・常楽会と題し、「仏遺教経」と呼ばれるお経を読みました。
・独特の音の運びで唱えるお経です。特に後半の高音部分は筆舌に尽くしがたい感動を覚えます。
・しかしどう足掻いても長い。長いお経でした。
・普段30分~45分前後の法要に親しんで頂いている皆さんには、2時間に迫ろうとする法要はなかなか珍しかったのではないでしょうか。
・座り疲れたことでしょう。
・本来、お経は長いものです。
・普段お勤めでお唱えしている観音経。あれも「偈頌(げじゅ)」と呼ばれ、長い長い本文のごく一部に過ぎません。
・お年忌法事や季節の行事など多くの方がいらっしゃる場所で2時間や3時間の法要を勤めると、お経を聞くだけで疲れきってしまいます。
・体にも、座り続けると言うのは良いとは言えない行為ですから。
・だから読経によるご利益はそのままに、集中して弔いに気持ちを傾けられる時間で普段はお勤めしています。
・この仏遺教経も、いつかしっかり吟味して、適切に略した形で皆様の前にお届けできたらいいですね。
・こんなに美しいお経ありませんから。
・しかしながら、全部唱えるのが本流は本流。
・修行時代に血涙流しながら唱えた経典たちを、忘れることなく読みたいと思うのが人情。
・常楽会にいたっても、本来は2日に渡って行われるのが本来だったりします。
・一日目はいわゆるお逮夜。遺教経を唱えます。
・そして二日目は舎利講式。こちらもまた美しく、2時間に及ぶ長座の法要です。
・本当に自分がやってのけたのかと不思議で仕方ないくらいです。それぐらい僧侶の法要とは本来生死を睹して行われる気合いの入ったものなのでしょう。
・あくまで私もいち田舎のお寺のオボーサン。
・ここまで育てていただいた方々への恩返しとして潮音院とは向き合っています。
・そこと、「本来あるべき僧侶像」との公約数は決して重なりが大きいわけではないのかもしれません。
・なんにせよ、懸命に経典となえたあとのご本尊様。今回でしたら涅槃図は、大変に輝いて見えたのは事実です。
・毎日していたら私のことです。すぐに体を壊してしまいますから。
・多忙を極めない時期に、お気持ちのある方を募り、修行時代に懸命に修得した技術を、その時できる範囲と時間で、同じように懸命に勤めるのは、きっと恩返しと解離しているわけではないとそう信じます。
・1時間、ですかね。
・プロレスも長くて60分1本勝負ですし。