天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

今回は、「世情」(中島みゆき作詞・作曲)について、考える

2016-03-04 21:05:27 | 歌謡曲・歌手・音楽
            世 情
                         中島みゆき作詞・作曲
 世の中はいつも変わっているから
 頑固者だけが悲しいおもいをする

 変わらないものを何かにたとえて
 そのたび崩れちゃ そいつのせいにする

 シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
 変わらない夢を流れに求めて

 時の流れを止めて 変わらない夢を
 みたがる者たちと戦うために

 世の中はいつも臆病な猫だから
 たわいのない嘘をいつもついている
 
 包帯のような嘘を見破ることで
 学者は世間を見たような気になる

*シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
  変わらない夢を流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと戦うために

シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
  変わらない夢を流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと戦うために

  *部分もう一度リフレイン

 この歌は、「愛しているといってくれ」という、アルバム(1978年発売)に入っている曲です。重厚な男性コーラスのもとに、託宣のような、みゆき節と掛け合いで、格調高く謳われ、それこそ、私にとって脳天をガーンとやられたような、衝撃的な歌でした(「わかれうた」よりもっと衝撃性がありました。)。

 とても有名な曲ですが、どこ頃から一般的にヒットしたのか考えれば、例の迷作「金八先生」のドラマの劇中使用曲として、使われたことが発端ではないかと思われます。ま、ドラマが嫌いな人が自分で批評をするために嫌いなドラマを見ることは、大変に稀でしょうから(お察しのとおり見なかった。)、そのドラマの愛好者(?)たちが、この歌を聴いてどのような感興を覚えたかは、想像するしかないわけですが、とても印象に残った曲なんでしょうね。多くの視聴者の心の中にも、この歌によって何かの衝撃やこだわりのようなものが残ったのでしょう。
 
 ついでに、個人的な感想を述べさせていただければ、もともと、もともと説教体質で安い正義を振りかざす歌手「武田鉄也」が心底嫌いになったのは、このドラマからですね。ついでに、彼の尊敬(?)する、坂本竜馬まで嫌いになったのは、彼にとってはえん罪になるのでしょうか。私は、坂本竜馬のみならず坂本龍一が好きという人に対しては、通りの反対側を通ることとしています。

 1974年頃、武田鉄也の「母に捧げるバラード」という曲がヒットして、当時、あの歌に描かれた彼の実母という人がマスコミに引っ張り出されたとき、新聞のインタビューに答えて「あんな(偉そうな)ことを人前で言っていて(大丈夫なんだろうか)・・・・」と、心配そうに話しており、私は、「(自分の子供のことを現実的によく理解しているし、手のひらを返す「世間」を思い、無考えで出来の悪い子供の行く末というものをおもんばかる)親とは有り難いものだなあ・・・」と思ったところです。
 しかし、そのうち、武田イクさんだったか、本格的に売れ出し、お定まりに、あちこちで定期的な講演会で教育論を話されるようになってからは、私は、興味がありません。

 そういえば、先日の、クドカンの傑作ドラマで、主演の国語教師が黒板に板書で「人という漢字は・・・・」と試みて、すかさず生徒から「イヨッ、金八先生!」という突っ込みが入り、学園ドラマ(金八先生)のパロディと、再構築を目指した脚本がとても面白かったですね(「ごめんね、青春」でした。ブログでも触れています。)。少なくとも、文字説きをして見せたクドカンは、漢字の起源に言及できるだけの知識と教養があるのです。

 お約束の脱線をしてしまいましたが、このアルバム「愛していると云ってくれ」は、1978年に発売されましたが、LPレコード、カセットテープがまだまだ隆盛で、あの貸しレコード屋がはやり始めたころでした。
 曲名を挙げますと、次のとおりです。
1.「元気ですか」(編曲:吉野金次)(朗読のバックに流れるのは、セザール・フランクのオル
 ガン独奏曲「前奏曲、フーガと変奏曲」。)
2.怜子(編曲:福井峻・吉野金次)(のちに、アルバム『いまのきもち』でセルフカバー。)
3.わかれうた(編曲:福井峻・吉野金次)(のちに、アルバム『いまのきもち』でセルフカバー。)
4.海鳴り(編曲:吉野金次)(桜田淳子が直後にアルバム『20才になれば』で、研ナオコが1979
 年にシングル「ひとりぽっちで踊らせて」のB面でカバーした。)
5.化粧(編曲:吉野金次)(桜田がアルバム『20才になれば』とシングル(1981年)で、一葉がシ
 ングル(2001年)でカバーしており、他にも多くの歌手によってカバーされている。)
6.ミルク32(編曲:中島みゆき)
7.あほう鳥(編曲:吉野金次)
8.おまえの家(編曲:中島みゆき)(桜田が直後にアルバム『20才になれば』でカバーした。)
9.世情(編曲:福井峻・吉野金次)(数ある中島みゆき作品の中でも、特に難解な作品として知られる。ベストアルバム『大銀幕』にも収録。)

