天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

漱石の「暗い立派さ」について言及したい(まず、「江藤淳」から) その1

2016-12-16 20:32:06 | 読書

今年は、夏目漱石逝去後100年に当たるという年であるそうで、殊にNHKでは、国民作家夏目漱石に関わるイヴェント(まさに「催し物」です。)を波状的にやっており、その特集は、「テレビっ子」(昔、こどもはそういわれていました。)の私としては、いやおうなく目に入ってまいります。
そういえば、従前、たまたま図書館で請求して、明らかに紙の色と質が変わった、明治期に出版されたのではないかのような「漱石の思い出」(松岡譲・夏目鏡子著)を開架で貸していただきましたが、あの有名な(?) 本は、久しく出版がないのか、とびっくりしたことがありましたが、しかし、その本が、このたび、驚いたことに文庫で出版されていました。
長年の雌伏(?) を経て、今年は、久しぶりに文豪が脚光を浴びる時期なのでしょう。また、このたびは、むしろ、文豪の本業に厭いた方々が「文豪の妻の言い分」に、着目することとなったのでしょうか。

さて、迂遠なところから始めますが、学生時代、私には江藤淳という評論家が、その保守的(なんと懐かしい。)な言動、いわゆる左翼・進歩派に対する無頓着で冷たい視線など、当時保守反動の権化であるように思った印象があります。
殊に「海は甦る」(1976年1部・2部刊行)など、近代、明治期の彼の親族、海軍高級軍人を起点として同時代に関わる明治期近代の日本国の勃興期を描いた小説など、当時、「あんたは、それだけ(偉い)自分の血脈が大事なのか」と反発すら覚えたところです。江藤淳の「漱石論」で引用された、漱石の学童期の「決して無用の人となることなかれ」(小学読本(漱石の小学期時代の教科書) からの引用と聞いている。今思えば味わい深い言葉です。)は、それより前に、仮に「国家」という限定詞が入らなくても、当時の学生の共感を呼ぶとはとても思えないところです。
当時において、文芸評論家としての「成熟と喪失」(1967年)など興味深いと思ったにせよ、当時大多数の学生たちには受けなかった、乗り越えるべき「批判的題材」としてとらえていたことをよく覚えています。
当時の自分の正直な感想とすれば、「歴史」といえば戦後にしか射程になく、せいぜい戦後に関わる戦争期(太平洋戦争)への関心程度しか、考えたこともなかったところです。
しかしながら、彼の労作「漱石とその時代」(1970年、1部・2部刊行)だけは、その内容に惹かれて、その後刊行の間隔が空き続巻に至っても、ずっとフォローワーを続けておりました。
当時の私にとっては、明治改元の前年に生まれた(1867年)、漱石が、文学の伝統もなかった、いや国家・社会の基盤すらまだなかった明治近代において、先験的・理不尽に与えられた西欧文明に抗し、日本の文学者として、いや日本人として、自分をいかに確立しようとしたのか、対外的には西欧列強と、国内においては、明治の世相と社会の中で、漱石の資質に拠り、人性と、文学者として彼が不可避的に戦わざるを得なかったものとの戦い、同時に彼を巡る同時代の人々の苦闘と併せ、考慮すべき価値とそれに対する興味は十分にあったところです。
江藤淳のこの本には、いやおうなく、大転換期に居合わせた近代人(歴史に名を残す方々ばかりですが)の苦闘や奮闘またその挫折と敗北が活写されていたことでもあります。著者として、資料を集めるだけで大変だったとも思いますが、ところどころ、彼も父祖をも対象となる、この作業が楽しかったのではないか、と伺われるところもあります。
今の年齢になって、初めて、私にとってのごく個人的な日本国の「歴史」とは、「父祖の生きた明治以降」と拡大してしまいましたが(それ以外にはなんとなく親近感も責任をも持てないので)、先に、評判となった、NHKの歴史ドラマ「坂の上の雲」の連作(2009年から2011年にわたり3部作で放映)に真剣に見入ってしまったことをよく覚えています。
いつの間にか、好きか嫌いかで言うと、自己の信念に対する妥協を拒み、敵を作ることを恐れず、結構喧嘩っぱやかった彼の評論活動と人性に対する取り組みを含め、保守的な評論家としての江藤淳もそれほど嫌いな人ではなくなりました。一度、図書館貸出しのカセットテープで、彼の声を聴きましたが、まだ若い時代であったのかもしれませんが、若々しく明瞭な聞き取りやすい声で、同様にカセットで聴いた江戸弁でしゃべったといわれる小林秀雄の、実際は、せかせかと聞き取りにくい声と比べて、はるかに「良い」声でした。
その後の、私自身の「転向」(押しなべて左翼への決定的な幻滅)を経て、歴史認識をも改めた私にとって、文芸評論家江藤淳(1932年生まれ、1999年自死)が、何故、勝海舟を含め、幕末から明治にあれだけ執着したのか、よくわかるような気持ちとなりました。
勝者側に廻った勝海舟が、不平幕臣を抑えつつ敗者側に廻った西郷隆盛の慰霊と追悼に自作の歌碑の追悼碑を建立したというエピソードから始まる、「南洲残影」では、国家存亡の時期に西欧化を強いられ、江戸期を切り捨てざるを得なかった人々の近代の悲しみや当時の日本人の大多数が抱いた敗者への哀惜や同情など、見事にすくいあげられていました。この本は、江藤淳にとっても、彼の父祖を含めた明治期(一般大衆を含みます。)への哀悼や追想など過剰な感情移入というべきものがあり、そののち六十有余歳で自死した、江藤淳への鎮魂歌のようにも思えるところです。

