むわけですが、その男性も同様に、足の指が欠損しており、なかなかすばらしい(?) 組み合わせです。チームを組み、命を相互に預ける以上、私たちよりさらに厳しく強い、相互の紐帯と信頼が必要なのでしょう。
グリーンランドの岸壁(オルカと称せられるらしい。)とは、しろうとには完全な一枚岩のように見えますが、どうも、どうやって登攀路を見つけるかが、最初の手順になるようです。
 ふもとのベースキャンプまでは、登攀者以外の他の支援が受けられますが、中途からの段階的なベースキャンプには、完全に3人の協同作業ということとなります。相互の、登山家としての全経験と全技術を出し合い、登攀に臨みます。ルートの難度は当然としても、立ちふさがるのは天候や、風やらいくらもあるところです。
 どうも素人目で観ていると、二人一組で、トップとその支援(命綱の保持・支援が主と思われる。)がルート開拓を行い、足場を作っていきます。
 どうも、昔日のように、岩にボルトを打ち込むという作業ではなく、岩の隙間やクラックに、着脱可能な、金属やプラスチックのような足場器具を設置していくようであり、もし外れたらどうするんだろうと、こちらはひやひやするばかりです。
どうも、他者の命が架かったルートを作っていくのは、大変な心労と重圧を与えるようで、時間を計りつつ交代していかなければ、集中力や気力が持たないようです。たとえ、3人のチームにしても、その重圧からは逃れられない、ように思われます。
 リーダーらしい、山野井夫が、「アルピニストとして、リードを握れないと何の楽しみもないでしょ」、とメンバーに、プレッシヤー(?) 及び激励の言葉をかけます。
 彼らは、その自負心と誇りのために登攀しているのですね。
 殊に、山野井夫の笑顔がいいのですね。これだけ苛酷なスポーツにかける人ながら、童顔の優男で、白い歯を見せながらの、その話しぶりがとても魅力的です。男の私が見ても惹かれるようで、これはファンが多いのでしょうね。
 本人は年上の妻ひとすじかも知れないが。

 厳しい難所を経由し、最期の仮露営所(猫の額みたいなところです。)から下を見れば、足がすくむような高さです。一面世界の、氷河や、切り立った絶景が望まれ、文字通り絶景ですが、一般人としては、とても長くはいたくない場所ですね。
スープを沸かし、最小限の補給を済ませ、テントにくるまりそのまま眠ります。もちろん、無駄な体力を使わないためです。
最期の初登頂は、夫は妻にその権利を譲ります。
 人類未踏の地に、妻が最初に足を踏み入れ、文字どおりの「栄冠」を手にします。
 瞬間の王というか、つかの間の栄光ですね。もちろん、どんなに優れた達成も、永続することはないことが前提の話です。
この感動の質はいったい何なのかと考えてみました。
 私たちは、どうも、「類」としての同胞存在の優れた達成の成果を見ているのですね。殊に同じ民族として、非力な人間が、大した装備なしに、切り立つ極地の岩山を登りきるその努力と執念の見事さに、感動するわけでしょう。自分たちには及びもつかないが、優れた人が、不断の努力と節制で目的を成し遂げる、その過程に感動するといってもいいかも知れません。

 一時代、登山は、「征服する」と言っていた時代がありました。
 レイプじゃあるまいし(オヤジは下品です。)、さすがに、近年は、そんな表現をする人はいなくなりましたが、それこそ、自然の許容の範囲でなければ、登山などは不可能なことは、優れた登山家たちには自明であるからでしょう。
運が良かったから、自然が味方してくれたから、彼らはその様に語り、謙虚に振る舞います。死線をさまよったことのある彼らは、大言壮語はしないものです。
 私には、あの、冒険家、今は亡き植村直己さんの、茫洋とした風貌と、智恵遅れではないかと思われるかのような話しぶりが連想されます。優れたアスリートの日常というのはそんなものでしょう。

 登山したあとはどうするのか。栄冠の頂点から、「下界に帰還しなければならない」筈ですが、凡人の私たちとすれば、「どうやって帰るんのだろう」と心配するばかりです。
 帰路を放送で流すことはなく、最期に、山野井泰史氏が、何十キロもある一番大きい荷物を背負って降りてきます。見事なリーダーですね。

 かつて、BSNHKの別番組で、熟練登山家が、パートナーの登山家(女性)を、遭難でなくし、捲土重来を目指し、追悼登山を行い、ついに初志貫徹して、「(彼女の死に対し)初めて泣けた」と、号泣する番組を見ました。
 私には、人間の紐帯が、具体的に性差を超えるとは思わないが、それこそ困難な状況の中で、同じ棒組(仕事を分かち合うコンビ)として、命のやり取りをする体験をした人は、強い「絆」を相互に持つものでしょうか。
 私たちも「こんな苛酷な体験を一緒にすれば」と、他者には伝えがたいだろうが、数多くの愛憎を含むだろう、そのいきさつ(友情)に思いをはせます。
 それは、スポーツというには、過酷過ぎる営為ですが、ぎりぎりのところで奮闘する人間の姿は、その及びがたさとともに、観るものに深い感動を与えます。