 どれもよく覚えていますが、また多くヒットした曲ばかりですが、「元気ですか」のアルバムは、のちの「夜会」の萌芽がみられるように、みゆきさんの独白と、語りがとても印象的なところでした。
「暗い中島みゆき」の真骨頂であり、「わかれうた」は申し上げるまでもなく、「化粧」の中での有名な「今夜は死んでもいいからきれいになりたい」という凄い独白にはなかなか批評が届きません。
 正月明けにNHKのBSで見た「中島みゆき歌曲集」という中島みゆきオマージュ番組がありました。「ミルク32」という曲は、「ごめんね!青春」に出ていた、女優満嶋ひかりさんのカバーで、演じ、歌われましたが、これはみていて本当に良かった、みゆきさんとはまた違い、愛くるしくて、華があり、また凄味のある女優さんでした。彼女が言うには、みゆきさんの歌は、幼いころから、そばの酔ったおやじたちのギター弾き語り(悪女、わかれ歌など)で覚えた、といったのには思わず笑ってしまいました。
 その番組は、女性のカバー曲がほとんどでしたが、特に印象に残ったのは、私の知らなかった、中村中(あたる)さん(1985年生まれ)という性同一性障害(戸籍的には男)の歌手兼俳優さんの、「元気ですか」の独白と、「怜子」の連唱でした。彼が、まだ男であったころ、恋バナ(恋愛の話ですかね)の相談をしていた異性の友人の女の子が、彼のストリートコンサートに、彼の好きだった男の子を彼女のものとして籠絡して連れてきて、その彼女が、男の子のために作った曲を聴いて、わざわざ「とても良かったわ」、と言いに来たこと(勝利宣言ですかね。恋愛と戦争にルールはない、というやつですかね。怖い話です。)、「一生恨んでやる」と思ったこと、その時、心から「みゆきさんの描く人性の怨念は現実にあったんだ」、と思ったというカミングアウトの言葉が特に興味深いものでした。この齢になっても知らないことはたくさんあるものです。

 彼女は、アルトの魅力的な声で、セリフと歌を、切々と歌い上げていき、みていてとても美しいものでした。外貌といい、知性といい、おやじにも十分に魅力的な女性でした。いまさら、下品で、バカな女はヤだからねー、できることならば、彼女と親しくお話ししたいと思います。
 私が思うより以上に、みゆきさんのファンというものは広くまた深いものですね。彼女が歌う、中島みゆきカバー曲、「怜子」は、悲しむもの、傷つくものを慰め慰撫し、やはりそれは美しいとしか言えないように感じるものがありました(当然それはみゆきさんの功績でもありますが)。

 思い起こせば、私の1970年代の末頃は、個人的には、うまくゆかない就職活動の中で、先行きへの不安で人並みに悩んでおり、大学卒業の時期と、政治の時代の終焉とが二重の負荷(?)のようになり、その孤独感、寂しさ、やるせなさ、と、これから「自らをどのように埋葬していけばいいのか」と青臭く考えていました。また、周囲を見ても、逮捕歴(?)などで、就職を放棄した人など、周囲の友人・知人たちも同様で、やりどころのない焦燥感とあせりの中でもがいているような状況であり、当時、この歌を、苦い思いで、また切実に聞いた覚えがあります。

 この、「頑固者」というのが何を指すのかというのが問題になるところですが、「節義を曲げない人」とすればほめ過ぎになり、仮に政治運動で類比すれば、60年代では、全学連主流派とは思われませんが(勝手ですが)、むしろ主流派に違和と反発を感じたものたちとしてとらえたい、ところです(歌の本質ではないので)。私の実感で、70年代で類比すれば、少なくとも「反帝・反スタ」が前提であると思います。私の、体験では、「時の流れを止めて 変わらない夢を みたがる者たち」は、当時、決して、「反帝・反スタ」を名乗らなかったので。今であれば、新自由主義の走狗になっているやもしれません。

 80年代から、ポストモダンが膾炙されるようになり、当時、一瞬これらは新しい動きかな、と思いましたが、その代表的なA某、K某、H某など、腐った大学教師崩れか、誰かのいうように文献密輸入業者としてか働いておらず、当時とても好きになれず、今思えば、「変わらないものを何かにたとえて そのたび崩れちゃ そいつのせいにする」のとは、このことであったのかな、と思うところです。彼らが自滅するのは、そいつ自身のせいですから(時間を経て変わらないものは、なかなかないですから)。しかし、当時、過剰に期待して、揺らいでしまいそうだったのは、明らかに自分のせいか、自己の過失でしょうが。当時、自分の立ち位置が、良く分からなかったし、現在も明確とは言えません。個々に現状認識と、より正しくあろうという覚悟を持つべきかもしれませんが。私も、「大衆の原像」を自分の思考に繰り込むというのは、今も、有効であると思い、同意します。

