天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

遺 書(初回)

2016-03-25 22:15:39 | 日記
このたび、第一の人性(普通によく言われます。)を、終わるに当たり一言ご挨拶を申し上げます。
 さて、私は、昭和53年(1978年)4月1日現在の職場に奉職し、このたび、平成28年(2016年)3月末日を以て、同じ事業所を退職することとなりました。
 その途中で、「辞めてやろう」と思ったことは、何度もありましたが、当時の私から考えると信じられないことですが、そのまま馬齢を重ね、長きにわたり現在の職を続けてきたところです。
普通の生活者として、「善い」ことも「悪い」ことも人並みには経験しましたが、幸運にも、現在、格別の不幸感も、格別の幸福感も感じず、今ここにいられることは大変ありがたいことであろうと認識しています。また、持病もまだ取り立ててなく、当面健康であるのは何よりのことです。

 先頃、送別会の席で、送り出してくれる後輩に「Tさんは、仕事の中での「正義の実現」、とよく言っていた」と指摘され、「あー、これが私の宿あ(長い間治らない病気。持病。痼疾 (こしつ) 。宿疾。宿病。)であった」、とこのたび改めて思い至りました。

我々は、基本的に「強いられた社会生活」を送っています。いくら、好きだと思う仕事をしていても、仕事である以上、その局面で、妥協や、現実的な対応は、それこそ無限に生じるはずです。
しかし、たとえば、仕事上生じた選択が、二者択一と思えたとしても、その選択が、自己の倫理基準と社会的な変動の予測と時間の射程を測り、正しく、相手に又は多くの多数者に対し後日益することはありうる、そうは見えてもその選択は決して右か左かだけではなく、何らかの戦う手段はある、と、当時、私は彼らに話したように思います。
それには、自己の倫理基準を絶えず疑い、自分の思考を常に鍛える契機を持たなければ、退廃する(そこまで厳しい言葉は使わなかったが)、とも言ったように思い、その意味で「青い、渋い、固い」と言われてもいいじゃないか、とついでに言ったように思います。
今思えば、そいつ一人でも、その記憶に残っていればいいじゃないかと、思うところです。
また、今にして思えば、その後も進行した私の加齢とともに、彼らを含め、彼らの考えやその試みを待ち、また周囲の動きを待ち、そのうえで判断できるようになったのが幸いといえば幸いの話ですが。

 私にとっての正義とは、たとえていえば、いわば少年漫画の「正義」のようなものであり、漫画の作者の背後にそれがなければ、わざわざ漫画を読む「意味」がないようなものであろうかと思えます(人気の少年漫画には、現在でもやはりそれが厳然として残っていると思われます。)。

 やはり、「意味」や「義」のない仕事に、人間は耐えきれるものではないのでしょう、今もそう思います。さすがに、今回、彼にはそこまで言えませんでしたが、「自己利害以外の価値のために不可避的に戦うことは、やはり必要だよ」というところですかね。
 わが貧しき70年代体験と、その後の凡庸で(?)膨大な時間を経て、そう思っています。

 私には、幸い、再任用の道が開けています。
 当面、「まだ死ねねー」、しぶとくあがいてまいりたい(「義」のために)というのが、私の、かそけきのぞみです。

 幸いなことがもう一つ、我が家の、息子、娘とも、彼らなりの苦闘と努力のすえ、現在フルタイムの仕事に就いています。彼らの、成果(?)を、今、「よくやった」と言祝ぐとともに、社会的な側面で、自立し、戦っていることを、ここに誇りに思います。

 今月初旬、実母を亡くし(罰当たりなことに病床のそばでブログを書いていました。)、先の実父の看取りとともに大きな責務が終わり、それこそ、祖霊のもとに送ったわけですが、今、ある大きな開放の気持ちを感じています。
願わくば彼らが、彼らなりに、今後、「人間の掟」と、「神々の掟」を完遂できるよう、私としては、祈っています。

今回は、「世情」(中島みゆき作詞・作曲)について、考える

2016-03-04 21:05:27 | 歌謡曲・歌手・音楽
            世 情
                         中島みゆき作詞・作曲
 世の中はいつも変わっているから
 頑固者だけが悲しいおもいをする