 山野井さんは、登山にスポンサーを求めないということです。
 彼らは、パートタイム勤務というつましい生活の中で、遠征費用や、滞在費用や、現地でかかる経費を捻出し、外国政府との交渉をこなしていくのでしょう。そこに、少なくとも、プロとしての栄達はない、後付けになりますが、つましい中で、趣味とも、生きがいとも知れず、厳しい目的を追い求める、求道者のような姿があります。
 妻、妙子さんも、その辺のおばちゃんと全く変わらず、奥多摩のいなかで、目立たず、淡々と、日々を暮らしていくようです。
 同じ「日本人」として、とてもうれしく、誇らしいことですね。そして、その目だたない、夫婦としての過ごし方も、私たちには同様に、好ましく、感じられ、非凡な人というのは、きわめて平凡に暮らしているのだなあ、と納得します。

 最近、政治家や、有力者の言動や、行動を見るたびに、日本人として在ることが屈辱で仕方のないことが多いものですが、こんな彼らの姿を見れば、いささかもの、喜びや誇りを感じるところです。
 その後も、順調に、何度も、難度の高い山を踏破しており、そのキャリアを積み、ますます、その名を知らしめているようです。こんな人たちもいる、と、根拠はないのですが、心強い思いがします。

トランス・ジャパン・アルプスレース(なんと訳すのだろう。「全・日本アルプス縦断レース」くらいですかね。)について

2017-02-09 15:42:59 | スポーツその他
この「世の中」には、「とても自分ではできないなー」と思うスポーツや娯楽もいくらもあるわけです。それは要するに費用がないせいなのか、能力・技術不足のせいなのか、もう費やす時間がないせいなのか、またはその複合原因であるのか、一番大きいのはその「やってみたい」という熱意と意欲が絶対的に不足しているのかも知れません。
そのひとつが、この番組であつかわれる、高所登山レースです。
体力に自信のなくなった現在の私の視点から、というのは当然ながら、私には北アルプス、中央アルプス、南アルプスと、アルプスと名のつくような登山経験はあまりありません。しかしながら、「海と山とどっちが好き」といわれたら、「山」と答えてしまう自分ではあります。
標記のレースは、2年に一度行われるそうであり、日本海側の富山湾から、太平洋側の静岡県の海岸に至るまで、総距離415km、八月初旬からお盆をまたぐまで、8日間を限度に、昼夜を問わず軽装備(ザックひとつに水を除いた一切の装備を用意、重量5キロ程度)で、駆け抜けるタイムレースです。
山好きといいつつ、日本アルプス連山などといえば、確かひとつくらいは家族で登ったな、と思う程度の人間が、こんなレースについて言及するのはおこがましいかぎりではあります(納得)。
このレースは、素人にも明らかに過酷と思われるレースで、標高3000m級の山々を、何箇所も登り降り、各アルプスの移動間は、それぞれの何十キロもある一般道路を走りぬき、いわば本土で一番急峻な山々を、独力で、登ったり降りたり、自己判断で休息もとらず徒歩で横断するわけであるので、厳しくないはずはないのですが(もし、万一死者が出たら「形式的・人命・人権・平等性尊重団体」(別名「腐った民主主義団体」)から「中止せよ」と圧力がかかるだろうな、という厳しい日程です。)、何回もつづけられています。
さすがに、予選があり、フルマラソンのタイムとか、登山や露営の技術などが試されるらしく、その参加の意欲や熱意だけでは間に合わず、事前にふるいにかけられるらしいところです。
今回が8回目(2002年開始)とか言っていましたので、すくなくとも、今まで15年以上は続いているようです。賞金などまったくなく受けるのは名誉だけ、という、無償のレースであり、したがって、事故があっても、たぶん任意保険は利かず、その参加費用は持ち出しになるはずですが、それでも第一次選考を経た、30人弱の参加者たちが、参集し、常連の参加者も確かにいます。やはり、業界(?) 、 仲間うちでは権威ある、大きなトロフィーなのでしょう。
 そうであれば、次にどんな人が参加しているかが、興味深いところですが、一番多かったのは、かつて山小屋などで、「歩荷(ぼっか)」というのでしょうか、ふもとから山小屋まで資材運搬などを勤めていた人たちでした。私のかつての少ない登山体験で、背中の背負子に数メートルの高さの荷物を背負い、厳しい登山道を歩き始める彼らを見て驚嘆したことがあります。参加者たちは、おおむね、30代から40代、若くて20代の後半、最高齢が50歳代の前半の男性、しかしながら、50歳代で完走を果たした人は今までいないそうです。女性も数名参加しています。
 この番組が好評だったせいでしょうか、私が見た範囲では、様々な印象深い参加者たちが参加にいたるまでの経緯や、それにいたる人性についても、別に特集された番組もありました。
レースはやはり、前回のチャンピオン(S県山岳救助隊の隊員)と、前回次席の選手(元山小屋勤務の競技者)を中心に展開されることとなりました。彼らはお互いにけん制しあい、一緒に歩いたり、一緒に露営したり、また別に出発したりと駆け引きの連続です。おそらく彼らは、競技者として別格の存在であろうと、見ていて理解できます。
しかしながら、一流のアスリートでも、節制というのはまことに困難らしく、熱暑の中を歩いてきた次席の選手は、自動販売機の前で立ち止まり、あっという間に、ジュースとか缶コーヒーとかあらゆるものを一挙に飲み干し、その後内臓をやられてしまいます。その後で彼はようやくたどりついた、中央アルプスの山小屋で、「もし、何も食べられなかったら、もう棄権する」、といい、のびてふやかしたカレーヌードル(高カロリーでくせのあるなんとすごいものを食べると感心しました。)を前にして、時間をかけて必死で食べていました。
次の日に、カメラが彼を捕らえると、彼はすっかりピンピンしており、すでに小走りにコースを走っています。「この立ち直りができる、というのもレースの醍醐味ですから」という彼のコメントに思わず笑ってしまいました。
いずれにせよ、どの選手も、2年をかけ、このレースのために、修練し、調査し、節制してくるようです。
40代後半のいかにもお人よしそうな参加者がいました。
彼は前回完走できなかったため、仕事をやめてしまい、準備のため心肺トレーニングをはじめ、あらゆる鍛錬と、コースの事前調査をしています。どうも、独身生活らしく、貯金を取り崩して生活しているということで、若からぬその風貌と、そのおっとりとした話し方から、現世的な競争(万人の万人に対する闘争)からは外れた(?) 少し変わった人ではあるようです。温和で、攻撃的でもないような様子の彼も、前回のレースで中途棄権した結果が悔しくて、このたび捲土重来を目指すようです。
「普通の主婦である」と自称する、30代の女性もおりました。
彼女が、レースの途中で、立ち止まって板チョコをかじっており、「板チョコ一枚、完食なんて普通の生活じゃありえないでしょ」と、あっけらかんと、と答えていましたが、細身の女性にもかかわらず、女性というのは、(容姿を維持するため)あらゆる状況でひたすら、辛抱・我慢と節制の人性なんですね、と、まったく関係ないところでこのたび感心しました。
もう一人挙げれば、最年長の50歳代前半の男性がおりました。彼も同様に、山小屋勤務か、 「ぼっか」か、若いころ長く山岳人性(?) を送っており、そのとき(若いとき)になだれで遭難し、死にかけて、登山者に救出されたという体験を経ています。このたび、自分の残年数(人性の)を数えながら、当該場所を再訪し、再度自分の人性に係る士気を鼓舞したい(?) と考えているらしく、妻の心配そうな表情と裏腹に、レースに参加したようです。いまだに、50歳代では、今までに完走者がいないという厳しい現実ではありますが、この方も、少し憂き世離れ(?) したところがあります。