 次に、「時の流れを止めて 変わらない夢を みたがる者たちと戦うために」という、一節が問題となるわけですが、「時の流れを止めて 変わらない夢を みたがる者たち」というのは、もうこれは、目の前にいくらも実在しておりますので、当時のスターリニストから、現在主流の新自由主義に至るまで、うんざりするほど現象しています。また、先に、「全共闘の生き残り」などというのが、徒党を組んで出現し、ひたすら自己満足と安い回顧を口にし、心ある同世代にも、ポスト団塊世代にも、厳しく批判されましたが、あれを見れば、その醜悪さと、改めて、当時の「サヨク運動」とは何の意味もなかったことが教訓として証明していますね。あれらが皆、今、高額な年金を受けているんですね、年金制度は別にしても、若い人は心情的に許せないのではないですかね。
 きやつらは、「時の流れを止めて、変わらない夢を見つつ」、機動隊の規制も危険もない、腑抜けた、「脱・原発」デモとかその後やっていたのか(さすがにもうやめたようですね。今は、「軍備反対」の夢でも見ているのかねー。)、やっぱり、本来的な意味で、私も、「反動」と、戦うべきだと思わせてくれます。

 先の、BS番組の彼女たち(ほかに中島美穂、坂本冬美などがいました。)のオマージュを見ていて、無媒介にいいますが、みゆきさんの歌は、敗者の味方、傷つくものの味方、悲しむものの味方、疎外されるものの味方、それこそ、「アザミ嬢のララバイ」以来、「ただ、生きていればいいのよ(太宰治)」と言っているような、救いの主(?)のような側面がありますよね、これは、皆の一様な感想であったように思います。

 しかし、みゆき先生が、偉いし、怖いのは、「変わらないものを何かにたとえて そのたび崩れちゃ そいつのせいにする」、という、私たちの、「正義」や「見方」やその時々の感情などの、あてにならなさや、不確実さを、または、場合によっては間違ってしまうことを、ちゃんと歌詞にして歌っていることです。

 やはり、その質や根拠を問われない、「正義」や「理念」や「見方」は決してないのです。

 私も、「変わらない夢を流れに求めて」、もうしばらく、人性を相渉っていくわけですが、時々の演歌(応援歌)として、時に、この歌を歌ってまいりましょう(時に、メンバーが許してくれれば、実際のところカラオケで歌います。)。

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知人に、なぜ坂本龍一と、同じ道を歩きたくないのか、書かれててないといわれましたので、念のために、書かせていただきます。
 坂本龍一さんは、長年の政治的な奮闘(?)のせいか、咽頭がんを発症され、お気の毒な事ですが、放射線治療は(思想的に?)断ると、意味ありげに発表されましたのに、とてもびっくりしました。
 これには、小生、3.11震災の直後に、広島の反核団体が、反原発の声明を、被災地に向けて過信したのと同様に心底びっくりしました。核兵器と、原発を、原発反対と、放射線医療を同一視する、その論理(?)に、ナイーブで愚かな私はとてもついていけません。
 坂本龍一さんは、やっぱ、ナイーブというより、バカですね。

大塚まさじについて  その2

2016-02-01 00:13:01 | 歌謡曲・歌手・音楽
大塚まさじの唄った歌で、忘れがたい歌があります。

カラス(ガラス)の まどから 覗いてる
まてつ(満鉄) の きんぽたん(金ボタン)の ぱかやろう(馬鹿野郎)

 さわるは ごじせん(50銭) 見るはただ
 さんえん ごじせん(3円50銭)くれたなら
カシワ(鶏)のなくまで
 ぼぼ しゅるわ(するわ)

上がるの 帰るの どうしゅる(どうする)の
 はやく せいしん(精神) ちめなさい(決めなさい)
 ちめたら 下駄もって 上がんなさい

お客さん このごろ 紙高い
 ちょうぱの(帳場の) 手前も あるてしょう(あるでしょう)
 おしうき(お祝儀)  ごじせん(50銭) お出しなさい 

 そしたら あたいも せいだして(精出して)
 ふたちも みっちも(二つも三つも) おまけして
 カシワ(鶏)のなくまで ぼぼしゅるわ

 雨が しょぽ しょぽ(しょぼ しょぼ) 降るぱん(晩)に 
 カラス(ガラス)の まどから 覗いてる
 まてつ(満鉄) の きんぽたん(金ボタン)の ぱかやろう(馬鹿野郎)
    
  
 (私の聞き取りでは、彼の唄では、言葉のそれぞれで、濁音が半濁音に変わったり、(わかりにくい部分は別にして)濁音がつかなかったように思います。それは、歌い手の恣意的なものかもしれません。)
 