 変わらないものを何かにたとえて
 そのたび崩れちゃ そいつのせいにする

 シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
 変わらない夢を流れに求めて

 時の流れを止めて 変わらない夢を
 みたがる者たちと戦うために

 世の中はいつも臆病な猫だから
 たわいのない嘘をいつもついている
 
 包帯のような嘘を見破ることで
 学者は世間を見たような気になる

*シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
  変わらない夢を流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと戦うために

シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
  変わらない夢を流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと戦うために

  *部分もう一度リフレイン

 この歌は、「愛しているといってくれ」という、アルバム(1978年発売)に入っている曲です。重厚な男性コーラスのもとに、託宣のような、みゆき節と掛け合いで、格調高く謳われ、それこそ、私にとって脳天をガーンとやられたような、衝撃的な歌でした(「わかれうた」よりもっと衝撃性がありました。)。

 とても有名な曲ですが、どこ頃から一般的にヒットしたのか考えれば、例の迷作「金八先生」のドラマの劇中使用曲として、使われたことが発端ではないかと思われます。ま、ドラマが嫌いな人が自分で批評をするために嫌いなドラマを見ることは、大変に稀でしょうから(お察しのとおり見なかった。)、そのドラマの愛好者(?)たちが、この歌を聴いてどのような感興を覚えたかは、想像するしかないわけですが、とても印象に残った曲なんでしょうね。多くの視聴者の心の中にも、この歌によって何かの衝撃やこだわりのようなものが残ったのでしょう。
 
 ついでに、個人的な感想を述べさせていただければ、もともと、もともと説教体質で安い正義を振りかざす歌手「武田鉄也」が心底嫌いになったのは、このドラマからですね。ついでに、彼の尊敬(?)する、坂本竜馬まで嫌いになったのは、彼にとってはえん罪になるのでしょうか。私は、坂本竜馬のみならず坂本龍一が好きという人に対しては、通りの反対側を通ることとしています。

 1974年頃、武田鉄也の「母に捧げるバラード」という曲がヒットして、当時、あの歌に描かれた彼の実母という人がマスコミに引っ張り出されたとき、新聞のインタビューに答えて「あんな(偉そうな)ことを人前で言っていて(大丈夫なんだろうか)・・・・」と、心配そうに話しており、私は、「(自分の子供のことを現実的によく理解しているし、手のひらを返す「世間」を思い、無考えで出来の悪い子供の行く末というものをおもんばかる)親とは有り難いものだなあ・・・」と思ったところです。
 しかし、そのうち、武田イクさんだったか、本格的に売れ出し、お定まりに、あちこちで定期的な講演会で教育論を話されるようになってからは、私は、興味がありません。

 そういえば、先日の、クドカンの傑作ドラマで、主演の国語教師が黒板に板書で「人という漢字は・・・・」と試みて、すかさず生徒から「イヨッ、金八先生!」という突っ込みが入り、学園ドラマ(金八先生)のパロディと、再構築を目指した脚本がとても面白かったですね(「ごめんね、青春」でした。ブログでも触れています。)。少なくとも、文字説きをして見せたクドカンは、漢字の起源に言及できるだけの知識と教養があるのです。

 お約束の脱線をしてしまいましたが、このアルバム「愛していると云ってくれ」は、1978年に発売されましたが、LPレコード、カセットテープがまだまだ隆盛で、あの貸しレコード屋がはやり始めたころでした。
 曲名を挙げますと、次のとおりです。
1.「元気ですか」(編曲:吉野金次)(朗読のバックに流れるのは、セザール・フランクのオル
 ガン独奏曲「前奏曲、フーガと変奏曲」。)
2.怜子(編曲:福井峻・吉野金次)(のちに、アルバム『いまのきもち』でセルフカバー。)
3.わかれうた(編曲:福井峻・吉野金次)(のちに、アルバム『いまのきもち』でセルフカバー。)
4.海鳴り(編曲:吉野金次)(桜田淳子が直後にアルバム『20才になれば』で、研ナオコが1979
 年にシングル「ひとりぽっちで踊らせて」のB面でカバーした。)
5.化粧(編曲:吉野金次)(桜田がアルバム『20才になれば』とシングル(1981年)で、一葉がシ
 ングル(2001年)でカバーしており、他にも多くの歌手によってカバーされている。)
6.ミルク32(編曲:中島みゆき)
7.あほう鳥(編曲:吉野金次)
8.おまえの家(編曲:中島みゆき)(桜田が直後にアルバム『20才になれば』でカバーした。)
9.世情(編曲:福井峻・吉野金次)(数ある中島みゆき作品の中でも、特に難解な作品として知られる。ベストアルバム『大銀幕』にも収録。)