最後が、あのチャンピオンです。彼は、このたび、いままで実現できなかった5日間で完走、という驚異的な高い目標を掲げており、そのため、仕事や、鍛錬など、たぶん結婚しないなど、節制した厳しい人性を歩んでいます。次点の選手が、ジュースを飲みすぎるなど甘いところがあるに比べて、隙のない、まじめな(?) アスリートです。カメラのインタビューも上手くあしらいます。
  アルプス踏破のあと、一般道に入った山合の集落が彼のふるさとであることが明らかにされます。近所の人が総出で応援に出ていて、軽トラに乗った母親も駆けつけます。微妙に恥ずかしそうな彼の顔と、「今年はまだ余裕がありそうですね」と、いう母親の心配そうな顔が興味深いところです。
 レースが進むにつれ、個々の能力差が明らかになり、大きな差がついていきます。
 個々の年齢差、日常的な鍛錬の差、また、運不運にいたるまで、レースがすすむにつれ、競技者たちはひたすら苦痛のような時間となります。カメラを回す側からの、ある意味無神経なインタビューにも、全員が誠実に答えています。この番組の焦点は、だんだん今までに経てきた彼らの個々の人性につながっていきます。なかなか興味深いところです。
 しかしながら、みな、謙虚で、温厚な人ばかりです。まさしく日本人らしい、ということですね。なぜそうなのかと考え、その様子をみていると、あたかも、「登山道(とざんどう:とざんの教え)」というような言葉が思い浮かびます。彼らは、登山を通じて、登山者として、求道者として、自己の人格を陶冶し、周囲とその相互の融和と人格の向上を図っていくのですね。
 また、そそり立つ日本のアルプス地帯の絶景はさることながら、朝焼けも、夕焼けも、赤や、水色や、オレンジ色など、その色彩のグラデーションは、這い松などの眼にしみるような緑や、尾根道の花々の色々とあいまって、息を呑むような美しさです。
 しかし、それは見ているものには絶景であっても、急ぐ競技者には、ちゃんと見えているのだろうかと疑わしいところではあります。
 ただし、この厳しいレースにも祝祭みたいなものはあるんですね。経営者の芳志なのか、道沿いの、とあるスーパーで、ビニルトタンばりの小屋みたいなところで、皆がバケツで足を冷やすなどくつろぎながら、差し入れらしき、スイカをぱくつきます。つかの間の休息でしょうが、心和む光景ではあります。

