天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

ユニセフはカルトなのか?(罵倒シリーズその9)

2018-12-07 19:11:34 | 罵倒シリーズ
 先に、「国境なき医師団」に対し、社費を流用した、理不尽な拠出に無思考、無原則に加担した、私企業ジェイシービーの拙速について、言及(拙ブログ、「拝啓ジェイシービーEC・ソリューション開発部様(あなた方の「不道徳性」について)」)しました。

 このたび、欧米発、第二次世界大戦の勝ち組の国家連合(以下「国連」と称する。)傘下のユニセフによる、目に余る、弱者(時に頭の弱い弱者です。)の煽動・そそのかし行為を、民放衛生放送で見ましたので、再度、告発します。

 そのコマーシャルにおいて、まず最初に、戦後学校給食に供された、脱脂粉乳を飲んで育ったという、上品で、お人よしそうなおばあさんが登場します。それはどうも、退職後間もないあるいは間際の団塊世代前後を、その射程においているのでしょう。
 彼女の問わず語りで、敗戦後(大東亜戦争によるもの、以下「戦後」と略称します。)、われわれの父祖とその家族が飢えていた時代、学校給食に、米欧の余剰生産物が、ユニセフを通じ、国民生活に救いをもたらしたかが力説されます。「おいしくはなかったけれども」と、巧みに視聴者の反発を避けるガス抜きがされます。
 そして、最期に、「私は、食うだけの問題は片がついた、(このうえは)残りの財産は世界の貧困地域の貧民に寄進します。」、と決意表明がされます。まさしく、巧妙なソフト・スターリニズムのやり口ですね。どうもオームの勧誘に近い。

 かつての戦後の左翼運動は、戦争中の「滅私奉公」に閉口したのか、国家に対し、「私的利害」を主張することが、戦略的に(反権力の戦いとして)正しい、と主張しました。
 そして、現在になっても、時代遅れになったバカサヨクが、ダムの建設や、原発の建設など国家規模の事業におしなべて真っ向から反対して、その事業の多くが、自身を含めた社会の経済発展や安心安全の確保など国民大多数の利害に適うのに、悪乗りして、ひたすら腐った私権利(決して「権理」ではない。)を主張するのは、さすがにあさましい姿です(死ねばいいのに)。

 まず、同様に、私の児童生活体験から入りますが、「ポスト団塊世代」私たちとしても、「あのまずい粉ミルク」か、と記憶がよみがえります。当時、確か、アメリカでは家畜のえさと、揶揄されていたように思っています。
 貧しかった当時でも、少なくとも、冷えた粉ミルクを飲み干すのは決意が要った。
 それは、「お残しは許しまへんで」という、当時の戦中派の教師たちのしつけです。当然、しつけは必要でありますが、いくら当時のいなかの生活水準に類比しても、まずいものはまずいのです。
高度成長期であり、まだ、都会からの転勤族もあったころであり、憧れの転校生から、給食時に、「これまずい、君飲めよ」と真顔で、勧められたことがあり、すでに都会では、牛乳が一般的であったやも知れません。彼の父母ともに大学卒業者であり、いなかでは、めずらしい類でありましたが。
 当時、給食自体もまずく、粗雑で大雑把な調理であり、明らかにあの自校方式の調理であったが、偏食(肉も野菜も食べられなかった)で、給食を心底憎んでいた私とすれば、今になって喧伝される自校方式の給食に、特に、何の思い入れもありません。
 基本的にあれは、収容所の食い物なのですね。
 学校教育において、それを連想・想起しない、調理の工夫や、配膳の仕方に応分の配慮と努力を払うことは当然のことと思われます。給食に依存する極貧(?)・ 育児怠業家庭の児童についても、食事にかかわる、食事の秩序と喜び、他者からのあるいは他者への配慮を感じさせることは、教育上重要と思われます。ただでさえ忙しい、先生の仕事がまた増えて、大変お気の毒ですが。
 いずれにせよ、児童・生徒に、満足に給食が与えられないは、一義的に当該国民国家の政治権力及び政府の責任です。
 それを抜きに、他国や、他国の国民に、前提なしに、善意や、出えんを求めるのは、国家あるいは当該国民にとって、はずかしいことです。少なくとも、日本人の一部にはそのように考える人はいる。

 われわれが、かつて伝記を読まされた聖者シュバイツアー博士(毀誉褒貶はいくらもあるだろう。私も「風に立つライオン」を連想してそのつまらない理念に嫌な気持ちになる。)の時代と同様に、現在ですら近代すら経由していない国家であれば、当面生き延びるために、過去、帝国主義・植民地主義の時代において飢狼のようにふるまった他国の国民にすがりつくのはやむを得ないことだろうが、そんなことはありえないだろう。あれば、それを政治の退廃というものです。それを許していることは、国民国家総員の責任です。
 少なくとも、明治維新を勝ち取った国民国家日本の私たちとすれば、そこは、大敗北から立ち上がった、当時の先人たちに深く感謝するとともに、現在・今後、私たち国民大衆、そして彼らがどうすればいいのか、問われれば答え、自国を含めて、当該正しく自立をするにはどうしたらいいのか、それぞれ考え、それを胸に刻んでおく必要があると思われます。

 また、同様に大東亜戦争に敗北した日本国が、当該国連に疎外され、その後も一方的に悪者にされるたことは、大多数国民にうすうす察知されているところです。したがって、戦後、少なくとも、バカ左翼も、国連及び傘下団体に一方的な賛美をすることを控えてきた。

 その後、現在のわが「平和」国家に対し、経済・軍事実力を貯え、大国になった中共とその軍門に降った南鮮、独裁国家北鮮のあらゆる攻撃を受けている状況を、わが国民国家日本では、よほどのバカでない限り、大多数の国民が同様に、それなり認識しているところです。
 この際、現在のアフリカ、アジアの諸国を、軍事・経済的に、文字通り、搾取・収奪している、中共が、当面、彼ら及び私たちの敵であることを、認識すべきでしょう。

 いずれにせよ、私には、日本国で言えば大東亜戦争の、勝者の連合体である国連の、その傘下の、ユニセフが、過去において、敗者、貧者であったわたしたち日本人に、「恵んでやった恩を返せ」、と言っているように思えて仕方がないのです。
「そんなことはない、(神の前の立場で)私たちは個々の人間の善意や良心に期待しているだけである」と、抗弁するかも知れないが、いかんせん、このコマーシャルは性質(たち)が悪い。戦後を、必死に善意・無過失で生き延び(少し頭は弱いが)、そのうえお人よしのおばあさんに、「遺産を皆差し出せ」、というのはひどいのではないか。
 同じく、民放BSで、高齢者を相手に流されている、「少しは(子・孫に対して)現金を残したいから」という、老人に勧奨する生命保険のコマーシャルを見、苦しい中で老いの年金を割いて、実際のところ、相互の訪問すらするかしないと思われるような親族を無償で思いやる、老人たちの苦衷と、せつない思いやり(執着といえば悲しいが)を観てしまうが、世の中には、仏法におけるような喜捨があると言っても、常識や、社会通念というものがあるでしょう、と、思えるところです。
 それを言えば、信者やシンパに、際限のない経済的負担と、命までささげさせた、オームはもちろんのこと、法華経系の新興宗教で、フランス国ではカルト教団に指定されているという巨大教団、S・G(このたびも、世紀の愚策、消費税の引き上げを画している。)も、寄付・さい銭はいくらも受けるだろうが、世をはばかってか、さすがに、全財産を寄付しろ、とは言わない。「生かさず殺さず」、騙す側にも中・長期的戦略があるのである。
 その意味で、当該ユニセフの戦略は、その欧米出自の伝統に基づき、どこの国民からでも、奪えるときは根こそぎ奪うという、グローバリズムの戦略によく似ている。大衆の「善意」や「良心」を媒介に、甘言を以て奪い取るという、スターリニズムや、カルト宗教、ユネスコと結託して、世界記憶遺産「南京大虐殺」などをでっちあげた中共のいつものやり方である。