 どれもよく覚えていますが、また多くヒットした曲ばかりですが、「元気ですか」のアルバムは、のちの「夜会」の萌芽がみられるように、みゆきさんの独白と、語りがとても印象的なところでした。
「暗い中島みゆき」の真骨頂であり、「わかれうた」は申し上げるまでもなく、「化粧」の中での有名な「今夜は死んでもいいからきれいになりたい」という凄い独白にはなかなか批評が届きません。
 正月明けにNHKのBSで見た「中島みゆき歌曲集」という中島みゆきオマージュ番組がありました。「ミルク32」という曲は、「ごめんね!青春」に出ていた、女優満嶋ひかりさんのカバーで、演じ、歌われましたが、これはみていて本当に良かった、みゆきさんとはまた違い、愛くるしくて、華があり、また凄味のある女優さんでした。彼女が言うには、みゆきさんの歌は、幼いころから、そばの酔ったおやじたちのギター弾き語り(悪女、わかれ歌など)で覚えた、といったのには思わず笑ってしまいました。
 その番組は、女性のカバー曲がほとんどでしたが、特に印象に残ったのは、私の知らなかった、中村中(あたる)さん(1985年生まれ)という性同一性障害(戸籍的には男)の歌手兼俳優さんの、「元気ですか」の独白と、「怜子」の連唱でした。彼が、まだ男であったころ、恋バナ(恋愛の話ですかね)の相談をしていた異性の友人の女の子が、彼のストリートコンサートに、彼の好きだった男の子を彼女のものとして籠絡して連れてきて、その彼女が、男の子のために作った曲を聴いて、わざわざ「とても良かったわ」、と言いに来たこと(勝利宣言ですかね。恋愛と戦争にルールはない、というやつですかね。怖い話です。)、「一生恨んでやる」と思ったこと、その時、心から「みゆきさんの描く人性の怨念は現実にあったんだ」、と思ったというカミングアウトの言葉が特に興味深いものでした。この齢になっても知らないことはたくさんあるものです。

 彼女は、アルトの魅力的な声で、セリフと歌を、切々と歌い上げていき、みていてとても美しいものでした。外貌といい、知性といい、おやじにも十分に魅力的な女性でした。いまさら、下品で、バカな女はヤだからねー、できることならば、彼女と親しくお話ししたいと思います。
 私が思うより以上に、みゆきさんのファンというものは広くまた深いものですね。彼女が歌う、中島みゆきカバー曲、「怜子」は、悲しむもの、傷つくものを慰め慰撫し、やはりそれは美しいとしか言えないように感じるものがありました(当然それはみゆきさんの功績でもありますが)。

 思い起こせば、私の1970年代の末頃は、個人的には、うまくゆかない就職活動の中で、先行きへの不安で人並みに悩んでおり、大学卒業の時期と、政治の時代の終焉とが二重の負荷(?)のようになり、その孤独感、寂しさ、やるせなさ、と、これから「自らをどのように埋葬していけばいいのか」と青臭く考えていました。また、周囲を見ても、逮捕歴(?)などで、就職を放棄した人など、周囲の友人・知人たちも同様で、やりどころのない焦燥感とあせりの中でもがいているような状況であり、当時、この歌を、苦い思いで、また切実に聞いた覚えがあります。

 この、「頑固者」というのが何を指すのかというのが問題になるところですが、「節義を曲げない人」とすればほめ過ぎになり、仮に政治運動で類比すれば、60年代では、全学連主流派とは思われませんが(勝手ですが)、むしろ主流派に違和と反発を感じたものたちとしてとらえたい、ところです(歌の本質ではないので)。私の実感で、70年代で類比すれば、少なくとも「反帝・反スタ」が前提であると思います。私の、体験では、「時の流れを止めて 変わらない夢を みたがる者たち」は、当時、決して、「反帝・反スタ」を名乗らなかったので。今であれば、新自由主義の走狗になっているやもしれません。