 さすがに、最後の市街地に入り、順調に移動していたはずのチャンピオンが疲労し、ペースが極端に落ちてきました。しかし、それと認めた、道そばの観衆たちが声援を送り始めました。そうしたら、走れるのですね。「長距離ランナーの孤独」(それが自ら求めた孤独、孤立の覚悟が自己の推力になるという意味であれば)とか、あれは、うそっぱちですね。周囲の、大多数の人々の、他者承認の態度とか、声援とかあれば人間どうにかなるのですね。彼は活力を取り戻し、とうとう、5日(4日と23時間50数分くらいだったと思う。)ぎりぎりで、見事、優勝と驚異的な新記録を達成しました。
 次点の、Kさんが見せ場を作りました。
 疲労困憊の末、最期の市街地では(残酷な) カメラの問いかけに反応しなくなり、ひたすら、前のみを見て歩き(走り)続けることになりましたが、とうとう、海浜に設けられた、ゴールラインにたどり着きました。そのとたんに、涙ながらに、「どうも申し訳ありません」と謝罪し始めたのにびっくりしました。レース終盤で、カメラの無遠慮な質問にこたえなかったことに耐えきれなくなったのですね。非常に自罰的で、喜びより、倫理的な反省をするなど、やっぱり、この人も「登山道」の求道者ですね。
 本来、日本には、山岳信仰はあるかも知れないのですが、現在では、登山はスポーツと考えるとしても、今も、大多数の「日本人」の心の動きとすれば、そのようなものなのかもしれません。
 彼は、40歳になり体力的に今年が最後といっていましたが、きちんと妻の支援もあるようで、なかなか興味深い人でしたので、結局は、このたび自己記録を更新したことでもあり、二年のうちに気持ちを切り替えて、「また、出ました」と次回、是非参加して欲しいところです。

 「普通の主婦である」と自称する、30代の女性も、足のつめをはがしながらも、8日以内に無事ゴールしました。他にも、鼻血を流したまま、鬼気迫る形相で走っていた人も最後にはゴールでき、見ているほうは、「ああ、よかった」とも、興味深い(?) ところでした。
 このレースを「人性の目的」にして、離職までして臨んだ40代後半のいかにもお人良しそうな参加者も、無事、時間内に完走しました。
結果として、30人弱の参加者で、25人完走ということであり、今年(2016年)はすばらしい結果だったということです。

 しかしながら、例の50歳過ぎの男性は、苦闘の末、時間内にクリアーができずに、中途棄権ということとなりました。彼は、道路上でずっと待ちわびていた妻に、「どうも申し訳ありません」、と、感極まり、涙ながらに、謝罪します。わがままを通したのでしょうから、やむを得ない、ですね、しかし、彼らのやり取りをみていると、妻が夫の身を確かに案じているのが見るほうにもよく伝わってきます。彼のその振る舞いには、どこか愛嬌があり、近所の人が、彼を鼓舞するため、手製の大きなのぼりを作ってくれたとのことでもあり、いわゆる「世間」との折り合いはキチンとできる人なのでしょう。
 「もう、次はないな」、というのが、見る側の率直な感想ですが、本当のところは、同じおやじとして考えれば、本当に次回をどうするのかは、よくわかりません、ね。

 たぶん、私が死ぬまで、眼前で、もう肉眼で見ることはないであろう日本のアルプスの峻険で孤高な自然の美しさは別にしても、この番組は、大変興味深く、現実に動いている人たちの人間模様というか、まさに面白いドラマでした。つい、今でも、何度も見返してしまうところです。

(私の観たのがBSプレミアムの再放送であり、次回の放映はわかりませんが、3月24日にDVD発売がされるそうです。)