 いずれにせよ、無考えのお人よしについては、「バカと金は容易に離れる」という、西欧のことわざと同様な結果となる。
容易に騙される人は、世の中にいくらもいるので、いまさら言挙げる必要はないのであるが、組織的に、正義の仮装を以て、全国民を対象に実施される、このキャンペーンは如何と思うわけである。少なくとも、公序良俗に反する放送ではないのか。
そういえば、当該おばちゃんは、かつて国連の高等弁務官であった、緒方貞子さんによく似ている。これも日本人に対する巧妙なイメージ戦略であろうか、なかなかの戦略と悪智恵である。さぞかし、膨大な予算と、人材を投入しているのであろう。
 グローバリズムの時代とは、つくづく嫌な時代である。

 緒方さんによく似たあなた、貧しい少女時代を過ごし、その後も困難な社会状況の中で奮闘(どの日本人でも同様でしょう)され、運よく、現在の「当面食うに困らない」状況になられたあなた、自己の身銭を割いて、正しい理念に寄付されるのは尊いことです。
 そして、あなたが、国内の悲惨な災害事業や赤十字などに応分の寄附をされるのは良いことです。

 しかしながら、現在、国民国家日本国の屋台骨は軋んでいます。
 長引くデフレと景気対策を怠る財務省=政府の意向で、若者たちは将来に向けた安定した生活を築けず、グローバリズムの嵐によって、前述した、覇権国家中共、それに臣従した南鮮、連衡する独裁国家北鮮の攻撃のもとに、国土防衛、国土の安心・安全は風前の灯です。

 そして、考えてみてください。
 将来の国民に大災厄をもたらす、グローバリズムを根拠なく信仰する、バカで無考えの与党・野党、一部権益者が一体になった世紀の愚策、①外国人労働者の無原則な受け入れ(国内経済の疲弊と安心・安全の確保)、②水道事業の民営化(山口県人として、先の周防大島町の外国船籍貨物船の不注意衝突事故で離島橋りょうが破壊され、添架水道管が断裂し、離島住民のライフラインが途絶し、数ヶ月にわたり、島民は塗炭の苦しみを舐めた事故を踏まえながら、このたび、国会を平然と通過したが、ライフラインを私企業、外国企業に売り渡す日本の政治家は心底の人でなしであると深く思った。)、③消費税増税(財務省、政府与党の一部とS・G教団政治部と結託した勢力が推進し、デフレを加速し、日本の経済改善に決定的な悪影響を与え、中小企業を倒産に追い込む愚挙を図っている)、他にも、農協の解体など、明らかに大多数国民大衆に不利になる、愚かで卑劣な政策に対して、この際、私たちは、意識的に、毅然と、反対の立場を顕わしましょうよ。
 実際「慈善」活動ができるのは、国民の余力があるときだけです。

あなたは、上記の数限りない悪政策のもとで、将来、うめき声も上げられず、何より、大多数の日本人にとって、将来に希望の持てない日本国になることを望みますか。
 少なくとも、私たちの責任で、政治により「変えうるものを変える」こととし、私たちの、子や孫のために、政府を指弾し、粘り強くたたかいましょうよ。
 百田尚樹が言うように、それは、私たち世代の責任じゃあないですか?

 あなたに、2016年出版されましたが、いまだにその射程も、予言も狂っていない、「デタラメが世界を動かしている」(小浜逸郎著、PHP研究所、1700円)を、おすすめします。厳しく、真摯な、情況への発言です。

くるくる(回転)寿司(「くら寿司」)罵倒(非常に不快である。)

2018-10-20 20:15:07 | 罵倒シリーズ

わが町、地産地消の「のんた鮨」(甲評価)のメニューです。後方、左手より、アジしょうがの巻物、右手さんまあぶり握り、前方、わが愛食する、生イカ梅巻きです。本日は、巻物を中心に、構成してみました。
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 山口県に存するわが町は、地方都市ですが、商工業都市という位置づけになっており、したがって、周辺からの買い物客が多く、そして、路線に沿って、外食レストランが林立しています。それはそれで、店舗の早い回転でレストランの有為転変もあるのですが、同じ場所で長期間延命していくのは大変なようです。
 私は「美食をしたい」とはあまり思わないのですが、皆と同様で「高くてまずいもの」は願い下げです。それなら、年金受給者とすれば、「自分でつくる」、という手段を選びます。

 うちの妻は、自分で職を持っており、現在も現役ですが、外食する際は、長年の夫婦としての寄与分として、必ず、私に負担を求めてきます。要するに、あらゆる外食は、私の負担と出捐のもとであるということです。そして、「まずい店は嫌だ」と公言しており、妥協しても「安くてもうまい店ならまあいい」、ということとなります。
 世のオヤジと同様に、私は、生涯を通じ、飲み食いに命を懸けてこなかったので、当該経験値とその累積が欠如しており、「うまい、まずい」は分かるつもりでいたのですが、感覚の鈍磨というか、最近、それもあやしくなってきました。

 ついでに脱線しますが、妻との外食の食事中に、「何か楽しい話をしろ」、とか、「話題を探して楽しませるのがあんた(わが地方での男女相互の尊称)の役割り」とか、強弁し、こちらは「いまさら何を話すというのだ」、「接待を受けるのであれば、一度くらいありがとうくらい言ってみろ」、「赤の他人(バカ左翼ではない。)でも、メシを食わしてやればお礼ぐらい言うぞ」、と内心で思うのですが、怖いので言えません。
 しかし、ひとたび反論すれば、ルーティン・スイッチが入り、結婚以来、私が何をしたと、あることないこと言い出す(最近それは巧妙なパフォーマンスではないのかとひそかに疑っている。)ので、それは、上、中、下の、下策です。
 それは、人間というものは、そのネガティブなエネルギーを、愚かしいことであろうと何であろうとある対象に全力で注ぐことに努力と精力を支払い、またそれに長けていることを思い知ります。
 増しては、脱原発とかにかかわる、労組OBとか、パヨクのオヤジ、ババアを見ていればよく分かりますね。いい年をして「バカの一つ覚え」というものはあるわけです。しかし、それならば、たとえ多少の孤立や、孤独を支払ってもこちとらも黙っておれませんが。

 閑話休題、時に接待(?)で、すし屋に行こうとしても、うちの妻は、その店舗を明確に選びます。長期デフレのもとで、いまさら、カウンター(つけ台)というのかに座らせていただくことはなくなり、寿司といえばひたすら回転寿司にいくこととなりました。
 路線沿いのすし屋を、列挙すれば、「はま寿司」、「かっぱ寿司」、「スシロー」、「のん太鮨」といくらもあります。ほとんどは、全国チエーンのすし屋かも知れませんが、最期の「のん太鮨」は、地場のすし屋であり、県内産の魚介類を中心に扱うことを売りにしています。
 オリコンの全国回転寿司ランキングをみていると、7位にスシロー、9位にはま寿司、10位にかっぱ寿司が登場します。
 今のくるくる寿司は、昔日を思えば、うそのような進化を遂げており、多彩な客層に対応するように、寿司のみならず、ラーメンやうどんまであります。ショートケーキや、パフェ類もあり、コーヒーももちろんのこと、うどん屋や、喫茶店をも網羅しているような常態です。
 うちでは、そのときの同伴者や、施設によって、どこに行くかを区分けしています。
おそらく、他の客の方々も、同伴者によっては、行くべき寿司屋を選んでいるように思われます。「選択の自由」は、たとえ小さなものでも、とても大事なことです。
 車椅子で移動する妻の母については、バリアフリーがより徹底している、スシローへ、孫が同伴のときは、新幹線デリバリーと到着アナウンスが徹底している、かっぱ寿司へ、味とか、ネタというのか、少し高級感を望むのであれば、地場の「のん太鮨」へ行くこととしています。
 したがって、それぞれ、一長一短があり、オリコン調査などを考えれば、それぞれ、回答者が熟慮(?) し、回答するのでしょうが、このたび、私は、以下のように、「甲乙丙丁」(こう・おつ・へい・てい)で、論功行賞します。
 甲「スシロー」、マグロネタがおいしい(西日本ではなかなかおいしいマグロがありません。)、地場産(萩市産のウニとか)のメニューを使っている、他のネタも比較的良い、しかし、とても混む。地場産のネタを使った、「のんた鮓」もこれに入れる。
 乙「かっぱ寿司」、店内のベルトを新幹線が走行していて、注文しやすく幼児を連れても入りやすい、メニューの種類が多く、単価が安い、待ち合い場所も広い、しかし、ネタがあまり良くない。
 さがって、丁、「はま寿司」、愛想が悪い。入店して、「いらっしゃいませ」といわれないのは、初めての体験だった。

