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寺院北0641 西向寺(さいこうじ) 浄土宗

2019年10月23日 20時49分02秒 | 寺院

 

 

 

 

西向寺(さいこうじ)

幸阿弥谷と号し、浄土宗知恩院派に属する。寛永年間(1624~1644)清誉浄顕(せいよじょうけん)上人が西向庵と称する小草庵をこの地に創建し、念仏弘通(くつう)の道場としたのが当寺の起こりである。現在の堂宇は宝暦2年(1752)、六世俊龍和尚により再建された。明治15年(1882)本山知恩院から寺号を得て、西向寺と名を改め、以後庶民の寺として栄え現在に至っている。

本堂には本尊阿弥陀如来25菩薩を祀る。南脇壇に安置する二体の阿弥陀如来像は「二葉

の弥陀」と称し、藤原時代中期の作と言われる。この仏像内に納められていた慶安2年(1649)銘の胎内文書・本尊再興奉加帖によれば、上賀茂神社の別所であった上賀茂御堂西念寺のもので、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった際に当寺に安置されたものと推定される。

 

 

 

 

 

 

また、地蔵堂東側には明徳2年(1391)銘の地蔵菩薩板石塔婆があり「京の三板碑」の1つにあげられている。爪彫地蔵と言われている。

高さ1.55m、緑泥片岩製、表面に地蔵立像を線彫りして、下方に明徳2年(1391)一結衆35人が逆修(死後の法事を生前に行うこと)のために建立としたことを刻している。東山正法寺、百万遍了蓮寺の板石塔婆とともに京都の三板碑に挙げられている。

 

 

 

 

 

 

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寺院北0640 常徳寺 常盤地蔵 牛若丸

2019年10月23日 20時48分15秒 | 寺院

 

 

 

 

 

 

常徳寺

当寺は明応2年(1493)に知足山とし改号され、寛永5年(1628)日奥(にちおう)上人が金工後藤氏の帰依を得て中興した日蓮宗妙顕寺派の寺で、当時、妙覚寺住職だった日奥は、京都のすべての寺に法要を求めるなど弾圧を強めた豊臣秀吉に反発。寺を追われて常徳寺に身を寄せた。信者以外に施しを受けない「不受不施」の主義を貫き、それがもとで弾圧にあったという。日奥は不受不施派の派祖であり、教えは今も息づいている。本堂には常盤御前が牛若丸の安産を祈願したとつたえる木像・常盤地蔵を安置し、寺の再興には刀装金具の彫刻を職業とする後藤家が財政支援をし、特に後藤演乗が日奥の教えにより真言宗から改宗、寺の基礎が整った。境内墓地には後藤演乗(七代)以下、近世の後藤氏一族の墓があり、また寺宝に後藤長乗夫妻像(江戸時代)を有する。「知足山」と号するのは、船岡山の東南麓にあった知足院の名を継いだからである。知足院は平安前期に創建された天台宗園城寺(三井寺)の別院で、本尊不動明王は世に「知足院不動」として崇敬を得た。関白藤原忠実は知足院関白といわれ、保元の乱後、当院に住み、応保2年(1162)ここで没した。藤原家と関係の深い大寺であったが、中世の兵火に衰退した。

本堂に安置する常盤地蔵と称する地蔵菩薩立像(藤原時代)は、知足院の旧仏といわれ、他に知足院関係の古文書がある。

 

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史跡長岡049 勝龍寺城土塁・空堀跡  長岡京市

2019年10月23日 10時19分28秒 | 遺跡・遺物

 

 

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