当面・東京オリンピックまでは生きていたい(希望の表明)併せ「山口茜選手」礼賛

2016-12-05 20:47:55 | スポーツその他
先に「今年の夏は、殊に西日本は7月中旬の梅雨明け以降、連日、波状の熱波で、耐えがたいところであり、極力、日中は戸外に出ないようにしていました。おりしも、8月5日より、リオデジャネイロ・オリンピック大会が始まり、自然自然に、自宅で当該競技の様子を見守ることとなりました(8月リオ・オリンピック)。」、と書きましたが、現在、日本国はなんと寒くなったことか、先日の関東地区の記録的な早期の初雪(11月24日)であり、本州最西端のわがY県の一日の最高気温も10℃の前半を超えることもなく、何と気候とそれに付随する人間の感覚とは、当てにならないことよ、と私のみならず、われわれの多くが感じるところであり、このような些末な自然の天候にさえ私たちは有形無形の様々な影響を受けるような気がして、興味深いものです。
ところで、先のオリンピックでは、卓球女子を礼賛し、女子バトミントンダブルスチームをほめそやしましたが、このたびそれに盲点があったことを気づきました。
リオ・オリンピック、バトミントンシングルス、ベストエイト敗退の、標記の山口茜選手(19歳)です。同国対決で、銅メダル取得の奥原選手に敗退したので、彼女のその特徴的な(?) 体型は印象に残っていましたが、ほかにはあまり印象に残りませんでした。当時、ダブルスの、「高・松コンビ」(高橋選手(25歳)と、松友選手(23歳)のペアです。)の印象が強かったことも、確かなことではありましたが、うっかり看過してしまいました。
このたび、2016年のバトミントン全日本選手権が、昨日(12月5日)、一昨日と行われ、「高・松」コンビの、調子が悪いなりに勝つ、ねばり強い優勝はもちろん見ていましたが、今回においては準決勝、決勝と、山口茜選手(19歳)の活躍を、このたび見させていただきました。
彼女の第一印象は「金太郎」みたい、というところでしょうか。競技の性格のせいか、比較的手足の長いほっそりとした女子選手(美人も多い。)の多い、バトミントン選手の中で、彼女の、一見幼児体型のような外見と、実はその筋肉質の体格はきわめて目立っています。また、彼女の白面の表情はのっぺりと無表情で、ピンチでも、勝利しても決してその表情を決して崩さず、まるで、かつての大相撲競技者時代の「北の湖」のようです。ふてぶてしいまでに強く、がちんこ横綱と呼ばれていた彼は、勝っても負けても表情を崩さず、平然と勝ち続けていました。ただ、燃えたのは、マスコミ人気の高く名門部屋出身で美男力士であった先代大関貴ノ花(若乃花・貴乃花の父親)との対戦の時でしたが、寡黙で、実力派の横綱らしく、この時とばかりその真価を発揮し、いつも最期に打ち倒し、判官びいきや、軽薄な婦女子の怨嗟のもととなりました(貴ノ花関は、貧しい家庭に生まれた彼(北の湖)の対極の存在だったのか)。あれは、当時の軽薄な社会通念への挑戦のようにも思われたところです。今の大相撲を観れば、隔世の感がありますが、「強いものが勝つ」という勝負の現実を彼はきちんと証明してくれました。その仮借のない実力で、当時の、好角家の厚い信頼と支持もあったことも申し添えます。
解説者が言っていましたが、バトミントンの競技者として、表情が変わらない(動揺を表さない)というのは、狭いエリアで競技をする選手にとって極めて大事な資質なんですね(松友選手のクールビューティも根拠があるのですね。)。また、彼女の筋肉の質は、男子選手に匹敵するし、そのショットは、目を見張るものである(天才的な)し、彼女はむしろ、個々の局面での勝負よりもその瞬間の演技の良し悪しに関心がある、と、べたほめの解説(陣内元選手)でした。また、解説者からそのような言葉が出るのであれば、競技者としてまじめで謙虚な選手なのでしょう。
あの狭いエリアの中で、瞬間的な動きをするのは、テニス以上に反応速度と瞬発力が要求されるところですが、その難しいショットを素晴らしい演技で実行します。やっぱり彼女は天才なんですね。あの短く太い手足と、ずんぐりした上半身で、どうしてそんなに早く動けるのだろうという意外感の中で、彼女は、縦横無尽、前後左右に、コートの中を駆け巡ります。よくいえば、俊敏な小熊のようにかわいい姿です。バトミントンは、当然卓球と同様に予測能力が大きく必要である競技であろうし、各選手の瞬間瞬間のその緊張は測りしれないと思いますが、彼女は平気(平気そうな)な顏をして、身構え、反応し、彼女の同僚の選手と比べても異質であり、その特異さが際立っています。しかし、インタビューに際しても雄弁ではなく、私の印象では、とつとつとしており、やはり北の湖を連想させます。すでに高校生の時に全日本選手権を取ったということであり、もともとその実力は際立っていたのでしょう。
このたび、決勝で対戦した佐藤選手は、ロンドンオリンピック代表でありながら、けがで、リオ・オリンピック出場を逃したということで、最初から、まなじりを決して戦っており、今回は、戦略的にも、気迫も、山口選手より、一枚上手でした、「私は挑戦者である」というところで、おびえず、おごらず、2セットを強い気持ちで戦い抜きました。かたや、山口選手は、やはり天才肌なんですかね、意外にもろく、2セットのストレートで負けてしまいました。彼女は、先のオリンピックで、同国対決で負けてしまい、初めてくやしなきに泣いた、ということであり、それ以降、競技者としての取り組み方が変わったということでもあるので、今後は、勝負にもっとこだわってほしいですね。過去においても、素晴らしいプレーをしながら、グランドチャンピオンについにはなれなかった、天才的なアスリートも数多いことです。
彼女は、その素のキャラクターによって、今もそれなりの人気を得ているでしょうが、競技者時代の「北の湖」が、当時その愛想のなさと、その背後のまじめさと努力が最後には認められたように、時折見せるかすかな笑顔と、右目じりのなきぼくろが意外にかわいい、山口選手ですが、抱き上げてやりたい金太郎というイメージですかね、今後私は競技者としての彼女の鍛練と成長を期待し、4年後を楽しみにしています。