 先ごろ、山口市に寄った際、わが町に店舗がない、「くら寿司」に寄ってみることとしました。後でオリコンを見てみると、中・四国の「くら寿司」はトップです。
 私は個食ですので、カウンターを指定しますが、まず、皿のカバーの開け方から指導を受けます。ベルトを流れる皿を見ていると、おしなべてカバーがかかっており、中のネタが全く見えないが、まあ、品質劣化を防ぐために、そんなものでしょう。
 椅子は、よくない、はっきり言って粗末です。
 粉の煎茶、普通の寿司屋と似たようなものでしょう。
 しょうゆを差す皿を探すと、「廃止しました。」、との回答です。「じゃ、ネタの上から注ぐのか」、と聞くと、「そのとおりです。」との回答です。
これは、醤油かけご飯か、懐かしい、と、貧しかった昭和30年代に郷愁を感じます。
同時に、あっけにとられて、早急に退散しようと決意するこちらです。
 そのとき、目の前のカウンターの下に、奇妙な四角く長細い矩形の穴があるのを発見しました。これは、何なんだろうかと、のぞいてみました。
 よく読めば、食べ終わった皿を投入してください、と書いてあります。
 「おむすびころりん」ではないですが、ためしに一皿目を投入すると。「がちゃん」とステンの板にあたり、ベルトコンベアが自動的に動き出すのですね。
非常に不快です。たとえ、同時に、「おむすびころりん」の童(わらべ)うたが流れたとしても(ユーモアというものです。)です。
したがって、評価は「戊」(ぼ;昔日の評価基準、甲乙丙丁の評価外です。)です。

 私のように個(孤)食が多い人間でも、外食においては、おいしい、楽しい、変わったものも食べてみたい、など、何がしかの共同幻想を、食事をするたびに、良いイメージをいだきたいのです。それは、昼食にラーメンを選ぶのか、カレーを選ぶのか、そのようなつましく、まずしい選択においてもご同様です。
 「えさ」のように供給される、食事に、味は別にしても、その空虚さや、無意味さに、「えさをあてがわれる」人は耐え切れないわけです。
 これは、ロシアラーゲリ(旧ソビエトの強制収用所)で、ノルマ達成のための最低限のえさを与えられたのと同様なのか、などと思われ、振り返れば、学生時代の日共(もちろん日本共産党です。)傘下の「生協食堂」を連想し、落胆するより、怒りを覚えてしまう。
私は、常時、30数年にわたり、職場配達のまかない弁当(通称「赤弁」)を食べ続けたが、その実態は、肉体労働者向けで、カロリーが高いこともあったが、貧乏な私はついぞ飽きなかった。
少なくとも、日々の工夫と、利用者の意見の反映と、利用者にメニューをあらかじめ出すなどの思いやりが感じられたからである。配達のおばちゃんの、笑顔も良かった。

 「くら寿司」よ、しょうゆ皿を廃し、皿を片付ける経費を除いて、単価を抑え、商品の質を保持するというかも知れないが、「恥を知れ」、お前らのやっていることは、強制収容所で、収容者の上前をはねたり、賄賂を要求したりしたロシアラーゲリの看守や管理者よりもっと汚いことを、民間企業として組織的に行っている。それは、おそらく、利己的な、営業上と管理上の、いわゆる合理的な見地からである。
 君たちに、「おもてなし」などと高度なことは言わないが、客の意向に配慮することなく、日本国の良い伝統であるところの、客人(まろうど)に対する「思いやりと察し」の文化に後足で砂をかけ、伝統やよき古い文化や見下し、ひいては文化、社会秩序を破壊する、グローバリズムに迎合し、浅はかにも、よりよかったはずの日本社会を解体しつつあるのである。
 ひとつ飛ばしの隣席に、学生のようなおにいちゃんが、独り、黙然と、ぼそぼそ、寿司を食っていたが、私も、カウンターをたたいて、憤然として立ち上がり、「あんたも怒れよ!」というべきかも知れなかった。しかし、私はそこまでできない。非常に残念だが。
 若いうちから、この腐ったサービスを受け続け、それが常態と思われたら、人は反抗することも怒ることもできない。怒りも、自尊心すら失って、ひたすら敗者として耐え続けるしかない。
 それこそ、「Born in the U.S.A 」(アメリカに生まれて)(ブルース・スプリングスティーン)ならぬ、日本国に生まれ、その生育環境において、よき伝統・文化に遭遇できず、地域社会や共生の喜びも、日本人としての他者への共感も、他者による承認も、それによる慰藉も安心感も感じられなくなってしまえば、どうであろう、例の「慰安婦報道」で、不健康なルサンチマンに基づき、日本国及び日本国民に対して、虚偽・敵対報道を繰り返す、売国奴、朝日新聞記者のようになってしまいはしないか。

 早々と退散しようとした際、ポイントがつくので、楽天カードはお持ちですか、とレジできかれ、どうもこの経営会社は、あの「楽天」と、強い業務提携をしているということがよく分かりました。
 そうであれば企業文化が似通っているとは言いませんが、客のあしらいから、サービスの切り捨て方、商品管理に至るまで、「楽天」の経営理念が反映しているのか、あるいは猿真似なのか、と邪推してしまいます。

 ところで、楽天社長の三木谷さん、あなたは、楽天グループの総帥として、まずは父君に続き、二代に渡る経済学究者として官立大学の経済学部で優秀な成績を収められ、その後ビジネスに置かれても遺憾なく当該優秀な手腕を発揮され、一代で楽天グループを立ち上げられた立志伝中の大実業家です。
 自身の阪神淡路大震災の罹災体験などを通じて、経営者の理念として被災地に多大な寄付をされ、プロ球団「楽天」の運営もされ、そしてまた、安倍首相のブレーンとして真価を発揮され、自由放任経済の擁護と、誰かの進歩を妨げる、「規制緩和」の撤廃に多大な貢献をされた方です。安倍首相に対しても、遺憾なくその影響力を駆使され、日本国にグローバリズムを定着するため、多大な貢献をされました。
 また、何よりも、自らの経済理論の実践のためなのか、富めるものとして、貧者(敗者)に対し、慈善家として、富者の「所得の再配分」の実現として大きな貢献をされているとも聞き及んでいます(一握りの勝者・特権者でも、舌も出さないような強欲なやつもいくらもいるでしょうから。)。

 このたび、財務省なのか、新自由主義の経済学者たちなのか、一部の経済人なのか、あるいは愚かな政治屋によってなのか、安倍政権は、何度も棚上げにしていた、消費税を引き上げる、世紀の愚策の決断をしました。これで、デフレ低迷期の日本経済はとどめをさされ、そして、われわれの子・孫どもたちに、安心・安全の未来はありません。