この歌は、彼のアルバム(「昨日の悲しみに別れを告げるんだもの」)の中で初めて聞いた曲で、全くライナーノーツもなく、私の耳で、採歌したものです。ラジオ放送を連想させる雑音を効果音にした中で、彼はつぶやくように気怠く、弱く歌っていたこの歌は、私の過ごした学生時代(70年代後半)と、当時の私自身の貧しい思想・生活感性に強烈な「異和」を伝えていました。1974年、初めて聞きましたが、「旧満州の女部屋の歌だな」と思いながら、なぜかとても印象に残り、また惹かれてしまい、まだカラオケもない時代でしたが、学生時代の飲み会などで口ずさんでいました。
哀調のあるメロディーで、また、なりきり韓国語なまり(?) なのか、意味も分かりにくいところですが、デカダンス(おお太宰治)で、かわいたユーモアもあり、「田舎者(九州地方出身者)が、どこへでも、お仕着せの金ボタンの制服を着て、風を切るかのように、(下品な)下駄をはいて偉そうにあるき、精神を決めなければ女部屋にも上がれない、金にきたないバカやろう」を揶揄し、バカにし、「でも、チップさえもらえれば、サービスしますよ」、という歌です。この歌詞は、昔、あの亡藤圭子さんが「はしご酒」(1975年)で歌った、「顔や姿にゃ惚れないが、男らしさにしびれちゃう」、「・・・・・(お金が少ししかなくても)させてあげますいい思い・・・・」、「よってらっしゃい、よってらっしゃい、お兄さん」、と歌った、ことと近い意味で、言外に「お金をいっぱい使えば男らしいよ、サービスしちゃうわよ」、という意味であろうかと思います。言ってしまえば、幸福感も、不幸感も感じる余裕もなく、生きるための駆け引きの話でしょうが、しかし、単に管理売春(多くの日本人と少数の朝鮮人の娼婦を抱えた、当然民間企業です。)の娼婦が、生活や収奪の苦しさを隠れて歌っていた、悲しみや自嘲の歌というところでは、ちっとも面白くないところであり、またそれが、大衆の支持を受けてその後はやり歌になるとも思えない、わけです。
この歌が生き延びたとすれば、やはり、生活者がそれぞれの限られた現実の中で受感する、生活の、酸いも苦いもある大衆の歌として多くの人の記憶に刻まれたとしか言いようもない歌でしょう。
現在では、つらい歌、哀調のあるくらい歌は膾炙しないかも知れませんが、それを必要とする層も情況も現在にもあるわけです(私、批判を恐れず申し上げますが、「赤色エレジー」も好きです。)。
当時、私は、異和は異和として、「お前たち、こんな歌知ってる」と、披露するために歌っていたと思うのが、やっぱり当時の素直な気持ちであり、実際のところ、今に至るまで、私たちの好奇心や想像力は、どこに行きつくかわからないところですね。
 先の「大塚まさじ」ライブハウスコンサートで、終了後、本人と話したところ、この歌は、「満鉄小唄」という当時の歌で、どこかで(舞台女優の)吉田日出子が歌っていた、と聞きました。私が、「とても、印象深い曲だった」というと、それは「よく理解できる」というような彼の答えでした。「放送禁止歌」になったのかと聞くと、「そうではない」といい、彼のこの歌が入ったアルバムは「CD化したけど、ばっちり入っている」、とのことだったので、「コンサートなどで歌わないのか」と聞くと、「今の時代では逆風だから・・・」との答えであり、それ以上は聞きませんでした。
しかし、(1974年)以来持ち続けた好奇心は別にして、一夜を明ければ(その瞬間を過ぎれば)わざわざ、アンコールでお願いするほどの曲でもないのが、今の、私の気持ちです。
私は、「好奇心で生きている」というテーゼは、あながち嘘でもありません。
 ネットで、この曲を検索しましたが、この歌は、軍歌「討匪行」(とうひこう)の替え歌であるとの話でした。早速、ユーチューブで聞いてみましたが、藤原義江作曲という歌を、藤原義江の歌で聞いてみましたが、勇壮な行進曲と聞こえますが、「どこまで続くぬかるみぞ 三日二夜も食はなく 雨ふりしぶく鉄兜・・・・」と歌詞は決して勇ましいものでもないようです。小浜氏の指摘する「なぜ軍歌は悲しいのか」に属する歌のようです。
同時に、軍歌には替え歌がいくらでもある歌です。この歌が、どうも、少数朝鮮人慰安婦によって歌われたとは思えず、いい加減、厭戦気分になっていた、当時の多数の日本人慰安婦や、女部屋に出入りする男どもに支持されたものかもしれません。当然流行歌にも検閲があったでしょうから、検閲を経由しても、朝鮮人慰安婦(?)の独白のように作られた、その歌詞は、軍隊や日本の満州進出に対する厳しい批評と、場合によっては自嘲なのか、満州くんだりまでやって来た、日本人に対するあざけりが感じられます(局面を変えた「はしご酒」のようですね)。なかなか、興味深い歌で、私の好奇心を刺激します。

 また、この歌を聞けば、併せ、年末の「日韓合意」を思い、昨年、「謝罪を継承しない」といった筈であった安倍内閣が、アメリカ政府に屈し、「当時の政府による女部屋設置の公式認定」(バカらしい)を見て、一昨年の朝日新聞の虚偽報道を経ながら、結局、何の活用も、解決もせず、占領軍コードの呪縛に屈した、その屈辱、ばからしさ、欺瞞性を憤り、大衆の一人として、行き所のない無力感にさいなまれるばかりです。
とにかく腹が煮えた。「いいかげんにしてくれよ。」と。
また、うちのゼロ歳の孫も、将来、韓国人と再度論争しなければならないじゃないか、と(負けるなよ。)。