山口県の海岸線について言及すること及び清流で泳ぐことの快感(夏の終わりに)

2016-10-02 17:26:07 | スポーツその他


 私は、現在、山口県(以下「Y県」と略称します。)稀少動物保護員というのに、就任しており、会員は皆一般の市民で、義務はなく、会費・手数料もかからない、お気楽な会員ですが、折に触れ、研修や、友誼団体の行事に参加させていただき、大変楽しいひとときを過ごさせていただいています。
 わがY県は、二方向を瀬戸内海と日本海に挟まれ、古来より海上交通の拠点として有利で恵まれた環境にあり、またその中で山間部もないことはない、という自然豊かな環境にあります。その一方で、瀬戸内側においては、地勢的にも恵まれ戦前、また敗戦後からの右肩上がりの時代に石油コンビナートなどの一連の化学工業群の集積があり、雇用もそれなりに安定し、全国的に見ても県民所得もそれほど低くはないところです。

 自然はといえば、瀬戸内海側の海と、日本海側の海は明らかにその様相が異なっております。現在では、国土のほとんどに自然海浜はない、とも言いますが、瀬戸内海に張り出す岬の先端や、瀬戸内海の島しょ部には、いまだなお清んだ海の水と、潮の干満で顕われる磯の生物が数多く潜むタイドプールなどがあり、注意深く観察すれば砂浜や様々な小動物の営みと内海の穏やかな自然が、まだまだ残って居ます。
一方の日本海側の海岸といえば、かつて詩人の北川透が、早期退職(?) し、県内下関市の梅光女学院大学(当時)に赴任した際、地元新聞に山口県北浦の海岸を「信じられないほど美しい海」と書いていましたが、文字どおりそのとおりであって、白砂青松が今も現実に存在し、豊浦から長門、萩に至るまで存する日本海に面したいずれの海水浴場においても、島根県のあの鳴き砂に比べても引けを取らぬほどの目の細かい白色の美しい砂浜が続きます。日本海特有(浅瀬)の淡い青の海の色(文字どおり水色です。)とあいまって、夏の陽ざしの中で見る海辺の景色の美しさは確かに特筆すべきものです。殊に、土井ヶ浜あたりは、山陰側が企業用地になっていなくて、日本人として(?) 本当に良かったな、と思えるほど、長きにわたった、見ごたえのある美しい海岸が続きます。ほかにも、日本国の海岸ですから、それぞれの地勢に応じ自然の変化と差異のある興味深い景色が続くわけですが。私の個人的な好みであれば、ひたすら続く美しい砂浜海岸より、多少の岩礁を含めた変化の多い場所が好きです。海水は澄みわたり、十数メートル先まで十分に見通しが利き、岩礁の周囲や、点在する、波に削られた小規模な岩々の間でも、海中をのぞいてみれば、ウニがぎっちりとへばりついています。ところどころ繁茂する海藻の間を、様々な種類の小魚が群泳する中を、水中メガネを使って潜ってみるのは、実際、大変気持ちの良いことです。

 閑話休題
 Y県の最高峰は、県東山岳部に位置する岩国市の寂地山(標高1337m)ですが、この山は、なだらかな中国山地に位置します。ふもとから登れば、山頂まで片道3時間弱くらいかかりますが、夏場は広葉樹(ブナ林など)が繁茂し、おかげで日焼けを気にせずに登れる良い登山道となります。当該登山路は、渓流に沿った山道であり、ところどころ渓流から落下する滝や、山から下る小さな支流に行き当たります。さすがに、雪が積もってから登山は困難ですが、殊に夏の登山は涼しくて気持ちの良いところです。その川が寂地川、宇佐川にそそぎ、最後に錦川に合流します。上流には人家もなにもないので、水は飲用が可であり、澄んだ水が瀬音をたて流れています。
 今年は、7月下旬に、稀少動物保護員の会報で見た、錦川の支流を遡上する沢のぼりの研修に参加しました。これは、 基本的に、ザイルなど使うものでなく、夏休みの子供たちへの、自然ふれあい研修ですが、それ相応に、なかなか興味深いものでした。
 川のよどみには、様々な渓流魚の幼生メダカや、本当に針のように細いオタマジャクシが泳いでおり、それは、可憐な鳴き声で名高いかじか蛙の幼生だそうですが、それ以外にも水中に潜む、ヤマメ、ゴキ(サケ科のイワナに近いもの)、ハゼ科のよしのぼり、川虫の巣など発見し、成体のかじか蛙にも出会いました。その楽しさは、小学生たち、その保護者たちと共有しますが、皆気持ちがよいのでしょう、魚を追ったり、沢がにを捕まえたりと、こどもの好奇心や、貪欲さに、大人としても同様に喜びを覚えたところです。
 皆で、清流を、運動靴を履いたまま遡上してゆくわけですが、浅瀬もあれば、ところどころ、深さが3メートル以上の文字どおり碧色の深みがあり、変化にも富んでいます。