 私は、近々、完全年金受給者に移項しますが、貧者の一人として、いずれ、くるくる寿司さえ使う余裕がなくなるかもしれません。
 また、その引上げ転化ができない、そして、結果的に自らの仕事への自負心を失ったり、利用者に対する「人間的なサービス」の質を落とせない、心ある中小の外食屋たちは滅んでいくかも知れません。尊いことに、人の生業というものは、利潤率、合理性だけで営なまれるものではないからです。
 我慢の限界閾値を超えた結果、完全シャッター商店街や、郊外で朽ちていくような、レストランなどを見るたび、私の心が痛みます。

 ですから、この際、三木谷さん、あなたの統括する「楽天グループ」に組する「くら寿司」に対し、勝者(富める者)の義務として、ノーブレス・オブリージュの精神を発揮され、安易にくるくる寿司しか利用せざるを得ない敗者(貧民)に対し、あなたの持ち前のそのアグレッシブで、強いリーダーシップと、影響力を発揮・駆使して、当該「くら寿司」を、今後利用する顧客(貧者)に対し、まともなサービスを復活し、たまたま立ち寄った貧民(敗者)に対し、立ち直れないような屈辱感と敗北感を与えないように、適正な、ごく普通の「やさしい」サービスを心がけるように、助言していただけないでしょうか。

 末筆ながら、日本国グローバル推進企業の先頭を走られる三木谷様、「楽天」様、御社の「英語公用語」方針の中で、「アグレッシブ」などと、教養のない貧民が、心ない言葉を吐いたことをお詫びします。
「アグレッシブ」は、住む世界、立場を変えれば、ほめ言葉に転化するかも知れませんが(笑い)。

妻よ・子よ!驕ることなかれ(私、時に、おやじの味方です。)(罵倒シリーズ その7)

2017-11-15 19:50:25 | 罵倒シリーズ
私、新聞を読むと、腹が立ってきて胃が痛くなる(最近は頻度が少なくなって幸せです。)ので、新聞をとっておりません。
もし、とるなら、私の好みに近い産経新聞をと、思っていますがまだ果たしておりません。

 いなかで容易に入手できる新聞のうち、思想的に偏向している朝日・毎日・中国新聞、うそばかり書いている日経新聞を除き、消去法で、時に読売新聞を読むことがあります。
読売新聞は、保守系の新聞ですが、三面記事(世相の事件の報道やその批評(私週刊誌を一切読まないもので))の切り口が面白く、また、何より、「人生相談」が唯一載っている新聞であり、私を含め、世相の変化や大衆の大多数は何を考えているのか、と、私にとって、とても興味深いところがあります。回答者も、ごく常識的な人が選任・論評され、時によって味わいのある文章もあります(私の覚えでは周囲から「おたく」と呼ばれる男の子の相談に対し、精神科医の先生が「男はみんな「おたく」ですよ」、と自分を含めた弁護と力強い回答をしていました。)。
 このたび、宿泊していたホテルサービスで、読売新聞が読め、たまたま、標記の「人生相談」記事を見つけ、読むなり、久しぶりに、瞋恚の焔(しんいのほむら:激しいいかり憎しみ恨み)が、燃え立がるのを感じました。
 
 標記のこの相談は、定年退職後、二年の再雇用期間が経過し、家に落ち着いてしまった困った「お父さん」の行状に関する「人生相談」ですが、質問者の母娘、回答者樋口恵子を含めた、女どもの出来合いレースに、心底腹がたったわけです。

 「お父さん」は、苦労して(長い社会生活のうちで、屈辱的で人にも言えない苦しいことはいくらもあったことでしょう。)、家族のために、と、懸命に定年まで勤め上げ、その後も生活のために自分の本音を裏切りながら、追加で2年間を務め、さて一息と、朝から二時間かけて新聞を読み、またおとなしく読書をしている父親に対し、「うざいから(決して生活のためでない。)、外で働け」、「昼間から家にいるな(うっとうしいから)」、「私も就職が決まり、卒論を書きたいから、気に障るので、昼間からそんなヤツがいるのは嫌だ」、と、冷酷にオヤジを責めています。
 こんな娘には、世間並みに、「育ててもらった恩も感じないのか」とか、それ以前に「(自分以外の)他者に対する感謝がない人だ」と指摘し、面罵(めんば)する必要があるかも知れませんが、それは、いい年になった娘に対してろくに訓育もできなかった父親にも一端の責任はあるかもしれません。しかし、責められたオヤジは自分の不快の気持ちの表明で、追いやられた二階から「シャツや服を投げつける」という程度のことなので、しつけのために、娘に手を挙げたこともない、おとなしい父親なのでしょう。
それを見越して、一方的に父を責めるこのような娘は、まさしく、自己利害と自己欲望の追求のみに忠実な、またそれが正義のように思い込む「時代の子」であるのです。まさしく、徳義の退廃であり、家庭・学校教育の無力の実例なのですね。
 パート労働で働く母親については、「体を休めたい母親はパートの休みの日に(父親がいていらいらするので)、やむを得ずジムに行き、気分転換をしている」などという描写もあります。もしそうであれば、天に成り代わり、妻に対し「(あえて言うが)お前は、夫に感謝の気持ちもないのか」、「いびつに育てた娘を諭すこともできないのか」と、きちんと指摘したいところです。
うちの妻に言わせれば、彼女のところで働くパートタイムのおばちゃんは、夫のサラリーは彼女のもの、彼女のサラリーは、お友達とかの付き合いや、服飾品、嗜好品ときちんと割り切っており、夫は職場で安い配給弁当、妻は優雅にお友達とランチと、素敵な毎日だそうです(それでも夫を尊重し、適切に子供を監護するなら、私は苦情を言わない。)。
 実際は、夫と連帯してローンを変換しているかも知れず、パート収入は生活の原資かも知れない、しかし、いくら決して好きでもない夫でも、「あなたもジムにでも行ってみたら」くらいは助言して何が悪いのです。あなたも同様に、「自分以外(の他者)に対する敬意と思いやり」を欠いている。
 
 ところで、樋口恵子さん、あなたは、フェミニストでない、女性・家族評論家というふうに承知おいておりますが、「父(夫)に感謝するイベントくらいはしては・・・」というアドバイスは天下の評論家として当然のことながら、文末の「・・・・本当に手がかかりますが」は、彼女たちと同じ穴のむじなであることを、明確にしています。
ご高齢ながら、生涯法律婚を取らず、現在の肩書きが、「男女共同参画審議会」の委員であるなら、その言い分はなるほどと、よく理解できます。たぶん大多数の国民が選ぶ法律婚が、あなたは好きではないのですね。
「男も女も死ぬまで働け」は、現行政府の政策における、当該審議会の設置の根拠に根ざしています。かつて、私は、職場で無理やり、「男女共同参画・・・研修会」に動員された際に、「①男女の性差を前提とした男女共同参画の推進なら意味がある」、「②あらゆる職場で女の地位の保全と産前産後休暇を加えて3年間にする制度の改正をする、③個々の男女の意識の持ち方程度のことを一律で職場研修にするなど馬鹿げている」と、アンケートに回答しましたが、委員であるあなたはたぶんそうは思わないのでしょう。
 私の職場はともかくも、今でも、歴然と、数多くの職場で、男女の賃金格差は残っているではないですか。せめて、女性に適正のある看護、介護職ではきちんとその能力、経験、気使いの配慮の重要性を評価し、賃金を上げるべきです(デフレ化の現在で、国民全体の賃金をも引き上げる必要があるのは言うまでもないことですが)。国民のほとんどが賛成しなかった、愚かな男女別姓制度にも賛成し、あなたは、反動フェミニスト上野千鶴子とそんなに遠くないところにおられますね(上野千鶴子さんも高齢の実父との冷徹な関係のてん末を書いていた(拙ブログ「私が料理を作るとき(グルメ志願)その1」を参照してください。))。