「大塚まさじ」について  その1

2016-01-20 22:35:13 | 歌謡曲・歌手・音楽
昔の、60年代、70年代のフォークソングとはなんだったのかと時々思うことがあります。
 好きとか嫌いとかでいうと、当時、同時期のロックとかは、私の好みではあまり興味がもてなかった。後から知り、自分の中で位置づけられた、ビートルズとかクイーンとかは別ですが。しかし、思春期の、ポスト歌謡曲として、当時様々なフォークソングを好んで聞いていたように思います。
 大学に入っては、当時の流行と周囲の影響でモダンジャズとか聞いてはいましたが、廉価版の復刻ブルーノートレコードなどに手を出した程度であり、ジャズ喫茶には好んで行きましたが、個人的にそれほどのレコードが買えるはずはなく、FM放送とかで日本語の歌(特に歌詞)は、歌謡曲とごたまぜ(本当は判別できない。)で何度も何度も聞いていました。
 
 しかしながら、肝心のフォークソングを、今、回顧的に聞いて楽しい曲はそれほどではない、ように思います。
 メロディ以前に、当時は多くの歌謡曲がそうであったように、今の自分としては、今でも歌詞が受け付けられないような気がします。自分資質の宿あとでもいうべきか、メロディから入る曲はあまりないですよね。歌詞については、最近、個人的には、外国人の歌う演歌(峻拒します。)は別にして、演歌の歌詞とメロディの受容範囲の敷居が低くなったにしては奇妙なものです。
 割り振ればフォークソングになるのでしょうが、中島みゆき大先生は別格(しかしながら、それがおしなべて全てでもない。)としても、今も、歌詞が素直に入るのは案外少ないもの]です。
 それは、小説とか、詩とか、評論などにしても同様なことかもしれませんが、やはり、聞くたびに、言語の「価値」論ではないですが、その度ごとに、より容易に当時の時代に観念的に移行するのは確かで、私の現在から、現代性(今流通するのかどうか)と著者の現在を再度重ねて批評するような操作になります。当時、懸命に読んだはずの、現代詩のいくつかも今は色あせたように感じられるのは何故かと思われるのと同様に感じます。
 一般的に、歌詞の受け取りはともすれば懐旧的と感じ、メロディと一緒であれば、私なりに累積した記憶と感情の付加があり、とても親しみやすいような気がしますが、そうでもないのは困ったものです。
 先に、ザ・フォーク・クルセダースの復活コンサートというのがありましたが、面白いか(興味を惹かれるかどうか)どうか期待してみていたのですが、彼らは私が思ったよりもっと政治的なバイアスのかかったグループであり、殊に彼らが歌った「リムジン河」という当時はやった政治的な歌(なぜ日本で流行ったのだ。)を歌うのに、いまさらながら安い正義を降り回し(誰が今更好んで聞くのだ。)、面白くなくて、失望しました(彼らの歌の一部
は今でもカラオケで歌える歌があるのにね。「あのすばらしい愛をもう一度」は今も好きです。このあと亡くなった、加藤和彦は政治的な現状認識の見解は別にして、良い作曲家あったと思います。)。しかしながら、彼らの歌は、今でいえば、あっという間に、脱原発=反核=反戦のセットメニュー、ハッピーセットでリバイバルしそうで、本当に嫌です。
当時読んだ、北山修の「戦争を知らない子供たち」はつまらないエッセイだったと思った覚えはありますが(私、中学生だった。)、地方のナイーブな中学生とすれば、昔は、彼らはフォークソングの歌手としてもう少し輝いていたように思えましたが。
ところで、先ごろ、地元の小さなライブハウスで、大塚まさじのコンサートを見つけました。レコードは何枚も持っていたし、コンサートへいったこともあり、喜んででかけました。昔のなつかしい曲を何曲も歌ってもらいとても幸せであったのですが、下記の曲名がどうしても思い出せずに、とうとうリクエストできませんでした。とても残念でした。

            時は過ぎて           
                     大塚まさじ 作詞・作曲

早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい

ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に傷を負い 酒はその夜だけの夢

夕暮れが また やってきて
一人ぼっち だって 知った
夜が 白く明けるまで
からっぽの街を さまよった

君は まだ飛べぬ羽を撫で 夜の街で うずくまってた
俺の ほほ笑みを 喜んで わかってくれる人が欲しかった

互いの 傷を知ったとき 二人は もう 共犯者
二人は 誓いもしなかった 明日のことなど
抱きしめあうだけで よかったし
言葉なんて もうたくさんだ
消えゆく 思い出の中だけじゃ
もう生きられないよ 僕ら二人とも
ああ 二年前 君は 大阪で 裸の一人ぼっちさん
俺は 胸に 傷を負い 酒はその夜だけの夢