自分の少年期をたどれば(私、川のそばで生まれました。)、こども同士、川に素潜りでもぐり、石とり(目印のある石を決め、競争で取り合う遊び)をやったり、度胸ためしに、岩場から深みに飛び込んだりしましたが、無上の楽しさであり、現在も記憶を去らぬものでもあります(多くの年長者とその記憶を共有します。)。同時に、深みに何かが潜んでいないだろうかと漠然とした何者かに対する恐れや畏怖も同時に感じたように記憶します。

 このたび、子供たちと一緒に清流に足を踏み入れ、水中の石にすべりつつ、魚を追い、楽しい時間を過ごしましたが、その体験が大変楽しかったので、この夏何度も、渓流遊びを行いました。
 深みの中で、石をかかえ潜っていれば、あたかもこの流域に数多く棲むオオサンショウウオになったかのように、息をとめ、ひたすら周囲と同化して、<自己本質>について思いをはせます(大仰な)。川の上流に向かって、ひたすら息をこらえていると、流れに乗った枯葉や、小魚が周囲を通り過ぎてゆき、頭の中が空っぽになっていくようです。適度に冷たい清流であり、あたかも修行をしているようでもあります。感覚的に類比してみれば、なんとなく、滝行をしているような感覚かもしれません。
 今年は、7月の梅雨明けから、9月の初旬までほぼ雨が降らず、猛暑が続き、外界は耐え難いような、文字どおり酷暑でした。そんなおり、我が家から、当該錦川上流支流まで車で一時間半くらいはかかりますが、避暑に行くようであり、やはり、この夏の小幸福でありました。
 わが愛読書、文豪(?) 宮澤賢治の、「風の又三郎」では、二百十日(にひゃくとうか)(9月1日)にやってきて、二百二十日(にひゃくはつか)(9月10日)に去っていく異族 (?) の少年(又三郎)と、短い期間でありながら、奇妙で濃密な体験をするわけですが、未知なるもの、不思議なものに対する、少年期のこどもたちが感じる憧憬と恐怖またその畏怖の気持ちに、当時(今も)強く共感しました(市原悦子の朗読バージョンがとても良いです。)。
 
 願うらくは、渓流好き、動物好き又は自然好きのこどもたちが、魚や蛙を追ったり、棒っきれをふるったりというのはごく自然な行為と思いますが、また、同時に、自然に対する畏怖や、恐怖を抱くこと(実際にそのように感じていることかもしれないことも了解できますが)もあれば、と思うところです。いわゆる、「冒険」は、同時に、日常を広げる怖い体験でもあるのです。
 
 本日(10月2日)、今年の最後と思い、潜ってみましたが、水温と外気温の差があるためらしく、晴天なのに、終日、水面に、もやがかかっていたのは、興味深い光景でした。

「福原愛選手」礼賛 リオ・オリンピック瞥見(べっけん)(追記) 

2016-08-26 21:17:13 | スポーツその他
8月22日付けで、リオ・オリンピックが閉幕しました。
 もっとも印象的な、「福原愛選手」については先に考察しましたが、その他の選手についても併せ印象記を申し述べたいと思います。

ア 男子卓球 水谷隼(みずたにじゅん)選手について
彼は、このたびのオリンピックが、彼の絶頂期に当たるかと意識化しつつ、最初で最後かもしれない自分にとって最大のチャンスであることを自覚し、個人戦予選から、自己の世界ランク上位者に対し、ねばり強く勝負し、その過程で自分を高め、たびごとに声を出し、自分を鼓舞することにより、殊に個人戦準決勝では地力に勝る世界ランク第一位をフルセットまで追い詰めました。同じく、三位決定戦では、とうとうメダル獲得することができたのは、祝着至極というところです。実力と、それを生かすチャンスを引き寄せ、勝ち取るという、運動選手として、最大級の成果と達成を見せていただきました。このたび、テニス競技で、宿敵、巨漢マレーにこのたびまた敗退した錦織君より、世界トップへの道行きは近いのでは、と感じさせてもらいました。
彼の試合は、大多数の中でたった一人で戦うという「男子の本懐」であるかのような見事な内容でした。
 彼の、自身を鼓舞する雄叫びが、忘れられないところです。
 しかし、かつて日本の景気が右肩上がりの時代に、当時とても強かった日本卓球はオリンピックでメダルを取っていたのかと思っていましたが、それはなかったんですね、改めて日本卓球チームの長い道行きを思い、彼の達成を言祝ぐつもりになりました。
 また、女子卓球と同様に、彼も、団体戦では切替えました。
優秀で、強いリーダーに遭遇した、2名のメンバーも実力以上(?) のものを発揮し、それは他の二人の選手たちの優秀な指揮官に対する忠誠心(ロイヤルティ)のようなものを感じましたが、フルセットもなんのその、たたかれてもたたかれても奮起し、ついに勝利を呼び込むリーダーに追随して、見事決勝にまで上り詰めました。
 決勝では、実力に勝る、中国に地力の差で完敗しましたが、水谷選手は、「今までに勝ったことのない選手に勝てた。」とコメントしていましたが、時を得たすぐれた競技者の戦いは、聴視者を歓喜させる試合ぶりでした。解説者が、「もう一人水谷君がいたら中国に勝てる」と言っていましたが、それはさすがに、ないものねだりでしょう。