 80年代から、ポストモダンが膾炙されるようになり、当時、一瞬これらは新しい動きかな、と思いましたが、その代表的なA某、K某、H某など、腐った大学教師崩れか、誰かのいうように文献密輸入業者としてか働いておらず、当時とても好きになれず、今思えば、「変わらないものを何かにたとえて そのたび崩れちゃ そいつのせいにする」のとは、このことであったのかな、と思うところです。彼らが自滅するのは、そいつ自身のせいですから(時間を経て変わらないものは、なかなかないですから)。しかし、当時、過剰に期待して、揺らいでしまいそうだったのは、明らかに自分のせいか、自己の過失でしょうが。当時、自分の立ち位置が、良く分からなかったし、現在も明確とは言えません。個々に現状認識と、より正しくあろうという覚悟を持つべきかもしれませんが。私も、「大衆の原像」を自分の思考に繰り込むというのは、今も、有効であると思い、同意します。

 次に、「時の流れを止めて 変わらない夢を みたがる者たちと戦うために」という、一節が問題となるわけですが、「時の流れを止めて 変わらない夢を みたがる者たち」というのは、もうこれは、目の前にいくらも実在しておりますので、当時のスターリニストから、現在主流の新自由主義に至るまで、うんざりするほど現象しています。また、先に、「全共闘の生き残り」などというのが、徒党を組んで出現し、ひたすら自己満足と安い回顧を口にし、心ある同世代にも、ポスト団塊世代にも、厳しく批判されましたが、あれを見れば、その醜悪さと、改めて、当時の「サヨク運動」とは何の意味もなかったことが教訓として証明していますね。あれらが皆、今、高額な年金を受けているんですね、年金制度は別にしても、若い人は心情的に許せないのではないですかね。
 きやつらは、「時の流れを止めて、変わらない夢を見つつ」、機動隊の規制も危険もない、腑抜けた、「脱・原発」デモとかその後やっていたのか(さすがにもうやめたようですね。今は、「軍備反対」の夢でも見ているのかねー。)、やっぱり、本来的な意味で、私も、「反動」と、戦うべきだと思わせてくれます。

 先の、BS番組の彼女たち(ほかに中島美穂、坂本冬美などがいました。)のオマージュを見ていて、無媒介にいいますが、みゆきさんの歌は、敗者の味方、傷つくものの味方、悲しむものの味方、疎外されるものの味方、それこそ、「アザミ嬢のララバイ」以来、「ただ、生きていればいいのよ(太宰治)」と言っているような、救いの主(?)のような側面がありますよね、これは、皆の一様な感想であったように思います。

 しかし、みゆき先生が、偉いし、怖いのは、「変わらないものを何かにたとえて そのたび崩れちゃ そいつのせいにする」、という、私たちの、「正義」や「見方」やその時々の感情などの、あてにならなさや、不確実さを、または、場合によっては間違ってしまうことを、ちゃんと歌詞にして歌っていることです。

 やはり、その質や根拠を問われない、「正義」や「理念」や「見方」は決してないのです。

 私も、「変わらない夢を流れに求めて」、もうしばらく、人性を相渉っていくわけですが、時々の演歌(応援歌)として、時に、この歌を歌ってまいりましょう(時に、メンバーが許してくれれば、実際のところカラオケで歌います。)。

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知人に、なぜ坂本龍一と、同じ道を歩きたくないのか、書かれててないといわれましたので、念のために、書かせていただきます。
 坂本龍一さんは、長年の政治的な奮闘(?)のせいか、咽頭がんを発症され、お気の毒な事ですが、放射線治療は(思想的に?)断ると、意味ありげに発表されましたのに、とてもびっくりしました。
 これには、小生、3.11震災の直後に、広島の反核団体が、反原発の声明を、被災地に向けて過信したのと同様に心底びっくりしました。核兵器と、原発を、原発反対と、放射線医療を同一視する、その論理(?)に、ナイーブで愚かな私はとてもついていけません。
 坂本龍一さんは、やっぱ、ナイーブというより、バカですね。