早いね 時の過ぎるのは みんな昨日のようさ
早いね 時の過ぎるのは みんな昨日みたい


ギターの弾き語りで終始する、大塚まさじの歌は今もとても好きです。
ひたすら、泣き節のように続く彼の歌は、過去の思い出に「過度に」執着する男の観念に快く響きます。こういうのが、ブルースとかいうものかも知れないと思います。「二年前、まだ飛べぬ羽を撫でていた君は」今はもうどこかに飛び立ったかもしれず、その時代と思い出に呪縛され引き摺った「俺」だけ当時に執着し今もさまよっているわけです。まことに、「女は更新し、男は保存する」という男の恋情のパターンを踏襲しています。森田童子の「僕たちの失敗」という曲につながる女々しさですが、恥ずかしながら、酔えば、カラオケナンバーで選んでしまうわけです。おやじが、「昭和かれすすき」を選曲し、安い自嘲を道ずれに、連れにデュエットを強要するよりはましだろう、という感じですね。
彼は、独立する前は、ディランⅡ(セカンド)という二人組のグループのメンバーであり、彼らのグループ名はアメリカの歌手ボブディランに由来するらしいのですが、彼らの歌は、恋とか愛とかの言及が多く、つまらない政治的なメッセージ性が少なかったのが救いです。当時、大阪を中心にして活動しており、「プカプカ(ミナミのブルース)」という歌が大変ヒットしました。盛り場(繁華街)の例示ではないですが「ミナミ」とか、「キタ」とか、(私には差異がわかりません。)
言語体験の歴史的累積(?)というか、大阪の人たちには、その差異と思い入れがあるようです。彼の持ち歌に「天王寺思い出どおり」という歌もありますが、昼間から酔ったおっさんが裸で寝ているような、天王寺駅周辺に郷愁を込め、歌ったような歌もあります。個人的には、動物園周辺からあいりん地区のような場所で眺めた光景は、田舎から出てきた身には、大変衝撃でした。彼が、そこに、自分の生活圏として思い入れを持つのが理解できないことはないのですが。
しかしながら、この曲「時は過ぎて」はカラオケに付置されておりません、残念です。

山下達郎に対するオマージュ

2016-01-11 19:14:06 | 歌謡曲・歌手・音楽
過日、カラオケで、何気なしに「さよなら夏の日」を歌っていますと、「ああ」と思い「これは本当にいい歌なんだなー」と改めて感じられました。 
このたび、友人のご好意で山下達郎のコンサートに生まれて初めて行かせていただきました(大変ありがたいことです。)。
 さりながら、このたび、山下達郎の本質は、コンサートでないとわからないということが実によく分かりました。6時半開始から、10時まで、アンコール少休止を含め、彼はほぼ3時間半を歌い続けていました。
 このたびは、彼の(40’th)40周年のコンサートであるとのことですが、声の質と声量がちょっと違い、彼の声は楽器以上の質とより強い「表現」で、周囲を「感動させる」ことがよく分かります。そして、中途でアカペラ(無伴奏)タイムに移行しますが、語りと一緒に、彼が先鞭をつけたビーパップなどのコーラスを聞かせてくれます。コンサートの構成がそうなのかもしれませんが、22歳でデビューした彼の音楽的な履歴と出自を、問わず語りに、また懐かしい大瀧詠一などのジャパンポップスからという出自を披歴していきます。実際のところ、ほぼ、1,700人という満員の観客も、大半は40代後半以上に見えます。(歌唱の力といえば、私が時々、実力を省みず、カラオケでひとり歌唱会を試みるのが無謀であったのがよく分かりました(お友達と一緒でせいぜい最長5時間くらい、総歌唱時間1時間半くらいです。)。)
また、今後の音楽媒体というか、CDの販売などで音楽ビジネスは成り立っていかないとの話です(私はまだ買っているが)。
彼がいうには、今年、彼は満63歳ということでしたが、今後できる限り、コンサート中心の音楽活動をするといいます。今までも、今後も、自分はスタジアムなどでのコンサートなどは選ばないし、音質のいいホールしかコンサートをしない(観客を選ぶ)といい、音楽活動をする「パッション」がまだ尽きていないとも言っていました。実際、3時間半のぶっ続けコンサートは、やっぱりパッション(情熱)抜きではできないでしょね。自作の曲が、300曲弱くらいあるといい、ヒット曲を外すなど自分の気分で選ばない、コンサートは結局、一期一会であるからには、ファンの期待には応えるといい、あの「クリスマスイブ」も歌い、中締め部分できっちり「さよなら夏の日」も歌ってくれました。
 なつかしい「風の回廊」から、「おやすみロージー」から、歌っていき、最後は、メドレーとなり、彼の得意な英語での説明で十分に聞き取れなかったところでしたが、「・・・千島列島から尖閣諸島にいたるまで、声を響かせる・・・」、決意表明となりました。いい年をして、久しぶりにコンサートで涙が出たところです。会場総立ち(若くないのに)となり、アンパンマンマーチ(好きなので私時々歌います。)
を含め、彼の生活史を彩るあらゆる歌の饗宴です。決して若くない私も深く共感、感動しました。


    さよなら夏の日  (山下達郎 作詞作曲)

