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まち歩き右1057 広沢の池 石仏

2019年07月27日 17時35分45秒 | まち歩き

 

 

洛西屈指の大池で、周囲は約1キロ、伝説によるとこの池は寛朝(かんじょう)僧正が遍照寺を建立するにあたって作ったといわれるが、先住民が灌漑用の池として造ったものを寛朝が境内の一部に採り入れたもの、寛朝は早くからこの池畔に山荘を構えていたが、永祚(えいそ)元年(989)10月、山荘を寺とし遍照寺と号した。寺は真言宗広沢流として栄えたが、長徳4年(998)寛朝の没後は衰微した。この池は、時代の推移によって変わらず残っているから。数々の歌に詠まれている。

 

 

 

観音島の観音石仏

頭上に11面の化仏をあらわし、両脇に千手をもつ丸彫りの石仏。背面に寛永18年(1641)樋口平太夫が願主となり、但称上人によって造られた銘がある。もと鳴滝の五智山にあった石仏群中5体の一体をこの地に移したもの。明治時代に蓮華寺から借り出したもので、寺に借用状が保存されているという。

他の4仏はいずれも市中に搬出されてしまった。

毘沙門天、金剛夜叉明王は平等寺へ  ⇒  平等寺・因幡薬師  真言宗智山派 

11面観音、勢至菩薩は本圀寺へ搬出された。⇒  琵琶湖疏水  朱塗りの橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近では毎年8月に灯籠流しが行われている。

12月には鯉揚げが行われる

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神社右0181 阿刀神社

2019年07月27日 14時38分38秒 | 神社

 

 

 

 

阿刀神社

小さな社殿と石鳥居があるだけ、神社としてはすごく古い。貞観8(866)には従五位下を授けられ、延喜の制には小社に列せられ、国家の祭祀にあずかった格式高い神社です。

祭神は阿刀家の祖神味饒田命(うましにぎたのみこと)とし、同家が平安遷都に際し、河内国渋川郡跡部(大阪府八尾市)よりこの地へ移住したとき、併せて祖神を勧請したもの。弘法大師の母は阿刀家の出身といわれ、大師は幼時同家について学問を修めた。大師が東寺を賜わるや、阿刀家は東寺執行(しゅぎょう)の職を相伝したという家柄で、子孫は今なお健在とのこと。

阿刀氏は物部氏の支族で石上氏(いそのかみ)と同祖といわれ、延喜23(804)25日に、両氏の祖神を祀る大和国石上神宮の器仗を、この地に遷座したことがみえる。そこは嵯峨新宮町で、明治維新まで「維新の森」とよぶ森の中に小祠があったが今は面影もない。

 

 

 

 

 

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社八幡0180 春日神社

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花右002  この花は 見事 すばらしい 

2019年07月27日 09時01分53秒 | 

場所は 広沢の池のほとり 児神社の向かいです

平成30年4月3日 撮影














満開です 落下の花はないです  平成27年4月2日撮影

つばき か さざんか か どっちなんでしょう

後記 椿でした

 

平成28年11月20日 撮影 画像追加 (平成29年6月6日)

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 五七五

夫だけ凄い凄いと褒めてくれ /松原

ことわざ

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