洛西屈指の大池で、周囲は約1キロ、伝説によるとこの池は寛朝(かんじょう)僧正が遍照寺を建立するにあたって作ったといわれるが、先住民が灌漑用の池として造ったものを寛朝が境内の一部に採り入れたもの、寛朝は早くからこの池畔に山荘を構えていたが、永祚(えいそ)元年(989)10月、山荘を寺とし遍照寺と号した。寺は真言宗広沢流として栄えたが、長徳4年(998)寛朝の没後は衰微した。この池は、時代の推移によって変わらず残っているから。数々の歌に詠まれている。
観音島の観音石仏
頭上に11面の化仏をあらわし、両脇に千手をもつ丸彫りの石仏。背面に寛永18年(1641)樋口平太夫が願主となり、但称上人によって造られた銘がある。もと鳴滝の五智山にあった石仏群中5体の一体をこの地に移したもの。明治時代に蓮華寺から借り出したもので、寺に借用状が保存されているという。
他の4仏はいずれも市中に搬出されてしまった。
毘沙門天、金剛夜叉明王は平等寺へ ⇒ 平等寺・因幡薬師 真言宗智山派
11面観音、勢至菩薩は本圀寺へ搬出された。⇒ 琵琶湖疏水 朱塗りの橋
最近では毎年8月に灯籠流しが行われている。
12月には鯉揚げが行われる
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