こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

秋の夜長と 静かな水面

2006年10月10日 | 仏教
 弘法大師空海の言葉です。

おのれこそおのれの依るべ、おのれをおきて誰に依るべぞ。
よくととのえしおのれにこそ、まこと得難き依るべをぞ得ん

自分自身こそが問題の解決のための道標なのだ、というのです。
自分の外に何かを求めても何もない。
「よくととのえしおのれ」にこそりっぱなライト(照明器具)が備わると。 

 このことを、「お加持」と言い表します。
「加持」の「加」は、如来がわれわれ衆生に向けてビビビビビ~と発射する大慈悲心のエネルギーです。
 それに対して、「持」とは、ビビビビーを受け止めるわれわれの信仰心、
修行者の信心力などのことを示しています。

 仏(如来)さんは、われわれに向けて常に電波を発せられているんだけれども、
その電波を受け取るパラボラアンテナの方向が違っていたり、
ほこりだらけだったり、壊れていたりしたら、綺麗な影像は映らない。

それと同じで、われわれも常々アンテナの手入れを怠らずに
正しい方向に向かって調整していれば、
必ず美しい影像を映し出せるようになるんだよ、と。
 
 アンテナの手入れとは、すなわち、具体的な実践方ですね。
十善戒や六波羅蜜行です。

「祈る人の心が、鏡のように静かな水面ならば、
満月はそのまま美しい姿を水面に映し出す。
けれど、祈る心が荒波のようならば、
月の光は水面まで届いても、水面は満月を映し出すことは出来ない。
月が水面にその姿を映し出そうとすることを<加>、
水面が月光を感じることを<持>という。」

お大師さまが、『即身成仏義』という書物の中に述べられている言葉です。

コメント (2)
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