 私に言わせれば、外国書籍を引くまでもなく、やっぱり「女は、男をどうやって破滅に追いやろうかと無意識に考えている」意地悪なところがあり、無意識の悪意というか、利害関係のないよその男のことでも、皆さん立場を越え、連合して、「男」に対し、冷静に冷たく出来るのですね(「男女同権」など、太宰治の小説にも同様の逸話がいろいろありました。)。この性差による、男女の感情のあやや、差異が、同時に文学などを成り立たせている筈なのです。
 うちの家族でもそういうところがあって、うちの妻が時に私には娘にかかわる苦情をこぼしているくせに、娘と二人であれば、一緒になって、正義の権化のように私をつるし上げてくれます。あのときは、眼が据わっており、その場面・立場でないとそれは分からない、深淵をのぞくような怖いものです。

 結果として、私もこの父親と同じ立場ですが、世間知らずながら、樋口氏に成り代わり、わが、「人生相談」の回答を以下に記します。

天道公平人性相談 回答編

娘への回答
 このたび就職が決まったそうでおめでとうございます。
 あなたの自己努力をけなすつもりは毛頭ありません。
 しかしながら、樋口先生の回答にもありましたが、ひと言、アドバイスさせていただきます。
 あなたは、あなたの生涯を通じ、自分存在がすべて、自己努力はあらゆる局面で通じる、と考えたのでしょう。ですから、あなたを支えてくれた周囲の善意に無自覚で、感謝の気持ちがないのでしょう。そんな態度は、あなたの周囲でも決して認められることはなかったし、今後もないでしょう。
 卒業論文を準備する環境にないというあなたの苦情は噴飯ものです。生活に追われず、若いうちに、自分のやりたいことが出来る、なんとすばらしいことではないでしょうか。また、あなたが自分の父親を好きでないことはお互いに不幸なことではありますが、感情が絡むのでどうしようもありません。
 今後、晴れて就職の後は、自宅でのパラサイト生活をやめ、思い切って独立しましょう。あなたの父親は賦払いで、教育費を返せ、とはたぶん言わないでしょうから、父とは合わない娘でも、時々は、顔を見せ、元気であることを、父親にも知らせなさい。嫌なら、メールでも、写真でもいいです。そんな余裕や、思いやりや「他者への」配慮がない人が、今後、対外的に評価され、将来、自立・独立した社会生活を今後営めるはずがないではありませんか。

母親への回答
 あなたの気持ちはよく理解できます。
 長年連れ添った夫婦の実態は、お互いにしか分からないところです。
 度ごとに、意見の食い違いで、一方的にあなたが、臍をかむような問題が、数知れずあったのかも知れません。もう、本音は一緒に住むことも嫌かも知れない。人性には、お互いに理解不能なことはいくらもあります。
 しかし、あなたもいずれ、子に棄てられます。今の家族以外へ娘が出て行くことは明らかでしょう。今は、オヤジがうざいかも知れないが、いずれ加齢を経て、時間が経てば、今度はあなたがうざくなるのです。それは古今東西、現在の女流小説家の作品など、枚挙にいとまのないことです。
 幸い、あなたの夫は、殴ったり蹴ったり、家族に手を挙げることはなかったのでしょう。
 そこは、妥協して、目的を喪失した彼に、あなたとは違うジムを紹介したり、本を読むことが好きな人なら、公民館の、歴史講座や、創作講座を勧められたらいかがですか。一番いいのは、何か一緒にされればいいですが、あなたの気持ちがそれを赦さないのなら仕方がないでしょう。そうすれば、まだ、返済ローンがたくさんあっても、気持ちを切り替えた、夫が働いてくれることになるかも知れません。
 
父親への回答
 オヤジは、今の御世では、基本的に周囲から、うざい(うっとおしい、わずらわしい)といわれるものです。
必要なときに、あいさつや、周囲にお愛想を言わないし、いつもぶすっとしています。
 そもそも、加齢により、くさくなるし、閉経期が過ぎ、楽になり、皮膚感覚しか頭にないような女どもは、たとえ相応の教養や知性がある人でも、男の負性に、感覚的にとても敏感で、容易にそれを改良しないと、自己や他者への配慮のなさを責めます。
 もう、男にとって、先に両親など亡くせば、この世に無条件で自分を支える味方などいないのかも知れない。思いやりのある家族など、というものは本当は絵空事です。やっぱり、人間、皆他人です。意識的にそのように振るまえば、全くそのとおりになりますが、それはそれでやむを得ないことと認識しましょう。ひとたび、消えたものはもう戻ってこないのです。もし腐った妻子でも黙って受け入れる態度があれば、それは男としてとても尊いことです。
 しかし、あなたはまだ、年金分割請求や、「ここから出て行け」と家族から言われていない、これはまだましな方です。あなたは、友人や、知り合いの悲惨な末路を、いくらも見てきたでしょう。奈落は、誰でもその足もとに、いくらも、際限なく在ることなのです。
 先にネットニュースで、退職後の夫が妻子に責められ、退職金を奪われたうえ、密殺されたというニュースを見ましたが、あながちうそではないと思われます。

 自分自身を外に向けて開きましょう。
 根気よく調べれば、あなたに合うものはあるはずです。
 たとえば、老後は、時に、自己の直接利害を離れ(媒介してというのでもいいかも知れませんが)、正しい義のために戦うと決意するというのはどうでしょう。妻子から「バカね」と小突かれたり、「正しさ」の追求は茨の道かも知れませんが、それはそれで意欲が沸きませんか。
 もし、「目的」がなければ、あきらめましょう。あきらめを受け入れ、おとなしく受身人性を生きるのも、それも立派な態度です。
 閉ざされた場所で、日常的にいじめを受ければ、精神は萎縮します。あなたは、生まれてから、努力し、就職して、社会生活を送るまでに、ちゃんと一人で生きてきたではないですか(「 ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる 」吉本隆明著(ちいさな群への挨拶))。それに自信を持ちましょう。
 よく事情が分かりませんが、あなたがまだ現職中であった頃、必死でしのいだ、職場や家族苦痛や、やりきれなさを考えれば、まだまだ耐え切れることではないでしょうか。あなたには、当面働かずに、経済的にモラトリアム(猶予時間)が在るのはありがたいことです。今後、以下のことに留意しましょう。

①身だしなみを整え、清潔に居りましょう。
②一日に一度は外出し、「今日も居るの」と家族に言われるのを避けましょう。
③読書が好きなら、図書館の行事や、公民館の文化行事に顔を出し、友だちを作りましょう。ブログをするのもいいでしょう。カラオケも無論お勧めです。
④家事を必ずひとつはこなしましょう。掃除でも洗濯でもいくらでもあることです。
⑤料理を覚えることも必要です。それは、将来に向け自立を助けます。
⑥話題を探し、家族と話す機会を作りましょう。
⑦家族と何か一緒に行動できることを探しましょう。
⑧つまらないプライドは棄て、出来る部分は周囲と協調しましょう。
⑨定期的に体を動かして、健康の維持と、精神の健康の維持に努めましょう。
  
 そうは言っても、それ以外に、人間や人性の幅として、あなたの「在りどころ」があればそれは幸せなことです。それを追求しても良いでしょう。それはそれであなたの人性でしかないのです。