 波打つ夕立のプール
 しぶきをあげて
一番素敵な季節が
もうすぐ終わる
「時が止まればいい」
僕の肩で
つぶやく君 見てた

*さよなら夏の日
いつまでも忘れないよ
雨に濡れながら
僕等はおとなになっていくよ*

瞳に君を焼き付けた
尽きせぬ想い
明日になればもう僕等は
ここにはいない
映る全てのもの急ぎ足で
変わっていくけれど

君を愛してる
世界中の誰よりも
言葉じゃいえない
もどかしさ伝えたいよ 今も

ごらん最後の虹が出たよ
空を裸足のまま駆けていく

どうぞ変わらないで
どんな未来
訪れたとしても

*部分繰り返し

さよなら夏の日
僕らは大人になっていくよ

*************************************
実にいい歌です。
コンサート終了後、手のひらが痛いので、広げて見ると、黒血になっていました。
 年末の、政府「日韓合意」の顛末でに、はらわたが煮えかえる思いをしたので、本日(1月8日)は、「日本語を大切にする歌手」のお蔭で、元気が出る、「俺もまだまだ終わらねーぞ」という「つよーい」意欲をいただきました。

今日は、「瞬きもせず」(中島みゆき作詞・作曲)について考える

2015-07-14 06:18:50 | 歌謡曲・歌手・音楽
瞬きもせず          
              中島みゆき作詞・作曲
( あー 君はどこで 何をしているの
  あー 君はいつ ぼくの心から消えるの )(*最初、みゆきさんの独白のように入ります。)

 瞬きひとつの あいだの一生
 僕たちはみんな 一瞬の星
 瞬きもせずに
 息をすることさえ 惜しむかのように 求めあう

 ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく
 ただ 痛むための涙だけをもって生まれた
 裸すぎる獣たちだ

 君を映す鏡の中 君を誉める歌はなくても
 ぼくは誉める 君の知らぬ君についていくつでも

 あの ささやかな人生を よくは言わぬ人もあるだろう
 あの ささやかな人生を 無駄となじる人もあるだろう
 でも ぼくは誉める 君の知らぬ君についていくつでも

ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく
 ただ 痛むための涙だけをもって生まれた
 裸すぎる獣たちだ

 触れようとされるだけで 痛む人は やけどしてるから
 通り過ぎる街の中で そんなひとを見かけないか

瞬きひとつの あいだの一生
 僕たちはみんな 一瞬の星
 瞬きもせずに
 息をすることさえ 惜しむかのように 求めあう

ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく
 ただ 痛むための涙だけをもって生まれた
 裸すぎる獣たち だから
 ぼくは誉める 君の知らぬきみについていくつでも

瞬きひとつの あいだの一生
 僕たちはみんな 一瞬の星
 瞬きもせずに
 息をすることさえ 惜しむかのように 求めあう

 中島みゆきさんは、谷川俊太郎のファンだそうです。私も好きですから、ご同輩ですが、中島みゆきさんは、歌手とは別に何冊もソングブックを出していて、歌とは別に、これもとても良いのです。
 しかし、上記の歌は、是非ユーチューブででも聴いてみてください。彼女の歌を聞いていると、ときどき、「天才じゃないだろうか!!」と心底思うときがあって、この感覚と思いは、是非、誰かと共有したいと思うことが多いところです。
 最近、小浜さんに触発され、かんがみるに、確かに現代の歌謡曲(?) で、愛とか恋とかの主題を扱わない歌が多くなり、最近は自意識過剰で「愛] とか「恋」もできないのか、また貧困と多忙が原因なのか、生気が失われるかのように、「日本国民」の恋や性愛が衰退しているような気がするのは確かですね。つまらない政治的なバイアスのかかった歌は論外としても、皆さん、いつも歌謡曲が、絆とか、思いやり、とか、そればっかりだったらいやになりません?
 いつもじゃ困るけど、若いときとか、暇なときとか、おれ(私)の愛が終われば、世界は破滅する、とまで思い込む時期が人性には必要じゃありはしませんか?
「恋の歌」は、人間にとって本質的です。なんせ、人生は、「人性」ですから。男、女の各自と、それにまつわる人倫や観念は、自己愛も含め、各人を強く拘束します。どうも、幼児から、死ぬまで、死にいたる病というべきかも知れません。その意味で、歌謡曲が、三十一文字(みそひともじ)の時代から現在に至るまで連綿と続いており、愛唱されるのは根拠のあることです。
 どんなつよい人間でも、愛のためにどこかで齟齬(そご)を味わい、躓き(つまずき)、膝を折る、それは普遍的な人の業のようなものではないのでしょうか。
 その代表格としての中島みゆきの歌は、デビュー(1975年)当初から、男女の愛憎のみの歌でしたが(「雨が空を見限って 私の心にふりそそぐ」などと自然を愛憎に読み替える歌すらあったぞ。)、その凄さと徹底性は、誰ともなく(?)「暗い中島みゆき」とか、言われましたが、その徹底性は極北にまでに至っており、当時、時には涙と共に愛唱するとともに、相応のつまらない恋をしている自分が恥ずかしいような思いでした。
それはたかが歌謡曲では決してなく、周囲から見る美醜をこえ、たとえ現実ではぶざまであろうと、その「真情」は「美」であるしかないような、人間本質まで到達するような情感の本質性を謳うようでした。聴き込むにつれ感じられるのは、人は愛の喜び(?) はむしろ少なく、いわゆる「愛の苦さ、苦しさ」を味わうことであり、そんな時、本来傲慢な人間は、挫折をきっかけに誰かのいうように「神」に近くなるのです(相互の気持ち(?)の 齟齬による悲しい歌が多いのは、本質的で本来的とは思いませんか。)。

