唐で仏教を学び、天台宗をつたえた平安時代の僧
空海(弘法大師)と並び称される平安初期の高僧で、天台宗の開祖。清和天皇の貞観8年(866)贈られた「伝教大師」の諡(おくりな)は、わが国最初の大師号である。767年、近江国滋賀郡の人で、俗称は三津首(みつのおびと)広野。ほくろがく首の左に1つ、左ひじの上に1つあったという。三津首家は、当時の村長クラスの家柄で祖先は中国からの帰化人とされる。
12歳で近江国分寺へ入り、19歳で東大寺で受戒、その直後比叡山に入る。12年間一人で修業した。延暦7年(788)比叡山根本中堂を建立し、30歳、宮中の仏事に奉仕する内供奉十禅師の一人に選ばれる。延暦23年勅を奉じて入唐、天台山に学んだ。空海も同年入唐して長安に学び、大同元年(806)帰国しているが、最澄は1年間の滞在で帰国し天台宗をひろめた。『守護国界章』『顕戒論』などの著があるが、弘仁13年(821)比叡山中の中道院で入寂したとき56歳であった。比叡山と切っても切れないので、比叡大師、根本大師などともいうが、その遺骸は弟子の円仁(慈覚大師)によって石棺に入れられ浄土院に納められた。
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