中納言 藤原藤房は南北朝時代 後醍醐天皇に仕えた建武中興の功臣であるが、建武元年(1334)10月、恩賞・雑訴決断所などの要職につく。しかし新政を批判、諫言したが容れられず宮中を出て、岩倉の不二房(大雲寺)に遁世した。出家した。その後諸国修行の旅に出る。
この地は大雲寺の掛所不二房の旧址とつたわり、藤房の遺髪塔(宝篋印塔)がつくられた。宝篋印塔の上部(相輪)は失われているが、塔は南北朝時代の典型的な石造宝篋印塔で。
傍らに、寛政2年(1790)に建てた藤房顕彰碑があるとのこと。
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