「記憶 3月11日HAND DOWN東北」という文集を介してのお礼 その3 (私的な礼状)

2016-05-23 20:46:41 | 読書
S Yさん、S Aさん、
このたびは、本当にありがとうございました。
 今回お逢いして、あなたたちは、明るく、勁い(つよい)人たちだなー、との率直な感想でした。
それは、お二人とも3.11以来、震災後の厳しい試練を経てきた結果だろう、と思いいたりました。
それは、太宰治ではないですが、「噴火した火山の後の静けさ」、といったものかもしれません
(法学部文芸学科の出身なもので)。また、失礼ながら、どうしても父親の視点になってしまいますが、あなたたちの立居振舞は礼儀正しく、粗飯にも素直に喜んでいただき、ほほえましく大変うれしい思いでした。

 このたび、あなたたちとの話の中で、ナショナリズムの話になりましたが、以前、私が「BSフジ動画」を見たときの話ですが、時事問題の対談番組で、覇権国家中国が、尖閣列島を手始めに国境を侵犯し(現実的にいつでもある話ですよ。)戦時体制になったらとの話で、出演していた大学生(一回生)(あとで「YM」さんというK大学の学生さんでもあることを知りました。)の女の人だったと思いますが、「私は、前線には出られないので、後方から支援する」と言ったのに対し、某名門官立大学出身の若手社会学者が「ぼくは逃げる」、「成熟した近代国家では、そのような自由が許される筈だ」と発言し、視聴者の失笑(嘲笑) を買ったそうです。
彼は、「知識人」(そのような場所に出れば当然です。)として、現在国家間の戦争が現にありうること、もし、国家間の紛争があれば、まず、弱者、老人・婦女子が犠牲を払う(シモーヌ・ヴェイユが言っています。)ことなど、考えたこともないのでしょう。全く、知的に退廃しているというべきです。

 お話したように、まず、「健全な」ナショナリズムの立場で考察すれば、中野剛志ではないですが、身勝手な「東京」のために、野菜や肉や様々な食料品、労働力を供給し、使用電力の3分の1といわれた電力を供給していた(もちろん福島です。)東北地域が、未曾有の災害に襲われれば、政府の義務を抜きにしても、首都圏行政委員会、住民は、当然、心から支援し、復旧に全力をささげるべきだった、ということなのです。これは、国内の他の地方・地区にも波及していく、政府は別にして、日本全体の問題なのです。心ある日本人は、「脱・原発」とかいう、極端な利己主義、愚劣な論理破たん・責任逃れに加担したり、国民国家全体に飛び火する重大なエネルギー問題を矮小化すべきではないのです。私の敬愛する知識人たちは、東北大震災の際に、村上龍を含め、「(外国や西日本などに)逃げなくて良かった」(逃げないことで同国民としての責任と尊厳が保たれた)といっていました。

