こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

伝え方

2006年10月16日 | 仏教

 ラジオやネットに流れている音楽を聴いていると、

ときどき「あっ、いいねえこの詩」って思える曲が

たまにある。

 昨日伴侶が血相かいて「ねぇねぇこれ見て!」と、

槇原敬之の詩を目の前に持ってきた。

 目を通すと、彼女の心を動かした理由がすぐにわかる。

内容がまさしく仏さまの説く世界。菩薩さまの生き方そのものなのだ。

仏教では、「菩薩行」とか「自利利他不二」とかいう言葉で

言い表す内容だ。

 そのことを、仏教用語ひとつ使わずに、

お香臭さをみじんも漂わせずに表現したこの曲は、

私たちのような立場にいる人間にとってみれば、

めちゃくちゃ優秀な歌に思えるわけだ。

 憎らしいけれど、槇原の感性はすごい。

歌を通して若い人たちを知らず知らずに、

そして確実に導いていくことが可能だ。

 うらまやしい。いや羨ましい。

 ・・・

 思えば、先人たちは昔から様々な技巧を凝らして、

仏教を大衆に伝えようと試みてきた。

 ご詠歌や琵琶演奏なども、その具現化した形であるに違いない。

 

 槇原みたいな詩が書けたなら、わたしもギター片手に町内行脚。

 槇原みたいな曲が作れたら、わたしもピアノ背負って町内行脚。

な~んてメッチャ甘い夢を思い描いている今日この頃、槇原の詩を一度

熟読してみませんか

 

「僕が一番欲しかったもの」
          槇原敬之


さっきとても素敵なものを
拾って 僕は 喜んでいた
ふと気づいて横に目をやると
誰かがいるのに気付いた
その人はさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
言う事が分かった

惜しいような気もしたけど
僕はそれをあげる事にした

きっとまたこの先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
その人は 何度もありがとうと
嬉しそうに 僕に笑ってくれた

その後にもまた僕は
とても素敵なものを拾った
ふと気が付いて横に目をやると
また誰かがいるのに気づいた
その人もさっき僕が拾った
素敵なものを僕以上に
必要としている人だと
言う事が分かった

惜しいような気もしたけど
またそれをあげる事にした

きっとまたこの先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
なによりも 僕を見て嬉しそうに
笑う顔が見れて嬉しかった

結局僕はそんな事を何度も 繰り返し
最後には何も見つけられないまま
ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの
人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが僕の
探していたものだとわかった
今までで 一番素敵なものを
僕はとうとう 拾う事が出来た

コメント (5)
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