「植田正治写真美術館」来訪併せ山陰の文化その他について言及し、最後に石破茂氏罵倒

2017-08-03 22:04:47 | 罵倒シリーズ

うちの息子が大学生時代(今もすんでいますが)を、鳥取県の鳥取市と米子市で過ごして以来、数多く鳥取県をおとずれ、すっかり、なれ親しんだなじみの県になってしまいました。娘がすごした、現在の東広島市、広島県は、何度おとずれたとしても、同じ山陽地区に属しながら、疎遠な感じがするのに比べて、奇妙な気持ちがするところです。
このたび、久しぶりに鳥取県米子近郊、島根県、松江、出雲も訪ねてみて、私は、むしろ、島根・鳥取と、山口県の西部・北部を含め、山陰文化圏というようなものに惹かれているのではないか、と思ったところです。更にことばを重ねると、歴史を重ねた「敗者の歴史」に惹かれるのではないか、となんとなく思ってしまうのです。まず、前提として、私、中国地方民の一部として言わせてもらえば、中国地方は、山陰・山陽と、くっきりと線引きが可能です。
 なかなか、主流になれない文化圏、といえば、反発を食らうでしょうが、山陰地区といえば、古来は、大陸との行き来が盛んな先進国であり、大和朝廷に対峙、敗北した出雲族の拠点でもあり、古代では、比類のない先進国であった、といわれており(私が仕事で出た研修で地元大学の講師が力説された)、かつて決して、「山陰地区」ではなかった、といわれるところです。しかしながら、うちの息子に言わせれば、地区民の気質は、陰気で、うちにこもりがちであり、容易に他人に心を明かさない、冬は冬で、陰鬱な天気で、雪が降れば家に閉じこもる、と、述べており、それは私に言わせれば、まるで京都人のようであり((井上何某さんの指摘は別にして)、私は、かつて、京都人に対しては、「権威ばっかりあてに寄りかかる、こいつらは心底田舎者である」と深く思ったことがあります。鳥取県民についても、県民性とか、それは一見さんにはわからない、よかれ悪しかれ、「いなか者」であるしかないのは確かであるのかもしれません。もちろん、私の直感が、山陽地区の田舎者の感覚の派生形態であることも確かなことですが。
 京都での大学時代(1970年代後半)に、鳥取から来たサークルの後輩が居ましたが、京大に落ちたのでやむを得ず、ここに来た、といっており、彼は同時に家庭音楽教育崩れのジャズピアノの奏者でありました。当時、彼が言うには、少しばかり、はめを外した高校時代の仲間内の行動が、地元で「共産党」といわれた、と述懐しており、いなか出身の私としても、「すげー、いなか(田舎者及び田舎気風)」と思ったことがあります。彼は、地元の名門高校出身であり、大学とは、「京大である」ということとなっていたそうです。私が現認した際(2000年初頭)も、今も、地元予備校のキャッチコピーは、「京大進学会」とか「京大進学コース」とか、街角で見ればそうなっており、ここは京都を目指す文化圏なんだ、と思ってしまいます。田舎者は、おしなべて京都に上洛するのです。
 それはそうと、彼の言説によっても、かつて、ジャズは鳥取できわめて人気があり、彼の時代から、いなかでは、ジャズは、当時、日常・月並みに対する反逆と、旧弊を嫌う新しい文化のおとずれであったようです。このあたりのなんとなく同時代的な雰囲気は、山陽地区側での、当時のわれわれの地域の実情と通低するところがあります。
 当時、ジャズとは、アメリカ黒人などの社会的な疎外者、非白人の被収奪者による自前の音楽というような「共同幻想」に裏打ちされ、1970年代の学生運動時代にも膾炙(とてもよくわかります。)され、実際のところどこにもジャズ喫茶店などいくらもあったのですが、しかし、山陽地区(ことに山口)では、80年代ころにはとどめをさされています。
同様に、学生ばかり多い京都ですら、昔、通ったようなジャズ喫茶など、その後再訪しても、いつの間にか見なくなりました。しかしながら、米子市や松江市など、平成大合併の前では人口はそれぞれ、15万、20万程度の地方都市ではありましたが、うちの息子の学生時代、2000年代の最初のころにおいてさえも、ジャズライブの飲食店があるのにはびっくりしました。そうそうに有名なプロがくるわけでなく、普段は大学や地元のジャズ愛好者が、ノーギャラに近いように演奏していたようですが、複数の立派なビッグバンドもあり、愛好者も数多くあるようでした。松江には、老舗のライブハウスもあったそうです。それぞれ、動員人数が少ないとしても、これらの施設は、主催者の心意気のように開場・運営していたのですね。都会文化への過剰な迎合といってしまえば身もふたもない話ですが、田舎の少数派の先鋭化しがちな傾向はよくわかります。
私たちが、時に滞在した米子市は、駅そばには、田舎では珍しいような、高層の商工会議所ビルがそびえ、後で聞けば、米子は「山陰信販」の発祥の地であり、流通の拠点と繁栄の歴史があり、北前船の経済にどのように組み込まれていたかは調べておりませんが、中海から、船で米などを運ぶ水路が古い商家の連なりの中を人造運河などが設営されており、縁接する旧商家の蔵の景色とあいまって、往時の繁栄が思い浮かべられる、雰囲気のあるところです。米子は、都市形態は、商業都市というべきか、デパートもあり、近在からの買い物客も多く、衣食住の拠点のようで、他にも皆生温泉や、大山の遠景が望める弓ヶ浜など、観光地や名所に恵まれた美しい場所です。また、砂洲のような道路を境港に向かえば、日本海有数の漁業水揚げ基地(例の松葉ガニや生マグロが有名ですが)境港に繫がっていきます。
 ところで、米子市にも、松江市にも、空港が整備され、首都、東京から、一時間程度の所要時間で、日帰りで往復が可能になりました。これは大きいですね、交通関係の進展は、人の流れも、意識をも変えていくのですね。
私の知っている料理屋さんも、東京出店という運びとなり、どうぞお願いします、といっていたので、東京志向に転換していったのかもしれません。そういえば、「米子鬼太郎空港」も整備され、あれは(私も60年代の鬼太郎シリーズは大好きですが)根強く、資質的に惹かれるというか、こどもたちを含めた熱心なファンも多いと思われ、東京圏などから新たな人の流れが形成されているのかも知れない、ところです。現在のNHK朝ドラ「ひよっこ」を見ていても、昭和30年、40年代の関東圏の茨城県民でさえ、東京にあこがれ、その愛憎の的にもなり、無原則に都会を受け入れるのですね、ましては、当時、東京までどのように行けばいいのか、山陽側(岡山)まで遠征しなければならなかった、山陰住民であれが、もっとその感情の振幅が大きかったかもしれない、ところです。
現在、わが山口県と東京間は、新幹線で4時間半くらいの時間がかかりますが、考えてみれば、あの、70年代後半など、誰もが大学に行くようになった時代に、同級生にしても、みな東京に行きたがり、「京都へ行きたい」などというのは異端だったように思われます。改めて、交通関係というか、人や文化の流れ(感覚や意識の流れを含め)は、こうもわれわれの観念というか、思考や、感情を刺激し、拘束するものかと思われるところです。
かつて、米子に行こうと思えば、山口から新幹線で岡山に行き、特急列車で米子に行き着くしかありませんでした。乗り換えもあり(ジーゼルカーでした。)、時間もかかり、大変でした。
車での移動ということとなれば、まず、山陽自動車道から、広島で中国自動車道に乗り換え、岡山県の新見インターで下車し、例の後醍醐天皇が隠岐に流刑になった通路といわれる国道180号明知(あけち)峠を経由して、米子へ抜ける道であり、片道で5時間くらい要しました。古代からある古い道沿いというのは、趣があり、沿線の景色も、縁接するよしず張りの商売屋の物売りなどでは、見たこともない産物もあり、大変興味深いところです。沿線の観光施設では、包丁や、鎌、なたなど、製鉄文化に根ざした特産品を売っています。びっくりしたのは、どうも古代のものと思われる英雄の面が売ってあり、出雲神の国譲りの大国主命のみならず、やまと朝廷にまつろわぬ(戦いを挑み破れた)出雲神も同時に陳列されてあり、この地区の方々の内なる複雑なる思いを察するところです。
また、山陰地区は、水量が豊富で、斐伊川や、日野川など日本海に注ぐ、一級河川などの大きな河が多く、大山(だいせん)などの中国山地の裾野を流れる大きな清流に沿って走る道路を走るのは、実際、気持ちのよいものです。冬季の、降雪時は、状況は一変しますが、山陽側ではみられない、豊かな自然ではあります。その意味で、とても懐かしいような景観と風土です。