 蛇足ながら、若いとき、吉本隆明ではないですが、「他人を愛すると思うのはひっきょう自己を愛する思いと同一のものではないのか」、と考えていましたが、あにはからんや、その後人並みに苦労をし、対幻想の渦中 (?) で、他者に向かう本来の異性愛や、性愛の功罪とその苦みも、少しは思い知ったところです。

 そんな、中島みゆきさんですが、最近は「糸」とか「二隻の舟」など、男女の相愛と相克の結果、相互の親和に基づくような曲も見受けられるようになりました。新たな側面です。殊に、皆が愛唱する、「糸」はとてもいい歌です。(そんな傾向が通俗的とか妥協的とは思いませんが。)

 ところで、標記の歌は、男女の愛を歌った歌なのか、友人への愛を歌ったものなのか、どっちだと思いますか?
 彼女の歌は、加齢とともに、ますます深みを増していったのかも知れませんが、ドロドロ男女関係から、人間同士の葛藤、愛憎関係にまで広がっていて、言葉にすると誠に味気ないのですが、ついには社会的な(共生)存在としての人間存在にまつわる孤独や悲しみに至るまで拡大していきます。それを、別の視点から、認め、励ます演歌のような要素が出て来ます。それは決して通俗的ではなく、大事なのは、男女の関係も、女同士の関係も、男同士の関係をも、媒介するに足る、上質な応援歌であることです。個人的に、彼女の歌は、多くの人に支持される「詩」のレベルに達していると思います。入りやすいところは、谷川俊太郎に似ていると思う。
この歌も、谷川俊太郎のデビュー作の「二十億光年の孤独」という詩を連想してしまう(「二十億光年」というのは宇宙の暗喩(あんゆ:たとえ)なのですが)。(興味のある人は、読んでみてください。)
 
 自分の車のハードディスクに、図書館で借りた中島みゆきのCD(おやじが好むのか図書館にはたくさんあります。)を落として、毎回聞き流していますが、何曲か聞き流せない曲があり、上記もそのうちの一つです。
 
 殊に、「 ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく
      ただ 痛むための涙だけをもって生まれた
  裸すぎる獣たちだ 」 

 このリフレインは、少年少女合唱団が歌っており、最初に聞いたときは、ぶっ飛んだ(?) 思いがしました。
 こんな衝撃的なフレーズを、わらべ歌のようにこどもたちが合唱する効果に、驚愕しました。「まさしく、天才」と思った次第です。
 私にとって、泣かせどころは、

「 君を映す鏡の中 君を誉める歌はなくても
   ぼくは誉める 君の知らぬ きみについて いくつでも 」

であります。妻もいらない、神様もいらないが、中島みゆき大先生が、私を、こうであるしかなかったような私の人性を、私の苦闘を、自分自身にも意識できなかった自分だけのつらい意義ある試み(人性)を認め、ほめてくれたらそれだけでも本当にうれしい、「生きていてよかった!」、ということとなります。
 やっぱりこれは応援歌ですよね、いまさら、自分の「人性」を嫌悪したり恐れるわけではないけれども、様々な状況で醸成されたような、説明しがたい私(たち)のそれぞれの孤独感と孤立感そして疎隔感を少しは癒せるかも知れない、今世のどこかで誰か一人でもその認識と受容と承認があれば、というお話です。

 長い髪と、色白の彼女の顔は、イメージ的に、カンナギ(巫女)という感じですよね。
 幸か不幸か、カンナギは、生涯非婚です。
 昨年も、「麦の歌」ですか、ヒットしましたが、年末紅白で視ていると、やっぱり、彼女の歌う姿には「聖性」のようなものがあります。

 さだまさしが、テレビで言っていましたが、以前松山千春と三人で焼き肉を食べに行ったそうです。仕切り屋のみゆきさんは、二人の(髪の)ためにわかめスープばっかり食べさせ、肉を食べさせてくれなかったそうです(笑えます)。
 このあたりの落差が、中島みゆきの持ち味です。DJをやらせても、歌手としての中島みゆきとは全く違います。ケラケラ、よく笑い、よく笑わせ、まったく不真面目です。

 それはそれでほっとする光景ですが、選ばれた「カンナギ」中島みゆきさんが、今後も、美神(ミューズ)からもらった才能で、もっともっといい歌を作ってくれることを望んでいます。

 昨年の紅白の出演時に、演出は別にしても、人でも、けものでもないような彼女に、文字どおり強いオーラを感じたのは私だけでしょうか。