今年は、夏目漱石逝去後100年に当たるという年であるそうで、殊にNHKでは、国民作家夏目漱石に関わるイヴェント(まさに「催し物」です。)を波状的にやっており、その特集は、「テレビっ子」(昔、こどもはそういわれていました。)の私としては、いやおうなく目に入ってまいります。
そういえば、従前、たまたま図書館で請求して、明らかに紙の色と質が変わった、明治期に出版されたのではないかのような「漱石の思い出」(松岡譲・夏目鏡子著)を開架で貸していただきましたが、あの有名な(?) 本は、久しく出版がないのか、とびっくりしたことがありましたが、しかし、その本が、このたび、驚いたことに文庫で出版されていました。
長年の雌伏(?) を経て、今年は、久しぶりに文豪が脚光を浴びる時期なのでしょう。また、このたびは、むしろ、文豪の本業に厭いた方々が「文豪の妻の言い分」に、着目することとなったのでしょうか。
さて、迂遠なところから始めますが、学生時代、私には江藤淳という評論家が、その保守的(なんと懐かしい。)な言動、いわゆる左翼・進歩派に対する無頓着で冷たい視線など、当時保守反動の権化であるように思った印象があります。
殊に「海は甦る」(1976年1部・2部刊行)など、近代、明治期の彼の親族、海軍高級軍人を起点として同時代に関わる明治期近代の日本国の勃興期を描いた小説など、当時、「あんたは、それだけ(偉い)自分の血脈が大事なのか」と反発すら覚えたところです。江藤淳の「漱石論」で引用された、漱石の学童期の「決して無用の人となることなかれ」(小学読本(漱石の小学期時代の教科書) からの引用と聞いている。今思えば味わい深い言葉です。)は、それより前に、仮に「国家」という限定詞が入らなくても、当時の学生の共感を呼ぶとはとても思えないところです。
当時において、文芸評論家としての「成熟と喪失」(1967年)など興味深いと思ったにせよ、当時大多数の学生たちには受けなかった、乗り越えるべき「批判的題材」としてとらえていたことをよく覚えています。
当時の自分の正直な感想とすれば、「歴史」といえば戦後にしか射程になく、せいぜい戦後に関わる戦争期(太平洋戦争)への関心程度しか、考えたこともなかったところです。
しかしながら、彼の労作「漱石とその時代」(1970年、1部・2部刊行)だけは、その内容に惹かれて、その後刊行の間隔が空き続巻に至っても、ずっとフォローワーを続けておりました。
当時の私にとっては、明治改元の前年に生まれた(1867年)、漱石が、文学の伝統もなかった、いや国家・社会の基盤すらまだなかった明治近代において、先験的・理不尽に与えられた西欧文明に抗し、日本の文学者として、いや日本人として、自分をいかに確立しようとしたのか、対外的には西欧列強と、国内においては、明治の世相と社会の中で、漱石の資質に拠り、人性と、文学者として彼が不可避的に戦わざるを得なかったものとの戦い、同時に彼を巡る同時代の人々の苦闘と併せ、考慮すべき価値とそれに対する興味は十分にあったところです。
江藤淳のこの本には、いやおうなく、大転換期に居合わせた近代人(歴史に名を残す方々ばかりですが)の苦闘や奮闘またその挫折と敗北が活写されていたことでもあります。著者として、資料を集めるだけで大変だったとも思いますが、ところどころ、彼も父祖をも対象となる、この作業が楽しかったのではないか、と伺われるところもあります。
今の年齢になって、初めて、私にとってのごく個人的な日本国の「歴史」とは、「父祖の生きた明治以降」と拡大してしまいましたが(それ以外にはなんとなく親近感も責任をも持てないので)、先に、評判となった、NHKの歴史ドラマ「坂の上の雲」の連作(2009年から2011年にわたり3部作で放映)に真剣に見入ってしまったことをよく覚えています。
いつの間にか、好きか嫌いかで言うと、自己の信念に対する妥協を拒み、敵を作ることを恐れず、結構喧嘩っぱやかった彼の評論活動と人性に対する取り組みを含め、保守的な評論家としての江藤淳もそれほど嫌いな人ではなくなりました。一度、図書館貸出しのカセットテープで、彼の声を聴きましたが、まだ若い時代であったのかもしれませんが、若々しく明瞭な聞き取りやすい声で、同様にカセットで聴いた江戸弁でしゃべったといわれる小林秀雄の、実際は、せかせかと聞き取りにくい声と比べて、はるかに「良い」声でした。
その後の、私自身の「転向」(押しなべて左翼への決定的な幻滅)を経て、歴史認識をも改めた私にとって、文芸評論家江藤淳(1932年生まれ、1999年自死)が、何故、勝海舟を含め、幕末から明治にあれだけ執着したのか、よくわかるような気持ちとなりました。
勝者側に廻った勝海舟が、不平幕臣を抑えつつ敗者側に廻った西郷隆盛の慰霊と追悼に自作の歌碑の追悼碑を建立したというエピソードから始まる、「南洲残影」では、国家存亡の時期に西欧化を強いられ、江戸期を切り捨てざるを得なかった人々の近代の悲しみや当時の日本人の大多数が抱いた敗者への哀惜や同情など、見事にすくいあげられていました。この本は、江藤淳にとっても、彼の父祖を含めた明治期(一般大衆を含みます。)への哀悼や追想など過剰な感情移入というべきものがあり、そののち六十有余歳で自死した、江藤淳への鎮魂歌のようにも思えるところです。