イ 女子バトミントン(ダブルス戦)に団体戦について
  女子バトミントンチームは、「高・松コンビ」と称され、高橋選手(25歳)と、松友選手(23歳)のペアです。彼女たちは、一学年違いの、高校時代から続くペアで、高橋選手はハードヒッター、松友選手はコースと緩急の差を狙う技巧派と、後衛、前衛とその持ち分を分けています。どうも、そのあたりは結成が長いペアらしく、双方に十分に納得ずくらしく、競技中も彼女たちのやり取りが自然で緊密な時間が流れているように思われました。また、同時に、彼女たちは、世界ランク一位のペアらしいですが、彼女たちのスポーツは、身長や、手足の長いことはとても有利なんですね。
  高橋選手は、観戦・応援中の同じく競技者の妹さんがいましたが、どちらかといえば体育会系の熱血タイプに見えました。一方、松友選手の方は、冷静で、クールビューティ(?) という感じで、ほとんど感情を外に表しません。それは、スポーツ選手として、大事な資質と思いますが、負けて動ぜず、勝って動ぜず、スポーツマン=戦略家として、今までの日本人の競技者にはいなかったタイプで、私には、見ていて大変頼もしい気がしました。彼女たちの優勝インタビューで、インタビュアーから、前回のロンドンオリンピックでの日本チームの雪辱とか、投げかけられて、「試合、見てません」と正直に回答し、その正直な応対と、彼女たちのオリンピックは個人技でしか(彼女たちは前回国内予選で敗退し、出られなかった。)ないことがよくわかりました。また、競技によっては、世界選手権優勝の方が、オリンピックよりさらに重要視される競技も多いことも理解できたところです。
 メダルの獲得が全部でいくつと言い募るのは、観客席であり、競技(「見世物」とまでは言いませんが)を見守る国民ばかりなんですね。

ウ 柔道・レスリングについて
  バトミントン競技と比べれば、瞬間瞬間であれほどの僅差を争う壮絶な柔道やレスリング競技などで、三位になった選手が、「銅メダルですみません」と、異様に自罰的に(?) ふるまうように思えたのとは対照的でした。その差を考察すれば、柔道はもともと武道であろうし、レスリングも同様に、本来生死を巡る戦いであったかもしれず、スポーツとして、それを観戦・応援する立場とすれば、相対的に軽い(?) 他の競技と比べ異和を感じたのかも知れません。日本人とすれば、当然「柔・道」とか、「レスリング・道」とか考えてしまうのは確かな気がしますが、それを現在のスポーツとして、ポイント制で戦うというのはもともと無理なのかもしれません。殊に、武道の時代を知っている日本人としては、その点理解しにくく不満なところです。競技が世界規模になれば、適正な共通ルールは必要でしょう。しかし、このたび優勝した100kg超級の男子柔道フランスの黒人チャンピオンなどは、オリンピック巧者であって、良い競技者(武道家)とは思えませんでした。
 先のロンドンオリンピックで、女子柔道57kg級で優勝した松本選手は、当初予選から武道家の顔つきであり、その目つきからしてめらめらと青白く殺気が漂うようでした。見事金メダルを獲得した後、「野獣ちゃん」と揶揄(やゆ:からかうこと。なぶること。)され、その後、年頃の女性としては、色々傷ついたようです(現在27歳)。このたび、銅メダルで終わりましたが、なかなか、武道家であり続けること、金メダル獲得の栄典だけで、競技者として自己を律し、体調と、精神を維持していくことは大変なことなのですね。このたびの彼女は、試合前から、あの凄みは消えていました(飽くまで私の主観ですが)。やはり、頂点というものは一瞬なのですね。「時よとまれ、君は美しい」というオリンピックの記録映画がありましたが、それは一瞬が永遠であるかのように、真理をついていると思います。
 このたびも、世界で戦うのなら「求道者」ならぬ「競技者」で仕方ないと思いましたが、日本の選手の中では、女子レスリングの吉田選手ではないですが「競技が人間を作る」ケースも多いことでしょうし、日本の女子レスリングの選手たちなどのその錬成の過程から見れば、彼女たちも、武道家に近いのではないか、と思われました。
 いろいろ、興味深いものでした。猛暑をしばらく遠ざけられたように、思えました。