先日、内陣の観音様御宝前に
「羅網・らもう」と呼ばれる荘厳が施されました。篤志の方による施しです。
厳かにきらきらと光り輝く羅網に飾られたご本尊様は、ことにお慶び。
実は、帝釈天(たいしゃくてん・インドラ神)の住む宮殿には、
この羅網が張りめぐらされていて、この網のことをインドラの網
「因陀羅網・いんどらもう」といいます。それを簡略して「羅網」。
ひとつひとつの網の結び目に、
色とりどりの美しい天然石(珠玉)がつけられ、
法輪や羯磨(かつま)の金属具でつながれています。
それぞれが、鏡のように輝いていて、
その輝きはお互いの輝きに反応しあい、
さらにその輝きを増しています。
鏡に映った鏡は、無限に映じ合います。
「重々無尽」(じゅうじゅうむじん)という仏教語が示すのが、
この無限の反映です。
弘法大師は、
「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく」
と示されます。
言うまでもなく、この世は、ひとつやひとりで存在することは
決してできません。
すべてが網の目のように互いに関わり響き合うことによって
はじめて存在する。
その中でこそ個としての尊さと、重さを持つんですよね。
お釈迦さま誕生の時のお言葉、「天上天下唯我独尊!」って、
まさしくこの事です。
この真理を、インドラの網羅は形で表しています。
大いなるいのちに包まれた時空を超えた無限の世界観。
互いに結び合い響き合うあなたのいのち、わたしのいのち。
宝珠のひとつひとつはあなたであり私。
インドラネットは、インターネットにも似ています。
(音が似ているだけじゃなくてね。)
いいも悪いもひっくるめ、誰かが情報発信すれば、
一瞬にして世界の無数の人に伝わります。
まさに一即多の世界。
そして無数の個々の意見が交わされたり、
その事がいくえにも重なり反響を及ぼし、
新しいものの考え方を誘い出し社会全体に変化をもたらす。
もちろん個々の人たちの思いにも変化をもたらす。
当然、どんな輝きにしていくかは、
私たち一人ひとりの心がけ次第ですね。
そして、生かし生かされ生きている私たち、であることに
思いを致しましょう。