さて、ここから、主題です。
前から、大山への連絡路を走るたびに、表記の写真美術館(以下「写真館」と称します。)を目にしていました。ものを知らない私は、彼がどんな写真家なのかまったく知りませんでした。
たまたま、NHKEテレの、日曜美術館を見ていたとき、佐野元春氏がゲストで、この写真館を案内されながら、植田正治の写真に対する思い入れを語っていました。
その際に見たのが、砂漠を舞台にした演出写真でした。あ、これは知っている、ということで、このたび、当該写真館に寄ってみたところです。
この写真館は、米子市の隣接の伯耆町(ほうきちょう)に在り、中心地から10kmくらいの大山の裾野の草地の中に建ったコンクリート打ち放しのモダンな建物であり、その展示は、遠景の大山を借景にする彼の代表作の演出など、さまざまに工夫を凝らしています。
鳥取といえば砂漠でなり、われわれもかつて、修学旅行などで行った覚えがあるのですが、なにぶん、遠い上に、交通の便が悪いところで、最近はあまり行くことはありません。鳥取県の都市(?)は、二極化しているようで、西部の米子(松江)文化圏、東部の鳥取市文化圏と仮に名づけますが、鳥取市は、どうも官庁街であるようで、少し気取ったそのあり方が鼻につき、また外国人の居住があるせいなのかやたらに焼肉屋が多く、加齢によって、あまり食指が動かなくなった私とすれば、滞在等は好みません。しかし、鳥取砂丘は、その名に恥ずることのない、驚嘆する自然の美しさと、また立派な観光地であり、こどものころ、あるいは高校生のとき友人と語らって立ち寄った際(あれは三島由紀夫の割腹自殺の年であった。)、奇妙で、不思議な光景と、だだっ広くいくつも起伏のある砂丘を見たときに、大海に接したときのように大きな明るい開放感がありました。刻々と変化する砂地の風紋や、水色の海との対比を見ると、人の心を解きほぐすような光景に思えます。
日本海側の、海浜の白砂青松の美しさについては別のブログ(「清流で泳ぐことの快感」)で触れましたが、鳥取県の海浜も、島根県に勝るとも劣らず、砂丘以外の場所でも、目の細かい美しい砂と、美しい浜辺が広く見られます。
ところで、戦前から、植田氏は、砂丘を舞台にした、企画演出写真をたくさん撮っており、戦後になって、本格的に、その砂丘で、家族を並べたり、モデルを使ったりして、家族像や、人間や、かさや杖、帽子などを使った演出写真を作っています。どれもに、ユーモアがあり、砂漠にある奇妙な人間の開放感とあいまって、見るものに開放感を与え、同時に時間の流れに抗するような永遠性を与えてくれるような光景があります。
ことに、着物姿の植田氏の細君や、学生服の二人の男の子、一人は三角巾で肩を吊り、片方は自転車に乗っています、白い晴れ着のワンピースを着て一輪の花を持った女の子(和子さん、家族から「カコ」と愛称された一人娘のようです。)たちの、砂丘上で横一列の集合写真など、被写体とカメラ側との気持ちのやり取りまで伝わるようで、大変興味深い写真です。彼は、この主題を何度も何度も繰り返しています。彼は、後年フランスから勲章をもらっているようですが、その写真は、知的で、シュールで、日本的でないようでありながら、実は日本的であるという面白い写真となっており、砂丘という風土が、被写体の彼ら全体に大きな影響を与えているように思えます。昔の写真ですから、写真機の性能に応じ現場で長時間拘束(暑かったろうなー)されたでしょうが、彼の家族一同、喜んで協力したようです。
彼は、もともと洋画家志望でしたが家族の反対で挫折し、地元で写真館をやる傍ら、写真芸術家の道を選んだようですが、終生、鳥取を離れなかったようです。
歳のせいか(また言ってしまったが)、近代以降の忘れられたような日本の風景や日本人の姿の写真にとても感興がわき、ことに、私はいなか育ちというバイアスがかかっており、古い時代の周辺地区の街角の光景に心が動いてしまいますが、私が未生か、ものごころもつかないころの、いなかの風景に(境港出身の漫画家水木しげるの「のんのんばあ」で描かれた彼の幼年期の記憶も興味深いところですが)、わがふるさとより更にいなかの光景に、心底惹かれるのを覚えます(ああ昭和)。

標記の写真は、彼の後年の「童暦」という写真集の一つであり、彼の代表作とはいえないかも知れませんが、村の鎮守のお祭りに、一軒だけやってきた行商の露天商に小銭を握り締めて並ぶこどもたちの生態が、活写されています。魔法の箱のような、大きな茶櫃に何が入っているのでしょう。異族のような露天のおやじは、うまいこと言って、こどもをさらって、箱つめにして、サーカスか何かに売り飛ばすやもしれません。背景の鎮守の森と、地区民全員の畏怖と敬意を以て扱われる社殿が背後にそびえ、いなかの景色は固定されています。私にとって、懐かしく、寂しいようで、また敬うべき光景です。
ところで、かつて、北朝鮮工作員によって佐渡島から、拉致、誘拐され、一生を棒に振るような体験をした、曽我ひとみさんは、大きなリュックサックに、声を出せないように逆さに突っ込まれて拉致されたと聞いている(彼女の少女期においてさぞ恐かったろう)、それはまるで私が幼年期さんざん脅かされたひとさらいの仕打ちであり、あたかも「共同幻想論」の中での山人によるかどわかしにも思えるこのような行為の現実が、他国独裁国家による一般住民大衆に対する恥知らずの仕打ちが、ついこの前でもあったわけであり、なかなか、昭和も遠くにならないわけです。

ここから、変調します。
ここ鳥取は、自民党の有力政治家、石破茂氏の選挙区です。
自民党の領袖といわれ、ポスト安倍候補といわれる、鳥取県を選挙区にする、石破茂さん、あなたを最初にテレビで見たとき、あなたは、少しなまっており、東北出身の代議士か何かなのと思っておりました。また、そのとつとつとした話しぶりが、都会人に受け、人気がある、とも聞いて、都会人とはそんな甘いものかと思っていました。
また、あなたは、どうも、私の出身大学より偏差値の高い名門私大の法学部の出身と聞き及び、きっと優秀な方なのでしょう。
取材に応じ、とわずがたりに話される中で、庶民感覚の発露のためでしょうか、キャンディーズのファンだったと聞きました。また私より、2歳若いと聞き、そうですね、彼女たちは、当時は大変な人気でした。あまり、目立たなかったミキちゃんが好きだったというのはなかなか渋い好みです。殊に、「私たち、普通の女の子に帰りたいんです」との彼女たちの意向で、解散コンサートを大々的にした際は、老若問わず男ども大熱狂の時期でした。
しかし、私は、最期の「政治の世代」に属する人間であり、手放しで、アイドルに熱狂する非政治的大学生も、党派に入った政治的大学生と同様に、どうしても好きになれませんでした。私より2歳若いあなたの、K大時代には、「政治の時代」は終焉していたかもしれない、しかし、第二次オイルショックから、右肩上がりの時代に移行する時期に、あなたはどのような「政治的」体験をされたのでしょうか。クリスチャンになられたとは聞いていますが、どうも父祖の時代から、政治家の家系であり、由緒正しい党人政治家として、家庭でも英才教育を受けられたのかもしれません。
しかしながら、現在のあなたの防衛問題に対する見解や、経済問題に関する見解は決して同意できません。
先般の南シナ海域の覇権国家中共によって行われている南アジア及び日本の地域の安全を脅かす行為にも危機意識が欠如したうえで、なんら有効な手段を採ることをことを怠り、なんせ「媚中派」と称され、現在「強兵富国」政策をとり、アメリカの太平洋艦隊すらなめ切ったような危険な覇権国家に対して、国民の安心安全について、きわめて無自覚ではありませんか。このたび、私は、松江市によりましたが、島根県は、「竹島問題」ついて、県民の安心安全、ひいては日本国の安心安全に努めるため、懸命な努力と対応をしています。領土問題を端緒に、他国に、なめられると、ろくな結果にならないのは、かつての愚宰相、菅直人の教訓を見れば明らかではないでしょうか。野党時代にあなたはそれを見ていなかったのか。あなたの、選挙区は、北朝鮮にきわめて近いわけでしょう、もし「あなたに組する」選挙民の頭上になんの弾頭かわからないが、大陸間弾道弾も発射可能という、ミサイル攻撃をされたら、どんな言い訳をするのですか。
引き続き、あなたは、財務省になめ切られ、財政政策にも、デフレ対策の常道の景気浮揚の公共事業にも無頓着で、TPP大賛成、無原則な消費税増税承認、あなたが、東京で醜悪なグローバリズムに荷担・推進している間に、あなたの選挙区は、疲弊し、あなたの選挙民も、あなたの選挙区も、干上がってしまいはしないのか、このたび、山陰自動車道も、松江自動車道も通行したが、まことに利用勝手が悪い、なぜ早急に複線化しないのか、山陽側にあんな半端な社会資本はないぞ、直ちに建設国債を発行し、地方の弱点を克服し再生をするのが、鳥取に地盤を持つあなたの喫緊の課題ではないのか、日本国を出て行けず、地方を出て行けず、地方で、僻すう地で、農業や林業で細々と国土の保全と、安心・安全を守っている、あなたの選挙民に対し、悪いことをしていると思っていないのか、「景気は回復している」と、財務省の詐術にくみして、消費税増税に荷担するなど、派閥の領袖として恥ずかしくないのか、いいことなど少しもないではないですか。
少なくとも、財政政策は別にして、防衛問題については、安倍晋三氏は逃げていない。
やっぱり、山陽側は、間違いなく山陰側に勝っている、少なくとも人材的に。
あなたが、怠っているうちに、私の好きな山陰側の自然や文化や歴史が干上がってしまうことを、私は恐れている。

