過日より、疾病(手根幹の障害)等を理由に、うちの妻が家事放棄をして以来、必要に迫られ、料理デビューを果たしました。
最初、どのようになるのか見るも無残な料理になるのか、危惧しておりましたが、経済的な負担、自己の生活史と外食体験を総合して考えて、私は常時外食が無理であると痛感し、このような状況に立ち至りました。
まず、目標としたのは、連続して食べられ(飽きにくい)、日を経ても劣化しない(保存が利く)ものでした。
食事の持続性がある、ということは、温めなおしが可能で、食べても飽きにくい、調理が簡単というところです。しかしながら、義務のように繰り返されるだけの料理が、われわれが日常的に耐え切れるかどうかは、言うまでもないでしょう。いくら反復に強いといわれる男の食事習慣でも、料理およびその後の食事には、華も、変化も、いくばくかの喜びも必要なのです。また、貧しく、あまり質のよくない食材にしても、わが人性と一緒で工夫や努力の対処は必要なものなのでしょう。
「芋を食わしてください」、とよく遠縁の親戚宅を訪問し、「いも金」(漱石の本名は金之助)がまた来た、と裏で揶揄(やゆ)されていたという、若く貧しい書生時代の漱石の明るい逸話(「漱石とその時代」、江藤淳)を読みましたが、時には他者に甘え、助けてもらう許容の気持ちを持つことや、家族、他者と大勢で食事することは、おそらく、楽しく、重要なことなのでしょう。また、幸薄いながらも、不幸にめげない、若く明るい漱石の姿がほうふつしはしませんか。
かつてはそれ(家族などでの共食)が桎梏(しっこく:手かせあしかせ、自由を束縛するもの)であった境遇のひともあったかも知れませんが、現在の、老人所帯や独居所帯などの、社会と隔絶したかのような、日常的な、個食の光景を見れば心が痛みます。
まず最初に、カレーを作りましたが、うちのこども達(一男一女)は、自己料理といえ
ば、学校教育の恩恵なのか、観察していると、必ずカレーを作りますが、その累積すらな
かった私は、今回生まれて初めてカレーを作りました。ごく普通にH社のカレーのルー(中
辛)を使っただけですが、水分調整を誤り、スープカレーにしてしまいました(ああ)。
従前から、カレーに入ったジャガイモは傷みやすい、と聞いており、このカレーをほぼ、たまねぎとにんじんをベースに作り上げましたが、具沢山の家庭的カレーは実現し、一週間をかけて食べきりました(妻は自負があるのか、私の料理に基本的に手を出しません。)。
たまねぎを多用し、最初に教わったとおり、時間をかけていためましたので、総体としての味は決して悪くはなかったと思います。カレーライスだけで済ませず、カレーパスタ、カレー添えバケット、カレーうどんとか多用したわけです。しかしながら、成長期のこどものように「カレー大好き」とは思えず、その後好んでカレーは作っていません。素材の味が強すぎるんですかね。
続いて、和風煮物を試みました。
私、基本的に、生野菜を好みませんが、葉物類、根菜類を利用するとしても、技術が必要なごぼう、れんこんなどは、経験がない私には当面使えないところです。
最初に小芋の煮つけを作りましたが、カレーと同様に、水量管理が大切であることに気づき、だし昆布、板こんにゃく、にんじん、鳥肉ミンチを使い、どうやら仕上げたところです。私、西日本人であり、基本的に煮干で、だしをとるべきですが、私はY県地場産業企業、○マヤだしのもとを使います。蛮勇のうちの娘は、あらゆる料理に○マヤそうめんつゆを、じゃぶじゃぶ使います。一つの見解ですね。
「火のとおりが不均一なるので、野菜は同じ大きさで切ってね」とか、ピーマンのきり方とか、いやいや教わったことや、そばで妻の調理をみていたことは、大きな経験値になりました。人間はいろいろな境遇で、形で学ぶことが多いものですね。
その後、葉物煮つけ、高菜、なすびなどになれ、魚の煮つけや、と拡大していきましたが、当該知識と経験の繰り返しによる料理経験値の取得はなかなか、興味深いものでした。
いずれにせよ、今日を生き延びていくのが、私の主眼といえば主眼ですが。
引き続き、なべ料理です。
野菜がちゃんと摂取でき、安価で効率のよいのはなべ料理で、ぶたにく水炊きは、うどんすき、ぞうすいに変換可能で大変重宝しました。
買い物に行って、あらためて牛肉の高価さに驚き、ぶたにく、鶏肉の値段に安堵することも多いことでした。しかしながら、牛肉といえば、肉じゃがを作って思いましたが、輸入肉ではあのような料理(素材のよしあしが出てしまう。)になじまない、くさくてまずい、ことも認識しました。
と、とてもグルメにならないことを書きつらねましたが、昔ほど、料理が苦にならなくなったことは以て慶すべきでしょう。
落ち込んだとき、追い詰められたような気持ちや、つらいときは、必要な雑事をこなすことは気分転換なり、救いになります。最近は、ハンバーグとかてんぷらとか、どうしても食べたいとは思わなくなり、そういうものは、揚げ物などと同様で、外食するか、惣菜で買えばよいわけです。