その官立大学出の若手社会学者(例のF.Nです。最近はバラエティ番組にも出てるんですね。)
が、はるかに若い世代に、完膚なきまで敗北しているということに意識的でないならば、彼の学者としての命運は尽きている、というしかないような気がします。社会学者としては、個人としては、現在の日本の政治的な状況、国際的な状況と現状分析、その中で自分がどう働けばいいのか、〈世界〉に対し説明できるまじめな視野と考察が出来ていなければ、人間として恥ずかしいことです。
彼が仕事でかかずらっており、あなたが在学する大学創立者の、「一身独立し、一国独立す」という福澤諭吉先生の遺訓にも背いてもいます。

このたび、お二人にお会いして、私は18歳の時に、20歳の時に何をしていたかと、恥ずかしいような思いでした。
あなたたちが、中学生に話された、① 何気ない日常生活の幸せを意識して欲しい、② 感謝の言葉を亡くなった家族に伝えられない悔い、③ そのまま変わらず続くと思っている日常に何が起こっていくかは全くわからない、私たちの体験をきっかけに(家族で)よく話し合ってみて欲しい、という話は、体験談としてよく理解できる、感動的な話でした。

自然災害のみならず、現代の、アメリカ発グローバリズムは、世界中に紛争ばかり引き起こしています。その中で、前述した彼女のように、視野を高く持ち、まず自国の平和を希求し、自国・世界を見据える、大人の視点を持つことは本当に尊いことです。あなたたちのひととなりにも、同様なものを感じました。しっかりとした意見と態度を持つ若い人に会うのは楽しくうれしいものです。
今後、日本全体が、国民国家日本の国民が、どのような困難に遭遇しようが、直接立ち向かうのは、あなたたちの世代になって行きます。政府に過ちを犯させないように、無責任なつまらない知識人や浅薄な意見に振り回されないように、お互いに勉強していく必要があります。

ところで、PHP出版という会社がありますよね、その意味をご存知ですか?
昔、生意気盛りだった高校生の頃、私は、資本家が何言ってやがる、と思っていました。
しかしながら今この言葉を思い返せば、このPHPとは、「Peace and Happiness through Prosperity 繁栄を通じ、平和と幸福を」、という松下幸之助さんの言葉に由来します。利益追求が全てでないという理念の実現のために、彼は出版社を設立したのです。
現在の、「持つもの」と「持たざるもの」の果てしない断絶という今の世界状況をみれば、これは、正しい理念ですよね。明治の人は偉いと思います。また、PHP新書には個人的に、いろいろお世話になっています。

「教育の目的は、(知育とか徳育とかではなく)、自立心を培うことと、視野を広め他者世界に対する想像力を養うことであり、一方が他方を互いに支えあうことある」、と私の好きな批評家(小浜逸郎)が、福澤諭吉論(「日本の七大思想家」)の中で言っていました。(私も、自己教育についてそうありたい、ものです)。視野を高く持ち、自分や〈他者世界〉に前向きの人間には、他者を誹謗したり、中傷したりする暇はないのです(議論は別でよ。)。

ナショナリズムは「感情」から始まる、とも言います。あなたたちの体験に涙し、共感する経験は、西日本の私たちにとっても決して軽いものではありません。
また、あなたたちが言っていた、近くの川で遡上する鮭を、それぞれが捕まえ、みんなで調理して食べる、という体験は、私たちにとって夢のような話です。豊かな自然に囲まれたそれぞれ地区地区での住民のエートスというか、改めて、「日本」に対する愛着がわきます(私、「新日本風土記」ファンです。)。
今回は短い時間でしたが、私はあなたたちと色々な、意見の投げかけ、対話をしました。
今後も対話が成り立つように希望しています。
今までで、承服できない点、疑問点、いつでも返してください。
「右であれ、左であれ、わが祖国」、といいますが「東であれ、西であれ、わがふるさと日本」なのですから。           
                      天 道 公 平 

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斜体部分は、後日付け加えました。