岸田外相罵倒(どう考えても腹が煮える。)

2017-05-16 20:53:40 | 罵倒シリーズ

どう考えても腹が煮えるのは、このたびの岸田外相の無考えで、卑怯な言動である。

 「日韓合意」(平成27年(2016))年末の日韓合意以降、なぜ、安倍内閣は、岸田外相を罷免しないのか、常々疑問に思っていた。一億円のはずの口止め料が、十億円にかさ上げされ、ようやくバカの朝日新聞自作の歴史的な事実の改ざんが証明された後になって、「当時の日本国家が女部屋経営に関与していない」という歴史的事実に、政府みずからひるがえって容認し事実上の改ざんを加えたことである。これは、「支払う根拠はないが金を払うから騒がないでくれや」と、やくざものに気前よく裏金を払ったような、不適切かつ国辱的な行為である。なぜ、つまらない煽動に乗って、愚かな協定を取り交わしたのか。その当事者岸田外務大臣は、同僚にその浅慮と交渉のつたなさを指摘される前に、党内多数政治のバランスで首相に慰留されようとも、何よりも、外交失点を重ね、将来にわたり迷惑をかける国民に対して、陳謝し、自ら辞任して責任をとるべきと思ったものである(君には政治家として、結果責任を引き受ける「責任倫理」がないのか。)。
 おかげさまで、私的なことを申し上げれば、当時押し迫った年末の愚挙に、歳があけても鬱々としてたのしめず、歯がゆくて、しばらく腹立ちにより悪い夢までみてしまった。
その悪夢がまさに現在、正夢になって、「日本国及び政府は他国の一般人の少女を強制的に性奴におとしめた」と、軽薄な(あるいは腹に一物ある)外国政府連合(UNというのか)につけこまれ、根拠なく指弾・非難されることとなり、政府はその失策の責めを負うにせよ、国民国家日本国及び無罪のわれわれ国民大衆を、いわれなく侮辱され、不名誉な立場に追いやっているではないか。

 それはひとまず棚上げにする。
 このたび安部首相が、覇権国家中共、アジア的独裁国家北鮮の「目に見える現実的な」脅威に対し、自国防衛を保障するため自主憲法改正発言にようやくこぎつけたことは、それは55体制(あなたの生まれる前かも知れないが)以前の、戦後の、全国民が敗戦に打ちひしがれ、刃わたりのように困難な敗戦国日本の土壇場外交の中で、その敗戦処理に智恵を絞り、敢然と立ち向かった吉田茂首相たちの、当時の心ある党人政治家たちの悲願でもあったと私は考えるが、このたびの、あなたの体たらくはどうなのだ。
 あなたには、「公人」と「私人」のきりわけができていない。
 あなたが、国務大臣として、殊に外務大臣とて、国家利害のために他国としのぎを削る厳しい交渉をする立場にあるはずだが、その状況で、「9条改正に反対」というあなたの個人的な見解に何の意味がある、愚かな失言と国家利害を侵犯する愚劣な「個人的見解」を表明するなど、やめなさい。それは日本国の本来の「敵」に対する、馬鹿げた利敵行為であり、戦後、困難な状況で、占領軍を相手に、国益を損じないように、必死で渡り合ってきた、心ある先達たちに対する背信行為だ。

 翻って思えば、少なくとも、私は自分の社会的生活の中で、職責にある間に、組織の不利益になる発言はしなかった、それは「社会人としての」けじめである。
 もしそうするなら、先に辞職しようと思っていた。内部告発とかそんな上等な話ではない、それは選べない運命共同体とその構成員に対する信義にもとる行為である。このたびの経緯を思えば、私は、個人的に、あなたと同じ組織にいることを、決して選ばない。

 殊に、公選職としての、「政治家」としてのけじめはもっと重いはずだ。背後に、無力で、情報にも阻害された、無名の全国の国民大衆が控えているからだ、せめて、今からでも恥をそそぐため、岸田文雄さん、早急に辞任しなさい。

 安倍晋三首相、あなたやあなたの父祖の悲願がこのたびようやく射程に入ったと思いましたが、現在の自由民主党は人材がいない政党であるのがよくわかります。お気の毒です。私は、あなたの経済政策は別にして、防衛政策は支持しています。それは、今も私が自民党のシンパであるゆえんです。
 また、私は、戦後のどさくさ紛れの中で、占領軍に押し付けられた現在の憲法に反対し、日本国民による、自主憲法制定を希求します。今後、一般大衆の一人として、バカ左翼、曲学阿世の学者先生、愚劣な文化人や、愚かな文学者などと戦っていく準備があります。

 このたび、機会があり、日本公文書館の特別展示(残念ながら5月7日まで)で、明治大帝により公布された、練りに錬られた「五箇条の御誓文」などの原本を見させていただく機会があり、深く感動しました。当時のほとんどの日本人が熱望したという「帝国憲法」をはじめ、われわれの父祖、明治人たちの、ご一新時の、変革への意欲と勇気と希望をあらためて感じさせていただきました。黄ばんだ罫紙に書かれた文字を、文章を見れば、当時の状況が視えるように思えるのはまことにありがたいことです。

 あの外相のお調子のり発言は、明らかに利敵行為です。日本国の国務大臣の職責に反する行為として、断じて容認できません。

 私ごときが、えらそうに申し上げるのは大変おこがましい限りですが、あなたの大叔父、かの佐藤栄作氏は、政務の遂行に大変厳しく、失言した閣僚を、遅滞なく罷免したと、私は覚えています。当時、田中角栄や福田赴夫氏など名だたる政治家人材を抱えていたにせよ、また、時代が違うかもしれませんが、あなたの同士であるはずの外務大臣が党内での自己の目先の利害で、このようなつまらない発言をするなど、論外だと思われます。他に有為な人材はいないのですか?

 政治家、首相として、情況的な判断も、本来の理念の一方で、現実的に妥協し、自己の信条と乖離することを要求されるかも知れません。
しかしながら、覇権国家中共、軍事独裁国家北朝鮮などに抗し、それが何より一般大多数国民の安心・安全の実現ために、なおいっそうに奮闘されることを望みます。