億劫になった、高齢者や、独り者向けの小パックの惣菜は、割高ですがいくつも用意されています。
羊頭狗肉というか、貧しい食生活で、お恥ずかしい限りですが、今後応用編を増やしていくこととして、標記グルメの主題に戻り、以下の現在、冬時期で、私にとって、持続性のある料理を、推奨します。
ポトフ(というそうです。)(洋風おでん)
(用意するもの ブロックベーコン(1パック)、鶏もも肉(1パック)、たまねぎ大三個、西洋にんじん5本、かぶら小4個、大根1/2本、エリンギ(1パック)、ジャガイモ(小3個(数は好みです。)、ピーマン又はセロリ、固形コンソメ4個、ローリエ葉数枚、シャウエッセン(2パック)、追加して、白菜、キャベツ、牛豚あいびきひき肉(200g程度、お好み)、生しいたけなど )
まず、大手のなべにオリーブオイルかサラダオイルを敷きます。
続いて、にんにくのおろしたものか、つぶしたものを置き、落ち行かせます。
続いて、まな板の上で、たまねぎを四分割にしたもの、ブロックベーコンを5mm間隔くらいで横に立て切り(脂肪に垂直にきる。)したものを用意します。
皮をむいた、鶏もも肉を、ぶつ切りにしておきます(大きさは好み)。
にんじん(西洋にんじんでいいと思います。皮はむいたほうがよいでしょう。)をぶつ切りにしたもの、あるいは乱切りにしたもの(大き目がよいでしょう。)を準備します。
ジャガイモをむき、適当に分割します(煮崩れると面白くないので、大き目がよいでしょう。)。
かぶらや大根(皮をむいたものがよいのでしょう。)を、小かぶらは四つ切、大根はぶつ切りを2分割または4分割、大かぶらは適宜、小さく切って用意します。早く煮えるので、あまり、小口にしないほうがよいでしょう。
きのこは、エリンギを使います。2分割にして、たて切りです。
ピーマンか、セロリなどを(好みです。)小口切りにします。
なべに点火し、たまねぎをある程度いためます(カレー、シチューの手順と一緒です。)。
にんじんと、ベーコンをいれさらにいためます。そのうち、鶏肉もいれさらにいためます。軽く塩コショウと、私は、安い白ワインを適宜添加します。
たまねぎ等のうまみが出たと思えれば、ジャガイモを除き、後の野菜をみんな入れてしまいます。水を、ひたひたになるくらいに加え、ふたをして煮込みます。ローリエの葉も加えます。
様子を見て、ジャガイモを加え、固形コンソメを4個程度加えます。あくをとるなど、高度なことはしません。水も適度に加えます。
ほぼ、煮あがったと思えれば、ソーセージ(シャウエッセン)を入れ、煮込みます。
最後に黒こしょうを加え、仕上げます。別煮にした、ブロッコリーなどを仕上げに加えてもよいでしょう。これだけ作れば、匂いにうんざりするので、その日は食べません。
翌日、温めなおし、2、3日でひたすら食べます。おでんのように、ご飯のおかずですね。
そして、食べきったころ、新たなものを添加します。
白菜の葉、キャベツの葉を、硬い部分はそぎ切りにして薄くし、なべでうでます。
合い挽きのパックで、塩コショウをかけ、ポリエチレンの袋を手にはめ捏ね小口に成型します(本当はハンバーグのようにいため玉ねぎやにんじんを加え調理したほう方がのぞましいでしょうが)。それを、キャベツまたは白菜で巻き、爪楊枝かなんかを打ちます。其れから、そのなべに投入し、煮ます。私は、愛好する魚肉ソーセージをまいて投入したこともあります。炊き上がった際はおいしいものです。
私は、削ぎ切りにしたしいたけを加えることもあります。余った野菜が何でも使えるので、本当に重宝します。殊に、生のキャベツとか好まない私にとっては、ありがたい調理手法です。
次の段階で、野菜スープとして、バゲットを添え、一回分食べます。オーブンで、チーズを載せあぶってもいいでしょう。
最後は、少しどろどろ(たまねぎが溶ける。)になったスープを種に、パスタをうで、フライパンで、唐辛子とか少し薬味が利いたほうがよいですが、スープで絡め、パスタの出来上がりです。
油断すると多めに作ってしまい、多食したり、ほぼ一週間食べ続けることとなり、大変です。
私の友人で、退職後引きこもった男が、だしをとるのに、すね肉から時間をかけてうでる、といっていましたので、時間があり、味を追求(それが「グルメ」か。)し、手間を惜しまない人はそれでいいでしょう。
持続性があるか、が大きなポイントになると思いますが、カレーを作る程度の教養(?)があれば、容易に作れる料理です。
どうも、「グルメ」ではないかのような話になってしまいました。
かつて読んだ、上野千鶴子の、「おひとりさまの老後」という著書で、実父(開業医だったらしい。)が、妻(母)と死別し、引きこもり状態となり、毎回卵をパックで買ってきて、それを「うでたまご」にして食して生きていた、という、その冷静(冷徹)な文章を読み、あらためて、「学ぶことは多いな」と思ったところです。